深淵の剣   作:足洗

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18話 屍山血河

 

 

 

 血と肉の焼ける臭い。それは近く、あの塵溜めの奥地で嗅いだ。老爺を送った日、もはや鼻腔に、記憶に染み着いた死臭であった。

 しかし今それを発するのは死人ではない。生きた人間だ。全身から血を滴らせ、黒衣をなお一層暗く染める長身痩躯の、女。

 不動卿と呼ばわれ、畏れられる。英傑白笛、名をオーゼン。

 叙事詩に謳われる華麗な偉姿そこになく、ただ凄絶なる闘争者の歩むべき鬼道、その末路に女は在った。

 全身からの出血。身長と肉付き、体重を考慮に入れてもおそらく致死量は近い。

 装甲に鎧われた身体の負傷は一見にはわからぬが、裂傷、打撲は無数、手足の骨折も複数個所あると観る。右肩は特に酷い。肉が殺げ、焦げ付き、柘榴のような肉の合間から骨が覗いている。

 死に体。そう表して妥当な有り様。

 であるにもかかわらず、女はこの一瞬前まで、敵を屠り続けていた。半歩先に待ち受ける死を理解しながら、無視するでも諦めるでもなく、それを確と見定めて、戦い続けた。

 その様に、物思わずには居れなんだ。狂人なりの、兇人なりの────。

 くだらない。

 

「気に入らねぇ」

 

 命を起爆剤を叩くように一瞬にして散らす馬鹿者。そのただ一瞬の炸裂に全身全霊を投じる愚か者。

 蛮行の極みを働くその女に、俺は畏敬など覚えている。

 

「……だが、もっと気に食わねぇのは」

 

 己とオーゼンを取り囲む異形共。

 獣か蟲を人体に無理矢理縒り合わせたような怪物、腐り始めた屍のように無惨な肉塊。そういう、この世ならざるモノ達。

 否、これを、こんなものを遣わせた者共こそが。

 気に食わぬ。ひどく、この腑を煮立たせる。

 国家の陰謀だかなんだか知らぬ。知ったことではない。ただただ無粋極まる。

 

「気に食わない、ねぇ……まさかとは思うがお前さん、それだけの理由で深界(ここ)へ降りて来たってのかい」

「まさかよ。俺ぁただ墓を拵えに来ただけだ」

「墓?」

「お前さんと同じ、大馬鹿野郎のダチ公よ」

 

 屍めいた大柄の影に向き合う。腹肉が不定形に歪み、内側から鋭く肋骨が飛び出した。開閉するそれでこちらを咬もうというのだ。

 がちり、宙を噛み潰すそれの横合いを摺り抜け、通り過ぎ様首を刈り取る。

 

「墓前を浄めるついでに己ら全員撫で斬るぞ。恨み言は奈落へ置いてゆけ」

 

 また屍が一体、のっそりと来る。片腕の骨肉が瘤状に異常な肥大をしていた。それを巨大な槌のように打ち込む。

 正対して跳び越す。肉の槌を踏み付け、下段に向いた刀身で肩を斬り、断つ。

 その背後に佇んでいた犬面の人型の首を勢い落とす。転身して腕を失くした屍を断首する。傍らに踊り掛かって来た、手足に顎と牙を持った異形を、その手足と首それぞれに裁断する。

 

「!」

 

 後ろを顧みる。

 オーゼンの周囲を異形の群が取り巻こうとしていた。

 黒衣の直近。ガマガエルを思わせる滑りを帯びた皮膚、なにより太い後ろ足が、不気味な瞬発力でオーゼンに飛び掛かった。

 無造作な左拳がカエルを軽々と打ち払う。

 そして追随してきたさらに一匹へと向き合う為に身を捩る。

 

「ちぃっ……」

 

 だが女は、そのもう一歩が踏めぬ。かの者はあまりにも血を失い過ぎている。

 ヤマアラシの如く針を群生した人型の肉塊が迫る。

 追い付いた。

 横合いから喉を射貫き、その場に引き倒す。

 

「止まるんじゃあない……!」

「なに」

 

 肉塊が、膨れ上がる。光。熱気。焦げつく血の香。

 脳は実に緩慢な感覚受容に勤しんでいる。使い物にならぬ。

 ゆえに身体は、脳を経ず、反応反射した。危機に相対して不要な工程を排し、最短最善の回避行動を取る。

 外套を翻す。己ではなく、肉塊を覆う。

 爆散。

 針が布地を突き破り、しかして止まる。防刃の繊維に帷子を縫い込まれた外套である。ジルオの助言を汲んで買い求めたが、その重さと鬱陶しさに見合うだけの強度はあった。

 外套が覆い切れず、散逸した針を斬り弾き落としながらに評する。

 着弾なし。背後に庇ったオーゼンにしてもそれらは届かなかった。むしろ集り始めていた周りの異形達をこそその針と爆風は吹き払ってくれた。

 

「ケッ、悪趣味な上に悪辣な」

「…………」

「? なんだ」

「……呆れてものが言えないのさ」

「あぁん?」

 

 鍔広の笠の下から、その言の通りの呆れ顔がこちらを見ていた。以前のライザを交えた折に垣間見たものより、それは随分人がましい。

 不意に、影。羆を思わせる巨躯が頭上を覆う。

 体中を針に貫かれ、血飛沫を撒きながらにそれでも、襲い来る。

 

「首だ。首を落としな」

 

 その言に従う。静かながら確信の篭った声音に。

 羆の手には当然とばかりに、短刀ほどもあろう鋭い爪が生え揃っている。

 振り下ろされた前足を掻い潜り、横一閃。太い首がごろりと酸の水溜まりに転がった。

 そのまま骸が倒れ伏す。爆発、せず。

 

「ふぅん、首と胴が繋がったものだけが爆ぜる。そういう仕組みのようだねぇ。となれば、なるほど」

「悠長に得心しとる、場合か!」

 

 顎に手を添えて女は頷く。

 その横合いに跳び掛かって来た蟲の相の子と獣の相の子をそれぞれ斬る。防御姿勢など取らず、無防備に喉を晒すこれらから首級を刈るのは思いの外容易い。しかし、だからとて息つく暇はなかった。

 

「フフフ、先刻お前さんが言ったことだろう。全員撫で斬る。私は安心して思索に耽られるってもんさ」

「抜かせ。置き捨ててやってもよいのだぞ」

「おやおや、怪我をして弱り果てた乙女を見捨てていくってのかい。大言のわりに薄情な男だ。がっかりだねぇ」

「姥捨て山としちゃここは上等だぜ。景色もいい」

「殴られたいのかい」

 

 言いながらオーゼンは事も無げに、猛牛のように四つ足で突進してきた異形、牛に匹敵するその巨躯を正面から殴り飛ばした。

 100メートル近く距離を隔てて、地面を転がったそれが爆散した。

 只人があれを食らえば粉になるだろう。無論、拳の方をだ。まったくぞっとしない。

 異形、異形、異形、悪夢の如き肉色の地獄。

 肉を斬る。骨を断つ。首を落としていく。もとは人であったのだろう。善人であったかもしれぬ。悪人であったのやもしれぬ。それら全て、分け隔てなく、何程の区別なく、斬り捨てていく。

 

「……」

 

 不意に、オーゼンが笠を取った。女は実に、不可思議な色と形の髪をしていた。白と黒が対照を為して綺麗に入り交じり、両の側頭部で歪曲する様はまるで角のようだ。

 鍔の末端の金具の輪になにやら糸を通している。

 だらりと吊り下げたその平な笠を。次の瞬間、ぐるりと頭上で回す。

 ぐるり、ぐるりぐるりぐるり。竜巻のように風を、大気を切り裂き、逆巻く。

 

「伏せな」

「!」

 

 身体は稼働する。言われるまでもなかった。

 危機感という警告が、電光となって脊髄を駆け抜けたのだ。

 頭上を笠が、糸が過る。恐ろしい風切り音。そして現実にそれは切り裂いた。

 周囲一帯、十歩の間合に存在した異形共の首を、笠の鍔、なにより糸が。即席の裁断機と成って。

 

「ふむ、結構いけるじゃないか」

「この(アマ)! 危ねぇだろうが」

「あれくらい避けられるだろう。隙がでかいから使うつもりはなかったんだが、クククッ、なかなかにいい囮役がいるからさァ。つい」

「嫌な女だ、てめぇは」

「褒め言葉として受け取っておくよ」

「言ってろ」

 

 減じた数だけ異形は増える。

 それこそ無限、そんな感慨を抱くほど。

 あまりの大儀さにうんざりとした心持にさせられる。だが、妙な話だが。

 

「左をやれ。くれぐれも右側にそれを投げてくるんじゃねぇぞ」

「偉そうに命令すんじゃないよ。お前さんこそ気を付けな。斬り漏らしがあったら、諸共(ごと)薙ぐよ」

「ケッ」

「ククッ」

 

 負ける気はしなかった。微塵と。

 四層下部、ダイラカズラの根元。

 縦穴から五層の淵へ零れ落ちるほどに広大な大量の酸の池は。

 その日、夥しい血の紅に染まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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