なんのことはない。エンジン音を嘶かせ、現れたのは四つ輪の
道幅が狭く勾配と断崖ばかりのオースでは滅多に見ない代物だ。対して、随所に舗装の行き届いたこの街ならば、それが走行していたところで何の不思議もない。
その車輌は、一見しても大衆車には見えなかった。屋根はなく、車体はずんぐりとしてさながら臥せった蛙を思わせる。軍用車輌? 払い下げ品であろうか。
街中を走るにしては珍しい。車輌それ自体に抱いたのはその程度の印象だった。
奇異なのは、ただ一点。後部の荷台に鎮座するソレ。
黒い鉄器。
円環状に長い筒を纏め、下に脚立を付けたような────いや、まさか、あれは。
「銃身か!?」
「ハッ、
黒衣の女の笑み。昂りに気息が熱を持っている。
オーゼン共々疾駆する。今なお無頼を相手に一騎当千を決め込む娘子の背を追う。
「ライザ!」
「ああ見えてる!」
一人、男の側頭部を蹴り飛ばし、着地。しかし決して踵を着けず、脚の
この機、この距離、この位置関係、この狭い小路に砲火をばら撒かれてしまえば、如何な猛虎の娘子といえど。
逃れ得ぬ。
そんな思考を脳内に遊ばせながら、泰然なる亀の思考を経ず肉体は脱兎の如く敏に稼働していた。
一跳躍、ライザの前に出る。
「ばっ、余計な────」
背面を叩く娘子の抗議を黙殺し。
抜刀。
時間感覚が加速する。視野が、認識が限界を超越する。
視界内に存在するあらゆる動体が緩慢に、ひたすらに遅延してゆく。速度を減じ、減じ、減じ、遂には停止、限りなく静止に等しく。
見える。
機関銃を前にして津波のように逃げ惑う男達。それらに蹴散らされ舞い上がる塵埃の一粒すら。
銃座に取り付く男、その視線、その砲門の狙う先。射線が。
観えて、いる。
鉄火が花開く。夜闇に咲き乱れ、大気を撃して
下段から刃を持ち上げる。斬る必要などなかった。ただそこに、刃を
虚空を刃が奔る。閃く。どこまでも軽やかに、早く、そして速く、疾く。
そうして、自身および背後の娘に到達する筈だった八十六発の弾丸を全て斬り開き、躱した。
その時、横合いから。
「退きな」
伸び上がって、落ちる。オーゼンの黒く長い脚。それはまるでギロチンのように。
地面を、石畳を踏み割る。
これが並の脚力であれば地面の表層を僅かに潰し、足跡を付ける程度だったろう。
しかし殊に、この女の一踏みは容易く地盤にまで及ぶ。
道そのものが眼前に捲れ上がり、即席の防壁を成した。
「つくづく人間業じゃあねぇな」
「あんたにだけは言われたかないね」
「まったくだ」
ここぞとばかり師弟共は同調する。
壁の向こうでは銃撃が絶えず地面や建ち並ぶ店屋、そしてカザフの手下達を挽き潰している。
悲鳴と血飛沫が同じ量だけ満ちるまさしく鉄火場。地獄に在って、娘は爛々と目を輝かせた。興味津々、幼児の身振り手振りで。銃声に負けじと糞喧しく。
「なあ! なあなあ! 今お前、弾丸を斬ったのか!? 機関銃の斉射をだ! 一発一発寸分のぶれなく斬ったよな!? 斬ったんだこいつ!」
「あぁあぁうるせぇ耳許でがなるな! 斬ってねぇよ! 弾が勝手に刃に当たって割れただけだ!」
「嘘吐け! 絶対弾道見えてたろ! ねぇもっかい! もっかい見たい! 見ぃたぁいぃ!」
「アホ抜かせとんちき! 宴席の見せもんじゃあねぇんだぞ!」
「私も見たぁい、プッフフフ」
「えぇい寄るな! 散れ! しっしっ」
瓦礫の破片が雨のように降り注ぐ。壁を背に三人川の字で座り込みながら、待った。銃砲火器に付き纏う機構的必然。必ずある瞬間。必ず来る筈の機を。
しかし待てど暮らせどそれは来ない。絶え間なく。間断など一瞬とてなく。
「流石に妙だ! 弾切れどころか給弾さえしていないぞ!」
「弾数だけじゃない。回転機関ったって、こんな長時間の連射に銃身が耐えられるもんかね」
「どうも手応えが軽過ぎる。というかおのれら、斬り落とされた弾丸を一発でも見たか」
「……実体ではない?」
「はぁん、なるほど。質量のある“光”だね、ありゃ」
「光ぃ? そんな怪態な銃があるのか」
「! そうかあるぞ。いや、ない。そんなものは存在しない……
「“尽きない弾丸”なんてものはあり得ない。奈落以外には」
「つまり、あれは」
「遺物だ!」
ライザが快哉を叫ぶ。
正解が出たところで微塵とて喜びは覚えなかった。
右隣でわくわくと気色を踊らせる娘と、左隣でニタニタと厭らしく笑みを深める女など見えぬ。知らぬ。
「面制圧の弾幕は厄介だが、弾が軽いなら私の腕力でも弾き落とせるな」
「この程度の石畳も貫通できないとなると、大した遺物じゃなさそうだね。面倒だ、私は
「あの精度、物が悪いのか砲手がよくよくのヘボなのか。屋根伝いに走り寄ればそうそう当たるまい……三方から攻める」
要項を纏め、結論。
異議はなし。
合図も要らず。
反撃は、静かに始まった。
己とライザ。左右に別れ、通りの両側、その軒先へと跳び上がる。
オーゼンは己が身の丈を隠すほどの大きな地盤を押し進む。
その時の火線の迷いっぷりときたら、実に人間的だった。
一騎当千の化物を迎え撃つべきか。怪力乱神を振りかざす怪物を止めるべきか。
不気味な刀使いを仕留めるべきか。
悩み、悩みに悩み、悩み抜いた砲手の男は最善の答えを見付け出した。
三十六計逃げるに如かず。運転手に何事か叫び、車輪を上滑りさせながら車輌が急発進する。
良い判断だった。もう五秒も早くその決断を下せていたなら。
「遅い遅い」
軽やかに笑いながら、ライザは行き掛けに拾った手斧を放ったのだ。
高速回転しながらそれは恐るべき精確さで、車輪の軸に命中し、その強力な回転運動に割り込んだ。
車軸が吹き飛ぶ。
片足を失った車体が路面を滑り、跳ね回り、転がった。種々数多の機械部品を血か臓物の様相で撒き散らす。
大路の中央でようやく止まり、見るも無惨にその機能を終えた。
地上へ降り立つ。外に投げ出された砲手と運転手は、さて息があるかどうか。
「ふぅん、車ってこんなに脆いのか。運転してみたかったのに、残念だ」
この
気付けば傍らに黒い長身が並び立っていた。オーゼンは掌に付いた土を無造作に払う。
「粗方、片付いたようだね」
「歯応えがないなぁ。私はちっとも物足りていないぞ」
「おのれは……この期に及んでまだ言うか」
呆れを通り越し、さりとて感心してやるのも非常に癪だ。
娘の不満顔を見限って、灯りの落ちた街並みを眺めやる。
「?」
薄く闇が膜を張っている。夜遊びが盛る時刻はとうに過ぎた。ただ静かなばかりの夜闇が満ち始めた頃合い。
今しがた通ってきた闇市の、色濃くなっていく暗がりに。
朧な光が見えた。光源を得る為の照明にしては、それは頼りなげな。
人影である。
幾条か、幾何学的な文様に走る光を顔に浮かべた。
「なんだ、ありゃ……」
「ん? どうしたラーミナ」
「いや今、妙な仮面を着けた野郎が」
何の気なしに口にした己の言葉に、
「────なんと言った」
「だから、妙な仮面を着けた野郎がいたと」
親指の先を小路に向けた。
その瞬間。
夜空を“肉”が覆った。