狼王戦記 ~黒き白狼天狗の軌跡~ 作:カオ宮大好き
「――文、アンタ何やってるの?」
妖怪の山、中腹部。
鴉天狗の記者の一人である姫海棠はたては、小川が流れる近くの岩場にてじっと立ち尽くしている射命丸文へと声を掛ける。
「おや、はたてではありませんか。何か御用ですか?」
今はたての存在に気付いたような反応を見せる文に、はたては呆れたように肩を竦めた。
「なにボーっとしてるのよ。いつものアンタならわたしが接近する前に気づくくせに」
「あはは、ちょっとのんびりしていただけですよ。それで何か?」
「…………はぁ」
いつもと変わらない口調と、本心を決して見せようとしない曖昧な笑み。
その姿はまさしくはたてが知る射命丸文であったが、同時に今の彼女はいつも通りではないと判ってしまう。
なんだかんだではたては文との付き合いが長い、ライバルであり親友でもあるからこそ……心中で何を考えているのか理解してしまう。
「聖哉なら、目を醒ましたわよ」
「っ」
その言葉に、文はビクリと身体を震わせる。
「やっぱり聖哉の事を心配してたのね、アンタってこういう時は判り易いんだから」
「……それで、聖哉の容態は」
「大丈夫らしいわよ、わたしもにとりから話を聞いてそのにとりだって霊夢から聞いただけだから詳しくは知らない。
そんなに気になるなら冥界に行ってくれば? まだ椛と一緒に白玉楼に居るって話だし」
「……」
確かに、気になるのならば様子を見に行くのが正しい。
別に文は冥界に行くという事に関して躊躇いなど無いし、前にも何度か足を運んでいるので場所が判らないわけでもない。
だが、どうしてか彼に会いに行くという事に対して文の中で躊躇いが生まれていた。
「会いに行っても、彼は迷惑と思わないかしら……?」
「はあ? アンタ、それ本気で言ってるの?」
今の文の発言は、はたてにとって心底理解できない言葉であった。
何故様子を見に行くだけで迷惑だと思うのか、犬渡聖哉という青年の事を多少なりとも知っているのならば到底そんな心配は生まれない。
ましてや文ははたてよりも聖哉との付き合いは長い、だというのに何故そんな事を思うのか。
「前の宴会で私は彼と名前で呼び合うようにした、私は彼にとって上司でも何でもなくなったから。
だから、何の繋がりもない私が彼に会いに行くというのは、その……」
「…………文、アンタって変な事気にするのね」
「だ、だってそうじゃないですか。それに私は……あの子達に何もできませんでした」
「……」
ああ、成程。
彼女が何故聖哉に会う事に躊躇いを抱いたのか、彼等が山から居なくなってから極力顔を合わせなかったのは何故なのか、はたては今の言葉で漸く理解する。
文は後悔しているのだ、あの時――彼等が山を追われた時、何もできなかった事を。
しかしそれは決して罪でもないし文自身が責任を感じる事はない、寧ろあそこで下手に進言をしていれば文自身の立場が悪くなるだけだ。
「そんな事言ったら、わたしだって同罪よ。だけどあれは仕方のない事だったじゃない、それはアンタだって判ってるでしょ?」
「……」
「組織に属する一員としてわたし達にできる事は何もなかった、それに聖哉も椛も文に責任があるだなんて微塵も思ってないわよ」
寧ろ、文がそんな事を考えていると判ったら逆に申し訳なく思うだろう、あの二人の性格を考えるとはたてはそう思えた。
とにかくこのままでは互いの為にならない、それにはたてが文を捜していたのは聖哉の事だけが理由ではないのだ。
「それで話は変わるんだけど、明日の夜に博麗神社で宴会があるみたいよ。聖哉が目を醒ましたからって」
「そう、なんですか」
「わたしも行くからアンタも来なさい。拒否権なんて無いわよ」
「えっ、強引ですね……」
「なんだかんだで聖哉も椛もアンタの事嫌っていないんだから、アンタが今みたいに極力会わないようにしてたら悲しむわ。それにアンタだって2人の事気になるんでしょ?」
「そ、それはそうですけど……」
「なら決まりね。せっかくだから良い酒用意するわよ」
そう言ってはたては強引に文の手を掴み、彼女ごと空へと飛翔する。
文が何か言ってくるがはたては完全に無視し、そのまま自宅へと向かう。
「秘蔵してる酒があるから、何本か持っていくの手伝ってくれる?」
「それは構いませんけど……」
「それと軽いつまみも用意しようかしら……ねえ文、聖哉って肉と魚どっちが好きだったっけ?」
「……はたては、私と違って気にしないんですね」
「んー……そりゃあ本音を言えば罪悪感はあるわ、わたしだって何もできなかったもの。
けどさ、たとえ山を追われたってあの2人がわたしの友達だって事に変わりはないし、その繋がりを切りたくないもの」
姫海棠はたては、犬渡聖哉と犬走椛を友人だと思っている。
鴉天狗と白狼天狗という立場の違いなど関係なく、彼女は心底あの2人を気に入っている。
だからこれからも2人とは友人のままで居たいし、できる限り助けになりたいとも思っている。
「文だってわたしと同じ気持ちでしょ? ただ、アンタはわたし以上にあの2人を気に入っている。だから嫌われたくない……そう思っているから会うのを躊躇ってるんでしょ?」
「……はたてみたいな引き籠りに心中を見透かされるとは、思いませんでしたよ」
「誰が引き籠りよ誰が。アンタって他人に自分を曝け出そうとしないくせに、こういう所は憶病になるのよね」
難儀な性格である、まあ千年以上生きた妖怪である彼女が安易に他者に自身の内側を曝け出すという事はできないのだが。
……ただ、それを差し引いてもはたては文の態度に違和感を覚えていた。
射命丸文という女性はなんでもそつなくこなすが、交友関係に関しては割と不器用だ。尤もはたても人の事は言えないが。
だとしても彼女の躊躇い具合はどうも強いというか……しかも椛にというより聖哉に対してその傾向が強く感じられる。
「…………あっ」
ふと、ある推測がはたての中で生まれた。
「どうかしましたか?」
「あー……うぅん、なんでもない」
適当に誤魔化しつつ、はたては文と共に明日の宴会に向けての準備を開始した。
ただ、その間彼女は文に気づかれないよう、口元に嫌な感じの笑みを浮かべていたとかなんとか……。
◆
「さとり様ー!!」
バンッ、と勢いよく地霊殿の主である古明地さとりの部屋の扉が開かれた。
入ってきたのは地獄鴉の霊烏路空、大きな音に若干驚きつつもさとりは平静さを装いつつお空に苦言を呈した。
「お空、部屋に入る時はノックしなさい」
「すみません!! それでさとり様、明日地上に行ってもいいですか!?」
「地上? ……そう、聖哉さんが目を醒ましたの。それで明日神社で宴会があるから参加したいと」
お空の心を読み、彼女の言いたい事を理解するさとり。
……ただ、彼女の言い分をこのまま受け入れるわけにはいかなかった。
「駄目よ」
「えっ!? どうしてですか!?」
「地底の者がおいそれと地上に行ってはいけないわ。そういう盟約を交わしているのだから」
「でもお燐は時々地上に死体を探しに行っていますし、勇儀姐さんだってお酒飲みに行ってますよ?」
「……教えてくれてありがとう、お空」
何をやっているんだあの2人は。
お燐はまあ仕事の一環も兼ねているからまあいいとして、勇儀のそれは聞き捨てならない。
今度会ったら注意しなければ、そう思いつつさとりは言葉を続けた。
「あなたが前に地上で何をしたか忘れてないでしょう? 今の生活ができるのだって地上の皆さんの温情であるという事は判るわよね?」
「そ、それは……」
睦月との一件を言われると、お空は何も言えなくなってしまう。
――嫌な言い方をしてしまった。
あの一件はお空にとって触れてほしくないものの一つ、それを安易に出してしまったのは軽率だったか。
けれどさとりとて意地悪がしたいわけではない、あくまでお空の事を考えてこそだ。
あのような目に遭ってほしくないし、あんな光景はもう二度と見たくない。
そう思うからこそ、さとりはお空が何故今回の宴会に参加したいのかを理解しつつも、それを許そうとはしないのだ。
「……おにーさん、いっぱいいっぱい傷ついたんです」
「……」
「何かできるわけじゃないけど、でもおくうは……」
顔が見たい、そして傷ついた彼を元気にしたい。
だからお空は今回の宴会の話を聞いて、参加を望んだ。
今回の宴会は彼が来る、そこで会って話をして……彼の為に何かしてあげたいと思った。
「あなたのその気持ちはとても大切なものよ、だけどね――」
「おねえちゃん、そんな意地悪言わないであげなよ」
さとりの声を遮って、第三者の声が場に響く。
今のはお空の声でも勿論さとりの声でもない、それに今の声は聞き覚えのある声であった。
「…………おかえりなさい、こいし」
「えへへー、ただいまー」
突如として、まるで初めからここに居たかのように現れる一人の少女。
さとりの妹である古明地こいしは、無邪気な笑顔を浮かべ無意識のまま姉の前に姿を現した。
「お空がわざわざ頼んでるんだから、聞いてあげてもいいと思うけどなー」
「こいし、私達は本来おいそれと地上に行っていいわけではないの。お空の気持ちは判るけど……」
「へー、ふーん……そういう事言ってもいいのかなー?」
「?」
思わせぶりな事を言いながら、こいしは先程のような無邪気なものではなく……意地の悪い笑みを浮かべ始めた。
なにやら嫌な予感がする、こいしがこういった笑みを浮かべる時は大抵面倒な事態に発展するからだ。
そして、こいしが次に放った言葉でさとりの予感は的中する事になる。
「おねえちゃんだって聖哉に会いたいんだよね? だって……前に部屋の中で「聖哉さんの尻尾もふりたい~!!」って叫びながら転がりまわっていたじゃない」
「っっっ!!? ちょ、あ、あなたなんでそれを……!?」
「あれは凄かったな~、「尻尾~、尻尾~」ってまるで呪詛のように呟きながらゴロゴロ転がってるんだもん。無意識だったのにドン引きしたよ」
あの時は話しかけたくなくてそのまま部屋を後にしたものだ、しみじみと頷くこいしにさとりは何も言えなくなった。
まさかあれを見られているとは……確かにこいしの言う通り前にさとりは上記の奇行に走った事がある。
聖哉の尻尾が恋しくて恋しくて、地霊殿のペット達の尻尾でも我慢できなくなって、しかし地上に行く事もできなくて。
「宴会に参加すれば、聖哉の尻尾に触りたい放題だよ?」
「うぅ……っ!!」
悪魔の囁きが、さとりに襲い掛かる。
あの尻尾が、もふもふとしながらも程よい芯が残りいつまでも触り続けたくなるあの尻尾が、好きなだけ触れる。
「でもおねえちゃんは行かないんだよね? まあしょうがないか~」
「うぐぐぐ……」
わかっている、これはこいしの罠だと充分にわかっている。
これでもかとわざとらしいこの物言い、こっちを折れさせるつもりだ。
しかし地霊殿の主として、やはり地上へ行くのを認めるわけには……。
「聖哉の尻尾、前より立派になってたよ」
「……なん、だと……?」
「前にモフモフした時より、きっと気持ちいいんだろうな~」
「お空、地上に行く準備をしましょう」
地霊殿の主、あっさりと手の平を返しました。
自分からけしかけたとはいえ、姉のその姿にこいしはなんともいえない表情を浮かべる。
「はい、さとり様!!」
ただ、隣に居るお空がとても嬉しそうなので、まあいいとしよう。
弾ける笑顔を浮かべ、扉を破壊する勢いで部屋を後にするお空。
また聖哉に会えるのが本当に嬉しくて嬉しくてたまらないのだろう、見ているこっちまで笑顔になっていく。
「ふふ……前以上の尻尾……ふふ、ふふふふ……」
(……ごめん聖哉、余計な事言っちゃったかも)
怪しく不気味な笑みを見せるさとりに、こいしは自らの発言の軽率さに後悔しながら心の中で聖哉へと謝罪する。
おそらく宴会の中で姉は暴走するだろう、聖哉を見た瞬間文字通り飛び掛かるかもしれない。
そうなった時は……見て見ぬふりをしようそうしよう。
――宴会までもう少し。
だが始まる前から、聖哉の与り知らぬ所で面倒な事態が発生しようとしていたのだった……。
「…………なんだか、悪寒が」
「先輩、大丈夫ですか?」