また一体、青年は敵を屠る。
『素体No.51』は、魚類に似た形質を発症した個体であった。手指が伸長し水掻きが発達し、筋肉もまた潜水、力泳に適した組成に変態が見られた。脚や肺が退化することなく陸上での行動能力を失わなかったことは実に幸いで、奈落下であっても支障は見られなかった。体長に即した大きく分厚い鱗は天然の鎧となり、拳銃弾程度であれば貫通を防ぐだけの強度を誇った。
素体に成り果てる前の“彼”は漁師を生業としていたそうだ。やはり過去の体験、記憶が表れ出る形質に強く影響を及ぼすことは確かである。
再び“視線”を青年にフォーカスする。
堅固な魚鱗を、それでも青年は手にした剣で苦もなく斬り裂く。その切断力は驚異的である。
まさに今首を落とされた『素体No.186』は、骨格が金属質状に変異した個体である。およそ鉄と同等の硬度と靭性を発揮する“彼女”は、当然ながら肉を幾ら傷付けようとその骨子には刀剣など
造船業、それも金属加工に従事していたという勇ましい女性だった。子供の養育費の為に今回の契約に応じてくれたのだ。心からの尊敬に値する人物であり、子を想う愛に満ち溢れた母御であった。
強靭な内骨格の存在などものともせず、青年は頸骨ごとその首を断ち斬ってしまった。
「素晴らしい」
仄暗い研究室の只中で仮面の男は感嘆した。
一筋、仮面の頭頂から顎先まで縦に走る光条。紫紺の輝きが増した。その無邪気な感興を表すように。
「ギャリケー、是非貴方の意見も聞かせてください」
「は……」
呼び掛けに応じて、側に控えていた白い外套が進み出る。
分厚く白い装面、その右の額と左の頬に、互い違うようにして光学レンズを搭載している。
男はギャリケーに接続端子のようなものを手渡した。それは男が座るコンソールから伸びたコードと繋がっている。
ギャリケーはそのまま、なんの躊躇もなく端子を自身の耳孔へ差し入れた。
「……」
「如何ですか?」
「……類稀な切れ味。自分の経験でも、これ程の業物は見聞きしたことがありません」
「現代の刀匠、あるいは現行の鍛冶製鉄技術で同等の性能の刀剣が再現できると思いますか」
「不可能でしょう」
「私もそう思います。あれほどの量の血脂を浴び骨を断ってもなお切断力が落ちないなど、従来の金属では物理的に有り得ない。やはりあれもまた、アビスの産物なのでしょう。是非とも手に取って拝見したいものです。構造解析すれば複製も可能かもしれません。おっと、いや、いや、より新しいものを好むのは人間の性ですが、ああいった単純明快さにはなんとも弱い。私もまだまだ子供っぽいですね」
「ですが、卿よ」
平素寡黙な白装面は、しかしさらに言い募る。
「あの斬撃の鋭さは、武器の性能に頼る者のそれではない」
「ほう、ではあれは彼の技術によって為し得ていると?」
「はい。あの男が斬り殺した素体は計148体。その全てに対して、奴の刃筋は寸毫もぶれていない。精妙を極めている」
「回収した素体の亡骸を後で検査しましょう。そして貴方の意見にはやはり私も賛同します。彼はとても強い。確かな技量と戦闘経験の厚い蓄積が感じられます。ギャリケー、
「近接戦闘を避ければ、あるいは」
「素晴らしい。貴方にそこまで言わせる程とは」
眼球に直接投影された監視記録を見る。
屍山血河を一面に敷き詰める年若い剣士の姿。
「これは“成長”なのか。それとも“回帰”なのか。彼は実に興味深い存在です。いずれ是非とも、会ってみたいですね」
三層下部。ダイラカズラの傘を眼下に望む。
脂石の層は文字通り、油のような光沢をした珪質の岩盤だった。
大断層の岸壁とは違い、生物の巣穴は少ない。代わりとばかり、切り立った壁面には無数に棘のようなものが取り付いていた。それら全て生物の卵だという。それも一種ではなく、複数種、名称すら付けられていないものまで多様に。
強固な岩石の堆積物をそれでも、植物の根は穿ち、太い足を縦穴に向かって伸ばしている。
それを足場としながら、己は石壁を検めていく。穴の外縁をぐるりと巡り、かれこれ小一時間ほども。
「……」
そうして幾重にも折り重なる木の根に出くわした。簾か女の髪のように流れ落ちる植物。
その奥底に、岩が削れた箇所がある。覆い隠された窪み。土が乾いている。以前は鳥獣が巣でも張っていたか。
背後を見やる。
四層の果ても見えぬほどに巨大な、雄大な、自然物の支配域。巨大な植物群とそれに巣食う数限りない生き物。生命の、営みの、爆縮するかの景を。
首に提げた黒笛を取る。
木の根の奥深くへとそれを仕舞い込み、その上から遺灰を注ぎ入れた。
土と小石と岩で丁寧に封をする。
「お前さんが倅と夢見た場所か。あぁ、眺めだけはそう悪くねぇ」
墓と呼ぶのも烏滸がましい。寒々しい岩土に老爺を打ち捨て、その場から背を向ける。
しかし一人ではない。きっと再び、奴は奈落で相見えるだろう。
「じゃあな、ウィロー」
妻子に宜しく言っておいてくれ。
────世話になったな
皺枯れた声が耳朶を掠める。
まあ十中八九、三層の呪いというやつだ。
岩壁に背を預け、待ち受けていたオーゼンと共に大断層の登頂を再開した。
女は珍しく静かで、あれほど減らなかった憎まれ口も皮肉も、暫くは鳴りを潜めていた。
洞を通り、時には岸壁側を飛翔生物を相手取りながら、牛歩のように崖を登る。昇る。
三層の上昇負荷、頭痛に吐き気に五感の異常。より取り見取りの不調の連続を気付け薬や、時には刃の痛みに頼って追い払う。
踏み拉くように進む。帰り路を。
不意に。
「墓に参りたきゃ、私に言いな」
「?」
「どうせ監視基地からは丸見えなんだ。一々隠れて行くのも面倒だろう。なんなら……うちの隊で飼ってやってもいい」
前方の、暗い洞を先行する黒い背中を見上げる。
闇に溶け込むような姿が、その短い沈黙の中になにやらひどく言葉を選んで。
「あんたは、まあ、及第点だ」
「……」
女はあの平淡な、解り難い仏頂面をしているのだろうか。
「くく、こいつぁ幻聴か? 随分とまあ、お優しいお言葉が聞こえた気がしたんだが」
「幻聴だよ」
「そうかい」
アビスの淵より流れ落ちる大瀑布の水流を動力にする大ゴンドラ。
深緑の風景は程なく霧に変わり、五里霧中をひた昇る。力場の視界は行とそう変わらず悪い。
のっそりと傍らに大柄が立つ。ハボルグである。
大断層の登攀の途上でマドカジャクの群につけ回されていたところを合流し、男はこうしてトンボ返りをさせられている。
「どうだ、一層の負荷は。まあ四層三層と昇って来た奴に聞くのも妙な話だが」
「痛飲明けに比べりゃ屁でもねぇな」
「ハハハハ!! そうか! まあお前ならそうだろうな!」
「お前さんには要らぬ手数を掛けたな」
「別に構わねぇよ。珍しいもの見られたしな」
「ん?」
物問いに見上げると、ハボルグは愉快そうに一層笑みを深め。
「あの偏屈な不動卿に殲滅卿以来の直弟子が現れたんだ。こんなに面白い話はねぇぜ」
「……己のことか?」
「お前以外に誰がいるんだ」
かの女は今監視基地に、己が麾下たる“地臥せり”と共に居残っている。あれがまさか妙なことを吹聴して回るとも思えぬ。
この大男の早とちりか勘違い、あるいは話にならぬ世迷言であろう。
「戯けたことを抜かせ。そんなんじゃあねぇよ」
「おいおい白笛の直弟子だぞ? そうそうあることじゃないんだぞ」
「あの女が師匠面で指図してくることなんざ、それこそ碌なもんじゃねぇや」
なにより……師弟の間柄などという席は、とうの昔から埋まっている。今更余所者が居座る余地などない。己が何故そんな野暮を働かねばならんのか。
不動卿の二番弟子ラーミナ? 白笛探窟隊員ラーミナ?
阿呆くせぇ。
「俺はただの貧民窟のガキよ。
ゴンドラが霧を抜ける。
地上から突き出た鉄骨の昇降機が籠を受け止めた。いつか、帰還祭の折にはオーゼンらが渡った大桟橋に。
「探窟稼業はお前向きだと思うんだがなぁ」
「此度のこれはただの成り行きだ。己がわざわざこんな穴倉に潜ったなぁ厄介な約束と……」
両扉が開き、桟橋に進み出たところでそれを見付ける。穴に伸びた橋梁の向こうから、小さな姿が駆けてくる。
「ラーミナ!!」
「あの坊の為だよ」
白銀の髪の少年は勢い飛び付いてきた。それを胸に受け止め、両手で頭上高く抱き上げる。
「おかえりっ」
「ああ、今帰ったぜ。ジルオ」