狼王戦記 ~黒き白狼天狗の軌跡~ 作:カオ宮大好き
美しくも激しい剣戟が、冥界の中に存在する巨大な屋敷、白玉楼にて繰り広げられる。
ここの庭師兼剣術指南役の半人半霊の少女、魂魄妖夢は迫る太刀と槍の猛撃を、背中に背負う二本の刀で対処していく。
火花が散り、鋼がぶつかり合う甲高い音が絶えず響き、けれどその剣戟に命のやりとりを思わせる剣呑さは無い。
あくまでも妖夢と、彼女に二人がかりで攻撃を繰り出している椛とイリスの三人が行っているのは鍛錬であるからだ。
「……若いわねぇ~」
そんな3人を見守るように、縁側に座りのんびりとお茶と団子を楽しむ冥界の姫、西行寺幽々子は上記の呟きを零す。
一体何が楽しいのかその表情はにこにこと笑みに溢れており、3人に向ける視線には母親のような暖かさが込められていた。
「よくやるわね、根が生真面目だと加減ってものを知らないのかしら」
「あら、紫」
少し呆れたようにそう言い放ちながら現れたのは、幽々子の友人である大妖怪八雲紫。
彼女は幽々子の隣に座り込み、一層激しさを増していく3人の鍛錬を眺め始めた。
「……」
ちらりと、幽々子は紫に気づかれないよう彼女の表情を覗き込む。
紫の視線は鍛錬を続ける椛達に向けられており、彼女達を眩しいものを見つめるかのような目で見つめていた。
そんな友人の姿に、幽々子はひっそりと苦笑する。
「椛ちゃん達が来てくれて、妖夢も目に見えて腕を上げたわね~。やっぱり一人よりも複数人での鍛錬の方が効果的なのかしら」
「そうね」
「それに椛ちゃん料理上手だし、イリスちゃんは生真面目な妖夢達のブレーキ役をしてくれるし、ずっとここに居てほしいくらい」
「そうね」
「……ねえ紫、聖哉くんが目を醒まさないからってその態度はないんじゃないかしら~?」
わざとらしく、厭味たっぷりにそう言い放つ幽々子の言葉に、紫はピクッと反応させる。
判り易い反応だ、今度はひっそりではなくわざと紫に見えるように苦笑する幽々子を睨む紫だが、友人の言葉に否定する事はできなかった。
――聖哉達が幻想郷に戻ってきて、既に半月という時間が過ぎた。
月に行った霊夢達は既に元の生活に戻っているが、戦いによって傷つき倒れた聖哉は白玉楼にて保護され……まだ目覚めない。
永琳の話では傷は癒えているという事なのだが、いつ目を醒ますのかは天才である彼女にすら判らないそうだ。
その事実が紫の心に大きな不安を齎せ、こうして心此処に在らずといった様子を周囲に見せるという失態を犯していた。
「椛ちゃん達の方がまだ大人じゃない。貴女みたいに不安がっていたって意味ないって判っているから、今の自分達にできる事を精一杯やろうとしてる」
「……」
「“妖怪の賢者”の肩書が泣いちゃうわよ? まあ弱々しい貴女が見られるのは貴重だから私は構わないけど」
にこにこと無邪気な微笑みをこれでもかと見せつけてくる亡霊姫を、紫はキッと鋭い視線で睨みつける。
……判っているのだ、友人の言葉が反論などできない程に正しいという事ぐらい、紫は充分理解している。
彼がこのまま目覚めないかもしれない……そんな嫌な未来を想像し、それに雁字搦めになるなど大妖怪の姿とは思えないくらい情けない。
「聖哉くん達が月で戦っていた時に助太刀できなかった事を気にしてるかもしれないけど、それは仕方ない事じゃない。
だって、一部の人間と妖怪に消えかけていた神が共謀して“博麗大結界”に干渉しようとしていたのを阻止しようと行動していたのでしょう?」
そう、ちょうど霊夢達が白蓮達と共に聖輦船で月へと向かった矢先の事。
この幻想郷の要の一つである“博麗大結界”、それに干渉し幻想郷を裏で支配しようとする輩が現れたのだ。
元々そういった者達が居た事は紫は知っていた、しかしそれらは組織しては弱く霊夢をはじめとした強者達が目を光らせていたので、表立った行動はしてこなかった。
だが今回博麗の巫女である霊夢が不在となったせいか、それとも別の要因があったのかそれらが動き出したのだ。
なので紫は霊夢達と共に聖哉の救出を断念し、藍と共に対処するため幻想郷に残った。
特に問題なく鎮静化できたのだが……聖哉に対し何もできなかった事実が、紫の心に暗い影を落とす事になってしまっていた。
(馬鹿ね、こんな言い訳をして……)
そうだ、こんなものは単なる言い訳でしかない。
紫自身も今の自分の情けなさに驚いている、まるで幼い童女のような自身に。
更に彼女とは違い自らを鍛えいずれ目覚めると信じている彼の力になろうとしている椛達の存在が、余計に自らの惨めさを知らしめていた。
「――随分としおらしくなったな、賢者様よ」
紫達の耳に響く声。
その声は、まさしく彼女達が目を醒ますのを待ち望んでいた犬渡聖哉のものであり。
紫はもちろん椛達も鍛錬の手を止め、一斉に彼へと視線を向けたのだが。
「…………先、輩?」
「アンタ……セーヤ、なの?」
彼女達の視線に映った彼は、犬渡聖哉ではなかった。
「悪かったなアイツじゃなくて。
――こうして話すのは初めてだな八雲紫、オレはヴァン。あんたが前々から自分のものにしたがってた神代の魔獣だ」
「……はじめまして、ヴァン」
顔を合わせ、挨拶を交わす。
しかしヴァンの視線は鋭く、まるで自分を射殺しかねない程の迫力が込められていた。
(睨まれるだけで、心臓を鷲掴みにされたよう……)
「はじめまして椛にイリス、俺の事はアイツから聞いているだろ?」
「え、ええ……」
「はじめまして、ヴァンさん」
「ヴァンでいいさ。それより聖哉の事だが……あと数日もすれば目を醒ますだろうさ」
「本当ですか!?」
「ああ、傷も癒えているし精神の方も問題はない。ただ……お前さん達に伝えたい事があったから、勝手とは思ったがコイツの身体を借りる事にしたんだ」
縁側に座り込み、胡坐を掻くヴァン。
しかし彼は紫とは目を合わせようとせず、視線を椛とイリスだけに向けていた。
そのあからさまな態度、何故……などという疑問は湧かない。
(利用しようとしていた者に、友好的な態度を見せる理由など無いものね)
判っている、判っているが。
彼と同じ姿でそういった態度を見せられると、これまた情けない話だが……。
「おい賢者様よ、人の話を聞くつもりがあるのか?」
「えっ?」
その声に紫は我に返り、視線を横に向けると……呆れたような聖哉の顔が視界に広がっていた。
否、今の彼は聖哉ではなくヴァンである、ややこしいと思いつつも紫は「ごめんなさい」と謝罪の言葉を口にした。
そんな彼女にヴァンはあからさまなため息を吐き出しつつ、聖哉の身体を借りてまで椛達に伝えたかった事を話し始めた。
「伝えたい事っていうのはな……今後、聖哉のヤツにオレを表に出させるような状況を陥らせないようにしてほしい」
「えっ?」
「……ねえ、それどういう意味?」
「今回の一件でオレの“枷”はまた外れた、イザナミってヤロウの力も幾分か取り込めた。だがオレの“枷”がまだ全て外れたわけじゃない。
元々オレは神代に生きていた魔獣、この力に妖怪の肉体しか持たない聖哉じゃ本来は扱え切れないんだよ」
ヴァンの力という“液体”を、聖哉の肉体という“器”では注ぎきれない。
そうなれば液体は器から溢れ零れ落ち、零れた液体は器以外のものを侵食する。
「で、でも先輩はヴァンさんの力を使っていますよね?」
「あんなもの、オレの力から溢れた不純物みたいなモンだ。オレの力そのものはあんなものじゃない」
「あれで……?」
その言葉に、場に居た全員が言葉を失った。
あの黒いオーラ、あれだけでも充分に凄まじいというのに……あれですら“不純物”扱いだというのか。
「オレが表に出て力を使えば使う程、アイツの精神は削れていく。
幸い今回は何事も無かったが、次にオレが戦う状況になれば……どうなるか判らねえ」
「どうなるか判らないって……具体的にセーヤの身に何が起きるの?」
「肉体より先に精神が死ぬ。犬渡聖哉という人格も精神も完全に破壊され、たとえ肉体が生きていたとしてもそれはただ生命活動を行っている肉の塊でしかなくなるな」
「……」
それは、単純な死よりも恐ろしい最期であった。
肉体よりも先に精神が死ぬ、後に残るものは聖哉“だった”モノだけなど……想像もしたくない
「そんな事は、絶対にさせません」
「椛……」
「私達がもっと強くなって、先輩一人で戦わないようにすればいいんですよね?
――やってみせます。ですからヴァンさん、安心して先輩の中で見守っていてくださいね?」
「……」
力強い眼差し、まだ幼さが残るその顔立ちからは到底想像できない決意の強さを感じられた。
まだまだ未熟で妖怪としての格も決して高くない、だがヴァンは椛の言葉を信じるように強く頷きを返す。
「頼むぜ。かつてオレはコイツを利用しこの肉体を奪おうとした、だが今はコイツの行き着く先を見てみたくなった。
だからくたばってもらったら困る、頼むぜ?」
「言われなくても守るわよ。セーヤはこんなんでもあたしの御主人様なんだから」
「そうかい、そいつは安心だ」
からからと笑うヴァンに、椛達もつられて笑みを浮かべる。
そしてひとしきり笑った後……ヴァンは紫へと視線を向けた。
「そういうわけだ八雲紫、テメエも聖哉を無駄死にさせたくないのなら賢者だの大妖怪だと言ってないで協力しろ」
「……随分と彼を気に入っているのね。全てを喰らい尽くす魔獣と呼ばれた貴方が」
「ああ、気に入ってるぜ。向かってくる相手は全て喰らい尽くし、様々なものに裏切られそれすらも喰らってきたオレとはまるで違う価値観と生き方を見せてくれてんだ。こんな暇つぶしは無いぜ」
「……」
本当に、目の前の存在は神代に生きた魔獣なのかと紫は思わずにはいられなかった。
かつての彼は神にすら牙を向き恐れ知らずにも“神喰い”を行った魔獣なのだ、それこそ今を生きる妖怪など彼にとって塵芥に等しいだろう。
だというのに、白狼天狗の青年一人の生き様を認め、興味を抱き、その行く末を見届けたいと心から思っている。
暴虐の限りを尽くした魔獣すら、犬渡聖哉という存在はその心を生き方で変えてしまったのだ。
死なせてはならない、死なせるわけにはいかない。
彼の存在はこの幻想郷にとって必要不可欠なものになった。
ならば彼の言う通り、妖怪の賢者や大妖怪としての立場など忘れ……ただの八雲紫として、彼を守ろう。
「――嫌な女かと思ったが、変わったなお前」
「ええ。きっと理由は貴方と同じでしょうけど」
「そうかい…………っと、そろそろまた眠らないといけないみたいだな」
額を押さえながら立ち上がるヴァンに、椛とイリスが駆け寄りそれぞれ左右から彼の身体を支える。
「悪いな」
「いえ、先輩の身体ですから」
「それもそうか。……おっと、忘れる所だったぜ」
そう言うとヴァンは右手を動かし、椛の額にそっと添えた。
刹那、椛は全身から今まで感じた事のない力が溢れていくような感覚に陥った。
「これは……!?」
「お前さんの肉体と妖力、そして“千里眼”を強化しておいた。
訓練次第じゃ聖哉と同等の“千里眼”を使えるようになる、まあそれは椛次第だがな」
「凄い……こんな力、私に扱えるの……?」
「お前さん次第と言っただろ? この力を無駄にして聖哉に無理をさせるのか、それとも見事扱ってコイツを支え守るのかは、な」
「…………はい」
「まあずっと聖哉を見てきたお前なら、きっと扱えるさ。お前のその“想い”は誰よりも強いからな……」
瞳を閉じるヴァン、それと同時に彼の身体から力が抜けた。
……どうやら眠ったようだ、規則正しい寝息が聞こえ椛達はほっと息を吐く。
「すみません妖夢さん、先輩を部屋まで連れて行くのを手伝ってくれませんか?」
「あっ……は、はい!!」
3人がかりで聖哉を運んでいく。
「――よかったわね、紫」
「そうね……」
ひとまずは、だが。
月での戦いは終わった、だが今回の元凶はまだ生きている。
いずれ雌雄を決する時が来るだろう、そうなった時……また彼の力に頼る事になるのか。
「……幽々子、私帰るわ」
「あら、ゆっくりしていくんじゃないの?」
「ううん。少し……あの子達を見習おうと思って」
普段と変わらぬ口調、けれどその中に確かな決意が込め紫はスキマを開き自身の屋敷へと戻っていく。
このままではいけない、自分も今よりも強くならなければ……彼を守る事などできない。
「……頑張ってね、紫」
そんな友人の心中を察し、幽々子はそっと応援の言葉を贈ったのだった……。