悪いことは重なるもの。それは執務官になってからも度々遭遇したことであるが、今回はその中でも1、2を争うほど最悪なものだった。
「……馬鹿な……」
独自に追うと決めた翌日、すぐに先日会ったばかりの地上の首都防衛隊の一隊であり、ストライカーとして名高いゼストに連絡を取ってみた。しかし、出たのはまったく知らない別の隊の人間。そして知らされた事実はあまりに衝撃的で。
首都防衛隊第4部隊、ジェイル・スカリエッティが潜伏していたと思しき極秘施設を未明に強襲するも、反撃に遭い、全滅。
隊長ゼスト・グランガイツ以下、隊員全員が戦死。ゼスト及びメガーヌ・アルピーノの遺体は確認できず行方不明。しかし2人のものと思われるデバイスの残骸が見つかっており、状況を鑑みても生存は絶望的。クイント・ナカジマ以下ゼスト隊隊員は全員回収、後送されていた。
ストライカーが敗れたという事実はあまりに大きく、特に地上部隊の士気にどうあっても影響を及ぼすことが想像されるため、地上本部は現在この事実をひた隠しにしている。機を見て発表するというが、どちらにせよ地上の一層の戦力低下と士気低下は免れまい。
クロノは本局の執務官だから本来ならば教えてもらえない立場だった。しかし先日会ったことや今後の密かな協力を約束していたことから、クロノから連絡があれば彼にだけは知らせてくれとゼストから言われていたとのことだった。
「……ジェイル・スカリエッティ……!」
そしてゼストの遺志に基づいてクロノに提供された資料には、ゼストやメガーヌ、クイントやゼスト隊隊員たちが遺したデバイスの映像や、交戦したと思しき戦闘機械についての記述があった。
なのはを撃墜したものと寸分違わぬ戦闘機械。
そして、ゼストたちを倒したと思しき、戦闘機人の姿。
生憎と映像は損傷が激しく、顔や声は判別できなかった。それでも技術部がゼスト隊の遺したこれらを調べることが、ゼストたちに報いるためなのだと必死になって修復を試みたものだ。ストライカーの戦死に触れた僅かな局員たちは、彼の死を心から悲しみ、相手への激しい怒りを堪えている。その執念を、クロノは資料から感じ取っていた。
「こうなると、最近感じる視線も一層警戒が必要か」
ユーノには明かしていないが、クロノはここ最近、付け回されていることに気づいていた。はっきりと掴めないあたり、追跡者はなかなかの手練れだ。
――『執務官。奴を追うのなら普段から警戒しておけ。奴を追う者たちの中で相応の実力を持つ者は、例外なく影の存在を感じているのでな』
――『監視、ですか』
――『ええ。気をつけてね、ハラオウン執務官。私たちも隊長も警戒しているんだけど、まったく影を掴めないのよ』
――『この面会もバレていると思うの。貴方が目を付けられるのは間違いないわ』
ゼストたちも感じていたとされる影。クロノもそれとなく探っているが、探り出すと影はふっと消えるのだ。厄介なもので、背中を向ければ影を感じるのに、振り向くと誰もいないような感覚。影さえ見せないことが本物のプロなのかもしれないが、この追跡者はあえて影を見せている気がするのだ。その目的が何なのかは不明だ。警告や威嚇のつもりかもしれない。この存在を警戒しながらもゼストたちは行動してきた。だがゼストたちの密かな調査や秘匿の強襲作戦もバレていたと見ていい今回の事態。クロノも下手をすれば同じ目に遭う可能性がある。
――次はお前の番だ。
そう言われている気さえする。
だが。
「これで僕が諦めると思うなよ。僕は、絶対にお前を許さない。必ず追い込んで捕まえてやる」
元より危険は承知の上。
監視するならすればいい。むしろ向こうが動いてくれれば状況は変わるかもしれないのだ。アクションを起こすということは、それだけ隠蔽を狙う側はバレるリスクを背負う。動こうが動くまいが、追う側であるクロノは暴くために追いかけ続ける。それだけだ。
血まみれのなのはの姿を思い出す。悲しい過去を背負うフェイトのことを脳裏に映し出す。日々冷たい視線に晒されながらもはやての気丈に振る舞う様子を目の前の誰もいない空間に投影する。
怖いのは、大切な存在を失うこと。
恐れるべきは、守りきれないこと。
運が良かった。この事態を良かったなどと言いたくはないが、それでも3人がまだ生きてくれていることは、本当に運が良かった。そういうしかない。
だから迷わない。止まらない。
――『こんなときに、余計なことをと思うだろうがな。今のお前には、どうか考えてほしい』
昨晩、恭也に言われたことがふと蘇る。一晩考えたが、まだ回答は思い浮かばない。
それでも。
「立ち止まるわけにはいかないんです、恭也さん」
無理を押してでも行動した当時の恭也。そして今回のなのは。そうして2人して人生に関わる大怪我を負った。
そのことを考えれば、1人で事件を追うのは無理があるだろう。それに対する戒めなのかもしれない。同じ愚を繰り返すことは避けなければならない。けれどだからと言って、立ち止まるわけにはいかない。諦めるわけにはいかないのだ。そうしてしまったら、負けになる。勝ち負けの問題ではないかもしれない。けれどクロノとて男だ。決めた以上、そしてこのジェイル・スカリエッティという存在は、絶対に許してはならない。許せない。
クロノ・ハラオウンの存在を賭けてでも、この脅威は必ず払う。これは、譲れない。くだらない男の意地だとしても。つまらない執着だとしても。
なのはが本当の笑顔を取り戻すために。フェイトが本当の幸せを掴んでいくために。はやてが夢を叶えられるようにするために。シグナムが、ヴィータが、シャマルが、ザフィーラが、アルフが、これからも大切な人のそばにいられるようにするために。そして、悪友が馬鹿な『依存』を振り払ってまっすぐ前を向いて生きていけるように。
「僕は、こんな理不尽を、絶対に認めない」
父のような悲しい犠牲者を、母のような悲しい思いを、誰にもさせない。させたくない。親しい身近な者たちには、それこそ絶対に。
「フェレットもどきの協力がどうしても必要だな。あの馬鹿め、早く戻ってこい。お前には頼みたいことが山ほどあるんだ」
文句を言いながらも今一度クロノはゼストたちがその命を以って遺した資料へと意識を向ける。
「……どうか、安らかに……貴方たちの無念、必ず晴らします」
クロノは立ち上がり、静かに、黙祷を捧げた……。
ぼうっとした視界が少しずつクリアになっていく。見覚えのない天井。いつもの殺風景で冷たい白い天井ではない。年季を感じさせる染みや傷がついた木材のそれ。丸い蛍光灯が大小2つついた照明がぶら下がっていて、小さい蛍光灯だけが点けられている。外は雨が降っているのだろうか、しとしとと微かな水音が聞こえる。時間はわからないけれど、やや薄暗い部屋は、おそらく自分のためにそうしているのだろう。
「…………」
上体を起こそうとするが、支えにした左腕は力が入らず、少々無様に倒れ込む。
「痛っ……」
筋肉が硬直していたように、攣ったような痛みを発する。すぐに収まるけれど、しばしユーノは顔を歪めたままで。ややあって首だけを動かして周囲を見てみる。鏡台や少ないけれど化粧品の入れ物が並んでおり、おそらくここが女性の部屋なのだろうということは想像がついた。
「……ここは……どこ、だろ……?」
見覚えがない部屋だ。なのはでもフェイトでもはやてでもない。彼女たちの部屋には入れてもらったことがあるけれど、3人とも和室ではなかった。
まだ頭があまり動かない。いつものマルチタスクな思考を可能とする脳は、立ち上がったばかりのコンピューターのように反応が鈍い。
知らない土地、知らない建物。それらはユーノには慣れたものだ。スクライアは放浪の一族。ゆえに一所に留まらないから、知らない場所には慣れている。枕が変わるとよく眠れないと言うが、スクライアにいれば嫌でも慣れる。というより、慣れなくてはやっていけない。
だから順応性が高い。ユーノも例外ではない。ましてユーノは年齢一桁の頃から学生時代に1人で寮暮らしもしたし、むしろユーノの11年の人生の半分ほどは一族から離れて過ごしている。1人という孤独にも慣れていた。
そのはずだった。
温かい木材と、女性の部屋らしい何とも言えない仄かな香りに少し安心も齎してくれるのだけれど。
何だか、1人でいることが、妙に寂しい。
「……なのは」
そこで最初に出てきた名前は、ユーノにとってあまりに大きな存在。女々しいことだと自分でも思うが、心の多くを占める彼女の存在はユーノに大きな安らぎを与えてくれる。
そんな彼女も、今はここにいない。
「……そっか……なのはは……事故で……」
視界がぼやける。せっかくクリアになってきた視界が、再び揺らぎだす。
思い出した。
血まみれのなのはを。
「……ごめんね……なのは……」
もう何度口にしたかわからない謝罪が、口を突いて出てくる。
寂しさを埋めるために、またなのはに縋ったことが情けない。許せない。だから謝る。そして自分を責める。その繰り返しだ。
だから気付かなかった。布団を握り締め、目を隠すように天井を振り仰いだ顔に手をやって、ただ罪悪と寂寥の念に押し潰されそうになって必死にそれに耐えようとしていたせいで。廊下を軽い足取りで近づいてくる気配に、気づくことが出来なかった。
ゆっくり襖が開く。
「あ」
「え?」
入ってきたのは……獣耳がついた少女。まるでアルフのようだ。といっても、背丈がまるで違うし、少女はフェイトのような綺麗な金髪。そして特徴的な白と赤の見慣れない服装。それがこの日本の歴史書で見たことのある着物と呼ばれるような服であることに、しばし経ってから思い至る。まだ頭の動きは鈍いようだ。
しばし少女と目を合わせていたが、ややあって少女は廊下の方へと顔を出して。
「那美。起きてる」
「え!?」
驚いている声が聞こえると、続いて静かな足取りが慌ただしいものとなって近づいてくる。それが部屋の前まで来て――
「ひゃあ!?」
転んだ。盛大に、転んだ。
ユーノには、襖の奥に映った黒い影が頭から突っ込んできて、持っていた桶らしいものが一瞬滞空したのが見えて。そして金髪の少女に桶の中身がぶちまけられた。
「……お湯、温かい。でも、やっぱり寒い」
「ああああああああ、ごめん、ごめんなさい、久遠~!」
それは寒いだろう。襖が開いているだけで外の寒い風が入ってきて身を震わせるほどなのだ。濡れた身には痛みさえ伴いそうな寒さであろう。
転んだ女性は濡れた少女に謝りながら、アタフタとしていた。少女は濡れたままで無表情な顔をもう一度ユーノに向けたが、すぐに「お風呂入る」と言ってトタトタと廊下を駆けて行った。女性は濡れた体で走り回っちゃダメとでも言おうとしたのだろうが、そうしたのが自分のドジゆえなので、どうにも強くは言えず。
「えっと、あの、大丈夫ですか?」
とりあえず声をかけないといけないかなとユーノは今の変な掛け合いのせいですっかり眠気が覚めた、しかしまだどこかぼうっとする頭で声をかける。その声はやや嗄れていて、喉も少し痛んだ。
「え、あ、うん、大丈夫です大丈夫です……て、違う!」
立ち上がった女性は廊下の状態にどうしようと悩んでいたようだが、ユーノの声に反応し、ちょっとだけ開けられただけの襖を開ききり、姿をそこで初めて見せてくれた。先ほどの少女と同じ服を着て、そしてなのはと同じ栗色の髪をした、ユーノが一瞬言葉を失うような綺麗な女性だった。忍もそうだが、彼女もまた別の美しさがある。活発的な忍に対し、こちらはそこにいて自然な雰囲気。
「目、覚めたんですね。よかった」
「あ……えっと」
襖を閉じて入ってきた彼女は、ユーノのそばに駆け足気味で近づいてくるとそばでしゃがみこみ、ユーノの額へと手をやった。綺麗な上に優しい顔つき。どこかなのはを思わせるような彼女に、ユーノは反応できず。肩より少し長い髪は、なのはがツインテールを解いたときの長さと同じくらいだろうか。そんなことに意識を向けなければ、顔の熱さは誤魔化せそうにない。けれど彼女は頬の赤いユーノに対して、別の心配をしているようで。
「顔も赤いし、まだ少し熱がありますね。横になっていた方がいいですよ」
「いえ、その、大丈夫です」
「ダメです。ほら、横になって」
厳しいという言葉とは真逆の彼女は、少し強い口調で、しかし優しくユーノを支えて寝かそうとする。逆らうことができず、ユーノは横になろうとして。
先ほどの涙が、溜まっていた目の端から一筋、流れ落ちた。
すると彼女は、厳しくしようとしながらも優しそうな気配に満ちた顔つきを悲しそうなそれに変えて。
「……泣いて、いたんですか?」
「い、いえ。これは、その……」
ユーノはすぐに拭おうとして。
その腕を、掴まれた。
決して強くはない。熱のせいか力が入りにくいけれど、それでも振り払おうと思えば簡単にできるだろう。その程度でしかない。なのに、やっぱり逆らえなくて。そしてその優しさは、ユーノの心に宿る優しいなのはに通じるものがあって。目の前の女性が、なのはにとても似ているものがあるから。
だから。
「あ……」
「…………」
また涙が零れる。今度は残っていたものが流れたわけではない。新たに湧き出したもので。そしてそれは次から次に出てきて、すぐにユーノの頬に幾筋も跡を残して落ちていって。
「悲しいことが、あったんですね」
「う……あ……」
「私にはわからないけれど。貴方にとっては誰とも知らない人にって思うかもしれないけれど。でも、ね。今は、こうさせてください」
すっと。ユーノを腕を掴んでいた力が解け、その手はそのままユーノの背中へと伸ばされて。もう片方の手は、ユーノの頭へ。そしてやっぱり優しい力で、ユーノは彼女の方へ引き寄せられ。
そしてそのまま……抱き締められた。
「……ごめん、なさい……」
「…………」
それが、自分に対して向けられたものなのか、それとも別の人に対して向けられたものなのか、彼女にはわからなかった。だから彼女は、言葉の代わりに、ユーノをさらに少し強く抱きしめる。
昔、こんなふうに。これくらいの男の子が、悲しんでいたことを覚えている。あまりに絶望的な目をして、怪我をした膝を憎そうに見ていて。涙こそ見せなかったけれど、でも必死で耐えているのは明らかで。持っていた大切なものであろう刀を、池に放り投げてしまって。
お節介なことは理解している。余計なことをするなと言われたことも多い。むしろそちらの方がほとんどだったと言ってもいい。実際、その男の子にも最初はそう言って反発された。けれど再会した彼は、その時のことを謝罪し、そして今でもそのときのことを恩として忘れず、実は年上だったのに今でも敬語で丁寧に接し、何かあれば大切な人と共に助けてくれる。
感謝されたいわけではない。恩に思ってもらう必要もない。ただ単に、したくてしているだけなのだから。
そして今、ユーノを放っておけなかったから。こんな悲しい涙を流す子を、放置などできようはずもないから。
「ごめんなさい……ごめん……ごめん……なのは……フェイト……はやて……みんな……ごめんなさい……!」
知った名前が出てきても。知らない名前が次々に上げられても。その度に、彼女は突き刺さるような痛みを覚えた。良く知らないのは彼女とて同じなのに、そんな彼女にさえも痛みを与えるような、あまりの悲壮。まるで世界に1人、取り残されていたのではないかと錯覚しそうなほどだった。
なのはが事故に遭ったとは、すでに聞いている。相当ひどい怪我らしいとも。大切な人から、そう伝え聞いた。だからだろう、何度高町家に、美由希に、連絡を入れても返答がなかったのは。どうやら相当遠方の病院にいるらしい。
この少年が、どう関係しているのかはわからないけれど。仮にこの少年が、なのはの事故の原因だったとしても。今はただ、この子を放すわけにはいかない。
――そうしなければ、この子はきっと、潰れてしまう。
「……ごめんなさい……!」
ただただ謝罪を繰り返す少年を、彼女は力一杯、抱きしめ続けた。部屋の外に1人の青年が来ていることを察しつつも、今はただ。
しばらくしてユーノはそのまま泣き疲れて眠り、そして今度起きたときは雨も上がって嘘のように綺麗な夕焼けが見える時間帯だった。
そして起きたときに驚いたのは、先ほどの女性以外に、久しぶりに会う、けれどつい1週間前に通信で話したばかりの青年がいたこと。
「よう、色男」
どうやら泣いて抱きしめられていたことを知っているらしく、その青年こと赤星勇吾はいい笑顔で開口一番そんなことを言ってくれた。ユーノとしては同じ男の目線から見てもイケメンな色男に言われたくはなかったけれど、大泣きして抱きしめられていた恥ずかしさで何も言えなかった。
「先輩」
「悪い悪い。けど大目に見てくれよ、那美さん。俺だって抱きしめてもらったことなんてないんだぜ?」
「そ、そんな恥ずかしいことできませんよ!」
「いいよなあ、ユーノくん。ちょっと後で話そうか」
「先輩!」
「勇吾。那美、苛めたらダメ」
「おっとっと。悪い悪い。悪かったから雷は勘弁してくれな、久遠」
あとは獣耳の少女がよくわからなかったけれど、この3人は知り合いだということはわかった。
話を聞いていると、どうやら勇吾と恭也の後輩がこの女性、神咲那美らしい。そして少女の名前は久遠。その獣耳や尻尾はとても飾り物に見えず、魔力とはなんだか少し違うけれど、何らかの力を感じることから、使い魔かと思っている。その辺は何だか誤魔化されたけれど。この世界に独自の魔法文化はないと報告しているユーノであるが、実はあったらしい。調査不足に自分の未熟さを嘆きもしたが、今はともかく。
「たく、驚いたぜ。つい4日前に普通に喋ってた君が、那美さんトコで倒れてたってんだからよ」
「……すいません」
「1週間前に変に謝んなって言ったばっかなんだが……ま、今回は見逃してやるか」
熱はだいぶマシになった。先ほど思い切り泣いたこと、そして抱きしめられたあの温かさのおかげかもしれない。精神的な閊えが取れたということだろうか。
それでも3日間ほとんど寝ていたことで体力がかなり落ちている。医者から処方されていた薬と点滴しかしていなかったので、ほとんど食事らしい食事もできていないのだ。普段なら倒れても次の日には復帰していたが、よくそんなことができたものだと思う。無限書庫が無重力空間だったのが災いしたのかもしれない。手足に力が入り難くても、無重力なら脱力していてもいいし、魔法を使うにしても手足が動かなくてもいいのだから。
だがここは第97管理外世界。無限書庫は近くになく、簡単には行けない。まして魔法を知らない現地人である勇吾と那美、そして久遠がいるのだ。それに誰かが必ずそばにいてくれるので、勝手にいなくなることもできない。トドメに、保護していることをすでに恭也やクロノたちには伝えてあると言われ、そして彼らからもしばらく頼まれたと言われれば。
「…………」
「…………」
「…………」
「……?」
そこで無言になる。ユーノも勇吾も那美も黙ってしまい、そしてその3人を代わる代わる不思議そうに眺める久遠という構図だ。
ユーノは勇吾と那美が何を考えているのかは何となく想像がつく。ただ話す決心がつかない。話し出そうとしても言葉がその都度喉の辺りで止まるのだ。
――怖い。
何を話すかといえば、なのはのことは避けられない。そしてその責任が自分にあるとユーノは思っている。だからそれを知られれば勇吾と那美に嫌われてしまうだろう。なのはのことをよく知っている2人だから、なのはにした仕打ちを考えれば2人はきっと自分を嫌う。
たかが数回会って話しただけ。那美に至っては初対面だ。
それでも、勇吾から励まされたことはすでにユーノにとって大きなことで。抱きしめてくれた那美ももう無視できる相手ではない。2人に嫌われたくないという思いはすでにユーノの中に深く根付いている。
「……あ~、やめやめ。やめにしようぜ、こんなのはさ」
「もう、先輩」
「いや、ホント苦手なんだって、こういうの。言いたいこと言わないのはさ。そういう空気を呼んだ関係ってのもあるだろうけど、俺は那美さんやユーノくん、あと久遠とそんな相手の目を伺って余所余所しくするようなことはしたくないんだ」
敢えて空気を読まないことも時には必要。そう言いたいようだ。
というよりも、この赤星勇吾という人物は、時にそうして自分が空気を読まないフリをして非難を受けても場がそれで良くできるならというタチなのだ。実際それで那美は苦笑するし、久遠もよくわからなそうながら変な空気がなくなったことにほっとしているようだ。
多分、これはユーノにはできないことだ。ユーノも同じようなことはするが、そうするとなのはたちはただ悪いと思うだけだ。同じ自己犠牲と言える行動でも、結果はまるで違う。そこにはどんな違いがあるのだろうと、ユーノは本当に勇吾を尊敬するばかりだった。
「よし。今回も単刀直入に聞く」
「……何でしょう?」
どうして倒れていたのか。どうして1人で。そんなところかとユーノは予想し、素直に答えるしかないと脱力していた。
「なんで、謝ってたんだ?」
「!」
だが違った。
今しがたも謝っていたことを指摘されたが、それはもういいとされたことだ。だから勇吾が言っているのは別のこと。まさか倒れる直前のことを聞かれていたのだろうかと思った。確かにあの時、ユーノは勇吾にも謝っていた。
そこで勇吾の隣に座っている那美がごめんね、と口を開いた。
「ユーノくん、でいいでしょうか。その、ユーノくん、気を失っている間も、ずっと謝り倒していたんです。ずっとずっと」
「……そう、ですか」
「俺や高町にまで謝ってたな。俺は君に謝られるような覚えはないんだけど」
「…………」
少しだけ勇吾の口調はきつい。那美が睨むような視線を送るが、それでも勇吾は今度ばかりは引かなかった。
ユーノは、顔を俯かせた。いつの間にか溜まっていた唾を飲み込む。心臓が、弱っている体にも関わらず大きく跳ねている。唇を引き結び、勢いよく湧き上がってくる恐怖に耐える。『嫌われる』という恐怖に。同時に、早く何か言わなければという焦燥が急き立ててくる。鬩ぎ合う両者が、結果としてユーノを黙らせてしまって。
「……大丈夫」
「あ……」
すると隣で正座していた那美が近づいて、震えている手に自身の手をそっと乗せてくれた。また優しい力で、いつの間にか強く強く握りしめていたユーノの手から力を抜かせる。
「怒っているわけじゃありませんから」
「俺は、ちょっと怒ってるけどな」
「っ……」
「……先輩」
「悪い、那美さん。けど言うべきことは言わないとダメだ。そうやって見逃してきたんじゃないかと思うんだよ、これまで。この子の周囲の大人はさ」
「でも……」
「那美さんはそれでいい。今は那美さんがいてくれて良かったと思う。でもだからこそ、俺は言うぜ。またこんなことを繰り返してたら、今度こそ潰れちまう」
「…………」
今回は偶然がいい方向に働いてくれただけ。もし那美がユーノを助けていなかったら。ユーノが八束神社に来ていなかったら。もし八束神社が無人だったら。いろんな『もしも』があり、そして那美がユーノを見つけて助けたという事実は、本当に色んな偶然が、本当に偶々都合よく作用しただけに過ぎないのだと。
死んでいたかもしれない。
冬の深夜から早朝。最も冷える時間帯だ。しかも大雨。ずぶ濡れで倒れていたら、凍死してしまってもおかしくなかった状況。小さな怪我をいくつもこしらえ、走りまくって体力も限界をとうに迎えていた身。冗談ではなく、死の危険に晒されていたのだ。その事実を、勇吾には軽んじることなどできない。
まだ衰弱した体だ。説教なんて酷なのはわかっている。もし那美がおらず、勇吾だけだったら、さすがに説教まではできなかったかもしれない。そしていつまでもここに置いておくわけにはいかないのだから、いずれ恭也やクロノに引き取られ、ユーノは帰っていく。こんな危険な行動をしてしまうユーノを、何の根本的な解決もできずに帰してしまうということ。
だから本当に、運が良かった。
ゆえに、この機会を逃すわけにはいかない。
「どのみち、ユーノくんとはまた直接会って話そうって約束してたしな。予定外だったけど、ちょうどいい」
「……そうですね」
嫌われる覚悟を決めるしかない。ユーノはそんな観念した思考を抱いた。
けれどどこかで、勇吾は違うとも思っていた。1週間前のあのとき、嫌わずに許してくれた勇吾だからと。
そしてユーノは話した。
どうせ嫌われるかもしれないのならと、魔法も次元世界のことも打ち明けた。シールドやバインド、そして変身魔法を見せれば、さすがに勇吾も那美も久遠も信じないわけにはいかない。ただ、彼らは驚きはしたが案外すっと受け入れてくれたことが不思議だったけれど。
自分が放浪の一族の出身で、孤児であること。一族は死別だと言うけれど、実は捨て子であろうと思っていること。一族が発掘した危険なものが輸送時の事故で海鳴にばら撒かれてしまったこと。そこで1人回収に赴き、重傷を負い、そこでなのはに助けを求め、そしてなのはが助けてくれたこと。ジュエルシード事件、そして続く闇の書事件。そしてそれから2年のこと。無限書庫の現状や、そこで経験してきたこと。何度も倒れたこと。さすがにフェイトのプライベートのことなどは話さなかったけれど、話せる限りの一切をユーノは思いつく限り喋っていった。一度喋り出せば、後は容易いとばかりに。開き直っているなと、自分のことを第三者が見ているかのように思いながら。
そして最後に、なのはの事故のことを。なのはのプライベートな話になるので、これを話すかはさすがに迷ったが、しかしこれを話さないことには今回の自身の行動の説明はできないので、なのはには申し訳ないけれど話した。
途方もない話だろうけれど、そのすべてを勇吾と那美は余計な茶々は入れずにずっと聞いてくれて。久遠は途中で眠ってしまったけれど、それはともかく、すべてを話し終えると、那美がお茶を出して一呼吸入れて。
湯気を出すお茶の入った器を両手で足の上で握り締め、ユーノは黙って2人の反応を待った。
もう何でもいい。罵倒でも侮蔑でも。いっそここから放り出してくれても構わない。
それだけのことをしてしまった。そう思っているのだから。
「……それが、あの聞いているだけでこっちの身体まで引き裂かれそうな謝罪の理由か」
「…………」
勇吾も那美も、すぐには言葉を発せなかった。ユーノが魘されながらずっと謝る様子に異常だと思い、怖気さえ感じるほどだったけれど、それも当然だろう。彼らが考えている以上に、ユーノが抱える闇は根が深かった。
「まず最初に言っとくぜ」
「……どうぞ」
もう身構える必要もない。ユーノは目を閉じ、殴られることも覚悟の上で。
「馬鹿野郎」
「うくっ!」
頭に軽い衝撃。どうやら拳骨を食らったらしい。
が、覚悟していたほどではない。ちょっと痛い程度だ。ユーノは恐る恐る目を開き、勇吾を見た。
「君が何でそこまで嫌われることを恐れるのか、何で自分を軽視するのか、それはわかった。完璧主義の理由も。けどな! なんでそこでそんな親を庇う?」
「……僕は、実際に至らないことばかりですから。両親が捨てたっておかしくはありません」
「至らないことばかり? そりゃ至らないだろうさ。当たり前だ」
「そうですよ」
那美もが勇吾に同意を示す。静かな怒りを宿して。そうだろうとユーノは頷く。やはり自分の考えは間違っていなかったのだと、そう確信を抱くに至ろうとして。
「親がいない。それを教える親がいないんだ。そりゃ至れるわけがない」
「え?」
前提が逆なのだと、勇吾と那美は強調した。
ユーノはそれでも言う。教えてもらってばかりでは社会では通用しないと。学生時代は教えてもらう立場でいいかもしれない。けれど社会に出ればそれは通じないのだと。社会に出れば、もう教えてもらうだけの学生ではない。働いてお金をもらう立場ならば、学生とは違い、自分から学んでいかなければならない。自分から教えて欲しいと言い出していかなければならない。ある程度の教育は必要だから教えてもらえもするし、そういう教育体制も必要だけれど、自分からも積極的に学んでいかなければならない。それが学生と社会人の差だ。
だが勇吾や那美はそこがすでに異常だと思う。勇吾も那美もまだ大学生だ。大学の費用を払っているから、教えてもらう権利がある身。それでもバイトをしているからわかる。教えてもらうばかりではいけないのだと。けれど勇吾や那美がまだユーノの年齢の頃など、そんな必要はなかった。まだまだ子供で、好き勝手を言っていた。どんなに優秀だったとしても、当時は完璧主義を通して優等生でいた勇吾でさえも、実際は親に教育費を払ってもらって育ててもらっていた腕白小僧に過ぎない。
次元世界と地球の文化や考え方の違いだから仕方がない部分もあるだろう。しかしそれを含めても、勇吾と那美には受け入れ難かった。
あんな身を引き裂かれるような謝罪と罪悪の念を、わずか11歳の子供に感じさせる文化や風習など間違っている。
「嫌われるのが怖い。それは前の電話の時にわかったことだけどな。だからって君は許し過ぎだ。怒れよ、そんな親! 怒鳴れよ! 何で許すんだよ!」
「……そんな、できませんよ」
「どうしてですか?」
「こんな僕を、産んでくれたんです。それは感謝すべきことですから」
「……お人好しにも程があるだろ」
「本当に。優しすぎですよ、ユーノくん」
どうしてこんな、いっそ残酷なまでに優しく育ってしまったのだろうか。勇吾も那美も、それだけ育てたスクライア一族が心優しい人たちだったのだろうと思うけれど、けれど今はその優しさを少し恨まずにはいられなかった。親を憎み、世を恨んでしまうよりかはいいかもしれない。ただここまで来ると、そっちの方がマシだったのではないかとさえ考えてしまう。
嫌われることが怖い。それは親に捨てられたことに端を発するトラウマだ。だからユーノは優しく人に接した。嫌われないように、嫌われないようにと。間違っていると言われれば謝って。そこに矛盾や間違いを見つけようと、とにかく謝った。そうでないと嫌われるからと。誰かの頼みは拒まなかった。拒めば嫌われるから。例えその1回で終わってしまうような相手であっても、どこからどう次があるかわからないではないかと。ある1人への対応が、親しくなった別の誰かに伝わって、どうなるかわからないではないかと。
きりがないことはわかっている。でも嫌われたくない。だったら、こうするしかないではないか。
それが親しくて、本当に嫌われたくない相手ならば尚更。
「だから……なのはちゃんの今回の怪我も、自分のせいだって言うんですか?」
「……僕がなのはに助けを求めなければ、なのはは魔法と関わらずに済んだんです」
「わからないぞ? なあ、那美さん?」
「え?」
「私は、魔力と同じかどうかはわかりませんが、霊力っていう力を持っています。この久遠も、妖の一種。さっきのお話の中にあったジュエルシードとか闇の書とか、たぶん、2年前の春頃と冬頃という時期からしても、間違いありません。私、そのときすごい異変を感じていましたから」
感じただけですけど、と那美は苦笑いを浮かべる。それでもユーノは呆然として那美を見ていた。
あのときはすべて人払いの効果のある結界を張っていたはずだった。壊された建物なども魔法で修復しておいた。なのにどうしてと。もちろん、どうしてと問われたところで那美にも説明はできないけれど。
「だからなのはちゃんがそんなすごい魔力を持つ、あ~、魔導師、だっけ? まあ、魔法使いだよな、要は。なのはちゃんなら、気づいていたんじゃないか?」
「…………」
ユーノに否定することは、できなかった。
実際、なのははユーノの念話を聞きつけて助けに来た。念話に反応するのだから、ジュエルシードや結界にも反応することはできただろう。何しろ魔力とは違う霊力を持っていた那美でさえ異変を感知はしていたのだ。同じ魔力を持っていたなのはならば、感知できていたところで当然というもので。
加えてなのはは感覚派の魔導師だ。理論派のユーノやクロノよりも、一層魔法への感覚は優れていると言える。その鋭敏な感覚が逃さないのではないか。
とは言っても、それらはすべて可能性。そうかもしれないという話でしかない。
ユーノがなのはに助けを求め、だからなのはがやって来た。その事実に変わりなどない。だったら、ユーノの責任であるというユーノ自身の持論には、何らの変化も齎すものではない。
そう言うと、勇吾も那美も困ったように顔を見合わせた。少なくともユーノの論理力は自分たちをはるかに上回る。年上として情けなくもなるが、これは認めなければならない。タチの悪い強敵だと。
「なのはちゃんがいなければ、フェイトちゃんとはやてちゃん、2人が助かることもなかったかもしれないんだ」
「かもしれません。でもそうじゃなかったかもしれない。クロノたちがきちんと助けた可能性もあります」
「まあ、そうかもしれないんだけどよ」
「先輩……」
簡単に言い負かされてしまう勇吾に、那美がジト目を向ける。
「……じゃあ、那美さんどうぞ」
「そこで丸投げなんですか!? えっと……あのね、ユーノくん。なのはちゃんは魔法を使えるようになったから無力感から解放されることができたんですよね? それは悪いことではないんじゃないでしょうか?」
「それについても、アリサとすずかだっています。何より恭也さんだっています。別に魔法である必要はないんです。人を助けることができるのは魔法だけじゃない。なのはは自分でそれを見つけていた可能性だってあるんです」
「……先輩」
「那美さん、弱っ!」
「だ、だって!」
アタフタする年上2人であるが、ユーノは別にそれを馬鹿にするわけでも何でもない。ただじっと手元のお茶を眺めているだけだ。答えれば答えるほど、口をついて出てくる言葉、その自分の言葉に、ユーノの心はダメージを負っていく。元々心の中にあった考えだ。それが言葉になって出てくることで、耳に入り、そして一周して心に突き刺さっていく。これ以上ないほどの滑稽な悪循環。
「なのはちゃんが時空管理局ってところに入ることにしたのも、自分で選んで、そして士郎さんや桃子さん、高町も許したことだろ。それもか?」
「人間、自分で決めたつもりでも、実は周囲の環境がそう答えるしかない状況だったってこともありますよね?」
「……それはそうですけど、でもなのはちゃんの意思はどうなるんですか? なのはちゃんの意思は操られただけのものだと、ユーノくんは思ってるんですか?」
「……それは」
リンディやクロノたちにその気はなかったかもしれないけれど。
――『それになのはは、求められれば応える子だ』
リンディやクロノは実際になのはの入局を勧誘した身だ。なのは自身もそれを求めたが、請われることで、そして魔法を活かせるところが時空管理局だと思ってのことで、なのはも決意したのだ。
けれど、魔法を活かせるところが、人を助けられるところが、時空管理局だけというわけではない。
フェイトはともかくとしても、なのはは次元世界のことをほとんど知らない立場だ。時空管理局以外の組織もほとんど知らない。それに初めからなのはは武装隊、つまり戦うことを主眼に置いた部隊を推薦されていた。そこが一番あなたの力を活かせるのだと言われて、ほとんど知識もないのだから、なのははそれを選んだようで実は選ばされただけなのだとは言えないだろうか。
とは言え、なのはも何も考えないほど愚かな子ではない。
戦うということは傷つくこと。傷つけること。実際に戦った身として、それがわかっていないとは思えない。
ましてや。
「なのはちゃんが目指していたのは高町だろ?」
「さすがに、わかりますよね」
「そりゃあなあ」
「なのはちゃん、高町先輩のこと大好きですもんね」
あからさますぎるほどに、呆れてしまうほどに。なのははお兄ちゃん子だ。
そして恭也は戦う人。夏でも長袖長ズボンでいるが、それは体中に刻まれた傷を隠すためだ。なのはは家族だからそのことも当然知っている。その傷は、ほとんどが普段の鍛錬でついたものであるが、いくつかは実戦で刻まれたものだ。その背中を見てきたなのはだから、戦うこととは自身がこうなることだと理解できているだろう。そして恭也のことだから、膝のこともその経緯も、なのはには話している可能性は高い。
「誘導されたものであれ何であれ、なのはちゃんの確固たる意志がそこにはある。それに関してもユーノくんが責任を感じるのは違うだろ。それはなのはちゃんの意志に対する無礼なんじゃないか?」
「……だとしても、なのはが魔法と出会ったきっかけは僕です。それは事実なんです。なら僕には責任があります」
「なのはちゃんが助けなかったら、ユーノくん、死んでたかもしれないんですよね?」
「それでもです」
「そんな……!」
那美が正座を崩してユーノの手を今度こそ強く握った。その拍子に器が落ちて中身が布団にかかってしまうが、そんなことを那美は気になどしていられない。
自分の命でさえも、他人第一のユーノの前には二の次になってしまう。
ようやく、那美も理解した。確かに勇吾の言う通り、ここでユーノに深く根付く闇を少しでも何とかしないと、本当にユーノは自分の命さえも捨ててしまいかねない。だから、「ありがとうございます」と笑ってゆっくりと那美の手から離れるユーノに一層の危機感を抱く。
「……なあ、ユーノくん。この前の電話で俺が完璧主義の話をしたこと、覚えてるよな?」
「……はい」
もちろんユーノは忘れてなどいない。ただ、顔を逸らしてしまう。それを言われると痛いからだ。
――『俺はな、ユーノくん。別に完璧主義が悪いとは言わない。ただな、何にでも完璧であろうとすることだけはやめとけ。身が持たない。持つわけがないんだよ。高町やなのはちゃんたちの話を聞いてると、君は俺以上に器用みたいだからな』
今のユーノは、自分がしていることが一種の完璧主義を貫こうとするものだと自覚している。1週間前に認識させられた以上、もう知らないフリも気づいていないフリもできなかった。
嫌われるのが怖いから、ユーノは人との付き合い方、関係では完璧であろうとした。頼みを拒まないし、機嫌を損ねないように顔色を伺い、怒られたらどんなに理不尽を感じても謝る。責任などなくても、責任らしいものを探してきてでも負おうとする。
けれど。
この前は反論などできなかったものの、今は違った。
「僕だって別に何でもかんでもに完璧主義であろうとはもう思っていません。まだまだこの癖は抜けないけど……」
「そりゃそうだろうな。俺だってすぐに改善して見せろなんて無茶な言わない。けどな――」
「でも! これだけは……なのはたちとの関係だけは! 完璧でないといけないんです!」
「……嫌われるのが怖いからか?」
「怖いですよ! 怖いに決まってるじゃないですか!」
フェイトに嫌われることも、はやてに嫌われることも、他の誰であっても。
そしてその中でも、なのはには。なのはには、絶対に嫌われたくない。好意を抱いているからというのもないわけではないが、それとは違う。
この仲間の絆は、そもそもなのはを中心としたものだ。
実際、なのはの様子がおかしくなることで、仲間内は不安定に揺れ始めた。そして今、なのはが堕ちたことで、仲間たちはみな例外なく落ち込み、絆には大きなヒビが入った。なのはがかろうじて一命を取り留めてくれたおかげで崩壊だけはしなかったが、なのはが死んでしまっていたら、この絆は間違いなく崩れ去っていただろう。
「……わかったか、那美さん?」
「……はい」
が、そんなユーノの必死さに対し、勇吾も那美も顔を顰めた。
「もう1つ。これも言ったよな。君は『依存』しているってよ。特に、どうやら君はなのはちゃんにとりわけ執着してる」
「っ……」
「それだけ大切なんだということはわかりますけど」
「大切ですよ。命を救ってくれた恩人で、僕を友達だと言ってくれて、心配してくれて、頼ってくれて……僕なんかを――」
「コラ」
「っ」
「せ、先輩!」
再び軽い拳骨が入る。そんなにポコポコ叩くものではないと那美がすぐに割って入るものの、勇吾の不機嫌な顔は直らない。ユーノも『なんか』という言葉が禁句だったことに気づき、那美に構わないと伝えるけれど、那美は怒った顔を勇吾に向けたままだ。
ユーノが『依存』しているのは仲間たちとの絆だ。フェイトが仲間に頼るタイプの『依存』で、ユーノは仲間に頼られることに充足感を持つタイプの『依存』。能動的と受動的の違い。どちらにせよ、嫌われてしまえば終わりであることに変わりはない。
「人との関係で、完璧を目指すことがどんだけ難しいか。心でも読めなきゃよ」
「読めたところで大変なことに変わりないですよ。求めるものは人それぞれなんです。都度合わせていってたら、自分が維持できませんよ」
「でも……!」
実際に完璧を目指した勇吾が、たった1つの綻びを修正できずにすべてを失い、荒れてしまったと聞いている。その勇吾がこう言うのだから説得力がある。
それでもユーノは言葉を続けようとした。例え見知らぬ誰かにまではそこまでできないとしても、なのはたちだけに限定さえすれば。それならば、何とかできるんじゃないかと。だがそんな、常ならばユーノらしくもない楽観的な思考は、勇吾に簡単に封じられる。
「実際、ユーノくんは、俺の忠告、聞けてないよな?」
「そ、それは……」
「まあ、なのはちゃんと俺じゃあ、ユーノくんの中での比重が違うんだろうけどな? ん?」
「うぐ……」
「先輩。こんな純粋な子をからかうなんてひどいですよ?」
ユーノはもうほぼ平熱に近づいて赤みが落ち着いた顔を再び別の意味で染める。どうやらフェイトやはやてにわかりやすいと称されたなのはへの好意は、この年長者たちにもバレバレらしい。
微笑ましい年下の少年の恋に、少しばかり勇吾と那美にも微笑が浮かぶ。それでいいのだと。子供なんだから、そういう純情に素直に反応して、気の赴くままに動くくらいがちょうどいいのだと。他人を慮るばかりで、気を遣って、自分を二の次にしてなんて、そんな大人の真似事をこんな小さなうちからする必要はない。行き過ぎたときは大人が嗜めればいい。それが大人の役割なのだから。
ユーノにも、まだちゃんとした、こんな微笑ましい一面がある。人として持っていて当然の、そして勇吾や那美からすれば、こんな素直で優しい子には是非とも持っておいてほしい心を持っていてくれることが嬉しかった。
だからこそ、この子を何とかしたいと思う。こんな優しい子の心に巣食い続ける闇を憎み、払いたいと望む。
「何にしたって、もう君がなのはちゃんと出会った事実は変わらないんだ。責任を感じる必要なんか俺にはないように思うけど、どうしても責任を感じるのなら、なのはちゃんを支えてやらないといけないだろ?」
「もちろん、そのつもりです」
「だったら、『依存』はどうしたって直さなきゃならない。言ったろ、『依存』するってことは、拠り所にしているということなんだ。支えようっていう君がなのはちゃんに縋ってどうすんだ」
「っ!」
息が止まった。それくらい、勇吾の指摘はユーノにとって思いもしなかったことだった。
依存するということ。それは縋るということ。支える側が支えられる側に依存しているのではあべこべだ。今のなのはに縋るなんてとんでもないこと。これ以上の負担をなのはに与えようとしている。
言葉を失い、ユーノは勇吾から視線を外し、力なく俯いた。足の上の手にも力が入らず、完全に心ここに在らず。
(……最低だ、僕……)
無意識のうちになのはに助けられた海鳴臨海公園の森の中に辿り着いていたこともそうだ。あれもなのはに縋っていたことの何よりの証明。そんな自分を、醜いと思ったのに。なんて浅ましい、なんて愚かしいと。そう思ったはずではないのか。なのにここにきて、まだ自分はなのはに縋ろうとしている。まったく成長がない。まったく変わっていない。それどころかもっともらしい理由を並べ立てて、励ましてくれている優しい人たちを理屈で退けようとして、そのくせ傷ついているフリだけは見せて。そのすべての事実がユーノを苛んだ。
ああ、だから両親は捨てたのだ。両親は実に正しかったのだ。こんな子供、おぞましくて自分の子供と認められるわけがない。嫌われて恐れる以前に、嫌われて当然だったんじゃないか。
――こんな最低な奴、死んでしまえばいい。
ユーノの心はそこまで落ちようとしていた。
けれど。
幸いなことに。
ユーノの心を引き上げるものがあった。
「……?」
まったく気づかなかったけれど。
先ほどの温かい感触に包まれている。目を開けたけれど、視界は何かに覆われていてわからない。背中と後頭部にも何かが触れている。これは、人の手だろうか。
「……え?」
ああ、抱きしめられているのか。
ようやく、現実に意識が戻ってきて、まるで他人事のように認識して。
それともう1つ。
手が、何か大きなものに包まれていることにも気づいて。
「何を考えていたか何とはなしに想像つくけどよ……!」
「ダメですよ。自分を捨てるなんて。絶対にダメですよ……!」
那美が、また抱きしめてくれていた。
勇吾が、手を握り締めてくれていた。
2人の温かさと力強さが、ユーノを現実に引き戻してくれていた。
那美も、そして勇吾でさえも、今のユーノが浮かべていた顔には寒気を、怖気を感じていた。咄嗟に今の状態にするために動いたほどだ。
ユーノはわかっていないけれど。今のユーノが浮かべていたのは、まさに絶望そのもの。2人から見れば、『絶望』という言葉を聞けば、今後は今のユーノが当面の間は浮かんできそうなほどの衝撃。いや、おそらくは一生今の顔が頭から離れることはないだろう。
「……ごめんなさい」
「…………」「…………」
謝るなと。そう勇吾は言いたかったけれど、言ったところで今のユーノには通じないとわかってしまって。
勇吾は恭也にそっと内心で恨み節を唱える。なんて大変な子を任せてくれたんだと。
そして、ユーノを捨てた、次元の彼方という途方もつかないほど遠い世界のユーノの両親へと怒りをぶつける。自分の子供にこれほどの深い闇を植え付けて、お前らはいったい何をやってるんだと。
さらに。この上、ユーノからなのはを奪おうとする者に、殺気すら籠った思念を送りつける。お前らは絶対に許さないと。
もちろん、今の勇吾に恭也以外をどうこうできる力はないけれど。あったところで次元の壁を超えることなど、土台無理な話だけれど。けれどこの憤りをぶつけないわけにはいかなかった。
ただ、恭也に対しては仕方がないと諦める。恭也は滅多に人を頼らない。悪い癖だと言っているが、何かと自分が一番の重荷を背負おうとする馬鹿なのだ。ある意味、ユーノに似ていると言えば似ているかもしれない。
そんな恭也が、勇吾を頼った。
その重い信頼に、今ばかりは勇吾も参ってしまうけれど。それでも応えたいと思うのは、自分も大概お人好しなのかもしれないなと苦笑が漏れる。
再び勇吾は真剣な表情で目の前の少年に向き直る。握り返してくることはなく、那美の腕の間から見えるユーノの目は、若干の光こそ取り戻したものの、この手を放せば、抱きしめる腕を緩めれば、途端に闇に飲まれてしまうようにしか見えない。だから勇吾も那美もその手を、腕を、離すことはなく。
「ユーノくん。これも覚えてるか? 強くならなきゃなって言ったことをよ」
「……はい」
「ごめんな。あのときもだけど、俺の認識が甘すぎた。きついこと言ってごめんな」
「いえ、謝らないでください。僕は、本当に嬉しかったんです」
「そっか」
「はい」
「なのはちゃんたちと、本当の、本物の絆を、作りたいんだよな?」
「……はい」
「だったら、今がその時だ。そうは思わないか?」
「…………」
そこで初めて。ユーノが勇吾の手を握ってきた。
怖い。
そう言っているのがわかる。だから勇吾もそれに応えて少し力を籠めてさらに握り返して。
「怖いよな。失敗するかもしれない。俺もそうだった。実際に嫌われたときは、そりゃきつかった。大丈夫なフリしてたけど、そりゃあつらかったもんさ」
「先輩……」
「けど、ユーノくん、君も男だろ。ここで踏ん張ろうぜ。俺にできたんだ。高町や月村、そして那美さん。他にも美由希ちゃんだってそうだ。もっといるぞ。ここまでのことを、俺だってできたんだ。俺より器用な君なんだ、絶対にできる。断言するぜ」
「…………無理、ですよ」
「無理じゃない」
「無理ですよ」
「無理じゃない」
「無理ですよ!」
「無理じゃない!」
変な言い合いが続く。那美がどうしたものかと戸惑うも、何だか2人が意地の張り合いをする兄弟のようにも見えて。手間のかかる弟がまるで2人いるようにも錯覚しつつ、ユーノを抱きしめ続ける。
「よし、わかった! じゃあ俺だけじゃなく、那美さんもいる! これならどうだ!?」
「……え?」
「いや、『え?』じゃなくて。てか、何だよ? やれよやれよと言っといて、俺があとは放置しとくとでも思ったのか?」
「…………」
「思ったんだな」
「あ、い、痛い! 痛いです!」
「先輩、ちょっと!」
「いやいやいやいや、これは許せないだろ~。オラオラ」
「ああああ、痛い痛い痛い痛い!」
ユーノの両手を握ったまま、握手の要領でユーノの小指の付け根のあたりの骨をコキコキと弄る。剣道で鍛えている手だ。竹刀タコの潰したデコボコな手の握力は、実は恭也にも負けず劣らず。結構な力を入れているのでユーノにはそれはそれは痛かろう。だがお仕置きなのだから痛くないと意味がない。那美が痛そうにうわあという顔をして勇吾にやめてあげてと訴えるも、しばらくは続ける。
「うう……」
「大丈夫ですか? ホントひどいですよね、先輩は。よしよしです」
「……えっと、あの、神咲さん? その、ちょ、ちょっと、さすがに、恥ずかしいんですけど……!」
「名前で呼んでください。先輩のことは名前で呼んでるのに私は苗字なんて、何だか寂しいじゃないですか」
「ええっと! その……那美さん、でよろしいでしょうか?」
「はい~」
「…………」
「あいたっ!? え、あの、僕まだお仕置きされるんですか?」
「いや、ちょっとした嫉妬だよ、色男めコンチクショウ」
付き合って結構経つが、ハグをしたことはあってもされたことはない。しかもユーノは胸に顔を持って行かされているわけだから、どうしたって男にすれば羨ましいことになっている。まあ、これは言えないことだが、あまり胸は大きくないのだけれど。言ったら1週間は口を聞いてくれないだろうし、物凄く気にしてるのは察しているから言わないけれど。
色男の赤星勇吾が少年のユーノに嫉妬するというのは、知る人が見れば非常に珍しい光景なのだが、この中にそれを知る者はいない。
と、少しばかりそんな悪ふざけをして。ユーノの目にようやく光が戻ってきたのを確認する勇吾と那美。抱きしめからは解放するが、今度は那美がユーノの片手を握り締めて離さない。
「できそうか?」
「……わかりません。でも」
怖いことに変わりはない。できると言えるほど、自分に自信がない。と言うより、自信などあったらそもそも『依存』などしないわけで。
それでも。
ユーノは自分の手へと視線を落とす。右手を勇吾に、左手を那美に握られているのを目にして。
この温かさがあるのなら。この手が支えになってくれるのなら。
「……頑張ってみようと、思います」
まずはなのはに会いに行こう。謝るなとは言われているし、なのはもきっと困るだろうけれど、謝ろう。そして、なのはを支えられるように、まずはこの『依存』を少しずつでも解いていこう。
強く、強くなるために。
強くなって、本当の意味でなのはを支えられるように。
おまけ
ちなみにその後。
「おし、ユーノくん。ずっと食べてないわけだし、腹減ってないか?」
「……その、正直、かなり」
「食欲が出てきたんですね。良かったです」
「よっしゃ。じゃあ、何か出前でもとるか」
「先輩、さすがに病み上がりに出前は……」
「まあ、そうだよなあ。となると、何か作るか」
「そうですね。私も腕によりをかけて作っちゃいますよ!」
「……ん? 那美さんが作るのか?」
ただでさえ保護してもらっている身なので、そんな大したものは恐縮なので断ろうとしたユーノだったが、今更この2人がそんなユーノの気遣いを受け取るわけもなく。
勇吾の実家は寿司屋で出前もやっている。さすがにピザだのラーメンだのは病み上がりの身にはきついだろうと思ったので、実家の出前でもと思った勇吾。とは言え、寿司もやはりきついかと思い直し、ならば数々のバイトで鍛えた腕を披露するかと腕まくりをしたところで、那美も勢い込んで立ち上がってきた。
そこで勇吾が微妙な顔をしたものだから、ユーノは何となくそれで察した。何しろその顔は、恭也が美由希に対して浮かべる顔ほどではないとは言え、同じ雰囲気を醸し出しているからだ。
「確かに苦手ですけど! でも練習してるんですよ、これでも!」
「いや~、確かに那美さんの料理は上手くなってんだけど。あ~その、当たり外れの差が激しいと言うか……」
「……あの、本当にお構いなく」
「病人さんは黙っていてください」
「はい……」
「本当に大丈夫か、那美さん?」
「大丈夫です。美由希ちゃんよりかは絶対ですよ」
「そこで美由希ちゃんを引き合いに出さないでくれ! 途端に不安になるって!」
「…………」
『僕、戻れるのいつになるんだろうか』と、美由希の料理をたった一度だけ経験したことがあるユーノは、それから数日倒れたことを思い出し、遠い目を浮かべるのであった。
そして。
ユーノは勇吾が作った料理を食べて無事であったが、勇吾は那美の作ったものを食し、案の定、ユーノの悪い予感が当たって1時間ほどトイレに籠もることになるのである。
後にそれを聞いた恭也は……。
――『1時間で済むのなら御の字だ。美由希なら最低でも1日中だぞ。トイレと布団を行き来する1日を想像してみるがいい。〝薙旋〟で復讐を果たすくらいは当然だと思えるようになる』
――『はい、すいません』
――『何のフォローにもなってませんよ、高町先輩!』
――『恭ちゃんの嘘つき! 〝薙旋〟どころか〝閃〟だったよね、アレ!? 勇吾さんももうちょっと救いはないの!?』
――『まあ、あのゲテモノはねえ……ていうか毎回思うんだけど、那美ちゃんも美由希ちゃんも味見しなさいよ、お願いだから』
それを聞いていたすずかは、姉の言うことが久しぶりにもっともだと思ったそうである。