狼王戦記 ~黒き白狼天狗の軌跡~ 作:カオ宮大好き
「えっと……次は右に曲がるのか」
里の通りを歩きながら、俺はある場所を目指していた。
そのある場所とは、この人里の中でも稗田家に続く歴史を持つ古道具屋、『霧雨道具店』である。
数日前に知り合った霧雨魔理奈さんを送り届けた礼をしたいとの事だが……正直、あまり気が進まない。
〈礼をしたいって言ってるんだからいいじゃねえか〉
そうなんだけどさ、俺は別に礼をされるような事はしてないだろ?
魔理奈さんを送り届けたのだって、神社と里の間の道が危険なのと目的地が同じなだけで、俺には何の苦労も担っていない。
〈相手が相手なんだから、怪我なく送り迎えしただけでも充分な礼に繋がるだろ?〉
それは判る、後から判った事だけど『霧雨道具店』という店は文句なしに里一番の老舗だ。
当然この里の中で指折りの“力”を持っている、だけど関わった俺自身が礼などいらないと言っているのだから、いいではないか。
〈それではいそうですかといかねえのが権力を持つ輩の面倒な所だ、面子の問題もある。
ましてやお前は里の中でも有名人だ、そのお前を蔑ろにしたとあれば商売の信用にも関わりかねないってわけだ〉
……俺には商売の事はよくわからないけど、そういう事もありえるのか。
にとりも商売は信用が第一と言っていたし、きっとヴァンの言っている事は正しいのだろう。
だとすれば向こうが是が非でも礼をしたいという気持ちも改めて理解できた、気が進まないのは確かだが。
「ん……?」
大通りを抜け、もうすぐ『霧雨道具店』に着く矢先。
一人の少女が隠れるようにこそこそとまるでコソ泥のような動きをしているのが見え、しかも見知った顔だったので俺は呆れながら声を掛けた。
「魔理沙、何やってんだ?」
「っ!? あ、なんだ聖哉かよ……脅かすなよなっ」
普通に声を掛けたのに、魔理沙は肩を大きく震わせ本気で驚きながら俺を睨んできた。
「それで、何をしているんだ?」
「え、あ、えっと……その……」
視線を泳がせ、歯切れの悪い反応を見せる魔理沙。
まあ彼女の目的はある程度推測できる、なにせ『霧雨道具店』の近くでこそこそしていたのだから。
数日前のやりとりでは絶対に実家には帰らないような態度だったが、やはり彼女も気になるのか。
「魔理沙、今からお前のお父さんに会うんだけど、お前も一緒に――」
「っ、なんで私があんなクソ親父と顔合わせないといけないんだよ!! 関係ないだろっ」
怒鳴り声を上げ、魔理沙は素早く手に持っていた箒に跨るとあっという間に飛び去って行ってしまった。
……クソ親父、か。
母親とはそれほど仲がこじれた様子は見られなかったけど、前の発言といい魔理沙は自分の父親とは不仲のようだ。
〈今のは無神経な発言だったな〉
そう、なのかな?
でも親子なのに、仲良くできないなんて……。
〈お前がどうしてそういう考えに到ったのかは判るが、世の親子がみんな仲良しにならないといけないってのは傲慢だぞ?〉
ぴしゃりと、厳しめの口調でヴァンは俺を諫める。
傲慢か……俺の考え方は、間違っているのだろうか。
ただ俺は、友人である魔理沙が自分の親と仲が良くないままなのが嫌なだけなんだが、ヴァンの言う通りこの考え方自体が傲慢なのかもな。
「――おおっ天狗様、お待ちしておりましたぞ!!」
背後から声を掛けられる。
振り向いた先に居たのは、恰幅の良い中年男性。
上質な素材で作られた袴で身を包み、がっしりとした体格からは確かな“凄み”を感じられた。
「本日はお招き頂きありがとうございます、
感謝の言葉を述べつつ頭を下げる。
彼の名は霧雨幸之助、『霧雨道具店』の店主であり……霧雨魔理沙の、実の父親だ。
魔理奈さんを送った際に軽く自己紹介をしたので、お互いに名前は知っている。
俺の態度に幸之助さんは少々慌てた様子で「顔を上げてください」と言ってきたので、素直にそれに従った。
「天狗様は家内に良くしてくださった恩人なのですから、そのような畏まった態度は不要ですよ」
「ありがとうございます。ですが前にも言ったようにお礼を言われるような事ではありませんので、そちらも畏まらずに気軽に名前で呼んでいただけると嬉しいです」
「……でしたら聖哉さんと。ならばそちらも私に対して敬語など不要ですよ」
「わかった、じゃあ幸之助と呼ばせてもらう」
俺の言葉に幸之助は満足そうに頷き、そのまま店の中に入るように促してきた。
彼と共に店に入り奥へと進み、客間へと案内される。
程なくして、魔理奈さんがお茶とお茶菓子を持って部屋へと入ってきた。
「こんにちは聖哉さん、今日は主人の我儘を聞いてくれてありがとう」
「魔理奈、聖哉さんに対して馴れ馴れしいぞっ」
「いいのよー、だって聖哉さんとはもうお友達なんですもの」
厳しい口調で諫めようとする幸之助さんに対しても、魔理奈さんは口調を崩さずのほほんと受け流す。
なんとなくではあるが、この家の力関係が判ったような気がした。
俺の前にお茶とお茶菓子、そして……魔理奈さんが懐から出した袋が置かれる。
じゃらり、という音が袋の中から聞こえた、その音で俺は何が入っているのか理解し……幸之助さんへと視線を向ける。
「先程も言ったように聖哉さんは恩人です。その恩を返すのは当然でしょう」
「しかし、これは……」
袋の中に入っているのは、決して少なくない量の金だった。
軽く見積もっても、普通の人間が数年間は遊んで暮らせる程の量だ。
いくらなんでも、礼にしては多すぎる金額だ。
「……何が、目的だ?」
「…………流石に判りますか?」
幸之助さんの目つきが変わる、先程のような穏やかさは鳴りを潜め“大商人”としての顔が表に出始める。
「俺の力を利用したいというのなら、このまま帰らせてもらう」
「あなた、だから言ったじゃないの。こんな事をすれば怒られるって」
「う、む……いや、申し訳ない聖哉さん。わたしは別にあなたを利用しようなどとは考えていないのですよ」
「では、このお金は?」
「これは本当にお礼なのです。大袈裟かもしれませんが家内は身体が弱く下手をすれば……今回の件で取り返しのつかない事態に陥る可能性があった。
ですがあなたのおかげでそのような事は起きなかった、それに今はこの里で生活しているのであればこの金が役に立つと思いまして……」
「……」
確かに、その言葉には同意する。
このまま暫く里で暮らす以上、どうしても金は必要になる。
これがあれば慧音に迷惑を掛ける事はないし、正直助かるのは事実だ。
だが受け取れば面倒事に巻き込まれる可能性がある、それだけは避けたい。
「ほら、正直に話しなさいな。そうじゃないと聖哉さんも誤解しちゃうわよ?」
「むむむ……」
「意地を張らないの」
唸る幸之助さん、そんな彼に肩を竦め代わりに魔理奈さんが説明してくれた。
「聖哉さん、このお金は本当にこちらのお礼なの。だけどね……ある頼みごとをしたいのも事実なの」
「……」
「だけどそんな難しい事じゃないのよ、その頼み事っていうのはね……時々でいいから、魔理沙の様子を教えてほしいの」
「えっ?」
予想だにしてなかった言葉を聞いて、おもわず間の抜けた声が出てしまった。
当然ながら意味を理解できなかったので詳細を訊いてみると……。
「この人ってば、神社でのやりとりを聞いて今更ながらに魔理沙の事が心配になったみたいで、かといってお弟子さんだった霖之助君に頼むのは面子がどうとか言い出してね」
「……成程、事情は理解できた。だが彼女を“勘当”したのだろう? それなのに何故今更?」
思わず、棘のある言い方をしてしまった。
俺の言葉に堪えたのか、幸之助さんは苦々しい表情を浮かべつつも……己の心中を吐露し始める。
「そうですね、何を今更……わたし自身もそう思います。
――これは後悔、なのでしょうね。魔理沙の近状を聞いて改めて己のしてきた事に後悔しているのでしょう」
「それは、どういう」
「…………わたしは、魔理沙を立派な次期跡取りとして育てようと幼少の頃から厳しく躾けてきました。
同年代の友人も作らせようとせず、ただひたすらに商人としての知識を詰め込ませました。それが正しいと信じて」
「……」
「家内から苦言を呈されても、わたしは魔理沙を『霧雨道具店』の跡取り娘として育てるのがあいつの幸せに繋がると信じて疑わなかった。
わたし自身も父から同じように厳しく躾けられたものですから、これがきっと正しいと……思っていたんですがね」
話しながら、幸之助さんの表情はどんどん曇っていった。
言葉通り彼は後悔している、そんな育て方しかできなかった自分自身に失望している。
……だけど、それは。
「そしてあの子が九つの時、魔法使いになると言い出しましてね……当然、わたしは反対しました。
それからはもう売り言葉に買い言葉、お互いに強気ですから歯止めが掛からなくなり……そしてわたしは、親として言ってはならない言葉をあの子に言ってしまった」
――お前は家の跡取り娘なんだ、それ以外の生き方を選ぶという勝手な真似は許さん。
「今でも鮮明に思い出せます。その言葉を聞いた魔理沙の失望と悲しみと、怒りを織り交ぜたような目を」
そして魔理沙は家出をし、意地になった幸之助さんは彼女に“勘当”を言い渡し、今に至る。
それから七年間、魔理沙と幸之助さんは一度たりとも顔を合わせてはいない。
「間違っていたのですよわたしは、親として……間違っていたのです。いや、もはや親と言うのもおこがましいかもしれませんね……」
「……」
掛ける言葉が見つからない。
親としての苦悩を打ち明ける幸之助さんに、子が居ない俺は何を言えばいいのかわからなかった。
けれど、今幸之助さんが言った「親失格」という言葉だけは、否定しなければならないと思い口を開く。
「――間違っていたとか、間違っていなかったとかじゃないんだ。きっと」
「え……」
「幸之助さんは幸之助さんなりに、魔理沙の幸せの為に一生懸命だっただけなんだ。ただ結果が……望んだものと違っただけで」
やり方は確かによくなかったかもしれない、だがその想いだけは絶対に真摯なものの筈だ。
父親として、娘の幸せを望むその心だけは。
――そして、まだ親子が終わったわけではない。
「幸之助さん、後悔しているのならもう一度魔理沙と話すべきだ。一歩を踏み出すべきなんだ」
「……魔理沙と」
〈おい聖哉、部外者が安易に口を出していいものじゃねえぞ〉
わかってる、だけど放ってはおけない。
だってこのままじゃ何も変わらない、幸之助さんはずっと自分を責め続けるし魔理沙だって……。
余計なお節介なのは重々承知している、それでも……親子の心が離れたままなのはどうしても納得できなかった。
それにだ、後悔しているのは幸之助さんだけじゃない。
今の状態から脱したいと思っているのは、
「――魔理沙、居るんだろう?」
「え――」
廊下へと続く襖へと視線を向け、声を掛ける。
全員の視線が一点に集まり、それから暫しの間の後。
「…………」
ばつが悪そうに、顔を背けながらゆっくりと魔理沙が襖を開き姿を現した。
「なんで、わかったんだ? 隠蔽魔法で隠れてたのに……」
「俺の“千里眼”を甘く見るなよ。――それで、お前は今の幸之助さんの言葉を聞いてどう思った?」
「……」
魔理沙は答えない、答えなど判っている筈なのに。
意地っ張りな彼女らしい態度だ、だけど今回ばかりはこのままにはしたくない。
「お前がここに居るのは、仲直りしたいと思ったからじゃないのか?」
「……別に、私はそんな」
「どんな選択を選ぼうともそれはお前の自由だし口出しできる権利なんか俺には無い。
だけどな魔理沙、このまま意地を張り続ければ戻れなくなる。今回が……最後のチャンスかもしれないんだぞ?」
「………………」
……これ以上は、俺が何を言っても意味はないだろう。
礼の品である袋を掴んでから席から立ち上がる、後は……魔理沙達の問題だ。
「幸之助さん、魔理奈さん、俺はこれで失礼する」
「えっ、あ、いや」
「はーい、またいつでもいらっしゃってくださいねー」
「お、おい聖哉……」
「これ以上俺がしゃしゃり出たとしても邪魔になるだけだ。――自分の心に素直になれ」
そう言って、魔理沙の横を通り過ぎ廊下へと出る。
そのまま真っ直ぐ外へと出て……開口一番、ヴァンのため息が聞こえてきた。
〈場を引っ掻き回すだけ引っ掻き回して丸投げとは、お前って鬼畜だな〉
……やっぱり、余計な事したかな?
〈かもな。だがまあ……あの親子に関しては、マイナスにはなってねえと思うぜ〉
プラスになっている、とは言ってくれないんだな。
とはいえヴァンの言っている事は正しい、つい感情的になってしまった。
〈自分には親が居ないから他の親子は仲良く在ってほしい、そういう考え方になっちまうのは仕方ないとしてもだ、世の中には血が繋がっているとしても親子の関係で居たくないと思う存在も居る。それを忘れるなよ〉
肝に銘じておくよ。
だけど、上手くいってくれてればいいな。
そんな淡い期待を抱きつつ、俺は里の中を闊歩していく。
……今度、謝罪しに行かないとな。
◆
「…………」
「…………」
(もぅ、仕方がないんだから……)
先程から何も話さず、視線も合わせようとしない魔理沙と幸之助の姿に、魔理奈は肩を竦める。
本当にこういう所はよく似ている、素直じゃなくて不器用で。
自分が何を望んでいるのか、何を言いたいのか判っているのに、いざそれを目の前にすると途端に尻込みする。
何年経っても、たとえ“勘当”したとしても、この2人は間違いなく“親子”のままだった。
「……」
「……」
(けど、このままじゃダメねぇ)
本当にしょうがない子達だ、内心苦笑しながら魔理奈は助け舟を出そうとして。
「魔理沙」
意外にも、先に口を開いたのは幸之助の方であった。
「…………なんだよ?」
「お前は、まだ魔法使いとしての道を歩んでいるのか?」
「……ああ、そうだよ。残念だったな、もう『跡取り娘』はアンタの所には戻ってこないさ!!」
(…………どうやら、わたしは自分が思っている以上にこの子の心を傷つけ、踏み躙ってきたようだ)
今の言葉に込められた激情が、幸之助の心に矢のように突き刺さる。
如何に自分が娘を傷つけてきたのか改めて思い知らされ、情けなくなると同時に……幸之助は、己のすべき事を理解し。
「――すまなかった、魔理沙」
彼は、娘に向かって深々と頭を下げ。
震える声で、謝罪の言葉を口にした。
「えっ……」
「謝って済む問題ではないのは判っている、許してくれなどと偉そうな事は言えん。
単なる自己満足だと思ってくれてもいい、だが……謝りたいと、謝らなければならないと思ったんだ」
声が震える、大の大人がまるで子供のようにたどたどしい言葉を放っている。
それのなんと情けない姿か、それでも幸之助は構わなかった。
一歩を踏み出すべきだと、後悔しているのなら子と話すべきだと“彼”は言った。
決して軽はずみから出るようなものではない、心からの言葉で紡がれたその言葉に、幸之助は背中を押されていた。
「な、なん、だよ……それ……」
一方の魔理沙は父である幸之助の突然の謝罪に思考が凍り付き、完全に固まってしまっていた。
だが直に冷静さを取り戻し……過去の光景が、厳格でしかなかった父の姿がフラッシュバックする。
頭に血が昇る、許せないと言っていた自分自身の怒りが再熱する。
「い、今更なんだよそれはっ!! 今更謝られたって、私は絶対に――」
絶対に許さない、怒りと拒絶の言葉を放とうとした瞬間。
――自分の心に素直になれ。
魔理沙の脳裏に、先程の聖哉の言葉が浮かび上がった。
その言葉で踏みとどまった魔理沙は、自分自身に問いかける。
何故ここに来たのか、“勘当”を言い渡されてから近づこうともしなかったのに。
どうして盗み聞きするような形で、聖哉達の話を聞いていたのか。
(私は……)
今の自分が、本当は何を望んでいるのか。
あの時の父の言葉は今でも許せない、幼年期の頃の所業だって如何に子供の為という大義名分があったとしても納得できるものではない。
おかげで自分は同年代の友人が一人もできなかったし、外で遊ぶという些細な事も許されなかった。
来る日も来る日も勉学を強要させられ、自分の意志などない人形も同然の生き方を強いられた。
この怒りは今も胸の内に残り、燻ったままだ。
きっとこの先も消えはしない、消えはしないが……。
「……今更謝られたって、遅いよ」
「…………そうだな。その通りだ」
「だ、だけど……わ、私も、その……あの時は、感情的になり過ぎたというか………………………ごめん」
「魔理沙……」
小さい声で、呟くようなものだったが幸之助達の耳には確かに聞こえた。
自分にも非があると、あなただけが悪いわけではないと、謝罪の言葉を口にする。
……それだけで、幸之助の心は救われた。
都合の良い話かもしれない、だけれど……自分は魔理沙の親のままであると、認められたような気がしたのだ。
「わ、私から言いたい事はそれだけだっ!!」
「っ、待て、魔理沙!!」
走り去ろうとする魔理沙を、幸之助が止める。
まだ伝えなければならない事がある、駆けだそうとする足を止めこちらに視線を向けてきた魔理沙に幸之助は。
「――せめて正月くらいは、帰ってきなさい」
優しい声と表情で、静かに言った。
「……」
「そうよー、魔理沙の好きなものを沢山作って待ってるから」
「お前が魔法使いとしての道を今でも歩んでいるというのならば、もう何も言わん。ただ……お前の家はここなんだ、だから……その、たまには帰ってきなさい」
「…………っっ、き、気が向いたら考えてやるよっ!!」
突風が、屋敷を揺らす。
おもわず顔を腕で覆う幸之助と魔理沙、風はすぐに収まるが、その時には既に魔理沙の姿はいなくなってしまっていた。
「あらあら、本当にあなたそっくりで素直じゃないわねー」
「……あの子は、許してくれたのだろうか」
「さあ、でも……きっと大丈夫、あなたがもっと素直になれればだけれど」
「…………努力はしよう」
(そういう所よねー)
幸之助には見えないように苦笑しつつ、魔理奈はそっと瞳に滲んだ涙を拭う。
小さな一歩、けれどこの一歩は大きなものだ。
その一歩のきっかけを作ってくれた“彼”に、魔理奈は最大限の感謝を送る。
(ありがとう聖哉さん、本当に……ありがとう)