狼王戦記 ~黒き白狼天狗の軌跡~ 作:カオ宮大好き
月の都の上空を、我が物顔で飛翔する悪魔達。
その中の紅一点とも言える美女、セレナは真下に広がる都の光景を見て……小さく舌打ちを鳴らした。
(もう避難済みか……数百人くらいは始末できると思ったんだけど……)
彼女の視界には、月の都の建造物のみを映し出している。
月人の姿はただの一人も無く、既に迅速な避難によって奥に見える巨大な屋敷へと集まった後であった。
奇襲によって逃げる間も与えずに月人を蹂躙する、それを愉しみの一つにしていた彼女からすれば、この状況は非常に面白くない。
それは本来の目的から外れた行為だが、人を堕落させる悪魔だからこそういった欲求が生まれてしまう。
(まあいいか。こっちもあんまり余裕があるわけじゃないし)
ちらりと、背後へと視線を向けるセレナ。
そこから響く爆撃めいた音と、空気を震わせる凄まじい力のぶつかり合い。
既に聖哉とゾアの戦いは始まっていた、そしてその戦いは……感じ取るだけで身体を震わせる程に、恐ろしくも激しい“死闘”であった。
魔界でも屈指の実力を誇るゾアの力と、聖哉の力は拮抗している。
それだけでも充分に驚愕に値するというのに、セレナは何故か――ゾアが勝利する結果が思い浮かばないでいた。
確かに犬渡聖哉という白狼天狗は強い、天狗という種族を逸脱したその力は上級魔族である自分を超えていると認めざるを得ない。
しかしだ、たったそれだけの事実ではゾアには決して敵わない。
それだけの力と才能、そしてどこまでも高みを目指す彼を知っているからこそ、確信できる。
……だというのに、ゾアは犬渡聖哉には勝てないと。
この戦いは彼の敗北に終わるという予感が、自身の中から消えてはくれなかった。
(ゾアが負ける? あのゾアが……?)
ありえない、だって彼は魔界ではたった一人を除いて誰にも敗北する事は無かった強者だ。
その彼が、地上の白狼天狗に負けるなど本来ならば想像すらできないというのに。
まるでそれが当たり前かのように、得体の知れない何かが彼女の中で渦巻いている。
「っ」
意識を現実に戻し、セレナは移動を止めた。
己のすべき事を改めて自身に言い聞かせ、思考を正常に戻しながら。
「――好き勝手もそこまでだ、餓鬼共」
目の前に立ち塞がった絶対的強者。
月の王、月夜見をどう対処するか考えを巡らせ始めた。
「こうもあっけなく結界を超えられるとは、地上の力も侮れんものになったという事か」
「……」
「しかし結界を作ったのはあの八意だ。ヤツがそうそう出し抜かれるとは思えんが……どんな小細工を用いた?」
「……」
セレナは何も答えない、否、答えられないといった方が正しいか。
全力で考えを巡らせ、どうにかこの状況を対処しようとするが……出てくるのは、“不可能”という逃れられない現実だけ。
真っ向勝負は勿論、どんな手を用いても目の前の存在には決して敵わない。
呆気なく、此方が命を懸けたとしてもそんな決意すら嘲笑うかのように蹂躙される。
魔族の中でも上位に位置する彼女だからこそ、相手の実力さというのがはっきりと判ってしまった。
――そう、
「だんまりか。まあ儂としてもさっさと終わらせて酒を飲みたいからな、このまま消えてもらうぞ。地上の悪魔共」
腰に差してある刀を抜き取る月夜見。
たったそれだけ、それだけの動きで周囲の空気が一変し、周囲の魔族達は金縛りに遭ったかのように動けなくなった。
斬り捨てられると、逃れる事などできないと理解し、誰もが己の死を受け入れざるを得ない中で。
「…………はっ」
虚勢を張るような掠れた笑みを零し、セレナだけはどうにか手を動かし懐から何かを取り出す。
それは小さな札のような長方形の物体、しかしその紙切れにしか見えぬモノからは……月人にとって、決して無視できぬものが溢れ出していた。
「貴様、それはまさか……っ!?」
月夜見の表情が驚愕と、僅かな恐怖の色へと変貌する。
その反応にセレナは満足そうに笑いながら。
「溢れろ、月を殺す概念よ……!!」
手に持った物体を、力任せに引き裂き。
瞬間、そこから深淵よりも深き漆黒の泥が、まるで濁流のように放出された。
「ちぃ……っ!!」
月夜見が動く、けれど彼の視界は既にセレナ達を捉えてはいない。
彼女が解放した漆黒の泥、それは月人にとって何よりも堪え難い毒そのものの概念――“穢れ”と呼ぶべきモノであった。
それが月の都に蔓延すれば、長きに渡り澄み切った世界で生きてきた月人達の殆どが、それに耐えきれず死に至る。
菌に対する免疫力が備わっていないのと同じように、月人は“穢れ”に対しあまりに弱い。
「ぬぅぅぅ……!!」
漆黒の泥に対し、両手を伸ばす月夜見。
彼の手から光が溢れ、泥を包むように展開されていく。
一部の月人は“穢れ”に対してある程度の抵抗力が備わっている、月夜見もその一人だ。
故に彼は己の身を盾にして“穢れ”を一身に受け止め、蔓延を防ぐという行動に出た。
これならばこの世界に“穢れ”が広がる事は無い、だが。
――それを許す、セレナ達ではない。
「凄いね、流石だけど……“穢れ”を抑えつけた状態で、わたし達の相手ができるの?」
「フン……小娘共が、有利になった途端に粋がるなよ」
「うーわ、サンドバックになるしかないのに……まあ面白いから、限界まで痛めつけてから殺してあげるよ!!」
一瞬で己の獲物、身の丈を大きく超える戦斧を構え、セレナが月夜見に向かっていく。
他の魔族達も一斉に月夜見へと襲い掛かるが、対する彼はその場から動けないでいた。
否、動くわけにはいかないのだ。ここで自身が“穢れ”を抑えねば月の都は壊滅的な被害を被る。
つまり、今の彼にできる事は。
(さて……どこまで耐えられるか……)
ただひたすらに歯を食いしばって、悪魔達の攻撃を無防備に受け続ける事だけだった……。
◆
月の都が、破壊されていく。
その中央に居るのは二人の男、どちらも巨人を思わせる体格とそれに相応しい筋骨隆々とした肉体を持つ。
一人の名は魔界でも屈指の大悪魔であるゾア、そしてもう一人は白狼天狗である犬渡聖哉。
両者がぶつかり合う度に都全体を震わせる衝撃と爆音が響き、その余波で周囲はたちまち平地へと変化していく。
「ぬあああああっ!!」
獣のような雄叫びを上げ、拳の乱打を繰り出すゾア。
その猛攻を両の手を用いていなし、弾き、防ぎ、その合間を縫って反撃する聖哉。
加減などしない全力の打撃、その一撃一撃はどんな強固な物体でも容易く砕く破壊力が込められている。
そんな応酬を既に数百手繰り返し、けれども両者の攻撃は一度も相手に届かない。
(コイツ……前とはまた別人だ……!)
この魔族が強い事など聖哉は充分に理解していたつもりであった。
だがそれでも認識が甘かったと、前以上の拳打を見せつけられ思い知らされる。
オーラによる強化を用いらなければ掠るだけで死に至る、ゾアが繰り出す拳や蹴りはそういった類のものだ。
(これ程とは……前に戦った時とは、まるで違う男のようだ……!)
一方、ゾアもまた聖哉の力に驚愕し己の認識が甘かったと思い知らされていた。
――魔界での一件の後、ゾアは再び己を鍛え上げてきた。
犬渡聖哉という男は確実に強くなる、だからこそ次は負けぬと前以上の向上心を持って限界を超えようとしてきた。
勝つ自信は当然ある、そのつもりで己のレベルアップに励んできたのだから。
それはこうして戦っている今も変わらず、それどころか聖哉の想像以上の成長に益々勝ちたいという願望が強くなった。
しかしだ、それとは別に……ゾアは自分でも判らぬ“違和感”を抱き始めていた。
もう既に何度も相手との攻防を繰り返しているというのに、一向にその強さを見極める事ができない。
もはや数える事などできぬ程の膨大な戦闘経験を積んできたゾアは、戦えば相手のある程度の力量を推し量る事ができる。
それは彼のような戦士ならば自然と身に付く技術、現に彼は前に戦った時の聖哉の実力をすぐに理解する事ができていた。
だが今回は違う、戦えば戦う度に
何処までも続く深淵のように、犬渡聖哉という男の力が判らなくなる。
(何だというのだこれは……一体、この男の身に何が起きたというのだ……!?)
戦ってみて漸くゾアは気付いた、相手の得体の知れなさに。
僅かな恐怖を抱きながらも、戦士としての戦いに対する欲求はそれ以上に強くなった。
それにだ、ゾアにとってこの正体不明の違和感は今回が初めてではない。
かつて自身が敗れ、今の今まで一度たりとも勝利する事ができない存在が魔界には存在する。
その時も今のような感覚を味わった、それと同時に――己が魂全てを懸けて勝利したいと願った。
だからゾアは犬渡聖哉という男に最大限の敬意を感謝を向ける。
戦士としての高みを昇らせてくれる存在に、今までの経験の総てを叩きつけ勝利を目指す。
「っ、ぐぉ……!?」
「っ……!?」
両者の拳がぶつかり合い、互いの大きく後方へ弾き飛ばされる。
離れる間合い、距離にして八メートル程だが両者にとって一息で踏み込める。
しかし――ゾアは接近はせず、自身が放てる“最大の一手”を繰り出す為の準備に入った。
「こいっ――炎魔刀!!」
右手を天に掲げるゾア、瞬間――彼の元に巨大な大剣が吸い寄せられるようにその手に収まる。
刀身は赤く燃え上がり、離れていても判る程の高熱を帯びたその剣をゾアが手にした。
そこから導き出されるは、この大悪魔が放つ最大の剣技。
〈おっと、どうする? 風王は今何処にあるか判らねえぞ?〉
(大丈夫だ、ヴァン)
ヴァンに応えながら、聖哉は徐に右手を前に翳す。
――吹き荒れる嵐、小さな家屋程度なら軽々と吹き飛ばせる程の旋風が発生し聖哉の手を覆った。
そして、その風の中から一本の刀が現れ彼の右手の中へと収まる。
見る者を魅了する白銀の刀身、細身ながらもその存在感は決して小さなものではない。
名刀・風王。
“真の武器”と称される妖刀が、主人の命を受け現れた。
〈……お前、こんな芸当も出来たのか?〉
(真の武器には意志が宿るって前にゾアが言っていただろ? だから……何となくできるかなって思っただけだ)
〈…………そうかい。だが正解だ〉
その言葉を聞いて、ヴァンは……聖哉に気付かれないように、笑った。
なんとなくと彼は言った、確信はなかったが今なら風王を呼び出せると自然と思えたのだ。
それが何を意味するのかヴァンは知っている、だからこそ彼は笑みを浮かべ……聖哉にも気付かれないように歓喜した。
(いいぞ聖哉……お前自身もどこか本能で理解してやがるんだ。“枷”が外れかかってるのがな)
「――うおおおおおおっ!!」
ゾアの肉体が、炎に包まれる。
魔界の炎である“魔炎”を纏い、その熱を彼は炎魔刀へと注ぎ込む。
「……」
「落ち着いているな聖哉、まるで一片の曇りもない鏡のように……フフッ、諦めたというわけではあるまい?」
「当たり前だ。俺にはやらなければならない事がある、ここでお前を倒し他の魔族達を倒す。月の平和をこれ以上乱すわけにはいかない」
「このような未開の地に放り出されても尚、お前は他者の為に力を振るうか。
――理解できんな、理解できないが……それがお前の力の源なのだろう。それは認める他ない」
自ら鍛えた力は自らの為だけに使う、少なくともゾアはそういった考えしか持てない。
故に聖哉のような力の使い方は想像すらできぬ未知の領域に過ぎない、ただそれでも……その強さは真あるものだ。
「そろそろ決着を着けようか聖哉。この間とは違う結果で終わらせてやるっ!!」
「……」
来る、相手にとって最強の一手が。
前は押し負けた、相手が見逃してくれなければそこで命を終えていた。
その一撃が繰り出される、それも前よりも強力な一撃となって。
だというのに、何故だろうか。
それを前にしていても、聖哉の心はゾアの言う通り落ち着き払っていた。
絶対に勝てるから、などと自惚れているわけではない。
ただ――予感がしたのだ。
(この戦いに勝ったとしても……終わりじゃない)
と。
漠然と、されど確信めいた予感が生まれたのだ。
だからこそ、聖哉は決して心を乱さず、ただ勝利のみだけを考え精神を集中させる。
「いくぞ、聖哉!!」
ゾアが地を蹴る。
臨界を超えた魔炎がうねりを上げ、聖哉へと真っ直ぐ向かっていく。
(……なんだ、この感覚は)
風王を、ゆっくりと振り上げる。
その刀身は白銀から漆黒へと変化し、更に小さな風が纏い始めていた。
しかしその風のなんと小さな事か、先程の突風とは比べものにならぬそよ風のような小ささ。
「――
繰り出されるゾアの必殺剣。
右上段からの構えから振り下ろされたそれは、そのまま聖哉の左肩から右腰まで両断しようとして。
「風王天空斬」
聖哉の剣が、振り下ろされる。
「……」
「……」
ゾアの動きが止まった。
振り下ろした剣を聖哉の左肩付近で止め、その顔を驚愕に染めながら、石像のように固まってしまっていた。
――それが何を意味するかなど、考えるまでもない。
届かなかった。
ゾアの必殺剣は、確かに聖哉の攻撃よりも速く繰り出された。
「……」
それでも、届かなかった。
完全に後手だった筈の聖哉の剣はただ速かった。
反則だとおもわず叫びたいほどの驚異的なスピードで放たれた風の剣は。
「ぐっ―――ごあぁっ!!!!」
ゾアの右肩の根元からばっさりと斬り飛ばし。
その余波は彼の後方の地面を斬り裂き、残った瓦礫を両断し、尚も消えずに遥か彼方へと飛んでいく。
「ぎ、ぐっ、おぉぉ……」
膝を突くゾア、両断された箇所から鮮血が零れ落ち大地を穢す。
……何が起きたのか、未だに理解できない。
ただ、自分は負け聖哉が勝ったという事実だけは理解して。
「……フ、フフフッ。どうやら……オレは随分と自惚れていたようだ」
ゾアは敗北を認め、倒れそうになる身体を支えながら自分を見下ろす聖哉を見上げた。
「よくぞここまで……腕を上げたものよ……」
「……この力は、正確には俺の力じゃないんだよ」
「?」
「俺の中にはヴァンっていう存在が居る。神話の時代に生きていた魔獣で……あの黒いオーラは、そいつの力を借りているんだ」
だから、お前に勝てたのは自分の力ではないと聖哉は告げる。
それは紛れもない事実、仮に白狼天狗としての力だけを使えば拮抗はおろか指一本で消されていただろう。
「成程、白狼天狗とは思えぬ力の秘密はそういう事か。――だが、オレが破れたのは紛れもなくお前自身の力だ」
「えっ……」
「オレにはお前とそのヴァンという存在の関係は知らん。しかしだ、オレと戦った時に使用した力はたとえ元はお前のものではなかったとしても、使いこなしたのはお前の才である事に変わりはない。
――誇るがいい聖哉。お前は誰もが認める強者であり、オレを高みへと連れてきてくれた本物の戦士だ」
ゾアが聖哉に向かって左手を伸ばす。
……握手を求めている、自分を破った存在に最期の敬意を払う為に。
それが判るから、聖哉は何も言わずに左手を差し出し――握手を交わした。
「上には上がいるものだ……強さというのは本当に際限がない。
全力を出して敗れるのはお前で二人目だが、オレの魂を昂らせてくれたのはお前の方だった」
「二人目……?」
「魔界で最強の存在であり、今回の元凶……それがオレを最初に倒した者だ」
「……」
「気を付けろ聖哉。アレは……強いぞ?」
「覚えておく」
握手した手を放し、聖哉は刀を鞘に納める。
此方での戦いは終わった、しかしまだやるべき事は残っている。
「治療している暇はない。悪いが置いていく」
「治療……? 待て、まさかトドメを刺さないつもりか?」
「お前は敵だ、許す事なんかできないさ。だけどお前程の男を失うのは……勿体ない」
「勿体ない、だと……!?」
腕を斬り飛ばされた事も忘れ、驚愕の表情を聖哉に向けるゾア。
「俺はお前のような純粋な戦士を見た事がない。善も悪もない、だからこそ戦いの中でどこまでも輝き続ける。俺も男だからかな……そんな生き方をするお前を、失いたくないと思うんだ」
「……聖哉、お前は」
「甘いと思いたかったら好きに思って構わない。――じゃあな」
その場から飛び立ち、すぐに聖哉は月夜見の元へと飛んでいく。
そしてゾアは、暫しの間そんな彼の後ろ姿を眺めてから……支える力を失ったのか、その場で倒れ込んだ。
……かなりの重傷だ、魔族の中でも頑丈な肉体を持つゾアでもこの傷は深い。
当然意識を失いかねない激痛もある、しかし……彼の口元には、確かな笑みが浮かんでいた。
「フ、フフッ……犬渡聖哉、お前という男は……」
ああ、敗北したというのに良い気分だ。
最期を受け入れた魂が、再び輝きを取り戻す。
「次は……オレが勝つ」
自身に言い聞かせるように呟き、魔界の戦士は眼を閉じた。
今は良い気分のまま、眠りの世界へ旅立とう。
戦士としての誇りを見せてくれる、誉れある男との再戦に向けて……。