深淵の剣   作:足洗

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3話 憧れか呪い

 

 

 暗い路地を幾度か曲がり、細い石階段を上がって梯子を降りる。小路を進んで突き当たりを右に折れればようやっと玄関だ。

 道順は覚えたといえ、このややこしさは笑う他ない。

 扉などという上等な物はなく、貼り付けた布を暖簾のように押し退けて室内に入る。八帖ほどの広さも家具を一つ二つ置けば十分狭苦しい。

 正面奥に窓が一つ。その傍に設えたベッドには、この部屋の家主が身を起こして座っていた。

 

「よう爺さん。起きてたか」

 

 白髪と伸ばし放題の白髭がいやにはっきりと茜を映す。

 窓の外へと向けられていた目がゆっくりとこちらを捉える。皺の多い目元が、なにやら余計に老人の――ウィローの目を深く、さらに落ち窪んで見せた。

 

「丁度いい。飯にしようや」

「……おう」

 

 乾いた声音でそれだけ言って、老人は再び窓の外を眺めた。

 紅、赤、橙、桃。そんな暖色の混交した世界にあってなお、窓の外に広がる大穴(アビス)は黒く暗く、全ての色を拒絶する。

 一日の大半をああしてアビスを眺めて過ごす。それが老爺の日常だった。

 

「今日は実入りが良くてな。米と卵が買えた。精が付くぜ」

「また、喧嘩か」

 

 焜炉に火を入れ、米と水を張った鍋を掛ける。

 

「おいおい、いくら己でも毎度毎度チンピラと遊んでる訳じゃねぇぜ。今日のはきっちり真っ当に稼いだ金だよ」

「ふんっ、さてどうだろうな」

「まあ聞けや。今日の(・・・)チンピラ共はなかなか面白ぇ連中でな」

 

 そうして、己は今日あった他愛のない出来事を飯炊きのついでにぺらぺらとくっ喋る。

 そうして、老人は時折、相槌やら嫌味やらを挟みながら、それでも最後までこちらの馬鹿話に耳を傾ける。

 たった二ヶ月間の、それでもこれが己の日常だった。

 味噌と昆布の出汁にトコシエコウの実やらサイノナやら雑多に薬味をぶち込んで、最後に卵をとじ入れる。卵粥という名の雑炊だ。

 器に流し入れて爺へ。己の分を片手にもう片手で合掌する。

 ずず、と啜り食う。粗末だが、それでもやはり白米は旨かった。

 

「……」

「どうだ?」

「……うむ」

「はは、そうか」

 

 石灯の仄かな光が食卓を照らす。電灯はない。そもそもここには電気自体通っていない。

 食うだけ食ったら腹も膨れた。ガキの小さな身体は胃袋も相応に小さく、量がなくとも満足するので便利だ。

 ……ふと、また妙なことを考えている。ガキの身体、などと。まるで自分のものではないかのような言い草だ。あるいは――

 

「いつまで」

「あん?」

 

 不意に、老人の匙を持つ手が止まる。

 

「お前さん、いつまでこんな生活を続けるつもりだ」

「なんだぃ薮から棒に」

 

 使った器を水桶に放り、戸棚から白い陶製瓶を引っ張り出す。盃は、迷ったが二つ、卓に置いた。

 とくとく注げば、朧な灯りに清酒が煌いた。ひどく、香り立つ。ほわり(・・・)と酒精が広がった。

 一口、嘗めるように飲み下す。鼻を抜ける辛味、苦味、微かに甘味。

 ウィローもまた雑炊を置いて、盃を手に取った。

 瓶の口を向ける。

 

「もう二月になる」

「まだ二月よ。爺さんに拾われてから岸壁街(ここ)で暮らし始めて、日銭稼ぎもちょいと覚えて、時々阿呆共の相手してみたり、こうして酒かっ喰ろうて管巻いたり」

 

 今度はがぶりと一気に呷る。口一杯の火の匂い。胃の腑に落とし込めば、かっと湧き上がる熱が身体を炙った。

 酒臭い笑声が零れた。

 

「そう悪くねぇ暮らしだと、俺ぁ思うんだがな」

「馬鹿を言うな」

 

 老人は、吐いた悪態を飲み込むように盃を呷る。

 荒く息を吐く様が、ひどく虚しそうに見えた。

 

「お前さんはな、こんな所で燻ってていい奴じゃあないんだ」

「ほぅ、己がか? 随分買われたもんだ」

「茶化すな」

 

 自分と老爺、両方の盃に酒を注ぐ。

 しかし老人は盃の波立つ水面をただ見下ろしていた。

 

「お前さんを拾ったのは、別に親切心なんて大層なものがあったからじゃない。ただの……気紛れだ」

「おう、そのただの気紛れのお陰で、お飯食って安酒(こいつ)をやれてんだ。感謝してるよ」

「……」

 

 老人は暫時黙りこくってしまった。

 聞き様によっては、なるほど皮肉にも取れるか。そんな懸念を抱いてみたが、どうやらそうではないらしい。

 重苦しいものを喉元で蟠らせている。ウィローの表情がまさしくそのような形に歪む。

 

「俺は、探窟家だった。もう十年も……昔の話だ」

 

 まるで石でも吐くような、ひどく苦しげな話し出しだった。

 探窟家を夢見てこの街を訪れたこと。

 なかなか上がらぬ等級、遂に手に入れた紫の月笛、血反吐を吐いて掴んだ黒笛。

 家族を得た、最愛の妻を。子を授かった、無二の一人息子を。

 我が子もまた探窟家になった……なってくれた。

 家と、それを守る妻に見送られながら息子と肩を並べて深界へ挑む。

 幸福だった。無上の幸福があった。

 

「幸福は、確かに、この手にあった。あったんだよ」

 

 深界四層からの帰路。慎重に慎重を重ねた探索の末、発掘した成果に胸躍らせた。

 ――――深界生物の急襲、息つく間もない強襲、瓦解する発掘隊、一人また一人失われてゆく仲間達、重傷に倒れる我が子。

 退路は一つ。たった一つ。地上への急速上昇以外に選択肢はない。

 我が子を背負って、逃げた。一顧だにせず、苦楽を共にした仲間達の骸を踏み越えて、ただ逃げた。

 四層の上昇負荷。呼吸は血飛沫を伴い、血尿と血便を垂れ流しながら、視界は紅く染まる。自分が何処にいて、何処を走っているかも分からなかった。激痛が全身を苛み、痛み以外の感覚を失った。

 それでも走り、走り、走り、走り……気付けば脂石の洞穴の中にいた。深界三層“大断層”の最下部。

 傍らを見やると、赤い襤褸布が地面を汚していた。

 赤い、紅い、無二の我が子、その死骸が。

 

「……電報船の救助要請が届いちまった。俺は一人で、アビスから帰って来た」

「……女房はどうした」

「息子が死んだショックで身体を壊してな……そのまま、だ」

「そうか……」

 

 ふと立ち上がり、盃をもう一つ取り出す。中身を注いで、そのまま卓の端に置く。

 ありがとよ……風鳴りのような掠れ声がそんな言葉を紡いだ気がする。

 

(ここ)の血を失い過ぎて、俺もこの様だ。この足はもう二度と動かねぇと医者に太鼓判を押されたよ」

 

顳顬をこつこつと指で突いて、老人は自嘲の笑みを顔に貼り付けた。

 そのまま自分の盃を手に取り一気に飲み下す。それは。

 

「無念だよ」

 

 震える声で、ウィローは言った。

 

「無念、無念だ。息子は今も、穴の底に居る。帰してやることもできなかった……いや違う。そうじゃない。そうじゃあない。ああ、一緒に、死んでやればよかったんだ。一緒に。だが、俺は生き残っちまった。俺だけが生きている。俺だけが……」

「……」

「アビスに挑んだこと、探窟家になったことを後悔してるんじゃない。妻を悲しませたこと。息子と共に逝ってやれなかったこと。それが、どうしようもなく無念なんだよぉ……」

 

 俯き、卓に額を押し付けながら老人は懊悩する。十年、膿み続けた無念を、抱え続けた無念を。

 どれほどの時間そうしていたろうか。時間を掛けて、老人は吐き出しかけた感情を再び胃の腑に収めたのだ。

 落ち窪んだ目が己を見る。どこまでも倦み疲れ、老いた目が。

 

「ラーミナ、お前さんがただの子供じゃないなんてことは最初から分かってたよ。それどころか、初めはその子供らしさの欠片もねぇ口調と振る舞いが不気味でしょうがなかった……」

「で、あろうよ」

「だが、こうして一緒に暮らして、お前さんという人間を知っていく内に、それどころの話じゃねぇんだと気付いた」

「どういう意味だ、そりゃ」

「お前さんは強い。腕っ節のことだけじゃない。ここだ」

 

 ウィローは指で自身の胸を差した。胸、心臓、そして。

 

「こんな腐ったゴミ溜みたいな場所で、腐りかけた老い耄れの世話を焼いて、チンピラに情けまで掛ける。そんな人間を、俺は他に知らん」

「歯が浮くぜ爺さん。買い被りもいいとこだ」

 

 苦笑して鼻を鳴らす。

 とうとう呆けたか爺。どうやらこのご老体は、己を聖人君子か何かと勘違いしていなさる。

 そんなこちらの態度を無視して、老人は決然と言った。

 

「お前さんのような者こそ探窟家に――――白笛にならなきゃならん」

「あぁ??」

 

 それは飛躍だった。論理もへったくれもありはしない。

 

「さっきの話から何故(なにゆえ)そのような結に至るのだ」

 

 睨む己に、老人はちらとも怯む様子がない。その結論に、何の疑問も持っておらんのだ。

 

「子を一人置き去りにして、妻を死なせた。アビスへの夢は間違いだったのか……いいや、そんなことはない。あの奈落の底には全てがある。富も名誉も、秘宝も神秘も、夢と憧れは誰にも止められん。だからこそ暴かねばならん。憧れという呪いを、未知を晴らし白日に晒さねば、でなければっ――」

 

 言葉は、遂には掠れ、裂かれ、途絶えた。

 老人は乾いた咳を繰り返す。

 すぐさまその背中を擦った。肉の削ぎ落ちた触れるだに細く薄い背中を。

 

「ちょいと飲み過ぎだ。無理するんじゃねぇ。もう床に着きな」

「お、おまえさん、なら……」

 

 老人を肩に担ぎ、ベッドに寝かせる。ひゅうひゅうと不規則な呼吸を繰り返しながら、それでもウィローは訴えを止めない。

 

「なってくれ、しろ、ふえに」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 岸壁街での生活も、そろそろ半年が過ぎようとしていた。

 日を追う毎にウィローの体調は悪くなっていく。起きている時間が徐々に徐々に減っていき、今ではもうほとんど寝たきりだ。

 それでも時折、老人は己に請うのだ。白笛になってくれ、と。

 呆け老人の戯言、そう笑い飛ばしてしまうのは容易い。事実、半ばほどはそのように捉えている。

 しかし、かの男の無念を思う。深淵の闇を暴いて欲しいという、その願いの源泉。

 憧れこそは呪いである。そう老人は叫んだ。

 絶望と悲哀の中に彼が見付けた、それは一つの真実だった。

 

 

 

 何とはなしに街を歩く。

 時刻は夕方。家に帰ったとて、ウィローは寝ている。この街で世間話の相手を探すのは、実際のところかなり難しい。一銭にもならないからだ。

 当て所なく歩く。客引きする娼婦、ゴミ箱を漁る子供、蹲ったまま動かぬ老人、怪しげな露天商、家々の窓から通りを覗き見る無数の目。

 そうしたスラムの日常を横目に過ぎ去って、結局足が向いたのは、いつもの場所。街外れ。いつかの最果て。

 アビスの虚を望む露台。

 

「……?」

 

 闇を見下ろして何が面白いものか。スラムの人間達といえども、そうした正しい感性も多少持ち合わせがあったらしい。この場所では、偶の追剥以外に人と出くわしたことはない。

 今までは、なかった。しかし今日に限って、どうやら先客がある。

 その小さな人影は、台の縁の、ほんの間際に居た。うつ伏せになって大穴を覗き込んでいるらしい。

 近付くほどに輪郭が詳らかになる。子供だ。五つか六つの、幼児といって差し支えない。

 いや、外見年齢が十になるかならないか(・・・・・・・・・・)の己が、他人を指して子供だなんだと言うのも妙な話ではある。

 そんな内心は横に置くとして、様子が見えてくるにつれてさらなる違和感が湧いた。

 その子供の身形。比較的真新しい探窟家のジャケット、白銀糸の髪もきちんと切り揃えられている。有体に言って身綺麗過ぎるのだ。

 つまり、スラムの子供ではない。岸壁街の外、表のオースの住人か。

 回答を得たと同時に、己は子供のすぐ傍まで歩み寄っていた。子供は依然穴を食い入るように見詰めている為、こちらに気付く様子もない。

 

「……」

 

 真剣な顔だった。この虚の闇間に、あたかも何かを見出しているような。己には見えぬ何かが、彼には見えているのだろうか。

 

「何が見える」

「っ!?」

 

 出し抜けの問いに、案の定少年はびくりと身を震わせた。背後、直近に人が立っているなどと思いもしなかったらしい。

 少し悪いことをした。

 

「すまんすまん。驚かせたな」

「っ……っ……うん」

 

 どうにかこうにか平静を装い、少年は短く返答する。

 無表情に冷や汗を浮かべた顔がどうにも面白かった。

 

「それで、何が見えるんだ」

 

 再び同じ問いを投げる。

 少年は暫時、じっとこちらの顔を見上げてから、また眼下へ視線を移す。

 

「何も見えないよ」

「ふむ、そうか。ならば何故、そんなに熱心に穴を見詰めておるんだ?」

「……音を」

「音?」

「それと臭い」

「臭い」

 

 鸚鵡返しに間抜けな相槌を打つ己に、少年は呆れるでも笑うでもなく淡々と説明した。

 

「風の唸りが強いのは力場が弱まって深界の空気がいつもより多く吹き上がるから。そうすると色んな臭いが嗅げる」

「ほう、どれ」

 

 少年に倣って、己もまた板床にうつ伏せになる。

 顔だけを縁から覗かせ、闇の向こうへ鼻をひく付かせてみた。

 

「……少し、甘いか?」

「うん、トコシエコウの匂い。深界にもたくさん咲いてる」

「そんでちょいと青臭いな」

「緑の臭い。一層目の“アビスの淵”は植物が育ちやすい。でも空気がかなり冷たい……もしかしたら二層の逆さ森から流れてきたのかもしれない」

 

 ふと見やれば、輝く瞳がそこにはあった。表情が乏しいなどと大きな勘違いだ。

 暗い闇の向こうに、少年にしか見えない世界が確かに広がっている。

 

「勉強したのか」

「うん、オレ探窟家になりたいから」

「そうか。大したもんだ」

「……うん」

 

 変化しないと思われたその顔が、どこか和らいだように見えた。

 ここにも一人、憧れを追い求める者がいる。

 

 

 

 

 

 

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