狼王戦記 ~黒き白狼天狗の軌跡~   作:カオ宮大好き

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第50話 霧の湖へ~小さな衝動~ ※

 夏は暑いものだ、少なくともこの幻想郷では。

 とはいえ今年は少々暑すぎる気がする、妖怪なので人間と違って倒れるという事はないが、汗は掻くし不快感だってある。

 なので俺と椛は“霧の湖”に赴く事にした。

 

 あそこならば年中霧に包まれ日差しを塞いでくれているし、何より水浴びができる。

 水着は無いが気分がスッキリするだろうから、椛からも特に反対意見もなく早速とばかりに向かったのだが……。

 

「――なんでレミリア達がいるんだよ」

「なんだ、文句があるのか?」

 

 そこには既に、おそらく俺達と同じ理由で水浴びを楽しんでいたレミリア達紅魔館組の姿があった。

 レミリアとフランはそれぞれ青と赤のビキニ姿で湖の中を楽しげに泳いでおり、咲夜はメイド服のままそんな二人を微笑ましげに見守っていた。

 美鈴は門番、パチュリーと小悪魔は相も変わらず図書館に引き籠っているとの事。

 

「ところで聖哉、わたし達の水着姿はどうだ?」

 

「どうって……可愛らしいと思うぞ」

 

 レミリアもフランも容姿が整っているし、それぞれ身につけている青と赤のワンピースタイプの水着も可愛らしいデザインだ。

 なので素直な感想を口にしたのだが……何故か、2人は俺に対し不満そうな視線を向けてきている。

 

「まったく、お前はダメな男だな」

 

「これじゃあ椛ちゃんが苦労するだろうねー」

 

「どういう意味だ?」

 

「女性に対する褒め方がまるでなっていないという意味だ。――その調子では、椛との仲も進展していないようだな」

 

「……俺と椛はそういう仲じゃないさ」

 

「だが想いは伝えられたのだろう? ――生半可な答えではいけないと思っているようだが、もう少しお前は待たせているという自覚を持った方がいい」

 

 痛い所を突かれ、おもわずレミリアを睨みつける。

 そんな事お前に言われなくても……喉元まで登ってきた言葉を、俺は放つ事なく飲み込んだ。

 

 ……待たせている、俺はまだ椛の想いに答えを返せていない。

 旅を始めて一月程経つが、その間彼女は一度たりとも俺に答えを急がせたりはしてこなかった。

 俺はそんな彼女の優しさに甘えているのだろうか? だが、まだ答えは俺の中で出ていない。

 

「当たり前のように隣に居る、そう思ってしまえばそこまでだ。――後には後悔しか残らん」

 

「……それは、体験談か?」

 

「…………ああ、若気の至りというものだ」

 

 ささやかな仕返しとばかりに返したその問いに、レミリアは表情に影を落としそう答えた。

 その意外な反応に俺とフランは驚く、ほんの冗談のつもりだったんだが……。

 

「お姉様、悲しい別れをしたことがあるの……?」

 

「ちょっと、な……咲夜より前に、気に入った人間を傍に置いていた時があったんだ」

 

 そう言って、レミリアは雲に覆われた空を見上げた。

 その表情は何かを懐かしむようで、同時に自分を責めるような、そんな顔をしていた。

 俺もフランも何も言えず、周囲の空気が重苦しいものに包まれていく。

 

「すまんな、今の話は忘れてくれ。もう……遠い昔の話だ」

 

「お姉様……」

 

「そら、主賓の御到着だ」

 

 レミリアの視線が俺達の後ろに向けられ、それと同時に咲夜の「お待たせ致しました」という声が聞こえてきた。

 そういえば椛が水着を持っていない事を言ったら、レミリアが咲夜に椛に水着を用意しろって言ったんだったな。

 戻ってきたという事は準備が終わったのだろう、そう思いながら俺は後ろに振り向いて。

 

「――先輩、どう……ですか?」

 

 少し気恥しそうに此方を見る彼女に、目だけでなく全てを奪われた。

 健康的な肌を惜しみもなく晒し、露出の多い白のビキニに身を包んだ椛が、俺の目の前に居る。

 それだけで俺の思考も身体も完全に停止し、呆けた顔で彼女を見つめる事しかできない。

 

 ――何故だ?

 今まで彼女の水着姿など何度も見てきた、伊達に長い付き合いをしてはいない。

 山に居た頃だって、玄武の沢で水着の彼女と遊んだことだってそれこそ数え切れぬ程ある。

 だから慣れている筈だ、慣れている筈なのに――どうしてここまで心を奪われる?

 

「…………先輩?」

「っ、え、ぁ……な、何だ?」

 

 声が震える、上手く言葉を放てない。

 彼女から視線を逸らす事もできず、かといって気の利いた事が言える余裕もなかった。

 ……俺は、一体どうしたっていうんだ? どうしてこんなに……。

 

「もしかして、変ですか? 似合いませんか?」

「や、違う。そういうわけじゃなくて……」

 

 ああ、くそっ、俺は一体何をやっているんだ。

 俺のせいで椛が不安そうな顔になっているんだぞ、「似合ってる」の一言も言えないのか。

 

「も、椛」

「は、はい」

「えっとだな……その…………に、似合ってるぞ。本当に……可愛い、と……」

 

 どうにかこうにか、それだけを口にする。

 おいコラ、レミリアもフランもニヤニヤと笑うんじゃない。咲夜も微笑ましい視線を送ってくるなっ。

 真っ赤になっているであろう顔の熱を冷ますために右手を添えつつも、俺は椛から視線を逸らせなかった。

 

「……本当ですか? 嬉しいです……」

「…………」

 

 照れくさそうに、でも口元にはっきりとした嬉しそうな笑みを浮かべる椛を見て。

 愛くるしいなあと思うと同時に。

 

 

――俺の身体が、俺の意思から離れ動き出した。

 

 

「えっ? あの、先輩……?」

 

 困惑する椛に、手を伸ばす。

 ――触れたい、彼女に。

 その頬を、髪を、唇を、そして身体に触れたいと当たり前のように思考が訴えてくる。

 だって仕方ないではないか、目の前にこんなにも可憐でありながらきちんと“女”としての魅力がある存在が居るのなら。

 

――自分のモノにして(・・・・・・・・)喰らわずにはいられなくなるのは当然だ(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「せ、先輩……?」

 

 口元に笑みが浮かぶ、けれどその笑みは自分でも判るぐらい歪で不気味で。

 やめろ、止まれ、彼女に近づくな。

 まるで誰かに操られているかのように、自分の身体の動きを止める事ができない。

 

「聖哉、止まれ」

 

 静かな声が、響いた。

 たった一言だけ放たれたレミリアのその言葉で、俺の身体は金縛りに遭ったかのように動きを止める。

 それと同時に自分の意思で身体を動かせるようになり、俺はすぐさま飛び退くように椛から離れた。

 

「ぁ……す、すまん椛!! 本当にすまん!!」

 

 まだ混乱している頭のまま、とにかく謝りたくて土下座せんばかりの勢いで椛に頭を下げる。

 彼女自身も困惑していたのか、やや間を置いて「謝らないでください」と言ってきた。

 ……俺は今、彼女に何をしようとした? そして何を考えた?

 鼓動が煩いくらいに鳴り響いている、自然と荒くなる息を抑えられない。

 

「……聖哉、お前」

「っ、あ、えっと……も、椛はみんなと遊んでろっ。ちょっと俺は頭を冷やしてくる!!」

 

 皆の言葉を待つ事もせず、俺は背を向けその場で大きく跳躍した。

 後ろから聞こえる椛の声にも反応せず、そのまま沈むように湖の中へと飛び込む。

 全身を包む水の冷たい感触、それが急速に頭を冷やしてくれた。

 

「……何やってんだ、俺は」

 

 おもわず、水の中だというのに声を出して呟いた。

 人間と違い妖怪は水の中でもある程度喋れるし長く活動できる、だから俺は深く深く底を目指すように自身を沈ませていく。

 そうして暫しその身を水に委ね、湖の底へと辿り着いたのを確認し、ゴボゴボと泡を吐きながらため息をついた。

 

 本当にどうかしている、先程の自分を顧みるとそうとしか思えない。

 椛を喰らう? あまりにも馬鹿馬鹿しく愚かしい考えを、たった一瞬でも芽生えさせた自分が恐ろしくも思えた。

 だがあの感情は気の迷いではない、認めたくはないが本心から出ていた感情であった。

 だからこそ許されない、そもそも何故あんな感情が芽生えたのか理解が及ばなかった。

 

〈混乱してんな、大丈夫か?〉

 

 ヴァンの声が頭に響く。

 ……あれは、お前の仕業か?

 

〈疑うのはよせっての。まあ……半分はそうかもしれねえな〉

 

 ふざけるな、椛に何かしてみろ、殺してやるぞ。

 

〈おお恐っ。けどな、半分はお前自身の本能が考えた事だぞ?〉

 

 俺が、だと?

 ありえない、俺が椛を喰らいたいと思っているとでも?

 

〈ああ、そうさ。――お前、自分が歪んでないと本気で思ってるのか?〉

 

 意外そうに、嘲笑うかのように、ヴァンはそんな事を言ってきた。

 歪んでいる? 俺が……?

 

〈まあ仕方ねえさ、お前の過去を顧みればな。

 ――お前自身が思っている以上に、お前はあのお嬢ちゃんに依存してんだ。それこそ……喰っちまいたいと思う程にな〉

 

 ……そんなわけ、ないだろ。

 言い返したいのに、上手く言葉が出てこない。

 ヴァンの言っている事は間違っている、それなのに……何故強く否定できない?

 

〈いくら天狗だ妖怪だって言っても、お前の中には確実に獣の本能が存在してんだ。それが表に出る事の何がおかしいってんだ?〉

 

 違う、俺はそんな……ただ本能のままに動く獣じゃない。

 

〈違わねえさ。それに否定すんなよ、でないとオレの枷は――〉

 

 

「先輩」

 

 

 水の中のせいか、聞き慣れたその声もくぐもって聞こえた。

 後ろを振り向く、そこに居たのは当然というか……此方を心配そうに見つめる椛であった。

 

「……」

「……」

 

 気まずい。

 声を掛けてきた彼女も同じ気持ちなのか、俺と同じく視線を逸らしている。

 謝るべき、なのだろうが……そんな事をされても彼女は困ってしまうだろう。

 かといって普段通りに話しかけるのも憚られ、結局何も言えずに沈黙したままでいると。

 

「?」

 

 椛は何も言わず俺の手を掴み、何も言わずに引っ張り出した。

 俺が呼んでも返事は返さず、俺も抵抗はしないまま……湖の反対側まで移動してから、水の中から出た。

 紅魔館が遠くに見える中、椛と共に湖から出て地面に座る。

 

「椛、あのな……」

 

 さっきはごめん、もう一度謝ろうと頭を下げようとして。

 

「大丈夫ですよ、大丈夫ですから」

 

 椛は両手を俺の頭の後ろに回し、そのまま自身の胸元へと抱き寄せてきた。

 彼女の突然の行動に固まった俺は、顔全体を包み込む柔らかな感触で更に固まってしまい何も言えなくなった。

 一方の椛は何も抵抗しない俺に、何度も「大丈夫ですよ」と言いながらあやすように頭を撫でてくる。

 子供扱いされているようで正直気恥ずかしかったが、心地良さと誰も見ていないという安心感から、俺は特に抵抗せずそればかりか無意識の内に彼女に身体を預けてしまっていた。

 

「…………先輩、落ち着きました?」

 

「あ、ああ……」

 

 暫し頭を撫でられ続け、上記の問いかけをした後も椛は俺を放そうとはしてくれない。

 

「さっきの事は気にしないでください、私はちっとも気にしてませんから」

 

 ちょっと吃驚しましたけどね、そう言って笑う椛に胸が痛んだ。

 レミリアの声が無ければ、俺はきっと彼女に対して酷い事をしていたかもしれない。

 どうしてあんな事をしたのか自分でも判らないし理解できない、だが如何なる理由があっても俺のしようとした事は……。

 

「先輩は、優し過ぎますよ」

 

「何言ってんだ、さっきの俺は本当にどうかしてた。レミリアが止めなかったらきっと俺は……」

 

「俺は、なんですか? 何をしようとしていたんですか?」

 

「……」

 

 言えるわけがなくて、俺は口を噤んだ。

 ……あの時の俺は、本当にただの獣の思考しかなかったんだ。

 あるで初めからそうであったかのように、そんな生物だったかのような考えで、俺は椛に迫っていた。

 椛を“女”として見て、手に入れたいという欲求に支配され、彼女をモノのような目で見てしまって。

 

「私は、少し嬉しかったですよ?」

 

「えっ……」

 

「だってあの時の先輩の目、私を“女”として見てくれてましたから」

 

 今までそんな目で見られたことはなかったから、驚くと同時に嬉しかったと彼女ははにかみながらもそう言った。

 …………ああ、本当にこの子は俺なんかを好きで居てくれているんだな。

 今更ながらにそう思えて、再び芽生える彼女に対する罪悪感以上に……愛おしさが増した。

 

 

――当たり前のように隣に居る、そう思ってしまえばそこまでだ。

 

 

 脳裏に浮かぶ、レミリアの言葉。

 判っている、そんな事は判っていると思っているが……所詮それは“つもり”なのかもしれない。

 

「椛、一旦放してくれるか?」

 

「あ、すみません」

 

 頭の後ろに回した手を放し、俺は漸く椛と視線を合わせる事ができた。

 彼女は……抱きしめたのが恥ずかしかったのか、頬を赤らめている。

 

「ありがとな、椛。さっきは本当にすまなかった」

 

 頭を下げる、謝るなと彼女は言ったがそれとこれとは話が別だ。

 

「いいんですよ。でもさっきの先輩……ちょっと変でしたね」

 

「……俺も、正直どうしてあんな行動に出たのか判らないんだ」

 

「そうなんですか……でも、強引な先輩もたまにはいいと思っちゃいました」

 

 本気なのか冗談なのか、悪戯っぽい笑みを浮かべてそう言う椛に俺は苦笑しか返せなかった。

 けど、その笑顔を見て僅かに残っていたもやもやとした感情が消え去ってくれた。

 

「椛は凄いな」

 

「えっ、どうしたんですかいきなり?」

 

「俺の事、何度も何度も助けてくれるじゃないか。だから凄いなって」

 

 今だって、彼女に対する罪悪感とか申し訳なさとか。

 そういった負の感情を、彼女はあっさりと「大丈夫」と言って許し、受け入れてくれた。

 そんな簡単にできる事ではない、だから率直に凄いと言ったのだが、椛はそんな俺に苦笑しながら。

 

「当たり前じゃないですか。先輩の事……本当に好きなんですから」

 

 真っ直ぐな目で、当たり前だといった様子で、そう言ってきた。

 

「……」

 

 その言葉は完全に不意打ちで。

 俺は何も言えず、無言のまま彼女を見つめ返す事しかできなかった。

 それを申し訳ないと、そう思う事自体が間違いだと判っているけれど。

 彼女の想いにまだ答えられない自分自身が、本当に情けなく酷い存在だと思ってしまった。

 

「先輩、そろそろ皆さんの所に戻りましょう。きっと心配してます」

 

「……どうかな。きっと俺の事なんぞちっとも気にしてないと思うけど」

 

 戻ったら戻ったで、「なんだ、まだいたのか」なんてレミリア辺りに言われそうだ。

 肩を竦めてそう言うと、椛は容易に想像できたのか苦笑を浮かべる。

 とはいえあんな風に飛び出したのだ、たとえ向こうが気にしてなくても一言謝らなければ。

 

「聖哉様」

 

 そう思った矢先。

 いつの間に居たのか、俺達の前で直立不動のまま立つ咲夜の姿が視界に入った。

 突然の登場に声が出そうになる、というか椛に至っては「ひゃっ」なんて可愛い悲鳴を上げていた。

 

「咲夜?」

 

「……いつもの聖哉様ですね、良かったです。お嬢様と妹様が少し心配していた御様子でしたので」

 

「あ……悪い、レミリア達にも謝らないと」

 

「いいのです。まあ聖哉様がそうしたいのならば私としては止めるつもりはありません」

 

 何処か安堵したような笑みを浮かべながら、咲夜はそれ以上何も言わなかった。

 もしかしたら、彼女も俺の様子を見て心配してくれていたのかもしれない。

 

 立ち上がり、レミリア達の元へと戻ろうと歩を進め始める。

 椛と咲夜もそれに続く……が、突然咲夜は何かを思い出したかのように立ち止まった。

 

「聖哉様、貴方様はまだ旅を続けていらっしゃるのですよね?」

 

「ん? ああ、そろそろ住処を探さないといけないと思っているけど、まだ幻想郷の中を全部見たわけじゃないからな」

 

 焦る事もないだろう、いざとなれば俺も椛も適当な洞窟の中でも暮らせるのだから。

 山育ちは伊達ではないのだ、まあ女の子の椛にそれをさせるのは忍びないが。

 

「……そうですか、つまり御時間をいただいても宜しいという事ですか?」

 

「? ああ、何か手伝ってほしい事があるのなら手伝うぞ」

 

 大切な友人である咲夜なら、喜んで力になりたい。

 ……なのだが、どうやら俺は盛大な勘違いをしていたようだ。

 咲夜は俺に何か手伝ってほしいとか協力してほしい事があるわけではなかったようで。

 彼女が次に放った言葉によって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「明日、私とデートしていただけませんか?」

 

「………………はい?」

「………………はい?」

 

 俺も椛も、目を点にして完全に思考が停止してしまった……。

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