狼王戦記 ~黒き白狼天狗の軌跡~ 作:カオ宮大好き
「……もふもふ、もふもふ……」
「…………東風谷様、楽しいですか?」
一心不乱に自身の尻尾を愛でる早苗に問いかける聖哉、返ってきたのは肯定の意を持つ力強い頷きであった。
彼女達“守矢神社”の関係者が山に転移してきてから今日で一週間、天魔達と守矢の神による話し合いはいまだに終わりを見せていない。
しかし早苗は前のように無断で山を降りようとして、他の天狗とのいざこざを起こさなくなった、代わりにこうして暇があれば聖哉の尻尾を愛でるという行為に勤しんでしまっているが。
「男性の方なのに、どうしてこんなにもフカモフなのでしょうか……不思議です……」
「まあ、一応手入れはしていますからね。ですが女の白狼天狗の尻尾は私とは比べものにならない筈ですよ」
「本当ですか!?」
「言っておきますが、本来ならば我等白狼天狗の耳と尻尾は無闇に触っていいものではないのです。
安易に触ろうと頼めば斬りかかってくる場合もありますので、くれぐれも注意してください」
その言葉に、早苗は露骨に不満そうな表情を浮かべた。
やはり釘を刺してよかったと彼女の顔を見て聖哉は安堵する、完全に頼もうとしていたのは明白であった。
「そんなに大切なら、どうして聖哉さんは触らせてくれるのですか?」
「私にはそれ程の執着はありませんし、どこかの鴉天狗が無許可で触ってきますからね」
それを考えると、早苗はまだ良心的なので聖哉もやぶさかではないのだ。
触り方も決して乱暴なものではなく、かといって壊れ物を扱うかのような慎重さもなく、絶妙な力加減なので……正直気持ちが良い。
聖哉自身も、彼女とのこの時間が少しずつ楽しくなってきた中……上空から急接近してくる物体を2つ、“千里眼”で捕捉した。
彼等の前に現れる小さな2つの存在は、幻想郷では珍しくもない“妖精”と呼ばれる種族。
十にも満たぬ幼い少女の姿をしたその子等は、聖哉のよく知る“友人”であった。
「――チルノ、大妖精、どうしたんだ?」
「遊びに来た! だから遊ぼうよ聖哉!!」
ニカッと子供らしい無邪気で元気の溢れた笑みを浮かべ、透き通った氷のような水色の短い髪を揺らしながらそう言うのは、氷の妖精であるチルノ。
その隣に居る緑髪をサイドテールにした“大妖精”と呼ばれる子は、申し訳なさそうに聖哉に向かって小さく頭を下げた。
大方チルノが友人である大妖精を強引に引っ張り、この妖怪の山にやってきたのだろうと推測する聖哉。
別に珍しい事ではない、今までだってチルノのバイタリティ溢れ過ぎている行動は何度も見てきたし、そもそも彼女達と知り合ったのも今のような状況だったのだから。
妖精という種族は無鉄砲で知能が低く、けれど自然の具現化であるが故か純粋だ。
だからなのか、聖哉は他の妖怪と違い妖精を見下すような事はせず、天狗でありながらチルノ達妖精と交友関係を持つという奇妙な間柄を築いていた。
いつもならば向こうの突然の提案に付き合い、任務に差し支えのないように遊びに付き合う聖哉なのだが……。
「すまないチルノ、今日は……というより、暫くは遊んでやれそうにないんだ」
「えーっ、なんで?」
「少しばかり厄介な事になっていてな、この問題が一段落するまではこの山に近づかない方がいい。お前達の友達にも注意しておいてくれないか?」
簡潔に事情を説明する聖哉だが、予想通りというべきかチルノの表情は不満に満ち溢れていた。
一方の大妖精は聖哉の忠告を理解したのか、それとも山を包むピリピリした空気を感じ取ったのか、チルノに帰ろうと促し始めている。
「山の連中も気が立っていてな、いくら妖精であるお前等でも容赦しない輩が現れるかもしれん。いつものように戻ったらおもいっきり遊ぶから、今日はもう帰るべきだ」
「むー……でも、そっちの人間はいいの?」
チルノの視線が早苗に向けられる。
「彼女はこの山の関係者……というか、その中心人物なんだ」
「……なんか“霊夢”みたいなヤツだな。お前も巫女なのか?」
首を傾げつつ質問するチルノ、一方の早苗は愛でていた尻尾から漸く離れ立ち上がり自身の名を告げた。
「私は現人神である東風谷早苗です、正確には巫女ではないんですよ」
「あ、あらび……?」
「人間でありながら神のように人々から信仰される存在の事だ、まあ詳しく説明すると余計混乱するだろうから彼女は守矢神社という神社の巫女という認識を持っていればいいさ」
早苗には不服かもしれないが、こうでもしないとチルノでは彼女がどういったものなのか認識するのは難しいだろう。
巫女という単語を聞いて、漸く理解に至ったような表情を見せるチルノを見れば、それが間違いではないと判ってしまう。
「でも博麗神社以外にも神社があったんだなー。……お前って、霊夢より強いのか?」
「……その霊夢さんという方は、博麗神社の巫女をしている方なんですか?」
「そうだよー、とっても強くて怒るとめっちゃ恐い鬼巫女なんだー!!」
「チ、チルノちゃん言い過ぎだよ。で、でも霊夢さんって優しい所もあるんですよ!?」
慌ててフォローに入る大妖精だが、そのとってつけた感のせいで全然説得力がないのはご愛嬌。
しかし、早苗にとってそんな事はどうでもよかった。
「弱点とかは、あるんですか?」
「えっ? うーん……特にないと思うけど、なんでそんな事訊くの?」
「……いずれ倒すべき相手ですから、守矢の信仰の為には……博麗の巫女は邪魔なんです」
険しい表情を浮かべ、上記の言葉を口にする早苗。
やはりそうか、彼女の言葉に聖哉は何かに納得をし……一方のチルノは、早苗の言葉に怒りを露わにした。
「お前、霊夢の事をいじめるつもりなの!?」
「そういうわけではないですよ、ですがこの幻想郷の信仰全てを集める為に博麗の巫女を倒そうと思っているだけです」
「っ、そんなのあたしが許さないぞ!! 霊夢は確かに恐い所もあるけど結構優しいんだ、そんな霊夢を倒すなんて絶対に駄目なんだから!!」
彼女の怒りに呼応するかのように、周囲の気温が下がっていく。
氷精である彼女の“冷気を操る”力が溢れ始め、近くの小川の表面が薄く凍りついていった。
すぐに彼女を止めようとする大妖精だが、頭に血が昇っているチルノは止まる気配を見せず、早苗を睨みつける。そんなチルノを鬱陶しい存在だと認識したのか、早苗は手元に置いていた大幣を握り締め戦う意志を見せ。
「――そこまでだ」
言葉に妖力を込めた聖哉の地の底から響き渡るような声が、戦闘態勢だった2人の身体を固まらせた。
その恐ろしい威嚇に早苗はごくりと喉を鳴らし、チルノと威嚇を受けていない大妖精はガタガタと身体を震わせる。
「……東風谷様、冷静になっていただきたい。チルノもだ」
「だ、だけどこいつが霊夢を……」
「チルノ」
反論を返そうとするチルノに、聖哉はもう一度威嚇を飛ばし今度こそ彼女を黙らせる。
「チルノの気持ちは理解できる、だが安易に戦いを仕掛けようとするのはやめろ。
そして東風谷様、この氷精チルノは博麗の巫女と友好関係を築いております。あまり滅多な事を口にしないでいただきたい」
「……わかりました」
先程の威嚇に効果があったのか、早苗は特に反論せずに納得の意を示す。
チルノも不満げに唇を尖らせるものの、大妖精の視線もあってか何も言わずに頷きを返した。
強引な仲裁の仕方だ、聖哉自身もそれを自覚したが言葉で止められる空気ではなかった。
それにだ、あまり力を放出して厄介な輩に察知されるのは聖哉としては避けたいところであり……。
「…………チッ」
しかし、少しばかり遅かったようだと、聖哉は“千里眼”で捉えたこちらへと向かってくる存在に対し、舌打ちを放つ。
程なくして聖哉達の前に現れたのは、この周囲の哨戒を担当している男の白狼天狗達三匹であった。
彼等に聖哉は見覚えがあった、あまり素行が良くない平隊員であり……自分の事をよく小馬鹿にする連中だ。
聖哉を見てあからさまに侮蔑の視線を向けつつ、その中のリーダー各であろう男が口を開いた。
「犬渡、何をしている?」
「ちょっとした雑談だ、今は休憩時間の筈だが……」
「相変わらず察しが悪いな、山の侵入者を前にして何をしていると我等は訊いているのだ」
男達の視線が、チルノ達へと向けられる。
その瞳には敵意と殺意に溢れ、今にも手に持っている太刀で彼女達に斬りかからんとばかりの態度を見せていた。
「山を出るように説得はしたしこの子達も納得してくれた、ならば問題はあるまい?」
「今の山に侵入する事がどれだけ愚かな行為なのかわからぬ妖精如き、警告する必要も義務もない」
「此方の警告を聞き入れるのならば攻撃する必要はない、訓練の中で習った筈だ」
「何を必死になる? 所詮妖精などいくら斬り捨てた所で復活する。――たまには動くものを斬らなくては、腕が鈍ってしまうのでな」
口元に歪んだ笑みを浮かべ、男達は太刀の切っ先をチルノ達に向けた。
相手の態度に大妖精はビクッと身体を震わし、そんな彼女を守るように一歩前に出るチルノ。
しかし彼女も殺気を向けられている影響か、その足は小刻みに震えていた。
「やめろ、恐がっているのがわからないのか?」
「犬渡、何故妖精なんぞを庇う? ああ、そうか……天狗の“出来損ない”である貴様には妖精如きとは似合いだったな」
リーダー格の男がそう言いながら笑い、取り巻きの2人も同じように聖哉に嘲笑を送る。
……いつもの事だ、こうやって今まで何度もこの輩達は聖哉を馬鹿にし続けてきた、今更気にする必要はない。
だが、聖哉はよくても隣に居た早苗には我慢できないらしく、表情に怒りの色を見せながら声を荒げた。
「いくらなんでも失礼じゃありませんか? 同じ白狼天狗の仲間なのでしょう!?」
「仲間、だと? 笑わせてくれる、この男は我等天狗の面汚し、恥晒しそのものなのだ。
こいつの親は山の掟に従う事を良しとせず、山を降りて野垂れ死んだ“裏切り者”だ。
そしてこいつはその裏切り者の子、そればかりか白狼天狗にも鴉天狗にもなれぬ出来損ないそのものなのだ、そんな男が我等の仲間などと……虫唾の走る事を言わないでもらおうか!!」
「っ」
激昂する男の迫力に、早苗はおもわず後退った。
それを無様な姿だと思ったのか、男は尚も早苗に対し鋭い語気を放つ。
「人間の小娘が……本来ならば貴様などすぐに山の異物として排除される立場だというのに、我等天狗に歯向かうとは良い度胸だな」
「わ、私は別にそんなつもりは……」
「よせ。東風谷様は我々の敵ではない」
「女には優しいな犬渡、まあ……身体だけは“上物”のようだから
下卑た笑みを見せる男、その言葉の意味を理解した早苗は羞恥からか頬を紅潮させる。
彼女のその姿に男達は更にその下品な笑みを深めていくが……その態度が、聖哉の逆鱗に触れた。
「ギャッ!?」
鈍い打撃音とくぐもった悲鳴が場に響く。
リーダー格の男が聖哉の拳によって顔面を殴られ、地面を滑りながら吹き飛んでいった。
取り巻きの2人はすぐに動こうとするが、その前に聖哉は背中の大剣を抜き取り切っ先を2人に向け黙らせる。
「……下衆が、貴様等は俺以上の出来損ないだ。これ以上恥を晒す前に消えろ!!」
「う、ぐ……」
「俺を馬鹿にしたいのならいくらでもしろ、だが東風谷様やこの子達に手を出すというのなら……それ相応の報いを受けてもらうぞ?」
射殺すような眼光で睨まれ、取り巻き達はすっかり萎縮してしまっていた。
その情けない姿に聖哉は呆れを含んだ溜め息を吐きつつ、大剣を収める。
そしてもう一睨みすると、取り巻き達は殴られたリーダー格の男を担いで逃げるようにその場から飛び去っていった。
「……東風谷様、同族がご迷惑をお掛けして誠に申し訳ありませんでした。チルノ、大妖精、嫌な思いをさせて本当にすまない」
跪き、聖哉は3人に向かって地面に擦り付ける勢いで頭を下げる。
「いいえ、聖哉さんが謝る事なんてないですよ!!」
「そうだよ聖哉、さっきのヤツラが全部悪いんだから聖哉が謝る事ないよ!!」
「それに、聖哉さんは私達を守ってくれました。ありがとうございます聖哉さん!!」
「…………そう言ってくれると、救われます。チルノ達もありがとう」
彼女等の優しさに感謝しつつ、聖哉は立ち上がる。
……本当に情けないものだ、想像以上に品位の無い天狗がこの山にいる事がわかり、頭痛すらしてくる。
だが脅しておいたのでこれ以上馬鹿な真似はしないだろう、それよりも彼には心配する事があった。
「申し訳ありませんが、この事はくれぐれも椛……私の後輩の白狼天狗には、話さないでいただけますか?
あの子はこんな私を慕ってくれている子なのですが、こんな事があったと知ったら……何をしでかすかわかりませんので」
これは決して大袈裟な話ではなく、過去に似たような事があったのだ。
あれはまだ椛が哨戒任務に就く前の頃、剣の手ほどきをしていた時に他の白狼天狗がやってきて聖哉の事を馬鹿にした。
いつもの事だと聖哉は無視を決め込んだのだが……隣に居た椛が突然激昂してそいつらに飛び掛かり、怪我人を出す事態に発展してしまったのだ。
あの時は大天狗のおかげで事なきを得たものの、その後暫くは誰も聖哉の事を馬鹿にする者は現れなかった。
また、直接ではないにしろ彼に陰口を叩いた相手にも同様の事をしたので、極力彼女には知られたくない。
そう説明すると、早苗は苦笑しつつも納得したように頷きを返した。
「大切に想われているんですね」
「ええ……私にはもったいない、良い子ですよ」
ただ、椛の為を思うのなら……今の関係はあまり良いものとは言えないのかもしれない。
彼女はいずれ白狼天狗を率いる立場に到達する、まだ若いながらもその才能は誰よりも大きいものだ。
いずれ自分など遥かに超える彼女が、いつまでも自分のような出来損ないと共に居るというのは……彼女の将来を封じ込めかねない。
「…………」
それはわかっている、わかってはいるのだが。
そう思う度に、彼の胸にはチクリと小さな痛みが走っていった……。
◆
「ぐっ、おのれぇぇぇぇぇぇ……!」
殴られた頬を手で押さえつつ、白狼天狗の男は顔を歪ませ呪詛のような言葉を吐き出す。
「犬渡め、あんな出来損ないの分際で……!」
押さえていない手で、何度も近くの木を殴りつける。
それだけこの男が受けた屈辱は大きく、けれどそれは逆恨み以外の何物でもなかった。
……元々、この白狼天狗の男は前から犬渡聖哉の事が気に入らなかった。
出来損ない、中途半端と称される彼が白狼天狗の束ねる総隊長の立場に居るのも、大天狗に気に入られているというのも、認めてはいない。
だが山の世界は弱肉強食、単純な実力もその精神も……この男は聖哉よりも遥かに劣る。
それがまた男のプライドを傷つけ、もはや彼に対する憎しみは親の仇のようなものへと変化していた。
そんな狂気に満ちた男を、取り巻きの2人は遠目から見る事しかできない。
彼らもまた聖哉の事が気に入らないが、この男ほどではなく、今の彼は異常に映っていた。
「あんなヤツを、これ以上のさばらせておくわけには……!」
蹴落とさなくては、否、これ以上穢れた天狗もどきをこの山に存在させるわけにはいかない。
しかし、そうするための都合の良い案など思いつく筈もなく、男の怒りはますます増大していく。
「おーおー、凄い怒りだねー」
「…………ああ?」
いつからそこにいたのか、男達の前に小柄な少女がにこやかな笑みを浮かべて立っていた。
背丈は本当に小さく妖精程しかない、所々がほつれた黒髪を2つの三つ編みでまとめたその少女は、気配も無く現れていた。
見慣れない少女だ、山の者ではないと判断し男達が動く。
瞬く間に囲まれる少女だが、にこにこと場に似つかわしくない無邪気な笑みを崩さないまま、口を開いた。
「よっぽど怨みを溜め込んでるみたいだねー、ついでだしその恨み……晴らしてあげるよ」
「……何者だ貴様、ここが何処なのか理解しているのか?」
「知ってるよー、かつて鬼達が支配していた妖怪の山……今は天狗が支配している他者を寄せ付けぬ聖域の山」
「それを理解しているのなら、我等天狗を前にする事がどういうことなのかわかるな?」
太刀の切っ先を少女に向ける、本来行なうべき警告など怒り狂った男の頭には存在していなかった。
どうせ余所者だ、ならば斬り捨てても構うまいと、男は自らの鬱憤を晴らす為に目の前の少女の命を奪おうとする。
……男達は気づかない、少女の琥珀色の瞳が彼等を映していない事に。
そして、自分達に訪れる結末にも気づかないまま。
「雑魚妖怪では上手くいったからね、次は天狗で試してみようか」
男達にとってよくわからない呟きを、少女が零したと思った時には。
彼女は無造作に、その腕を男達に突き刺していた。
「…………え?」
間の抜けた声が、男達の口から零れる。
何が起きたのか彼等は最期まで理解する事ができなかった。
ただ茫然と、他人事のように自身の腹に突き刺さっている少女の腕を見つめ。
「沈め」
少女が、その言葉を放つと同時に。
彼等は白狼天狗ではないモノへと変貌した。
「っ……っ……」
ビクンッと、男達は大きく痙攣してから……動かなくなった。
それを満足そうに見つめてから、少女は彼等の身体から自身の腕を抜き取る。
「馴染むまで少し時間が掛かるか……後はタイミングだね。ほらいくよー?」
少女が男達にそう告げると、ゆらゆらと夢遊病者のように白狼天狗達は歩き始める。
もはやこの男達に意識はなく、少女の命令しか受け付けない人形と化してしまっていた。