この大地に黄金の星が輝くとき   作:そよ風ミキサー

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5.運命の矢を放つ者の名はイシュタル

 ギルガメッシュが数々の冒険を得てひと段落した頃のウルクの宮殿内は、いつも通りの慌ただしさに見舞われていた。

 悪い意味での忙しさでは無い。国の発展に伴い王が処理する案件が増大していった結果である。

 

 現在ギルガメッシュは玉座に座りながら兵士や神官たちから報告が来ている案件の対処に勤しんでいた。

 

 やれ昨今氾濫の頻度が目に余る大河の洪水対策工事で送り出した作業班の進捗状況。

 

 やれ神々が要求を言いだしたのでそれについての対応。

 

 はたまた最近巫女所で羊の毛刈りが流行りだしたようで、いっその事新たな事業として起ち上げてみたらどうだというものまで、多種多様な案件がギルガメッシュの元へと舞い込み、その次の瞬間には解決案や答えを即座に言い放っては別の案件に着手していた。

 

 その処理速度たるや常人のそれを遥かに上回り、並の人間がギルガメッシュと同じように仕事をすれば、瞬く間に処理しきれず混乱に陥って大混乱を招く事は確実だ。

 王兄が補佐に入ったり王の代理を務めたりと特殊な統治形式だが、基本的にはギルガメッシュが神を除いて頂点に位置する独裁政権の社会を構築している。

 そしてその頂点たる王がなまじ優秀すぎるが故に……自ずとこのような政務形式を作り上げてしまうのである。

 

 更に、それに輪をかけて常軌を逸している執務風景を作り出している人物がギルガメッシュの周りにいた。

 王の補佐を務めている王兄ギビルその人である。

 

 

 

 

 しかも12人いた。

 

 

 

 正しくギビルは今、この場に12人存在しているのだ。

 玉座の前で臣下達へ統計や必要事項を刻み込んだ粘土板を渡しながら指示を出したり、その案件についての報告や相談などを受けている。

 

 

 

 

 間違っても神々が与えたもうた人体に新たな神秘が発現したわけでは無い。

 勿論これにはしっかりとした理由がある。

 これもまた小宇宙(ディアンキ)の為せる技であった。

 

 元々は、国が豊かになった結果ギビルの補佐があってもギルガメッシュへの仕事の量が圧迫しはじめてきたのでそれを解消するために編み出した代物である。

 燃焼させた小宇宙で実体を構築し、知能や人格を転写させて擬似的な魂を拵える事で、9割近くの再現を可能としたギビルの複製体を生み出す事が可能となったのだ。

 

 ギビルの9割近くの再現なら問題ない、投入せよと弟ことギルガメッシュ王からの承諾を賜り、ここ最近はずっとこの状態を維持したまま政務に取り組んでいた。

 

 

 尚、後世では当時のウルクの王宮誌が書かれていた粘土板が発見され、その中で「忙し過ぎて兄が12人に増えた」という意味合いにしか解釈の出来ない文が見つかり、当時のギルガメッシュは多忙のあまり精神疾患を患っていたのではないか? という説が出ていた。

 後に英霊として現代社会のとある戦いで召喚される事になったギルガメッシュ本人はこれを知るや「甚だ心外である!」と憤慨していたとか、いなかったとか。

 

 

 

 

 

「木材の調達が間に合わなくなってきたか」

 

 昔から木材はウルクで使われていたのだが、人口の増加と国土の拡大に伴い消費量が増え続け、需要と供給の均衡が崩れ始めてきたのだ。

 ギルガメッシュは粘土板に記された木材を要する工事の内容と状況を確認しながら玉座で頬杖を突きながら鼻を鳴らした。

 

 更に面積を広げなければならない。そうなると、ウルクの立地的にどうしても避けられない場所があるのだ。

 

「……例の杉の森まで伐採の範囲を広げるしか無いのかもしれませんね」

 

 公の場という事もあってそれに合わせた態度でギルガメッシュに話しかけるギビル。

 

 ギルガメッシュは杉の森、という言葉にピクリと眉を動かした。

 不快になったわけではない。まさしく自分の考えている事と一致したのだ。

 

 ギビルは千里眼によってあらゆる事象を観測し、ギルガメッシュに必要な最適解を導き出す事が出来る。

 そして、それら一連の流れを瞬時に処理出来る頭脳を持つが故に、ギルガメッシュの補佐にも代理にもなれるのだ。

 

「そうなれば、あそこにいる番人をどうにかせねばならんな」

 

 苦み走った表情で口にする番人なるもの。

 ギビル達が目を付けている杉の森は、今まで伐採していた森を遥かに上回る広大な面積を持ち、そこに群生している杉の木はどれも極めて上質だ。それが手に入れば良質な木材となる。

 しかし、そこに住む者が人の侵入を許さない。

 

 名をフワワ。

 天地が産声を上げたその時より続く生と死の穢れそのもの。天界の神々ですら手の付けられない恐るべき怪物だ。

 

 人間での討伐は不可能だ。神をも震えさせる力の前では人間の力は全くの無力。

 そうなると相手取れるのは現状でギルガメッシュとその朋友エルキドゥ、そしてギビルの3人だけである。

 

「討伐の際は私もお供しましょう」

 

「無用だ」

 

 ギビルの提案をギルガメッシュは切って捨て、続けざまにギビルへ命じた。

 

「ギビルよ、そなたには我がフワワの討伐から戻るまでこの玉座と、そしてウルクを任せる。此度の相手は原初の穢れ、奴の余波がウルクに来ないとも限らん。我が戻ってくるまで護っていろ」

 

 ギビルを見るギルガメッシュの眼差しは、何処までも君主のものだった。そこに兄弟の情は一切ない。

 

 混ざり合う視線はほんの一瞬。ギビルは頭を垂れた。

 

「承知致しました。それでは、守りを固めて吉報をお待ちしております」

 

「無論だ。これを機にウルクの倉庫から木材が溢れる様を拝ませてくれるわ」

 

「……不用意な乱伐は控えたほうがよろしいかと存じますが?」

 

「分かっとるわ! 言ってみただけだ!」

 

 声を荒げながら、すっくと玉座からギルガメッシュが立ち上がった。

 

「エルキドゥに会ってくる。フワワは奴と二人で討ち取る」

 

 ギルガメッシュはそのまま玉座の間から出て行ってしまった。

 行き先は分かっている。自然を好むエルキドゥの為に設えた庭園が宮殿の一角にある。エルキドゥはいつもそこで過ごしているので、そこへ向かっているのだ。

 

「……大丈夫でしょうか。ギルガメッシュ王の力は確かにお強いですが、相手はあの神々が恐れる杉の森の番人です、エルキドゥ様も同行されるとはいっても、やはり心配です」

 

 ギルガメッシュがいなくなった玉座の間でぽつりと不安げに零したのは、10代後半の若い娘。最近高齢で引退した前任からの推挙で祭祀長になりギルガメッシュの秘書を務める事になったシドゥリだ。臣下の中では若輩者ではあるが、その聡明さと勤勉さが目に留まり、若くして祭祀長に上り詰めた才女である。

 補佐という点ではギビルの存在がいるが、ギビルは秘書というよりはギルガメッシュでも処理しきれない量の仕事を肩代わりする方面での補佐をしており、シドゥリは事務全般を請け負っている。

 ギビルは同じ職場の部署(?)の者という事でシドゥリの仕事ぶりを見ているが、良くやっており、優秀だと思う。何よりギルガメッシュに対して必要な事であれば諫言(かんげん)を呈する事も出来る所に好感が持てた。

 

「ギルガメッシュ王は本当に無理な事は口になさらない御方だ。そうであるからこそ私の同行をお断りなさったのだ」

 

 憂いを秘めた眼差しで俯くシドゥリに、ギビルは言う。

 

 シドゥリもギビルの力の一端程度は伝聞で知ってはいる。

 幼少の頃からあまりの強さにウルク内の兵士達が束になってもかなわず、今では外政・内政での仕事を主として、時には王の代理も王直々に任される程に全幅の信頼を得ているこの王兄だが、たまに二人して何処かで鍛錬をしているのか、身軽な衣装をボロボロにしながら浴室へ向かって行っている光景を見かけた事があるのだ。何故か傷らしい傷が無いと言う状態なのだが。

 市井では武勇において並ぶ者はなしと謳われているギルガメッシュ王があのような状態になるのだ。王兄自身の実力もかなりの物ではないかとシドゥリでも推察する事が出来た。

 

「ギビル様は、ギルガメッシュ王の事をご信頼なさっておいでなのですね」

 

「自惚れに聞こえるかもしれないが、王の実力は私が一番分かっている。此度の討伐は熾烈なものになるだろうが、王は勝って戻ってくる。それに――」

 

 閉じられた瞼はそのままに、神によって造形された美しい顔に笑みを浮かべた。

 

「――私の自慢の弟でもあられるからな。……くれぐれもこの事は他言しないように。耳に入りでもしたら機嫌を損ねかねないからな」

 

 付け加える様に、何処か慌てている様な態度で述べるギビル。それにつられてか、シドゥリもおかしそうに笑い返した。

 

 

 

 

 

 

 数日後、ギルガメッシュはエルキドゥと二人で杉の森へフワワの討伐に向かった。フワワの居場所はエルキドゥが案内を買って出てくれている。

 

 事前にエルキドゥが打ち明けてくれた。フワワは昔エルキドゥが野人として野をかけていた頃に良くしてくれていた知り合い同士だと言う。

 

 そんな相手を打ち倒さなければならなくなるが、君はそれで良いのか? とギビルはエルキドゥに訊ねると、彼は構わない、と答えた。 

 エルキドゥはもう野生の中で暮らしていた野人では無く、シャムハトによって人の体と知恵を持つ者となった。自然を守護し、文明に仇なす特性を持つフワワの本能が今のエルキドゥを許しはしない。

 なので彼女はもう僕の敵になった。ギルガメッシュやウルクの人々に必要な事なら、僕は躊躇わず戦えると話したエルキドゥに迷いは無かった。

 

 エルキドゥの情報で判明したフワワの住む場所は広大な杉の森の中でもウルクからすると最奥地に位置している。なのでギルガメッシュは以前手に入れた小型の飛行艇で途中まで向かう事にした。あれの速さはかなりのものなので徒歩で向かうよりは遥かに時間が短縮できるだろう。

 

 

 万全の状態で二人を送り出した翌日、ギビルはフワワからの悪影響に備えつつ、宮殿内で政務の代理を行っていた時、宮殿に神の気配が近付いてきたのに気が付いた。

 良く知る気配だ。それもそうだ、何せ相手はこのウルクの都市神なのだから。

 

 ギビルは席を立ち、臣下達を退避させると宮殿から外部につながる通路を出て、テラス状になっている場所へ向かうと、それは空から降り立ってきた。

 

 

 黄金の意匠が誂えられた巨大な濃紺色の三日月状の物体を隣り合わせた形状の造形物――天舟マアンナに腰かけたまま降りてきたのは、このウルクの都市神である美と豊穣、そして戦いを司る女神イシュタルであった。

 美を司る女神に違わずその豊満にして艶やかな容姿は男を魅了してやまず、豪奢な衣装で最低限に隠された姿は娼婦の様に扇情的(せんじょうてき)で、己の美しい肢体を誇らしげに晒すかのようであった。

 

「女神イシュタル、わざわざおこしになられるとは、此度はどのような御用向きでしょうか?」

 

 ギビルは跪き、頭を下げて此方へ降臨した要件を訊ねる。

 

 天舟マアンナを宮殿の床から少し浮かせ、イシュタルは豊かな金髪を風にたなびかせながら神性を表す赤い瞳がギビルを見下ろしている。

 その視線は男の体を舐め回すように(みだ)りがましく熱を持ち、同時に相手を推し量ろうとする知的な冷たさが混ざり合っていた。

 

 今日のイシュタルの機嫌は良い。ギルガメッシュがいない事に若干不満を感じているが、ギビルが姿を現した事で多少の溜飲が下がっている。

 イシュタルが口を開いた。

 

「ギルガメッシュがフワワを退治しに行くと耳にしたのよ。だからウルクが誇る勇者の出立に私自ら激励の一つでもかけてやろうと思ったのだけど……何よ、あいつもう出かけたの?」

 

 イシュタルはつまらなさそうに宮殿の奥を覗くが、対象の人物が不在だという事に気付いてすぐに視線をギビルへと戻した。

 

「はい、先日御出立なされました。ですが王は勝利と共にウルクへお戻りになられます。もうしばらくお待ちください」

 

「そうね、あの泥人形と一緒に帰って来るでしょうね」

 

 イシュタルの纏う空気が瞬時に冷たくなった。静かに怒りを堪えているが、感情の臨界までそう長くは無い。

 

 天の女主人とも称されるこの女神は、残酷であり、慈悲深くもあり、あらゆる矛盾を内包したある意味人間の感情をより増大化させた様な性格の持ち主だ。

 特に激しやすく、気に食わない相手がいた場合は激怒しながら権能で罰するのだが、その余波が周囲に多大な被害を与えると言う人間からすれば天災の権化扱いされる事もままある。正直、傍迷惑な神格なのだ。戦いを司るだけあってその力は強力で、気に入らないという理由で自然の豊かな山を一つ根こそぎ破壊した過去があると言えば多少の想像はつくだろう。

 幸いにもギビルは千里眼によってイシュタルの降臨する時期や女神の機嫌の状態が事前に観測できるため、専ら現れた時の対応はギルガメッシュが不在の場合、ギビルが率先して行うようにしては波風を立てないようにしてやり過ごしていた。

 

 イシュタルは、最近成長してますます美しさに磨きのかかったギルガメッシュに並々ならぬ興味を持っていた。夫に迎えたいとすら考えている。

 明敏で、強く、寛容さと冷酷さを兼ね合わせ、善政を敷きつつも人間らしい我欲もしっかりとある。そして美しい。それら諸々の要素が積み上がり、イシュタルが頭の中で描いた理想の男子像に見事当てはまったのだ。

 

 イシュタルには既にドゥムジという夫がいるのだが、ギルガメッシュに目を付けた今のイシュタルにはその様な理屈は通じない。既に夫との関係も冷めきっていた。

 更にイシュタルは現在も120人以上の男と関係を持ち続けているが、すぐに飽きては男達を無残に打ち捨てているのが真実だ。そしてまた新たな恋人を見つけては増やしている。

 恋多き女と言葉で表せば微笑ましいが、その実態は気性の荒い神らしい残虐さと傲慢さに任せたものにすぎなかった。

 

 

 当のギルガメッシュはと言うと、普段接する際の恭しさとは裏腹に、内心では女神との接触には辟易としていた。曰く、致命的な理由もあるがそれを抜きにしても先の男癖の悪さや女神の性格だとかが好きになれないといつかギビルに愚痴をこぼしていた。

 意図せずに天の御女主人の心のど真ん中を射止めたギルガメッシュはイシュタルの好意を既に知っているのだが、相手に対してそういう認識でいるため苦虫を数匹かみつぶした顔をしていたのだった。

 背丈に違いはあれど容姿の似たギビルはと言うと、彼の振る舞いが禁欲的に見えるのと、ギルガメッシュの様に公に力を見せつけた事が無い為評価は低いものの、ギビル自身もまた賢く優れた美貌の持ち主故にイシュタルは気に入ってはいる。

 

 イシュタルが今機嫌を悪くし始めた理由はギルガメッシュがイシュタルへ何も言わずにフワワ討伐に出かけたのではない。

 原因はただ一つ。彼が無二の友と呼び、よく行動を共にしている神々が作りし泥の人形、エルキドゥだ。

 聖娼シャムハトの姿を模しているエルキドゥの姿も大変美しいが、明確な性別は存在しない。姿かたちを自在に変えられる肉体の性質上、どちらにでもなれるのだ。

 そんなエルキドゥはギルガメッシュと仲良く――というには過剰な接触が多く見受けられ、それがイシュタルには面白くなかったのだ。

 

 ギビルはこの状態のイシュタルに対して敢えて言葉をかける事をしなかった。

 何かを口にしようものなら、今のイシュタルの感情が怒りに向かって一気に振り切る。仮に「エルキドゥはギルガメッシュの恋人にはなれませんよ」等と知ったような事を言えば逆効果で大爆発は免れない。

 識っているからと言って、それを口にした所で物事が上手くいくとは限らないのは既に観測済みである。今はただ、静観に徹するしかない。嵐を孕んだ暗雲が過ぎ去るのを待つように。

 

「ギビル、顔を上げなさい」

 

 イシュタルが声をかけてきた。

 先程よりも機嫌が幾分か和らいでいる。

 

 ギビルは言われた通り顔を上げ、閉じていた瞼を開いた。

 

 イシュタルがマアンナから降りて、ギビルの元まで歩み寄ってくる。

 そしてギビルの顔に両手を添え、額を突き合わせる程に近づけて、ギビルの眼に直接問いかけるように話しかけてきた。

 

「ねえギビル、どうすればギルガメッシュは私に振り向いてくれるのかしら? 一番身近で見てきた貴方から見て、何が必要だと思うのかしら?」

 

 言葉を紡ぐたびに、女神の吐息がギビルの顔をくすぐり、色香が漂う。

 

「恐れながら女神イシュタル、如何に王兄に据えられた私とて王の全てを知り得ているわけではございません」

 

 

 ギビルの言葉にイシュタルは何も返してこない。合わせた眼は「貴方はその次に何を言ってくれるのかしら?」と言わんばかりの圧力を放ち続けていた。

 だが、ギビルはその圧力の裏にある女神の焦りに気付いていた。

 

「ですので私なりの意見を申し上げますと、まずは誠実である事を心がけた方がよろしいかと」

 

「……まるで今までの私が不誠実だとでも言いたげね?」

 

「御冗談を。ギルガメッシュ王は筋を通される御方、そして貴女様――」

 

「もういい」

 

 イシュタルが途中でギビルの言葉を切って捨て、顔を話して見下ろしてくる。

 その顔には、何処か失望の色が見えた。もっと的確な助言がくるものと期待していたのに、それが裏切られたのが気に食わないのだ。

 

「やっぱりまどろっこしいやり方は性に合わないわ。私のやり方でギルガメッシュを手に入れる」

 

 言うや否や、先程までのギビルへの態度から一変して何も言葉をかけず、その場に何もいないかのように振る舞いながらエアンナに乗り空へと飛んで行ってしまった。

 

 

 

 女神の退出を見送ったギビルは再び眼を閉じて溜息をついた。

 

「相変わらず忙しない女神だ。余程焦っていると見える」

 

 

 だが女神イシュタルよ、貴女の願いは叶わない。ギビルは胸の内で女神に対して冷酷な真実を告げる。

 

 イシュタル自身の性格と言うのもあるが、それよりも重大な事実があった。

 

 女神との婚姻は、神々の陣営につく事を意味する。ギビルとギルガメッシュの父であるルガルバンダも人間であるが、女神ニンスンを妻とした時から神の陣営に所属していた。だからギビルやギルガメッシュ達が生み出された理由も知っているし、それを理解しながら神々の手伝いをしていたのだ。

 

 だが人類の裁定者になると、人を見守ると決意したギルガメッシュが神の陣営に行く事を選びはしない。例えギルガメッシュと相性のいい女神がいたとしても、求婚されたところで首を横に振る。

 どちらにせよ、イシュタルの恋は既に破綻していたのだ。それを言って引き下がる程あの女神は殊勝ではないし、もし可能性が万に一つあるとするのなら、イシュタルが神を辞めて人間になる位はしなければならないが、あのイシュタルにそこまでの気概は無い。

 

 しかし、これはイシュタルの恋愛事情だけに留まるものではない。神に対する明確な敵対宣言と言っても相違ないだろう。

 ギルガメッシュは王だ。王は次の世代に続く後継者を、子を残さなければならない。そうなればいずれ妻を娶らなければならなくなる。その相手は、人間である事が重要なのだ。

 

 近い内に、ギビル達の選んだ選択肢に対する結果が神々から――女神イシュタルを介してやって来るであろう。未曽有の大災害と言う形で以て。

 

 ギビルの千里眼は、既にその未来を見通していた。

 “ギビルが存在しなかった場合”の世界では、それが原因でエルキドゥは命を落し、ギルガメッシュは衝撃を受けて人間として大きな成長を遂げる事になる。

 だが、それは“向こう側”での話だ。既にギルガメッシュの性根が“彼方”と“此方”は違うし、ギビルがエルキドゥの死を見過ごすつもりは無かった。

 逆に、その要因となった事象を切っ掛けとしてある行為に及ぶつもりでいた。

 

 

 幼少の頃より抱いていた疑念は既に確信へと至り、その為の準備も出来ている。後は時が来るのを待つばかり、ギビルに迷いは無かった。

 

 

 

 そして、ギビルが視ていたものが現実となる。

 

 

 

 数日後、ギルガメッシュ達は勝利の報告を携えてウルクへと凱旋した。

 

 帰って来た二人の様子は体裁を整えているものの、どこか精彩を欠いていてフワワとの死闘の残滓が漂っているかのように疲労感が傍から見て取れた。

 

 ウルクの民達は喝采で持って自分達の王を手厚く迎えた。

 神々すら手が付けられなかったあの怪物を打ち倒したギルガメッシュ王はまさに古今無双の御方。

 今回の討伐で杉の森への進出が可能になった。これでウルクはより発展する事が出来る。

 ウルクの未来は安泰だ。民達の表情は明るく、今回の討伐の成功で更に活気づけられていった。

 

 

 帰還を果たした翌日、ギルガメッシュはイシュタルに呼ばれてウルク内の一角にある女神の聖域に建てられた神殿エアンナへと向かった

 やって来たギルガメッシュを迎えたイシュタルは、此度のフワワ討伐について労いの言葉をかけ、見事討ち取ったその功績に称賛を送った。

 

 ここまでは良かった。

 問題はそこから起きた。

 

 イシュタルはギルガメッシュに婚姻を迫ったのだ。

 今までも軽く誘う事はよくあった。しかし今度のイシュタルの熱と力の入れようは凄まじかった。

 

 今までの神々への奉仕が霞む程の贈り物が用意された。

 

 我が夫となった暁には父アヌに頼んで神々の席に並べられるようにしてみせようとまで言い出してきた。

 

 イシュタルなりに可能な限りの好意を示して見せたのだろう。今までの恋人や夫にこの様な事は一度たりともした事が無かった。

 

 

 だが、ギルガメッシュはその求婚を断った。

 理由は先の通り、自分は神と添い遂げるつもりは無い、人の王として生きるとはっきりイシュタルに告げたのだ。

 

 断られたイシュタルは一瞬、ギルガメッシュが何を言っているのか理解が出来なかった。

 イシュタルの中の筋書きでは、これでギルガメッシュは頷き自分のものとなる筈だったのだ。

 

 ああそうか、この男は、私の物にならないのか。

 

 イシュタルの思考はあらゆる道理や都合を蹴り飛ばしてそう解釈し、呆然とした表情から瞬時に怒りへと変じた。もとより激しやすい性格、それに加えて自身が焦がれていた相手からの拒絶がイシュタルから一時的に理性を消した。

 用意していた贈品を吹き飛ばし、神殿内の構造物を怒りで生じた権能で以て破壊し、穏やかだったウルクの天候を嵐に変え、絶叫を上げながらイシュタルは天へと帰った。

 残ったのは半壊した神殿エアンナと嵐に見舞われたウルクであった。

 

 

 

 

 

 

「相変わらず、女神イシュタルは抑制と言う言葉をお持ちでは無い様だな」

 

 イシュタルの怒りによって生じた嵐が一時的に治まり、半壊した神殿エアンナから救出した神官や巫女たちの治療に目途が立った所で、ギビルは宮殿から改めて見たウルクの状況にそう呟いた。

 一部の家屋が破壊され、神殿内の人間以外の民にも被害が生じている。幸いにも民達は強く、神々の気まぐれによる異常気象に耐性が出来てしまっているので大きな混乱は無かった。またぞろイシュタルが癇癪を起したのだろうとすら思っているのが皆の顔から読み取れる。

 

「何を今更、こうなる事が視えていたくせによく言う。どちらにせよ、あの女神が求婚を俺に持ち掛けて来るのは遅かれ早かれ確定していた事だ」

 

 憎まれ口を横から挟むのは、女神の寵愛を蹴り飛ばした当のギルガメッシュ本人である。エルキドゥと共に、ギビルと一緒に宮殿の一角で並び立っていた。

 

「嫌な役目をさせた……と思っていたが、その様子だと余計な心配だったな」

 

「ああ、あの女神めの怒り心頭の顔は見ものだったぞ。ウルクが多少荒らされたが、民に死者が出てないのであれば問題は無い。あの無様っぷりを拝見させてもらったおかげで溜飲も多少は下がった」

 

「全くだよ。これに懲りたらもう少し大人しくなって欲しいけど……あの女神じゃ無理か」

 

 目の前であれほど権能まで駆使して怒り狂ったイシュタルを前にしておきながら、ギルガメッシュはそれを鼻で笑い、そのプライドを踏みつけられて憤慨する様に清々していた。

 エルキドゥもギルガメッシュにため息交じりで同意している。ギルガメッシュやギビルから常々自分がイシュタルから嫉妬の対象にされていることを知り、最近ちくちくと天や宮殿から刺さってくる嫌な視線もあってうんざり気味だったのだ。

 

 エルキドゥの言葉に、ギビルとギルガメッシュがピタリと動きを止めた。

 はて、何か不味い事でも口にしただろうかとエルキドゥが二人をこわごわと見ていると、ギルガメッシュがギビルに訊ねだした。

 

 

 

「いつ動く?」

 

「ギルガメッシュの視た未来と変わらん、明々後日だな。方々もアレを地に解き放つ事がそれだけ不味いと分かっているのだろうよ。もっとも、推奨している神もいるがね」

 

 閉じた瞼で虚空を見据えながらギビルは天界で起きる流れと、其処からもたらされる地上への影響を観測して答えると、ギルガメッシュは忌々しげに舌打ちをした。

 

「ふん、我儘一杯に甘やかしたツケか。あの阿婆擦れも神どもも度し難い」

 

「ちょっと二人とも、一体何の話をしているの?」

 

 二人の飛躍した会話についていけなかったエルキドゥが会話に割り込んだ。

 

「何、天から近い内暴れ牛どもが降ってくるのでな、その話をしていた」

 

「天、牛? ……天の牡牛(グガランナ)達の事!?」

 

 さらりと返してきたギルガメッシュの言葉に、エルキドゥは一瞬目が点になり、驚愕する。

 

 神々の住む天界には、フワワと同等かそれ以上の力を持つという恐るべき神獣がいると噂で聞いた事がある。

 その名も天の牡牛、またの名をグガランナ。天をも貫く巨体を持ち、天変地異の力を操る“二頭”の双子の獣だ。故に天の双牛と呼ぶ事もある。

 

 他の世界線では一頭だけだった筈なのだが、この世界線では彼の聖牛が二頭となっている。

 原因は既に把握している。ギビルと言う存在を危惧した神々が対抗策として増やしたのだ。

 しかし元々一頭だけでもその暴れ狂う様に神々は恐々としていたのが二頭に増えた事で、御しきれる自信が無く飼い殺し状態になっていた所をイシュタルが面白半分に飼育を率先していたのが現状である。

 その所為で天の牡牛達はイシュタルの実質上の手駒であり、神々はとんでもない相手にとんでもないものを与えてしまった結果を作り上げてしまったのだ。

 

 それが、今回の求婚騒動の腹いせにイシュタルが投入してくるのだ。

 これはもう確定している。ギビルと、そして以前から肉体の鍛錬と共に鍛えていたギルガメッシュの千里眼がその未来を視ているのだ。

 

 ギビルとギルガメッシュは、神々に悟られないように来たる災害への対策を施していった。

 

 

 

 

 

 

 

「何よ……何よ何よ何よ……何だっていうのよッ!!」

 

 神々の住まう天界は今、一柱の女神の怒りにさらされ混乱に見舞われていた。

 周りにいた神々は、彼女の荒れっぷりが凄まじく、理由を訊ねようにも余波を被りかねなかったため逃げる様にその場から離れてイシュタルの様子を伺う事しか出来なかった。

 イシュタルの父でもある神々の王アヌも今のイシュタルには言葉が通じず、無理に抑え込もうとすれば此方の被害が甚大なものになると分かっているので静観する事しか出来ていない。

 

 

 自分の美貌には自信があった。

 

 贈呈品まで用意して男に求婚するなどイシュタルも初めてだった。

 

 此処まで男相手に気を遣ったのは初めてだと言うのに。

 

 だと言うのに、何故、あの男は私の求めを跳ね除けた? 

 

 神と結ばれる気はない? 人間の王として生きて行く? そんな“どうでもいい”言葉に意味は無い。ギルガメッシュは、アレは、私の愛を振り払った。それだけが絶対の、許されざるべき真実だ。

 

 女神として……否、女として、これ以上の屈辱などあるものか。

 

 激しい激昂はイシュタルの美貌を悍ましく歪め上げ、激しい感情のうねりで金色に染まる瞳からは涙すら滲ませていた。

 

「あんな人間達の方が良いって言うの!? あんなちっぽけで、私達が管理してやらなきゃすぐに死ぬような奴らが……ふざけんじゃないわよッ!!」

 

 本来の冷静なイシュタルであれば間違ってもこの様な事は口にしなかった。自身を崇拝する者達には慈悲深く、思いやる心を持っていた。

 しかし、己の恋心を無碍にして見せたギルガメッシュに対する激しい憎しみが、あの男が意識している人間達に対してかつてない敵愾心を芽生えさせてしまった。

 

「許さない……! 嫌いよ! 私を拒んだ男(ギルガメッシュ)も! 役立たずのあいつ(ギビル)も! あの忌々しい木偶人形(エルキドゥ)も! 人間も! 私の物にならない奴なんて、皆いなくなってしまえばいいのよ!」

 

 

 

 未来の人間はこう言うだろう。

 可愛さ余って憎さ百倍、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、と。

 

 

 荒れ狂う権能の嵐に襲われて何柱かの神々が吹き飛び負傷し、混乱の極みに達したかと思われたその瞬間、突然怒りのままにまき散らしていたイシュタルの権能が鎮まった。

 

 

 ようやくイシュタルの頭が冷えたのか?

 いいやそうではない。広範囲にまき散らされた怒気が圧縮され、次に来るより大きな嵐の前にぽっかり空いた台風の目のようなものに過ぎない。

 

 俯き、垂れた金髪で隠された口からぶつぶつと何事かを呪詛の様に声を漏らしている。

 

 

 

 

「ねえお父様」

 

 突然静まり返った娘から声をかけられ、アヌ神は顔を強張らせる。

 

 その時発したイシュタルの声は、あらゆる感情が消えた様な、無色透明そのものであった。

 それがいっそ悍ましさすら見え隠れするほどに。

 

 ぬらりと顔を上げたイシュタルの顔には一切の情が抜け落ちていた。

 抜けていた、と言うのは違うか。あれは、破壊衝動渦巻く本来の顔を一時的に誤魔化すために、更に上から仮面を被せているのだ。

 

 

「お願いがあるのだけれど」

 

 これは願いでは無い、断ろうものならば目に映るものすべてを破壊しつくすと言外に告げている命令であった。

 

 イシュタルの虚ろな眼差しは父の方を見ている様で、その実何も見ていなかった。




◆超要約

ギルガメッシュ「貴様の愛は侵略行為である」

イシュタル「ギーッ!」


主人公がフワワ討伐に参加してませんので、本作の外側で行われた事という形で端折ります。

イシュタルの登場ですが、本作では良くも悪くも、感情の振れ幅の大きすぎるワガママなお嬢様みたいなキャラになりました。
あの女神の事を調べてみますと、必ずしも極悪って訳でもなさそうなのがまたややこしいと言いますか、なんと言いますか。特に型月世界ですと。
とにかく、神の御心は凡人のおつむでは推し量れないのだと痛感した次第でございます。

型月のギルガメッシュの性格からして、案外そりが合わなさすぎてそこから色々と拗らせて大爆発したんじゃないのかなぁっていう可能性が作者の脳裏を過ぎっとります。

本作ではギルガメッシュの性格が変わって割と淡白に断ったけれども結局イシュタルのプライドを傷つけた為、牛さん出撃と相成りました。

グガランナ二頭とか、原作だったらウルクが滅んでるかギルガメッシュが死んでるんじゃなかろうか。

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