深淵の剣   作:足洗

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42話 監視基地の子供達

 

 

 ゴンドラの籠着場で思わぬ顔と遭遇した。

 白銀の髪、蒼く澄んだ両瞳、近頃は気難しく皺の寄りがちな眉間。

 しかしやはり、その面差しはまだまだ幼気だ。そう感じるのは、青年が己にとって今も変わらず“坊”であるから。どうにも可愛い童であるから。

 などと、うっかり口を滑らせ、また聞かれた日には烈火の如き憤怒と相対することとなろう。

 

「……なんで笑う」

「いいや」

 

 こちらの曖昧な応えに青年が訝る。

 若き月笛ジルオが己を出迎えた。足元にはなにやら大荷物が鎮座している。

 

「そっちこそなんでぃ、わざわざ見送りに来てくれたのか?」

監視基地(シーカーキャンプ)との往復ぐらいどうせお前なら一週間足らずだ。そんな奴の心配をしに来るほど俺だって暇じゃない」

「かぁっ、生意気言いやがる。お前さんの小せぇ時分は何処へ行くにも小鳥みてぇに己の後ろ尾け回してよ、ラーミナラーミナと元気に纏わり付いてきたってのに。よよよ、おとっつぁんは寂しいぜ」

「っ、何年前の話だそれは。それにそう、そもそもあれはどちらかと言えばお前の方が俺を連れ回して……」

「今じゃすっかりこの通り仔犬みてぇに可愛くなっちまってよぅ」

「うるさい黙れバカ殴るぞ」

 

 風を切って打ち出されるその拳を二発、三発と掌に受ける。

 賢明に成長を遂げた青年は、それでも変わらぬ。生真面目で照れ屋で実は少し見栄っ張りなのだ。その性は、あの頃からちっとも変わらず、やはり好ましい。荒くれ師匠から探窟家のイロハの他に口の悪さまで譲り受けてしまっているのは、まさしく玉に瑕だが。

 戯れ合いに付き合ってくれたのも束の間、ジルオはわざとらしい咳払いで話を改める。

 

「不動卿のところへ行くんだろう。例の……レグのことを尋ねに」

「まあ、ガキ共の様子見るついでにな」

「……あの少年の出自はともかく、アビスを登って来たのなら監視基地がそれを見逃しているとは思えない。つまり卿は、なんらかの思惑あってその素通りを許したということだ」

「そうだな。どういう存念かは知らんが。あの女め、間違ってもわざわざ電報なんぞ寄越すような筆まめじゃねぇ。直に聞き出してくれるわ」

 

 此度の異変、延いては我が身の召喚の旨を電報に(したた)めなかったのは無論、盗み見や漏洩を嫌ってのことでもあろう。

 いずれにせよ、こちらから出向く必要があった。

 

「子供らを頼む」

「ああ、それが今の俺の仕事だ」

「はは、立派になったなぁ」

 

 白銀の髪をくしゃりと撫で付ける。

 青年は不満そうに眉間に皺を寄せるが、この手を振り払うことはなかった。

 

「……お前にとっては俺も、いつまで経っても子供のままなんだな」

「おうさ。悪いがもう暫くは諦めてくれ」

 

 齢を()り、消えて去ってゆく者を多く見てきたが。

 こうして大きく、育っていく子供らを見届けてもこられた。

 

「近頃は、こればかりが楽しみでな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深界第二層『誘いの森』の逆さ森。

 絞った巾着のように穴にせり出た岸壁に、逆しまに生える歪曲した木々。力場によって運ばれる筈の光は遠く乏しいゆえに、この空間は常に仄暗い。冷涼な乱気流吹き荒ぶ高所を、逆さの木々の枝を足場に渡る。

 ここいらを縄張りにしている手長猿(インビョウ)共の盛大な歓迎を途上で受け、流し躱し時に斬り開いたその先に、見付けた。

 岩天井から生えた太いキノコのような建屋。丸い大きな望遠鏡の目玉がこちら側を見下ろしている。

 地獄渡りの板橋を伝って行けば、ゴンドラの籠着場はすぐそこだ。

 

「……」

 

 穴から遠ざかったことで穏やかになった冷気の風。ゆえに、接近するその気配を察知することは容易かった。

 己を中心に、円を描くように。視界の外へ外へ。逆さの木々を渡って来る。先の(ましら)にも劣らぬ敏速さ、身軽さで。

 左、後背よりそれが跳び掛かる。

 

「でりゃあーッ!」

 

 奇襲を狙っておいて、その元気な掛け声は御愛嬌だ。

 あえてその場を退かず、その進路から僅かに身を逸らす。丁度、脇を抜けるように、出迎える。

 頭から飛び込んで来たその矮躯をしっかりと小脇に捕まえた。丈の長い外套で全身を包み、頭は頭巾で覆われ顔容すら覗えないが、この声と落ち着きない元気溌溂ぶりは長らく見知ったもの。

 

「にゃははは! あーんつかまったー!」

「久しぶりだな悪戯娘。も少し静かに忍び寄れねぇのか。おぉ? うりうりうり~」

「んきゃははっ! ひゃめ、んにゃはははははは! こしょばいぃ!」

 

 脇腹を擽ってやると娘は大いに暴れ、大いに笑い転げた。

 危うく板橋から落っこちそうになるのを蹈鞴を踏んでなんとか堪え、娘共々地面に腰を下ろす。

 

「危ねぇ危ねぇ。こんな場所であんまり無茶すんな。えぇ? ミーティよぅ」

「今のはラーミナの所為だもん! それに、スキがあったらいつでも仕掛けて来いって言ったのもラーミナだもんね」

「ん、そうだったか? そんな話は覚えちゃいねぇな~」

「あー! 大人が嘘吐くんだ! ひっどーい! サイテー!」

「ハハハハッ!」

 

 頭巾が後ろに落ち、ぴょこんと尖った耳が震える。緋色の髪から伸びる、それは人ならぬ獣の耳朶。犬のような形だった。

 それは耳に留まらず、全身の柔らかな被毛であり、肉球と五本の爪を備えた両手であり、両瞳の奥の横長の虹彩に見られる。

 獣と人の相の子。成れ果てと呼ばれるアビスの落とし子。呪いの産物。

 

「……オーゼンが許しているのだからよいのだろうが、出歩く時は一応用心しな。お前さんの姿を人目に晒すと、まあなんというかな、障りがあってだな」

「ふふふ、わかってるよ。向こう一週間くらい正規ルートで降りてくる探窟家はいないってししょー言ってたから」

「……そうか。ならいい」

 

 ────六層、あの昏い袋小路の虚で、幼子は人としての“半分”を喪くした。

 

「元気だったか」

「うん! 元気だよ。私もししょーもマルルクも、あと地臥せりのおっちゃん達もみーんな!」

 

 ミーティはそう言って無邪気に笑った。

 あのような悪夢などなかったかのように。いや、そうではない。悪夢を垣間見てもなお、この子は燦燦と笑うのだ。笑うことができる。強い子なのだ。

 

「ラーミナさんっ」

 

 軽やかな足音が板橋を駆ける。

 控えめに己を呼ばわるのは、風に震えるカスミソウのような声。

 青い肩掛けにふわふわと揺れるエプロンドレス。小さな物入を付属した妙な髪飾り。近付くほど、布地に施された細かな刺繍が見て取れる。儚げで可憐。少女趣味とでも言えばいいのか。

 可憐な、少年が息せき切らせて己の前に立った。

 

「ようマルルク」

「いらっしゃい、ラーミナさん。お久しぶりです」

 

 紅潮した頬に花弁のような笑みを咲かせる。

 

「ああすっかりご無沙汰だ。元気だったか? ちっと背が伸びたか」

「えへへ、元気ですよ。ラーミナさんもお元気そうでよかった」

「おうとも、どら」

「うひゃ」

 

 脇の下から手を差し入れ、高く抱き上げる。その矮躯は軽々持ち上がった。

 

「あうっ、は、恥ずかしいですよぉ……!」

「嫌か?」

「や、やじゃないです……」

「あー! マルルクずるぅい! 私も私も!」

 

 幼子二人と存分に戯れ合いながら、ようようと監視基地へ歩を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 監視基地の最上層。

 植物の巨大な根をそのまま居住地に用立てたここは、大穴の外縁に近しい分呪いの負荷が緩い。

 そうでなければ、こんな高所に斯様に平然として登ってなど来られまい。吐き気と頭痛と幻覚を軽度に免除されながら、基地の屋上。緑生い茂る樹幹に足を踏み入れる。

 目的の黒衣の痩躯は、縁に佇み奈落を望んでいた。

 

「……来たのかい」

「おう、変わりないか」

「私を誰だとお思いだい」

「はっ、そうだったな、不動の」

 

 動かざる女。十数年の付き合いだが、この女は老いすらも不動(うごかず)のそれらしい。

 あの頃から変わらぬ黒々とした瞳が暫時己を睨め付け、そうして皮肉げに口端で笑む。

 

「土産くらいあるんだろうねぇ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

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