狼王戦記 ~黒き白狼天狗の軌跡~ 作:カオ宮大好き
第84話 依頼~天人と竜宮の遣い~ ※
「――いただきます」
「いただきます」
里一番の屋敷、稗田家の一室にて俺と椛は用意してもらった朝食を食べ始める。
慧音の家が建て直されるまで、俺達も阿求の厚意に甘えて居候させてもらう事になったが……まさか専用の部屋を用意してもらえるとは思わなかった。
阿求曰く「部屋だけは有り余っていますし、聖哉さん達はお客様ですから」との事だが、申し訳ないな。
「旦那様、今日は何をして過ごしましょうか?」
「え、あー……うん」
「? 旦那様、どうしましたか?」
「いや、その……旦那様っていうのが、まだ慣れなくてな」
気恥ずかしいというか、呼ばれる度に俺と椛の関係を再認識して顔が熱くなるのだ。
一方の椛は、何が楽しいのかしきりに俺を旦那様と呼んでくるものだから、ちょっとだけ自重してほしいわけで。
「駄目ですよ旦那様、慣れてもらわないと」
「わ、判ってるよ……」
「ふふっ、旦那様……現実でも呼べるようになって、嬉しいです」
「……」
慣れろと言われたが、今の椛を見るととても慣れそうにない。
惚れた弱み、ってヤツだろうか……否が応でも意識してしまうのだ。
自覚してからというものの、自分でも驚くくらい椛に対しての感情の揺れ幅が大きくなっている。
……それがなんとも心地良く幸せだと思ってしまう辺り、もう手遅れなんだろうな。
「それで旦那様、今日は如何いたしますか?」
「特に予定は無いよ。そういう椛はどうするんだ? 何かするなら付き合うぞ」
「……」
今の発言は、どうやら迂闊だったらしい。
俺が上記の言葉を口にした瞬間、椛の様子と場の空気が一変したからだ。
そして、俺の背中に正体不明の悪寒が走り、とてつもなく嫌な予感がして。
「――じゃあ旦那様、シましょうか!!」
これ以上ないってくらいの明るい笑顔を浮かべそんな事を言ってきた椛を見て、予感が的中したのを当たり前のように理解した。
「…………何をするつもりでしょうか?」
「何って決まってるじゃないですか、夫婦の……い・と・な・み」
「はいダウト!!」
とても良い笑顔でなんて事を言いだすんだこの子はっ。
しかも俺の反応にきょとんとしているし、何なの?
「椛、判ってると思うがここは稗田家の屋敷で俺達はあくまでこの部屋を貸してもらっている身だ」
「何を言っているんですか旦那様、そんな事は重々承知していますよ?」
「だったら今の発言が如何におかしいか判るよね!?」
「? 何がおかしいんですか?」
「駄目だ話にならねえっ!!」
「旦那様、ここは屋敷の中でもかなりの“離れ”です。つまり阿求さんも“そういった事”に関して気を遣ってくれたという事なんですよ?」
「余計なお世話だよっ!!」
「まあ、私が直談判してこの部屋にしてもらったのですが」
「違った身内の犯行だった!!」
少しずつ、確実に俺を追い詰めていくように、椛がにじり寄ってくる。
この子本気だ……いや、確かに俺達はそういった関係になったけど、間違ってるわけじゃないけど。
「ま、まだ婚礼も行ってないし……」
「旦那様、私……最低でも三人欲しいです」
「お願いだからもう少し人の話を聞いてくれませんかねぇ!?」
ダメだ、このままではやられる……!
さっきの椛の話がたとえ事実だったとしても、人様の家でそういった行いは躊躇われる。
というか、今後どんな顔して阿求達に会えばいいのか判らなくなる。
「……旦那様は、お嫌ですか?」
「そ、そんなわけないだろっ。ただ、こういった事はもっと段階をだな……」
「駄目ですよ旦那様、そんな考え方じゃ少なくとも私は満足しません。大丈夫です、今まで沢山勉強してきましたからっ!!」
「その勉強は活かさなくていいから!!」
致し方ない、可哀想だがここは力づくで黙らせるしか……。
……惜しいとか思っちゃダメだ、別に受け入れていいんじゃねとかも思っちゃダメだ。
〈めちゃくちゃ惜しがってるじゃねえか〉
うるせえ、俺だって男なんだよっ。
好きな娘に迫られて惜しいと思わないわけねえだろうが、そう反論したらヴァンが無言になった。
どんな表情をしているのか判らないが、間違いなく小馬鹿にしているというのが自然と判ってしまうのが腹立つ。
「旦那様……好き……」
「……」
椛さん、今の言葉は反則だと思います。
ああなんと単純な事か、今の椛の発言だけで俺は抵抗の意志を無くしてしまい……。
「――お前達、何をしているんだ?」
「わぁ……もしかしたらと思ったけど、まさか的中するとは」
椛の指が俺の身体に触れそうになった瞬間。
まるで図ったかのようなタイミングで、慧音とイリスが部屋に入ってきた。
そして慧音は驚き、イリスはなんだか聞き捨てならない言葉を放ち、場の空気が凍り付く。
「……イリスさん、慧音さん、ここは空気を読んでもらわないと」
「悪かったわね。用が無いならこのまま見て見ぬふりをするつもりなんだけど、そうはいかないのよ」
「いや、イリス、見て見ぬふりは流石に……」
「いいじゃないのよ慧音、こいつらもう番なのよ? まあ……面白くないけどさ」
た、助かった……と言えばいいのだろうか。
ただ、邪魔された椛の表情があからまさに不機嫌なものになっているのは困る、ちゃんとフォローしないと。
「…………まあ、色々言いたい事はあるがまあいい。
聖哉、お前に客が来ている。西側の門から里の外に行ってくれ」
「客?」
確かに伝えたぞ、そう言って慧音はその場を後にする。
寺子屋に向かったのだろう、それに続くような形で立ち上がり早速その場所へと向かう事にした。
「……」
「椛、気持ちは判るけどチャンスはいくらでもあるんだから機嫌直しなさいよ」
「判ってますけど……結構勇気いるんですよ?」
「…………」
外に出ようとして、立ち止まる。
そして俺は後ろに振り向き、唇を尖らせている椛へと近寄って。
「んんっ……!?」
「なあっ!?」
彼女の唇を、自分の口で封じ込んだ。
所謂口づけというものだ、自分からするのは……想像以上に恥ずかしい。
ただ椛の好意には応えたかった、その為に生じる恥ずかしさなどどうだっていい。
「…………ぷぁ」
「突然すまん。ただ……今はこれで我慢してくれ」
自分の鼓動が煩い。
気恥ずかしさで頭が沸騰しそうだ、イリスの視線も痛い。
「ひ、人を待たせてるようだから行ってくる!!」
その場から逃げるように、というか完全に逃げるつもりで走り出す。
ヘタレですまん椛、けどこれが俺の精一杯だから勘弁してくれ。
それにしても、俺に客って誰だろうな?
わざわざ里の外で待つという事は、おそらく人間ではないとは思うが……。
◆
俺を待っているであろう人物は、すぐに見つかった。
里の外、田畑が広がる中で明らかに目立つ洋服を着た2人の少女と女性。
「――遅い!!」
俺の姿を見るなり、桃を乗せた帽子を被っている少女が凄い剣幕で駆け寄ってきた。
「アンタね、天人であるわたしに呼ばれたら二秒以内に来るのが常識ってものじゃないの!?」
「えぇ……?」
凄まじい無茶振りに、俺は反論を返す事ができず茫然としてしまった。
初対面、だよな? なのにいきなり暴言って……凄いなこの子。
「総領娘様」
「おぐぇぇっ!?」
と、少女の隣に居た長身の女性が動くと同時に、女性が纏っていた羽衣がまるで生き物のように動き、少女を一瞬で拘束する。
かなりの力が込められているのか、何か潰れたような悲鳴を上げつつ地面に転がる少女、そうしている間にもミシミシと骨が軋むような音が少女の身体から発せられていた。
「い、衣玖……ちょ、絞め過、ぎ……おごごごご……!」
「少し静かにしていてください。――犬渡聖哉様、突然の無礼をお詫び致します」
「あ、いや……それよりその子……」
「大丈夫です。バカ娘……総領娘様は無駄に頑丈ですから」
にっこりと微笑み、その笑顔には不釣り合いな物騒過ぎるセリフを放つ女性。
かなりの美人なので絵になるが、女性のすぐ隣で陸に挙げられた魚のように蠢いている少女が気になってそれどころではない。
しかしそんな異様な光景には目もくれず、女性は自己紹介を始めてしまった。
「私は
「うごごご……ほ、骨が……」
「総領娘様、挨拶もできないんですか?」
「こ、こんな状態でできるわけ……いだだだだだっ!!?」
「まったくしょうがないですね総領娘様は……重ね重ね申し訳ありません」
「いや……そんな状態じゃ無理だろ……」
なんだろうこの2人は。
しかし、“竜宮の遣い”に“天人”か……しかも永江衣玖に比那名居天子と言えばある意味では有名人だ。
比那名居天子は前に起こったとある“異変解決ごっこ”の元凶、更には博麗神社を一度倒壊させた事もある通称“不良天人”である。
その騒動は僅か一日で収束したし、その時の事は文の新聞や彼女から聞いた話程度しか知らないが、あの文にして「仲良くはなりたくない」と言わしめた。
なので俺は無意識の内に2人に対し警戒心を抱き、そんな俺に気づいたのか永江さんは苦笑し始める。
「そう警戒しないでください、先程の事は重ね重ね謝罪致します」
「いや、それは別に構わないんだ。ところで俺に一体何の用だ?」
あくまで警戒は緩めず、本題へと移ろうとする。
永江さんも自分達が俺の前に現れた理由を話そうとして……その前に、尚も苦しんでいる天人様の拘束を解いた。
まあ、さっきからずっと痛々しい悲鳴を上げられては話などできるわけがない、というか仮にも天人様に容赦ないなこの人……。
拘束が解かれたとはいえ、ダメージが大きいのか天人様は小さく唸ったまま立ち上がれず、そんな彼女を尻目に永江さんは本題へと入るのだが。
「実はですね――――今から数日間、此方の総領娘様を預かっていただきたいのです」
その内容は、意味不明なものであった。
……ちょっと待て、この天人様を預かってほしい?
つまり、数日の間ではあるがこの子の世話をしろという事か。
話の内容は理解した、しかし意味不明である事には変わりなかった。
「実はもうすぐ龍神様と天人達との間で定例会議が行われるのですが、今回私もその会議に参加しなくてはならなくなりました。その間、総領娘様を見張る者が居なくなりますので……」
「だから自分の代わりに彼女の面倒を見る人を捜している、と。
――それは判ったが、どうして何の接点もない俺を指名したんだ?」
「いえ、その……実はですね、既に総領娘様の知り合いの方々に依頼したのですが……」
「全て断られたわけか……」
俺がそう呟くと、永江さんはなんともいえない表情で頷きを返してきた。
まあ、先程の発言と比那名居天子という天人の特徴を知っている者にとっては、厄介以外の何者でもないのだから断るのは当然か。
天人とは思えぬ我儘で子供っぽく、それでいて流石天人だと思い知らされる力を持つから余計始末に負えない。
「ねえ衣玖、こんなのに頼らなくてもわたしは大丈夫よ」
「駄目です。どうせ私が居ないからといって好き勝手するに決まっていますから。
――博麗神社の一件で総領娘様の立場が悪くなっている事をいい加減自覚してください、あなたが良くてもあなたのお父上はそうもいかないのですよ?」
「…………ちゃんと謝罪したじゃない、それで充分でしょ?」
「謝って済むのならば私はこのような事はしていません」
呆れとほんの少しの怒りを込めて、永江さんは天人様に言う。
さすがにばつが悪いのか、天人様はそれ以上の反論を返さなかった。
〈おい、断れよ?〉
……そうだな、引き受けた所でメリットなんて何もない。
ただただ面倒なだけだ、平穏を望む俺にとってこの願いは迷惑でしかないのだから。
さっさと断って椛の所に戻ろう、そう思ったのだが……。
「どうやら無理そうですね。致し方ありません……総領娘様には私が戻るまで部屋から一歩も出ないようにしてもらいましょう」
「ちょ、ちょっと待ってよ衣玖! いくらなんでも――」
「それだけの事を、あなたはしたのですよ?
自らの暇潰しと戯れの為だけに“緋想の剣”を持ち出し局地的な地震を起こし、地上の民に迷惑を掛けた。それだけではなくこの幻想郷の賢者の一人である八雲紫の怒りを招いた」
「そ、それは……」
「自身の立場に甘え、利用し、背負うべき責務を放棄したあなたに我儘を言う権利などありません」
「……」
俯き、自身の服の裾をぎゅっと掴む天人様。
その姿はあまりに小さく、今にも泣きそうな子供のように映る。
だが自業自得だ、今の永江さんの言葉が本当ならば同情の余地など存在しない。
――ただ、それでも。
「――いいぞ。数日なら預かる」
「えっ……?」
「……えっ?」
俺の言葉に、まったく同じ反応を示す2人。
「但し天人様が周囲に迷惑を掛けようとした場合、力づくで止める場合もある。それを許可してくれるのなら預かるぞ」
「……つまり、仮に止めようとして総領娘様に怪我を負わせたとしても目を瞑れと?」
「もちろん最初は言葉で止めようとするさ。それでも止まらない場合だ」
悪戯小僧を戒めるのとは訳が違う、相手が相手なのだからそういった事態もありえるだろう。
「……そうですね。多少の無茶には目を瞑りましょう、そうなったら総領娘様の自業自得でしょうし」
「決まりだな」
「しかし宜しいのですか? もちろん助かりますが……」
「いいさ。接点が無い俺にまで頼ろうとしているんだから、できる限り力になってやりたいし……」
「?」
「……後はこっちの都合だ。とにかく気にしなくていい」
「判りました。――それでは総領娘様をお願い致します」
深々と頭を下げ、永江さんは飛び去って行ってしまった。
どうやら相当余裕が無かったらしい、こうして俺と天人様だけがこの場に残された。
「……アンタ、相当の御人よしというか……馬鹿ね」
「それはどうも」
「言っておくけど、アンタなんかの言うことを聞くつもりはこれっぽっちも無いからね?」
それじゃあ、そう言ってその場から去ろうとする天人様の肩を掴む。
そして掴んだ手に黒いオーラを展開しながら、ゆっくりと力を込め始めた。
「ちょ、ちょっと……」
「言った筈だぞ、力づくで止める場合もあると。引き受けた以上お前をこのまま行かせるつもりはない」
「……白狼天狗風情が、天人であるわたしを止められると思ってるの?」
「残念だが俺は白狼天狗の中でも異端中の異端でな。――怪我したくないなら、勝手な真似はするな」
「へぇ……」
不敵な笑みを浮かべる天人様、少しずつ……彼女の霊力が顔を出し始める。
その質の高さと量に俺は心底感嘆する、不良などという不名誉な名があるが流石は天人か。
並の妖怪なら指一本で黙らせる事ができるだろう、だが……お世辞にもその練度は高いものではなかった。
一触即発。
とはいえ、俺としてはこんな所で彼女と争うつもりはない。
「俺についてくれば少なくとも退屈はしないぞ? それとも、天人様は地上で面白い所の当てはあるのか?」
「……」
「俺としては最低限の礼儀を欠かなければそれでいいと思ってる、必要以上に拘束するつもりもない。だから、永江さんが戻ってくるまで行動を共にするのは悪い話じゃないと思うぞ?」
なるべく穏便に、けれど肩を掴む手の力は一向に緩めない。
……暫し、睨み合いが続く。
「…………本当に、退屈はしないんでしょうね?」
「さあな。でも適当に幻想郷を彷徨うよりはよっぽど良いと思うぞ?」
「いいわ。アンタの話に乗ってあげる、ただつまらない場所に連れて行ったら承知しないからね?」
「はいはい……」
やれやれ、とりあえずは行動を共にしてくれるようだ。
〈……お前も難儀だな〉
うるさいな、俺の心中を理解したなら黙ってろよ。
さて……では一度里に戻って阿求達に暫く里を離れる事を伝えなければ。
「ところで、一体何処に連れて行くつもりなの?」
「ああ、それはな……」
天人様の問いに、俺は地面を指差しながら。
「――旧地獄跡地だよ」
そう言って、俺の言葉を聞いてぽかんとする天人様に、不敵な笑みを浮かべるのであった。