副課長と瑞鳳
快晴と迄は行かないが、十分に晴れ渡る空。その下に視線を移せば、仄かに上下する穏やかな水平線が視界に入り、その水平線向こうからは心地の良い微風が手を伸ばし、我々の居る"軍港"を吹き抜けていった。
微風に揺られ立ったさざ波が、コンクリートの桟橋をちゃぷちゃぷと叩き、音を立てる。風の流れが一瞬変わり、背にした整備ドックや倉庫から鉄や油の匂いが運ばれてきて、我々の鼻腔をくすぐった。
今日の海は穏やかなもんだ。それに随分と港の雰囲気もいい。この鎮守府(ここ)は悪くなさそうだ。と軍服をきっちりと身に纏った彼は、咥えた煙草の紫煙を深く吐き出しながらそう思った。
「ケホケホ、やめて下さいってタバコは。体に毒って何回言えばいいんですか?」
小さな咳と抗議の声を受けた彼はくるりと後ろへ向き直った。
彼の後ろには2人の人物が立っていた。一人は緊張しガチゴチに固まった憲兵姿の青年と、もう一人は和服、と呼ぶには多少語弊のある服に身を包んだ少女だった。
彼は声からも、経験から抗議してきたのは和装の少女だと分かっていた。少女が頬を膨らませ不満げな顔をしている時点で言わずもがなであるが。
彼は悪びれずに表情を緩めると、のんびりとした声で返事を返した。
「んー。でも、これが唯一の休息だからねぇ。嫌ならついてこなくてもいいんだよ?」
「いや、監査ですし。ついて行かなきゃ何するかわからないんですから。これでも監察課副課長の監察艦ですから!」
少女は胸に手を当てて誇らしげにそう言った。まだ随分と子供らしいその動作に、その笑顔。
大分元気になったんだな、と彼は少女の様子を微笑ましく思った。
「はいはい。」
「適当にあしらわないで下さい!」
「ごめんごめん」
「むぅ。」
粗雑に見える彼の態度を責める少女だったが、彼に謝られて、可愛らしく押し黙る。
周囲がピンク色にでも染まってしまいそうな、まるで恋人のイチャつきでも見せられているような、そんな光景が彼らの周りに広がっていた。
一言で形容するならーーー
ーーーとても仲睦まじい....。と彼らの姿を後ろから黙って見ていた憲兵姿の青年は思った。
同時に、これが噂に聞く泣く子も黙る海軍監査局監察課なのか?と困惑もしていた。
これでは緊張してガチゴチに固まっていた自分が馬鹿らしい。恐ろしい人たちではないじゃないか。と拍子抜けする気持ちと、
いや本性を出してないだけでやはり恐ろしい人たちなのかもしれない。あの"監察課"なのだから、と警戒し続ける気持ちが混ざって、なんとも居心地悪く思えた。
「んじゃ、詰所に戻りますか。」
「やっとお仕事再開ですね」
そんな憲兵の青年の心情など露知らず、夫婦漫才を終えた彼らはすたすたと港の内部へと足を向けた。
この2人、海軍監査局監察課副課長畑中智樹大尉とその秘書艦瑞鳳である。
その証明として2人の左腕には“監察課”と書かれた腕章を身にまとっていた。
監査局監察課とは艦娘人権法が制定されたのと同時に発足した課である。
艦娘人権法とは深海棲艦が発生してから半年後、突如として現れた艦娘の扱いを決めるものである。当初、艦娘に対しての扱いは国会でも討論となり艦娘に対する人権を認める法律を作成された。
それが艦娘基本法である。
しかし、艦娘の人数が増えていくにつれて超長時間連続任務遂行、人身売買などを行う違法鎮守府、通称ブラック鎮守府が発生し始める。人類の存亡がかかっている時にそんなことを想定していなかった艦娘基本法では取り締まることが出来なかった。そのためこれを取り締まるために艦娘人権法であり、その法を駆使してブラック鎮守府を取り締まるのが海軍監査局監察課である。
監査局の局長は海軍大臣が兼務しているため誰にも縛られず独立した捜査権がある。各鎮守府の憲兵からの報告書などを監査しているが、不定期に直接監査として監察課から担当官が来ることもある。
2人は出会う艦娘一人一人と挨拶をしながら憲兵詰所に戻った。詰所の中に入るとそこには資材管理、出撃回数、遠征回数、演習回数などが記載されている山済みの書類が二つほどあった。
やっと作業が再開されたと思った憲兵だったが
「疲れた〜休憩にしよう。憲兵くん、そんな所にずっと立ってなくてもいいよ。でも、コーヒー入れてくれるかな?」
瑞鳳は時計を見て智樹に向かってお小言を言う。
「また休憩ですか?まだ1時間も経ってませんよ?さっきだってタバコが吸いたいから港に行こうって言ったじゃないですか。でも、コーヒーがあるならコーヒーにあういいお菓子買ってきたんですけど食べますか、憲兵さん?」
瑞鳳も小言を言いつつもその提案に乗ってきた。
そこを智樹がつつく。
「ノリノリじゃないの」
「うっ」
痛いところを突かれたかのように瑞鳳が呻き声を挙げる。
(これって監査なのか?)
憲兵は詰所の端っこで直立不動になりながら戸惑っていた。
これは只の恋人同士のいちゃつきである。
「クーン 憲兵クーン、聞こえてるかい?」
少しぼーっとしていたようだ。智樹の声が聞こえなかったようだった。
憲兵は慌てて返答する。
「はっ!すいません。今すぐ取り掛かります!」
回れ右をして動き出そうとした時に智紀が声を発した。憲兵は叱責の声が飛んでくるのかと怯えた。
しかし…
「あ、ついでにもう一個椅子用意しとくよ。」
「は?なんででしょう?」
拍子抜けしてしまって思わず聞き返してしまった。
智樹はなんでそんな質問をするのか疑問に思いつつ答える。
「何でって、君も休むからだよ。3人分でコーヒーよろしく」
「は、はぁ。わかりました。」
憲兵は給湯室でコーヒーを淹れながら考えていた。コーヒー豆を挽く音が詰所の中に響く。
(憲兵の訓練の座学の時に聞いた話と全く違う……)
憲兵が教育隊の時の教官は、
「監察課はエリート揃いである。そして、少しのミスでもそれを指摘してくる厄介者だ。我々の本業を奪った挙句、上にもなった奴らだ。血も涙もない奴らだ。」
と、聞いていたのだが。
「なにこれうま!憲兵くんもほら!食べな食べな!美味しいよこれ!」
「なんで副課長が勧めてるんですか。私が買って来たんですよ?でお味はどうですか?憲兵さん!」
憲兵がコーヒーと自分が座る椅子をを持ってきて座ると2人が親戚の子供にお菓子を与えるかのように勧めてきた。
憲兵はその2人を見て呟いた。
「普通のええ人やん」(ボソッ)
憲兵は自分の出身地の言葉が出ているのに気づいてなかった。そして考えを改めて、あの
(憲兵君は関西の人なんだ。)
(憲兵さんは関西の方なんですね。)
2人は心の中で出身地の言葉が聞こえて呟いていた。
それから少し雑談があったところで、ふと智樹がコーヒーを飲んでから憲兵に話しかけた。
「てか、憲兵くんの入れるコーヒー美味しいねぇ!なんかガリガリって音も聞こえたし、専用の機械とか豆とかこだわってんの?」
「えぇ、実家が喫茶店だったので入れ方は叩き込まれました。豆は実家から送ってきてもらってます。」
憲兵は自分の淹れたコーヒーが褒められて少し嬉しかった。親には一回も褒められたことだかなかったからだ。
「良いなぁ。僕らもそういうのにするように課長に言ってみようかな?」
智樹が提案するが瑞鳳は口をへの字にしながら考えて答える。
「いやー課長は飲めたらなんでもいい派ですし、ダメじゃないですかね?」
その回答が不満だったようで椅子にもたれながら瑞鳳に楯突く。
「そんな事言うなよ瑞鳳!」
そんなことは関係ないとばかりに瑞鳳は智樹の前に書類の山を降ろして仕事を急かす。
「そんなことより仕事してください!まだいっぱい残ってるんですから!」
「うひぃー」
これがエリートなのか?
憲兵はやはり疑った。
その時、書類の隙間から智樹の声がした。
「でも、ここの鎮守府は助かるよ。」
「は?」
「いや、ここの報告書は簡潔まとめであるから読みやすく監査もしやすいし、艦娘達も僕らを見ても怯えない。そして、心からみんなが笑ってる。君もいい所に配属されたね。」
「……!」
憲兵は驚いていた。
この鎮守府に入ってから艦娘は数人しか見ていない。そして何より、書類しか見ていない。
つまり、1回も建物内の監査はしていないのである。
「何故そんなことがお分かりになるのですか?」
憲兵が驚きを隠せずに聞いた。またもや書類の隙間から智樹の答えが聞こえてきた。
「ん?僕トイレに行ったでしょ?」
「はい。」
「その時にちょっとね。」
憲兵は声が大きくなってその答えに驚いて聞き返してしまった。
「たった1分でお分かりになるのですか!?」
「分かるよー。いいとこと悪いとこぐらいは。でも、見分け方は言わないよ。」
聞くつもりは無かったが疑問に思い聞いてみる。
「何故ですか?」
「そこだけ良くして偽装する人が時々居るからね。」
憲兵が嘆息していると
憲兵詰所の扉を叩く音が聞こえた。
「どーぞー」
「いや、副課長が言っちゃダメでしょ!」
「あ、そだった。いつもの癖で」
智紀が返答をして瑞鳳が怒る。智樹が言い訳をしていると、
「どーもー!」
ここの提督がやってきた。
「やーやー、やっとるかねぇ?」
ここの提督はほかの鎮守府とは違い女の提督である。まだ男社会が根強く残っている海軍では珍しいことである。
立ち上がって智樹が受け答えをする。
「ええ、お陰様で他のとことは違って早く終わりそうですよ。」
提督は座りなさいと手を上下させる。
「そりゃ良かった!まとめた甲斐があったねぇ、憲兵君!」
「えっ!見てらしたんですか!」
憲兵は自分に話が回ってくるとは思ってもなかったようで鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔をしていた。それと自分の仕事を見られていたということでも驚きつつ返答した。
提督はそれを知ってかはわからないが続ける。
「当たり前だよ。あんなに夜遅くまで電気がついてたら誰でも気づくわよ!」
「ありがとうございます//」
「この憲兵君は真面目でみんなのストレスセラピーもしてるんだよ!」
どこまで見てるんだ、と嬉しいを通り越して怖くなった憲兵が少し顔を引きつらせていたがここで智樹の言葉がその考えを遮る。
「そりゃすごい!瑞鳳、この子の勤務評価上げといて。」
「わっかりました!」
「そんないいですよ!」
「いやいや、真面目にやってる子の評価を上げるのは普通だよ。」
憲兵は思わぬところで評価が上がった。そして、大学で心理学を学んどいてよかったと心の底から思っていた。
憲兵の評価が上がったところで提督が話し始める。
「で、副課長は明日に帰るんでしょ?どうせここで止まるんだしここの食堂で夕食でもどう?」
「そうですね、お誘いを受けましょうか。それでいいね、瑞鳳?」
「はい!大丈夫です!」
智樹は瑞鳳に確認を取ってから提督に返答しようとする。瑞鳳も笑顔でその誘いを受けるように首を縦に振る。
その返答に満足した提督は満面の笑みで詰所のドアに向かう。
「んじゃ、また夜にねー!」
「はーい。」
満面の笑みのまま手を振りつつドアを閉める。
その音を合図に智樹が気合を入れ直す。
「よし、仕事を片付けますか!」
「はいっ!」
瑞鳳も返事をして仕事を再開する。
コンピューターのキーボードを叩く音や報告書の紙を捲る音、智樹が唸る声、判子を押す音がする中、憲兵は仕事をする二人の背中を見て思った。
(監察課ってこわいひとじゃないんだ。)
出会って最初から思っていたことである。
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