縛り上げた下手人二匹を滑落亭から引き摺り出す。盛り場を離れ、路地の奥間へ進み上りまた下り、そうして入り組んだ家々の狭間の向こうに物見の露台があった。大穴の街にはこうして、至る所に奈落を望む為だけの場所が築かれている。
そんなにあの虚穴が恋しいかよ。そんな皮肉も幾らか、口中に蟠った。がしかし今ばかりは人気の失せたこんな場所が重宝だった。
二束の簀巻を欄干の傍へと放る。
他の
「女将とは旧い馴染みでな。いやぁあの店じゃ昔から喧嘩沙汰の度に世話になったもんだ!」
「慣れっこって訳だ」
ハボルグの口添えもあって店内での乱痴気騒ぎについてはお咎めなしと沙汰が下った。ただし壊した卓だの椅子だの皿だのは、しっかりと請求の書状を投げ渡されたが。
ならばと、悪党共の財布からそれを徴収してくれようとしたところ、悪銭は要らんと突っ撥ねられてしまった。
「貧乏人に手厳しいったらねぇや」
「また来いって意味だろう。気に入られたな」
「……皿洗いでもやらされるのかねぇ」
「オ、オレも手伝うよ!」
そう言って、傍らで健気にジルオが奮起する。
この坊と並んで酒場の厨房で手習いの真似事するのも、そう悪くはない。
とまれかくまれ、目下の面倒事をまずは片付けよう。
黒服の荷物、装備、懐や衣嚢を隅々まで漁る。ありふれた探窟用品に雑じって、腕にはやはり
絵に描いたような暗殺者の装い。いやそんな図柄を好んで選ぶ絵描きがいるのかは知らんが。
身元の特定に繋がるようなものは、やはり、何も……。
「!」
「なんだそりゃ。地図、か?」
気を利かせてハボルグが石灯を点す。折り畳まれた
正直言って己にはその画の意味が皆目わからなかった。オースの地形図でないことは辛うじて見て取れるが。
名称や文章を敢えて書き加えず、内容を不明瞭にするのはこうして盗み見られた時の予防策なのだろう。
「こいつは」
「ハボルグ、これ四層だ」
「やっぱりそうか」
「あん?」
ジルオとハボルグが肯き合う。
「ラーミナ、これアビスの地図だ。それも四層『巨人の盃』の根元、ダイラカズラの群生地」
「ダイラカズラ?」
「バカでかいキノコを想像するといい。樹齢二千年、全長800メートル越えの植物の束だ。この丸……おそらくその支柱の位置だな」
「地形がこう盛り上がって、こっち側に傾斜してる。あ、こっちは支柱じゃなくて酸の水溜まりだ。てことは中心はこっちだから……たぶん南東部」
「ほう……」
「ジルオお前、よくわかるな。ここの地形は変わり易すぎるんで黒笛でも口伝と勘頼りだぞ?」
「最新の電報記録書に載ってたのをたまたま見ただけ。捕食器が倒木したらまた歪む。大して意味ないよ」
誇るでもまして謙遜するでもなく、実にあっさりとした調子で少年は言った。
ハボルグと顔を見合わせる。将来が楽しみとでも言おうか。頼もしいこと。
子の有望なるを喜ぶのは後に回すとして、疑問はなお募る。
「奈落の深層の地図……そんなものを何故、
「……」
背後に視線をやる。
髭面の大男がなんとも意味ありげな沈黙を発していたからだ。
ハボルグはほんの一瞬逡巡した様子を見せてから、諦めたように口を開いた。
「……こいつは黒笛の部外秘なんだが、今朝不動卿オーゼンがオースを発って深界四層へ向かった。目標は特級遺物『
「『決して切れない糸』って……でも、あれは組合が保管してる筈じゃ」
「二本目が出た。そう情報提供があった。ベオルスカ政府を通してな。発見したのはセレニの探窟隊だそうだが……」
セレニ。極北に位置する極寒の雪国。鉱石資源の採掘の為に無茶な開拓事業を展開しそれが国庫を圧迫、貧困が蔓延し国内で大量の餓死者を出しているとか。流し見た新聞記事で、同盟国からも随分と痛烈に批判を浴びていた。
閑話休題。
貧窮する小国所属の探窟隊が極上の宝物を前にしてそれを他所へ譲る。
きな臭い。鼻が曲がりそうなほどだ。
「ジルオを付け狙うなぁ、てっきりあの娘子を脅し賺す為だとばかり思っていたが……どうやら今少し遠大な悪巧みがあったらしい」
「!? 狙いはライザじゃなくオーゼンか!」
「凶暴な雌獅子を抑え付けるってぇ目的は変わらんのだろうが、延いては不動卿を孤立させることこそ主眼と見るべきだな」
首謀共の目的が不動卿オーゼンを罠に嵌めることであったとして、地上の酒場で破落戸を飼っていたこやつらはさしずめ後詰といったところか。
ジルオの拉致により殲滅卿ライザの動きを封殺する。配された役割が果たしてそれだけなのか……それだけとも、思えぬが。
「肝心のライザは何処にいる」
「近々予定されてる国賓との会談の為に本国へ出向いてる」
「こくひっ、会談だぁ? あの娘がか?」
「……あれでも白笛だぞ。国家の切り札であり、英雄だ。公の場に駆り出されるのはなにも珍しいことじゃない」
「にしたとて正気じゃあねぇな」
「言うな。俺だってそう思うけどよ」
「うん……」
ハボルグもジルオも明言は避け、ただ目を逸らした。
この場合憐れむべきはライザではなく、その相手をさせられる国のお偉方だろう。
だがこれで敵方の“戦力の分散”という目論見はまんまと成功してしまった訳だ。
紙面に目を落とす。無味乾燥にただ並べ置かれた図形達が、今はひどく悪辣なものに見えてくる。
「罠の配置図……そう都合のいい代物かねぇ」
「待ち伏せする戦闘要員の配置かもしれん。固定砲台、毒煙、もしくはそうだな……爆弾なんて線もありそうだ」
「そいつぁまた、たかが人間一人にえらい気合の入り様だな」
「不動卿オーゼンを敵に回すならその程度は絶対に必要だ。持ち込んでいない筈がねぇ」
ハボルグはにこりともせず言い切った。
「オーゼンが早々やられるとは思わねぇが……こいつらは組合に持ち帰る。こりゃ対人戦闘の隊を編成しねぇとならねぇか。急いで後を追わねぇと……」
「ジルオ、地上から四層へはどの程度かかる?」
「えっ? う、うーん……黒笛だと早くて三週間くらい。慎重な隊なら一月以上掛けて下りるらしい、けど」
「白笛ならばどうだ」
「……一週間で十分だ、ってライザさんは言ってた……」
「そうかい。となると、今すぐ発った方がよさそうだな」
立ち上がって、少年が見繕ってくれた大荷物に手を掛ける。片道一週間の旅程ともなれば流石にこれは必要だ。
そんな己の肩を大きな手が掴んだ。
「……お前、どうする気だ」
「先刻言ったろうよ。潰すのさ。この蟲ケラ共を」
「一人で行こうってのか!? 深界四層だぞ」
「大人数引き連れての鈍足ではそれこそ、お前さんの言う通り手遅れになるぜ」
「無茶だって言ってんだ素人のガキが!」
「かかっ、違ぇねぇ」
真っ直ぐすぎる正論に思わず失笑する。
ハボルグ、屈託のない男だ。無茶無謀を働こうとしている子供を制止する、実に真っ当な大人の対応ではないか。
しかし生憎とこの身は
無法と無頼が伴の、貧民窟の下賤な糞ガキなのだ。
後ろ腰に括り付けた刀の柄に触れる。武器、兇器、斬る為の、壊す為の、殺す為の刃。これを振り回すしか能のない男。救い様のない異物。
「……お前、オーゼンに義理立てする理由でもあんのか。なんでそこまで……」
「ねぇよ。だが四層には用がある。ダチ公に厄介な頼み事されちまってな。あとはぁ、そうさな」
首に提げっぱなしの黒笛を爪弾いて、笑う。
「気に食わねぇのさ」
奈落も、好き好んで奈落へ身を投げる探窟家という者共も、憧れに魂を焼かれた彼ら彼女ら。救えぬ。愚かしい。命を使い潰して、憧れの供物に捧げる狂人が。
気に入らねぇ。ウィロー、あの大馬鹿野郎め。床で往生できたものを。看取らせもせず、一人で逝きやがって。白笛だ? ライザもオーゼンも大馬鹿の筆頭よ。何が切り札だ。英雄だ。
だが、それ以上に、そんな狂った者共より、もっと気に食わねぇのは。
「他人の憧れにケチをつけやがる。腐った欲望でそれを穢しやがる」
この蟲ケラ共が────この、己が。
どうにも、気に食わねぇ。
「行ってくるぜ、ジルオ」
「ラーミナ……」
揺れる青い瞳を見下ろす。白銀の髪を撫でる。
この幼い少年もまた、いずれは憧れに進み出、挑み、そして。
ならば、せめて。
この子の行く末に不要なものは斬り捨てておこう。
ただ、そう思った。理由などそれだけでいい。