深淵の剣   作:足洗

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7話 嫉妬

 

 見渡す限りの人、人、人。

 日頃青空市が開く中央広場には今、所狭しと露店が並び、屋台が軒を連ねている。香具師の客引きの声も威勢よく、往来する人々を次々と捕まえては引き寄せる。

 それでもなお、人波が衰える様子はない。老若男女が入り乱れ、活気で辺りは満ち満ちていた。

 大穴の街オースは祭の真っ只中にあった。

 はしゃぎ回る子供らが幾度と無くぶつかり掛けながら人の合間を駆け抜けていく。しかしそれを咎める者はいなかった。大人とても盃片手に赤ら顔で笑っているのだから、この場では識者を気取る方が愚かしい。

 

「我らが英雄“白笛”が、長き深淵の旅路より今日この日この時帰還を果たされます!」

 

 一際分厚い人だかりの合間から、えらく芝居がかった声が響く。

 

「打ち立てた武勇数知れぬは殲滅卿、あらゆる未知を暴き究めし叡智の黎明卿、深淵の闇すら恐れぬ心魂宿せし先導卿、秘中の秘のさらに奥底に在りて我ら冒険者の栄光たるは神秘卿……常人を遥かに凌駕した存在、超人白笛。ならばかの御方の偉業、如何なる名で表しましょうや」

 

 小さなドラムが小刻みに叩かれ、その連打の音は観客の意識を掴む。

 暗幕の下、大穴と街の風景が描かれた背景(かきわり)に石灯のスポットが点る。

 

「アビスより巨大超重なる秘宝をその御手にて持ち帰ること数多、深界より出でた恐ろしき巨大超重生物をその御腕で以て押し返すこと幾多。探窟隊三十人を満載した大ゴンドラを軽々引き上げ、十メートルを優に超える大岩を小石のように投げ捨てる無双の剛力。純粋無比なる怪力乱神。武勇、叡智、心魂、奥秘、全てを揃えた白笛の中の白笛! 不倒、不退、不滅の探窟家。かの御方こそは不動卿! 人呼んで――――」

 

 弁士が言葉を区切ると同時に石灯が消える。喧騒に走ったほんの僅かな間隙。その静寂の間合を巧みに狙い澄まして、背景画の只中に突如それは表れた。再び点った石灯が、一枚の影絵を映し出す。

 大穴の街オースを覆い隠すほどの巨大な姿。矢鱈に鍔の広い笠を被っているということは辛うじて見て取れたが、太く肥大した両腕を広げて街を睥睨する様は忌憚無く言って化物以外の何者にも見えぬ。

 

「“動かざるオーゼン”!」

 

 しかして観客の反応は劇的であった。

 その名が叫ばれた瞬間、爆ぜんばかりの歓声と割れんばかりの拍手が巻き起こった。

 英雄の二字に偽りはない。民心の畏敬がここには満ちている。

 これが白笛。

 

「……」

 

 槌嘴の串焼きを頬張りながら、その光景を衆人の熱の一歩外より眺めやる。それこそ愚かな識者を気取って。

 ウィローが自らをして囚われていると言い切った“憧れ”なるモノ。それをはっきりと目の当たりにした心地だった。

 アビス、延いてはそれに挑む探窟家、その最上位白笛。連なるようにして、それらは人類を魅了して止まぬ。

 凄まじいの一言に尽きた。ウィローの白笛に対する評に一切の過大はない。

 ――――しかし同時に、思わずには居られぬものが、あった。

 貧民窟の奥、薄汚れた狭い部屋、その起き上がることも満足にできない身体で、それでも窓辺から毎日のように暗い大穴を望む老人の姿を。

 あれが、あんなものが、憧れの終着点だというのか。全てを失い、明日をも知れぬ我が身に決して晴れることない無念を抱えて、それでも。

 それでもアビスに魂を(つな)がれている、あの哀れな姿が。かの老人の、彼らの願いだと。

 

「……爺さん、お前さんが見せたかったのぁ」

 

 石造りの欄干に背を預ける。大穴へ向けてせり出すようにして設計された空中庭園。活気から視線を背後へ流せば、何もかもを飲み込んでなお満ちぬ虚がぽっかりと口を開けてそこにある。

 老人は、こんなものを己に見せたかったのだろうか。人々の憧れ、その力が如何に強烈であるのか。それが人類の願いそのものであると知らしめたかったのか。

 本当に、そうか?

 

「俺にゃわからねぇよぅ、ウィロー」

 

 独白は歓声に掻き消えた。その無価値を表すように。

 

 

 

 

「大ゴンドラが動いてるぞ!」

 

 不意に大声が上がる。それは喧騒を断ち割って辺りに響き渡った。

 一瞬の静寂の後、波紋が拡大するように人々のざわめきが轟いていく。

 

「帰って来た!?」

「桟橋に急げ!」

「不動卿の凱旋だ!!」

 

 雪崩れのように人波が移動を始める。目指す先は、大穴に掛けられた大桟橋。

 人の流れからやや離れ、直近の高台へ歩を進めた。

 少し遠いが桟橋の様子を見るだけなら申し分なかろう。眼下を埋め尽くす人、人、また人。彼ら彼女らの視線は今ただ一箇所へと注がれている。

 夥しい量の鉄筋と鉄骨で編まれた堅牢な桟橋が、アビスを透かし見た途端ひどく儚く頼りないものになる。その尖端で、今まさに稼動する昇降機。

 ゆっくりと、霧と靄と力場の蓋の下からせり上がってくる影一つ。そうして大ゴンドラが桟橋に到達した。

 ずん、緩衝材にぶつかり鈍い音を立て、固定金具がゴンドラを完全に停止させる。扉が開かれ、赤い絨毯が敷き詰められた桟橋にその“影”は這い出してきた。

 

「不動卿だ!」

 

 誰ともなくその名が叫ばれ、歓声は遂に極点へ達する。

 ゆっくりとした足取りで影が、影と見紛う黒衣の人型が桟橋を歩いてくる。その背後にはぞろぞろと不動卿の麾下であろう探窟隊が続く。

 

「?」

 

 ふと、その時。分厚い人垣を掻き分けて一人が桟橋へと躍り出たのだ。すわ狼藉者か、警備が色めき立ち観衆にどよめきが走る。

 しかし、警備の兵はその人物を認めるやすぐに足を止め、どころかその場で直立し敬礼した。

 あれは何者か。その場の誰もが抱いたであろう疑問は、程なく氷解する。

 この距離からでも、あの所々にぐるぐると巻かれた特徴的な金糸の髪は見て取れた。

 

「ライザだ! 殲滅のライザだぞ!」

「本当か!?」

「殲滅卿自らの出迎えなんて!」

 

 再びの歓声、先程のそれをさらに上回る盛大さ。二人の白笛の登場には、どうやら観衆の共通認識として己には与り知らぬ感動があるらしい。

 迷いない足取りで娘は不動卿の許へ辿り着く。その姿を認めた時から知れていたことではあるが、不動卿は相当な偉丈夫である。並び立ったライザと見比べればより一層それは顕著だった。二回り、下手をすれば三回りは上背が高い。

 二人はその場で立ち止まり、暫時言葉を交わしているようだった。会話の内容など無論聞き取れるものではないが、遠目にも見える親しげな様が両者の交友の旧さを示していた。

 そこへ、後続していた探窟隊に促される形でようやく二人が歩き出す。観衆は英雄の凱旋式を今か今かと待ち構えているのだから。

 天井知らずに沸き立つ観客とそれに取り囲まれる白笛二人、それらをぼんやりと眺めた。物見遊山という御役目(・・・)もこれで十分に果たせたことだろう。

 その時。

 

「うん……?」

 

 不意に、視線がぶつかった。一所に留めず広く彷徨わせていたそれが期せずして一箇所に絞られる。誰あろうその娘、ライザへ向けて。

 こちらがあちらを捉えることは何も不思議なことではない。夥しい人ごみの中から己一人を見付け出してしまうかの娘の視力こそ驚嘆すべきものがあった。

 娘はこちらに気付いた途端、大きく手を振った。またぞろ、あの子供以上に無邪気な笑みを浮かべているに違いあるまい。

 軽く手を振り返し、身を預けていた手摺から離れる。食い物を見繕って塒に戻るとしよう。そんな心積もりで。

 

「……ミナ……!」

 

 生活雑貨やら調味料やら、買い足す物は何ぞなかったかと記憶を巡らせる。

 

「……-ミナッ……!」

 

 ウィローの好物の辛子饅頭はどこで買えるだろうか。表オースの地理にはとんと疎い故、この祭騒ぎの中で店を探すとなると骨が折れ――――

 

 

「ラァァァアアアミナァァァァアアアアアアア!!!」

 

 

 音による衝撃。それが空間を貫いた。

 満たすようだった人々の喧騒に風穴を空ける。それほどの量、それほどの大きさで。

 声の主は、探すまでもない。振り返り、今の今まで注視していたその者を再び見据える。

 ライザは両の手を口の両脇に添えて、なおも己の名を呼ぼうとしていた。危うい。

 こちらが気付いた様子を見て取ってかぶんぶんと手を振ってくる。

 

「……」

 

 一瞬の静寂が、徐々に囁きへ、囁きはざわめき、また喧騒が蘇りつつある。

 

 ――どうしたんだ

 ――誰を呼んだ

 ――殲滅卿が手を振ってるぞ

 ――誰だ

 ――あの子供

 

 口々に響く内容は概ねそのようなものだった。

 自然(じねん)である。この群集、衆人環視の中で注目の中心人物があのような真似をすれば。

 己に突き刺さる視線の針。堪ったものではない。

 堪ったものではないので、そそくさとその場を離れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少年の姿が高台の奥へ消える。逃げるように、いや事実その場から逃走を図ったのだろう。この(ライザ)の暴挙に対して当然の反応と言えた。

 当の本人はといえば。

 

「あ! くそぅ、なんで逃げるんだあいつは」

「当たり前だろう。なんで分からないかねぇ、お前さんは」

 

 英雄の凱旋を祝う為にごった返す衆人環視の中。白笛様(・・・)がわざわざ大声上げて呼び掛ける人物とは何者か、注目が集まって然るべきであろう。

 それがどうして理解できないのか。この娘のそういった鈍さは相変わらずのようだ。

 笠の下から高台を一瞥し、再びライザを見る。むすっとした顔で首を傾げている。

 

「……何者だい」

「ん? ラーミナのことか? 岸壁街の住人だよ。最近知り合ったんだ。例の外来探窟隊との小競り合いにベルチェロの子供が巻き込まれた件で」

監視基地(シーカーキャンプ)にも報告は降りてたよ。お前さんが早々に片付けたんだろ?」

「少し違うぞオーゼン。私一人でやったんじゃない。あいつが手助けしてくれたんだ」

「あんなガキが手助けねぇ」

 

 ちら、と見えた姿は、薄汚れた襤褸を纏う貧相な子供。いかにも貧民窟に相応しいみすぼらしさだった。

 しかしまあ、そこは使い方次第。今なお無秩序に増改築が繰り返されている岸壁街は迷路そのものだ。土地勘のある住人を道案内に雇うことで今回の一件に用立てたのだろう。

 そのように疑いなくオーゼンは結論付けた。

 

「強いぞ、ラーミナは」

 

 それ故にライザの断言には、ひどく虚を衝かれた。

 見下ろした先、強かな笑みが娘の美しい顔を飾っている。

 

「ふふふ、面白い奴だ。思い返すと奇妙な縁だが、それに救われたよ。私一人じゃ、一度はジルオを奪われていただろう。ろくに礼もできていない」

 

 その笑み。愉しげな、超然とした笑みを常日頃見てきた。ささやかな平穏の中で、苛烈な探窟行の真っ只中で。

 いつ何時であろうとも揺るがないそれを。

 

「うん、こうしちゃいられない。ちょっと行って捕まえてくる」

 

 言うや、ライザは人混みへ向かって突進した。殲滅卿を前にした人々は次々に退き、断ち割れるようにしてライザの前には一条の道ができる。猪突猛進とはまさにこのことだろう。

 

「……」

 

 それを暫らく見送った。呆然と立ち尽くしていた、と言った方が正しいやもしれない。

 組合の役人やら国仕えの官僚が何やら話し掛けてくる。上役との晩餐がどうの、探窟した遺物の納品催促だの、小五月蝿い雑事についての雑音。

 たまに地上へ戻ってみればいつもこれだ。探窟品の上納義務さえなければわざわざこんな場所に出向きはしない。

 生涯の大半をアビスの深層で過ごしてきた。おそらくは死ぬまでその生き方は変わらなかったろう。

 あの、小娘に出会わなければ。

 

「…………」

 

 もう背中も見えなくなった。足腰の鍛え方が違う。鍛えたのは誰あろう、この不動卿だ。

 殲滅卿ライザは不動卿オーゼンが鍛え、磨ぎ澄まし、育て上げた。

 だから、その笑みは、いつ何時も自分に向けられていた。自分だけに。

 なおも何かしら言い募る役人共を見下ろす。途端に彼らは言葉を飲み込み、石化したかのように固まった。顔中から汗を噴出させる様は(すこぶ)る不快だが滑稽ではあった。

 

「……ふぅん」

 

 にちり、口端を吊り上げる。満面の笑みを刻む。

 

 ――少し子供を虐めたくなった

 

 目の前に一本拓けたその道へ歩を進めた。

 

 

 

 

 

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