深淵の剣   作:足洗

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32話 肉食令嬢

 

 

 

 男は、人を使うのが上手かった。

 適材適所、その仕事に見合うような人間を見繕い宛がう。部屋の死腔に形の合う家具を据え置くようなものだ。

 人材斡旋業、創業当初はその名に恥じない真っ当な仕事を真っ当な人間に結び付ける生業を営んでいた。

 けれど真っ当な凌ぎで男は満足しなかった。できなかった。

 男は人がましく強欲だった。

 金になる仕事。まともではない金額を弾き出せる仕事。堅気の稼ぎでは到底得られないような金、金、金。

 暴力による恐喝、脅迫、殺人とそれに伴う清掃“ゴミ”処理。男は自身に備わった才能を遺憾なく発揮し、悪徳なる様々な業務に対して最適の人材を顧客へ提供し続けた。無頼、破落戸、前科者、あらゆる意味で日の下を歩けないろくでなし。時には言葉も知らぬ狂人すら。

 使えるところに使えるものを。社是を掲げ、男は裏社会の腐臭漂う暗がりで小金を稼ぎ続けた。

 モデナ教は上客も上客。金払いの良さでは過去一番のお得意だった。

 宗教屋の御題目には欠片の興味もなかったが、信者からの集金能力において人後に落ちないモデナは、男にとって愛しい金蔓でありビジネスパートナーだった。

 まんまとその御用聞きに収まり、業務に人身売買という項目が加わっても、男にはどうでもよかった。この国において人間の売り買いや使役は歴とした合法である。むしろ人材斡旋などとは比べ物にならぬ人間一個の売買価格を知り、どうして今までこの業界に手を付けて来なかったのかと後悔を募らせたほどだ。

 とはいえ、金は増えていく。金が舞い込んでくる仕組みが、己の周囲で磐石になっていく。

 順風満帆だった。

 男は、その強欲が潤う快楽にひたすら身を委ねていた。

 

 遠く、ベオルスカの南海の孤島で、セレニの役人が捕まった。

 その背後で暗躍する宗教団体の存在、政府との癒着。

 身内を狙われたことで、あの白笛が激怒している。

 白笛が来る。

 白笛が来る。

 白笛が、来る。

 そんな報を耳にするまでは。

 

 そして、一昨日の夜モデナ教の総本山たる屋敷が文字通り潰されたことで、男は自身が奈落の際に立っている現実を認めた。

 金だ。金が要る。

 セレニを離れ他国に隠遁し、然る後に再起を図るには金が幾らあっても足りない。

 モデナにみかじめを上納した直後であったことも災いした。こんな木っ端な手数料程度では、足りない。圧倒的に足りない。

 手下共に集金をさせよう。とにもかくにも貧民共からあるだけ奪い、とっとと逃亡する。

 

 男は即断即決、指示も行動も実に迅速だった。

 モデナの瓦解から二日を経ず、逃亡の為のあらゆる準備を整え、後は集まった金を抱えて消えるだけ────事務所から極々近所の酒場で白笛が二日間酒盛りに興じていたなどとは露知らず。

 男は即断即決、指示も行動も迅速だった。けれどなにもかも早過ぎた。そしてひどく、間が悪かった。

 

 

 闇市からやや距離を隔てた路地に乗り付けた高級原動機車輌の中。有限会社カザフの取締役兼社長の男は後部座席で頭を抱えて蹲っている。

 絶望。その二字でべったりと背中を濡らして。

 

「お、おおおしまいだぁ……殺される。殺されちまう。し、白笛に盾突いて……部下も残ってない……」

 

 大枚叩いて手に入れた遺物の機銃『枯れない秘花(フラウフォビア)』もあっさり壊された。

 囮役に何十人と撃ち殺したが無駄になった。支払って来た何十人分の給金諸経費を思う。

 俺の金。俺の金が。

 今では命すら危うい。

 窮地。片足は既に墓穴に埋まっている。もうあと半歩で。

 

「た、た、頼む! 頼むぅ! 助けてっ、助けてくれ! あ、あんた、あんたらなら、なんとかできるんだろう!?」

 

 男は顔を上げた。縋る思いで見上げる。

 そこに座る白衣の人型を。朧に、幾何学の文様に光る不気味な仮面を。

 

「それは、契約の最終項目に同意する、という意味でよろしいですかしら。社長様」

 

 鈴を転がすような声が仮面の下から響いて来る。女の声、それもどこぞの貴族令嬢のような口調だった。

 

「…………すっ、する。同意する。するから、たのっ、たのみますから」

「ではこちらにサインを。ああ、難しそうなら拇印でも結構でしてよ」

 

 がたがたと震え上がり、主の言うことを聞かない指にインクを付け、差し出された書面に、押し、押して。

 躊躇。それは悪党に芯まで染まった男に残った最後の、たった一抹のもの。倫理、理性、正気、人間性。片足の小指程度だが、人道に何とか居座る男の最後の一滴だった。

 これを押せば、これを押したならそれは終わる。

 終わる。終わってしまう。

 親指を押し付ける。

 男は遂に全ての人倫に悖ることを選んだ。

 

「ひ、ひひ、ひへ、へは」

「はい確かに。どうもありがとうございます。では、こちらをどうぞ」

「ひっ」

 

 差し出されたのは奇怪な形をした器物。螺旋状の針に、植物の球根か葡萄の房のようなものが生っている。

 

「こちらをお耳にお入れになって。ほんの少し差し込むだけであとは自ずから奥へ這入ってゆきますわ」

「…………」

「あら、ご心配なさらないで。契約条項にも記載がありましたでしょう。社長様が生きている間に、わたくし共がそれを起動させることはありませんわ。お亡くなりになった後、そのお体だけ、頂戴しに参りますから」

 

 レース地の白手袋、しなやかな指先が胸骨の中心に触れる。官能的なまでに、心の臓腑を撫でられて。

 

「どうぞ、お大事になさってくださいましね」

 

 命を、魂を握られる実感。それは男の精神の一部を壊死させた。

 自失している間に、器械はあっさりと男の脳に巣食った。

 

「……あ、あの、しかし契約では、俺の身の安全は手下共の体と引き換えだと……でも、あれ、あいつら、あんな状態ですよ? その、使えるやつが残ってるかどうか……」

 

 車窓、カーテンの隙間から恐る恐る通りへ。闇市の凄惨な有り様を覗く。

 『枯れない秘花』の砲火は男達を原型すら残さず撃ち尽くしていった。五体満足でないのは無論、血や肉片や骨片が散逸するばかり。

 

「ふふふ、とぉんでもありませんわ。むしろあのように丁寧に準備までしていただけるなんて! わたくし大助かりですの。御社は本当にサービスが行き届いておられますのね」

「は、はあ……?」

「お肉ってね、粗挽きが一番ですのよ。味も、食感も」

 

 まるで雨垂れの滴のような形をした仮面だった。その下部、顎から鼻先までが突如、開く。口唇装甲板がスライドして口元だけが露わになる。

 深いルージュを引いた唇を、それよりなお深紅の舌が舐るのだ。

 

「ご馳走が、ほら、いっぱいですわぁ」

 

 吐息に熱情を覚えた。

 死骸の山、血と臓物の河に、この女は欲情している。食欲を、搔き立てている。そしてそれは、その肉欲がいずれは、この身に向けられるのだという事実を男は理解してしまった。

 車の扉をこじ開け、外へ。外へ外へ外へ。

 

「ひぃっ、ひぃいいぃいいいああああああああ!!」

「あぁもう行かれるんですの? よければわたくし共の船で隣国までお送りして……あらら」

 

 

 

 

 

 路地の暗がりに、転げるように消えていった背中へハンケチを振る。先の言葉に嘘はない。心から感謝に堪えない。

 大路を歩く。今回の目的、あれらを回収────賞味しに。

 

『ガイダンスは上手く運んだようですね、ゲルマ』

「まあ!」

 

 芳醇な血臭香る小路に行き着いたその時、声を発した。誰あろう自分自身の口唇が、喉が。かの御方のそれを代行する。

 

「黎明卿! こちらにいらしてたんですの!? それならそうと仰ってくださればよろしいのに」

『驚かせて申し訳ありません。話し合いのお邪魔をしてはいけないと思い、静かにしていたのですが。とんだ不躾でしたね』

「滅相もございませんわ。ふふ、お忙しいでしょうに、わざわざわたくしの瞳を覗いてくださって、わたくしとっても嬉しくて……」

『そう言っていただけるとなによりです』

 

 両頬を覆って身動ぎする。かの方の思慮は遠大であられるが、こうして個人として気に掛けてもらえるのはやはり格別なものがある。

 ゲルマは暫し、その場でぴょんぴょんと跳ねて踊った。

 

『ところでゲルマ、今大通りには殲滅卿と不動卿、そして彼がいます。急かすようで申し訳ありませんが、そろそろ“食事”を始めましょう』

「あらあら、そうでしたわね。もうわたくしったら」

『白笛お二方は無論ですが、彼に対しても手心は不要です』

「……卿がそこまで仰るほどですの」

『はい、素晴らしい逸材です。今夜は直に、その実力を拝見したいのです』

「そうでしたの……ならわたくし、一層頑張って皆様を頂かないといけませんわね!」

 

 赤色の暴力のような光景。薄く散る白雪が血溜まりに沈む。白衣が染まるのも構わず、その只中へ踏み入る。

 

『暴食による融合体、おそらく原生生物ほどの強度は見込めないでしょう。ですが同じ人体である分、吸収効率と親和性は良い筈です。きっとお口に合いますよ』

「それはとっても楽しみですわぁ」

『では』

「はい、では」

 

 襟首を捲る。

 白く、ほっそりとした首筋。丁度、耳の真下に、深々と黒い針が刺さっていた。

 女はそれに触れる。握り、無造作に。

 

「『いただきます』」

 

 引き抜いた。

 それは栓であり、堰であった。

 白衣から、まるで泡のように肉腫が膨れ上がる。衣服を引き裂き、肉は分化、枝分かれを繰り返した。

 そうして無数の太く強靭な触手が、辺り一面に取り付く。地面に、壁に、染みか溜まりに変わった死骸を、触手の粘膜が吸い上げる。尽く、一滴残らず。

 

「『あぁ、なんて、甘い』」

 

 嚥下していく。同化していく。肉の管を通して、その大元である女体へ到達し。

 

「『これは少し、太ってしまいそうですね』」

 

 肥大する。

 道幅を超えて、建屋を圧し潰し、粉砕して。

 肉が津波となり、山を為し、夜天を覆う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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