今回でようやくヴェロッサがまともに登場です。
クロノとヴェロッサが親友であるというのは公式ですが、親友に至った経緯がまるでわからないので、拙作ではそこをオリジナルながら描ければと思っています。
またヴェロッサが孤児でグラシア家に引き取られたことも公式設定ですが、グラシア家に拾われたことで家名と能力を捨てずに済んだとヴェロッサが言っているのも事実だそうで。
能力は固有技能のこととして、家名と言うくらいなので、名家だったのかもしれないし、何らかの流派を伝える家だったのかもしれないと考えました。というわけで、拙作ではグラシア家を公爵家として、アコース家を侯爵家と設定しています。
聖王教会はキリスト教の位階を参考にしています。『司祭』が聖骸布を持ち出したという公式設定からも、司祭やシスターがいるあたりからも、やはりキリスト教がモチーフでしょうから。なら枢機卿がいてもおかしくないよねと。
2018/08/02 誤字報告をいただきまして、修正いたしました。ご報告くださったユーザー様、ありがとうございます。
修正前:さすがにヴェロッサよりも早くシャッハが冗談よとシャッハを安心させる。
修正後:さすがにヴェロッサよりも早くカリムが冗談よとシャッハを安心させる。
時空管理局には、局の部署や部隊に直接の指揮命令権を持たない、顧問官や理事官が設置されている。かの『英雄』ギル・グレアムも顧問官であり、局の第一線を引退したり、外部から選ばれた学者や各世界の政府関係者などが一定の期間、就任する。指揮命令権こそないにせよ、選ばれる者たちが世間に影響力を持つ存在であることもあり、大なり小なり局の運営を左右すると言ってもいい。
彼らは兼業をしていることも多く、本局に常駐しているわけではない。ギル・グレアムは兼業をせず、本局に常駐していたが、むしろそういう者の方が稀。大多数の者は代理を立て、その者が本局や各世界の地上本部に駐在している。
『15分の遅刻です、ロッサ』
「ごめんよ、シャッハ。訳ありでね」
時空管理局本局内部にある、理事官の執務室。明るい緑色の豊かな長髪に端正な顔を持つ青年は、設けられた代理人用の執務机に座らず、机にもたれながら空間モニターを開いて通信をしていた。通信の先には、彼とは逆に、短く切り揃えられた髪を持ち、凛とした顔を崩さないシスターがいる。彼女も彼女で眉目秀麗と言えようが、今は眉がいつも以上に急角度で吊り上っていて。
『そうですか。今日はどのような理由でしょうか? 昼寝ですか? 散歩ですか? それとも長すぎる昼休憩ですか?」
「いや、普通に査察が長引いたという選択肢はないのかな?」
『仕事熱心なことで何よりです。では何の査察でしょうか? 本局内のレストランのメニューですか? 喫茶店のケーキですか? ああ、それともそこで働いている淑女の方々を、でしょうか?』
「う~ん、どこも美味しいし綺麗な娘ばかりなんだけど、コーヒーや紅茶の味はどこも義姉さんやシャッハの淹れるベルカ産には勝てないね。ただ、『スカイキッド』という店が出すものは絶品なんだ。あそこは今や僕の心の拠り所だよ。義姉さんやシャッハにも是非一度紹介したいね」
『……それはそれは何よりです』
怒ってる怒ってる。体を震わせるシスターに、青年はすまし顔をしながらも身構えていた。
遅刻の時点で怒られることはわかっていたから、青年としてはもう開き直っていた。だからこれ以上は怒らさないようにと考えるのが普通なのだろう。ただ青年としては、彼女がシスターらしく説教も1つの趣味なんじゃないかとさえ思うことがあり、説教がない方がむしろ異常と感じる。だからこれはこれで、ああいつも通りだと安心させてくれるのだ。だからと言って、余計に怒らせるのはどうかというもので。
『ロッサ! 貴方という人は! 何度同じことを言わせるつもりですか!』
実際、目の前の聖王教会騎士団に所属し、聖王教のシスターでもあり、そしてロッサと呼ばれている青年――ヴェロッサ・アコースのもう1人の姉のような存在でもあるシャッハ・ヌエルは、指を突き付けながら吠えた。うひい、と大仰に仰け反って見せるヴェロッサであるが、その反応もまた彼女を逆撫でしてしまうもので。
『自分の立場を理解しているのですか! 今の貴方は時空管理局の査察官であり、そしてカリム様の代理の身でもあるのです! 貴方の言動1つが、間もなく理事官となるカリム様の評判に直結するのです! ひいては聖王教会、そして騎士団の誇りや名声、さらにはグラシア卿の評価にも! まして聖遺物盗難事件によって今の聖王教会やベルカは非常に苦しい状況なのです! 現状を鑑みれば、慎重に慎重を重ねなければならないのですよ!? 貴方はそんな中にあってカリム様の代理を任されているのです! 貴方を推薦したカリム様、そして快く承諾されたグラシア卿の御心を何だと思っているのですか! カリム様もグラシア卿も非常に微妙な立場にいらっしゃるのです! 貴方の軽率な言動が、綱渡りのような中でその均衡を保っていらっしゃるお二方に、どれほどの衝撃を与えるものであるか、きちんと理解しているのですか!』
「いや、もうそれは重々承知の上で――」
『ならば言動を改めなさいと、そちらに向かう前から何度言わせるのですか! 毎度毎度どうでもいい報告ばかり! あろうことか女性を品定めするかのようなことまで……紳士にあるまじきこと! 聖王陛下もお怒りになられること間違いなし!』
「失礼な。品定めなんかしていないよ、僕は。紳士らしく、平等に淑女に接しているわけでだね――」
『それをやめなさいと言っているのです! 軽々しく女性に声をかけ、あまつさえデートに誘うなどと! 不埒なことこの上ない! そこに直りなさい、ロッサ! 貴方には紳士として、そしてグラシア公爵家に在る者としての自覚を、いい加減に、そう、いい加減に理解してもらいます!』
「う~ん。グラシア公爵家に引き取ってもらっているのは確かだからグラシア公爵家の男子としての気構え心構えは必要だけど、でも僕はアコース侯爵家の人間でもあって――」
『どちらであろうと変わりません! グラシア公爵家と長きに亘って親しい間柄にあるアコース侯爵家でも、紳士としての在り方は同じなのです! だからこそグラシア卿とアコース卿は身分の違いなど気にもせず、親友であり戦友である仲であられたのです! 誇り高きアコース卿の血を引く者として、そしてグラシア卿に育てられている身として、貴方のその自覚の無さを、今度こそ、今度こそ! 改めさせますとも!』
シスターらしい丁寧な物言いのままながら、その有無を言わせぬ弾丸連射のような口調は、品位としてはどうなのだろうか。そうツッコミを入れることは、まあ、やろうと思えばできるのだが、さすがにこれ以上怒らせるのはまずいだろう。
などと、すでにまずい段階など通り越している状況を、ヴェロッサは暢気に楽しんでいた。どうせ向こうに戻ったら、どんなにいい子ちゃんでいたとしても何かしらで説教を食らうことになるのだ。ならばこれも楽しむべし。それがヴェロッサ・アコースという青年であった。
とは言え、これでは話が進まない。どうやら向こうもそう思ったらしく。
『シャッハ、そのくらいで』
空間モニターには映っていないが、シャッハのそばにいるはずの人物の、涼やかな声が間に入った。
『しかし、カリム様!』
『別に私は構わないのだけれどね。時間、いいのかしら?』
『……あ。し、失礼いたしました!』
「あっはっは。忙しい義姉さんのスケジュールを忘れるなんて、シャッハにしては珍しいねえ」
『誰のせいだと……!』
『シャッハ』
『くっ……』
『ロッサも。いい加減にしなさい』
「ごめんよ、義姉さん」
ヴェロッサは空間モニター越しながら、恭しく頭を下げる。
その聞き分けの良さに、シャッハは納得がいかないという顔をするが、それももっともだろう。同じように謝ると、シャッハは憮然としたままで無視してくれた。
そこで空間モニターが入れ替わる。金髪にヘアバンドを付けた、見目麗しい女性が映る。義弟という贔屓目を除いても、本当に綺麗な人だ。1つ歳が違うだけだから、彼女はまだまだ少女でも通るのだが、その美しさには大人の女性と言わなければ失礼だと錯覚してしまう。当人は可愛いと言われた方が嬉しいというのは知っていても。
彼女はコホンと1つ咳払いをしてから、それまでの柔和な表情を一転させ、次期理事官としての顔を見せる。だからヴェロッサもふざけはここまで。時空管理局査察官として、そして、次期理事官たるカリムの代理駐在官として相対する。
『報告を』
「OK。まずは3提督との面会についてかな」
『会えたかしら?』
「もちろん。義父上と義姉さんからの親書も渡したよ。協力と支援の申し出に感謝するってさ。あと、逆に3提督からの支援と協力も惜しまないとの言質も取った」
『そう。よかったわ。お父様も喜んでくださるでしょうね』
この後に早速父親に知らせようと、カリムは安堵の表情を浮かべた。父を慕う娘そのものだ。ヴェロッサも立派な人だと尊敬するグラシア卿。あの父あってこの子あり。鷲の子は鷲ということかと納得させられる。
時空管理局と聖王教会。
基本的に友好関係にある両者で、特にロストロギアに関しては情報交換などを行い、共に駐在官を置いている。ただ近すぎず遠すぎずと、一定の距離は置いている。癒着してはいけないし、やはり共に大きな組織だけあって、いがみ合う部分もあるし、利害が一致しない点も多い。
聖遺物盗難事件は、まさにそんな両者の暗い部分が明るみに出た事件でもあった。
聖王教会としては前代未聞の大事件。当然ながら追うけれど、当初、時空管理局にはこのことを知らせなかった。聖遺物を時空管理局の手に渡すわけにはいかなかったし、時空管理局に頼るという弱みを見せるわけにもいかなかったからだ。結果として隠しきれずにばれ、時空管理局からはこれ幸いと、ほぼ同時期に起こっていた闇の書事件に関し、カートリッジシステムや融合デバイスに関する情報を強要され、特にカートリッジシステムについては量産化を許すこととなってしまった。
ただでさえ時空管理局の地上本部とは関係が悪化している。地上本部の代表格であるミッドチルダ地上本部では、レジアス・ゲイズ少将がこのところ権勢を得ており、首都防衛隊の副長官でありながら、ミッドチルダ地上本部のみならず、実質的に全地上本部の代表レベルになっている。彼は聖王教会嫌いのため、元々良くなかった関係が一層悪化するのは避けられないだろう。聖王教会としては時空管理局と近すぎず遠すぎずを維持したい。それは時空管理局の本局も同じであった。だからまずは本局との関係を維持すべく、現在派遣しているベルカの理事官が強引なことで問題視されていたため、カリムが理事官になることとなった。
「ただ、どうして3提督なのかはよくわからなかったね」
『仕方ないわ。お父様もまだ教えてくださらないもの。何かあることは確実なのだろうけれど』
「何とかして聞き出せないかやってみるよ」
『ロッサ。わかっているとは思うけれど……』
「わかっているよ、義姉さん。思考捜査の力は使わないから」
『お願いよ?』
「義姉さんを裏切らない。その約束は破らないさ」
しばしヴェロッサの目を見ていたカリム。ヴェロッサもその目から視線を外さない。ややあってカリムが目を閉じ、穏やかな微笑を浮かべる。どうやら信じてくれたようだと、恩義ある大切な人へヴェロッサも微笑を返す。
ヴェロッサは偵察に長けた固有スキル『
だがもう1つ。ヴェロッサは『思考捜査』の希少技能も保有していた。念話でも隠そうと思えば隠してしまえる心の内、思考を、この技能は易々と突破してしまう。つまり、相手の思考や心の内を、すべて把握できてしまうのだ。偵察に長けた『ウンエントリヒ・ヤークト』も併せて、査察官としてはこれ以上ないスキルであろう。
この『思考捜査』を、ヴェロッサは一部の者たちにしか教えていない。
知っているのはカリムとシャッハ、義父であるグラシア卿。あとは故人である実父母だけだ。こんな技能を持つとたいてい人を信じられなくなるものだが、ヴェロッサも例外なくそんな過去がある。この技能を教えること、それ自体が、相手への信頼の証と言い換えられよう。
この事を教えたとき、グラシア卿が頭を撫でてくれて、カリムが抱きしめてくれて、シャッハが手を握ってくれたことを、今でもヴェロッサは忘れていない。
ヴェロッサに触れるということは、『思考捜査』をされてしまいかねないということなのだ。なのにそれを知っても自らヴェロッサに触れてくれた。それ以後も、その態度が変わることはない。
その日その時から。ヴェロッサにとって3人は恩ある人であり、大切な、守りたい人たちになった。
そしてカリムとはこの『思考捜査』をみだりに使わないという約束をし、ヴェロッサは義姉とのこの約束を固く守り続けている。
「ただ、時空管理局にも、聖王教会同様に裏がある。それは間違いないだろうね」
『ラルド卿のような人たちがいるということかしら』
「最高評議会や本局局長ではなく、3提督に親書を渡すように言われたくらいだからね」
地上本部との関係改善が望めない今、時空管理局との関係を維持するためには本局との協調が優先事項。ならば地上本部との関係改善の仲介をしてもらうために最高評議会に頼るのはもっともだし、本局との関係維持ならば本局の局長との信頼関係醸成が必要だ。聖王教会の枢機卿筆頭であるグラシア卿は、その両者に対しても書簡を送り、本局の局長とは直接面会の機会を得ようとしている。
その上で、極秘に3提督と接触するよう、カリムとヴェロッサに指示を出していたのだ。
「3提督からも親書を預かった。直接渡したいから、数日中には一度そちらに戻るよ」
懐から親書の封筒をチラリと見せる。持ち歩くのはどうかというものだが、肌身離さず持っておきたいという気持ちが勝ったからこそだ。それというのも……。
「まだ僕に行き着いたわけじゃなさそうだけど、このところ、どうも目を付けられているようだからね」
影を感じるからだ。
カリムとシャッハの目も険しくなる。
ヴェロッサは2人から視線を外し、部屋を見渡す。特に何もおかしいものはないし、前回入ったときと変わりもない。盗聴器や監視カメラの類がないことも『ウンエントリヒ・ヤークト』と調査機器で毎回調べ、その上で秘匿暗号をかけてこうして通信している。
それでも安心できないし、ヴェロッサは毎回この部屋に違和感を覚えるのだ。
『貴方のことですから、追跡者の正体を当然暴こうとしたのでは?』
「やってみたよ。向こうもさるもので、これがわからなくてね」
『ロッサの追跡を躱している、ということですか……』
『ロッサ、無理をしないでね?』
「多少の無理は許してほしいな」
『ロッサ』
「そうじゃなければ査察官なんてそもそも務まらないさ。でもまあ、義姉さんやシャッハを心配させたいわけじゃないからね。今以上のことはしないよ」
外部の組織や機関の査察を行う査察官は、同時に時空管理局の内部監査も行う。身内を疑うがゆえに、その身内に嫌われることもざらにある。
それでもヴェロッサに後悔はない。むしろカリムが直接務めることがなくてよかったとさえ思っている。
この優しい人に、本来なら権力闘争の真っただ中にいることなんて似合わないことこの上ないこの義姉に、他人を疑い、それゆえに嫌われる役などさせなくて済んだのだから。
嫌われることには慣れている。こればかりは『思考捜査』のおかげかもしれない。好きで慣れたわけではないけれど、今ばかりは感謝もしよう。
カリムの厳しい問いかけは、本当にヴェロッサを心配してのもの。だから多少はおどけつつも、ヴェロッサは本気で今以上に無理をするつもりはないことを伝える。それでもカリムから義弟の心配がなくなることはない。それがわかるだけに、ヴェロッサはお得意の陽気さで話を先に進めることにする。
「現在の闇の書の主、八神はやてとその従者であるヴォルケンリッターについては、変わりなしだね」
ヴェロッサに与えられた任務は、表向きと裏向きの2つがある。
表向きとは、もちろんカリムの代理として時空管理局に駐在すること。ただ理事官としての仕事は聖王教会の中でカリムがこなすため、ヴェロッサが普段行うのは、外部の人間として時空管理局内部の査察を行うことだ。内部の人間だけでは不正の見逃しや癒着もありえるから。
そして裏向きとしては、聖王教会の人間として、ベルカの負の遺産であった闇の書とそれに関わる者たちの監視がある。
「正直、聖王教会に彼女たちが来るとは思えない。今までのことがあるから聖王教会にいい思いは持っていないだろうし」
『時空管理局とて、彼女の居場所足りえないとは思いますが』
「それでも、彼女にとって大事な人たちがいるからね。聖王教会よりはいいだろうさ」
闇の書事件以来、親しい友人であり仲間でもある高町なのはやフェイト・テスタロッサ・ハラオウン、クロノ・ハラオウンにユーノ・スクライア。そんな彼らは揃って時空管理局の関係者だ。誰もいない聖王教会よりは、まだ時空管理局の方がいいだろう。
『八神はやてやヴォルケンリッターに、暴走の気配は?』
「その心配もいらなそうだよ。定期的なメディカルチェックは欠かしていないし、そのデータを入手しているけれどまったく問題なし」
すでに管制人格であり、闇の書の意思でもあったリインフォースは消滅しているし、防衛プログラムもまた然り。暴走の原因であった防衛プログラムと無作為転移をリインフォースが自身の消滅を以って取り除いたことで、もう暴走はしないという時空管理局の結論は間違いなさそうだった。
「新たな管制人格を本局の技術部が作製していて、無限書庫がその情報を提供している。何度も実験と失敗を繰り返しているけれど、完成は時間の問題だろうね」
『そのプロジェクトには聖王教会の技官も参加しているから、こちらにも適宜情報は送られてきているわ。結果を隠すようなことはしていないようね』
「ただ、現在管理局が考えている『融合デバイス量産計画』や『融合デバイスによる非魔導師の魔導師化計画』も同時に現実味を帯びているね。カートリッジシステムはすでに通常装備化するまでに至っているけれど、こちらはまだ止めようと思えば止められる」
『それについては私の独断ではできないわ。お父様に進言して、できるだけ早く聖王教会とベルカ自治政府としての見解を決めてもらわないと』
融合デバイスはベルカの技術。闇の書事件で融合デバイスたる夜天の魔導書が時空管理局に渡り、研究には聖王教会も参画することはできたが、主導は時空管理局だ。融合デバイスは、現在では聖王教会騎士団さえも使い手がいない遺失技術。残っている情報もなく、情報は専ら無限書庫からのものだ。技術的・軍事的・情報的な優位性は完全に時空管理局にあるとされる所以である。
もし融合デバイスが量産されれば時空管理局の戦力はカートリッジシステムの正式採用の際と同様に、飛躍的にアップするだろう。ましてや、魔法の素質がない人間でも融合することで魔導師のように魔法を使えるようになる技術を確立したともなれば、慢性的な人手不足である時空管理局は諸手を上げて量産し、戦力を数の面でも揃えようとするだろうことは想像するに容易い。
「やれやれ。うちの上はまだ対応を明確にできないのかい?」
『ロッサ、その言い方は不敬というものですよ』
シャッハの指摘はもっともなれど、言わずにはいられないヴェロッサだった。
『ラルド卿を始めとした勢力は強硬策も辞さぬと大反対してるわ。お父様が率いる融和派や中立派も基本的にはこれ以上の譲歩はできないとしてはいるの。けれど時空管理局との関係を悪化させたくないのも事実だから、強く反対することができないのよ』
『聖遺物盗難事件を未だ解決できていない以上、聖王教会は大きく出られません。闇の書事件でも聖王教会はまったく関与できませんでしたし』
時空管理局に本局と地上本部で仲が悪いという事情があるように、聖王教会にも派閥があった。まあ、こればかりはどこにでもどんな組織でも存在する問題であるけれど。
聖王教会が抱える派閥は大きく3つ。強硬派・中立派・融和派だ。問題によって賛成派や反対派と名前を変えるけれど、だいたいはいつも同じ面子に分かれる。
カリムの父であるザクセン・グラシア卿を筆頭とした、時空管理局や他の組織・世界との協調を図る融和派。
ヴァルデマー・ラルド卿が率いる、ベルカや聖王教会を第一として、他組織や他世界に対して強硬策も辞さないとする強硬派。
そしてその間にいる中立派。
「聖遺物盗難事件で辞任した先代の枢機卿筆頭に代わって父上と共に候補だったのに、落選したラルド卿だ。父上から筆頭の座を奪い取る気満々だろうね」
『とにかくグラシア卿や融和派に反対しますからね。ベルカや聖王教会どころか自分第一主義とは呆れ果てます』
『2人とも、口を慎みなさい』
「でも義姉さん。ラルド卿が僕たちに何を言ってきたか、覚えているだろう?」
『……ええ。わかっているわ、ヴェロッサ』
強硬派の盟主たるラルド卿は、ヴェロッサやカリムに対し、八神はやての引き抜きと無限書庫への妨害を強化しろと言ってきたのだ。聖王教会は苦しい立場に在って、枢機卿筆頭であるグラシア卿も大変な立場にある。その子供として、聖王教会の地位を復権させるために、夜天の魔導書は絶対に聖王教会が占有せねばならないし、無限書庫は立ち上げさせてはならない。どんなに強引だろうと力を貸してやるからやれ、と。
もちろん、それにはっきりと拒否したカリムとヴェロッサであるが、おかげで強硬派からの妨害らしい圧力もある。このことは父のグラシア卿には伝えていない。察しのいい人だから気付いていてもおかしくはないが、余計な心労をかけたくないという子供心だ。
「その点で、僕はあの人を信頼してもいいんじゃないかと思うよ」
『ベルニッツ様ね。本当に私も感謝しているわ』
それでも、2人には密かに協力してくれる人物がいた。その人物が、強硬派の圧力を防いでくれているのだ。
時空管理局の顧問官、アシュレイ・ベルニッツ。
彼は2年前まで在籍していた『英雄』ギル・グレアムとも知り合いであり、聖王教会ともパイプを持つ顧問官で、今回カリムが理事官になるに当たっても協力してくれた。現在の理事官の1人であるミヒャエル・ハイメロートは、ラルド卿を始めとした強硬派――ラルド派の一員で、実はアシュレイもラルド派の一員。しかし彼は家系的にラルド家と繋がりがあるからやむなく従っているだけで、ラルド派とは一線を置いていると言う。ラルド派が暴走せずにいるのもアシュレイのおかげと言われており、彼のおかげでカリムが理事官になれたと言ってもいい。
――『ラルド卿の意思に反するようなことですよ? 貴方にどのような御咎めがあるかわかりません。よろしいのですか?』
――『なに。ラルド派は聖王教会やベルカを第一とすることをお題目に掲げているだろう? ラルド卿やハイメロートのやり方では反発を招くだけだった。聖王教会やベルカを第一と考えるからこそ、君たちに任せるべきというだけだ。やり方が違うだけ。そら、私は何もラルド派の目指すところに反してはいまい?』
当初はラルド派ということで信頼できなかったのだが、ラルド派にとって敵対するグラシア卿の娘が理事官になるのを助け、その後もラルド派の圧力を抑えてくれている。全面的にとはいかないが、信頼してもいいのではないかとカリムもヴェロッサも心境に変化があった。
『夜天の魔導書に対しては厳しい視点をお持ちだけれど、決して強硬策は取らず、静観されてもいるし。寛容な方ね』
『魔導研究者でもあるお方で、グレアム元提督が秘密裏に作られていた『デュランダル』の設計をした方でしたね』
闇の書をはやて諸共封印してしまおうという計画の下、グレアムは『デュランダル』を作製していた。しかしいくら顧問官とは言え、グレアムとその使い魔であったリーゼロッテとリーゼアリアだけで事を進められるわけがない。グレアムに秘密裏に協力していた者は大勢いたのだ。アシュレイは、その1人だ。
アシュレイもまた、闇の書に対して復讐心のようなものを持っていたと聞いている。だから協力したのだと。
グレアムは結局、協力した者たちに罪はないと懇願し、自分がすべての責任を取って辞職した。アシュレイはそのことに対して罪悪感を持っているらしく、だからはやての件についても自らの復讐心は抑え、静観しているらしい。カリムを理事官に推してくれたのも、その一環のようだ。
「3提督にお会いした後に会ってきたんだ。ラルド卿のことがあるから表向きは厳しい態度を取らざるをえないけれど、君たちの好きにやってくれと言っていただいたよ」
『何だか申し訳ないわね……ラルド卿からの圧力もあるでしょうに』
「ベルカ産のコーヒーと紅茶、あと銘菓でも持って来てくれればそれでいいんだってさ。ミッドのものはどうも口に合わないらしいよ」
『是非用意しておきましょう。シャッハ、頼んでもいい?』
『お任せください』
厳しい立場であり、ままならないことも多いけれど。それでも、協力してくれる人もいる。そのことに勇気づけられ、カリムもヴェロッサも前に進んでいける気がした。
『昨日、例のクロノ・ハラオウン執務官と話をしたの。やり手ではあるけれど、こちらが誠意を欠かさなければ誠実に対応してくれる。そんなふうに感じたわ』
『とは言え、一介の執務官に対して次期理事官であるカリム様が直々に連絡をしたことで、すでに疑念を持っていそうではありますが』
「それは仕方ないね」
ヴェロッサの監視対象でもあるクロノ・ハラオウン執務官。ヴェロッサと同い年の17歳で、すでに執務官としての実績華々しく、時空管理局のあらゆる部署から勧誘の声がある実力者だ。調べた限り、非常に真面目で正義感も強く、法に携わる法務官であればだいたいがそうだが、結構な堅物でもある。まあ、一昔前はもっともっと話が通じないような凝り固まった堅苦しい人物だったようだ。同時に、冷酷で機械のようだったとの評価も聞く。それが最近は少し丸くなったらしく、人当たりにも変化があり、人脈を積極的に広げて交友関係も増えており、多方面から信頼も寄せられているようだ。
「ベルカ自治政府の枢密院顧問でもあるハイメロート理事官がずいぶん厳しく当たっていたんだ。当然疑いも持つよ」
『あの方は少々やり過ぎですが』
『聖王教会やベルカ自治政府からも、ハイメロート様のやり方には批判が出ていたくらいだものね』
3人揃って肩を竦めるなり溜息をつくなり、似たような仕草を取る。
闇の書――夜天の魔導書とはやてたち、そして無限書庫。この3つが、ヴェロッサに与えられた裏向きの任務だ。カリムと交代する現在の理事官であるミヒャエル・ハイメロートもこの任務を請け負っており、その任務をそのままカリムとヴェロッサが継続するのである。ただし、そのやり方が違う。
『闇の書……いえ、夜天の魔導書と八神はやて、並びにヴォルケンリッターについては手を出さない。無限書庫の再編には協力する。確かに、今まで彼女たちを強引に勧誘したり引き抜こうとしたり、無限書庫に対してはあからさまな妨害工作を仕掛けてきたのです。手の平を返したような真逆の対応ですからね。これで疑わなければ相当なお人好しでしょう』
『……やっぱり、いきなりすぎたかしら?』
『あ、い、いえ! 私は何もカリム様を責めているわけではなく……!』
「あ~あ、シャッハ、義姉さんを苛めちゃダメじゃないか」
『誤解です! 苛めてなどおりません!』
むしろ助けなさいと言わんばかりに睨んでくるシャッハに、ヴェロッサは先ほどのお説教の仕返しとばかりに口笛を吹いてあらぬ方へと視線をやる。どうやらカリムも少し悪戯心が出たらしく、姉弟揃って泣き真似に知らぬ存ぜぬフリ。シャッハがオロオロするという珍しい光景を少しの間堪能する。
さすがにヴェロッサよりも早くカリムが冗談よとシャッハを安心させる。本当に優しすぎる義姉である。ヴェロッサとしてはもう少しこの珍しい光景を楽しみたかったのだが。
「ハラオウン執務官はすでにスクライア司書にこのことを伝えていると思うよ。昨日のうちに会っていたようだからね」
すでにヴェロッサは2人の会談についても察知していた。さすがに用心深い2人である。監視カメラや盗聴器を仕掛けるような真似はしない。『ウンエントリヒ・ヤークト』で生み出した猟犬を忍ばせるような真似も。あの2人にそれがばれたら、信頼醸成などできない。まして猟犬のことがばれたら、あの2人は『ウンエントリヒ・ヤークト』のことを調べ上げることだろう。あの2人の調査能力はそれほどなのだと、ヴェロッサは誰よりも理解しているつもりだ。
「無限書庫に対する調査については、スクライア司書が各方面からの依頼に対して上げてきた資料を入手したよ。後で送るけど、彼はとにかく無限書庫にこれ以上なく適した人材だ。彼がいれば確かに無限書庫は本来の存在意義を取り戻すと言っても過言じゃない」
無限書庫を他の局員に混じってすでに何度か訪問したことがあるヴェロッサ。その広大さと書物の多さには度肝を抜かれた。そこにいる司書の少なさにもまた驚いたが。
結論として、あそこの資料は現状ではほとんど役に立たない。ジャンルはバラバラ、機密情報じゃないかと思う書物とそうでないどうでもよさそうな書物が一緒に隣り合って置いてあるくらいだ。あの広大さもあり、あれは一種の迷宮型の遺跡。あそこから欲しい情報を探すことは、未開の迷宮の遺跡にある宝物を探すのと同じだ。だから収集と言うよりは発掘と言った方が正しい。そして空間を捻じ曲げているのが結界の魔法に連なるものだろうと想像できる以上は結界魔導師が必要だ。さらに情報を集めたとして、今度は情報をまとめる司書や情報官も必要。そして部署の統括者には責任者や指揮官としての素養も必要になる。
ユーノ・スクライアは、その全てを兼ね備えるという、無限書庫の方が彼を求めると言ってもいいくらいに無限書庫に適合した人材。そのようにヴェロッサは報告をすでに上げていた。
「3提督も後方の待遇改善と後方軽視の風潮の払拭はかねてから課題にされているから、無限書庫については期待しておられるようだよ。当人たちも前線時代は後方軽視の嫌いがあったらしいけど、一線を退いて後方から前線を見たときに、如何に危ない橋を渡っていたのかを痛感したらしいね」
『その割に何かしら無限書庫に支援をされているわけでもなさそうですが?』
「直接的な支援はね。ただ1年前に無限書庫が責任を押し付けられたことがあったでしょ? おかしいと思わないかい? 一介の執務官と司書が、部署として責任を取れって言われたんだよ? ただでさえ物置なんて呼ばれる部署だ。これ幸いと切り捨てるよ。実際、情報部部長はそうしようとしたようだし。それが今だ健在。それはなぜだと思う?」
『裏で立ち回られていた、というわけね』
クロノとユーノがこのことに気づいているかはわからないが、無限書庫はすでに2人が考えている以上に複雑な思惑が絡み合っている。情報を軽視する風潮の中で無限書庫を物置と蔑む者。無限書庫を危険視する者。情報の重要性から無限書庫に期待して支援する者。そして将来的な影響力行使を企図して今のうちに恩を売ろうとする者。
「ミッド地上本部のレジアス・ゲイズ少将が無限書庫に目を付けているという情報もある」
『……聖王教会が無限書庫に妨害工作を行っていることを逆に利用する気かしら』
「地上の管轄にする気かもしれないね。本局は物置と呼んで不要としているわけだし、今の本局なら諸手を上げて厄介払いできるって言いそうだよ」
『彼が本気で無限書庫を庇い出したら、聖王教会は手出しできなくなるわ。無限書庫との関係改善を急ぐ必要があるわね』
戦力強化を声高に唱えるレジアスは、1年前の公開意見陳述会で地上本部が発表した、質量兵器とも見紛うアインヘリヤルにも賛成の立場をとっている。むしろ推進する1人だ。彼は質量兵器を復活させようとまではしていないが、かなり質量兵器寄りの武装や兵器開発も辞さない。無限書庫を狙うのも、無限書庫内にある質量兵器の情報を得る目的があるのかもしれない。もちろん、事前情報を得られることで地上の局員の被害を減らす意味もあるだろうけれど。
『例のウイルスのこともあるから、質量兵器の復活を望む声が高まることを聖王教会としても危惧しているわ」
「ああ、『エクリプスウイルス』だね。それに関してスクライア司書も資料の中で憂慮していたね。あの資料の依頼元、知ってるかい? あれ、地上だよ。地上の技術部」
本局でも対『エクリプスウイルス』に備えた武装の開発やウイルスの研究は行われているが、その専門は医療部だ。あくまでウイルスによる『疾患』、つまり『病気』と捉えている。地上でも専門は医療部。
だが技術部が求めたとなれば、対『エクリプスウイルス』用の武装開発は加速するだろう。ただ本当に『エクリプスウイルス』対策として情報が使用されたのならばいいのだが、この情報を質量兵器復活や『アインヘリヤル』正当化の根拠にでも濫用される恐れがある。ユーノも少し前に古代遺物管理部機動部隊の手柄争いに自身の資料を使われてひどい目にあったため、それを見越して本局にもこの資料を渡しているし、本来の目的以外に使用しないように承諾の証を残すなど、情報の扱いにいっそう慎重になっている。
「で、こんな重要な時に申し訳ないんだけど、これ以上の無限書庫の極秘調査はちょっと難しい」
『なぜかしら?』
「先日、どうもスクライア司書が張っていた警戒の結界に引っかかっちゃってね。ごめん」
無限書庫を直接訪問すればいいが、ヴェロッサの容姿は少々目立つ。しかも無限書庫はただでさえ人が滅多に訪れない区画にあり、無限書庫に司書以外の人間が立ち寄ることもほとんどない。そう何度も訪れていては顔を覚えられてしまう。
だからヴェロッサは更なる内部の情報を得ようと、『ウンエントリヒ・ヤークト』を用いて無限書庫が無人の際に偵察を行っていたのだが、先日、いつの間にか張られていた警戒の結界に引っかかってしまったのだ。すぐに引き上げたから誰にも見咎められることもなかったが、あれ以来、警戒の結界がさらに複雑になり、猟犬を侵入させることが非常に困難になってしまった。
『……先ほどの追跡者の話もそうですが、ロッサの猟犬を探知するというのも驚きました』
ヴェロッサの隠密や調査能力は伊達ではない。査察官となっているのは、適当に役を割り振られたわけではないのだ。そんなヴェロッサを支える『ウンエントリヒ・ヤークト』は、ステルス性も高く、魔法・科学両面の警戒を突破することにも長けている。
その猟犬を捕捉する結界。引っかかった際は単なる警報を知らせるだけだったようだが、これがもし捕縛機能でも持ってしまったら、そのときこそヴェロッサへとクロノとユーノは行き着いてしまうことだろう。
『わかりました。無限書庫に手出しをしない、協力すると言った手前でもあります。無限書庫に対する極秘調査は現時点を以って中止とします』
「了解。本当にごめんよ、義姉さん」
『いいのよ、明日から理事官は正式に交代して私になる。ちょっとフライングだけれど、元々こんなことはするべきじゃないと思っていたもの。きちんとこちらから謝罪しましょう。それが誠意というものでしょう』
カリムの方針は、基本的に信頼関係の醸成から。長い時間がかかることが想定されるし、いろんな妨害などもあって信頼を構築できるかわからない面もある。加えて何事もそうだが『作るは難し、壊すは易し』だ。信頼関係を作るのは長い時間が必要なれど、壊れるときは一瞬。そんなものよりも強引にでもした方が適切――それが強硬派の考え方であり、ミヒャエル・ハイメロートが行った強引な手法の根源にある考えだ。
『まずはお2人との信頼関係を作ることが先決です。八神はやてや夜天の魔導書についても、ハラオウン執務官が彼女たちを庇っている以上、ハラオウン執務官との話し合いを重ねることこそ最良にして最善。できれば直接顔を合わせたいところでもあるわ』
「さっき義姉さんも言っていた通り、やり手の執務官だ。下手に出るのは止めた方がいいよ?」
『もちろん、相手の出す条件を鵜呑みにする気はないわ。聖王教会やベルカとして、これ以上技術情報を奪われたり軍事的優位性を失ったりしたくないもの』
政治や外交は、人の欲望が渦巻く世界でもある。魑魅魍魎の世界とはよく言ったものだ。
カリムはそういう世界や人間を性格的に嫌う性格だが、生まれた家が家であり、父親のグラシア卿が聖王教会枢機卿筆頭。どうあってもカリムの言動1つ1つに政治や外交の視点が付き纏う。それに向き合う覚悟を持っているから、グラシア卿も理事官への就任を認めたのだ。今更泣き言は言わないし、ベルカの人間としての視点で物を見もしよう。
「そうだ。ハラオウン執務官については、現在3提督の指示もあって、僕が査察中なんだってことを伝えておくよ」
『ハラオウン執務官を査察? なぜそんなことを……しかも3提督の指示なんて』
「う~ん、よくはわからないんだけど、調べたところ、どうも彼、無限書庫再編以外にも独自に動いているみたいなんだよ。例の、広域次元犯罪の天才科学者絡み」
『まさか、ジェイル・スカリエッティ?』
「そうだよ。そしてさっき言った追跡者の影。あれもハラオウン執務官を監視し始めてから気付いたんだ」
眉を潜めるカリムに頷いて返すヴェロッサ。
3提督が広域次元犯罪者とは言え、たった1人の犯罪者のことを殊更気にかけるというのは気になる話だ。もしかすると、3提督とグラシア卿の間で、カリムやヴェロッサには明かされていない件に関することなのかもしれない。そうヴェロッサは考えており、好奇心もあってクロノの監視を請け負っている。
カリムはクロノが何か3提督さえも目に付けるような危険人物なのかと思ったようだが、ヴェロッサが調べた限り、クロノにそんな不審な点はない。誠実に職務を全うする、真面目で堅物な執務官。こんな印象をより強めただけだった。違法研究開発について調べ出したのはここ数年の話。それまでのクロノの関わった案件について資料や報告書を洗ってみたが、特段、違法研究開発に特化していたわけでもない。むしろロストロギア関連の事件の方がやや多め。おそらくは無意識のうちに、父が死んだ原因となった闇の書に引きずられてのことだろう。
「僕の推測だけど、おそらく理由は彼の妹……義理だけどね」
『……そうだったわね。プロジェクトFによって生み出された子だったかしら』
すでに『アースラ組』のことは全員調査済みだ。闇の書事件に関わった者の中でも一番に調べてある。P・T事件に行き当たるのも当然のことで。
『妹のために、かしらね。私も弟を持つ身として共感できるわ』
クロノとカリム。共に過去に訳ありの弟妹を持つ身。大事に想うからこそだろう。
別に何かしらの意図があるのかもしれない。何しろ3提督が警戒しているくらいなのだ。ヴェロッサもクロノを悪者とは考えていないけれど、査察官として疑念を持ってかかる姿勢は崩さない。まだまだクロノという人間の本質を掴んだわけでもないのだ。人を信じようとするカリムのことは美徳だと思うし、大事な姉のその優しさに救われた者としてはその姿勢を支持するけれど、人の優しさを食い物にする人間もこの世には確かにいる。それを知る身として、ヴェロッサは心を鬼にしてカリムに忠告の意味を込めて聞いてみる。
「ハラオウン執務官がそういう手に出たときは?」
『……不本意ではあるけれど、権力を行使することもあるでしょうね』
本気で嫌悪を抱いているのだろう。カリムは椅子に体を預けつつ、その美しい顔をやや歪めて肩を落とした。カリムは理事官だ。本気で権力を用いれば、ハイメロート理事官がそうしたように、いや、それ以上に、クロノやユーノ、はやてたちを追い詰めることもできるだろう。一介の執務官である今のクロノでは、いずれ押し負けるだろう。それが組織というものが持つ恐ろしさだ。
嫌な質問をしてごめんねと、ヴェロッサも謝る。ただ、本当にそういうことになる事態も想定はしておかなければならない。どんなに誠実そうな人間でも、実際には腹の内に何を飼っているか、どんな野望を抱いているかなんて、『思考捜査』でもしない限りわからないのだ。もちろん、その時が本当にきたら、ヴェロッサも『思考捜査』を辞さないだろう。権力を持つ立場として、権力を振るわねばならない覚悟をカリムが決めているならば、ヴェロッサも同じようにするまで。できればカリムがそんなことをしなくてもいいように。
「今でこそハラオウン執務官も一介の執務官だけど、一介として切り捨てるには無視できないものもあるからね」
『そうですね。母上が総務統括次官ですし、『英雄』ギル・グレアムの弟子。その名前が有名になってきていますし、彼自身が人脈を広げていることもあります。次元航行隊を始めとした各方面からの誘いもあるようですし、やろうと思えば今すぐにでも上層部へのキャリアコースに進んでいけます』
もしクロノの本性が悪であるのならば。
今のうちに叩いておくべき。
暗黙のうちに揶揄するヴェロッサとシャッハの言に、しかしカリムは頷きながらも信じるという姿勢を崩さない。
『それだけではないわ。P・T事件や闇の書事件で有名になった『アースラ組』。その全員が今や無視できない存在だもの。彼らはきっと大きくなるわ。上層部だろうと前線だろうと、時空管理局にとって切り札になるほどの、ね』
「だからこそ言うんだけどね?」
『わかっているわ、ロッサ。ありがとう。けれど私はね、やっぱり貴方が心配するような人たちじゃないと思うの』
『カリム様がそう仰るのであれば、そうなのでしょうね』
「ああ。義姉さんの予想は良くも悪くもよく当たるからねえ」
『悪くも、とはどういう意味かしら、ロッサ?』
「おっとっと。これは失言」
『もう』
高町なのは。フェイト・テスタロッサ・ハラオウン。八神はやて。その3人を筆頭に、シグナム・ヴィータ・シャマル・ザフィーラ。そしてアルフにユーノ・スクライア。リンディ・ハラオウンにエイミィ・リミエッタ。厳密にはアースラ組ではないが、協力者としてレティ・ロウランやマリエル・アテンザもその中に入るだろう。そして引退したとはいえ、ギル・グレアムとて支援を惜しまないかもしれない。
高ランク魔導師、高い魔力素質。それだけではなく、魔法を用いる身としての高い倫理観や正義感を誰もが兼ね備えている。地位や名声だけではない。気概もある。ゆえに人望もある。
そんな者たちが周囲にいる中で、クロノ・ハラオウンはその全員から信頼を向けられ、頼りにされている。クロノ自身もそれを自覚しており、上昇志向もないわけではないとのプロファイリング結果もある。真面目で堅物なれど、角が取れてきて柔軟性も持ってきたのは、彼らと出会ってから。そんな人物が悪者とは考えにくい。3提督が警戒しているというのは気になるけれど、カリムは3提督もきっと変な意味で疑ってかかっているわけではないと見ていた。
『だって本性が悪者の人が、八神はやてを全力で庇うわけないもの。彼女を庇っても利点は少ない』
「わからないよ? 八神はやてを利用する気かもしれない。手元に置いているわけだし。それに彼の周囲の人間は非常に有能な者ばかりだ。これは言わば、1つの派閥と言ってもいい」
なのは・フェイト・はやて・シグナム・ヴィータ。AAAランク以上の魔導師が5人もいるのだ。これに加えてクロノ本人も該当する。総務統括次官のリンディに人事部の責任者のレティ。さらに無限書庫という味方もいる。無限書庫の再編が成れば、情報によるバックアップ体制も得て、クロノは前線・後方・上層部のすべての方面に強大な後ろ盾を得ることになる。あとは自身が上に登り詰めていけばいいだけ。
昔は馬鹿正直に冷酷とも言える行動さえもきっちり報告書に書いていたのに、今では狡賢い手法を覚えてもいる。ジェイル・スカリエッティに関する行動はきっちり担当の執務官に逐一報告せねばならないのに、ジェイルではなく違法研究開発全般を調べているだけだからジェイルはその一環というだけ、なんてうまい理由を付けているように。
『わかるのよ。彼はみんなのお兄ちゃんなんだろうなって』
そんなふうにクロノが仲間内で呼ばれているということを、カリムは知らない。ヴェロッサさえも知らない。
けれど知らなくても、カリムは姉としてそれを感じていた。
クロノを敵対者にしてしまうということは、『アースラ組』を敵に回すと言ってもよかろう。そしてミヒャエル・ハイメロート理事官という難敵、それも地位が上の人間を相手に2年間立ち回ってきたクロノ。敵に回したくない類である。
それにもう1つ。
カリムは個人的に、仲間が欲しい。
もちろん、友達という意味もあるけれど、それ以上に、今の自分には信頼できる人が欲しいのだ。
ヴェロッサやシャッハのように。
この固有スキル『
クロノたちがそんな相手になるかどうか、それはまだわからない。けれど、カリムも幼少の頃から政治や外交の世界を体験してきた身なので、多くの人間を見る機会があった。否が応にも、多くの意思を向けられて、その中にはあからさまな媚売りもあったし、敵対的な言動を向けられることもあった。
『プロフェーティン・シュリフテン』のせいかどうかはわからないが、カリムの予想は確かに当たりやすい。と言っても他の人よりかは、という程度であるが。しかし偶然などではないとヴェロッサもシャッハも思っている。固有スキルはともかく、カリムの経験則として信頼していた。人を見る目も、また然り。
「まあ、ハラオウン執務官を信頼するかは今後の彼の態度次第だね。闇の書もまだまだどうなるかわからないし」
ただ、ヴェロッサはカリムが求める相手にクロノやはやてたちが相応しいとは、まだ思っていない。そんな本音が口を突いて出てしまった。
『……ロッサは、信頼できない?』
「できないとは思ってないよ。ただ、義姉さんは信じる方面からアプローチを図るわけだから、僕は査察官だし疑う方面からアプローチする。役割の差かな」
『そう……ねえ、ロッサ?』
「なんだい、義姉さん?」
『……いえ、何でもないわ』
「気になるじゃないか」
『それはそうよ。私のために無理をする貴方だもの。姉として心配にもなるわ。逆に変なことも仕出かしそうだし……』
「あれ? 僕ってそこまで信用ない?」
『どの口が言いますか? いいですか、ロッサ? サボったら許しませんよ? 誠実に職務を遂行なさい』
「おっと。これは藪蛇だったかな?」
『ロッサ!』
「あはは、ごめんごめん。それじゃあ、報告は終わったし、義姉さんも次の仕事が控えているだろうから、このくらいで」
『ええ。またね、ロッサ』
『逃げるんじゃありません! こら、ロッサ――!』
空間モニターに噛みつきそうな勢いのシャッハに笑いつつ、ヴェロッサは通信を切るのであった。
消えた空間モニターに、横でシャッハが肩を怒らせている。そんな彼女を見て苦笑を漏らしつつ、カリムは椅子を回転させて窓から見える空を見上げる。
聖王教会の総本山たる、ベルカ自治領の聖王教会本部。日々、多くの聖王教信者が訪れる。聖遺物盗難事件を皮切りに、聖王教は多くの信者を失ったが、それでも聖王教を信仰する人もいる。早く聖王の聖骸布が戻ってくるようにと毎日祈りに来てくれる人もいるし、聖王の怒りや祟りが降ればいいのだと憤慨してくれる人もいる。
「ねえ、シャッハ」
「はい。如何なさいましたか、カリム様?」
「ヴェロッサのこと。どう思う?」
何がでしょうか、とはシャッハも言わない。少し考えるような仕草を見せたが、ややあって言い難そうに。
「……やはり、まだ思うところがあるのでしょう。いえ、むしろ思わないはずがないかと」
「そうね」
ヴェロッサは、最後まで、『夜天の魔導書』とは言わなかった。『闇の書』と、そう呼んだ。この事実が、ヴェロッサの心に今だ巣食うものを示唆しているように思えてならない。
「ロッサは、決して人を疑うのが好きな性格ではありません。むしろカリム様と同じく、人を信じようとするお人好し」
「あら、シャッハ。私の大事な弟のいいところなのよ? それを馬鹿にするのはひどいわ」
「カリム様はロッサに甘すぎますから。これくらいはお許しください」
「ふふ。今のは私へのお説教かしら?」
茶化しつつも、カリムの心配は拭えない。
姉弟揃って人を信じようとするお人好しだというのに、ヴェロッサはカリムのためにと人を疑うことが基本スタンスである査察官になった。偵察や捜査に長けた固有技能を持つというのも理由だが、所詮そんなものは後付けに過ぎない。大事な弟が、どれだけカリムやシャッハのことを守りたいと思ってくれているか、だからこそ嫌われ者の役を引き受けようとしたのだと、それがわからない愚鈍な姉になったつもりはない。
「ロッサのお父上であるアコース侯爵は、闇の書が1つ前に起こした事件で戦死とのことですから、夜天の魔導書に対する感情は複雑でしょう」
「管理局に先んじることが出来たけれど、闇の書の力を積極的に振るう当時の闇の書の主とヴォルケンリッターを前に回収することはできず、グレアム元提督たちが回収してしまった。その後に暴走して管理局の手からも逃れたけれど」
ゆえに、アコース侯爵は『犬死』であり、聖王教会騎士団として闇の書の位置を時空管理局より先に断定して踏み込んでおきながら回収できなかった『騎士団の恥さらし』とさえ貶された。
故人に対する冒涜もいいところだというのに、当時からすでにラルド派を形成していた盟主たるラルド卿を中心に、アコース侯爵家の取り潰しまで画策。アコース侯爵家と親交が深かったグラシア公爵家が黙っていられるわけもなく、グラシア卿が庇い、遺児となったヴェロッサを引き取ることとなった。
――『グラシア家に拾われたことで家名や能力を捨てずにすんだ』
だからこそ、ヴェロッサは義父であるグラシア卿や義姉であるカリム、そして育て役となってくれたシャッハに、この上ない恩義を感じている。
「ハラオウン執務官は言わばヴェロッサと同じ境遇にあるだけに、むしろ仲間意識も芽生えそうなものなのですが」
「……納得いかないのかもしれないわね」
「それは、どういうことでしょうか?」
「ハラオウン執務官もお父様を闇の書に殺されているわ。でありながら、彼は八神はやてを守っている。それが納得いかないから、というふうには考えられない?」
親の仇をなぜ庇うのか。どうして同じ境遇でありながらそんなことができるのか。
カリムの想像が正しいとしたら、ヴェロッサはクロノがはやてを何かしら利用するつもりであった方が、まだ共感もできたのかもしれない。シャッハは弟分の複雑な心境を慮り、返す言葉を失った。
「……あの子を1人で行かせたのは、やっぱり間違いだったかしら」
「カリム様……信じましょう、ロッサを」
「シャッハ……」
「カリム様の弟なのです。信じてあげてください」
「……そうね。ハラオウン執務官たちを信じておきながら、大切な弟を信じないのでは姉失格だものね」
窓から見える、今日も多くの信者が訪れる聖王教会本部。信者の誰かの子供だろうか、男の子が手を振っていた。目があったことから、カリムに対してなのだろう。そばで男の子の母親らしい女性が、カリムに向けて頭を下げている。
カリムは小さな頃のヴェロッサをその男の子に重ねながら、微笑と共に手を振り返した。