狼王戦記 ~黒き白狼天狗の軌跡~   作:カオ宮大好き

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幕間 ~変わる関係~ ※

「……」

 

 規則正しい呼吸を繰り返し、椛は穏やかな眠りに就いている。

 そんな彼女を眺めつつ、俺は何もせずただ黙って彼女の目覚めを待っていた。

 永琳から丸一日眠るという話を聞いてはいたが、今は彼女の傍に居たかった。

 何かするわけでもない、けれど今はただ……彼女の傍に居たいと願ったのだ。

 

 ……こんな風に、椛の傍に居たいと思うのは初めてかもしれない。

 好きだと自覚したからか、彼女の顔を見るだけで心が満たされていく。

 

〈おーおー、幸せそうなツラしちゃってまあ……正直気味が悪いな〉

 

 からかうヴァンの言葉も、今の俺には届かない。

 ただ気味が悪いというのには同意できる、俺自身も内心そう思っているから。

 

〈惚けるのは結構だけどな、今回の件……お前は終わったと思ってないだろ?〉

 

「……」

 

 椛を助け、元凶である豪厳の命は奪った。

 妖怪の山と決別した今、また里での日常が戻ってくるだろう。

 だけど、ヴァンの言う通り――今回の件は、終わったわけではなかった。

 

〈あのクソ天狗が展開していたあの結界、“眼”を使わなきゃ発見できなかった。

 あれだけの結界、如何な大天狗だとしても扱えるとは思えねえな〉

 

 そう、椛と自分を周囲から隠すために廃屋に展開されていた結界は、それだけの練度があった。

 だからこそ文と清十郎様の2人ですら見つけられず、俺とてヴァンから授かった“眼”を使用しなければならなかった。

 それは明らかに異常だ、少なくともあの豪厳には到底扱えない代物であるのは間違いない。

 

 だがそうなると、ならばあの結界が誰が用意したのかという疑問が浮かぶ。

 何者かが豪厳に加担した、しかしその目的は?

 八雲様クラスでなければ扱えない高位の結界を使用できる者が、豪厳の下衆な考えに賛同するとは思えない。

 そもそもその第三者が今回の件に全く関与してこなかったのもおかしい、これではまるで豪厳に協力したというよりも……。

 

〈利用されたんだろうなあの阿呆は。

 問題は誰がって話だが……イザナミのヤロウではないだろう、あれだけの力があるならこんなコスい真似をする必要は無いからな〉

 

 だろうな、俺もその言葉には同意見だ。

 だとすれば一体誰なのか、候補は幾つか存在するが……動機を考えると、どうにも解せない部分が多すぎる。

 

〈いずれ倒さなきゃならない相手が、また増えたってわけか〉

 

 なんで嬉しそうなんだお前は。

 とはいえその言い分だけは正しいので、俺はため息しか出せなかった。

 人や妖怪、妖精や神々……様々な種族が生きる世界であるこの幻想郷の平和は、一体いつになったら来るのだろうか。

 

〈お前がそんな事を考える必要なんかねえよ、そういうのは巫女や自称賢者共の仕事だろ?〉

 

 自称って……まだ八雲様の事を嫌ってるんだなお前は。

 

〈たとえお前が受け入れたとしてもオレはああいう女は信用しない。

 なまじ高い能力と才能があるからって、世界が自分を中心に回ってると本気で考えてる女はな〉

 

 凄まじいまでの暴言に、俺は言葉を失ってしまった。

 おちゃらけた口調で話すヴァンにしては珍しく、本気の嫌悪と憎悪が言葉の端々から感じられたのだから余計にだ。

 

〈だから気負うんじゃねえぞ? お前は、お前が大切に想う子達だけ守ればいい。お前は英雄でも勇者でもない、ただの天狗なんだからな〉

 

 ……覚えておくよ、ヴァン。

 神代の魔獣と呼ばれているヤツとは思えない優しい言葉に、俺は最大限の感謝を告げる。

 だけど……約束はできない。

 もしもまた幻想郷にいらぬ戦いが訪れた時は……。

 

「……んっ……」

 

「っ、椛……?」

 

 身じろぎをしてから、ゆっくりと椛は目を開いた。

 自分の今の状態を理解できていないのか、暫しの間彼女は茫然と天井を見つめてから。

 

「…………先輩?」

 

 視線を俺に向け、静かに口を開いた。

 

「……ああ、俺だ。おはよう椛」

 

 掠れた声で、どうにかそれだけを口にする。

 ――目を醒ましてくれた。

 永琳を信用していなかったわけじゃない、ただこうして実際に目を醒ましてくれた事に心の底から安堵した。

 

「ここは……」

 

「ここは永遠亭だ。――何があったのか、思い出せるか?」

 

「……」

 

 こくりと頷く椛。

 その表情は、嫌悪と怒りと……悲しみに溢れていた。

 

「大丈夫だ。もう全部終わらせたから」

 

「先輩が、ですか?」

 

「ああ。それにイリスも大丈夫だから心配するな」

 

「……ごめんなさい、先輩」

 

「椛が謝る必要なんかない、お前は何も悪い事なんかしてないんだから。

 だから謝るな、勿論イリスにもだ。きっと謝ったらアイツ怒るぞ?」

 

 俺は微塵も迷惑を掛けられたなんて思っていないし、イリスだってきっとそうだろう。

 だから謝ってほしくなかった、沢山傷ついたこの子に余計な負担を掛けたくないから。

 

「とにかく心配しなくていいさ。傷も失った体力も永琳が元に戻してくれた、明日からまた里での生活に戻れるよ」

 

「……」

 

「椛……?」

 

 顔を伏せ、ぎゅっと自分の服を強く握り締める椛。

 その姿は何か辛い事を懸命に耐えようとしているように見え、困惑してしまう。

 もう全て終わったのだ、彼女を傷つけた豪厳はこの世から消し去ったし、また里のみんなと一緒に……。

 

「……戻れません。私はもう……先輩の傍にはいられない」

 

「…………えっ?」

 

 何を、言っているのか。

 椛が吐き捨てるように放った言葉を聞いて、俺は言葉を失った。

 

「だって、私はもう……先輩に愛してもらう事なんかできなくなりましたから」

 

「何、を……」

 

「先輩も見てしまいましたよね? あの男に傷つけられた……私の身体を」

 

「それは……だけど傷は永琳が」

 

「たとえ消えたとしても傷だらけになったという事実は変わりません、そんな私が」

 

 そんな私が、先輩に愛してもらう事などできない。

 先輩と一緒に里で生きていく事なんかできない、と。

 椛は、瞳から涙を流しながら……意味の分からない事を告げてきた。

 

「……なに言ってんだ、お前は」

 

「私の身体、あの男に沢山触られました、傷つけられました。

 汚れてしまったんです、そんな私が先輩の傍に居るなんて……できません」

 

「……」

 

 己を責めるように、蔑むように椛は泣いている。

 自分が弱いからだと、自分が悪いのだと……見ているこっちが泣きたくなるような辛い姿を、晒し続けている。

 

――また、彼女は傷ついている。

 

 何も悪くないのに、被害者だというのに……椛は今もあの男に苦しめられている。

 あの時の怒りと憎しみが、再び溢れ出しそうになる。

 あの世に行って、地獄行きになるであろう豪厳を掴み上げて、魂ごと消滅したくなった。

 

「椛」

 

「ごめんなさい先輩、先輩は私の想いに応えようとしてくれているのに……」

 

 ……離れていってしまう。

 このまま何もしなかったら、椛は俺の前から居なくなってしまう。

 そんなのは嫌だ、そんな事は認められない。

 

 けれど今の椛に言葉は届かない。

 己を責めている彼女の耳には、ありきたりな言葉など意味を成さない。

 

 だから。

 

「椛、ごめんな」

 

 だから俺は言葉ではなく、行動で示す事にした。

 

「え――――」

 

 泣いている彼女に謝ってから、強引にその身体を抱きしめる。

 二度と放さないと言わんばかりに、背中に回した手に力を込めて彼女の身体を抱きしめた。

 

「せ、先輩……?」

 

「椛は何も悪くない、だからもう自分を責めるな。自分を……汚れたなんて言うな」

 

 彼女が汚れていると言うのならば、俺はそれ以上に汚れた存在だ。

 望まれた命ではなかった、生まれてすぐに死んでも誰も悲しまない存在だった。

 そんな俺を気に掛け、支え、愛してくれた彼女がどうして汚れていると言えるのか。

 

「俺の前から居なくならないでくれ、俺を……独りにしないで」

 

 言ってて、泣きそうになる。

 こんなに強く想っているのに、ついこの間までこの感情に気づけなかった自分が情けなくて、悲しくなった。

 

 だから、躊躇いたくない。

 彼女を好きだという気持ちに、嘘など吐きたくない。

 

「たとえどんなにお前がお前自身を責めたとしても、俺には椛が必要なんだ。

 だから俺の傍から居なくなるなんて事はしないでくれ、俺の傍に……居てほしいから」

 

 抱きしめる力を、少しだけ強める。

 逃がしたくないと行動で示したくて、離れないでくれと椛に伝えたくて。

 

「……先輩」

 

 椛の肩から力が抜け、やがて……彼女の両腕が俺の背中に回る。

 それが何を意味するのか、俺は都合の良い解釈をする事にした。

 

「――好きだ、椛」

 

「っ…………はい。私も……大好きですっ」

 

「………………」

 

 嬉しさで、全身が震えた。

 受け入れてくれた、俺の想いを。

 ただそれだけで、俺は泣きたくなるような歓喜に襲われる。

 

 そんな自分の単純さに笑いたくなりながら、ただ静かに彼女の身体を抱きしめる。

 そして彼女もまた、この時間が永遠に続くよう願うように俺を抱きしめ続ける。

 

「……」

 

 外から、複数の気配がする。

 こういう時、鋭敏になっている“千里眼”は困ったものだと思ってしまう。

 別に外の存在が俺達に何か被害を与えようとしているわけではない、わけではないが。

 

――俺達を覗き見するのは、やめていただきたい。

 

 幸か不幸か、椛はそれに気づいた様子は見られない。

 ……外に居るのは永遠亭の連中と、文にはたてに……にとりも居るな。

 文達は単純に椛の見舞いに来たのだろうけど、先に覗いていた永遠亭の人達に便乗したって所か。

 

〈どうする? 処す? 処す?〉

 

 何楽しそうな口調で訊いてくるんだお前は。

 ……もういいや、仮に怒っても堪えなさそうだし。

 それにだ、今はこうして……好きな子の温もりを、感じていたい。

 

「あ、あの……先輩」

 

「ん?」

 

「えっとですね……その、これから私達……(つがい)になったんですよね?」

 

「っ、あ、ああ……」

 

 一瞬だけ、邪な考えが頭に浮かんでしまった。

 

「じ、じゃあ……これからは、先輩じゃなくて、その、あの……だ、旦那様……って、呼んでもいいですか?」

 

「……」

 

 あ、やばい。

 今ので理性が飛びそうになった、上目遣いからの上記の言葉は卑怯だと思いますよ椛さん。

 

〈キモいな、お前〉

 

 うるせえ、なんとでも言え。

 本気で引いているヴァンの言葉に若干傷つきながら、俺は椛の提案に首を縦に振って了承する。

 すると、椛は途端に嬉しそうに頬を綻ばせながら。

 

「旦那様、ふふっ……旦那様、大好きですっ」

 

 それはそれは、とても可愛い笑顔でそんな事を言ってくれました。

 

「……」

 

 俺は、いつか彼女に殺されてしまうかもしれない。

 果たしてこれから俺の理性は保ってくれるのか、それだけが心配で。

 

 でもまあ、幸せならそれでいいかと。

 すっかりお花畑になってしまった頭で、自己完結させてしまったとさ。

 

 

 

 

 

 

 

 ただ、覗き見してた奴等は後で怒らないとな、うん。


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