中央通りの盛り場を離れ、路地を跨ぐこと幾つか。
裏通りはひどく雑然としていた。
狭苦しい通りに行き交う人、人、人。早足に歩き去る者、足を止めて呆とする者、着飾った者、襤褸を纏う者、顔を隠す者、大声で笑う者、妙に人目を気にして肩身を縮める者、大荷物を抱えて走る者、それを追い掛ける者。ありふれた日常から怪しげな非日常まで。営みがある。
この辺りは酒屋や飯屋が大半だが、露店商も幾らか通りに茣蓙を広げている。雑貨類、金物、肉に魚、果物、生薬まで手広いこと。出所が真っ当である保証はないが。
「なんだか、オースの岸壁街みたいだ」
ジルオの言に内心で肯く。ここはあの貧民窟の仄暗い喧騒を思い出させた。
しかし、人の活気も賑わいも表通りとは雲泥の差だ。
「ウチらにとっては闇市の方が生活の基本だからね。質を問わなきゃ、わりとなんでも揃うよ」
「地獄の沙汰も金次第か」
「そゆこと。んで、お金がないと今のウチみたいになります」
お道化た調子で、盛大に腹を鳴らしながらムタは言った。
当人が笑っているのだからまあ笑い話なのだろう。金はなく、盗みを働く器用さも、他者から奪う暴力も持ち合わせぬ、ならば飢えて死ぬしかない。
オース、セレニ、他の国々とて同じ。何処を見渡しても掃いて捨てるほど散らばる現実。
「さ、こっちだよ。『雪どけ』ってお店なんだけ、ここいらじゃ珍しいくらいスープが具沢山なんだ。今の時期はトナカイ肉のローストが……」
先導するムタがこちらを振り返った瞬間、小さな人影が娘にぶつかった。子供だ。背格好はジルオとどっこいの、幼子。
咄嗟のこと、避ける間もない。
「ッッ……!」
ムタの反応は劇的であった。衝突に身を固くし、腹を抱えるようにして背中を丸める。
ある種、過剰なまでの大きな挙動で。
体当たりを見舞った方の童は、詫びの一言もなく己の横合いを擦れ違う。そのまま駆け去っていった。
「大丈夫か」
「んなっ、なっははは! うん、大丈夫大丈夫。いやいや前方不注意ってやつだ」
「ああ、気を付けな」
革の小袋を娘に差し出す。一瞬呆然とそれを見詰めた後、丸く大きな瞠目が己を見上げた。
「私の財布!……そっか、さっきの」
「スリ?」
「らしいな。なかなかいい腕だ」
「くあー、油断したぁ。ジモティーでこれは恥ずいんなぁ……」
受け取った財布を急ぎコートの懐へ仕舞い、ムタは頬を掻く。気不味さを誤魔化すような仕草、そう見える。
「ごめんね! ありがと。こりゃご恩が重なりっぱなしで返済が大変だぁ。あははは」
からからと笑うその様に含むところは覚えない。
だが、どうにも募る。不審に至らぬまでの、疑問が。
一握りほどの革袋の財布。中身の感触は硬貨ではなかった。あれは、丸められた札の束。
「さあさあ改めて案内するよぉ! もうすぐそこだから」
再び先導役に立ち戻った背中に随う。
傍らのジルオの手を取り、僅かに引き寄せておく。奇襲されれば即座、幼子を抱えてその場から瞬発できる。
「ラーミナ?」
「一応、逸れんようにな」
とはいえ、警戒の念は二分ほど。娘子の気配には一向に、こちらを欺くような色は見えなかった。
詐欺や騙し討ちが目的の者がわざわざ面倒な子連れを選ぶとは思えぬ。
ゆえにこそ不可思議。金を持っていながら困窮した様子を見せる娘が。
なにより、先程の挙措は。
「着いたよ」
夜闇を暖かに照らす灯。鼻を擽る料理の匂い。
現地語と公用語、立て看板には二種の言語で『雪どけ』と手書きされていた。
「うんまぁ~……」
娘は涙すら浮かべて言った。そうして、卵とトマトの炒め合わせをバゲットに載せてさらに齧る。
二日ぶりにありついた食事ともなれば、味も喜びも一入だろう。
ジルオもまた己の隣で黙々と匙を口に運んでいる。よく煮込まれた肉や野菜が大杯にごろごろと詰まって、娘の評価通りなかなか食いでがあった。
トナカイ肉のロースト。同じ薬食いであるところの鹿や猪とも違う。淡泊で獣臭さが少なく、赤ワインの浸けダレの濃さが良い塩梅だった。エールも合う。
「ラーミナ、また飲んでる」
「いや、酒に合うこの肉が悪い。実に、んむ……悪い。悪いぞぉこいつぁ。ははは」
「もぉ、昨夜もさんざん飲んだのに」
「すまんすまん。ジルオも早ぇとこ飲めるようになってくれぃ。お前さんが居てくれりゃ己も加減ってやつを覚えられる」
「ん……いいけど」
「おぉ楽しみが一つ増えたな。ありがとよ」
軽口の約束事でも童は生真面目に受け取ったらしい。匙に口を付けたまま照れたように視線を逸らす。
大きくなったこの子と酒を酌み交わす。それは楽しみだ。とても、とても楽しみだ。
「お前さんもどうだ。飯のついでだ、別に遠慮は要らんぜ」
「ん、いいよいいよウチは。最近はあんまし飲まないんだ。やっぱし健康って大事じゃん?」
「ほー、そうかい。そりゃ殊勝なこった」
両手で頬杖をついたまま娘は首を左右した。代金に気を遣っているという風情ではなく、控えているというのも本当らしい。
「にゅふふふ」
「なんだ、ニヤニヤしやがって」
先程から食べるのもそぞろに、ムタは己らの遣り取りを対面からじっと眺めていた。
「んなぁ、仲良いなって思ってさ。兄弟っていうか……親子みたいでさ」
「齢はそこまで離れてねぇ筈なんだがな」
「え、うっそだー! キミそんなに若いの? 見えない見えない」
「失礼な。こんなナリだがこう見えて俺ぁ…………俺ぁ実際んとこ幾つなんだろうな、ジルオ」
「いやわかんないけど……初めて会った頃より今のラーミナすごいでっかいし」
「子持ちって言われてもウチは信じるね」
「そうするとジルオが俺の子か。いや己に似ず、すっかり賢く育ってくれちまって。父ちゃんは嬉しいぜ」
「……」
「わ、赤くなった。照れてるよぅこの子~、かぁわいいんなー!」
「ッ~!」
ムタは目をキラキラさせてジルオを囃す。なんとなれば身を乗り出し、頭を撫で頬を撫で存分に愛でた。
それは初めこそ、小動物を可愛がるようなはしゃぎ様だったが。
次第次第に、娘の眼差しは穏やかになっていった。陽光のような暖かみを宿して、瞳が、その手が優しく包む。幼子を。
「……ジルオくんは可愛いね。ウチも────」
娘の柔らかな視線。それは目の前のジルオを見ているようで、その実遠い。まるで未だ行き着かぬところへ注がれている。
どうしてか己の目に、かの女はそのように映った。
子を想う姿。その様は、それこそまるで。
「あの……」
「あ、ごめんね。べたべた触っちゃって」
戸惑うジルオに、ムタはすぐ身を退いた。
子供好きゆえの強引な触れ合い方。そうも見えたが、娘のそれには繊細な慮りのようなものが感じられた。
「んー、やっぱし今日のウチってばついてるんなぁ。太っ腹な御大尽と、こーんな可愛い男の子と一緒にごはん食べられるなんて」
「急に改まってどうした」
「改めて喜びを噛み締めてるんさ。あの『カザフ』の連中に絡まれて、あーもー今夜は終わったなぁって絶望してたところにキミが颯爽と現れて一瞬でボコしてくれたんだもん。控えめに言っても最っ高だね! んなははは」
「『カザフ』?」
「そ。この街に流れて来たギャング、っていうの? まあ、本当にただのろくでなし共だよ」
何処にでもいるチンピラ。と言うには確かに、あれらの遣り口は度を超えて横暴だった。
「一年くらい前からかな、奴らがこの街に居着いて好き放題し始めたのは」
「店に入れだのどうこうと脅されておったな」
「この街に元からあった娼館を奴らが乗っ取ったんだ。店にだけ客を呼び込みたいから
「ん、別に」
街のチンピラ風情では逆立ちしても届かぬ
密かに苦笑を堪える。
「最近はわりと大人しかったけど、急にまた騒ぎ出したのは……やっぱり『モデナ』のことがあったからだろうね」
「……」
『モデナ』
この単語には聞き覚えがあった。しかもごく最近。なんとなれば一昨日に。
こちらの沈黙の間を物問いとでも勘違いしたのだろう。ムタは親切に説明を続けた。
「あ、『モデナ』っていうのはね。この街にある宗教団体の名前。正確に言うと、モデナ山の神様のことをこの国ではそう呼んでるんだけど。勝手に自分達の教義の名前にすり替えてるのが、モデナ教のイカれ坊主達。あいつらこそ正真正銘の下衆外道さ。貧民救済とか謳ってるけど、裏では人身売買だの麻薬密売だの黒いことをやってる」
「そんな噂が市井にまで出回ってんのか」
「噂なもんか! 実際にウチと同じ私娼仲間が……友達が、あいつらに壊されたんだ。それも、この国の役人への“接待”に遣わされてね」
軋む。それは眼前の娘の口中。ムタは奥歯と共にその憤怒を噛み締めていた。
「……こんな仕事だから、先がないことは皆わかってた。だから助けを求めてあんなところに行っちゃったんだ、あの子……」
暗く、その面相が悲哀に翳る。記憶の中の輩を悼んで。
はっとして娘が己らを見る。
「ご、ごめんごめん! 別にキミ達の同情引きたいとかじゃなくて。それに、もう終わっちゃったことだし」
「終わった?」
「そう! こっからは良い話。つい一昨日の話、なんとモデナの屋敷がぐちゃぐちゃのばらばらにぶっ壊されたんだ!」
「……」
「……」
「どこの誰がやったかはわからないけど、とにかくモデナ教が壊滅させられたって。ま、肝心の司教の糞爺は行方知れずで、ちゃっかりとんずらこいたらしいってのが腹立つけどさ」
実に身に覚えがある。身に詰まされるニュース速報だった。
ジルオと視線だけ交わす。言わぬが花というものだ。
けらけらと存分に笑った後、ムタは再び顔を顰めた。
「ただ問題なのが、カザフはモデナに取り入ってこの街にのさばってたんだ」
「あ? 破落戸を宗教屋が囲ってたってのか?」
「そう。自分達に逆らう人間、特にモデナ教以外の宗教を信仰してる人間とかを、カザフの糞チンピラを使って街から追い出して来たんだ」
「体のいい猟犬といったところだな」
「そんないいもんじゃない。街に巣食うダニだよ」
今にも唾を吐き捨てそうなほどに嫌悪が娘の顔を彩った。ジルオの手前そんな真似はするまいが。
とはいえ、その恨み節のお蔭で得心がいった。
あのチンピラ共、カザフと呼ばれる破落戸共の横暴。私娼のそう暖かくもなかろう懐に為された無体で無茶な取り立ての背景が。
奴らは字義通り、モデナなる宗教屋の有るか無きかはともかくも、権威という背景を。その後ろ盾を失ったのだ。突如現れた二人の白笛による暴挙、暴威によって。
「……ラーミナだってタイガイだと思う」
ジルオのぼやきに気付かぬふりをしつつ。
これまで得られた利権、利潤、それらが宗教屋による独裁に裏打ちされたものであったなら、奴らはこれより先否応なく窮状に立たされる。
「んまぁ、これで少しは街が落ち着くよ。奴らが荒らした分、時間は掛かるだろうけど」
「そう安堵するにはちょいと早いかもな」
「え?」
窮鼠は誰彼構わず噛むもの。それが無法の無頼漢共とあればなおのこと。行き掛けの駄賃を貪ろうとしたところで何の不思議があろうか。
「奪えるだけ奪い退散する。最底辺のろくでなしなら自然、そのように考え動くのではないか」
「そ、そんな……」
己の言に、対面の娘は顔を青くした。おそらくは最低最悪の想像がその脳裏を過ったのだろう。
「すまんすまん。こんなものは己の浅慮よ。本当にそうなるとは限らん」
「う、うん」
「なぁに、お前さんの言う通り、さっさと尻を捲って街を出ていく公算だって……」
低くはない。そう締め括ろうとした、その時だった。
荒く、粗野に、地を響く。大量の足音。それは表の通りを駆け抜けていく。
「なに」
「……」
店の扉がけたたましい音と衝撃で開かれた。
外から内へと、それらは雪崩れ込んでくる。
手に手に武器を携えた悪相凶相の男達。
引き攣るような沈黙に支配され静まり返る店内。そんな中、居合わせた客の一人が慄きを以て呟いた。
「カ、カザフだ」