深淵の剣   作:足洗

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17話 肉色の地獄にて

 

 

 

 不動卿麾下探窟隊“地臥せり(ハイドギヴァー)”。

 少数精鋭の利。深界四層へ到達したのは地上を発ってから早七日目のことだった。

 彼らに油断はなかった。

 人間の悪意ほどけたたましく喧しいものはない。

 待ち伏せなどあれば、界層を同じくした段階で即座に気取ることができたろう。

 人が仕掛けた無機的な器械罠であれば、百戦錬磨の洞察眼がそれを見抜いたろう。

 油断はなかった。

 獣のような警戒心で、地臥せりは目的地へにじり寄った。

 

 ────空が燃えている。

 

 耳から脳を揺さぶるような爆音。それはありふれた化学的に調合された爆薬であり、爆発物だった。

 鉱物資源の採掘に用いられる発破。同様のものはオースにも流通しているだろう。

 狂っていたのはその量。

 刹那、圧倒的な質量の爆轟は、大穴を塞ぐほどに膨れ上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 饐えた臭いが鼻腔を満たしている。それは大気に充満している。

 臭気。湿気。長居すれば衣服どころか皮膚すら腐らせ、蝕む。捕食器を満たしていた酸が辺り一帯に流れ出したのだ。

 呼吸すら油断を許されない世界。深界とは常々そういう場所だった。

 安易に生命の存続を許さない。痛みを甘受し、死を覚悟してもなお足りない。

 

「イェルメ!? この糞野郎! 返事しろ! 死んだのか!? おい!! ザポ爺は!?」

「き、聞こえとるわ。破片は、抜くな。出血で死ぬ、ぞ……ぐ、ぅ……!」

 

 極限の世界。ゆえに、純一。

 そういうところで生きた。そういうところでしか生きられなかった。

 ろくでなし。ここに居るのはそんなものばかり。地上で安穏と、真っ当な人がましく生きられない。度し難い愚か者共。

 それで丁度いい。それで、いい。よかった。

 瘴気に混じって血の香が匂い立つ。イェルメの腹を鋭利な石塊が深々貫いている。おそらく臓器を射貫かれたのだろう。処置をしなければすぐ死ぬだろう。

 苦悶の声を漏らして身動ぎする気配。老い耄れのザポか。地臥せり随一の健脚にして軽業師裸足の体術達者。大人二人を抱えて致命傷を避け()()()()を生き延びているのだから、強かな爺だ。

 無傷と言えるのはシムレドだけのようだ。悪運の強さこそは探窟家に最も必要な才覚である。その悪運を以て、怪我人二人を引き摺ってこの場を切り抜ける程度やってもらう。

 

「イェルメは儂が背負う……えぇい光で目をやられた。見えん。シムレド、先導せい」

「わかった! オーゼンさん! オーゼンさんどこだ!? 不動卿!」

「うるさいよ」

 

 己が隊員共の慌てふためく様をもう少し嗤っていたかったが、執拗に呼び立てる声に仕方なく応えてやる。

 一声発するだけで、筋骨が軋んだ。

 

「なッ……オーゼンさん」

 

 ()()がまた一段、重みを増したような気がする。あるいは気の所為か。この肉体が、主の蛮行に耐えかねて怠慢を始めたからか。

 先刻倒壊したダイラカズラは、記憶が正しければ樹齢二千年級。その幹を為す植物群を含めて四本。頭上に圧しかかる覆いの重量も、その程度の手応えがある。

 両脚が地面を抉る。沈む。

 天井が傾ぐ。筋繊維の千切れる音を聞く。

 

「ッッ!!」

「オーゼンさん無茶だ!」

「うるさいって言ってんのが聞こえないのかい。目が開いてるなら、そっちの役立たず二人を連れてとっとと失せな。邪魔、だよ」

「……糞が、糞。あぁ糞。あの野郎共殺してやる。殺してやりてぇ。ぶっ殺す。生きて帰って必ず殺す……」

 

 剣呑に殺意を繰り返し口にしながらシムレドはイェルメを背負ったザポ爺を支える。瓦礫の隙間を掻き分け、掘り返し、徐々に足音は遠ざかっていく。狭苦しく仄暗い。天地が極小の狭間だけになった空間。

 不意にその向こうから。

 

「オーゼンさん! あいつらの首、残しといてくださいよ! 俺も殺してぇんだから!」

 

 昼行燈気取りのシムレド。その実、地臥せりの中で最も血の気が多い男だった。拾った当初などは、他の探窟隊を相手に刃傷沙汰を幾度となく繰り返す無頼漢だった。

 そんな男が、餓狼のような殺意を曲げてすごすごと引き下がっていった。

 変われば変わるものだ。それが少し、面白い。

 いや、変わったのは己も同じか。

 状況によっては仲間だろうが身内だろうが見捨てて行く。深界探窟はその連続、石積みのように命を踏み台として、それでも行く。往くことこそが。

 ずっとそうしてきた。それがここでの秩序(ルール)だ。そうでなければこの齢まで生きてはおられなかった。

 それが今やどうだ。

 己を犠牲にして他を生かそうとしている。己を礎として誰かを救おうとしている。

 

「くくくっ、自己犠牲だってぇ?」

 

 笑う。笑わせてくれる。

 そんな筈があるか。そんなつもりは毛頭ない。

 罠と承知でここへ来た。

 純一なこの世界を穢す不届き者共を捻り潰す為にここへ来た。

 死ぬつもりなど、ない。

 この不動卿オーゼンは。

 

「殺しに来たんだよ」

 

 一歩、踏み込む。それはまさしく大地を揺るがす震脚。

 足底と地面に生じたその僅かな反動を、この肉体の全力を、身体80ヶ所に埋め込んだ千人楔が増幅する。

 

「■■■■■■ッッ……!」

 

 人ならぬ獣の咆哮を上げて、覆す。傾けられた巨人の盃を無礼千万に裏返す。

 力場の光を遮っていた天井が跳ね上がり、久方の光明が我が身を照らす。

 縦穴が揺れる。震撼する。跳ね飛んだ巨大な植物群の支柱が地面を抉り壁面を穿つ。地形が変わり始めていた。

 アビスの胃袋を盛大に掻き回したのだ。いずれ縄張り意識の強い原生生物共は怒り狂って元凶を除きに来るだろう。

 一旦はこの場から退かねばならない。

 だが、肉体は自在性というものから程遠かった。血と骨の代わりに砂と鉛を詰めたかのように、身体が重い。

 筋はどれだけ破断した。骨はどれほど歪み罅割れたか。

 楔が、やはりまだ足りぬ。80本では肉体強度という限界に縛られる。帰ったらまた競売を覗かなくては。

 

「……」

 

 近付いてくる。気配。それは足音であり、息遣いであり、衣擦れであった。

 お出まし、という訳だ。

 ダイラカズラに戦術級量の爆弾を、地臥せり全員の目を欺き、如何にしてか巧妙に仕掛けてみせた輩だ。少し興味がある。

 どんな面をして、どんな科白の吐くやら。

 ひたひたと歩み寄って来る。集団。軍勢。砂塵と靄の煙る大気の向こうから、それらは来た。

 

「あぁ?」

 

 それは、それらは一様に、人の形をしていなかった。

 

 アァァァアアアァアァア

 ニィ、ブフゥゥウ

 ギャヒヒ、ゲヒヒヒヒヒ

 

 軍勢ではない。戦闘を目的として編成される部隊の集合体をそう呼ぶのなら、それらは違う。決して違う。

 群だ。

 ある者は、皮膚が爛れ、骨が覗いていた。片足はなく、金属の棒が義足のように突き出ていた。

 ある者は、あらゆる部分が肥大していた。増大していた。肉は肥え、血とも脂ともつかない液体で膨れ、どうしてか手足が一本ずつ余計に生えていた。

 謂わば動く死体。

 片や、人型に異物が混じった者も多い。

 鳥のような翼、蝙蝠のような翼膜を身体随所に生やしたモノ。

 獣のような顎、牙、爪、体毛を備えたモノ。

 人の身体から、蠕虫が無数に這いずり出しているモノ。

 

「ぷっ、ふふふ、くっふふはははははっ、なんだいこれは」

 

 煮崩れた生物の、人であったものの成れの果て。そうまさにこれこそ成れ果てだ。

 深界五層は未だ遠い。四層の半ばに過ぎないこの場所に、何故。

 正体は不明だが、わかったことも一つ。

 

「なるほどねぇ、道理で気配が読めない筈だ」

 

 それら人と獣と蟲の混合物達は、いずれもまるで深界生物のような気配を放っている。

 深界(ここ)に在って当たり前とばかりの違和感の無さ。

 深界にはない異物を第一に警戒していたことも災いした。

 

「こいつは私の手落ちかねぇ……ふふふ、死に損だねイェルメ」

 

 いや、まだ死んじゃいないのだったか。

 パッチワークめいた合成生物は刻一刻と数を増して、今や見渡す限り百匹を下らない。何処に隠れていたのやら。

 背後から来る。

 

「クケケケケケケケケケケケケ」

「……」

 

 やや身動ぎするようにして、裏拳を叩き込む。

 トカゲのような肌質と色をしたそれは、頬を打たれ、その頭だけが吹き飛んだ。存外に脆い。

 まだ。

 

「いだぁいよぉぉぉおおぉぉおぉぉお」

 

 既に足下に、人間の頭を挿げられた蠕虫が、蛇のような速度で噛み付いてくる。

 その鼻面を踏み付けた。割れ、破ける。水風船と同様の呆気なさ。

 踏み心地は最悪で────

 

「!?」

 

 爆ぜる。大蛇のような体躯が膨れ上がり、それは光と熱量へ。

 至近距離の爆風が全身を焼いた。しかし、装甲越し、顔面の防御姿勢も間に合った。

 傷は何程のことも。

 がちりとそれは巻き付いた。細いワイヤーのような感触だ。まったく、意表外の強さ、強靭(つよ)さで。

 振り解こうと藻掻き、気付く。それが叶わぬことを知る。

 己の膂力で千切れない。そんな物体。

 知らず口端が引き上がっていた。

 

「『決して切れない糸(スタースレッド)』か」

 

 やや微光を放つ、まさに糸と呼ぶに相応しい細さの、材質不明の紐。

 その引張強度は未知数だと言われる。破断できるだけの工具も物体も未だに発見されないからだ。

 片腕を顔の位置に持ち上げた姿勢で、糸は己の身体を取り巻いた。留め具と思しい鉤爪は、己の腹に突き刺さっていた。こんなもの肉を抉れば容易く抜けられる。

 しかし、数秒。いやさ一秒。僅かな間隙、足が、止まる。

 化物(けもの)達はそれを見過ごさなかった。

 瀑布のように異形が襲い来る。

 重石同然の身体、それを転じて、蹴り上げ。

 鳥擬きを蹴散らす。甲虫のような胸骨を蹴り割る。獣の(アギト)に拳を突き入れ、喉奥を貫徹する。

 その時、眼前で、それら全てが爆ぜた。

 先刻同様の発破。

 また一つ得心する。

 そうか。この深界生物擬き共の中に爆薬を仕込んで、我らの目を欺いたのか。

 

「……」

 

 蹈鞴を踏み、留まる。倒れては食い散らかされる。それは業腹だ。

 喰い殺すのはこちらの役。

 血が滂沱した。全身から。

 (やじり)が仕込まれていたらしい。右肩の肉がごっそりと殺げていた。

 糸を弾き飛ばし、左腕の自由を取り戻す。後背に跳び掛かって来た屍のような人型を殴り飛ばす。頭だけが遠く空中を貫通し、ダイラカズラの樹皮に赤い花を咲かせた。

 血が滴る。

 視界が歪み、霞む。

 身体が重みを増す。

 五感が遠ざかっていく。

 何匹を潰し、屠っただろう。時折それらは爆ぜ、こちらの肉を殺いでいった。

 そろそろだろうか。もうすぐだろうか。

 殴る。蹴り、砕く。

 

「……ふ、このあたりかねぇ」

 

 まったくつまらない死に方だ。

 利権だの国家の面子だの人間同士のくっっだらない諍い、そんなものの為に、なにをやっているんだか。

 まあ、特級遺物はこの手にある。こいつを奪い取れただけ、まだいいか。

 しかし一つ、心残りがあるとすれば。

 ライザ、あの娘とのくだらない賭け。その結果くらいは見ておきたかったが。

 まあ、いいさ。

 

「くふふ、度し難い」

 

 無数の鎌、鋭い刃が突き出た四本腕。蟷螂のような姿だ。悍ましい蟲と人の混ざりモノを頭上に仰いで、吐息する。

 

「度し難いねぇ……」

 

 刃が閃き、斬り裂く。

 ────蟷螂の首が落ちる。

 

「奈落の底は神秘の坩堝。そう聞いていたんだが、こりゃどうしたこった。まるきり地獄の釜の底じゃあねぇか」

 

 刃。一振りの片刃の剣を携えて、一人。

 その少年……その男は、己の眼前に立った。

 さらに一合、二合、異形の首を一刀のもとに斬り飛ばす。血飛沫一滴浴びることなく、化物の群に一筋、空隙を切り裂いて。

 

「あぁ~あ、やっぱし来るんじゃあなかった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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