深淵の剣   作:足洗

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43話 置き去り

 

 

 

 監視基地は探窟家達にその門戸を開いている。一時逗留、傷病者の応急手当、装備・物資の提供、伝報の回収、そして無論のこと奈落の監視。

 指折り挙げてみればなかなか忙しなく思えるが、深界二層の最下部に位置するここは良くも悪くも場所柄が辺鄙だ。

 赤笛以下の半人前には深度制限があり、半人前に毛が生えた程度の青笛は到達すらできず死ぬか、命を拾って粛々地上へ引き返す。月笛、黒笛ともなればなるほど、訪問それ自体は容易かろうが、ある程度の実力を備えた者は先を急ぐように大断層から下へ挑んでいく。

 言ってしまえば『逆さ森』を降りる為の通過点に過ぎず、長居する者は少ない。

 思えば己は逗留者向けの居室をあまり利用したことがなかった。

 人前に姿を晒せぬミーティに会う為、それも理由の一つだが。

 通されるのはいつもこの広い一室だった。石で組まれた床、太く分厚い木々の枝が折り重なった天井、壁一面の書架を埋める書物、種々数多の探窟道具、二級、一級の遺物まで乱雑に並べ置かれていた。

 衣紋掛けには、見馴れた鍔広の笠と黒い鎧が据えられている。

 オーゼンの私室。相変わらず飾り気がない。

 

「らしいといえばらしいか」

「くだらないことを考えてるね」

 

 酒の大瓶を卓面にぶつける。

 勝手知ったる部屋、早々指定席に腰を落ち着けた己を長身黒衣の女が見下ろした。

 酒瓶、酒瓶、酒瓶。それは一つに留まらず、奥の冷暗所から次々次々次々と女は酒を運び出してくる。

 負けじと己も荷物を漁った。

 日持ちする瓶詰めが多い。あとは乾物だ。炒り豆、ドライフルーツ、カビに覆われ熟れ尽くしたドライソーセージにチーズ。魚の干物は序の口で、大量の大魚の目玉を出汁浸けにしたなかなか不気味なものまで。匂いからしてどれもこれも飲みの肴だ。

 まあこれらは用意周到なジルオが見繕い、持たせてくれた品々である。

 

「毎度毎度着の身着のまま穴に潜ってくるような馬鹿は、お前さんくらいのもんさね」

「重装備でやっ刀振り回すなぁ肌に合わんでな。道具があろうがなかろうが、死ぬ時ゃ死ぬのがこの奈落と」

「フッ、それが馬鹿だと言ってるのさ」

「違うかよ。むしろこいつぁてめぇの一家言だったろう?」

「その通り。大穴に憑かれるような馬鹿は皆、死ぬべき時に死ねばいい」

 

 死ぬべき時。それは果たして何時だろうか。

 望むような死に方が叶うなどと甘い考えは捨てねばならない。想像を絶する惨たらしい末路がこの奈落には満ち溢れている。

 

「みんな馬鹿ばっかりだよ」

 

 一滴も飲まぬ内から女は愚痴を垂れた。

 寄越された二つのグラスに酒を注ぐ。椅子に座り、足を組んでふん逸り返った女の面前へそれを差し出した。

 オーゼンはそれを引ったくり、一気に飲み干した。

 

「今日は一段と上機嫌じゃあねぇか」

「お陰様でね」

 

 注げ、とばかりに乾いた杯を突き出してくる。

 ()酒の二杯目も女は躊躇なく、水のように腑に注ぎ入れる。

 小刀でドライソーセージを切り分けた。

 何枚か摘まみ、己とても酒杯を呷る。きつい塩味と香辛が酒精と混じり、鼻を抜ける。堪らない。

 

「どいつもこいつも人にガキの世話を押し付けて、自分はどこぞへ好きに行っちまう。あぁそうさ。機嫌も上々、昂るってもんだろう?」

「ミーティの件はともかく、マルルクに関しちゃてめぇの御所望だったと思うんだがな」

 

 お仕着せの趣味についても、少年はよくよく付き合いがいい。逆らえない、と言うてしまえばそれまでだが。

 見当外れな軽口は承知だった。

 女の言う馬鹿が、一体誰を指しているのかも。

 

「ライザめは今頃、奈落の底に着いてんのかねぇ」

「そうでなきゃ、私が許さないよ。何の為にこの私が防人なんざ買って出たと思ってるんだい」

「地上がつまらねぇ面倒くせぇ鬱陶しいと散々己に愚痴ってやがったのは何処のどいつだ、おい」

「さあ、忘れたよ」

「偏屈め」

「お前さんだって今更地上世界で何をしようってんだい? 堅気に交じって商売の真似事? ああそれとも裏社会で一つ戦争でも起こしてみるかい。フフッ、お前さん殺しの腕だけは間違いなく特級だ。いい稼ぎになるよ? 請け負ってもいい」

「阿呆抜かせ」

 

 物騒な冗句を歌うように口ずさむ。

 何が危ういって、女の口調が半ばほど本気を漂わせていたことだ。

 意趣返しの心持ちで言う。

 

「無聊を託つあまり狂っちまえるなら、てめぇもまだまだ十分まともだよ」

「……うるさいよ」

 

 静かに、洞穴に吹く冷気のような声で女は言った。

 それはひどくうら寂しい響きだった。

 

「うるさいんだよ……」

 

 グラスで揺れる酒精を睨み付けて、なお繰り返す。

 まとも。正常。正気。そう呼ばわれることをまるで憎悪するかのように。

 誰あろう、正気を保っていられる己をこそ、厭うて。

 正気でなくなった者達は皆、一様に、もはや消え去った。奈落の底へ、深淵のさらに奥深くへ。

 望む通りに狂い、逝った。

 ライザは逝っちまったんだ。

 なみなみと満たしていた琥珀の水面を女はにべもなく空にする。

 そうして、卓上にしな垂れた。手の甲に唇を付け、片手に持った空杯を揺らす。ガラスの奥で黒い瞳が滲んでいた。奈辺を、昔日を見る目。

 

「……あんたもどうせ、置いてくんだろう?」

「ふ、そりゃ俺の台詞だと思ってたんだがなぁ」

「どうだか」

 

 流し目が己に刺さる。責めるような、縋るような。

 笑みと共に見返すと、女の視線はふいと逃げた。お前など知らぬ。そういう素気(すげ)ない仕草で。

 

「なんにも手に入りゃしない。儘ならないじゃないか。ライザも、あの子も────……間抜け面にガキ。私の邪魔をするのはいつだって私が嫌いなものだ」

 

 嘘など微塵も含まぬ。この女は本当にトーカを嫌い、その娘のリコを嫌っている。まるで子供のような純真さで。

 それでも、オーゼンはここに在り、ライザの娘の到来を待ち受けていた。

 

「当然さ。約束を結んじまったからね。厄介なことに」

「律儀だな」

「いいや。義理堅いのさ」

「ああ、そうだったな」

 

 揺れる杯に酒を注ぐ。

 己の杯を軽くぶつけた。慰めの鐘は澄んだ音色をしていた。

 

「まあ、愚痴の聞き役くらいなら当分は付き合ってやる。なにせほれ、俺ぁ体だけは若いんでな。おめぇさんよか寿命もたっぷりよ」

「叩き潰されたいのかい」

「かかっ! くわばらくわばら」

「……言質だ。精々斟酌に励みな」

「へいへい。御意のままに」

「嘘吐いたらタマウガチ飲ますからね」

「おめぇさんならマジでできそうだな」

 

 卓上から据わった目が己を見上げる。

 平淡で黒々とした目が、にこりともせず。

 

「約束は、守りな」

 

 

 

 

 

 

 

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