流石に、黒笛を提げるには己の容姿は些か若作りだったらしい。笛と己の顔を交互に見比べ訝しむ店員を素知らぬ風で躱し、早足で奥廊下へ踏み入る。
薄暗がりを抜けた先、突如視界が拓けた。刹那、降り注ぐ暖色の石灯に目が眩む。
「……おぉ?」
「わぁっ」
我知らず声を上げていた。同じく傍らで上がった少年のそれは紛れもなく歓声であった。
驚嘆を以て、その上下に広大な空間を望む。
宴席は随所から
その全てが探窟家であった。
高低差の激しい各所の座席への移動は梯子、あるいは杭の足場を渡って行うようだ。
安全も配慮もありはしない。探窟家ならこれで事は足りようと言わんばかり。
縦穴の只中にあって酒と飯を食らう。なるほどまさしくそれは、アビスに身を投じる者共の正しき有り様。
────聞いたか。例の黎明卿の『開通工事』、とうとう二層まで掘り抜いたらしいぞ
────払いは良いらしいぜ。体がまともに動くなら食い詰めた浮浪者でも雇ってくれるってよ
────ナキカバネの縄張りが明らかに広がってるの、あれなに。うちの後輩が何人か“声”にされたんだけど
────主食にしてた獣か虫か、また一種絶えたんだろうさ。アビスじゃ珍しくもない。どうせすぐに新種が見付かるし
────組合のピンハネえぐすぎんよ!? ピッケル新調できねぇじゃん!
────ならちょろまかして直接売っ払えよ。
────アビスは国の利権ガッチガチだからねぇ
────上昇負荷を回避できる薬があるって噂、知ってるか?
────そんな都合の良い代物ある訳ないでしょう。精々が偽薬か、いいとこ感覚を麻痺させる劇薬ってところでしょうね
────糞! あの赤蛇野郎! 俺の相棒を食いやがって
────そうか。それはお悔み申し上げ
────掘り当てた遺物は全部そいつが背負ってたんだ! リュック一杯の遺物、二級は堅かったんだ畜生! 丸損だ!
────不動卿、ついこの間帰還祭だったっていうにもうアビスへトンボ返りだって
────特級遺物でも出たかな?
────近頃見掛けない面が多い。下りる時は用心しろ
────ベオルスカがまた他国と揉めてるんだ。遺物を寄越せ資源を寄越せ自分達にも甘い汁を吸わせろってさ
────ハッ、一度一層あたりでゲロ吐いてから言えってんだ乞食共め
────まったくだ! ハハハハッ!
其処彼処で囁かれ、あるいは怒鳴り、あるいは笑い交わし交わされる話。情報。探窟家達にとってそれらは全て値千金の世間話なのだろう。
探窟家による探窟家の為の酒場。御用達との呼び声に偽りなし。
ジルオなど、漏れ聞こえてくる他愛のない会話にさえ目をキラキラさせている。
……この顔を見られただけでも、来た甲斐はあったか。
手近に空いた卓が見当たらず、回廊から店内を見渡す。すると一階層下りたところに丁度二人掛けの空席を見付けた。
世間話の収集に忙しい様子のジルオを引っ張り、梯子を伝い下りる。地上から見て地下一階の回廊を巡ろうとした。
「……」
「? ラーミナ?」
その時、目端にそれが過った。
客席の増設の為か、店が取り付いた岸壁の地肌を掘り拡げたのだろう。洞穴のような空間に据えられた円卓には四人の男が座っていた。そこへもう一人、歩み寄っていく。
探窟家である。サバイバルジャケット。分厚い革靴。腰のベルトには各種登攀用の器具。
この辺りでは珍しくもない何の変哲もない探窟家……を装っている。
「ジルオ、隠れろ」
「えっ」
直近の、これもまた岸壁の掘削の名残なのだろう窪み、物陰に少年と共に身を隠す。
「どうしたのっ?」
「妙なのが紛れ込んでいる。覚えのある歩法だ……お前さんを襲った、あの黒服共と同じ」
「!?」
歩幅は一定に変化せず、努めて足音を殺す足運び。なによりあの右袖、腕の内側だけが不自然に膨らんでいる。
暗器だ。先夜、岸壁街の路地裏で襲撃者共が使っていた隠剣。
偶さか同じ武器を仕込んでいた無関係の探窟家、その線も絶無ではない。しかし疑いの目を以てさらに
殺気立った人間など、威勢よく
それを理解せぬ者。いや、本業を別とする者。人殺しが生業の、異物。
「……」
不安げな眼差しが頬に触れる。
努めて軽薄に笑って少年を見やる。
「すまんなジルオ、夕飯は他所で食おう。ここは小蟲がちらつきやがる」
「……ごめん」
「ばぁか、ここは謝るんじゃあなく悪態の一つも吐くところだぜ。目障りな蟲ケラが他人様のでぃなーの邪魔しやがってばーろーちくしょーめ! ってな」
そんな必要など微塵とありはしない、責めを感じて翳るその顔。その柔らかな頬を軽く抓る。
もにゅもにゅと頬を弄られる内に、少年は諦めたように笑った。
「……彼奴等がお前さんをまだ諦めてねぇのか、それとも別の目的で動いているのか今は判断がつかん。見付からねぇ内にとっとと出た方が良かろう」
「うん……」
「なぁに、また来ればいい。何度でも。笛の一つ二ついつでも都合できるしな」
「それ、組合に見付かったらヤバいよ……ふふっ」
「くくっ、そら、行くか」
幼子を己の身で隠すように、元来た道へ戻る。戻ろうと踏み出した、その矢先であった。
「よう! ジルオじゃねぇか!?」
複式呼吸の、それは強靭な腹筋に裏打ちされた男の
一度顔を見合わせてから少年と二人、声のした方へ振り返る。
髭面の大男が杯片手にこちらへ近寄って来る。
「なんだなんだ。こんな時間に酒場にいるなんざ、お前も随分やんちゃになったもんだなぁ! 院長にどやされるぞぉ、ハハハッ!」
「ハ、ハボルグ……」
「知り合いか」
「昼間の、ラフィーさんの旦那さん」
「ん? そっちの方は新顔か? ははぁ、真面目一徹なジルオにもこんな悪さ仲間がいたんだなぁ! いいぞ! 実にいい! ガキの時分ってのは目一杯無茶をしていろいろと学ぶもんだ。ハハハハハハッ!」
「……」
「……」
赤ら顔で男は豪快に大笑した。
店内空間の全域へ響き渡り、轟くかの大声だ。一時、酒宴の喧騒を断ち切ってしまうほどの。
件の円卓をちらと盗み見る。全員がこちらを見ていた。己、ではなく、傍らの幼子を。
「見付かった」
「うわぁ」
「……ん? あー?……もしかして、なにか不味かったか?」
男は武骨な見た目に反して存外に察しがいい。
焦り顔のジルオの様に、我らにとって宜しからぬ事態の到来を予見したらしかった。
到来。そう、彼奴等が動いていた。
円卓で三人の男が席を立っている。しかし────即座には来なかった。なにやら言い合いを始め、間の抜けたことにその場でまごついている。
「……」
選択肢は二つ。
まず一つに逃走。この場から安全圏へ離脱する。ベルチェロ孤児院か、組合に事情を通じて直接庇護を求めるという手もあるだろう。
そしてもう一つは。
「ハボルグ、と言ったか。お前さんは組合所属の探窟家だな?」
「あ、ああ、そうだ」
「ならばジルオを攫おうとした連中については聞き及んでいような」
「! お前、何もんだ。どうしてそんなことを知って」
「あれがそうだ」
「なにぃ?」
顎でしゃくって視線の先の円卓を示す。
話し合いに一区切りついたらしい。男達が真っ直ぐにこちらへ向かってきていた。
「己はここであれらを潰す」
「あぁ!? 潰すってお前」
「後始末を頼めるかい」
「ちょ、待ておい!」
外套を払い、腰に佩いた刀を解く。そうしてそれらを傍らの少年に差し出した。
「預かっててくれ」
「う、うん。でも、ラーミナ……」
「いい加減、腹に据えかねておってな」
「え」
こんな幼子一人に執念深く、諦めもせず、のこのことこんな場所にまで現れる奴輩めが。
駆け足。背後より足音が迫る。微か、空気を裂くのは凶器の刃金か。
「ラーミ……!」
「後ろだッ!」
反転して手掌を繰り出す。予想通りの位置に、男の喉笛があった。
薄汚れた不景気面が呆気に取られて表情を失くす。それが驚きの色に変わる前に、突進の勢いを一点にぶつけ、倒す。
喉輪落とし。
男は後頭部から墜落した。
動かなくなった男を見限り、進み出る。
「よう! 人攫い共!」
滑落亭を訪れた全ての客、店員、店主にまでも届くように。
宣言する。
「喧嘩をおっ始めるぞ!」