狼王戦記 ~黒き白狼天狗の軌跡~ 作:カオ宮大好き
「? フラン、何をしているの?」
昼下がりの紅魔館。
吸血鬼としてすっかり逆転生活を送ってしまったなと思いつつ、欠伸を噛み殺し廊下を歩く紅魔館の主、レミリア・スカーレット。
起きたばかりで少しばかり小腹が空いた、そう思った彼女はその足で厨房へと向かい……入口の扉を少し開け中の様子を覗き込むという怪しい行動を見せているフランドールの姿を視界に捉えた。
彼女に歩み寄りつつ声を掛けるレミリア。
「しーっ……!」
そんな姉に気づいたフランは彼女へと視線を向け、静かにするように告げる。
一体彼女は何をしているのか、首を傾げつつもレミリアは言われた通り静かにしつつフランと同じように部屋を覗き込んだ。
「…………咲夜?」
厨房には、この館のメイド長である十六夜咲夜の姿があった。
何か調理をしている最中のようなのか、小気味よい音を放ちつつ慣れた手つきで食材を切っている。
昼食やおやつの時間にはまだ早い、それにあれは……仕込みだろうか。
「夕食の仕込みでもしてるのかしら?」
「もうそれは終わってるみたいよお姉様、ちなみに今日はカレーみたい」
「ほぅ、それは楽しみね。……じゃああれは何をしているの?」
「明日の宴会の仕込みだよ多分」
フランの言葉に「あぁ……」と呟きを零しながら、レミリアは改めて咲夜へと視線を向ける。
……随分と機嫌が良いようだ、食材を捌きながら鼻歌など口ずさんでいる。
ああいう彼女を見たのは今回が初めてではないものの、珍しいそれにレミリアは首を傾げた。
「聖哉が目を醒ましたって聞いてから、咲夜ってば一気に機嫌が良くなったのよ」
「目を醒ましたのか?」
「パチュリーの図書館に遊びに来た魔理沙から聞いたみたい、お姉様はさっきまで寝てたから知らなかったでしょうけど」
「成程な……」
それならば、今のご機嫌な咲夜の姿も納得できるというものだ。
なにせ月での戦いを聞き、聖哉が目を醒まさないと聞いた時の咲夜は……目の見えて元気を無くしていたのだから。
そんな状態でも通常の業務を疎かにしないのは流石だが、見ていて気分の良いものではなかった。
「よかったね、お姉様」
「なんでわたしに言うんだ?」
「だってお姉様も心配してたでしょ?」
「…………まあ、多少はな」
視線を明後日の方向へと向けながらそんなそっけない事を言い放つ姉に、フランは苦笑する。
素直じゃないんだからとは言わないでおこう、あまりからかいが過ぎると面倒な事になるから。
「それにしてもさ、咲夜ってば張り切ってるよね」
「確かに、なんというか見ていて気合が入っているというのが判るな」
「やっぱり聖哉に恋してるからかな?」
「……うーん」
目を輝かせどこか期待するような言い方をするフランに、レミリアは曖昧な反応を返した。
咲夜が聖哉に恋をしている、確かにもしかしたらそうかもしれないとレミリアとて思った事はあった。
だから彼女が彼と2人で話している時にさりげなくからかったり野次を飛ばしたり……半分は退屈凌ぎだったが、疑ったからこそそういった行動に移った事もあった。
「お姉様は、咲夜が恋をしているとは思ってないの?」
「いや……そうは言っていないさ、咲夜が男に対してあんな柔らかな態度を見せた事は今まで無かったし、少なくとも心を許しているのは間違いないだろう」
「じゃあ……」
「だがな、おそらく咲夜自身もよく判っていないだろう。だというのにわたし達があまり決めつけるのもどうかと思うのよ」
「焚きつけた事があるのに?」
「それはまあ……そうだけど」
ただあれはあくまで冗談の範疇でしかない。
彼女が彼に向けている感情の正体が異性に対する愛情なのかそれとも単なる友情なのか、それがはっきりするまではあまり掻き乱し過ぎたくはないと思っている。
「でもフランは絶対咲夜は聖哉に恋していると思うなー」
「その根拠は?」
「パチュリーから借りた図書館の本に恋愛小説があったんだけど、その主人公が今の咲夜の姿そっくりだったから」
「……根拠としては弱いわね」
自身の妹のやや夢見がちな一面を可愛らしいと思いつつも、レミリアはフランの予想が当たっている事を内心願った。
あの子には、十六夜咲夜という人間の少女には幸せになってもらいたい。
彼女と出会い、拾い、育て、従者として傍に置いてるからこそ強く願う。
「~~~~♪」
(あの顔は……きっと自分が作った料理を聖哉に食べてもらって、あいつから「美味しい」と言われた時を想像しているのね)
まったく、いつもの彼女からは考えられないくらいに愛らしい姿ではないか。
口元には隠し切れない笑みを浮かべ、頬を僅かに赤らめ年頃の少女らしい彼女を見ると、フランの言う通りかもしれないと思わずにはいられない。
(やれやれ、なんだか複雑な気分だわ)
肩を竦めつつ、レミリアは厨房から離れ始める。
「お姉様?」
「今日はカレーなんだろ? なら散歩でもして空腹にしてくる」
「ならフランもいくーっ!!」
そう言うとフランはレミリアに駆け寄り、抱きつく勢いで彼女の腕に自分の両腕を絡めた。
たたらを踏みつつも体勢を整え、悪戯っぽい笑みを浮かべるフランの額を軽く小突いてから、レミリア達は日傘を持って紅魔館の外へ。
「ねえ、お姉様」
「なに?」
「宴会、楽しみだね」
「そうね」
色々な意味でと心の中で付け加えながら、レミリアはフランの問いにそう答える。
――なんだか、面白いものが視える運命が視えた気がした。
◆
「…………なあ、椛にイリス」
「なんですか?」
「なによ?」
「その……退屈じゃないのか?」
「大丈夫です」
「大丈夫だから、アンタは自分のしたい事をしてればいいのよ」
幻想郷のとある一角、緩やかな流れの小川。
そこで釣りをしている聖哉は自分を挟むように座る椛とイリスにそう告げるが、2人は即答で上記の言葉を放ちその場から動こうとしない。
聖哉としては2人が何もしようとしないので訊いてみたのだが、そう言うのならば別にいいかと意識を小川へと戻した。
(身体が軽い……ヴァンの“枷”が外れたからか……)
まるで生まれ変わった気分だ、眠りから覚めこうして日常へと戻った聖哉の体力と霊力は、今までとは比べものにならない程に向上していた。
既に聖哉だけの妖力だけで白狼天狗のレベルを大きく超えてしまっている、量だけで言えば大妖怪クラスだろうか。
今回の戦いで犬渡聖哉という存在は大幅なパワーアップを果たした、だが。
(これだけの力があっても、イザナミには勝てない……)
そう、仮に今の状態でもう一度あのイザナミという存在と戦えば……今度こそ殺される。
あまりにも次元が違い過ぎるのだ、ヴァンが居なければ幻想郷に戻る事はできなかったと断言できる程に。
強くならなければならない、今よりずっと、この世の誰も勝てないくらいに強く……。
「先輩」
「セーヤ」
「えっ、な、なんだ2人とも?」
「私達も強くなります。今よりずっと」
「だから、アンタ一人で強くなろうとしないで。お願いだから」
「――――」
それは、一体何を意味する言葉だったのか。
一人で強くなるな、何故そんな事を言われたのか聖哉には判らない。
だが、2人の有無を言わさぬ視線を前にしては、頷く事しかできなかった。
「そういえば聖哉、アンタ風王は?」
「ああ……それがな、月に転移された時に月人に拘束された時があったんだが……その時に行方知れずになったんだ」
あの時は月夜見辺りに所在を聞く前にイザナミが現れ、戦いが終わってすぐに聖輦船と共に月の都を後にしてしまった。
地上の者が月の都に必要以上に滞在していると面倒な事になる、前に月へと行った事がある霊夢がそう進言したそうだ。
正直取り返したいというより取り返さないと拙いが、イザナミとの戦いで大きく傷ついた現在の月の都に行く事は難しい。
(諦めるしかない、かもな……)
あれだけの名刀、しかも歴代の天魔のみが所持を許された筈の妖刀を紛失したなど、山に居た頃なら即死罪だ。
だがまあ、今の自分は山の天狗ではないし……少々どころかかなり惜しいが、まあしょうがないかと聖哉は自己完結させる。
これ以上余計な問題を月の都にも幻想郷にも抱えてほしくはない、抱えさせるわけにはいかないのだ。
「ん……?」
ふと、聖哉は視線を川の上流方向へと向けた。
……何かが流れてくる、しかしそれは流木といった類ではない。
目を凝らす、そして――我が目を疑った。
「何で……!?」
疑問を込めた叫びを上げながら、聖哉は立ち上がりながら釣竿を投げ捨て川に飛び込む。
椛とイリスの呼ぶ声も無視して上流へと向かい、流れてきたそれを抱えるように持ち上げた。
流れてきたもの、それは――小柄な少女だった。
それがどんぶらこどんぶらこと土佐衛門の如く流れてくれば目を疑うし、助けようとも思う。
すぐに川を出て少女の身体を寝かせ、意識があるのかを確認するために声を掛けた。
「おい、大丈夫か!? おい!!」
返事は、ない。
というより、少女は呼吸をしていなかった。
血の気が引く思いをしながら、聖哉はすぐに人工呼吸を……しようとして、ある事に気づき少女の身体をよく観察し始める。
暗い藤色の髪、中華風の衣服に身を包んだ端正な顔立ちの少女。
肌は健康には見えない灰色がかったものであり、けれど何よりも気になったのは……。
「……札?」
少女の額に、読む事の出来ない字が書かれた札が付着していた事であった。
水で濡れているというのに、その札は接着剤で張り付けられているかのように額に付いたまま。
「ちょっとちょっと、この子意識が無いけど……」
「先輩、私が人工呼吸を――」
「いや、いい。椛達はそこからそれ以上近づくな」
駆け寄ろうとする2人を制し、そんな彼に当然の如く椛達が抗議しようとした瞬間。
――銀光が、聖哉の肉体を切り裂こうと振るわれた。
その一撃の正体は爪、それも先程までぴくりとも動かなかった少女から放たれた一撃であった。
速度も威力もおよそ人間が放てるものではなくしかし、聖哉には届かない。
「…………あー?」
少女の口から、間の抜けた声が零れる。
当たったと思った一撃が当たらなかった事に対する疑問か、少女はぽかんとした表情のまま離れた位置に移動した聖哉へと視線を向けた。
「……成程、呼吸をしてない上にその札……
「きょ、僵尸……?」
「中国に伝わる妖怪の一種だ、キョンシーとも呼ばれるな」
または「東洋のゾンビ」とも呼ばれる、人食い妖怪の種族である。
力は強くその肉体は頑強、蘇らせた術師の能力が高ければ生前の能力や才覚すら完璧に再現できる戦闘能力の高い妖怪だ。
先程の一撃とてただ腕を振り下ろしただけだというのに、地面には四条の裂け目が生まれ固い大岩すら易々と破壊してしまっていた。
「えーっと、えーっと……避けられたら、どうするんだっけ……?」
「な、何よコイツ……随分と動きが鈍いっていうか隙だらけじゃない」
「キョンシーは命令された事には忠実だがそれ以外、つまり自分で考え行動するのは苦手なんだ」
おそらく奇襲を仕掛け一撃で終わらせるつもりだったのだろう。
しかし聖哉が攻撃を回避してしまったため、この後どう行動するのか指示されていないので困惑していると思われるが……。
「よっ」
なんとも気の抜ける声、しかしその声が耳に届く前に少女の姿が3人の視界から消えた。
そして一息で少女は聖哉との間合いを詰め、もう一度名刀の如し切れ味を見せた爪による一撃を叩き込もうとして。
「あれ?」
「――元が人間の肉体とは思えない一撃だな」
あっさりと、黒いオーラを纏った聖哉の指2本で受け止められた。
呆気に取られ動きを止めた少女に、聖哉は空いている左手で拳を作り相手の身体に叩き込む。
キョンシー相手に加減などできない、肉体の頑強さは折り紙付きだと前に聞いているので聖哉は撃ち抜く勢いで殴り飛ばした。
弾丸のように吹き飛び、地面の砂利や岩などを破壊しつつ少女は近くの森へと消えていき……戻ってこない。
……周囲に静寂が戻る、聖哉に襲い掛かった相手が一向に戻ってこない事を確認し、椛とイリスは安堵のため息を零すが。
聖哉は臨戦態勢を崩さないまま、少女が消えていった森を睨みつつ。
「もういいだろう。出てきたらどうだ?」
先程から此方を覗き込んでいた不届き者へ、敵意を込めた“威嚇”を送った。
「――あらまあ、バレていたの?」
場に響くは聞き覚えのない女性の声、椛とイリスは驚愕しつつも身構え、そんな2人の姿を笑いながら一人の女性が
美しい女性だった、天女を思わせる半透明の羽衣を纏い淡い水色の衣服を着こなす絶世の美女。
清水のような青い髪を∞の形で結い鑿を挿し、青い目からは優しい色を漂わせ口元の笑みもどこか暖かみを感じさせる。
「白々しい。わざと気配を残しておいて言うことか」
だが、その全てが聖哉には信用できないものに映っていた。
実際に目の前に現れたこの女性は、どういう事情かあのキョンシーを差し向け此方に攻撃を仕掛けてきた存在なのだ。
少しでも怪しい動きを見せたら殺す、そんな意志を込めた“威嚇”を絶えず放ち続ける聖哉に、女性は口元の笑みを消し困ったように笑った。
「そう警戒しないでくださいな、試したのは悪いと思っているのよ?」
「なら2度と俺達の前に現れるな」
「あらまあ辛辣。でも……さすが豊聡耳様が認めただけの力はあったわ」
「……神子の知り合いか?」
意外な名前が女性の口から出てきた事で一瞬警戒が緩むが、すぐに引き締め直し聖哉は問いかける。
「私の名は
「そうか。名を名乗ったのなら消えてくれ」
「あん、本当に辛辣な殿方。でもその力……とても素敵ですわぁ」
瞳を妖しく輝かせ、恍惚とした表情を見せる青娥と名乗る女性。
その姿は男はもちろん同姓である女すら魅了する程に美しく、しかし聖哉には不快感しか与えなかった。
「豊聡耳様が貴方様の事を口にしていましたの、白狼天狗とは思えない力と聡明さを兼ね備えた青年だと。
その力がどの程度のものなのかどうしても知りたくなりまして……許してほしいのだけど、駄目かしら?」
「もう2度と現れないと誓うのなら、許すさ」
「あぁん、嫌われちゃって悲しいですわ。今日はこのまま帰るとしましょう」
大げさに悲しんだ素振りを見せつつ、青娥は芳香が殴り飛ばされた森に向かって漂うように飛んでいく。
そして、最後にもう一度聖哉に視線を向けつつ笑みを見せながら。
「ごきげんよう、聖哉様」
獲物を絡めとる蜘蛛のような粘着質のある言葉を放ち、森の中へと消えていった。
「…………何よ、アイツ」
完全に青娥の気配が無くなってから、イリスは呟きつつぶるりとその身を震わせる。
いきなり現れよく判らない事を告げながら去っていった霍青娥という女性の得体の知れなさに、恐怖すら覚えたのだ。
椛もイリスと同じように青娥という存在に恐怖しつつも、聖哉の元へと駆け寄る。
「先輩、大丈夫でしたか?」
「大丈夫だ、心配してくれてありがとな椛、イリス」
二人に感謝しつつ、聖哉は青娥と名乗った女性の事を考える。
得体の知れなさで言えばあの八雲紫にも負けてはいない、しかしそれだけでなくあの身に潜ませている力はかなりのものだった。
単なる妖怪ではない、キョンシーを操る時点で並の力ではないと察する事ができるが、その力は妖怪のものではないと彼は感じ取っていた。
(霊力とも妖力とも違う、かといって神力でもない……どちらかといえば、神子に近かった……)
そんな存在が、どういうわけか自分に興味を抱いている。
その事実に、聖哉は疲れたように大きなため息を吐き出したのだった……。
(明日の宴会で、このストレスを発散させてもらうとするか……)