深淵の剣   作:足洗

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19話 後始末

 

 

 

 

 計画は失敗した。完膚なきまでに失敗した。

 血染めの溜め池に佇立する二つの人影を見やればその現実は瞭然にして動かし難い。忌まわしく、悍ましいあの“素体”と呼ばれる異形の群を差し向け、特級遺物たる『決して切れない糸』を不意打ちの捨て石に使ってなお殺し切れぬ。

 おそろしい。

 白笛の生命力、生存能力を侮った。

 あるいは、不動卿“動かざるオーゼン”を相手に、よくぞ健闘したなどと。まさか、そのような戯言は宣えまい。

 半端に手傷を負わせてしまったという意味では、何もしないより遥かに悪い。考え得る限り最悪の始末。

 地上の班と合流し、新たに方針を定める必要がある。

 例の子供の奪取が成功したなら、計画続行の目はある。

 白笛は増え過ぎた。いや増長し過ぎたのだ。たかだか穴蔵から宝物を持ち帰るだけのスカベンジャー風情が英雄だの鉄人だのと国の最重要人物として重宝がられ尊ばれ信奉される。この世は間違っている。アビスなど地球上に数多存在する自然物のただの一つに過ぎない。資源は分配され遺物は国益に用いられるべきもの。個人が所有しあまつさえその私的欲求や権力を高める為に私用するなどあってはならない。

 我が国にこそ、アビスの利潤は遣わされるべきだった────と。

 少なくとも幾つかの国々の高官や一部統治者は、()()()そう考えている。

 が、末端の“作業者”に過ぎない彼ないし彼女および自己の行動目的は、必ずしもそうした国益主義、愛国心、大義に当て嵌まらない。

 これも仕事だ。

 現階層における戦闘を含めたあらゆる記録は、既に技術提供元へ送信された。

 もとより作業者一名に監視の“眼”を移植することを含めた契約である。あの悪魔のような男はとうに全てを見届けた後だろうが。

 最低限の仕事は済んだといえる。

 ゆえに。

 

「よう」

 

 つい一瞬前、スコープの望遠越しに見ていた筈の姿。

 ダイラカズラの根元で異形の殺戮劇を繰り広げていたその一人が。

 そこに在る。立っている。

 男は自身の耳や鼻、眼窩から血を滴らせ、口中のそれをその場に吐き捨てる。

 

「こいつが上昇負荷か……まったく忌々しい。こんなものを身に受けてさえ、探窟家(あやつ)らは奈落が恋しくて仕方ないんだとよ」

 

 刃が閃く。夥しい骨肉を斬り断ち、溢れ出た血と脂に塗れた筈の片刃の刀身はしかし、水の玉を弾かんばかりに曇りなく鋭い。

 その切れ味、寸毫も失われてはおるまい。

 監視役として留まった我々十三名を一人残らず斬り裂ける。不足はない。

 此度、本計画における最大にして最悪の誤算。この少年……この青年は、何物も斬らずには置くまい。

 手の底を押し出すように留め具を解除し、袖口から直剣を出現させる。その刃のなんと、儚いことか。こんなものをいくら振り回したところで一体なんの役に立とうか。

 何故なら今この時、血みどろの、あたかも屍のような様を晒す青年が、この場の生殺与奪の全てを握っているのだから。

 

「やられたら徹底的にやり返す。こいつぁ探窟家共の流儀だそうだ。そちらはどうだい。覚悟はよいか?」

「……覚悟など、今更問われるまでもない」

 

 戯れに応えば、青年は笑った。それはひどく軽やかで、あるいは親しげでさえあった。

 剣尖を構え、一斉に襲い掛かる。ただ一人。我が子より年若い青年を、殺す為に。

 

 

 

 

 

 暖かな血の海に身を沈め、安らかな闇が魂を覆う。

 その今際の際、作業者の男の耳孔に響く。

 

「見事」

 

 餞の言葉に送られ、十三の魂は奈落へ還った。

 

 

 

 

 

 

 腰部に装着したリールを操作してゆっくりとワイヤーを伸ばす。滑落亭で捕えた下手人からまんまと盗み、もとい拝借した装備だった。いずれ返却するとしよう。覚えていたなら。

 ダイラカズラの天辺から地上まで見当で5、600メートル。

 よくもまあこの高さを()()()()ものだと呆れ返る。

 すっかり赤黒く染まった酸の水溜まりを歩きながら、鼻の穴を片側ずつ吹く。すると出るわ出るわ、同じほどに赤い洟がどぱどぱと。

 血涙は水で洗い流さねばどうにもならぬ。視界の四割方はほぼ塞がっていた。先の斬り合い、勝ちを拾えたのは岸壁街での経験に依るところが大きい。陽光に乏しく、年中暗闇に閉ざされた貧民窟では、否が応にも目に頼らぬ立ち回りを要する。有り難がる筋合いもないが。

 下穿きに滲む血尿。汗腺からも僅かだが脂っぽい血が沁み出ている。

 失血による生命の危機より、今はこの不快感の方が余程気掛かりだ。

 

「今日ほど風呂が恋しい日はねぇや……」

「大の男が、胆の小さいことお言いでないよ」

「粗暴に振る舞うにも限度ってもんがあらぁ」

「放っておけばいずれ乾くだろ。多少気触(かぶ)れりゃ皮の方から丈夫になる」

 

 死骸に腰を下ろした女は鰾膠(にべ)もなく宣った。

 己に負けず劣らず血塗れの癖に、剛胆というよりそれはそれは無頓着に。

 

「誰の所為だと思っていやがる。呪いでどうなるかてめぇ様はとっくにご存知だったんだろうが。だってぇのに容赦なくぶん投げやがって」

「逃したところで益のない相手だ。たとえ捕まえても、拷問(せめどい)する手間に見合う情報を持っているかどうか。腹癒せに虐め殺すくらいが精々の使い途さ。フフフ、その権利を譲ってもらえただけ有り難く思いな」

「お前さんほど性根がひねてりゃ嬉しくて涙くれぇ出たかもな」

「口の減らない男だね」

 

 口の減らない女は、言うや皮肉げに口端を引き上げた。逆月が叢雲からぬっと現れるかの恐ろしげな笑み。

 当人には格別対手を脅かすような意図はないようだ。むしろ気色を鑑みるに機嫌は良いらしい。言動は一々悪態に事欠かんが。

 血腥い息を鼻から吐く。早くも固まり始めた血の滓を耳から穿り出す。

 そうして耳孔に響く。それは低くくぐもった吠声。獣の唸り。

 まだ遠い。地形の劣悪さを差し引いて、四つ足の早駆けでも20分といったところ。

 

「……減らず口を叩くにしても場所が悪いな。とっとと行くぞ」

「あぁ……っ」

 

 緩慢に応えを寄越したかと思えば、オーゼンは半歩を踏まずして(くずお)れた。

 血染めの池に手を突いたきり立ち上がることさえできないでいる。

 

「……まったく、齢は取りたくないもんだ。この、程度で」

 

 水の溜まりに滴るは、死骸のそれではなくオーゼン自身から流れ出た血潮。傷口もろくろく塞がず動けという方が無茶な話だ。

 だが、こんな平地の真ん中でのんびり治療などしていてはそれこそ深界生物共の餌食である。

 如何にしても、この場を離れねばならぬ。

 蹲る長身痩躯に近寄り、その手元に屈む。

 

「肩を使え」

「……」

 

 逡巡と呼ぶほどの迷いもなく、オーゼンはこちらの進言に従った。

 足取りは鈍い。肩に掛かる負荷はそっくりその肉体の損傷の重みを表している。

 

「急ぐな。獣はまず死骸に寄っていく。あるいはこちらを追ってくるものがあったとして、相手をするのは俺だ」

「……ククッ、お優しいことで」

「敬老の精神は日頃から培ってきたんでな、ぃでででででで」

 

 右肩がみしみしと軋む。

 

「使い勝手の悪い杖だよ、まったく」

 

 

 

 

 

 

 

 

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