帰りのバスの中、アンジェは自らの過去に思いを馳せる。
スリの女の子になった王女様のお話に……。
完結済み。
もしも私が違う人生を歩めていたのなら。
それがどんな物語かなんて、私には分からない。
それでも想像してみよう、笑っている私を……。
「クロエ、本当にありがとう! 私たち、いつか絶対あなたに恩返しするから!」
アルビオン王国領、スタンフォードヒル。
ここはこの激動の時代にあっても孤児を引き取り育てる、慈愛に溢れた数少ない孤児院のひとつ。アンジェは、数刻前に孤児のジュリとその"家族たち"へある協力報酬としてこの孤児院への紹介状を用意した。
のだが、ジュリとその家族たちは機関車の乗り方はおろかバスの乗り方も知らず、本来は紹介状を渡すだけで終わるはずだったアンジェの証拠隠滅はこうしてスタンフォードヒルの孤児院まで続いていたのだった。
「気にしないで。これはあなたの仕事の結果だもの」
そう言ってアンジェは踵を返す。まだ日は高い。夕暮れ前には、クイーンズ・メイフェア校に帰ることができるだろう。
「今度会ったときは、クロトカゲ星の王女さまがどうなったのかを聞かせてね!」
紹介状を渡し、その場を去ろうとしたアンジェを呼び止めたときのように、ジュリはアンジェの背中に声をかける。次も会えるように約束を交わす彼女の口調からは子供らしい強かさを感じられる。
その一言に、アンジェは歩みを止めた。背中を向けたアンジェの表情を読むことはできず、彼女の姿勢のいい体躯が見えるだけだ。数舜の後、アンジェはゆっくりと振り返る。普段の機械のようなポーカーフェイスをジュリへ向けた。
「ええ、それじゃ」
それだけ返した。ジュリとその家族たちは笑顔でこちらに手を振っている。無事に証拠隠滅が済んだことを見届けるとアンジェは歩みを再開した。
「王女様になったスリの女の子は、血のにじむような努力をして見事にその役目を果たすのでした」
黒蜥蜴星人は、誰にも聞こえぬ声で呟く。
「ですが、スリになった王女様は……」
そのポーカーフェイスは、微塵も崩すことなく。
ジュリたちと別れたアンジェは、最寄りの駅へ向かうためバス亭でバスを待つ。ロンドンはアルビオン王国の首都だけあって交通量が多く、バスも効率的な人員輸送を行うために二階建てのものが多い。今到着したこのバスも例に漏れず、二階建ての赤いバスだ。
アンジェは切符を受け取り二階の奥の席へ座る。どうやらたまたま空いているようで、客はそれほど多くなかった。車内を見渡すと数席前に自分と同じくらいの年頃の少女の二人組が見える。友達同士だろうか、楽しそうにお喋りをしているようだ。今日は日曜日だから、二人で買い物に出かけるのかもしれない。
……ああ。
もしも私が違う人生を歩めていたのなら——、
『今度会ったときは、クロトカゲ星の王女様がどうなったのかを聞かせてね!』
先程のジュリの言葉が脳裏をよぎる。
「……」
アンジェは静かに目を瞑る。
もしも私が違う人生を歩めていたのなら。
それがどんな物語かなんて、私には分からない。
それでも想像してみよう。
「If days were not the same(もしも私が違う人生を歩めていたのなら)――」
即興の歌だ。歌詞もリズムも思い付きのもの。それをアンジェは口ずさみ始めた。バスが蒸気を噴き出して発進する。同時に、アンジェの思考は記憶の海へと沈んでいった。
「I don’t know what I’d do(それがどんな物語かなんて、私には分からない)——」
深く深く、あらゆる海峡よりもずっと深く。
「Imagine me laughing and now(それでも想像してみよう、笑っている私を)——」
黒蜥蜴星の王女様のお話の、始まり始まり……。
※ ※ ※
遠い遠い、新大陸よりもずっと遠い、黒蜥蜴星のお話。
革命のまさに真っ只中。破壊の痕跡の著しい、王城の隅の一角の、さらにその地下に王女様の姿がありました。
「あふぁ……ぐっ……うぅ」
城に撃ち込まれた砲弾が壁を崩し、石畳をも壊した結果、彼女は唯一無二の友人であるスリの女の子と離ればなれになってしまったのです。
「……こ、ここは……」
王女様は周りを見渡します。まず、自分が落ちてきた穴を見ました。暗いのでうまく遠近感が掴めませんが、光りが見えるため、自分があそこから落ちてきたのだということが分かります。
次に自分の周囲です。たくさんの石があります。風の流れる音がします。どうやら自分は、城の地下の大きめの空間に落ちてしまったようです。真下に空間があったということは、かつて井戸が汲み上げていた地下水があった空間かもしれません。どうやら自分は、奇跡的に大した怪我もなかったようです。少し背中が痛みますが、動けないほどではありませんでした。
「そうだ……アンジェッ! アンジェー!」
しかし王女様は、この地面が崩れてから既に1時間が経っていて、スリの女の子がとっくにその場を離れてしまっていたことなど知る由もありません。哀れな王女様は声が枯れるまで、光に向かってその名を叫び続けました。
「アンジェッ……あっ……!」
その時王女様は気づきました。アンジェが私を助けずにこの場から去るとは考えられない、とすると彼女は、メイドや兵士に見つかり『シャーロットとして』匿われたのか、あるいは王城に侵入した革命軍に連れ去られ——。
「そ、そんな……!」
革命軍に残酷な手段で処刑されてしまった、両親の姿が蘇ります。そう、革命軍はアルビオン王国のあまりにひどすぎる格差社会に怒りを覚え、これほどまでの暴挙に出ているのです。つまり、革命軍の目的は王族の処刑……。それは王女である『シャーロット』も例外ではないでしょう。この目でそのひどさを見てきたからこそ、王女様には分かりました。そしてだからこそ、自分が女王となって、その壁を無くさなければならないと決意したばかりだったのです。
それを決意させてくれたアンジェが、自分の代わりに処刑されてしまうなんてことはあってはなりません。王女様は決意に満ちた瞳で、その場を離れることを決めました。しかし、ここから元居た場所に上がることは不可能でしょう。とすると、風の流れに沿ってうまく脱出するしかありません。
「アンジェ、無事でいて!」
今度は果たして無事なのか、王女様には予想がつきません。
ただ焦り、唯一無二の友人のために意思と決意と行動と希望と絶望と過去と未来となにもかもがぐちゃぐちゃに混ざり合った地獄のような現実に、少しだけ目を逸らして。
そんな王女様を、誰が責められるでしょうか。
かつて地下水が流れていたのであろう狭い路をなんとか抜け、土から這い上がった王女様は絶望しました。
遠めに見える王城は、両親が殺されるときに見えたときよりも遥かに大きな火の手が上がっています。それはまるで国民の怒りそのもののように、天を破壊せんと言わんばかりに、ごうごうと燃え上がっていました。
王城へ続く橋は猛り狂う大人たちでいっぱいです。かつて王国軍のパレードが行われたときの、果たして何倍の人数がそこにいるのでしょうか。王女様には分かりません。
砲弾や銃弾も休みなく降り注いでいて、王城のなにもかもを壊していきます。たった今砲弾が監視塔に当たり、中にいた兵士たちが落ちるのが見えました。
「……」
自分が生まれてからずっとずっと生きていた家であるお城が、今まさになくなろうとしています。
「うぅ……」
街のほうに目を向けてみれば、家族と離れ離れになったのか泣きわめく子供、混乱に乗じて略奪を働こうとして車に轢かれる男、必死の形相で住民に銃で抗戦する兵士たち、がついに逃げ場をなくし集団に囲まれ姿が見えなくなりました。
住民たちがそこに手に持ったものを振り下ろし、振り下ろし、振り下ろし、止まりません。
「あ、あああっ……」
どうしてこんなことになっているのでしょうか。
王女様はそれを少し前に理解したばかりでした。
王女様は、その小さな身には余る責任感と、煉獄の現世の光景に、ただ涙をこぼすだけです。
「うああああああああああああっ……」
ただ、涙をこぼすだけです。
王女様は目を覚ましました。
そう、王女様はこの激動の一日の精神的、肉体的疲労、そして泣き疲れで眠ってしまっていたのでした。
無理もありません。両親が殺されるのをその目で見て、唯一の友人と生き別れ、家である王城は焼かれ、そんな理不尽が一日の内に七歳の女の子の身に降りかかり、疲れて寝てしまうのは無理もないでしょう。
幸い、王女様が寝ていたのは、地元の人でも気づかないような穴の近くの草むらだったので、暴徒と化した人たちには見つからずに済んだようです。
今はどうやら朝のようです。アンジェと別れてしまったのが夕刻頃でしたから、おそらくここで一夜を明かしてしまったのでしょう。
そうだ、王城は……。
王女様はばっと王城の方を向きました。その瞬間、驚愕に眼が見開かれます。
王城は、『すっかりなくなってしまっていました』。外壁はかろうじて残されているものの、城そのものは完全になくなってしまっています。かすかに見えるあの瓦礫の山が、かつて王城だったものなのでしょうか。空を見上げると、空中戦艦が数機浮かんでいるのが見えます。あの戦艦からの砲撃で王城が破壊されたのかもしれません。
「………………」
王女様はもう、言葉を発することができないでいました。
家はなくなってしまいました。もう帰る場所はないのです。
アンジェが無事かもわかりません。それを確かめにあの場所に行きたくとも、近づくことはできないでしょう。
アンジェと交わした、女王になるという王女様の約束は——。
「私は……女王に……ぅっ……あ……アンジェ……」
果たして、守ることができるのでしょうか。
そしてここからが、王女様にとっての本当の地獄の始まりだったのです……。
王女様は、とてもおなかが空いていたことに気づきました。
晩御飯を食べないでそのまま眠ってしまっていたからでしょう。自分がなにもせずとも、食べたいときに食べることができた王女様にとって、それは耐え難い苦痛でした。
「なにか……食べ物を……」
草むらから這い上がった王女様は、慎重に様子を伺いながら街の中へ入ります。
街は昨夜の興奮とは違った興奮で包まれているように思えました。道ですれ違う人たちは口々に「俺たちの勝利だ」「共和国万歳」と声をかけあっています。おそらく、王城を破壊したことで王権を打倒した、ということでしょう。幼いシャーロットでも、なんとなく分かりました。要は自分たち王族が臣民に見放され、その資格を失ったということだと。王族として、自分の情けなさに、思わず目が潤んでしまいます。
歩いているうちに、売店に辿り着いたようです。王女様は今まで買い物をしたことはありませんでしたが、1年ほど前にお父さんと一緒に街に出たときに、お父さんが売店でキャンディを買って、プレゼントしてくれたのを覚えています。
そう……売店でものを『買う』という行為には、お金が必要だということも、分かっていました。しかし着の身着のままで出てきた王女様に、お金はありませんでした。アンジェの服のあらゆるポケットの中も見てみましたが、入れ替わって街に出る前に、中身はなくさないようにあらかじめアンジェに預けたままだったので、当然なにもありません。
王女様は意を決すると、売店に近づきました。この売店では焼いたおいもに味付けをした、簡素な料理を振舞っているようです。1個いくらという看板も見えます。近づくと、その芳醇な香りは王女様の空腹をさらに促しました。おいもはなぜか滅多に食べることはありませんでした(王女様は知りませんでしたが、おいも料理はアルビオン王国に浸透しきっておらず、上流階級の者が食べることはほとんどありませんでした)が、匂いでおいしいものであるということはわかります。
お客がいなくなったタイミングで、王女様はおいもを焼いていた店主に声をかけました。
「あ、あのっ……!」
「ん? 随分小さいお嬢ちゃんだな。いくつ欲しいんだ? 今なら王権打倒のお祝いで安くしとこう」
「いえ……その……わ、わたし、お金がなくて……で、でででも、おなかが……空いてて……」
王女様の声を聞くにつれ、店主の顔が険しくなっていきます。正直、ここまで口にするだけでも相当な勇気を振り絞っていたのに、明らかに歓迎ムードではないその表情に王女様はすっかり萎縮してしまいますが、それでもなんとか、言葉は続けました。
「ひとつだけっ……ください……!」
「はぁ……帰んな」
ため息とともに、それだけ言って、店主は目線を王女様からおいもに移しました。これ以上言うことはない、とその目が語っています。しかし、王女様はあきらめませんでした。
「お、お願いします! ひとつだけっ……ひとつだけでいいんです……」
「……いいか、お嬢ちゃん」
店主はおいもを焼く手を止め、王女様に語り掛けるように話し始めました。
「お嬢ちゃんはひとつだけ、と言うがな。このたったひとつのいもを焼くために、俺がどれだけ手間と時間をかけてるのか、お嬢ちゃんには分かるのか?」
「……ぁ……」
「どうやら革命に巻き込まれて家を失い、初めて物乞いをした、って体だから教えてやるがな。店を持ってるやつに物乞いはしない方がいい。俺を含め、商売人ってやつは、なんの苦労もせずに物を貰おうとする、お前みたいなのがとびきり嫌いなんだよ」
「…………」
「分かったら失せな」
王女様はもう、言い返すことができませんでした。ひとつだけだから、たったひとつだけだからくれてもいいじゃないかと、そう考えることが既に、相手を蔑ろにしていることになるのです。そのことに王女様は気づけませんでした。ただ、自分の浅ましさを反省するだけです。
そしてこれもまた、人々の間に存在する『壁』なのでした。店主のこの対応は、とても慣れたものでした。つまり自分以外にも多くの物乞いがここを訪れたということです。物乞いがいることそれ自体が、格差社会を象徴しています。
「はい……ぐすっ……すいませんでしたっ」
王女様は店主に背を向け、走り始めます。
人々の間に無数に存在する『壁』を壊したいと。
シャーロットは決意を深めるばかりでした。
街のメインストリートから外れに外れた、建物と建物の間の狭い狭い通り道。そこに王女様の姿はありました。ぐったりと壁に背中を預け、座り込んでしまっています。
おいもを貰うことができなかった王女様は、それからすっかり意気消沈してしまいました。ご飯を食べるために奮い起こした勇気も、今はすっかりしぼんでいます。
太陽は少し傾き始めたようです。本来なら食べられているはずのご飯を、王女様は三回抜いていることになります。空腹感はかなり強烈なものになってきていました。
「おなか……へったなあ……」
お腹が減ったといえば食事が出てきた生活が、どれだけ恵まれていたか。思えば、初めてアンジェと出会ったとき、彼女は王女様が出した食事をたらふくお腹に詰め込んでいました。あの時はどうしてそんなに食べるのだろうと思っていましたが……。
「アンジェって、こんなに、……おなかがへって、たんだね……」
今なら分かります。おそらくアンジェは、今の自分と同じくらい、あるいはそれ以上にお腹が減っていたのです。そしてそれが当たり前だったのでしょう。そんな生活を続けていたはずの彼女はいつも元気でした。そんなアンジェの強さを、今こそ真の意味で尊敬します。
「……あ」
その時、思い出しました。昨日、アンジェと入れ替わって街に初めて出た日、自分のことをアンジェと呼んだおじさんがいました。『仕事はどうした』『今日は飯抜きだ』そう言って自分を壁に叩きつけた、とても乱暴なおじさんでしたが、今思えばあの人は、アンジェのお父さんだったのかもしれません。
その人にもしまた会えれば、娘である『アンジェ』に最低限の食事くらいは——。
「いや、だめだ……」
もしお父さんと出会ってしまえば、自分がアンジェでないことはすぐに分かるでしょう。いかに瓜二つといっても普段見えないところまで同じとは限りませんし、なにより、記憶の共有はできないからです。あのおじさんがお父さんなのかどうかすら分からない状態では自分がアンジェだと偽ることはできないでしょう。
そしてアンジェではないと分かれば、アンジェがどうしたのかを自分に問い詰めるはずです。もちろん、王城で離れ離れになったなんて言うつもりはありませんが……あの乱暴な様子を見る限り、暴力に訴えかけてくる可能性も高いです。それは避けたいことでした。
「……」
ふと、顔を上げ周囲を見回すと、目につくものがありました。それは普段なら、たとえ視界に入ったとしても気にも留めず無視するもの。
「……ふぅぅぅ、はっ、……はっ……」
それを自覚してしまった瞬間、王女様の動悸が高まります。それを意識してしまう、自分の異常さを自覚したのも、動悸を打ち鳴らすのに一役買っていたかもしれません。
それは、ごみの山でした。どこかの家の人が捨てたのでしょうか、残飯らしきものが無造作に壁際に打ち捨てられています。茶色くて、黒くて、どろどろとしていて、けど、もしかしたら、
「食べられるかも、しれない……」
王女様の空腹は限界でした。普段空腹に悩まされることなんてなかったからこそ、それは耐え難いものでした。たとえ目の前にあるものが『食べ物ではないモノ』であっても、食べられるのではと思ってしまうほどに。
王女様は立ち上がり、その『モノ』に吸い寄せられるように近づいていきます。激しい息遣いで、しかし、目線は決して外さないまま。それはまるで、飢えた野犬のように。
「っはぁ……、っは、っは……ぅぷっ」
近づくと、その臭いはつんと鼻を突きました。うまく働いていない頭が、それでも危険信号を送ってくるのが分かります。しかし、本能には逆らえません。
王女様はモノの前に膝をつくと、ゆっくりと、ソレを両手ですくいました。そしてソレを、震える両手で、今、口の中に——。
「っぷぅふっぐうッ、うええええええええええええっ……」
運ぶこと叶わず、胃にはなにも入っていないのに、吐きました。
昨日からなにも食べていないため、吐き出すものはすぐになくなり、酸っぱい胃液が喉を焼きます。
もう、王女様は、ぼろぼろでした。ずたずたでした。
ああ、どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。
誰も自分のことに気付かない。
誰も自分に求めない。
それこそが、王女様の望んでいたことだったのに。
「うええええええええっ……えほッごほッ、えおおおおおおっ……」
王女様は知らなかったのです。それがこんなにもつらく、くるしいことだなんて。
それは果たして罪なのでしょうか。
これは受けるべき咎なのでしょうか……。
翌日、朝。
吐いて、吐き続け、疲れ、寝て、起きてぼーっとしていた王女様の目は、まるで死んだ魚のようになってしまっていました。一昨日、友人に女王になると力強く語った少女と同じ人間とは、とても思えませんでした。
今まで寵愛を受けて育ってきた王女様にとって、この世界は苦しすぎました。それは人に飼われて育ってきた犬が突然外に放り出されるに等しく、彼女は飢えながらも、飢えを満たすにはどうすればいいかを知らないため、動くことができないでいたのです。
王女様は、もう完全に、動く気力をなくしていました。これで丸二日食べていない王女様は、指一本ですら動かそうとしません。硬い地面の上で寝たせいか、身体のあちこちががきごきと痛みを訴えます。
空腹や身体の痛みももちろんですが、親を二人とも目の前で亡くし、家も目の前で、しかも一日の内に同時に失った精神的ショックは計り知れません。今までなんとか保っていた精神力が、昨日でプツリと途絶えてしまったようでした。
その時、誰かが歩いてくる音が聞こえました。ここはとても狭い道なので、小さい王女様が寝ていても邪魔になります。しかし、王女様は起き上がれませんでした。もう本当に、いっぱいいっぱいだったのです。生きているだけで、やっとだったのです。
「ちっ、邪魔なクソガキが。——シッ!」
「——」
男は、小さい王女様をひょいと跨げばいいのに、そうはせず、一息に王女様を蹴り飛ばしました。
横向きに寝ていた王女様のお腹に、男の鋭い蹴りが当たります。当たって、王女様はどっ、と地面を一度跳ねてから、ごろごろ転がって、ゆっくりとなって、止まりました。
「死ぬなら迷惑のかからねえように死ねよ、ったく……」
男はさらに悪態をついて、路地を進んで曲がっていきました。
「ご、が……あぁ……」
お腹が猛烈に熱くなります。身体の全神経がその痛みの処理に回り、思考すら不可能になります。目はチカチカとして、まともに機能しません。本当に痛いときは、声も出ないんだと、王女様は思いました。王女様は、お腹を抱えて震えます。その小さな体が受け止めるにはあまりに大きすぎる力。呼吸すら難しくなり、何度もえづき、震えました。
「おとう、さっ、ん……おか、あ、さ……」
同日、昼。
王女様は、もう自分が生きているのか死んでいるのか、わからなくなっていました。
お腹は空きすぎたのか、朝に蹴られた時からジンジンと続く痛み以外はなにも感じません。身体の端々の感覚もありませんでした。頭も、まるで思考を放棄したかのように働きません。
遠くで聞こえる人々の楽しそうな話し声が、まるで別の世界の出来事のようでした。
これまでの日々が、不意に思い起こされます。
その時出てくる思い出は、アンジェと一緒のものばかりでした。
「ぁん……じぇ……」
入れ替わりで使用人を困らせ遊んだ思い出。連弾をした思い出。お互いに知っていることを教えあった思い出。
そのどれもが、まばゆく輝いて見えました。そんな日々を過ごしていたということが信じられないくらいに、その思い出たちは輝いていました。
そして最後に思い出すのは、アンジェと別れる前の最後のやり取り。
『アンジェ。私、女王になる』
『アンジェと入れ替わったおかげで、私、気付いたの。みんなを別ける、見えない壁がいっぱいあるって』
『私は女王になって、その壁を壊してやるの!』
『そうしたら、私とあなた、ずっと一緒にいられる!』
『夢じゃないわ! 私はきっと叶えて見せる、約束する』
「ごめんアンジェ……約束、守れないや……」
もう、王女様は女王になるという夢を、諦めていました。
今更、どう女王になれというのでしょう。今や自分は、スリの女の子のアンジェなのです。
そして自分のお腹すら満たせない女の子が、どうして女王になれるというのでしょうか。女王になるという決意は、夢ではないと言ったはずなのに、夢で終わり。自分があの時語った決意は確かに本物だったはずなのに、それをこうも簡単に諦めてしまう自分に反吐が出ます。
涙が一筋、流れます。無意味だと思っていた人生に、アンジェという光が差し込んだと思ったら、それすら奪われ、唯一の拠り所だった女王になるという夢も潰え。七歳の女の子は、ただ泣くだけでした。
もし違う人生を歩めていたのなら、普通の人に生まれたかった。休日に散歩をして、バスに乗っておでかけするような、自由のあまり空をも飛べるような、そんな甘くて輝かしい人生を……。
その時、涙でぼやけていた視界に映るものがありました。それは、帽子とゴーグル。
どうやら、蹴られた時の衝撃で外れていたようです。それらを付けてにっこりと笑う天使のようなアンジェの顔が思い起こされます。
「そうだ……アンジェ」
その時、暗い気持ちでいっぱいだった王女様の頭の中に、希望が見え始めます。
アンジェがどうなったのか、自分はまだ確かめていません。
王城がすっかり革命軍に支配されていたため探すのを諦めていましたが、直接この目でアンジェの姿を見る以外にも、彼女の生死を確認する方法があるのではないでしょうか。
帽子とゴーグルを目にしたことで湧きおこった疑念により、回っていなかった頭が動き始めます。
「革命軍の目的は……王権の、打倒。それなら、王族のひとたちが生きているか死んでいるかは、掴んでいるかもしれない……」
極限環境下だからか、火事場の馬鹿力か。それとも王女様の秘めたる資質が頭を覗かせたのか。以前の王女様からは想像できないような鋭い思考を巡らせます。
「そうだ……私は、ここじゃまだ……終われない」
王女様は、涙を拭い、身体に残った力を集めて立ち上がります。不思議なものでした。もう動かないと思っていた手が、足が、力にみなぎるのを感じます。
「アンジェ……あなたに会うまでは……」
王女様は、外れた帽子とゴーグルを拾って、付け直しました。
「絶対に……」
ただ、自分を救ってくれた女の子に会うためだけに。
『大衆紙、というものがあります』
王女様はかつて自分が家庭教師に受けていた授業のことを思い出していました。現代社会学は、歴史や語学といったものよりも身近で頭に入りやすく、授業も比較的楽しんで受けられたのを覚えています。
家庭教師は、実物の大衆紙を指さしながら言いました。
『これは基本的に大量に作られ、安価で国民に売られています。国民たちの多くはこれで社会で起きた最近の出来事を知るわけですね』
王女様はふらつく身体を意思で支え、カフェの脇に置かれたごみ箱を漁っていました。
『といっても勉強のように机に向かって読むのではなく、多くはカフェでのティータイムの肴に、こういったものを読みます。読書のようにね』
「ありがとう、先生」
王女様が手にした大衆紙には、見出しに大きく『シャーロット王女、王室からの声明により生存が確定』とありました。
「アンジェ……本当によかった」
カフェのごみ箱にあった大衆紙をうまいこと手に入れ、長いこと閉まっているであろう、潰れたなにかのお店の軒先へと移動した王女様は、2段しかない階段に座りそれに目を走らせました。
大衆紙には、アルビオン王国の東側へと逃げ延びた王族が声明を出したこと、それによると、王太子夫妻は死亡したがその娘、シャーロット王女は生きていることが判明したと書かれていました。
まだこの目で見るまで確証はありませんが、ここで王族が嘘の声明を出したというのは考えにくいでしょう。王族である以上、公の場に出なければならない時が必ずあるからです。
つまり、まず間違いなくシャーロット王女……アンジェは生きています。最悪の想像が現実にならなかったことに、王女様は安堵しました。
「……」
しかしそれは同時に、もはやアンジェとシャーロットが元に戻ることは不可能だということを明確にしていました。
王族がどこに逃げ延びたのかは大衆紙に書かれていませんでした。おそらく、どこに潜伏しているかまでは判明していないのでしょう。つまり、王女様がアンジェに会いに行くことはできないということです。
ということは、『入れ替わりなおす』ことも不可能です。今や、シャーロット王女様はアンジェであり、アンジェはシャーロット王女様。入れ替わりごっこのはずが、本当に入れ替わってしまった。
自分が女王になるのはもう不可能だということは、王女様の心にさほど大きな波を残しはしませんでした。先ほど、その夢は諦めたからというのが大きかったのかもしれません。
「ごめん、アンジェ。王女なんて押し付けて……」
むしろ、王女様はアンジェに心から申し訳ない気持ちでいっぱいでした。彼女は今や、一国の王女。しかし本当は、スリの女の子。それを大人たちに悟られないように振舞うのは、相当に難しいでしょう。最悪、本物でないことがバレて殺されるかもしれません。意図せずとはいえ、彼女をそんな環境下に置いてしまったことに大きな罪悪感があります。
「きっと、私が助けに行くから」
王女様は、力強く誓いました。今度こそは、夢で終わらぬようにと。
「うっ……ぁ」
ふと気を抜いた瞬間、頭がぐらっと傾きかけ、王女様は慌てて気を持ち直します。
アンジェが生きていると分かったことで、王女様は希望を持つことができました。しかし、その希望が実を結ぶまで神様は待ってはくれないでしょう。まずは、自分がなにかを食べる必要があります。食べて、生きて、生き延びて、そうしなければアンジェに会うことはできません。
ですが、物乞いはおそらくうまく行かないでしょう。今は少し落ち着いたとはいえ、革命が起き、今後アルビオン王国がどうなるか、だれも分からないような状況なのです。そんな時に自分以外の他者に慈悲を与えられる人は決して多くありません。
「アンジェ……」
こんな時、アンジェならどうしたでしょう。アンジェなら、どうやって飢えを凌ぐのでしょうか。
王女様は、分かっていました。分かっていましたが、それから目を背けていただけです。
「今の私は、アンジェ」
王女様は今一度気を引き締め、自らに言い聞かせるように呟きました。
「スリの女の子」
それから王女様は、道行く人たちに何度もスリを仕掛けました。
最初に仕掛けたのは、恰幅な格好をしたおじさんでした。見るからに太っていたそのおじさんは、例えすられたことに気付いても、王女様を追うことはできないように思えました。走るのが苦手そうだったからです。
そう思い、歩いているところを後ろから近づき、バッグをひったくろうとしました……が、想定以上にバッグが重く、足がもつれ、2歩と離れることができずに倒れこんでしまいました。
そこに慌てた風のおじさんが近づき、バッグを王女様の手から引きはがし、一発蹴り飛ばしました。
王女様は周囲の好奇の視線を浴びつつ、おじさんの容赦のない蹴りの痛みに目を潤ませながらも、その場を離れました。
それが王女様の初めてのスリでした。
二回目は女の人を狙いました。男の人の持っているカバンは重たいということを学んだ王女様は、女の人のカバンなら素早く奪って逃げられるのではないかと考えたのです。
結論から言えばその目論見は失敗に終わりました。王女様が背後から近づき、バッグを奪おうと手をかけましたが、女の人はすごい反射速度でバッグを握る手に力を込めたのです。
自然、王女様の弱い力ではバッグを奪うことができず、前にたたらを踏んでしまったところを、バッグで殴られました。王女様は倒れ、震えながら素早く立ち上がり、後ろを振り返ることもせずその場を離れました。
そうして、王女様は諦めず三度、四度、五度とスリを試みました。ですが、どれもうまくいきませんでした。せっかくバッグを奪えても、衰弱した王女様が走る速度を十分に出せず追い付かれてしまったり。売店の前で財布を出したところを狙おうとしても、ひょいとかわされてしまったり。もちろんその後は、ひどい仕打ちが待っていました。
「…………」
王女様は先ほど大衆紙を読んだ場所まで戻ってきました。その顔は異様なほど青ざめ、身体はふらつき、目も微妙に焦点が合っていません。二日も何も食べられず衰弱したところに、激しい運動、そして暴行を受ければ、身体がどんどん限界を迎えていくのは当然のことでした。
「なにが、よく、なかったんだろ」
ポツリと呟く王女様の目の前に、アンジェが現れます。
『シャーロット、それじゃあダメよ!』
「だって、ちゃんとうしろから、すろうとしたのに」
『だから、それがダメだって言ってるんじゃない!』
「それじゃあ、どうすれば、いいの……?」
『うふふ。あのね、シャーロット。後ろからじゃなくて、前からよ』
「うしろからじゃなくて」
以前、使用人が持っている鍵束をするという遊びをアンジェとしていた時の記憶。
「まえから」
王女様を救う遊びの記憶。
今度のターゲットは、バスを待つ女の人です。
王女様は、その人が裕福な人間であることを隠している人だと見抜きました。なぜなら彼女は、身なりこそ周りに合わせボロの服をきているのですが、ちょっとした立ち居振る舞いに王女様の周りによくいた人たちと似たものを感じたからです。
バスを待っているのは、その女の人だけでした。道行く人や近くの壁にたむろする人ははまばらにいますが、問題はないでしょう。王女様は手に持った大衆紙を、そこにあることを確認するように握り直し、女の人に駆け寄りました。
「ねえ、お母さん!」
女の人は振り返りました。周りに人がほとんどいないからこそ、その声の主に心当たりがなくても、自分を呼んでいるのかと思い、振り返るのは当然のことです。
その人は、綺麗でした。やはり裕福な人であるのは間違いなさそうです。
そう考えて、すかさず、顔を見て驚いた演技をします。
「あれ、お母さんじゃない?」
「……人違いだと思うわ。残念だけれど」
「そっか。あ、でもこれ見てみて!」
王女様は手に持った大衆紙を広げて女の人に見せました。王女様の首から下が見えなくなるような角度で。
「『王権、打倒!』だって! すごいね! わたしみたいな貧乏なひとが、少なくなるのかな」
少女が広げた位置では読みにくかったのか、女性はそれを両手で受け取り、少し自分の顔に近づけます。一面に書かれた記事にさっと目を走らせる女の人の目を、王女様は見ていました。人は、目の前に文字があれば反射的に読んでしまうものです。
「どうかしら。戦争が続けば、国は貧しくなるわ。格差が激しくなることだって十分あり得る」
「戦争? でも、革命は終わったんじゃないの?」
「私はそうは思わないわ。アルビオン王国はこれから長い内戦時代を迎えるでしょうね……。返すわ」
「あ、うん! それじゃあね、お姉さん!」
そうして王女様は大衆紙を『くるむように』まとめ、その場を走り去ろうと——、
「大したものだな」
その声に、王女様はびくっと反応しました。声の主は先ほどの女の人ではなく、王女様の目の前に出てきたおじいさんです。確かこの人は、バス停の近くの壁際にいた——。
王女様は慌てて大衆紙にくるまれていたものを出そうと、
「撃つのか、私を」
「…………」
その一言で、王女様は固まります。
全て、見抜かれていた。
「……どうされたのですか」
先ほどまで王女様と話していた女の人が、王女様の後ろに駆け寄ります。その声からは、不測の事態に動揺するような調子が含まれていました。同時に、二人が全く見知らぬ人同士ではないのだということを王女様は悟りました。
「……」
おじいさんは黙って王女様を見ています。その成り行きを、女の人も見守ります。
王女様はしばらく迷っていましたが、やがておずおずと、その大衆紙をおじいさんに渡しました。それを見て、女の人が意味が分からないという風にそれを受け取るおじいさんを凝視します。
おじいさんは、受け取った大衆紙をがさがさと開き、『中に包まれていたもの』を見つけました。
「そんな……!」
女の人が低く声を張ります。周りの人に気付かれないように声は抑えたものの、目の前の光景が信じられないといった風です。
そこにあったのは、拳銃でした。
「まさか、あの時……」
そう。王女様は、女の人に大衆紙を見せ、両手と視線が塞がったのを確認し、彼女の腰回りを物色したのです。そして、懐のホルスターに差し込まれていた拳銃をすっていたのでした。その後、返された大衆紙にそれをくるむことで拳銃を完全に隠していたのです。
「前から『スる』度胸、手際、頭の回転の速さ、そしてなにより、その衰弱した身体で達成せしめる意思。どれも見事だ」
「……ぅ、うぅ……」
王女様は、おじいさんの賞賛の言葉を受けても、涙をこぼしながら震えていました。せっかくうまくいったのに、まさか仲間がいたなんて。とことん運のない自分の運命を呪います。その言葉の後に、どんなひどい仕打ちがくるか分からなかったからです。最悪、その拳銃で自分を……。
「名前は」
「……ぇ」
「名前はと聞いている」
「……私は」
唐突な問いに、王女様は反応が遅れました。この状況で名前を問う意味は分かりませんでしたが、つい出てしまいそうになった自分の名前を飲み込み、少し間を置くと、自然に次の言葉は出てきました。
「アンジェ。……ただの、スリです」
「……そうか。……アンジェ、私と共に来い」
「……え?」
「私と共に来れば、少なくとも食べ物や住む場所に困ることはない。それでは不満か」
どういうことでしょう。すぐに仕打ちをうけることになるだろうと思っていた王女様は、一向にその気配がないので少しだけ警戒心を解きました。どうやら、このおじいさんは自分を引き取ると言っているようです。それでも、理由がわかりません。
「どうして、私を。スリなのに」
「まさか、この子を……」
王女様の後ろにいた女の人が、おじいさんの意図を掴んだようで話に加わります。
「ああ。恐らく優秀なスパイになるだろう。……嘘つきはスパイに向いている」
スパイ。子供向けの娯楽小説に、スパイが主人公の物語があったのを王女様は覚えています。嘘をつき、自らを偽装し、国を跨ぎ、情報を奪う。概ね、そういった職業であることは知っていました。しかし、まさか、自分がそれに勧誘されるとは。王女様は、まだ迷いを見せます。
「アルビオン王国はこれから内戦の時代を迎えるだろう。その時、王国側に忍び込めるスパイが必ず必要になる。私は君をそのために雇うつもりだ」
「王国側に、忍び込む……」
街行く人々が交わしていた言葉が思い起こされます。『共和国万歳』。アルビオン王国は分裂し、王国と共和国になる、ということでしょうか。だからこそ、王国側の情報を奪うスパイが要る。
王国側に行くということは、つまり王族に近づくということ。可能性として、アンジェに再び会うことが可能かもしれません。
正直、おじいさんの言うことが本当なのか、王女様には判断がつきません。しかし、その声色からは害意を感じませんでした。そして、降って湧いたこの好機を逃せば、一生後悔しそうな、そんな予感を覚えました。
「わかり、ました」
『アンジェ』はおじいさんに向かって、確かな自分の意志を持って言います。
「私、スパイに、なります」
「……そうか。ならば」
「でも一つだけ、じょうけんが」
おじいさんは眉をひそめましたが、黙って続きを聞きました。
「だいしきゅう、なにか、たべさせてください……」
それを聞いて、おじいさんはふっと息を吹き出して笑ったように見えました。後ろの女の人も、笑ったように見えます。しかしすぐに、おじいさんはそれまでの仏頂面に戻りました。
「許可する。これからよろしく頼む」
「はい……」
そうして、黒蜥蜴星の王女様は、スパイになったのでした。
めでたし、めでたし……。
※ ※ ※
「Till the time I see this once again(いつかまた夢見るその時まで)」
「I’ll get by…(うまく騙してみせるわ…)」
非凡な世界に生まれ非凡な人生を生きる少女が、その自分の境遇を嘆き悲しみ、平凡な生活に思いを馳せながらも、いつか幸せな未来が来ると信じ、嘘つきを続ける静かな決意をする、そんな歌。
「私は、自分の境遇を呪って、こんな人生じゃなかったらなんて考えることしかできなかったけれど」
「あなたは、自分の運命を本当に自分のものにして、今もそれを成し遂げ続けている」
「だからあなたは、本物のプリンセスなのよ」
バスの中で一人語るアンジェ。
「違うわ」
そこにプリンセスの声が聞こえ、アンジェの意識は、現実に引き戻される。
今は、プリンセスとの連弾を終え、自らの過去を独白したところだった。
目の前のプリンセスは、アンジェの両手を自らの両手で包み込むように握り、目に涙を浮かべて真剣な表情で話す。
「私はプリンセスを演じることは出来ていたけれど、女王になれるって、考えてたわけじゃなかった。空気姫なんて呼ばれていたのが、その証」
「でもあなたが来てくれたから、私は女王になるという夢を、継ぐことが出来たの」
「だからあなたも、本物のプリンセスなのよ」
その言葉に、アンジェの頬に一筋の涙が零れる。
自分は女王になる夢を早々に諦めてしまった、ただの嘘つきだと思っていたけれど。
プリンセスは、自分のこともプリンセスだと思ってくれていたのだと知って。
自分たちは、お互いが、
自分の人生は、嘘に塗れた無価値なものではなかったのだと分かって。
アンジェはただ、涙を流すだけだった。
「シャーロット……生きていてくれて、ありがとう。私に出会ってくれて、ありがとう。それをずっと、言いたかった」
「わたし、も……うぅ、わたしと、であってくれて、……ありがとう……」
アンジェとプリンセスは、お互いの存在を確かなものにするかのように、抱きしめあう。
「プリンセスぅ……うわぁぁぁぁぁぁん……」
ロンドンの空には月が浮かぶ。
月は太陽の光を受けて淡く輝く。
まるで二人の『再会』を祝福するように。
プリンセス・プリンシパル ~A Page of My Story~ Fin.
本作はアンジェが「後ろからじゃなくて、前から」盗むことを知っていたこと、そしてそれを12話でプリンセスも実践していたことから、この技術は10年前、アンジェからシャーロットに渡ったのではないかと考えたのが最初の着想になりました。
アンジェは1話で、諜報機関に拾われたため食べるものには困らなかったという黒蜥蜴星の話をしていますが、この技術を知っていたことから、少なくともスリをせざるを得ない状況になっていたのではないかという推測が出来ました。
それに、プリンセスは政治的バックのない「空気姫」であること、12話の「これまでの10年間を経て、女王になると決意した」というセリフから、プリンセスが真に女王になることを決意したのは2話でアンジェと再会した後であるという推測も加えます。
すると、8話でプリンセスが今まで大変な思いをしてそれが報われたのはとてもよかったけど、同じくらい苦労したであろうアンジェが微妙に報われていなかったのをどうにかできそうだと思い、こうして形にした次第です。
本作は1話完結ですが、プリンセス・プリンシパルで書きたいことはいくつもあるので別作品を作るかもしれません。
その時はそちらも見ていただけると嬉しいです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。