深淵の剣   作:足洗

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筆が滑る滑る。




4話 殲滅の君

 

 

 

「おめぇさん、名は。俺はラーミナという」

「……ジルオ」

 

 一瞬の逡巡を経て、少年はぽつりと言った。

 見も知らぬ相手に対する警戒心を捨てないのは、褒めるべきことだ。年の頃を思えば驚くほどしっかりしている。

 

「ジルオか。うむ、いい名だ。強そうだ」

「強そう」

「おう、強くて賢い男になるぜ。きっとな」

「……」

 

 仏頂面がほんの少しだけ綻んでいる。出会って間もない、ごくささやかな観察ではあったが。この少年、実はなかなか顔に出易い。

 えいこら立ち上がり、周囲を見渡す。

 もはや夕刻とは呼べぬ頃合だ。淵から這い出た暗闇が、夜の帳と溶け合い辺りを蔓延し始めた。

 

「なあジルオ。おめぇさんどうやってここまで来たんだ」

「地図で、調べながら」

「一人でか?」

 

 少年はこくりと首を縦に振った。

 こんな子供が、一人であの入り組んだ岸壁街の道とも言えぬ道を踏破し、その最果てまで辿り着いたという。先の適当な褒め言葉はどうやら遠からず真実となりそうだ。

 

「ははは、本当に凄ぇガキだ。とはいえ、こんなところをおめぇのようなのが一人で出歩いちゃいけねぇよ」

「……ごめんなさい」

「悪いことだと理解しておるなら良い」

 

 ひどく素直だった。説教される筋合いなどないと、言ってしまえばそれまでであろうに。

 この少年の聡明さはここまでの遣り取りで十分に知れた。自分のやっていることが如何に危険な行為なのかも理解していた筈だ。

 ここはオースの裏の顔。年端も往かぬ子供が無防備を晒そうものなら途端に食い物にされるだろう。

 

「さ、外まで送ろう。あぁおめぇさんが己を信用できるなら、だがな」

「……」

 

 おどけた調子で肩を竦めてやる。ジルオはそんなこちらを再び凝然と見詰めた。

 値踏み、というにはその瞳はあまりに透き通り、腹の底の底まで見通されそうな要らぬ心配すら湧いた。

 少年の吟味は大した間を置かず終わった。何かの得心に、うん、と一つ頷く。

 

「大丈夫、だと思う」

「ほほー、その心は」

「悪い奴なら、オレがここを覗き込んでる時に襲う。武器も持ってるし、騙す意味がない」

 

 ちら、と少年の視線が己の背負っているモノに向かう。

 

「それと……」

「うむ」

「……オレの話、まじめに聞いてくれたから」

 

 どこか気恥ずかしそうに、少年はぼそりと言った。

 

「あ? それだけか?」

「うん」

 

 初めこそ理路整然とした根拠を並べていた気がしたのだが、ここへ来てえらく素朴な話になった。

 

「大人や同班の奴らは、オレのやること変だって、笑うし」

「風の強さだの臭いだのってぇあれか」

「……」

 

 面白い、そう感じたことは嘘ではない。しかしあのように些細な賛辞に。

 なんだか無性に、この少年が可愛く思えてきた。

 

「ははっ、そうか。そいつぁ光栄だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小さな少年と連れ立って、暗く淀んだ街を歩く。

 独特の空気。その中に種々数多の臭いを嗅げる。大概が、反吐や糞尿、鉄錆と塵埃、碌でもないものばかりだったが。臭いこそはこの街をこの街足らしめている要素である。それは同時に、観念的な面においても。

 己の身体にもそれらは染み付いている。

 ではこの少年はどうか。答えは否。彼が纏うのは表の匂い。日向を歩けばこそ身に付くそれ。

 故以て、この場において少年は異質な存在だ。そして異物は、すぐに気取られる。

 路地の影、通りに並ぶ家々、何より往来する者共から、無遠慮な、無数の視線が降り注ぐ。僅かな警戒と多量の好奇の色。小動物がわざわざ自分から巣に入り込んできた。さて肉を食おうかい毛皮を剥ごうかい、弄び辱め穢し犯そう。そうしようそうしてやるそうして何が悪い。

 ふと、襤褸の外套を引っ張られる。

 機微に聡い少年が、それら夥しい視線に気付かぬ道理もない。取り繕った無表情は、むしろ労しかった。

 

「……」

 

 ぐるりと周囲を睨め回した。

 こちらと目が合った途端、まるで泡を食ったように視線は逸れ気配は遠退いていく。先程までの剥き出しの欲望を目から体内へと蹴り戻され、腹でも下したかよ。

 そのままジルオの右手を握る。こちらを見上げる瞳に笑みを返した。

 

「左手が物寂しいんだ。しばらく繋いでてくれんか?」

「……うん、いいよ」

「ありがとよ」

 

 目の数が一挙に減じていく。半年間、暇さえあればゴロツキやチンピラと遊び倒し、何やら仰々しい徒党を幾らも踏み潰せば、噂の一つ二つ立つだろう。

 少年が己の連れである、そう示した途端、少年は獲物から立派な腫れ物へと変化した。

 これでもう、この子を襲おうと近寄る者も居まい。

 

「ラーミナは」

「ん?」

「ずっとここに住んでるの?」

「ずっと、ってぇほどじゃない。どうしてだ」

「ここは、その、危ないところだって習った。絶対に子供が一人で行っちゃいけないって。でも、ラーミナも」

 

 齢こそ上であっても己とて子供ではないのか。そしてその子供がわざわざこんな所に好き好んで住み着いているのは何故か。

 生い立ちだの経緯だの、込み入った事情を聞いたという心算はないのだろう。少年の問いはただ純粋な疑問だった。

 

「拾われた場所がここだった、ってぇ以外大した理由はねぇな」

「……孤児院に行けばいいのに。そうすればいろいろ勉強できるし、将来探窟家になれるよ」

 

 探窟家になれる……そう口にした時の声色は微かに弾んでいた。夢、なのだろう。この少年にとってそれは何物より価値あることなのだろう。

 その純心がひどく眩かった。同時に。

 

「……おめぇさんと同じくらいの子供もこの街にゃ多く住んでる。養い親が居たり孤児だったり、ま、事情はいろいろだ。だが、その殆どは孤児院で働ける齢になる前に死んじまう。餓えや病や、諍いで……これも、いろいろだな」

「……」

「運良く生き残ったとして、それからも日々食って行かねばならん。親や幼い弟妹、血の繋がらない家族を養うガキも居る。金を稼いで食って行くってのが如何に大変かは、おめぇさんなら解るだろう?」

 

 返事を聞くまでもない。強く握られた手が何よりも雄弁だった。

 奇妙な話だが、スラムの住人こそは日々を忙殺されていくのだ。仕事にあり付けた幸運な者は安い給金をより稼ぐ為。そうでない者は一日足を棒にして食い物を探し餓えを凌ぐ為。

 時間は有限だ。無邪気に夢を追うにはあまりにも少ない。

 だからこそ。

 傍らの純心な少年を見る。見るからに消沈して俯く様には苦笑が漏れた。

 

「すまねぇな。辛気くせぇ話聞かせちまった。つまり、住みたくて住んでるのも居りゃあ、そうでない者も居る。それだけのこった」

「でも、オレ」

「境遇は人それぞれだ。おめぇさんが気にするこたぁねぇ」

 

 話の流れを思えば気にするなと言う方が無理であろう。

 少年は自身の言動を省みて落ち込んでいる。

 

「人間、生まれ方は選べん。皆、己の持ち札で生きて往くしかないのだ。どうしたとて有利不利はある。背負う労苦にも差が生まれるだろう。それでもな、ジルオ」

 

 立ち止まり、正面に回りこんで屈む。やや翳りを帯びたその目と向き合う為に。

 

「そう、おめぇと同い年くらいの娘だ。岸壁街に住んでおる」

「?」

「そいつの母親は身重でな。働けぬ母に代わり、その娘は毎日屑拾いで日銭を稼いで母と腹の子を養っている」

「……」

 

 小さな、それは小さな少女がゴミ山を必死に掘り返す姿を幾度も目にしたことがある。その懸命な姿が不思議と目に留まり、声を掛けたのが切欠だった。

 

「娘には夢があるそうだ。探窟家になるという夢が」

「!」

 

 屑拾い如きに何故そうまで真剣なのか、そんなことを無遠慮に問うた気がする。

 娘は嬉々として語って聞かせてくれた。自分の夢を、未知なる世界(アビス)に対する憧れを。

 

「ゴミ山から小難しい書物を拾ってきては四苦八苦読み漁ってな、手当たり次第知識の足し(・・)にしとるそうだ。最近じゃ部屋が本で埋まって狭い、などとぼやいておったわ。そらもう、楽しそうに」

「楽しい……?」

「おうよ。まあ疲れただのゴミが臭ぇだの文句は多いが、ははっ! あの娘は毎日実に楽しそうだぜ。おめぇと同じによ」

 

 同じなのだ。

 暗い穴の淵を一心に覗き込み、見える筈のない世界を確実に見出すこの少年の、あの輝く瞳と。

 黒く泥と鉄錆に薄汚れながら、それでも折れず曲がらず心から夢を追いかける、あの娘の瞳は。

 

「おめぇさんの努力は価値あるものだ。その娘の努力は尊いものだ。誰にもそれらを貶めることなどできん」

 

 ぐしゃぐしゃと、その子供らしい柔らかな髪を撫でる。されるがままの少年に笑みが零れた。

 

「自信持って頑張んな。応援してるぜ」

「うんっ…………ありがとう」

 

 飾り気も面白味もない声援を、しかし少年は殊更大切に受け取ってくれた。

 改めて、その目を見れば分かる。己の心配など最初から杞憂だったのだと。

 ふと気付く。街並の隙間から僅かに見える空に、とうとう星が瞬き始めていた。

 

「おっと、すっかり長話しちまった。俺ぁどうも話が説教臭くていけねぇや」

「ふふ。ラーミナの話し方、なんかオヤジっぽいしね」

「あぁん? こいつめ、なかなか言いおるわ」

 

 再び帰路を歩き出す。

 歩を進めながら、胸の内には一つ思うところがあった。

 己の、少年に対する期待。かの少女に対する期待。

 そして、老人の己に対する期待。

 

「……そうか」

 

 結局、己もまた同じなのだ。

 若者に明日を見出そうとする。己の無念、己の存念を、誰かに託さずには居られない。

 それは、なんともまあ、無責任な話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 岸壁街が複雑に入り組んだ構造をしているとは言え、道を知っていれば街を抜けるのに小一時間も掛かりはしない。

 東西に伸びる大通りを西進し、突き当たった集合住居を回り込めば表オースの工場地帯へ出る。道のりは至極単純。何事もなければすぐに辿り着く。

 何事も、起こらなければ。

 

「…………」

 

 いつしか、通りから人の姿が消えた。

 というより人気のない狭い路に入ったのだ。街の出口は近い。

 だが。

 

「……ジルオ」

「? ラーミナ?」

「走るぞ!」

 

 ジルオの手を引き、一気に駆ける。

 突然駆け出した己に少年は声も上げられず随った。

 

「――」

 

 後背、そして頭上から。ほんの一瞬だが乱れた足音を聞いた。

 さて、我々は果たして何時、何処から追われていた(・・・・・・)のか。

 己の油断と迂闊は今置いておくにしても、ここまで接近を許すとは。平素から相手取っているチンピラ共ではありえない。

 前方に三叉路が見えてくる。左は当初の進路、市場への道。対して右は岸壁街奥地へ逆戻りだが。

 ――迷いなく“右の道”を選んだ。

 これほどの尾行術に長けた者が複数人、そして今もなお増え続けている。出口は張られていると看るべきだ。

 何より、このような閉所で挟撃など受ければ。

 

「はっ、はぁっ、はっ……!」

 

 息を切らせ、それでも懸命に付いてくる少年を見やる。

 己の身一つならば多少の無茶も試そうが、この子を危険に晒すような真似は避けたい。

 穴倉染みた小路を疾駆すること暫し。追走者の気配絶えぬまま、とうとうそこは袋小路。

 

「!」

 

 高さ二メートルほどの石造りの塀が三方を囲み、塀の上からせり出すように増築された住居。見上げれば、遥か高みに四角形の夜空を望む。

 見当で二十メートル四方の伽藍の空間だった。

 逃げ場はない。

 

「っ!」

「……」

 

 傍らの少年が息を呑んだ。

 己らが辿ってきた道から足音が立つ。もはや隠す気もないらしい。

 程なく現れたのは、黒尽くめの人型。己と負けず劣らずに襤褸の外套を身に纏い、フードで顔を隠した輩。上背はあるが、一見では体格を覚らせない。それを意図した装いであろう。

 そういった風貌が、一つ、二つ、三つ。増えに増えて最終的には八つ。

 何処に隠れていたやら、いよいよ鈍い己の感覚が怨めしいわ。こうも群れられると狭苦しいことこの上ない。

 

「こんばんは」

 

 そう言って一人が進み出てくる。そして、目深に被っていたフードを取った。

 男の顔が露になる。眼鏡を掛け、濃茶色の髪を後ろへ撫で付けた、有体に言ってあまり特徴のない顔立ちだ。ただ一点、その顔貌に浮かべた笑みが特徴と言えばそうなる。

 柔和な表情(かたち)である。表情筋全てで友好なる意志を全面に表明している。

 ああ、その薄く開かれた瞼の奥に溝川のヘドロのような色さえ見えなければそれはそれは完璧だったろうに。

 

「ジルオ君、だね?」

 

 名を呼ばれた少年が、微かに震えたのが分かった。

 

「おじさん達と一緒に来てくれるかな? 大丈夫、手荒なことはしないから」

 

 言いつつ男はなおも近寄ってくる。

 その時、少年の手が強く己の左手を握った。そこから伝わってくる感情を、よもや読み誤ろう筈もない。怯え。

 翻って正面を見据える。相対した彼奴らが一体何者なのか。何故この少年を付け狙うのか。

 疑問は尽きない。

 しかし結論はとうに出ていた。

 

「なあジルオ、おめぇさん……」

「ラ、ラーミナ……?」

「おめぇさん、実はいいとこのお坊ちゃんでこいつらはおめぇさんを探しに来た使用人共、なんてこたぁねぇわな?」

「ないよ!」

 

 目に涙を浮かべてぶんぶんと首を横に振りながら少年は叫んだ。視線には若干の怒気すら感じる。

 

「ははは! だろうな」

 

 半眼に無言の抗議を添えるジルオの頭を撫で回し、繋いだ手をそっと離した。

 

「ぁ……」

「待ってな。すぐに終わらせる」

 

 左背、左肩に右手をやり“それ”の柄を握る。そうして左手では、胸元で結んだ布を解く。

 そもそも、鞘などという上等なものは持っていない。かといって抜き身をそのままにしておく訳にもいかない。そんなこんなで結局は、こうして布に包んで背負うことになった。

 はらり、女が衣服を脱ぎその身を露とするように。夜闇に煌く、白い刃金(はだ)

 鍔はなく、(はばき)もない。握りに柄巻はなく、(なかご)を嵌め込んだ柄木に鞣革を巻き付けてあるのみ。拵えとさえ呼べぬ粗末な有様。

 これではまるで、刃そのものだ。

 故に――――不足は無い。

 

「…………」

 

 不気味なほどに変わらぬ笑みの男が潜めた声で何やら指示を出す。

 武器を手に歩み寄ってくるガキが一人。敵対意志は明白だが、脅威には値しない。早々に排除しろ。

 そんなところだろう。警告も脅迫もなく、問答をする気は皆無。

 一人、黒フードが前へ出る。だらりと腕を下げたかと思えば、袖口から諸刃の剣身が飛び出した。明らかに隠剣、暗器の類。

 つまるところ、彼奴らの正体も見当が付く。所属組織ないし国家とその目的は今以て不明だが。

 知りたいとも思わん。知る必要もない。

 音も無い歩みで黒い影が接近する。まるで微風がそよぐようだ。

 翻る剣は光を返さない。剣身は黒く塗られ、むしろ周囲の闇と同化した。

 剣尖が迫り来る。首、頚、血の管を切ればいい。そうすれば人などあっさりと死ぬ。それをよく知っている動きだ。

 なるほど、これが暗殺者という奴らしい。

 間境。

 

「――――」

 

 血振いし、残心を解く。

 さあ次だ。

 

「っ!? なんだお前は」

「あぁ? 問答する気はねぇんだろ」

 

 鼻から失笑してやる。

 男の笑みの面に動揺が走るのが分かった。足元に転がっている(・・・・・・・・・)同僚と未だ立っている己とを交互に、信じられないと言うように見比べる。

 

「ジルオ、目ぇ瞑って十数えてろ」

 

 振り返らずに少年へ言いやる。あまり子供に見せて善いものでもない。

 

「行くぞ?」

 

 膝を抜き(・・)、踏み込む。

 チンピラとは違い、即座に構えを取る程度はできるようだ。しかし剣を振り抜く間は与えず、先程の者と同様に両手両脚の腱を斬り裂く。これで二度と暗器など握れまい。

 一。

 仲間が斃れたところでもはや揺らぎはせぬらしい。二つの影が、斬られた一人を踏み越えて迫る。

 振り下ろされた剣を弾き上げ、空いた胴に一閃。右方の者には返す刀で袈裟掛けをくれる。

 二。

 背後から風。弦を擦るかのような耳障りな音色。短刀が三本飛来する。

 最初の二本を弾き落とし、残りの一本を大きく弾き飛ばす。誰あろう擲った本人へ向けて。過たずそれはすとん、と右大腿に突き刺さった。

 膝を折って蹲った男の顎へ疾走からの膝蹴りを入れる。

 三。

 今度は三人。己の周囲を旋回する。三枚の風車のような軌道で、徐々に距離を詰めて来る。

 目眩まし。常に対象の死角を取る連携攻勢。

 三方から投擲。闇色の短刀が己の喉笛に吸い込まれる。上体を屈曲し躱す。頭上で金属音、短刀同士がぶつかり散華した。

 それを見越していたのだろう。三者が躍り掛かってくる。後方、左右から二人。前方から一人。

 短刀を眼前の一人へ擲つ。飛道具――それも転がっている者からくすねた短刀――を使うなどと予想もしていなかったらしい。それは目を射抜いた。

 四。

 即座転身し、跳びかかって来る二者の合間を潜り抜ける。すれ違い様、左方の脚を斬り飛ばした。

 血の尾を引いて、人間の足が宙を踊る。斬られた方はべちゃりと地面に落ちた。

 五。

 さらに転身し、同じくこちらを向いた敵手と相対する。

 両者共に前進し、彼は剣を振り上げ、我は下段に取る。

 間合。

 血の尾を引くは――我が刃。物打ちは逆袈裟の軌跡を紅く描いた。

 六。

 突如、笑みの男が走る。己には目もくれず、ジルオへ。

 させるものかよ。幸いにして、この場は投げ付ける物に事欠かぬ。

 足の甲、脹脛、外腿。それぞれ一本ずつ、投げればそれだけ当たる。男は悲鳴を上げた。

 

「ま、」

 

 釈明か命乞いか、そういった類の言葉を発する心算だったのやもしれぬ。それを文字通り斬って捨てた。

 これにて仕舞。

 

「……とは、行くまいな」

 

 血を振るい、棟を肩に担ぐ。

 奥を見やれば、少年は言われた通り、両目を閉じて両耳を塞ぎ壁際で蹲っていた。

 

「ジルオ」

「……まだ数え終わってないけど」

「そうか? 見立てが外れたなぁ。あぁ、目はまだ閉じておれ」

「?」

 

 少年を立たせ、手を引いて歩みを導いた。

 地面にぐったりと転がる者共を蹴り退け、少年の進路を確保する。死屍累々、とまではならずとも幼な子にとって惨い様であることに変わりはない。

 

「振り返らずに走れ。もう一ふん張りだ」

「う、うん」

「いい子だ」

 

 そう、少なくとももう一番(・・)。斬り合いとなるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 出口などと表したが、何も『ここから先は岸壁街でござい』などと通用の門が聳えている訳ではない。

 無節操な増築と改築によって各住居が互いに絡み合うようだった奥地とは違い、スラム外縁へ行くほどに建物自体が疎らになっていく。

 打ち捨てられ、無人の荒ら屋も多い。かと思えば、遮蔽物もない更地に行き会う。

 待ち伏せには絶好の場所だった。

 

「……」

 

 屋根を失って久しい一軒の小屋。その壁に背を預ける。

 傍らの少年へ向けて、口の前に人差し指を立てて見せた。少年が頷く。

 流石に、ここまで神経を尖らせておれば気配を拾い損ねることもない。慎重に小屋の向こう側を覗き見れば、勾配のややきつい坂道がある。道幅は馬車二輌分といったところ。両側に剥き出しの岩が突き出ており、坂の上にもちらほらと建屋が見えた。

 

 ――居るな

 

 先遣隊の異変にも既に感付いている筈だ。建屋の影からぎょろぎょろと周囲を這う視線、やはり見張りも立っている。

 別の道を選ぶ、という選択肢はある。

 ここは円環の街だ。当然、穴の縁を沿って歩けば東西南北どの地域にも辿り着く。少年の言うベルチェロ孤児院は西区にある。大外を反時計回りに進めば、時間は掛かるがより安全に帰路を往けるだろう。

 が、しかし。

 後顧の憂いと、極めて忌々しい事実がある。あの誘拐人(かどわかし)共を除かぬ限り、この少年は依然狙われ続けるということだ。

 小さな身体をさらに縮めて震える少年の姿。

 

「……平らげるが最善か」

 

 いざ答えを導き出してみればなんともはや単純明快。

 ともすれば短絡の極地を行く自身の思考力に苦笑が漏れる。

 

「何度もすまんな、ジルオ。だがこれで最後だ」

「ラーミナ……」

「往く。いい子にして待ってな」

 

 無遠慮かつ無警戒に小屋の影から出る。

 白刃を肩に担いで悠然と近付いてくるガキの姿を、対手の見張り役は果たしてどう受け取ったやら。

 自身とは反比例するように相手方の警戒感が膨れ上がるのを感じた。肌を視線の針が刺す。

 好し好し。注目は完全に己へと向けられている。

 尚、駄目押しを加えるなら。

 

「ジルオ! という名の子供は己が預かった! 身柄は岸壁街の何処(いずこ)かだ!」

 

 澄み渡る夜気に響く無粋な大声を、よもや聞き逃すことなどなかろう。

 空間を隔て、俄かに音もなくざわめき立つ気配。

 先遣隊は帰らず、どうやら状況の把握すらままならぬ様子。其処へ来て誘拐対象を横取りしたと叫ぶ不審人物の出現。さて相手方から己は何者に見えただろう。敵か、それとも他組織からの使者か。

 坂の上、建屋の陰から複数の“影”が這い出てくる。音もなく、それらは己を取り囲み始めた。

 迅速なる動きだった。小汚いスラムのガキになんと丁寧な応対だろう。

 窮している。

 混乱している。

 情報が欲しくて仕方がない。

 彼奴らの動揺が手に取るように分かった。愉快で堪らん。

 変わり映えのしない黒フード。その一人が徐に口を開く。

 

「…………何者だ。貴様、何を知っている」

「懐のそいつぁ飾りか。吐かせて訊くのが唯一の能であろうに」

 

 眉根を寄せて肩を竦める。

 安い挑発も今が売り時だ。なにせ並べただけ買い手が着く。

 そうして我先にとそれを買ったのは、どうやらこの部隊の長であった。舌打ちを隠すことさえ忘れ、男は手で合図を送る。その瞬間、居並んだ黒服共が一斉に武器を構えた。

 

「そうそれだ。やりゃあできるじゃねぇか」

 

 刀身を立て、柄を顔側面にまで持ち上げる。そうして切先はやや倒した。即ち、陰。八相。呼称は諸流派によって数多存在する。

 長期戦闘における筋力の消耗と視界を阻害しない腕の運用。敵の攻め手に応じ、千変万化する多様性も併せ持つ。

 確実に屠る為に。一人たりとも逃さぬ。そうした諸々の企図を腹に据える。

 黒服共がにじり寄る。間合まで僅か。じりじりとした牛歩。しかし見えている。彼奴らの攻撃距離。こちらの刃圏。

 機を待つ。相手の攻め掛かるその刹那。

 後の先。

 その機を。

 張り詰めた糸の如き緊迫。重く硬く、密度を伴う空気。

 来い。

 いつなりと来い。

 来い、来い、来い――――

 

「こ」

 

 思考が口を吐いて表れようとした、その瞬間。

 夜空に、その只中に浮かぶ蒼白の月光を、“何か”が照り返した。

 

「!」

 

 煌く。その質感は馴染み深い。脳の余剰が要らぬ思考を回す。

 対して身体は、実に優秀だった。思考などという煩雑な工程を廃して既に後方へと跳躍していた。無論、背後に立っていた黒服の一人を文字通り蹴散らして。

 そして月光に煌いたそれは大地に着弾した(・・・・)

 

 閃光、遅れて爆音

 

 炎熱、巻き上がる紅蓮

 

 炸裂、塵埃と岩石の飛礫(つぶて)

 

 強烈な爆発により発生した衝撃波が身体を吹き飛ばす。姿勢制御、受身を取って地面を削りながら停止する。

 振り返り、目に飛び込んできたのは炎と黒煙を上げる大地。その周辺では黒フード達が幾つも転がっていた。

 そして、未だ吹き荒ぶ爆風にそよぐ――金糸の髪。

 爆心を背にして何者かが立っている。

 

「……」

「やぁ、はじめまして」

 

 ひどく場違いな、至極真っ当な挨拶を寄越される。

 碧い瞳が己を捉えていた。そのままゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。

 場違いというならその人物の装いもこの場には相応しくない。枯草(カーキ)のジャケット、白い羽を飾る石灯ヘルメット、何よりその肩に担がれた鶴嘴。誰がどう見てもそれは探窟家の装い。探窟家の女だ。

 

「実は今、人を探しているんだ。六歳になる男の子で髪は銀色。名前は……ジルオという」

「……」

 

 女は立ち止まった。眼前に立って気付く。思った以上に小柄であると。

 しかし、その放たれる存在感は実体としての体積を遥かに上回っている。

 女の胸元でまたしても煌く。蒼白の月光を受けてなお純白の飾り笛――白笛。

 鶴嘴が女の掌中を回転し、止まる。その矛先が己を指した。

 

「居所を、教えてもらおうか?」

 

 穏やかな声だ。そして、ひどく凛然とした美しい声だった。女の美麗な見目に相応しい。

 整った面差し、浮かべた微笑は怜悧な印象を他者に与えることだろう。こうして直に相対しなければその印象を何一つ疑いはしなかったろう。

 差し向かう女の穏やかさ……その向こうに燻る灼熱の如き激しさ。それこそが今の、この女の真実。

 憤怒。

 この女は怒っている。激情を己が体内で収斂している。

 

「……」

 

 肩に担いでいた刀をゆっくりと上段に取る。両腕が肩を越え、刀身、切先は遥か頭上。疑う余地などあるまい。それは一刀両断の意志。

 対する女も鶴嘴を右脇へ引く。左脚を前へ、右脚は後ろへ。深い半身による脇構え。かの者の企図もまた明白。それは一撃必潰の意志。

 互いが互いを間合に収めている。攻勢の意図には一切の迷いもない。

 その時(・・・)が来たなら躊躇無くやるだろう。

 その時が。

 その時。

 それは――――今。

 

「ハァアッ!」

「シィッ!」

 

 美声が放つ裂帛の気合。

 歯列から吐き捨てる呼気。

 全身の筋肉が十二分の弛緩状態から瞬発した。体重と身体の移動力が余さず運剣に伝達し、眼前敵を完全に屠り去るだけの破壊力を我が刃は携える。

 眼前の敵、眼前の美しい女――その背後、夜闇から這い出た黒いソレを。

 擦れ違う。金糸の豊かな髪が空を泳いだ。ふと、覚えのある花の香りを嗅いだ気がする。

 振り下ろされた刃。それは過たず黒い装束の下、右肩から左脇腹までの生きた肉と骨を断った。

 

「げひぃ」

 

 そうして己自身の背後からそのような音声を聞く。潰れた蛙が発するものより酷い声、そして惨たらしい圧潰(あっかい)()。肉ごと骨が粉砕された音だ。

 それを為したのは誰あろう、怒れる女探窟家である。

 べちゃりと地面を汚す赤茶けた泥。鶴嘴の血振るいを済ませたのだろう。

 

「あーびっくりした。一瞬本当に斬られるかと思ったぞ」

「そいつぁ失敬した」

 

 軽口もそこそこに、黒煙から未だ湧き出す黒い装束の者共。先程の発破で仕留められたのはほんの僅かであったらしい。羨ましくも煤の汚れも目立たぬ黒フードが我々を取り囲んだ。

 期せずして背を預けあう格好になる。

 

「ふふん、いいじゃないか。尽きない火薬(ピースフォビア)で吹き飛ばすだけじゃ物足りないと思っていたんだ」

 

 女の語気に本性が表れ始めた。獰猛な肉食獣が牙を剥き出しにする。背中に浴びる荒々しい気配は正しくそのようなものだった。

 

「今さっきの爆撃(・・)を使わんというならそれに越したことはねぇな」

「はははは! 悪かったよ。わらわら集まってるのを見たら蹴散らしたくなって……ね!」

 

 女は接近してきた一人を振り抜かれた剣諸共叩き潰した。襤褸布と同等に成り果てた人間が地面に転がる。

 

「ジルオの名前を出した時点で、お前は味方だと思ったよ」

「別の誘拐人とは思わなかったのか」

 

 投擲された短剣を弾き落とす。その投擲に合わせて跳び掛かってきた者を、逆胴に斬り伏せる。

 背中越しにくつくつと笑声が上がる。

 

「自分の身を囮に子供一人を守ろうとしている。そんな奴なら、たとえ誘拐犯でも良い奴には違いないだろ?」

「…………そらまた、豪気なこって」

「ありがとう!」

 

 女は元気溌剌とした声で感謝を口にしながら、頭上高く振り上げた鶴嘴で正面にいた黒フードの脳天を貫いた。

 小柄な体格に見合わぬ膂力、並ならぬ鍛錬に裏打ちされたであろう体裁き、得物に対する高い練度。

 端から知れた事実を再度認識する。この女、只者ではない。

 そう、そして何よりも。

 

「それと、もう一つありがとう」

「ん?」

「お陰で手早く済ませられそうだ」

 

 激情を収斂し、矛として研ぎ上げる精神力。

 

「――よくも私の弟分を狙ってくれたな。二度とはさせない。これが如何に度し難い愚行か思い知らせてやる」

 

 憎しみなどという不純物を含まぬ、純正無比の怒り。その清廉なる逆襲の遂行に一切の迷いはない。

 

「お前達は、根絶やしだ」

 

 これが白笛。

 深淵を究めし英雄か。

 

 

 

 

 

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