深淵の剣   作:足洗

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8話 御免だね

 手摺を乗り越え、水路を跨ぎ、石組みの塀に登りその上を駆ける。

 アビスの外周に沿って進むこと暫し。東区に入った途端に祭の喧騒も随分と遠くなった。久方ぶりの静寂に肌身から安堵する。

 路地を抜けた先はせり出た露台。それもスラムの奥深くにあったあの粗末な木台とは違う。石造りの堅固な展望台だ。

 この種の場所がオースには数多く設けられている。目的は勿論、あの大穴(アビス)を望む為。

 トコシエコウの花弁が舞う。悲しいかな、暗闇に白雪のようなそれはよく映えた。

 

「……不屈の花か」

「そうとも。私の大好きな花だ」

 

 (いら)えなど求めず発した言に、期せずして返答があった。しかし、驚きはごく少ない。その追跡者の気配は常に己の背を撫でていたのだから。

 だらり、と頭上からロープが垂れ下がってきた。そして次の瞬間には軽やかに彼女が滑り降りてくる。

 勢い着地したことで、豊かな金糸の髪が宙を踊る。白羽を飾ったヘルメットを人差し指で押し上げると、その下から勝気な瞳が現れた。

 殲滅卿、なんとも物騒な二つ名を持つ女子(おなご)

 

「ライザだ」

「?」

「前に会った時は名乗らず仕舞いだったろう? 君、用が済んだらさっさと帰ってしまったからな」

「んん、そうであったかな」

「そうであったとも! だからこれでようやく初めまして、だ」

 

 そう言って娘は右手を差し出してくる。快活な笑みが眩しくさえあった。

 こちらもまた手を出すと、待ち兼ねたとばかりがっしりと握られた。小さな手だった。しかし華奢だなどという印象は微塵も湧かぬ。力強く、芯から熱を伝えてくる。

 ともすると気圧されかねない覇気。思わず笑いがこぼれた。

 

「ラーミナだ」

「よろしくラーミナ。そしてありがとう。ジルオが世話になった」

「さて、世話なんぞ焼いたかねぇ。俺ぁただ小蟲を何匹か払っただけよ」

「ふふふ、小蟲っ! 小蟲ときたか」

 

 何が琴線に触れたやら、娘は身を捩るようにして笑った。

 

「くふふっ。ジルオから聞いた通り、今時変わった奴だな」

「お前さんほどじゃあねぇや」

「ほっほー、言ってくれるじゃないか」

 

 他愛ない軽口を一頻り笑い合い、笑い終わったところでふと気付く。未だ握られたままの己が手に。

 指を開き、軽く引き寄せてみる。ぐ、と娘が今一度力を込めたのが分かった。

 今度はもう少しばかり強く引く。結果は同様。しかし、明白になった事実もある。

 物問いに視線を上げるや、にこやかな笑顔がそこにあった。

 

何故(なにゆえ)手を放さんのかな」

「放せばまた逃げるだろう、君」

「塒へ(けえ)るのさ」

「ということは暇なんだな。丁度いい! 今夜はオーゼンと飲み明かす予定だ。君も付き合ってくれるだろう?」

 

 決定事項だとでも言わんばかりの口振りだった。

 さらに、握るだけであった手は、言い終わるを待たず腕に絡みーーどころか固められていた。捕縛術特有の腕絡めというやつだった。

 

「飲みの誘いに(やわら)なんぞ使う奴があるかい!」

「ふははは、ここにいるぞ」

 

 どうしてか自信満々に娘はのたまう。

 脱力し、絡んだ腕に隙を作る――といったこちらの意図を素早く察知した娘が、逃すものかと一歩体を詰め寄ってそれを阻んだ。

 技量の無駄遣いとはこのことであろう。

 

「えぇい放さんか」

「逃げないと約束するなら放してやるさ」

「強引な」

「よく言われる」

 

 口の端を吊り上げて悪戯小僧のような笑みを浮かべる。まったく食えない女子だ。

 とはいえこのまま押合い引合いしていたところで埒が明かぬ。どうしたものか、腹の内でそのように一人ごちていた――その時。

 それは、己が元来た道の奥から。

 

「……」

「ん?」

 

 立ち昇った気配。それに次ぎ、ゆっくりとした足音が響いた。石造りの地面を打つ硬質な靴音は、徐々に大きくより明確になっていく。

 音の反響から対象との距離は凡そ掴むことができる。故に今、足音の主は展望台と道の丁度境に立っている筈だ。しかして、実態は奇妙。己の目には、道の奥に相も変わらず闇が広がっているようにしか見えない。

 ……否。

 闇。小路の暗がりと思われたその、黒。

 不意に、実体など持たぬ筈の暗闇が蠢いたのだ。

 暗闇と見紛うほどの黒衣。それがゆっくりと陰の中より這い出てくる。

 

「やあ、オーゼン」

 

 ライザが言った。考えるまでもなく、それこそかの黒い異装の名。

 白昼に現れたるは不動卿オーゼン。しかしその装束の暗さなどすぐにどうでもよくなった。

 六尺、いや七尺を優に凌ぐ身の丈。偉丈夫という言葉がこれ程まで似合う者などそうは居るまい。

 各部に装甲を施した外套、肩口を隠すほどに鍔の広い笠。一度目にすれば見間違うことはないその姿。つい先程、深淵より帰還し大桟橋に降り立った不動卿その人である。

 やや距離を隔てて不動卿は足を止めた。

 

「見ろ、ラーミナを捕まえたぞ。今晩は三人で飲み比べだ」

 

 無邪気にライザははしゃいだ。まるで珍獣でも捕まえたような言い回しだ。

 不動卿はといえば、特に何の応えもない。

 笠の下、容の見えぬ顔がこちらを見ていた。そして視線の行方はライザではない。

 

「……」

 

 明らかにその目は己の姿を射抜いている。無言の中に微かな感情が見え隠れしている。読心術など持たぬ己にそれを読み解くことはできない。しかし、それが正か負か、好か悪か程度なら多少の感受性を働かせれば誰しも感じ取れよう。

 良解は得られず、滲むは悪意。

 理由は定かではない。どうしてか我方(ラーミナ)は、彼方(オーゼン)に憎まれている。

 

「はじめまして、私はオーゼン。しがない探窟家さ」

「これはこれは。無事の御帰還、お祝い申し上げる。白笛殿」

 

 ねっとりと絡み付くような声音だった。意図してか、それともかの者の悪意がそうさせているのか。

 努めて慇懃に祝言を口にすると、オーゼンは一層笑みを濃くした。

 笠の下から暗い色の目が、己の身を頭から爪先まで睨め回す。吟味、いやまるきり品定めの様相で。

 新しい玩具の具合を検めるように。

 

「ライザから聞いたよ。相当使()()そうじゃないか」

「はて、なんのことやら。己はただの貧民のガキだよ」

「オーゼン、信じるな。こいつは武装した殺し屋を一息に三人斬り捨てる奴だ」

 

 傍らの女を睨む。

 それはもう無邪気な、嬉々とした笑顔がこちらを見返した。

 

「ふふふふ、それはそれは。大したもんだ。ふふ、ふふふ。そうでなくちゃ……遊び甲斐がない」

「……」

「ん? なんだオーゼン。やる気か?」

 

 ライザの言葉は、至極端的にこの場の状況を、気色を言い当てていた。

 つまるところそうなのだろう。不動卿、名高き白笛オーゼンがこの場に現れた目的は一つ。何故そのような腹積もりに至ったかは皆目解らんが。

 彼方は我方との立ち合い、闘争を所望とのこと。

 とはいえもう二、三は探り合いの会話を愉しむつもりだったのだろう。オーゼンは溜息を吐き、肩を竦めて見せた。

 

「本当に風情のない娘だね、まったく」

「ふふん、なんせ師匠が師匠だからな」

「なんだ。お前さんら、師弟の間柄か」

「そうとも」

 

 僅か、誇るようにライザは頷く。

 なるほど、ならばあの時、桟橋で観衆が沸き立ったのも道理。

 不意に、ライザが離れる。諦めて解放してくれた、などという訳では決してあるまい。

 

「私も興味があるぞ。ラーミナ、お前がどれくらい強いのか」

(やっとう)振り回す様ぁ、さんざ見たろうが」

「おいおい、あんな雑魚と一緒にしない方がいい。オーゼンは――――」

 

 ライザが、その軽口を言い終わるを待たず。

 いや、会話の緩急、その不意を突いたのだ。

 黒の偉丈夫が動いていた。笠の巨大な鍔が、接近と共にさらに拡大する。視線を遮るのにこれほど絶好なものもない。彼方が果たしてどのような構えを取っているのか、此方からは皆目分からないのだ。

 退がることは出来ぬ。展望台の手摺を背にしている今、退路は無い。身投げして生涯を終えたいというならいざ知らず。

 ならば路は一つ。

 進む。

 

「!」

「おぉ!」

 

 ぬ、と。笠の下から放たれる一撃。黒く長い、それは脚だった。

 破城槌の如き勢力の乗ったオーゼンの前蹴りを跳び越える。

 前進しながら、膝頭に手を付いて反動を利し――――

 

「っ!?」

 

 触れた手、そして身体が弾かれた。

 その蹴り脚の、あまりの威力によって。

 企図の通りオーゼンの頭上を越えて回避は叶ったが、想定以上の飛距離を稼いで石畳に降り立つ。

 

「ははは! 気を付けろラーミナ。オーゼンの蹴りは運が悪いと内臓が()()()

「どんな馬鹿力だぃ」

「怪力乱神と言っておくれな。そっちの方が通りがいい」

 

 にたりと、逆月のような笑みが笠の陰に浮かぶ。こちらの驚きようが嬉しくて堪らぬとばかり。

 

「ちなみにオーゼンの性格は度し難くひねくれている。あんまり喜ばせると酷いことをするぞ」

「あんたも蹴られたいのかい」

 

 踏み込みが石畳を砕く。回し蹴りが空を薙いだ。

 頭上に躱した長い脚が鞭のように(しな)り、風が轟音を立てて荒ぶる。

 足技は留まることを知らず、次は踵落としが降ってくる。

 跳び下がった。見やれば元居た石の床が蜘蛛の巣状に円を描き、粉砕された。

 

「すばしっこいね。鼠の真似かい? ふふふ」

「そうよ鼠よ。たかが仔鼠一匹、見逃してくれても罰は当たらねぇぜ」

 

 無造作に拳が降り下された。

 さらに跳び、遠ざかる。

 砕けた石床がただの礫に変わる。

 

「そうもいかない。私は鼠だろうと兎だろうと狩りは手を抜かない主義なのさ」

 

 その黒い手が石畳の一枚を掴んだ。

 文字通り、岩の塊であるそれをオーゼンは事も無げにこちらへ擲った。

 横っ飛びに擦れ違う。背後で手摺が弾けて飛んだ音を聞いた。

 その間にも、黒の偉丈夫は詰め寄っている。

 大きな掌が我が身を捕えんと掴みかかってくる。空間を圧搾せんばかりの握力で突き出される手、指。

 頭と言わず、肩、腕、足、噛み付く蛇の如き敏速さ。突きの嵐。

 その指先が、遂に外套の裾を摘み取った。指二本。ただそれだけ。だが何が不足であろうか。その膂力あらば己が矮躯など軽石同然。

 

「捕まえた」

 

 飛び切りの、満面の、悪辣なる笑みが眼前を埋め尽くす。

 ライザの言葉通りとは恐れ入った。それは実に、なんとも、度し難い凶悪さよ。

 引き回され、摺り潰され、袋にされる――――その前に。

 抜き打ち。一閃にて外套を斬り裂いた。

 

「!」

「はっはっは!」

 

 さっさと跳び退がり、間合を去る。

 ライザは愉快そうに手を叩いた。

 一方で襤褸布だけを掴まされたオーゼンはといえば、打って変わって実に不満げな無表情に戻る。

 

「流石だラーミナ。本気のオーゼンから逃げ切ったぞ」

「本気なもんかい。遊びと言っただろう」

「嘘だなオーゼン。あの一瞬、ちょっとマジになったろう? さあここからだ! 気を付けろ。剣を抜いたラーミナはもっと凄いぞ。ふふふっ」

「……」

 

 正眼に置いた切先の向こう。黒笠の姿を捉える。

 その無表情に、今一度色を見た。それは、先達て見て取ったものと同じ。

 憎しという、悪意。

 ライザの上機嫌な様を受けてオーゼンが胸を悪くする。

 

「……あぁ」

 

 これはつまり、なんだ。

 己はどうやらとんだ親馬鹿に付き合わされていると。

 手塩にかけて育てた弟子が、何やらどこの馬の骨とも分からぬ剣術使いにご執心であると……目の前の御師匠様からはそのように見えている、らしい。

 溢しかけた溜息をぐっと飲み下し、剣先を下げる。

 

「おいおいラーミナ。まだこれからだろう」

「これからもどれからもありゃしねぇ。痴話喧嘩はそっちで片付けな」

「……知った風な口を利くじゃないのさ」

「知らねぇな」

 

 人と人との絆の有様など、それこそ他人が嘴を挿むことではない。

 

「知らねぇから、俺ぁもう(けえ)る」

「えぇ~! つまんない~!」

「ガキみてぇこと言うんじゃねぇや」

 

 不平を吐きながらわちゃわちゃ絡み付こうとするライザを躱す。また捕まっては堪ったものではない。

 

「なら一杯くらい付き合え! オーゼンの土産話を肴にさ」

「そんなもなぁ探窟家同士で楽しむがいい。己が混ざったところで詮無かろうが」

「それなら丁度いい。お前も探窟家になれ! ラーミナ。そうだジルオと一緒に私の弟子になるか? きっと楽しいぞ。ああ、絶対に楽しいに決まってる」

 

 屈託なく、そして一片の疑いもそこにはなく。ライザは勇ましく笑った。

 この娘の言葉にはいつ何時とて嘘がない。いつ何時とて心からの言葉だけを口にした。

 故に、この誘いもまた、彼女の心からの望みなのだろう。

 

「御免だ。他を当たりな」

 

 刃を包み、背負う。

 白笛という英傑達に背を向けて、家路を行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぁんまた逃げられた。なかなか気難しい奴だ」

「あれで勧誘のつもりだったのかい」

 

 もう背中も見えなくなった。襤褸布を纏ったガキは、その姿に相応しい場所に帰って行った。

 けれどライザは、手摺に頬杖を突いたまま。いつまでもあの去って行った背中を追っている。その輝く瞳を見れば分かる。分かるのだ。

 この瞳が宿すのは純性の憧れだけだ。アビスという無限の虚のその奥さえも見通してしまいそうなほど、鋭く、眩く、強い。

 変わらない。鼻垂れの赤笛だった頃から、殲滅の姫君と謳われる白笛の今に至ってなお。

 この瞳の輝きは、微塵も失われることはなかった。

 だのに。

 

「あんな薄汚いガキの何がそんなに気に入ったんだい」

「わからないか?」

 

 当然の問いに、しかし問いを返された。それこそ、わかっていて当然だと言わんばかりに。

 ライザは微笑んで、また遠くを望む。その瞳はアビスではなく、岸壁街を向いている。

 

「あいつは面白い。あいつと冒険するアビスはきっともっとずっと面白い! そう思うんだ。なあ、オーゼンもそう思わなかったか?」

「………………知らないよ」

 

 

 

 

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