狼王戦記 ~黒き白狼天狗の軌跡~ 作:カオ宮大好き
第88話 兆し~賢将の依頼~ ※
「――おはようございまーーーーす!!」
里の端にある寺、命蓮寺の門前にて元気な挨拶が木霊する。
手には箒を持ちにこにこと可愛らしく元気溢れる笑顔を俺に向けてくれる小柄な少女、山彦の妖怪“
「おはようございます」
「はい、挨拶を返してくれてありがとうございます!!」
「……」
可愛い、控えめに言って可愛い。
よく見ると頭の犬耳みたいのがぴこぴこ動いているし、本当に幸せそうに笑うその姿はただただ愛らしい。
おもわず抱きかかえて“たかいたかい”をしてやりたくなる衝動に駆られながらも、俺は早朝から寺へとやってきた要件を彼女へと告げた。
「白蓮さんはいらっしゃいますか?」
「はい、ただもうすぐ朝食の時間で……」
「あっ、そうか……」
しまった、その辺りの配慮を忘れていた。
今回の要件が要件なだけに、早く伝えた方がいいという考えが裏目に出てしまったようだ。
仕方ない、時間を改めて出直すか……。
「響子ちゃん、そろそろ朝食の時間ですよ?」
「あ、聖さん」
「おはようございます、白蓮さん」
「おはようございます聖哉さん、命蓮寺へようこそいらっしゃいました」
相も変わらずの優しい笑みを浮かべつつ、早朝から訪れた俺を歓迎してくれる白蓮さん。
「それで、どのような御用件でしょうか?」
「実は白蓮さんに話す事があるのですが、朝食前という事を聞きましたのでまた後で伺います」
「…………響子ちゃん、星達に伝えてくれる? 朝食は後で食べるから先に食べていてくださいと」
「え? あ、はい、わかりました……」
釈然としないながらも頷き、その場から駆け出していく幽谷さん。
「どうぞ」
「あ、ですけど……」
「なにやらとても大切な話のようですから、私の事はお気になさらないでください」
そう言って、白蓮さんは命蓮寺の中へと歩いていく。
……どうやら、気を遣わせてしまったらしい。
申し訳ないと思いつつも、その厚意に甘える事にした俺は彼女の後を追い、客間へと案内される。
「――それで、御用件というのは?」
「…………白蓮さんにとっては、あまりいい話ではないのですが」
「構いません。それを理解しながらも私にしっかりと伝えようとする、そんな聖哉さんの優しさは判っていますから」
「――実は」
そして俺は白蓮さんにゾアから聞いた話――命蓮が魔界から姿を消した事を話した。
予想通り、その話を聞いた白蓮さんは驚きの表情を浮かべたが、それもすぐに消えいつもの様子へと戻った。
「あまり、驚かないんですね」
「驚きましたよ。ですがあの時あの子は私達の前から消えました、生きている限りいずれは……と、思っていましたから」
「……もしも、もしもあの男が」
「聖哉さん、あの子は命蓮ではありません」
「……」
「確かに命蓮の負の感情を元に生まれた存在かもしれません、だとしても……既にあの子は歪みきってしまっている。
――もしも幻想郷に災いを齎すというのなら、その時は私が決着を着けます。それがあの子の……最愛の弟の最期を看取った姉である私の役目ですから」
力強い眼差し、確かな“覚悟”の色を含んだその眼を見て、言葉を失った。
アレは聖命蓮ではない、彼の一部から生まれたとはいえあそこまで変貌したモノはもはや妄執の塊でしかない。
それでも彼女は聖命蓮の姉として、アレを自分の手で討ちその業を背負おうとしている。
それは立派な覚悟、まさしく聖職者の鑑と言えるかもしれない。
だけどその覚悟と業は、彼女が背負うべきものじゃない。
「白蓮さん、もしもあの命蓮と戦う事になったとしても……討つ役目は俺がやりますから」
「えっ……?」
「たとえ歪みに歪んでしまったとしても、姿形も声も聖命蓮のものなのでしょう?
最愛の弟の姿をした存在をこの手で討つなんていう事は、してほしくないですから」
だってそんな事をしたら、きっと白蓮さんの心は傷つく。
たとえ理性が納得し覚悟をしているとしても、この人は優しいからきっと自分で自分を責めてしまう。
それになによりこれは俺のエゴだが……“家族”で命の奪い合いなどしてほしくないと思っているから。
〈ホントにエゴだな、アレはただの怪物だってのによ。僧侶のねーちゃんの弟じゃないんだぜ?〉
(判ってる、だけど白蓮さんはああ言ったけど……きっと心の何処かでは割り切れてない筈だ)
〈その根拠は?〉
(自分を想い慕ってくれるみんなをはっきりと“家族”だと言える人だからだ)
〈……なるほど、そいつは説得力のある根拠だな〉
「だから白蓮さん、ここは俺が…………って、えっ?」
「ふふっ……」
何故か、白蓮さんに苦笑されてしまった。
「ごめんなさい聖哉さん、ただあの子の……命蓮の姿が貴方と被ってしまって」
「……彼の?」
「あの子はすぐ私を心配して、傷つく可能性があると判ると今の貴方みたいに自分が私の代わりに全て背負おうとしてくれたんです。それが懐かしくて、つい笑みが零れてしまいました」
「……」
「ありがとうございます聖哉さん、ですけど貴方が全て背負う事はないんです。
それにそんな事をしていたら……椛さんが悲しみますよ?」
「……その言葉は、卑怯ですよ」
軽く非難するように睨むが、白蓮さんはそんな俺にもにこにこ微笑むばかり。
くそっ、みんな俺の弱点を臆面も無しに使うんだから参ってしまう。
「ですがそのお気持ちは決して無駄にはしません、それだけは約束します」
「……それなら、いいんですけど」
とりあえずは、それで納得するしかない。
それに、俺も今の白蓮さんの言葉は胸に刻んでおかないと。
俺には椛が居る、あの子を悲しませない為にも無茶だけはしないようにしないと……。
「ところで、椛さんとは良い夫婦生活を送られていますか?」
「ぶっ……」
にこにこと人の良い笑顔を浮かべながらも、とんでもない事を聞いてくる白蓮さん。
まさかの質問に間抜けな反応を見せてしまい、隙だらけな俺を白蓮さんは更に追撃してくる。
「きちんと愛を示さなければいけませんよ? それが夫婦生活の秘訣の一つなのですから」
「……ご忠告どうも。でもそういう白蓮さんはどうなんです?」
「私は僧ですから」
「でも白蓮さんって里で人気ありますよね? 慧音といい勝負だと聞きますけど?」
「まあ……ふふっ、少し照れてしまいますね」
赤くなりながらも、少しだけ嬉しそうに笑う白蓮さんに俺は「そういう所ですよ」とツッコミを入れた。
前に喜助から聞いたのだが、実際に彼女には非公式のファンクラブとやらがあるらしい、それを知ったらどんな顔をするのか。
「それで、どうなんです?」
「……白蓮さんって結構俗っぽい所があるんですね」
「ご友人には幸せになってもらいたいですから」
「物は言いようですね」
菩薩みたいな笑みを見せてくるくせに、油断ならないなこの人。
友人の意外と俗っぽい面を見れたのは嬉しいが、椛との事を赤裸々に語るつもりはない。
尚も食いついてくる白蓮さんを軽くいなしつつ、部屋を出ようと襖を開く。
「――大切な話をしていると聞いたが、随分楽しそうだな聖」
「ナズーリン……」
「久しいね聖哉、元気そうで何よりだ」
幼げな見た目とは裏腹な大人びた笑みを向け、ナズーリンは俺を歓迎してくれた。
このまま彼女と談笑をするのもよかったが、また白蓮さんに食いつかれるのは御免だ。
なので今回はこのまま帰ろうとして……それを阻むかのように、ナズーリンに服の裾を掴まれてしまった。
「? ナズーリン、どうした?」
「いや、ちょうどいいと思ってね。
聖哉、これから何か急用は入っているかい?」
「別に無いが、それがどうかしたのか?」
「実は少々面倒事に出くわしてしまってね、だから今日はその件で聖と話そうと思ったんだが、代わりに君に協力してもらいたいと思ったのさ。
聖は住職として忙しいし、正直頼み事をするのは躊躇いがあったんだ。しかし君ならばその心配もないと思ってね」
「……要するに、俺は白蓮さんと違って暇だから頼みやすいって事か?」
「その通りだ。察しが良くて助かるよ」
よくもまあいけしゃあしゃあと言うものである、ふてぶてしいとはこの事か。
しかも微塵も申し訳なさそうにしない辺り、呆れたり怒るよりも感心してしまう。
「ナズーリン、失礼ではありませんか」
「ああ、すまない。決して聖哉を貶したわけじゃないんだ、ただ君はお人好しで他者の頼みをそうそう断らないからついね」
「……褒め言葉と受け取っておくよ」
皮肉を返すが、当然ながら俺程度の皮肉などナズーリンには通用しない。
この辺は年の功というか、経験が違うと思い知らされる。
「そう拗ねないでくれ、言い過ぎた」
「別にいいさ。それで頼みっていうのはなんだ?」
「……引き受けてくれるのかい?」
「無縁塚に居るナズーリンがわざわざ命蓮寺に来て白蓮さんに相談する程なんだ、困ってるんだろ? 友人として、できる限り助けになりたいと思うのは当然じゃないか」
「…………君のそういう面を見ると、色々と心配になってくるよ」
割と本気で心配されてしまった、解せぬ。
それはともかく、彼女の頼みを聞くために再び客間へと戻る。
「時間が惜しい、本題に入ろう。
――実は数日前から、無縁塚の様子がおかしいんだ」
「おかしい?」
「あそこは外の世界との境界が薄いせいもあって色々なものが流れつくのは知っているね?
裏を返せば宝が眠る場所でもある、だから私は部下のネズミ達と共にそこで暮らしているんだが……数日前から、部下達の一部が戻ってきていないんだ」
「……宝探しに熱中しているわけではなくて?」
「あそこは幻想郷の中でも危険区域だ、部下達には深追いせずに何かあれば逃げるように言い聞かせている。
私を含め部下のネズミ達はたしかに力は弱いが臆病者であり危険感知能力も高い、だからこそたとえ格上相手でも逃げ切る事ができるんだ。現に今まで犠牲になった部下は一匹たりとも居なかった」
だというのに、帰還命令を与えても戻ってきていない。
……それが何を意味するのか、聡明な彼女ならとっくに理解しているだろう。
だが同時に、それだけ優秀な部下が何故戻ってこれなかったのかという疑問も生まれた。
「それに無縁塚そのものの空気も前とは違っている気がするんだ、私の気のせいかもしれないが……」
「ナズーリンの頼みっているのは、無縁塚の調査と帰ってこない部下を見つけるって内容でいいのか?」
「ああ。――もう“残って”いないかもしれないが、一部でも見つけられたのならきちんと弔いをしてやりたい。大切な部下なのだからね」
「判った。ならすぐに行こう」
「助かるよ。聖、悪いが御主人様にはこの件は秘密にしておいてくれ。余計な心配を掛けたくないんでね」
「……わかりました。ですがナズーリン、あまり聖哉さんの負担になるような事は」
「大丈夫ですよ白蓮さん、俺はちっとも負担だと思っていないんですから」
ナズーリンは俺の大切な友人の一人だ、そんな彼女の助けになる事にどうして負担になると思うのか。
そう告げると……何故か白蓮さんは俺に向かってため息を吐き、ナズーリンには苦笑されてしまった。
「聖も大概だが、君はそれ以上だよ」
「……それに関しては、同意せざるをえませんね」
おかしいな、なんだか馬鹿にされているような気がするぞ?
釈然としないまま、俺はナズーリンと共に命蓮寺を後にする。
……そういえば、無縁塚に行くのは初めてだな。
幻想郷でも屈指の危険区域、結界に綻びがあるせいで様々なモノが流れつく異界のような場所。
警戒するに越したことはないな、油断せずに行こう。
「ところで、愛しい妻に話さなくていいのかい?」
「話したらきっとついてくるからな、椛の実力を軽んじてるわけじゃないが余計な心配は掛けたくない。お前が星に言わないのと一緒だ」
それに、成果があろうとなかろうと陽が沈む前には一度戻るつもりなのだ。
今夜は椛が料理を作ってくれるというし、一緒に飲む約束もしている。
その楽しみは、俺にとって何よりも優先すべき事だ。
「……お熱い事だ、これは君達の子供を見るのも近いかな?」
「…………置いてくぞ」
くそっ、横でニヤニヤするナズーリンが腹立たしい。
椛との子供って……まだ早いっての。
ナズーリンから顔を逸らしつつ、里を出て無縁塚を目指す。
――油断していたつもりは、微塵もなかった。
だけど、この選択は間違いだったと。
俺もナズーリンも、この時は気付きもせずその結果。
――あってはならぬモノを、目覚めさせてしまう事になる。