深淵の剣   作:足洗

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26話 兎の縁

 

 

 外套を脱ぎ、長椅子で横になる少年を包む。

 

「さて、ジルオよぅ。宿に行くか。こんなところで寝てちゃ風邪っ引きだ」

「んん……」

 

 赤子のお包みのようにして被せた外套ごと童を抱き上げる。己が身体の異常な発育も、こういう時は重宝だ。

 

「あの娘が起きて騒ぎだしたらそう言っといてくれ」

「お前さんはどうするんだい」

「眠い。寝る」

「おやおや逃げるのかい。流石のラーミナ坊やも大虎(ライザ)の相手は荷が重すぎたと」

「何と言われようが俺ぁもう寝る! さあさ行くかいジル坊、ジルは良い子だ寝んねしな~と」

「…………」

「んな露骨に不満そうな顔するんじゃねぇよ。難儀だってんなら、そこの若ぇのに娘っ子の面倒見させりゃいい」

「…………」

「おい、それも嫌だってか」

 

 この御師匠殿の親馬鹿っぷりは身を以て思い知らされたものだが、しかしそれにしたとて難儀な。

 悋気と呼ぶには頑是(がんぜ)なく、それこそ幼子の嫉妬だ。それをして年甲斐もねぇなどと言った日にはまたぞろ脛を蹴られるだろう。

 その拗ねた仏頂面を見上げると、溜め息が漏れる。

 

「……河岸は変えなけりゃならんだろうな。他人様の店いつまでも占領してる訳にもいかねぇ」

「宿」

「追ん出されるわ。あの娘を引き連れていてはな」

「にぃくぅ~!! オットバスの……こぉぶがいぃぃい~……」

「ラ、ライザ、ほんとに、死、死ぬ……」

 

 声のした方を見やる。ライザと青年はいつの間にやら床に転がっていた。

 ライザが青年の上半身に覆い被さり、上四方固めを極めている。なるほど確かに、うっかり股座で鼻と口を覆えば呼吸が阻まれ死ぬだろう。

 

「あれ、なんとかしてやれ」

「ぶー」

「えぇい我が儘ばかり抜かすな。子供かおのれは」

 

 初めて対面した時は今少ししゃんとしていた印象だが、深界で再会してからこっち、この女どうも儘ならぬ。

 甘えたな童じゃあるまいに。

 この女も大概酔っているらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 オースからこのセレニを訪れた組合の特使、および白笛両名の隊は同じ宿に拠点を設けている。

 誘拐を教唆した首魁の身柄は既に我が方にあり、敵勢力の総本山も怪物姫二人に文字通り()()()()にされた。

 この子を捕らえ、害そうとする輩はもはやいない。宿の隊員に世話を預け、己は再び酒場へ舞い戻ればよかろう。本心を言えば今は寝床が心底恋しいが。

 雪のちらつく通りを歩く。轍で半ば氷のように踏み均された雪の道。

 通りには存外、人気があった。ガス式の街灯に新鮮味など覚えつ、見上げた夜空の濃淡と叢雲の向こうで朧に存在を主張する月の位置を認める。夜半と呼ぶにはまだ少し早い。

 酒場に篭り切りで酒盛りなどすればなるほど、時間感覚など狂って当たり前か。

 この辺りこそこの街の盛り場なのだろうが、オースに比べればややうら寂しい。国の政が難航し、民草の経済(かねまわり)が滞っている証だ。金という血の巡りを悪くすれば国土という肉体は腐って落ちる。避け難くそれは道理。

 

「……」

 

 たかが剣術使い風情が、識者気取りで思索を巡らせたとて詮無いことだ。

 この街の住人達の、活力に乏しい顔が通りを行き交う。腕の中の温もりを今一度抱え直し、宿への帰路を行く。

 その時。

 

「んなぁ! 触るな! 放せったら!」

 

 行き過ぎようとした路地の奥から、その声は響いた。

 屑籠や酒瓶が転がる薄汚い暗がりで、男が三人屯している。いや囲いだ。追い詰めた者を逃がさぬように、三方固め、壁際に閉じ込めて。

 男達の合間から白い髪が見えた。周りを取り囲む大柄に比べれば一層小さく見える。小柄な娘が一人、紛れもなく襲われていた。

 

「んぅ……ラーミナ……?」

「おっと」

 

 腕の中で身動ぎする。ジルオの眠たげな目が己を見上げた。

 

「このアマ、騒ぐんじゃねぇ」

「とっとと寄越せ売女が! 今日も客を取ったんだろ」

「何見てやがる。見世物じゃねぇぞ!」

 

 通行人の幾人かは何事かと足を止めるが、それを見て取った三人目が怒号を飛ばすとそれらは蜘蛛の子のように逃げ散っていく。

 喚声に驚いた少年が身を竦ませた。

 路地を見やり、その奥の様子を見て取ったのだろう。

 戸惑い、揺れる青い瞳が、その不安げな眼差しが己を見る。

 

「……仕方ねぇ。少し待ってな」

「! うん」

 

 ジルオを下ろし、外套の前を閉じ合わせる。路地へと向かう。

 

「モグリは禁止だって何度も警告してやったのに。もう駄目だ。見逃してやってた分まできっちり払ってもらうぞ」

「体が売りたきゃ組の店に入れ。誰がこのシマを守ってやってると」

「ふっざけんな下衆野郎! 頼んでねぇんだよ! この街の誰もてめぇらなんか認めてねぇ! 腐れ宗教屋の腰巾着が偉そうにすんな!」

「なん、この、糞アマ」

 

 威勢の良い啖呵だった。眼前の男の血管を切り破る程度の切れ味。

 拳が握られ、振り被られる。その意図は歴然で、なんとなれば迷いなく娘子の顔を狙っている。

 娘は歯噛みして目を瞑った。

 そうして打ち出されようとする男の腕を、掴み、絡め取る。

 捻り上げた手を男の背中に回す。骨が鳴り、筋が引き攣る感触。柔軟さがない。運動不足だな。

 

「いでぇええ!? なんっ、がぁ……!!」

 

 藻掻く男を解放する。

 二の腕を押さえ、男はその場によろめいた。

 三人分の目玉がぎょろりと己を睨んだ。

 そしてすぐ、その気勢がやや殺がれたのがわかる。正義漢気取りの気障野郎かと思えば、自分達より遥かに若い青年、いや肉体年齢は未だ子供の範疇。

 まさかこんなガキに難癖を付けられるなどとは考えもしなかった。そういう面だ。

 敵愾心が弱まり、代わりに表出したのは侮りと、嘲弄の気色。

 

「ちっ、旅行者の子供か。余所者はすっこんでろ」

「ガキが」

 

 踏み込んでくる。その迷いの無さはある種、評価に値した。

 中空を走り、向かってくる拳を見ながらにそんなことを思う。

 まあしかし、好都合ではある。自ずから来てくれるのだ。こちらとしてもやり易い。

 拳打を掌で逸らし、入れ違いに顎に裏拳をぶつける。顎の尖端を弾くように軽く、頭蓋の中身を揺する。脳震盪というやつ。

 眼球がぐらつき焦点はぶれ、男は地面に崩れ落ちた。

 一瞬、その場に沈黙が下りる。今もなおしんしんと降り積もる雪のような静寂。

 

「て、てめぇ」

「なにをしやがった」

 

 見るからに怯んだ様子の男達へ向き直り、僅かに思案する。

 大義名分はそう、こんなところ。

 

「夜中に騒々しいんだよ。せっかくぐっすりだったってぇのに……」

「あぁ!? ぶつぶつなに言って────」

「うちの坊が起きちまったじゃあねぇかァッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 苦しげに呻き声を上げる男達を路地のゴミ溜めに寄せ集め、その辺りのゴミの袋を積んで被せていく。

 こうしておけば凍死することはあるまい。

 ぱんぱんと手を叩きながら、その場を後にしようとした。

 

「んななな待った待った! そこなお兄さん」

「ん?」

 

 振り返った路地の出口には果たして、白髪の娘が立っていた。

 くすんだ髪色だった。ジルオが白銀ならば、この娘のそれは灰色だった。地面に落ち、踏まれ均され土と混じり、薄汚れた雪の色。肩口まで伸びた髪は、乾いた空気の所為か栄養状態が悪いのかぱさついて見える。

 上は兎革の白いコート。下は丈の短いズボン、なのか。尻まで見えそうな小さなそれが辛うじて下腹部を覆い、太腿にぴたりと張り付いている。この寒空の下で大胆に生足を晒す様は、艶気よりむしろ寒気を催した。

 モグリの娼婦。所謂、私娼か。先程の男達の言からもわかる通り。

 

「ややぁ助かったよ。今のは流石に結構危ないとこだったから。お兄さん強いねぇ。カッコよかったよ~」

「そいつぁありがとさん。冷えるのに御苦労だなぁ。まあ悪ぃことは言わねぇから、今夜のところはもう帰ぇりなよ」

 

 言い置いて、その横合いを摺り抜けようとしたところ、娘はこちらの腕を取った。縋り、抱き着いてくる。

 化粧と、やや強く香水が匂う。吹き過ぎのような気もするが。

 

「んなぁ、つれないこと言わないでよぉ。お礼もさせてくれないの?」

「気にするこたぁねぇ。礼をされるほどのことはしてねぇんでな」

「おー謙虚だねぇ。そういう人この辺じゃ珍しいよ。ふふ、ますます好きになっちゃうんなぁ」

 

 指が絡み、繋がる。掌が合わさる。

 耳朶に唇が寄り、熱い吐息がその奥底を擽る。変わった声をした女だった。妙に耳に残り、()()()がある。独特の愛嬌がある。小動物的というかなんというか。

 思わず笑みが零れた。

 

「なるほど、今夜は客入りが悪いか。その上折悪く破落戸に絡まれ踏んだり蹴ったり。この空模様、夜半を過ぎれば吹雪きそうだ。金を持ってそうな旅行者を今こそ取り逃がす訳にはいかぬ、と……そんなところか?」

「うぐ……鋭いじゃあないの、若そうな癖に」

「くく、人は見掛けで判らぬものよ」

「ね、ね、ホントダメ? ウチはまあ、肉付きはあれだけどさ……()()()のテクはそこそこのもんよ? 手先が器用なのが売りです」

「一人なら付き合ってやってもよかったんだが、生憎と子連れでな」

「えっ」

 

 通りにぽつりと一人、少年が佇んでいる。すっかり待ち惚けを食わせてしまった。

 

「……」

「?」

 

 娘は子の姿を見付けた途端、なんとも曰く言い難い表情をした。嬉しげであるような、悲しげであるような、どうしてか相反する色が、その顔を彩る。

 一度、己の腕を取る娘の手に力が篭った。ぎゅっと、それこそ縋るような、儚げな必死さが。

 

「……んなぁ、それじゃあ仕方ないね。また別の人を探す────」

 

 ぐぎゅるる~

 突如、地を這うように低く、獣の唸り声の如き音色が路地に響いた。

 娘を見やる。

 それは実に気不味そうな顔をしていた。

 

「食えておらんのか」

「んまあ、うん、ここんとこ実入りがなくて……はい、一昨日からなにも」

 

 腹が鳴った羞恥などよりむしろ、惨めさ。空腹に甘んじ、誰かに縋らねばならぬ人としての矜持が。

 一瞬、娘の顔を翳らせた。

 それは、実際のところはわからぬ。己の全くの見当違い、勘違いであったやもしれぬ。

 惨め……己のこの発想は実に幼稚だ。飯が食えねば守るべき尊厳も糞も無いのだから。それを矜持などと。

 だが、恥じらう娘のそんな人がましさは、己の好むところではある。

 

「ここらで旨い飯屋はねぇか」

「え?」

「暇なら案内してくれ」

 

 暫時、目を瞬いてこちらを見詰めていた娘は、微かに笑みを浮かべ、静かに吐息した。

 

「んなぁ、お兄さんってば……結構チョロいなぁ」

「おぉ忙しいってんなら無理にとは言わん。引き留めてすまんかったな」

「んなぁー! ウソウソ! 安くて美味しいとこ知ってるって!」

 

 巡り合わせか、あるいはこれも縁か。

 強かで妙に愛嬌のある娘と出会った。

 

「お兄さん、あー、お兄さん呼びでいいんかな。お兄ちゃん♪とか、パパとか、ご主人様……なんて呼ばれたい?」

「別になんでも構わねぇが、俺ぁラーミナ。お前さんは?」

「ムタ」

 

 騒動を終わらせ、また一つ騒動の種を手ずから育てようとしている。その自覚はある。あるが、まあ。

 それもまた一興。

 

「ウチはムタだ。よろしく、ラーミナ」

 

 ふわりと、この雪のように柔らかに娘は笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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