深淵の剣   作:足洗

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34話 甘美な苦痛

 

 

 

 経験は力。

 外部から与えられるあらゆる刺激はこの体を強く逞しくしてくれる。

 苦痛は力。斬られる痛みが、打たれる痛みが、焼かれる痛みが、この体をより成育させる。

 貴方方の敵意が、殺意が、甘美に響く。もっと打って、もっと斬って。

 その強大で、尊い暴力を貪って、この体を育て上げる。次なる研究の為に。次の次の研究の果てに、至る為。

 

「『良い調子です。たった91人分の生体捕食で、殲滅卿の一撃に耐えるこの強度。やはり人体を使用する方が安定しますね』」

 

 大路に佇む三人。殲滅卿、不動卿、いずれも脅威。打倒は至難。いや、現状不可能である。果たして何十、何百の祈手(アンブラハンズ)を消費すればそれは叶うのか。

 そして、勇名も帯びず、笛も持たず、ただの一個人であるかの青年。練達の剣術を振るう正体不明の存在。

 

「『興味が尽きません』」

 

 ゲルマの肉体は今日ここで終わってしまうが、白笛二名と不世出の剣才。これから得られる経験と苦痛と破壊は、なによりも得難く稀少極まる。

 

「『あぁ、なんと、素晴らしい一夜でしょうか』」

 

 三者、それぞれが疾駆を始める。この身を完膚なく破壊する為に。

 ではこちらも彼らの注力に恥じぬよう、全力で応えなければ。

 

「『恋情で啄ばむ(ラング・ベゼ)』」

 

 

 

 

 

 

 

「祈手?」

「そうさ。黎明卿、ボンドルド率いる探窟隊……いや、ボンドルドという群体を、世間は皆知らずにそう呼んでる。お前さんが見たと言う仮面野郎は、おそらくその一人だろうね」

「言ってる意味がわからねぇぞ」

「フフフ、そういう度し難い遺物を使って、蟲のように()()()男がこの世には居るんだよ」

 

 燃え盛る肉塊を躱し、着弾点から爆ぜ広がる火の手より逃れ、駆け抜ける。

 車輌六台分はあろう道幅の大通りを満たすほどに巨大な山椒魚の化物……オーゼンはその中身が、一人の人間であるという。

 それを聞いたライザは晴れやかに。

 

「じゃあ話は簡単だ。あのでっぷりとした腹を掻っ捌いて、黎明卿殿を引き摺り出してやろう」

「賛成だ。あのろくでなしは一匹でも見付けたら潰しておくに限る」

「……」

 

 意気揚々戦意を高揚させる戦狂(ろくでなし)共の弁はさて置いても。

 此度の一件に関与、どころか元凶に位置付く者がのこのこ姿を現したのだ。

 生かして帰す道理はない。

 巨体は口中はおろか全身から炎を発した。火薬を喰らったなどとライザは嘯いたが、あれは明らかに体内で自ら燃焼物を生成している。

 刀剣の間合までもう十五歩。その途上、赤錆色の巨体が脈打った。

 その全身、とりわけ背中から触手が、鋭利な爪を生やした針が、伸びる。無数に、我々に殺到する。

 

「フハッ! まるでタマウガチだ!」

 

 ライザは槍の穂先のように太い爪を鶴嘴で手あたり次第弾く。叩き落とす。

 オーゼンは迫る爪先を巧みに躱し、触手の側を掴み取り、また千切り、無造作に薙ぎ払う。

 己とても呆けてはおられぬ。身体に到達する軌道に乗った針のみ斬る。斬る。も一つ斬る。

 そうして一本、弾き落とす。それは石で出来た道路を容易に刺し貫いた。尋常な生物の爪や骨がどうすればこんな硬度を発揮し得るのか。

 悍ましさを口中に噛み締め、触手に足を掛ける。

 一本、化物自ら通してくれた“道”を駆け上る。

 この不定形の怪物に果たして急所などという可愛げのある個所が存在するのか定かではない。が、試してやる。

 

「脳天を貫かれても、おのれは生きておられるかァッ!?」

 

 擡げた頭の頂点。脳の在所へ、逆手に握った刀身ごと身を落とす。

 その刃先が皮膚に到達せんとした、刹那。

 火を帯びた表層が蠢く。いや、せり出てくる。

 べったりと濡れそぼった髪、奇怪な仮面、細い首に肩幅、豊満な乳房、縊れた腰。

 赤錆色をした全裸の女。おそらくは妙齢の女が、山椒魚の頭から()り出て来たのだ。

 その腕に、触手の尖端同様の爪を形成して。

 この刃を受け止めた。

 

「ご機嫌よう。お強い御方」

「祈手か」

「はい。如何にもですわ。そしてこちらが、わたくし共の長であられます……」

「!」

 

 女の細い肩が盛り上がる。骨肉が挽き捏ね回され、成形、整形されていく。頭だ。女の首とは別にもう一本、生首がその左肩に生えてきた。一条、縦一文字に光を放つ、その顔もまた仮面であった。

 

「『はじめまして、ラーミナ。是非、こうして直にお会いしたかった』」

「てめぇが……ボンドルドか」

「『ええ、私達はボンドルド。アビスの探窟家であり、人々からは黎明卿と呼び馴らわされています。見知り置いていてくださってとても嬉しい』」

「目的はなんだ。今更出て来た要件は。モデナとカザフの報復だ、などとはまさか言うまい」

「『勿論、違いますよ。この度はラーミナ、貴方に提案を差し上げに参ったのです』」

「提案だ?」

「『私の隊へ来ませんか。貴方の技術、貴方の身体、そして貴方の精神を、是非とも学び取らせていただきた────』」

 

 刃を翻し、横一閃。雁首揃った仮面を二つ、飛ばす。この一太刀を返答に代える。

 

「冗談はその悪趣味な仮面だけにしておけ」

「『冗談などと、とんでもございません』」

 

 女の細腕が伸び、宙に踊った仮面を掴んでいた。水滴のような形状。それに触れた女の掌が、吸い付き、融け合う。癒着している。

 ようやく異状に気付く。ずぶ、ずぶ、と両足が怪物の肉に沈んでいた。

 

「『貴方の高潔な精神性、感受性をそのままにお迎えしたかったのですが。仕方がありません。せめてその身体、味わわせてくださいね』」

 

 眼前で女体が縦に裂け、開く。まるで食虫植物(ハエトリソウ)のように、左右に牙を生え揃えた顎が。

 飲まれゆく両脚。迫る口腔。

 間に合うか。斬り開くだけの暇が。

 

「なにを悠長にやってるんだい」

「うおっ」

 

 むんずと後ろ襟を掴まれ、凄まじい膂力に体を引かれる。

 両脚が解放されたと同時に、女の黒い蹴り足が、山椒魚の頭を踏み潰した。

 打点から放射状に大気が霧散する。衝撃波。その頭部に、肉と血と骨を吹き飛ばして擂鉢状の穴が穿たれた。

 さしもの怪物も苦しげに呻き、蹈鞴を踏んでいる。

 離脱し、再び間合いを取ったオーゼンは己を石畳に放り出した。見上げれば、そこにはまたぞ厭らしい笑みがある。

 

「女の裸に動揺したのかな? このスケベ」

「ハッ、戯け」

「ぬぉぉおおおおおおお!」

 

 気合の入った咆哮で、ライザは今一度化物に襲い掛かる。

 オーゼンが蹴り砕いた頭部の真裏。顎の下から掬い上げるように、鶴嘴でかち上げる。

 重い。鉄器の尖吶が肉を引き裂き下顎を割った。それだけの衝撃、痛打。

 返り血から逃れるようにしてライザは飛び退く。

 

「糞! やっぱり『火薬』が上手く点火しない」

「そのポンコツが壊れてるだけじゃないのかい」

「そんなことないもん! 今日は機嫌が良い方なんだぞ。なぁ?」

 

 言いつつ娘は鶴嘴に頬擦りする。叩いて火を吹かせる危険物を、さも愛玩動物が如く。やはりイカレか。

 血飛沫が止まり、巨体の揺動が収まる。再生、再生、再生。その速度が減じた様子は微塵もない。

 見る間に健在。怪物の名にし負う悍ましさ。

 

「切りがないな、これは」

「私が蹴った分、また頑強になってるだろうねぇ。フフフ」

 

 断じて笑い事ではなかった。窮地を助けられた手前、文句も出ない。

 しかし、一つ。一筋の端緒が。己は、あれを切り絶つ方法を見付けたやもしれぬ。

 

「首だ。女の首。あるいはその頭の中身を破壊する」

「なんだって?」

「さっきの祈手の女かい」

 

 無際限の再生が叶うというならば、何故あの時。己が並んだ二つの雁首を断った時、あれは咄嗟に()()生首を取った? 喪う、いや接続を絶たれる訳にはいかなかったのではないか。自身の長だと抜かしておきながら、仮面の男の首には目も呉れず。

 

「わざわざ体外に急所を晒したって? あれがそんな間抜けな手合いかね」

「どうも彼奴には、己の肉体に対する並ならぬ関心がある……ゾッとしねぇが。その重要な回収物の吟味の為に、“要”となる部位を差し向けたのではないか」

「なんにせよ、その女の頭は今はもう引っ込んでるんだろう。中から引き摺り出すという方針は同じだ」

「いや」

 

 あの再生力相手では、外部を幾ら傷付けたとしてもそれこそ切りがない。

 欲しい物は穴倉の奥深く。

 そうか。ならば、やることは探窟家(こやつら)と変わらぬ訳だ。

 

「俺が中に入る」

 

 

 

 

 

 

 

 

 





「ジャービス、聖書のヨナを知ってるか?」
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