狼王戦記 ~黒き白狼天狗の軌跡~ 作:カオ宮大好き
「……なあ、椛」
「はい、なんですか先輩?」
「……なんで俺は正座させられてんの?」
妖怪の山の中にある、とある岩場。
そこで聖哉はどういうわけかいきなり椛に呼び出されたと思ったら、正座を強要されてしまっていた。
しかし反論を返す彼の口調は弱々しい、というのも椛の視線が非難するような厳しいものになっているからであった。
これは怒っている、長い付き合いであるが故に聖哉は瞬時に理解し、けれど彼女が怒る理由がまったく思いつかない。
安易に謝った所で彼女の機嫌は直らないだろう、なので聖哉はおとなしく正座を続ける事にした。
「…………また、くだらぬ中傷を受けたそうですね」
「えっ……な、何の事だ?」
「先輩、“千里眼”が使える私に隠し事なんてできると思っているんですか?」
「うっ……」
どうやらあの時の事、素行の悪い白狼天狗達とのいざこざの出来事を視られてしまったらしい。
プライバシーの侵害だと反論しようと思ったが、どうせ軽く受け流されるだけだから聖哉は視線を逸らし口を閉ざす。
「どうして私に黙っていたんですか?」
「だってさ、お前に話したら絶対に報復しに行くだろ?」
「当たり前です。先輩を馬鹿にするヤツは誰であろうと許しませんから」
だから言わないんだと、聖哉は心の中でツッコミを入れる。
自分の事を考えてくれる椛の気持ちが嬉しくないわけではないが、それによって彼女の立場が悪くなるのは困るのだ。
そんな先輩の気持ちを、この少女はまるで理解してはくれなかった。
「なあ椛、お前が怒ってくれるのは嬉しいけど俺だって子供じゃないんだ。あんな陰口なんて微塵も気にしてないぞ?」
「先輩がよくても私が許せないんです! 先輩は白狼天狗の隊長として皆を引っ張る方なのに、あんな謂れもない中傷なんか……」
「なんでそこまで気にするんだよ?」
「えっ、それは……その……」
途端にごにょごにょと言葉を濁す椛。
彼女の反応に聖哉は首を傾げていると、彼女は突如として話題を変え始めた。
「そ、そんな事よりもですね。その……先輩は、あの人間とはどういったご関係なのですか!?」
「人間って、東風谷様の事か?」
「と、時折ではありますが2人だけで会っているようですし……い、一体何をなされているんです?」
「何って……幻想郷の事を教えたり、外の世界の事を教えてもらったり、後は尻尾を愛でさせたり……」
「し、尻尾って……先輩の尻尾を触らせているんですか!?」
目を見開き、聖哉の言葉に椛は心底驚愕したかのような反応を見せる。
何をそんなに驚く必要があるのか……聖哉がそう思っていると、今度は悔しそうに表情を歪ませる椛。
……彼女は一体何が言いたいのだろうか、ますます聖哉は困惑した。
「……私だって久しく触らせてもらってないのに、そんな簡単に……」
「おーい、椛ー?」
「やっぱりこれからは“千里眼”で常に先輩を見張ってないと……あの人間に取られちゃう……」
「おい、なんか不吉な単語が聞こえたような気がしたんだが?」
白狼天狗の聴力によって、今の椛の発言は全て聞き取れていた。
自分を見張るだの取られるだの言っているが……もしかして、早苗と自分が仲良くしているのが気に入らないのだろうか。
だとすると、存外椛も子供っぽい所があるんだなと思いつつ……聖哉は立ち上がり、彼女に対して背を向けた。
「せ、先輩?」
「触りたいんだろ? 尻尾」
「えっ、や、いえそんな……」
「だってさっき久しく触らせてもらってないとか呟いてただろ? 俺なんかの尻尾でよければ好きなだけ触っていいぞ?」
聖哉からすれば、椛が自分の尻尾を触る事に躊躇いを見せる事自体が不可解なのだ。
まだ彼女が幼い頃は、結構遠慮なく触っていたというのに……今更何を遠慮するというのか。
それだけ彼女が大人になったという事なのだろう、相手を気遣える心に育ってくれた事に聖哉はおもわず感慨に耽った。
「あ、ぅ……」
一方、椛は彼の思わぬ提案に思考を鈍らせてしまっていた。
……触りたい、その欲求は確かに彼女の中に存在する。
幼少の頃、剣の鍛錬に付き合ってくれた彼の尻尾に抱きついては、よく眠っていた記憶が蘇っていく。
あの時は本当に心地良かった、あれがあったから辛くて苦しい鍛錬にも耐えられた。
(でも、私が成長して哨戒組に入るようになってからは……そんな事を頼めなくなってた)
単純に恥ずかしいという気持ちがあったのは確かだが、それ以上に……彼の前で子供で居るのが嫌になったからだ。
甘えてしまえば彼は自分を“手のかかる後輩”としてしか見てくれない、だから椛は己を律した。
周りの中傷にもめげず、ただ前を向いて天狗としての誇りを捨てない彼の横に並ぶ為に……彼を守る為に、子供のままでは居られなかった。
「どうした? 椛は俺が結構だらしないっていう事を知ってるだろうけど、尻尾の手入れだけは欠かしていないぞ?」
「あ、いえ、別にそういう事は考えてなくて……」
「遠慮するな、それとも触りたいっていうのは俺の勘違いだったか? だとしたら、すまん」
「っ、そんな事ないです!!」
おもわず、椛は叫ぶような声を上げてしまった。
自身の行動に顔を赤らめる椛だったが、もうこの勢いのまま動こうと両手を聖哉の尻尾へと伸ばす。
「…………あ」
その感触は、昔と微塵も変わらぬものであった。
暖かく、柔らかく、安心できるその感触に、椛の表情が自然と安らいだものへと変わっていく。
そうなるともう、気恥ずかしさや躊躇いといったものは完全に消え去り、椛は聖哉へと自身の身体を預けるように寄りかかった。
聖哉はそんな彼女をしっかりと受け入れつつ、その場に座り込む。
「……昔と変わらないですね、とても……安心できます」
「そいつはよかった。昔はよく俺の尻尾を枕代わりにして眠ったりしてたよな」
「はい。……先輩、私ってちゃんと成長していますでしょうか?」
「いきなりどうした? でもそうだな……お前は俺なんかよりずっとしっかりしているし、才能だってある。
いずれ白狼天狗を率いる立場になるだろうさ、椛は今のままで充分頑張ってるよ」
そう言いながら、気がついたら聖哉は右手で彼女の頭を撫でていた。
つい昔の癖が出てしまったようだ、慌てて引っ込めようとする彼の手を……椛が止めた。
「……やめないで、ください」
「椛?」
「あなたに触れられるのは、安心できますから……だから、そのままで……」
「あ、ああ……」
その言葉に、聖哉の鼓動が僅かに速まった。
自分を見上げる椛の表情は、昔のような少女のものではなく……“女”のものへと変わっていた。
そのせいだろうか、どうにも落ち着かないのは。
「先輩」
「な、なんだ……?」
「自分を卑下して、私を遠ざけるような事はしないでくださいね。私は自分の意志で先輩の傍に居るんですから」
「…………」
それは、聖哉にとって不意打ちに等しい言葉であった。
気づかれている、生まれの事を考え彼女を少しずつ遠ざけようとする聖哉の心中を。
「周りの言葉なんて関係ありません、私の事を考えているのなら……これからも、先輩の傍に居させてください」
「椛……」
「先輩は先輩です、出来損ないでも裏切り者の子でもありません。
犬渡聖哉という私にとって頼りになる先輩であり、師であり、共に山の為に戦う意志を持つ仲間です。だから」
だから、独りになろうとしないでくださいと。
椛の瞳は、聖哉にそう訴えかけていた。
「……ありがとな、椛」
どうやら、自分の考えは彼女にとって逆効果だったようだ。
浅はかな自身に反省しながら、聖哉は椛の頭を撫で続ける。
その優しい手触りに、椛は一層その表情を安らぎに満ちたものに変え、眠るように目を閉じた。
「――仲睦まじいですねえ、結構結構」
「っ」
「ひゃあっ!?」
いつからそこにいたのか、文が聖哉達を見ながらニヤニヤとからかうような笑みを浮かべ立っていた。
慌てて聖哉から離れる椛であったが、時既に遅く。
「……文様、まさかとは思いますが」
「ちゃーんと撮りましたよ、あなたの甘えている姿をね」
「っっっ、今すぐそのカメラを渡してもらいます!!」
太刀を握り締め、文に斬りかかる椛。
そんな彼女の攻撃を軽くいなしながら、文はここに来た本来の目的を聖哉達に話し始めた。
「今はそんな事をしている場合じゃないですよー、“侵入者”が山に現れたんですから」
「っ、それは本当ですか射命丸様!?」
「ええ、しかもその侵入者は……博麗の巫女とその友人の魔法使いなんですよ」
思いがけぬ人物に、聖哉と椛は驚いた。
博麗の巫女、そしてその友人である人間の魔法使い。
それぞれ博麗霊夢、霧雨魔理沙という名を持つその少女達は、今まで何度も異変解決をしてきたスペシャリストだ。
そんな彼女達が山へ侵入してきた、一体何の目的なのだろうか?
「魔理沙さん……魔法使いの方はどうせ暇潰し程度の考えでしょうけど、巫女の方は守矢の人間とちょっとあったみたいでね……」
「早苗様と、ですか?」
「……まさか、宣戦布告をしに行ったとか?」
先日、天魔達と守矢の神による話し合いは終わり、正式にあの神社は山の一員として迎え入れられた。
山を降りる事ができるようになった早苗は、前々から考えていた通り博麗神社へと向かったのだろう。
聖哉の問いに文は肩を竦めつつ、「その通りなんですよねー」と疲れたようにそう言った。
「何故そんな事を……!?」
「この幻想郷の信仰を全て集める為だと言っていたよ、とにかく今は――」
如何なる理由とて、山の侵入者をそのままにはしておけない。
天狗としての責務を果たそうと、聖哉達は立ち上がり巫女達の元へと向かおうとして。
――強大な力を持った存在が、妖怪の山を震わせた。
「っ!?」
「げっ……嘘でしょ!?」
普段は見せない焦りに満ちた文の声を耳に入れながら、聖哉は“千里眼”を発動させる。
感じた力は巫女や魔法使いのものではない、麓付近からゆっくりと頂上に向けて最凶と呼べるソレは既に歩みを進めていた。
そして“千里眼”で捉えた存在を見て……聖哉は思考を停止させる。
「……まさか」
ソレは、頭に二本の捻れた角を生やした小柄な少女であった。
ふらふらと千鳥足のまま歩くその姿は、酔っ払い以外の何者でもない。
だがその内側から感じられる力は、大天狗はおろか天魔にすら届きうる強大さを見せ付けている。
「なんでこんなタイミングで来るんですかねえ……“萃香”さんは」
「…………文様、萃香って……まさか、
悲鳴に近い椛の声に、文は溜め息を吐きつつ肯定するように頷く。
場に走る戦慄、山に現れたのは聖哉達にとって出会いたくもない大妖怪であった。
……かつて、この山を支配していた最強の種族である“鬼”。
その中でも特に秀でた力を持つ者は、“山の四天王”と呼ばれていた。
そして伊吹萃香と呼ばれる彼女は、その四天王の一角に位置する鬼である。
「あーもぅ、どうせ霊夢さんが山に入っていったのを見て面白半分で首を突っ込んでるのが容易に想像できますよ……!」
「ど、ど、どうしましょう!?」
「もちろん無視するわけにはいきませんよ、でも……天魔様に会わせるわけにもいきません」
そんな事になれば、間違いなく両者は激突する。
その先に待っているのは喧嘩という名の
いや、そればかりか妖怪の山そのものが無くなる危険性すらある。
だが文はアレの相手をしたくない、心の底からしたくない。
かといって椛にも期待できない、鬼がこの山を登っていると聞きすっかり萎縮してしまっている。
「……射命丸様と椛は、巫女達の方をお願いします」
「……やっぱり、それがいいですかね?」
大きく息を吐きながら、聖哉は大剣を担ぎ立ち上がる。
「せ、先輩……まさか、伊吹様の相手をするつもりなのですか!?」
「しょうがねえだろ……本来なら射命丸様が適任だけど、顔が鬼の相手をしたくないって言っているし」
「さすが空気の読める聖哉さん、大好きですよー」
「黙ってください射命丸様。というわけだから椛、巫女達の事は任せる」
聖哉だって、鬼の相手など御免である。
しかし被害を最小限に抑えるには、誰かが生贄になるしかない。
鬼の事を知っている者達は彼女と対峙しようとも思わないだろうし、だからといって大天狗や天魔が動けば一大事だ。
(天魔様の次は山の四天王か……今度東風谷様にお祓いしてもらった方がいいかもしれないな……)
何度目かわからぬ溜め息を吐きつつ、聖哉はその場から地を蹴って山の麓へと駆け抜けていく。
巫女達も頂上へと向かっているようだ、やはり目的は守矢か。
しかし向こうは椛達に任せればいい、余計な事を考える余裕などないと聖哉は己に言い聞かせる。
……麓へと近づくにつれ、凶悪な重圧が聖哉へと襲い掛かる。
震え上がり、ここから逃げ出そうとする己を鼓舞しながら、山の大地を駆け抜けていき。
「んん? なんだ、白狼天狗か」
周囲を木々に囲まれた開けた広場へと、聖哉は辿り着き。
まるで彼を待ち構えていたかのように足を止めていた鬼の少女と、真っ向から向かい合った。
「……お初にお目に掛かります。山の四天王と呼ばれる伊吹萃香様ですね?」
「へー、わたしの名前知ってるんだ。白狼天狗の殆どはもうわたし達鬼の存在を忘れていると思ったのに」
「…………この山に、どのような御用件でしょうか?」
息が自然と乱れていく、対峙するだけで聖哉の精神は磨耗していった。
背丈は小さな少女程度だが、内にある力は容易く自分を呑み込む巨人の如し強大さだ。
抑えていても声は震え、尻尾は萎縮する中、どうにか問いかけを放つ聖哉に鬼の少女は軽い口調で答えを返した。
「霊夢が……ああ、時々世話になってる巫女が山に向かっていったからさ、何してるんだろなーって思ってついてきたんだ」
「……このまま、山を降りてはいただけませんか?」
駄目で元々、そう訊ねる聖哉だが。
「冗談。せっかくここまで来たんだから久しぶりに古い友人に会おうかなって思ってるんだ」
鬼の少女、萃香は彼の願いを却下した。
「そこをなんとか、お願いできないでしょうか? 現在山は少々立て込んでおりまして……」
「そんなのこっちの知った事じゃないよ。それにさ……元々この山は鬼であるわたし達が支配してきたんだよ? それを居なくなったからって邪魔者扱いするつもりなの?」
萃香の眼光が、聖哉を捉える。
額に浮かぶ脂汗を拭う事もできず、聖哉はその場で彼女の重圧に耐え続ける。
……話し合いでは、やはり無理だ。
かといってこのまま彼女を通せば、間違いなく天魔が出てくる事態に発展する。
――覚悟を、決めなくてはならない。
「……そりゃあ、一体何の真似だい?」
背中の大剣を抜き取る聖哉に、萃香が問う。
「伊吹様、私と勝負してはいただけませんか?」
「勝負?」
「もしも私が伊吹様を満足させられれば、おとなしく山を降りていただきたいのです」
「……成る程成る程、そっちにもくだらない面子ってモンがあるってわけか」
頷く聖哉、すると萃香は右手に持っていた愛用の瓢を腰に戻し。
「いいよ、犬風情がどこまで足掻けるかやってみなよ」
右手で拳を作り、聖哉の提案を受け入れた。
……勝てる見込みなど、微塵もない。
だが聖哉の役目は勝つ事ではない、彼女に満足してもらっておとなしく山から降りてもらう事だ。
それがどんなに困難な事かも理解しつつ、聖哉は大剣を右上段に構え。
「――うおおおおおっ!!」
裂帛の気合を込めた叫びを上げながら。
山の四天王へと、向かっていった。
【簡潔なキャラ紹介】
・伊吹萃香
鬼の少女、「山の四天王」の一角にしてかつての山の支配者。
常に酔っ払っておりしかも絡み酒なせいか過去の天狗達は彼女に対して気苦労が耐えなかったらしい。
酒と喧嘩が大好き、嘘を嫌う鬼でありながら自身も嘘を吐いたりするなど良くも悪くも鬼らしくない少女。