蠢いている。
脈打っている。
それは大量の血管のようだった。あるいは極限に肥大した筋繊維の束だった。収斂し、螺旋を描き、そうして再び分化、枝分かれを繰り返す。
血のように赤かった体表が徐々に黒ずんでいく。酸化した血の黒々とした赤錆色さながらに。
まるで海底でそよぐ磯巾着だ。不定形の触手が周辺の建屋の屋根より高く、大きく、山と膨れていく。
夜空を背景に、悍ましく。
「なんだこいつは」
「わからん! 地上の生き物には到底見えないな。この感じはむしろ」
「原生生物、十中八九“奈落よりのモノ”だろうねぇ」
触手の大群は文字通り大路に満ちる。闇市の狭苦しい道幅などとうに超え、身動ぎと共に着々と周囲の建物を崩している。
掻き分けるようにして、家屋の狭間から肉腫は湧いた。
蠢くばかりで一定しないかに思われた管の塊に、しかし、次第次第、形が生まれ始めている。
一定の方向性。
左右に三対、六つの脚。
長くくねる尾。
そして、首筋まで裂け割れた大顎。
蜥蜴とも山椒魚ともつかぬ異様。神話伝承に綴られる竜とやらを悍ましく歪めればこうなるのやもしれぬ。
黒い怪物が吼える。豚を絞め殺したかの全く以て汚らしい声だった。
「かぁっ! 血腥ぇ。野郎、カザフの手下共の死体を食ったのか……!?」
「らしいな。ハハッ見ろ! 血溜まりまで綺麗に平らげてるぞ」
その弾む声音に思わず顔を顰める。
死肉を喰らい、肥え太る化物だと。
ヤクザ風情が事務所で飼うにしてはイカレ過ぎている。
が、今その正体に思いを馳せる暇はなかった。
「来るよ」
石畳をまるでシャベルのように掘削しながら、猛烈な勢いで肉塊の怪物は迫り来る。眼前に拡大する口腔。巨大な顎だ。しかもその輪郭、歯並び、生白い歯の形状までも、紛れもなく人間のそれだった。
ライザと己は左右に別れ、離脱。
そしてオーゼンは、待つ。
巨体の突進を正面から。
「ハァッ……!!」
咬合される歯を上下、両腕で掴み、止める。
脚で地面を削り、重戦車の如きその突進力を真っ向から受け止めてみせた。
これが不動卿。これぞ動かざるオーゼン。
無論、暢気に感心している場合ではない。
早々に足を止められた巨体などは俎板の鯉、もとい山椒魚。我が方に対するその害意は瞭然、ならば斬って刻まぬ道理もなし。
化物の左脚、手始めにその前足を一本。
「貰う」
不細工な横面を過ぎ去り様、裁断する。
見た目に反して強靭な筋骨の手応えがあった。だがしかし、肉と骨ならば当然に刃は通る。
断たれた脚は大路を転がった。
切断面から滝のように血が噴出する。流れ出る────傷口の、その奥から、肉が盛り上がり、骨が生え、瞬く間にもそこには脚があった。
再生した。
「巫山戯ろッ!」
巨体が身を捩る。咬み合わせのつっかえ棒に身を窶すオーゼン諸共に。さしものオーゼンも強烈な遠心力に負け振り落とされた。宙を踊り、近く露店の暗幕へと突っ込んだ。
肉塊は依然、止まらぬ。駒の如くに回転する。長い尾が建屋を蹴散らし、四散した建材を巻き込んでこちらへ振り回された。
地面へ足下から身を投げる。石畳を滑り込み、あわや頭上に尾の鞭打を躱した。
「斬るのがダメならこれはどうだ!?」
ライザ、猛虎の咆哮が聞こえる。化物の巨影の向こうで、娘が腰元から柄を引き抜いた。
金属音と共に安全装置が解放され、絡繰仕掛けの鶴嘴が姿を現す。
『無尽鎚』。殲滅卿の愛器。
その機能は単純にして凶悪。
「おりゃぁああああああ!!」
こちらからは死角である為、ただ娘の勇ましい喝を聞くばかり。
しかし結果はすぐに見て取れた。確実に一撃、見舞った。
閃光、火焔が闇夜を引き裂く。
巨大な化物が、なんと宙を舞う。その脇腹から断続的に発破する。『尽きない火薬』による連続爆破。生体に対する比類なきこの殺傷力。
頭上を越え、さらに大路の向こうへ。地響きと爆音を轟かせ、血と肉を撒き散らしながら化物は転げ回る。
「はっはっはー! どんなもんだい!」
肉塊は噴煙を上げ、肉の焦げ付く臭いが大路に満ちる。
不意に、露店の瓦礫が吹き飛ぶ。屋根やら柱やらを蹴り上げ、オーゼンが身を起こしていた。
「手を貸すかいお嬢さん」
「蹴り殺すよ」
どうやら負傷はない。こちらを睨め付ける黒い眼光は元気そのものだ。
「私の金星ということでいいな? じゃあ二人とも、酒樽を奢ってもらおうか」
「んな約束した覚えはねぇぞ」
「人の尻馬に乗っておいて調子がいいねこの娘は」
「ふふん、誰がなんと言おうが止めを呉れたのは私だ。勝者には美酒を献上すると相場が決まって……」
────プギィィィイィィィイィィィイイイイイイイ
それはやはり、屠殺される畜獣の悲鳴そのものであった。
三者三様に振り返る。大路の向こうで身を擡げる巨体を。煙を立て、焦げ付く、脇腹の熱傷。そこから肉腫が吹き出、傷口が塞がる。いや、塞がるだけに留まらず、それはより分厚く、奇形に、見るからに強固に変態した。
謂わば超再生。
その時、化物がまた身動ぎした。どうしたことか、その喉が蠕動している。
口端から、歯列から、唾液が溢れ出る。その粘る涎が、燃えているのだ。赤い火を帯びているのだ。
途端、喉笛が膨らんで────
オゲァ
汚らわしさの極致のような声を発して、同時に口から“それ”が吐き出された。発射された。
火球。
ちらりと見えたのは成形された肉だった。火を纏った肉塊が砲弾さながらに撃ち出された。
狙いは悪く、我ら三人を通り過ぎた肉の火球は大路の反対へ。
着弾し、破裂した。大火を放散しながら、家屋を吹き飛ばした。それも
「……」
「……」
「……」
三者共々に、言葉なく顔を見合わせる。
そうして化物に向き直る。
その口腔でまたしても火が溢れ出そうとしていた。
「ハハハッ! こりゃ不味い。『火薬』を喰われた。なんて悪食だ」
「ほう、見たところ耐性も付いてる。もう火を掛けても無駄だろうねぇ、フフフ……!」
「てめぇら楽しそうだな」
片や燦然と瞳を輝かせ、片や笑みを黒々と深める女二人。切実に、こやつらにこの場を預けて、ジルオとムタを連れてさっさと退散してしまいたい。なんとなればこの国からおさらばしたいとも。
払うほどの血糊もない刀身を振るう。八つ当たりに虚空を裂く。
その程度で、この憂鬱は幾許も晴れまいが。
「長ぇ夜になりそうだ……」
「フフフ、腹は括れたのかい? 坊や」
意趣返しも覿面効いてくる。厭らしい女め。
「では存分に楽しめるな! 異国の夜を」
溌溂とライザが駆ける。オーゼンが続く。
度し難い英雄共のその背を、己もまた追う。
刹那、夜闇は緋色に染まった。