厨房の奥から壮年の男が出てくる。店主だろう。
騒音の正体を見て取った男は苦々しく顔を歪めた。
「一体なんの用だ。今週分ならもう払って」
店主が言い終わるを待たず、声は途切れた。
重い打撃の楽。進み出てきた無頼の一人が手にした棍棒で店主の頭を殴り付けたのだ。
時間が静止するかのような緊張が店内の空気を絞め上げた。凝固する、二人連れ、一人、一人、一人。己らを除く五人の客達はすっかり座席に縫い留められた様子だ。
いや、それは対面に座する娘とて同じ。
「有り金を全部出せ。ここにいる全員だ」
ドスを利かせた声を張る。無頼、巌のような男だ。体格もそこそこ。棍棒は木材をきちんと削り出した太い円柱形、握りには鞣革が巻かれている。
店内に踏み入って来た者は他に二人。
一人は鉈、いやあれは肉切り包丁か。刃の肉厚さだけなら斧にも匹敵する。
もう一人は長柄の鎚、普請場で杭打ちに使うような大振りの物。もし店主があれで叩かれていたなら、命はなかったろう。
己が斯くも悠長に観察を続けている最中も、ムタは律儀に顔を青褪めさせていた。
「ど、どうしようどうしようどうしよう……!」
「手っ取り早いのはお望み通り金をくれてやるこった。出さねば打つ、もしくは指くらい落としちまうぞ、と」
「お金を……でも、これは……」
「……」
見掛けの派手な凶器をチラつかせるのは、なによりもそうした脅迫を強調する為。痛そうな鈍器、痛そうな刃物。実に分かり易い。
そして、同様の理由から奴らは火器を所持していない。あるいはそれらは懐中に仕舞われている。取り出し、構え、狙いを定め、撃つ。三ないし四の工程を要する銃火器類は現状……脅威には値しない。
殺傷力に加減の利かぬ武器では不都合が多いのだ。殺しの後始末が面倒なのは程度の差こそあれ万国共通の理。
死体から金品を剥ぐ手間すら、今の奴らには惜しい。
「こちらには好都合よな」
「なにが!? どこが!?」
「うるせぇぞ!!」
至極真っ当な娘子の叫びを聞き取って、無頼の男ががなる。
途端に、ムタは身を縮めた。
男が歩み寄り、己らを順々に睨め付けていく。
「よぅしそこのお前らからだ! 財布と貴金属、金目の物を全部出せ。さもねぇと痛い目を見るぞ」
お決まりの科白を繰り返す。脅しの教本などというものがこの世に存在するなら、それは第一項の第一行目を飾りそうなほどに、陳腐。呆れようか、それとも感心しようか。
「おい、ガキもだ」
その時、目の前の男とは別の、太めの男が言った。
過たず、その顔面の肉に埋もれた細い目線の先には、ジルオ。
「やめとけ。運ぶのが手間だ」
「馬鹿、あいつらが言ってたろ。ガキは大人の倍額だ」
のっそりと進み出、手を伸ばして来る。ぶくぶくと太い腕、肉の皺の寄った手首、指すら。
それはひどく醜悪だった。無論、それは今一時、己の気勢が見せている印象に過ぎぬ。
この男を赦免し難い悪と断ずる、己が意思により。
腰元で鯉口を切る。座の姿勢から、抜き打ちに────
「っ!」
娘の動きは素早かった。身体の瞬発力云々、というよりその迷いの無さこそが。
思考した末の動きではない。反射反応、煩雑な工程を超越した敏速で。
娘は
「ぎっ!? いでぇ!?」
手を押さえて悶える男を掻い潜り、ムタがジルオを抱き寄せる。
あるいは無頼を前にした時よりも、ムタの腕の中で戸惑いを露わにする少年の様が、なにやら可笑しかった。
掻き抱いた矮躯、娘はそれをひしと、必死に包む。己の身を挺して守っている。
そこに先刻までの周章狼狽ぶりは欠片もなかった。
燃え盛るような敵愾心が瞳に宿り、無頼共一人一人を睨み付け、射殺さんばかり。
「失せろ下衆野郎!」
「このアマ!?」
肉襦袢が肉切り包丁を振り上げた。それは実に、気の利いた冗談のような取り合わせだ。
裁断機よろしく降ってくる腕を、斬り上げる。裁ち、飛ばす。
半端な勢いで宙を舞った前腕は、包丁を握ったまま近場の柱に突き刺さった。
「ひぃっ、い、ぎぁ」
悲鳴すら満足に上げられず、デブは床を転がった。
棍棒持ちの男が泡を食って後退る。
踏み込み、柄頭を打ち出し、その喉笛を潰す。こちらはそれこそ一声と上げず昏倒した。
卓を乗り越え、最後の一人へ接近する。
大鎚を持った痩せ型の男。迎え撃たねば、男の脳はどうやらその程度に思考力を回復させていた。
鎚が振り下ろされる。
しかし、大振りな金属の頭部は相応に重く、その動作は緩慢に過ぎた。
間合を見計らいその四半歩外側で待てるほどの暇がある。
床を重く打ち付けた鎚の頭を踏み付け、痩せ男と向き合う。男は曰く言い難い微妙な表情を浮かべた。
笑みと、拳をその顔に返す。
勢い、男はカウンターの向こうへもんどり打って消えた。
再び静寂の下りた店内。床をのたうつ海象、もといデブに手拭を放り捨てる。
振り返った先、ジルオを抱いたままムタは呆然と己と倒れ伏した男達を見ていた。
「二人とも怪我はねぇな?」
「えっ、は、はい。ジルオくんは!?」
「へ、平気だよ。大丈夫だから、その……」
「あ、ごめんね。苦しかったよね」
ジルオを解放してからも、ムタはその全身をぺたぺたと触って検めた。
子供の自己申告など信用してやらぬとばかり。娘のその過保護っぷりは、己をひどく牧歌的な心地にした。
「まったく、勇ましい娘っ子だ」
「んなぁ、ははは、ついね。つい、体が動いちゃってさ」
娘は床にへたり込んだまま、ばつが悪そうに頬を掻いた。
手を差し伸べ、引っ張り起こす。
「子供の為に体を張る。見上げたもんだが、あまり無茶をするもんじゃあねぇぜ」
「……うん、ごめんなさい」
「もう、お前さん一人の体ではないのだ」
「!」
息を呑み、見開かれた黄金の瞳が己を映す。
それはこれまでの疑問に対する明白な回答だった。
ならば、己の今宵限りの仕事も決まった。
「労われよ」
「あ……ま、待って」
「おぉそうだ。すまねぇがジルオを頼む。事が済んだらここで落ち合おうや」
言い置いて、行く。
背中に追い縋る声には応えず、ひらひらと手を振って。
雪どけの扉を潜った。
寒空の冴えた空気、その中に漂いひりつく暴力の香り。
それら全て、悉く掃き残しの無いよう、浚っていく。
「だ、ダメだよぅ! 無茶だよ! カザフには何十人も手下がいる。武器を持った奴らが大挙してるんだよ!? それを一人でなんて……!」
「大丈夫だよ」
「え?」
「ラーミナなら、大丈夫」
揺るぎない確信を以て少年は頷く。
行きずりの娼婦には、その一切の疑いを持たない瞳が理解できなかった。けれど。
けれど、どうしてか。
夜闇に消えた背中が目に焼き付いている。娘はただひとえにそれを、信じたい。そう願っていた。
「んががっ」
「起きたのかい」
厳冬の酒場で、地べたを寝床にしていた娘子が突如起き出す。
黒衣の長身痩躯は酒を啜りながらそれを流し見た。
虚空を仰ぐ碧い瞳。日輪も斯くやの輝きを持つそれが今、爛々とその火勢を強めていくのだ。
「……匂いがする」
「あん?」
「祭の匂いだ。鉄錆と土埃、それから硝煙も少々」
「ほう」
オーゼンがにたりと笑う。
ライザは燦燦と大笑する。
「ラーミナめ。また愉しげなことをやってるな。この私達を差し置いて」
「行くかい」
「行く! トーカは留守番だ!」
床で伸びた青年を置いて、白笛共は酒場を後にした。