深淵の剣   作:足洗

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2話 岸壁街

 もう十年以上も前になるか。

 

 

 暗い暗い穴の淵。それが原初の記憶だった。

 それ以外には何もない。あるのは目の前に横たわる暗闇と同じ、こびりつく様な無明だった。

 

 

 街の名はオース。

 大穴の縁をぐるりと囲む円環状に形成された広大な街。冒険者『探窟家』達によってここは築かれた。

 彼らの目的はただ一つ、秘境、神秘、未知なる世界、巨大なる縦穴、不可思議の坩堝、幻想の顕現。『アビス』を探索し、究明し、暴くこと。

 発掘される数々の遺物は、現代の技術力を遥かに凌駕する代物ばかり。

 それ一つで一国の命運を変えるとまで言われる法外無辺の品々。

 数多の探窟家が挑んでは、深淵の虚へと消えていく。それでもなお、人々の探究心は衰えることなど知らず、憧れは尽きることなどなかった。

 深淵への憧憬が死の恐怖すら忘却させる。

 それこそ、まるで。

 

「呪だ」

 

 

 

 

 

 

 オース南区、ここは岸壁街と呼ばれている。増改築を幾度と無く繰り返し、歪な肥大を遂げた街。スラム。

 定住権など持たない、盗掘者達の吹き溜まり。

 二ヶ月前、その最果てで己は始まった。

 

「……」

 

 吹き上がる風に叩かれる。せり出した物見の露台。手摺もなく、ふと望んだ眼下に打ち沈むは闇、闇、闇。おそらく、正規の探窟家が使う入り口よりもなおアビスの淵に近い場所だ。

 探窟家になってアビスを冒険したい。そんな憧れを語る子供が、時折ここから淵を覗き込んでいることがあった。身を投げれば簡単にアビスへ往くことが叶うだろう。行ったが最後、ではあるが。

 夢を語ったあの子供は今どうしているだろうか。

 その瞳は今も輝き続けているのだろうか。

 不意に背を撫でる気配。ゆっくりと振り返った。

 

「うおっ」

「あ?」

「んだよ」

「いや、こいつがいきなり振り返りやがったから……」

 

 三人、薄汚れた身形の男。いや、そういった姿をした人間なぞこの街には五万と居る。いやいや、そんな人間だけが住まうのがこの岸壁街だ。

 故に目の前に居座る三人の男の存在は別段驚くべきことではない。

 問題は、それぞれが手にした物。

 右の男は鉄パイプ、真ん中の男は大型のモンキーレンチと特に珍しくもない。

 面白味があったのは、鉄屑を組み合わせた鶴嘴の紛い物。それがなかなかに味わい深い意匠だった。

 しげしげとそれを眺めやる己に、どうも業を煮やした様子で真ん中ががなる(・・・)

 

「おいガキ、背中のそいつを寄越しな」

 

 男はこちらを指差して言った。纏っている襤褸の外套の下からは確かに刀がはみ出ていた。

 同時に、“ガキ”という呼称に違和を覚える。ガキ、なるほど己のことだろう。

 背丈も手脚も顔貌も、精々五つか六つの幼さ。ガキと呼んで差し支えはない。

 故にこの強烈な違和感は己の単なる錯覚なのだ。

 一人、心中で自分自身を納得させていると、がなりがさらに激しく飛んだ。

 

「無視してんじゃねぇぞ糞ガキ」

 

 がなるまま、進み出た男の一人が鉄パイプを振り被る。頭を狙ったようだが踏み込みも呼吸もあったものではない為に、それは肩口目掛けて落ちてくる。

 そうしてガツンと、それは露台の板床を叩いた。僅かに傷が付いた程度だった。

 

「あ?」

 

 何を呆けているのか。

 得物が獲物を捉えなかったのがそんなにも意外なのだろうか。

 確かに己がその場にじっとして居れば当たりもしようが。そんな筈はなかろうに。

 

「おのれらぁ物盗り、ということでよいのかな?」

 

 確認は大事なことだ。間違い、勘違い、見当違いを最小限に留めるのに必要な行為である。

 しかし、それが時に人を苛つかせることもある。実際、この期に及んでこの問いは如何にも悠長。舐め腐っていると取られても仕方がない。

 目の前の三人からは、隠し立てもせぬ怒気が背中から膨れ上がっていくのが見えた。

 襲い掛かってくる。とはいえ、己の背後は大洞の入り口。進み出る足には明らかな躊躇いがあった。

 そんな屁っ放り腰では。

 左側の男の、その右脚が踏み込んで床に着いた瞬間、膝を外側から内側へと蹴り込んだ。

 

「おご!?」

 

 見事、男は内股になって体勢を崩した。

 乗り出した男の上体が真ん中の男の進行を阻む。

 左側から悠々と三人組の包囲を抜けた。もとより、囲みにもなってはいないが。

 そのまま縺れ合う二人を無視して、鉄パイプを握っている男に接近する。当然、男はこちらを迎え撃とうと身構える。

 それでは遅い。

 

「へ?」

 

 相対する敵手の視界から消える術は数多存在する。これもその一つ。コツさえ掴めばこのように――第一歩を踏み抜く(・・)だけで男はこちらを見失った。

 人間の動作には常に“起こり”がある。肉の強張り、呼吸の乱れ、体勢の変化……それら諸々を隠し、あるいは極小化し、窮めては消し去ることこそ武道における基本であり命題だ。

 男はこちらの、前進における“起こり”を見失った。

 先程まで己が立っていた場所を呆けたように見詰める男の横顔を過ぎ去り、背後から蹴りをやる。

 

「ぎゃっっ」

 

 蹴りの威力は然して問題ではない。この男からすれば、目の前にいた筈のガキが突然背後に現れた、という事実にこそ肝を潰したろう。

 仰天した鉄パイプ野郎が派手に倒れ込む。

 未だ縺れ合う、間抜け二人を巻き込んで。

 

「ちょっま」

「げっ」

 

 ここは奈落の淵、手摺すら無い露台の端。

 男三人は団子のようにぐちゃりとまとまって、暗闇へ身を躍らせた。

 

「「「ぎゃぁぁあああああああああ!?!?!?」」」

 

 絶叫の三重奏が木霊する。

 しかし、男の一人、鶴嘴を持った者にはどうやら天運とやらが付いていた。

 

「ひぃぃい」

 

 ガチリ、と鶴嘴の尖端が板床を噛んでいる。ぎちぎちと木目を削りながら、それでも懸命に刃を立て続ける。

 台の端へと歩み寄り、下を覗けばそこには。

 

「くっふ、ははは」

 

 奈落の闇に浮かぶ姿は三つ。三つだ。

 一人目は二人目の脚に縋り、二人目は三人目の腰に抱き付き、三人目は鶴嘴の柄を死に物狂いで掴んでいた。

 三人共に健在。

 

「いや天晴な必死さだぜ、手前ら」

「たたたた助け、助けてくれぇ!!」

「落ちる落ちる落ちるっ!!」

「ひっひぃぃぃいいいい」

 

 恐怖というものを抽出してそれのみで成形したかのような形相だった。それはそれは凄まじい。

 

「助けて、か。ふむ、さてはてどうしようかねぇ」

「ひぃやぁぁあああああ」

「すいませんでしたホントに! オレら追剥とか初めてで調子乗ってました!!」

「お願いしますお願いします何でもしますからぁ!!」

「ほっほー、何でもと来たか」

 

 屈み込んで、先頭の一人に向き合う。涙と鼻水で汚い顔をさらに汚してこちらを見上げている。

 

「二度と盗みはやらんと誓うか」

「ちっ誓います! もう絶対しません!」

「助けたなら、己の言う通りにしてもらうぜ?」

「しますしますしますから早くぅ!!!」

「よぅし分かった」

 

 えいこらと立ち上がり周囲を見回す。

 縄の一本も探せばあろうや。それまでこやつらが耐えられるか、踏ん張り所だな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スラムの住人が金を稼ぐ方法は多種多様だが、大半は違法行為である。

 スリ、追剥、置引、家宅や店を狙った強盗。露店に並ぶ品々の出所を一々確かめていては買い物も出来やしない。盗掘品の売買、横流しもまたこの街では顕著だろう。

 私娼や物乞いなどまだ真っ当な方だ。そうした者らは、他人から何かを奪い取るような真似はしない。

 靴磨きに精を出す少年が居る。歌や踊りで人を楽しませる少女も居る。

 そしてもう一つ、代表的な稼業がある。稼業と呼べるかも怪しげな、屑拾いという名の雑役だ。

 

「ったく、なんでオレ達がこんなこと!」

「仕方ないでしょー約束しちゃったんだから」

 

 街の外れの広大なゴミ溜には、東西北オースの廃棄物が一挙に集積されている。ここから再利用可能な器械や部品、製材を探して拾い集める。文字通りの屑拾いだ。

 

「なんてったってあのガキは馬鹿強だ。逆らったらどうなるか分からんからな」

「だからってこんなもんガキ共の仕事だろうが!」

 

 ガキの仕事……確かにそうだ。屑拾いなんてものは結局のところ、何の稼ぎの術も持たないガキがそれでも飯の種を得る為にやる雑役。それが実態だ。

 その結果、未成熟な子供が次々とゴミ山の汚濁と毒に侵され、病み――死んでいく。

 

「……」

 

 見回せば己ら以外にもゴミ山を漁る者はちらほら見付けられる。そうした大半が、十にも満たないガキなのだ。

 

「そらそら、無駄口叩いてねぇで手ぇ動かしな」

「はいよろこんで!!」

「手のひら返すの早すぎでしょ……」

「本当に噛み付く相手間違えたな。オレ達」

「うるっせぇ」

 

 がやがやと喧しい三匹を尻目に、己とても仕事をせねばならん。

 金属ネジは状態が良ければ規格を問わず買取対象だ。針金、ワイヤーは勿論、銅線などは特に高値が付く。となればそうした狙い目の物は真っ先に獲られ、時にはそれの奪い合いになる。諍いが喧嘩に発展し、容易に殺し合いが始まる。

 食い扶持を得る為に。明日も生きる為に。他人を害してでも。

 

 

 

 

 日が暮れる頃には、持ち込んだリヤカーは満杯になった。

 

「引き上げるぞ」

「「「へーい」」」

 

 この街の大通りは常に薄暗い。西日すら射さない。無作為に岸壁に張り付いた無数の家々が、まるで覆い被さるように道の両端を挟んでいるからだ。

 活気と呼ぶには辛気臭いが、それでもこの時刻の往来は賑やかだった。

 そうして程なく目的地へ到着する。

 店内を夥しい鉄屑で満たした店とも呼べぬ店。スクラップ屋などと標榜するからには、この様相こそ正しいのやもしれない。

 店の奥で煙草を吹かす親仁を呼び付け、持ち込んだ屑を見せる。何か言うまでもなく、男はすぐに値踏みを始めた。

 提示された額を元に、二、三回の交渉を経て話が着く。店主の男は番台の金庫から金を出した。

 

「四等分してくれ」

 

 じろり、と男は己と背後の三人を睨み付ける。それも一瞬のことだったが。

 店主はこちらの言う通り、鉄の盆に四等分された金を置いた。

 その一つを手に取り、重みを検め懐へ仕舞う。

 

「あとは手前らの取り分だ」

「へ?」

「ん?」

「はぁ?」

 

 そんな頓狂な声と顔で返事をする男達を横切り、ふと思い立ってリヤカーを指差す。

 

「こいつはやる。使うなりバラして売るなり好きにしな」

「いや、待て」

「じゃあな」

 

 用は済んだ。己の用は全て。背中に掛かる声に応える義理もない。

 なけなしの夕焼けさえ遠退いていく。夜と、歪な家々が作り出した暗闇に紛れ、帰路を歩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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