深淵の剣   作:足洗

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36話 それは身勝手な

 

 

 

 

 病室の窓際から日中の街を眺めた。

 薄く雪化粧を施された瓦屋根に、陽光が照り返し閃く。澄んだ冬空の冴えた青、それは眼球から入り、骨身にまで沁みるようだった。

 静の景色。しかし、窓硝子越しにも微かに喧騒はこの耳に届いていた。

 先夜の闘争と破壊による混乱。引っ掻き回された店屋、家屋の修繕、完全に瓦解したそれらの後始末。この国の役人共は今、てんやわんやの大騒ぎだろう。

 なにより、あの化物の死骸が問題だった。本体と思しき遺物、あの“舌”を両断した瞬間に肉塊の怪物はその形状を崩壊させた。総体のほぼ全てが液状化したのだ。そうして今や、もはや原型留めぬまでに溶解した肉と血の池が、大路一杯に満ちている。

 カザフというヤクザ者共の死体は、個々人の判別すらつくまい。

 身元不明の人間の遺骸の処理をどうするか。この国の政府の証拠隠滅の手腕が今こそ試される時だ。

 

「……」

 

 他人事に、そんな揶揄を腹の中で弄ぶ。

 此度の騒動をここまで大っぴらに晒し上げたのは誰あろう己である。いや、本を正せば宗教団体モデナ、そしてそれを擁してオースの探窟家に手を掛けたセレニの蛮行と失態こそ元凶だが。

 その裏で、蜘蛛の如く糸を引き、ともすればその獲物に餌を与え肥え太らせていたのもまたオースの探窟家────白笛だった。

 とんだ笑い話もあったものだ。

 直接被害を受けた現地住民からすれば断じて笑い話で済まされるものではない。

 建造物の半壊全壊、それの巻き添えを食い多数の怪我人も出ている。

 事が明るみになった時、果たして民草は誰を憎悪し、糾弾し、断罪するのか。

 

国政(まつりごと)というやつは平らかならんものよな」

「フフフ、そいつは政治屋の真似事かい?」

 

 扉の傍の壁に背を預けて立つ長身痩躯。

 オーゼンはその顔貌にたっぷりと厭味の化粧を施し、己を笑った。

 

「今更戸を叩けとは言わんが、わざわざ気配殺して忍び入って来るんじゃねぇよ」

「気付かないあんたが鈍感なのさ」

「かっ、そうかよ」

「具合は」

 

 欠片の興味もない、そんな口調で女は問うてくる。

 

「医者が言うには問題はないそうだ。潜伏期間はともかく、感染症の兆候も診られない。とっとと退院して病室を空けろとよ」

「ふぅん。あれだけ死体の血を浴びてもどうともないとは、体が特別製な証拠かねぇ」

 

 死骸の塊の、その胃の腑に生身で乗り込んだとあって一応の用心として医者を頼ったが、それはすっかり杞憂に終わった。

 運が良かったか。あるいはオーゼンの言の通り、己の身体が何かしら異常なのか。それは定かではない。

 

「不調がないんなら身支度しな。オースへ戻るよ。この国にもそろそろ飽きちまった」

「ジルオとライザはどうした?」

「土産を漁りに市へ出掛けたよ。あの間抜け面を引き摺ってね」

「間抜け面ぁ? ああ、トーカか」

 

 その言い様もまた無関心を装ってはいたが、声音の端々に不愉快との本音が見え隠れしている。

 相変わらず、難儀な親心もあったものだ。

 

「お前さんも付いて行きゃあよかったじゃねぇか」

「嫌なこった。それこそあの小娘、私が居たら調子に乗ってあれもこれもと買い込むに決まってる」

「ははっ、体のいい荷物持ちってぇ訳だ。師匠相手に不遜というか豪快というか」

「まったくさ。だからまあ軟弱なのが同行してた方が、そう無茶もできないだろ」

「トーカめは毎度のことながらご愁傷様だぁな」

「ふん。月笛風情が白笛の伴を任されるんだ。これ以上なく栄誉だろう?」

「栄誉云々はともかく、そいつぁこれ以上なく不遜な物言いだぜ」

「まあね、フフ」

 

 こちらの皮肉を女はニヤリと笑い、吹き払う。

 多少機嫌は良くなったようだ。

 

「言われてみりゃあ街の見物どころではなかったな。この国に来てからこっち、矢鱈と忙しねぇのなんの」

「別に観光に来た訳じゃないんだ。どうでもいいだろう」

 

 二日二晩酒場に入り浸るのは、確かに観光とは呼ぶまいが。もう少しマシな異国の過ごし方というものがあろうに。

 

「己としちゃオース探窟隊の用船に(かこつ)けて酒だの肴だの買い込むつもりだったが。なんせ税金が取られねぇ絶好機だからな」

「知らないよ。好きにすればいい。金なら余るくらい持ってるだろ」

 

 病床の傍ら、床に無造作に放ってある革袋は先夜オーゼンに投げ渡された札束のまた束。使い途を考えあぐねていたが、酒代に消えるくらいが如何にも()()()貧民らしかろう。

 

「お前さんもどうだ」

「あぁ?」

「出立まではまだ間があろう。なにより船の整備が終わらねば港で暇を持て余すだけだ」

「……」

 

 暫時、平淡にこちらを見下ろした女は、窓の外の晴れ空に目を遣った。

 

「荷物持ちはあんたがやりな」

「へいへい」

 

 鞘に納められた刀を腰に佩き、外套を羽織り、革袋を担ぐ。

 オーゼンと共に病室を出た。

 

「セレニ……というかこの街にも名産品の一つくらいねぇのか。己が知ることと言やぁ、ここが御大層な宗教団体様の御膝元ってくれぇなもんだ」

「あんたの無知は今に始まったことじゃないが、それにしても酷いね。しょうがない。無教養の徒には、この私が直々に指南をくれてやろう」

「そりゃそりゃお有り難ぇや。涙が出ちまうよ」

「ああ、泣いて喜びな。存分にね。フフフ……」

 

 軽口を叩きながら療養院の広間へ降りる。表玄関にはやはりというか、先夜の怪我人が数多く並んでいた。

 待合の長椅子を横目に、出口へ向かうその途上で。

 

「ラーミナ!」

「ん?」

 

 近く、見知った顔が我らを出迎えた。

 夜道に佇む(ひさ)ぎの装いではなく、くすんだ白のワンピースに厚手のコート。

 ムタの、それが昼間の姿なのだろう。

 

 

 

 

 

 療養院の待合所、その隅の長椅子に娘と並んで腰を落ち着ける。

 

「すまねぇな。昨夜(ゆうべ)は結局、碌々事情も通じねぇまま別れっちまってよ」

「ううん、いいんだそんなこと。ただ……」

「うん?」

「ありがとう、ラーミナ」

 

 灰色の髪間から、上目に己を見る瞳。黄金のそれがどうしてか潤む。濡れる。

 

「ははは、酒屋に置き捨てた手前、礼なんざ言われるとむしろ立つ瀬がねぇんだがなぁ」

「どうしてさ」

「大したこたぁしてねぇからよ。飯を奢っただけで」

「違う。それだけじゃない……!」

 

 ひどく思い詰めた顔をして、娘は再び俯いた。

 そうしてそっと、その腹を撫でる。愛おしげに、労しげに。

 

「この子が、この子の為に……ウチがうっかりカザフのこと喋ったから、ラーミナは」

「さてな。己は無頼と喧嘩沙汰起こしただけだ。そいつがとんだ大事になったなぁ流石に意表外だが、お前さんが気負う必要は何処にもねぇんだぜ?」

「でも!」

「街のチンピラ風情、掃除したところで何が変わる訳でもねぇ。まあほんの少しでも窮屈な思いが減るならそれに越したことはねぇと、それだけの話だ」

「ラーミナ……なんで、なんでそこまで……そんなこと言われちゃったら、ウチ、ウチ、なんにも返せないじゃないか……」

 

 それはいっそ、批難するように。娘は己の外套の袖口を掴む。

 無償の施しなど不気味なだけだ。まして施してやったなどと宣うなら、そのような傲慢は精々が反吐の元だ。

 この娘は偽善と報恩の違いをよくよく心得ている。ゆえにこそ、己の行いに戸惑うのだ。

 それはひどく快い。娘の困惑、思慮より根差すそれが、己はどうも気に入ってしまった。

 

「やりてぇからやった。私心私欲。何も誇るべきものはない。己はただ一刀(やっとう)振り回す相手を見付けて、実際に振り回してみせたのよ」

「んなぁ……そんな、そんなの……じゃあ、じゃあさ。ウチにできること、ないかな。なんでもいいよ! ウチにできることだったら、なんだってしてあげるから!」

「ほほう、なんでもいいのか?」

「うん! ラーミナが、して欲しいこと」

「ならば、元気な子を産んでくれ」

 

 言葉を失くして娘は目を見開き、己を見詰めた。

 

「……うん。わかった。わかったよ。ウチ、ちゃんとこの子、産む。ちゃんと育てる……」

 

 不思議なものだ。己は格別、憚るでもなく何をした訳でもないというのに。

 娘は泣くのだ。大粒の涙を溢すのだ。

 ふと、床に置いた革の袋が目端に過る。

 

「トナカイ肉は旨かった。うん、ありゃあべらぼうに旨かった」

「へ?」

「こいつは肉の礼だ」

「んなぁ、なにこれ……?」

「おぉっとっと、中身は家で確認しな。まあ気にするこたぁねぇ。所謂、泡の何某というやつだ」

「???」

 

 疑問符を浮かべる灰色の頭にそっと手を置く。化粧気の薄い顔は、涙痕も相まって子供のようにあどけない。

 

「何か困ったことがありゃあ、そうだな……ベルチェロ孤児院にでも文を送ってくれ。七日の内には馳せ参じてみせよう」

 

 快い縁だった。良い娘子だった。この一期の一会に、どうか幸いが運ばれることを祈る。

 

「赤子共々、息災でな」

 

 

 

 

 

 

 療養院を出てすぐ。門扉に背を預けた黒衣を見付けた。

 

「よう、待たせたな」

「……」

「さてどうするかね。悪いが諸事情あって懐が寒々しいんでな、高級酒纏め買いとは……」

「…………」

「おい、どうした? やにわにえらく静かじゃねぇか」

 

 女はその場で腕組みしたまま、明後日の晴れ空を眺めやるばかり。

 暫時、それこそ雲が通りの彼方から此方へ過ぎ去っていくほどの時を要して、女は己を見下ろし、続いて視線を療養院の方へ移す。

 この女の無表情は今に始まったことではないが、こうも分かり易い仏頂面は初めて見るやもしれぬ。

 いや、これは、いつか見た覚えがある。初見の、あの物見台で。己を睨めつけた悪意の貌、ではなく。

 そうだ。これは、ライザに向いていた貌だ。

 

「あの女」

「あん?」

「あんたが孕ませたのかい」

「…………」

 

 意表外というなら、これこそこの上ない意表外の言葉が、意表外な女の口から聞こえてきた。

 応えを寄越さぬ己に凍てつくような視線を突き刺し、女はなお言い募る。

 

「どうなんだい」

「いや、違うが。というか、昨日今日会ったばかりの女をどうやって孕ませろってんだ」

「ふーん」

「おい、なんだ、その面。信用ならねぇってか」

「私の知ったこっちゃないね」

「おい、おいったら」

 

 言うや、オーゼンは足早にその場を離れる。歩き去って行く黒い背中を慌てて追いかける。

 どうしてか(いか)る、その背を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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