リリカルなのは ANOTHER LOCUS   作:ウルフ中隊

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LOCUS 9-2

 

「フェレットもどき。僕は上を目指す」

 

 無限書庫を訪れたクロノは、開口一番ユーノにそう言った。訳が分からず唖然とするユーノを前に、まずは次元航行隊の提督になると宣言して見せる。

 突然のことに、ユーノは目を瞬かせた。

 

「いきなりどうしたのさ?」

「これを見ろ」

 

 ソファーではなく、自分の机に座ったままのユーノのそばにやってきて、クロノは報告書らしい書類を差し出した。唐突に突きつけられたそれに、ユーノはわけがわからないままに受け取る。クロノと書類を交互に見てから、ユーノは怪訝に思いながらも書類に目を通していくことに。

 

「……無茶するね」

 

 ユーノは上目遣いでクロノを睨みつける。別に怒っているわけではない。ただ責めの色が入るのは仕方がない。もちろんそんなことで引くわけもなく、覚悟が決まったような目をしたクロノは、踵を返してソファーに乱暴に腰を下ろした。

 

「ミッド地上本部首都防衛隊第4部隊……ゼスト隊全滅のことは僕も聞いてる。なのはがデモンストレーションのために利用されたことも。そしてなのはを襲った戦闘機械がゼスト隊の前に現れたことも」

 

 ユーノが勇吾と那美の元から戻って来た際はまだクロノも言わなかった。しばらくしてからクロノはユーノに、公式にはまだ発表されていないゼスト隊全滅のことを教え、クロノに明かされていた遺品とでも言うべき資料を見せたのだ。その際に、なのはがなぜ襲われたのかもユーノが知るところとなった。これにはユーノも書類を机に叩き付けるくらいの怒りを見せた。もはやユーノ個人にとってもジェイル・スカリエッティは絶対に許してはならない対象となった瞬間と言えよう。

 それはともかくとして。クロノが提示してきた資料は非常に危険なもので。

 

「だからって、ゼスト隊が全滅した施設にたった1人で行ってたなんて」

「…………」

 

 クロノがここ最近、仕事を減らして1人で動いていたのはユーノもわかっていた。クロノが集めてきた情報とユーノが独自に無限書庫で調べた情報、それらの精査と分析。密かに協力することになったあの日以来、2人は仲間に隠れて動いていた。

 別に隠す必要はないかもしれない。ただ、明かせば仲間を心配させてしまうし、何よりフェイトやはやてたちもやると言い出しかねない。特にはやては時空管理局の体制を改善するために上を目指す意思を持っている。クロノとユーノが目指すところに共通しているから尚更だ。でも彼女たちにはなのはのそばにいてほしい。人や組織の汚い面を嫌でも知らされるようなことに付き合わせたくはない。そもそもにして、付き合わせたくないからこそ2人は『密かに』協力することにしたのだから。

 

「クロノ、やり過ぎだよ」

「わかっているさ」

 

 咄嗟に『わかっているさ、じゃないだろ!』と怒鳴って立ち上がるユーノだったが、クロノはやはりまるで動じず。それがユーノには腹立たしい。しばしユーノが睨みつけ、クロノはそれを無視して正面をじっと見据えているだけという無言が続く。先に折れたのはユーノだった。

 

「……これ、クロノがまとめたものじゃないよね?」

 

 机の上の資料へと視線をやる。クロノは無言のまま。ユーノはその態度を以って肯定と受け取った。

 

「今日行ってきたばかりで、すぐにこれだけの情報をまとめられるわけがない」

 

 実はクロノもユーノも、ゼスト隊の行動について、ずっと疑問符が取れなかった点がある。

 ゼストが近々行動を起こすというのはクロノが直に彼と会った際に聞いていた。だが彼が明かさなかったことが1つあるのだ。

 

――なぜ、性急に事を進めようとするのか?

 

 どうして事を急ぐのか?

 ゼスト隊だけでジェイル・スカリエッティのいる極秘施設に強襲をかけようとしているのはなぜなのか?

 なにゆえ、ミッドの地上本部、それも首都防衛隊所属の部隊が、別世界にまで赴くのか?

 その答えが、資料にあった。それはいい。見事な成果だと言ってもいい。

 

――『秘匿命令を受けていたゼスト・グランガイツが事を急いたのは、直属の上官であるレジアス・ゲイズ少将が戦闘機人に関する捜査を中止するよう圧力をかけていたためである。ゼスト・グランガイツはレジアス・ゲイズ少将との盟友関係に何らかの疑念を抱いており、圧力を無視し続けていたが、強まる一方である圧力に、いつ強引に捜査権限を剥奪されるかわからないことから、今回の行動を決断したものである』

 

 資料には概要としてゼスト隊全滅に至った経緯が簡略化して記されていた。次のページからその証拠となるデータや、捜査の中止を勧告する文書の写し、そしてゼストたちが受けていた妨害行為の数々が。

 

「グランガイツ隊長が性急に事を進めた理由。僕らが知りたかったことだ。それはいい。それはいいんだ」

 

 

 

 ミッドチルダ地上本部首都防衛隊副長官、レジアス・ゲイズ少将。

 現在、ミッドチルダ地上本部で最も勢いのある将官だ。武闘派で知られ、戦力強化を声高に叫び、本局や聖王教会と敵対する勢力の頭目。実際、強化された地上本部の首都防衛隊や陸上警備隊は、ミッドチルダ首都クラナガンを中心に急速に治安の回復を実現している。他世界の地上本部とも連携して戦力を融通し合うことで、不足する地上戦力を広範かつ柔軟に運用し、他世界の治安も回復傾向。これらの実績から最高評議会からの信頼も得ており、各世界の地上本部、さらに政財界や一般からの人気も高く、首都防衛隊の副長官でありながら実質的なミッドチルダ地上本部、いや、全地上本部の代表格とさえ認知され始めている。近く、その実績から中将への昇格も見込まれる身だ。

 その反面、常に黒い噂が絶えない。

 過去に時空管理局が進めていた人造魔導師や戦闘機人の研究開発――まだ違法とはされていなかった――に積極的に関わっていたことに端を発する。ここ最近では質量兵器とも見紛う巨大兵器『アインヘリヤル』を推進することもあり、人造魔導師や戦闘機人についても諦めていないのではないかという疑念が向けられていた。

 

 

 

 首都防衛隊所属のゼストからすれば、直属の上司とも言えるレジアス。そのレジアスが、人造魔導師や戦闘機人に関する捜査を行うことに対してゼストに圧力をかけていた。

 黒い噂からすればレジアスの方が人造魔導師や戦闘機人に関わっているように見えるが、彼はむしろ止めていた。これだけ見るとレジアスは違法開発研究から足を洗っているかのように見えるだろう。が、見方を変えると、レジアスはそれらに関わっているからゼストを近寄らせないために妨害しているのではないかという黒い噂に準じた疑いが生じる。

 だから、ゼストは権力を以って強引に止められる前に動くしかなかったのだろう。

 だが。

 それでさえも、今のユーノにはさて置いていい話だ。

 

「けど、これは何さ?」

「……見ての通りだとしか言いようがない」

「とぼけるなよ、クロノ」

「…………」

 

 常のユーノならばありえない言葉遣い。そんなものが飛び出すほど、ユーノは頭にきていた。そんなユーノが迫っても、クロノは目を閉じて動かない。座ったまま前屈みになって、顔の前で組んだ手で口元を隠して何事かを考えている。

 ユーノはわざわざ資料を机の上から持って来て、今一度クロノの前のテーブルに叩きつける。

 

「こんな危険な場所に1人で調査に行ったことは、敢えて問わないことにしても。こればっかりはそうはいかない。なに、この『秘匿命令』って?」

「…………」

 

 資料の中にサラリと何でもないことのように現れたその単語を、ユーノは見逃さなかった。

 もう1つの怒りもあるが、まずはこんな情報を、いったいどこから、どうやって、手に入れることができたのか。それを聞かなければならない。

 

「ストライカー級の魔導師を、直属の上司であるゲイズ少将も通さずに動かすことができる相手が関わっていたってことじゃないか。そんな大物、時空管理局と言えども限られる」

「だろうな。ゲイズ少将は首都防衛隊副長官ながら、実質的には長官どころか地上本部トップの本部長さえも上回る実力者。グランガイツ隊長が本局と密かに内通していたとも考えられない以上、ゲイズ少将さえも飛び越して彼に命令できるのは、現在の管理局の指揮系統から見て最高評議会か統合幕僚長くらいだ」

「理事官や顧問官もいるよ。彼らは形式上、時空管理局の部隊や部署に対する指揮命令権を持たないけど、一線を退いた局の高官や聖王教会、他にも各世界の政財界関係者が揃い踏み。得意とする分野では強い影響力を持ってる」

「グランガイツ隊長はストライカーで、騎士道精神も厚い。いくら理事官や顧問官が相手でも、理不尽な命令で部下を危険に晒すような人ではない」

「監視、されてたんでしょ? 人質みたいな、何か逆らえない理由があったとしたら?」

「……ナカジマ捜査官は戦闘機人の子供を保護して引き取っていたな、そう言えば。脅迫された可能性もあるか……いや、しかしそれなら『秘匿命令』の内容はプラント施設を強襲して戦闘機人の情報を秘密裏に回収しろ、といった後ろ暗いものになるはずだ。だがこの『秘匿命令』は強制捜査を命じている。捜査結果は公表される手筈だ。むしろやっていることは闇を暴こうとしているわけだから正しいぞ」

「確かに正しいよ。でもねクロノ、そうして戦闘機人が地上に回収されればどうなる?」

「……何が言いたい、ユーノ?」

「地上は戦力を求めてる。そしてゲイズ少将は元々戦闘機人を地上戦力として採用したがっていた。その野望が今でも生きているとしたら?」

 

 戦闘機人は倫理的にも許されない、生命操作技術による生体兵器。製造など以ての外だ。

 その戦闘機人を、地上本部は2体保護している。なのはの事故の直前にクロノとユーノが話していた通り、その2体の戦闘機人の遺伝子はゼストの部下であるクイント・ナカジマの遺伝子とほぼ一致。つまり、時空管理局の局員のデータが外部に漏れているということだ。おそらくは局員の健康診断などのデータだろう。採取した血液などをそのまま利用した可能性さえある。

 そして2体は犯罪組織が違法に製造。時空管理局が後に摘発して保護の名の下に回収。その後もメディカルチェックは欠かさず行っている。もちろん、そのデータは地上本部も厳重に管理しているわけで。

 

「製造は違法だから外部にやらせ、完成品を摘発という形で回収。その後、管理局で今後の対策のためという名目で解析して試験運用、そして実戦配備に繋げる。試験運用からはかなり強引ではあるけど、管理局が製造したわけじゃないからまったく法に反していない。違法な部分だけ犯罪者たちにやらせる。これでどう?」

「……最悪だ。ならグランガイツ隊長たちは、正しいことをしつつも、戦闘機人を戦力化するための回収をやらされていたということか? だからこその『秘匿命令』だと、そう言いたいのか?」

「あくまで僕個人の妄想だよ」

 

 妄想。そう言いながらも、ユーノはある程度の確信を抱いている。

 おかしいと思っていたのだ。地上本部の対応に。

 地上本部は、本局が魔導師を採用するに当たって、罪を犯した者であっても囲い込もうとする姿勢を非難している。実際、はやてに対する地上本部の態度は本局以上に厳しい。フェイトやはやてのことを名指しこそしないまでも、次元震を起こしかけたプレシアを糾弾し、闇の書事件で多くの局員を再起不能に追いやった闇の書を指弾し、その関係者に対する罪が軽すぎると、暗黙的に非難しているのだ。

 なのに、保護した戦闘機人に対する態度は穏やか過ぎる。身内の首都防衛隊の捜査官が引き取って自分の子供として育てることを静観しているなど、『違法な存在』に対する態度があまりにも優しいのだ。

 そこに、地上本部の思惑が見え隠れしていることを、ユーノは勘付いていた。

 一方で、ユーノが言ったことはクロノにとって寝耳に水だ。クロノはどこかで時空管理局がそんなに黒くはないと思い込んでいたことになる。自分が所属しているということもあるし、父や母も長年勤めてきた職場でもある。甘いかもしれないけれど『正義』を為すにはと、幼いながらに考えてクロノが選んだ道。その組織が、裏でそんなことをしていたなど、信じたくない。

 ユーノは民間協力者。だからかもしれない。クロノと違い、時空管理局を否定的に捉えることに、そこまで忌避感がない。こんな『妄想』を思いつき、クロノに推測として語ることができるくらいに、時空管理局を信用していない。

 

「仮にそうだとして、ならばお前はこの『秘匿命令』を出したのは誰と考える?」

「さっきクロノが言った通り、ゲイズ少将を通り越して命令できるのは最高評議会か統合幕僚長くらいだ。だとすると……最高評議会だろうね」

「それだとゲイズ少将がグランガイツ隊長の捜査を妨害したことと矛盾するが……この資料が正しいとするなら彼らは盟友同士。すれ違っていても、盟友が利用されていることに耐えられなかったというところか」

「はあ~~~~」

「でかい溜息だな」

「当たり前でしょ。こうもなるよ。よりにもよって管理局トップの最高評議会の可能性が出てきたんだよ? 冗談じゃないよ……」

「まったくを以って同感だ」

 

 まさか、ここまでとは。

 それが2人の共通した心中である。

 時空管理局の『裏』を感じていて、それを変えてやる、正してやるとは思ったものの、まさかいきなりこんな大物に行き着くとは。

 最高評議会は基本的に時空管理局の運用について口出しはしない。トップとして方針や重要な案件を議論して時空管理局の方向性を決めるが、後の運用にまでいちいち手出しをしないのだ。それが表向きであって、実は裏で暗躍している可能性が出てきた。そして今、クロノとユーノの前に彼らの影がチラつき始めた。それも味方かどうか疑わしい状態で。ユーノの大仰な溜息ももっともだろう。そう、クロノを恨みがましく睨みつけることも。

 

「グランガイツ隊長は『秘匿命令』だからこそクロノにも喋らなかった。そんな『秘匿命令』を、この極秘施設に調査に行ったら偶々見つけたとでも言う気?」

「……さすがに苦しいな」

 

 鼻で笑うクロノ。

 『秘匿命令』なのだから、ゼストくらいの人物であれば周囲に漏らす真似はしまい。そんな命令書、あったところで厳重に保管しておくか、見た直後に処分するだろう。ゼストたちが遺したデータや資料にさえも、そんな情報はなかったのに。

 

「まだとぼける?」

「いや、観念するさ。どのみちお前に隠し立てするつもりはない」

 

 するとクロノは懐から何かを取り出す。封筒だ。それをユーノへ差し出した。ユーノはしばしじっと見ていたが、クロノはユーノの方を見ず、ただ封筒を差し出したまま。仕方なくユーノは受け取る。すでに封は開けてある。見ていいということだろうから、ユーノは少しだけ躊躇った後、手を差し込んで中身を取り出して。

 

「手紙……?」

 

 三つ折りにされた書類。それを開き、書いてある内容を読む。

 

「……何さ、これ?」

「僕が監視されていること、憶えているな?」

「うん。最近、僕も監視されてるようだけど」

「そいつだ」

「は?」

 

 当たり前だが、封筒にも手紙にも差出人の名前はない。クロノは法務部にあるクロノの執務室の扉に挟まっていたと明かした。

 ユーノは眉を顰めた。クロノの執務室に入るには、まず受付を必ず通さねばならない。不審人物が入れる場所ではない。だとすれば法務部の誰か。監視者が誰かはわからないが、法務部の人間かもしれないということだ。

 ユーノも自分が監視されていることは察していた。クロノが監視されていることを伝えたのはゼスト隊全滅などの情報を知らされたときのことだが、それからしばらく索敵魔法を1日ずっと張り巡らせたところ、チラチラとかかる反応があったのだ。相手はなかなかのもので、ユーノの索敵魔法をあっさりと見抜き、敢えて索敵限界距離のところを出たり入ったり。挑発されているようでもあり、自身の存在を知らせるかのようでもあった。

 

――『君が知りたがっていることを教えてあげよう。覚悟があるのなら来るといい』

 

 そんな文章の後に、クロノが行ったのであろう、ゼスト隊が踏み込んだ極秘施設の位置と、そして時間が書かれていた。とある無人世界で、時間は本日の1200時。

 

「クロノ」

「なんだ?」

「君、馬鹿だろ?」

「やかましい」

「罠とは考えなかったの?」

「……なのはの世界にこんな諺がある」

「『虎穴に入らずんば虎児を得ず』って?」

「最後まで言わせろ」

 

 溜息を何度吐いても足りない。それくらいユーノは呆れていた。腹に渦巻く怒りがあるが、今はそれよりもとにかくこの呆れを伝えなければ気が済まないのだ。

 

「罠の可能性はもちろん考慮した。だが回りくどすぎる。手を引けと言いたいのなら、次はお前の番だとダイレクトに示すか、フェイトやなのは、はやてたちを引き合いに出して身内がどうなっても知らないぞと脅した方が適当だ」

 

 クロノを誘い出して殺そうとしている可能性もあったが、クロノとユーノのことを監視していることからクロノとユーノが協力し合っていることはわかっているはず。ならばユーノも同時に呼び出さないとおかしい。事前にクロノがユーノに伝えて何かあったら後は頼むとでも申し伝えれば、それだけで暗殺がすぐにバレるのに。

 クロノの言う通り、回りくどいのだ。

 

「それで1人黙って向かったと。協力者の僕に何も言わずに」

「悪かった。だが唐突だったんだ。全て話すから大目に見ろ」

 

 そこでようやく視線を動かし、クロノはユーノを見て肩を竦めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クロノが訪れた第14無人世界は、最近試験的に入植が始まったばかりの世界だった。開墾し、居住地区を整備し、居住することへの問題がないかを確認して文明を築けるかどうかを決める。未発見の病原体などがいる可能性もあり、ある程度の危険性があるため、入植対象者にはそれを理解した上での同意が必要だが、結構な収入が得られるために意外と人気がある。可能と判断すれば移住計画が練られ、本格的な開発が進んでいくのである。

 

「敢えて管理局の灯台下暗しを狙ったのかどうか知らないが、傲岸不遜なことだな」

 

 ジェイル・スカリエッティにしても、呼び出した監視者にしても。

 クロノは普段からバリアジャケットに身を包んでいる。常在戦場というわけではないが、いつでも即応できるという姿勢を自分に戒めるためだ。

 だが監視に気づいてからというもの、クロノがバリアジャケットを常に纏う理由は奇襲からの警戒を兼ねてのものにもなった。そして今、クロノは右手にS2U、左手にデュランダルを構え、完全武装で四方八方の魔力反応を探っていた。近距離防衛プログラム『CIWS』は待機済み。なのはにはまだ明かしていない中距離防衛プログラム、さらに遠距離防衛プログラムも待機させてある。

 それを支えるための索敵魔法はユーノの組んだプログラム。クロノ曰く『反則』なくらいの精度を誇る。ユーノは『CIWS』をえげつないなどと言ってくれたが、そのえげつないプログラムの根幹にあるのは自分自身が組んだものだと知ったら、さてどう言うだろうか。いや、もう知っているだろう。

 

「ここか……」

 

 通路を歩いていたクロノはふと立ち止まる。床に血痕が残っていたからだ。もはや乾いているが、血痕は床だけではなく、壁にも天井にも飛んでいた。激しい戦闘だったのだろう。床は抉られ、壁には何かが炸裂したような焼け焦げた跡があり、天井には引き裂いたような傷がついている。壊れたデバイスや戦死した隊員たちの装備品などは可能な限り回収したようだが、細かく砕かれた破片までは回収しきれない。それが寂しく、あちこちに転がっていて。

 クロノは膝をつき、右手のS2Uだけを床に置いて、そのまま胸元へ。

 そして――黙祷。

 警戒のため、デュランダルまでは離せないけれど。

 

 

 

 クロノは今、ゼスト隊が全滅した極秘施設へとやって来ていた。

 

 

 

 ゼスト隊が強襲をかけた施設の位置情報は、残念ながらクロノに提供された彼らの遺したデータや資料にも残っていなかった。いや、残ってはいたのだろうが、壊れていたがためにその部分が復旧できず、わからずじまいだったのだ。独自に調査したが、ゼスト隊の全滅やゼストの死を今以ってひた隠しにする地上本部がクロノに情報提供するはずもなく、ゼストが独自に動いていたこともあって思うように結果が出なかった。ゼストたちも監視されていたため、監視者を警戒しながら動いていたから、余計に彼らの足跡が辿りにくかった。時折、隠蔽の跡ではないかと思われるものもあり、これが監視者の仕業かとも考えると下手に突くこともできずお手上げ状態。

 そこにきてあの手紙だ。

 

「……せめてフェレットもどきくらいは連れてきた方がよかったか?」

 

 ふとそんなことを考えて、すぐに否定した。

 まるで怖がっているようではないか。そう強がってみるものの、恐怖がないと言ったら嘘になる。信頼できる仲間が1人いれば、どれだけありがたいことか。

 

「フェイトにあんなことを言っておきながら、僕も弱くなったもんだ」

 

 1人でも自分を貫く姿勢。フェイトに説いた身だが、仲間がいることの頼もしさはクロノももう否定しない。かつては単独で動き回ってきて、こうして極秘施設への潜入捜査などもしてきたが、よくやれたものだと我が事ながら驚く。

 しかし、今はやはりユーノを連れてこなくて正解なのだ。そう自分に言い聞かせる。

 ユーノはなのはのそばにいるべき。こんな所に連れてきて怪我でもさせたら、それこそ申し訳ない。

 

「……すまない、なのは」

 

 つい昨日、なのはに対して言ってしまったことが頭をよぎる。その時のなのはの浮かべた表情を、クロノは忘れることはないだろう。事故以来、『笑顔』と『のっぺりとした無表情』しか見せなかったなのはが、戸惑ったような、怒ったような、そんな複雑な顔を見せた。それでも、『笑顔』と『無表情』よりはマシ。むしろそんな感情こそをクロノは見せてほしかったのだから。

 恭也には『決めたことなら謝るな』と諭された身。それでもやはり謝罪の念は湧き上がる。せめて誰もいないこの場でだけは許してほしいと、心の内でクロノは恭也に訴えかけた。

 

「――ふん」

 

 と。そこで。

 クロノは『誰もいない』なんてことはなかったなと思い直す。

 そして同時に、S2Uを再び取ってゆっくりと立ち上がり、黙祷のために閉じていた目を開く。

 

 

 

 目の前に、1つの黒い影があった。

 

 

 

 犬だ。黒い犬。目は青く、クロノがその瞳に綺麗に写るほどに澄んでいる。

 

「無限書庫に侵入したのはお前か」

『やはり、あの結界に捕捉されていたようだね』

 

 黒い犬の口が開くと、人語が飛び出してきた。別にそれには驚かない。目の前の黒い犬が魔力で形成されたものであることはわかっていたから。クロノが展開する、ユーノが組んだ索敵魔法がそう言っている。

 むしろ驚くべきは、警戒するクロノに気づかれず、この『反則』級の索敵魔法にも引っかからず、こんな至近距離まで来ていたことだ。

 しかし驚きは顔に出さない。そのくらいは裁判などで慣れている。

 

「答えは期待していないが、一応聞いておこう。お前は誰だ? どこの回し者だ?」

『う~ん、それは内緒』

 

 お茶らけた態度。挑発のつもりだろうか。が、そのくらいで心を乱すクロノではない。

 

「やはり答える気はないか……ならば別の質問だ」

 

 これは答えてもらうぞとばかりに、クロノはS2Uを突きつけて。

 

「僕を監視している、お前とはまた別の奴。お前とお前のバックにいる者たちとはどんな関係だ?」

『……へえ』

 

 犬が驚いたような仕草を見せる。魔法で召喚した獣にそこまでのことができるとは、なかなか芸に凝っている。

 クロノは気づいていた。

 

 

 

 自分を監視する者は、少なくとも2人いる、と。

 

 

 

 敵対しているのか、それとも単に監視を2人付けただけのことか、それはクロノもわかっていない。だから敵対しているような言い方をしたのは単なるハッタリに過ぎない。

 

『よかったら教えてくれないかな?』

 

 ニヤリと、犬がワラった。本当に芸達者なことだ。クロノは今度は不愉快を隠さずに眉を顰める。笑ったのか、嗤ったのか。さてどっちだ。どちらにせよ、不愉快なことに変わりはないが。だからクロノはさらにやり返すことにする。

 

「それはどっちの意味でだ?」

『どっち、とは?』

「お前ももう1人の監視者の存在について気づいていて『なぜお前も気づいたのか?』という意味の問いかけなのか、その存在にお前は気付いていなくて『どういうことだ?』という間抜けた意味なのか、どっちなのだと聞いている」

 

 やり返してから、冷静な『クロノ・ハラオウン』が何をやっているのかと責めてくる。相手を怒らせたら情報を聞き出せないかもしれないじゃないかと。

 確かに失敗だったかもしれない。だが……なのはが撃墜される以前からの鬱憤、なのはが撃墜されたこと、撃墜されてからのこと。腹立たしいことばかりだ。この苛立ちをぶつけたくてたまらない。そんな『クロノ・ハラオウン』もいる。だからなのはに八つ当たりにも似たことを言ってしまったわけであるが、自分が思っている以上にストレスがたまっていたらしい。

 こんな危険な場所にまで呼び出してくれたのだ。このくらいは許されるべきだと、クロノは冷静な自分へと訴えた。

 が、相手も然る者。天井に顔を向けて大笑いをしてくれるではないか。

 

『あっはっはっはっは! これはこれは、自分の義妹が自滅行為に出た際に、敢えてそれを見過ごそうとした冷徹っぷりまで報告書にわざわざ書くような、優等生で馬鹿正直なクロノ・ハラオウン執務官らしくもない挑発じゃないか!』

 

 らしくもない。そう言われて、クロノは内心で同意するしかない。確かに、らしくもない。しかも見事にさらにやり返されたときた。

 少々カチンときたクロノであるが、さすがにそれは何とか隠す。少なくとも、この召喚獣の主は、時空管理局の内部報告書にまで目を通すことができる者であることはわかったのだから。それもP・T事件という、機密性の高い大事件の報告書を。それでよしとすることで感情を抑え込む。

 

『ま、つまらない挑発はやめようじゃないか。時間の無駄だしね』

「同感だ。あまりこの場所にはいたくない」

 

 ゼストほどのストライカーが敗れた戦闘機人や戦闘機械がもし現れたらという懸念は拭えない。そんな所にわざわざ出向いた時点でクロノは自分でも馬鹿だと思うし、無謀だとも思う。あとでユーノからも指摘されるだろうし、叱責も受けるだろう。

 

『ちなみに、君の失礼な問いについては前者が正しい。もう1人の監視者については僕も気づいているよ。だからこそ――』

「手の込んだ証拠隠滅措置を行ってまで、僕をこの場に呼び出した」

『最後まで言わせなよ。性格が悪いなあ、君』

「お互い様だ」

 

 憮然としてクロノが言い放つと、『失敬な。僕は紳士的さ』などと犬も憮然として言い返してきた。どこが紳士だとクロノはぼやく。

 呼び出しの封筒が扉に挟まっていたのは今日の出勤時。クロノはすぐさま向かいたかったが、本日は本日で仕事が入っている。いきなり休暇の申請など、執務官ほどの忙しい職ではよほどのことでもなければ認められるわけもなし。なのにあっさりと休暇の申請は通ってしまった。いや、正確に言えば、元から今日が休暇のように法務部長に言われたのだ。自分の申請しておいた休暇さえ忘れてしまうほど働き過ぎなんだよと法務部長から再三の注意を受けてしまったほどで、クロノはこの時点で何者かの意図を感じざるを得なかった。

 そして時空管理局のトランスポーターを使用するにも、使用するポーターまで指定されており、それがなんと整備中のポーター。さらに転移は1回だけではなく、一旦はミッド郊外に出て、そこから民間のポーターを使っての転移を3回。それからどこともわからないポーターからこの世界へと跳んできた。明らかに追っ手を撒くかのような対応。ある意味、これこそがもう1人の監視者の目を眩ますためという推測をクロノに与え、だからこそ2人の監視者はまったく別の意図を持つ者たちではないかとクロノに推理させたのだ。

 

「わざわざこの場所を指定したのはなぜだ?」

『君に理解してもらうためだよ。どうにも君は、上層部を軽く見ているようだからね』

 

 クロノが抱いている、スカリエッティ一派がまだいるかもしれないし、戻ってくるかもしれないという懸念。ジェイルの研究を狙っている犯罪組織などが潜入してくる可能性もある。さらに。

 

『この施設はミッド地上本部による厳戒態勢下にある。当然だね、何しろレジアス・ゲイズの盟友とも言っていいゼスト・グランガイツが死んだんだ。未だ彼の死を公表できない彼らにとって、この場所を捜索されるわけにはいかない』

「だが本局の執務官である僕が入れた」

『そう。厳戒態勢下ということは、他の目はないということだ。つまり……邪魔者を排除するには絶好の場所とも言えるね』

 

 時空管理局の『裏』が、クロノを狙うという可能性。クロノがある意味、もっとも疑っている、しかしそうであってほしくないとも望んでいるケース。

 沈黙。

 間違いなく意図した沈黙がクロノに圧力を加える。気配はない。索敵に反応もない。しかしこの犬はこの至近距離までいつの間にか来ていた。

 目の前の犬から目は離さないままに、クロノは索敵魔法に意識を傾ける。それだけではなく、リーゼ姉妹に鍛えられた直感や、恭也に少しだけ教えてもらえた御神流の気配察知の術――もちろん一朝一夕にできるわけもないので習得はしていないが――を以って、周囲への警戒を厳にする。

 すると。

 ヒタリ。ヒタリと。耳に足音が。背中に近づく気配が。

 

「……口封じのつもりか?」

『どうかな?』

 

 クロノは失態だったと内心で舌打ちする。正面の犬に気づいた時点で咄嗟に動いて壁を背にしておけばよかった。

 動けば即座に攻撃を受ける。それだけの威圧をひしひしと感じる。

 失態の反省は後回し。今は高速でシミュレーションを繰り返す。どう動けばいいか。想定される敵の動きは。この状況を切り抜ける戦略を練り、そのために必要な戦術を組み立てる。それこそなのはが憧れたクロノの頭脳。あらゆる状況に対応し、適切に魔法を選択する魔導師。

 

「見くびるなよ。現場主義を貫いてきた経験は伊達じゃない」

『自画自賛かい? 『CIWS』で蹴散らす? それとも『PATRIOT』? いや、『STANDARD』かな?』

「……よく調べてるじゃないか」

『それはもちろん。高町なのはを始めとした仲間たちには『CIWS』しか明かしていないようだけど、それはあくまでプログラムの1つに過ぎない。近・中・遠、全距離に対応した複合魔法多重迎撃プログラム、それが君の『AEGIS』だ。合ってるかな?』

「100点満点だ」

『フフ、ありがとう』

 

 言ってろ。

 クロノは内心で吐き捨てながら、魔法を一気に組み立てる。待機状態にあったそれらへ魔力を通し、活性化。発動。

 バレているのなら隠しておく必要はない。切るべき札は切るべきときを間違えたら無価値になる。その見極めを誤るほど冷静さを損なってはいない。

 

「100点満点のご褒美をくれてやる」

『!』

 

 犬が首をあちこちに向け始めた。後ろの気配までそうしているかはわからない。だが構うことはない。クロノは身を低くし、身を投げ出して床を転がり、壁へと到達。背中を壁に付ける。と同時に魔法陣が足下に。それは一気に拡張していく。

 

「デュランダル! S2U!」

『OK, Boss. Long-Range-Intercept program 〝STANDARD〟 , activate』

『Rojer. Middle-Range-Intercept program 〝PATRIOT〟 , activate』

「近接迎撃プログラム〝CIWS〟、起動!」

 

 もしはるか高空から見下ろしていれば、青い魔法陣が施設から飛び出し、覆い尽くすほどに広がっていくのが見えただろう。さらに脈動するように魔力の波が瞬時に広がる。微かな青い波動が。それは魔法陣よりも広く、はるか地平線まで達して。

 

「複合魔法多重迎撃プログラム、〝イージス〟!」

『Development――』

『Complete』

 

 S2Uとデュランダルを真横に払う。それらの先端に生まれた青い光球。デュランダル側は索敵を担うサーチャーであり、S2U側がインターセプターである。後者の方から次々に光球が生み出される。『スティンガースナイプ』だ。

 犬が後ずさる。そこで初めてさっきまで背後であった方も確認したが、そちらも同じ犬だった。ただし瞳の色が青ではなく、赤。

 だが犬に用はない。襲ってくるのならば迎撃するが、用があるのは――召喚主の方だ。

 

「方位260。距離およそ11000。高度20。座標36°10′20.53″、140°11′54.89″」

『あれ? あれあれ? ちょっと待って? もしかして僕の場所わかってる!?』

「生憎、僕の索敵魔法はフェレットもどきの反則級を基にしたものだ。お前の居場所くらいはわかるさ。ご褒美をくれてやると言ったはずだが?」

『Target, lock on』

『〝Stinger Snipe Phoenix Shift〟, ready』

 

 長射程の狙撃用にカスタマイズしてある〝スティンガースナイプ・フェニックスシフト〟。目標に接近するまでの誘導はすべてクロノかデバイスがしなければならず、その間は他の魔法が使えなくなる欠点はあるが、クロノが持つ中では二番目に長い射程を誇る上、一度接近すれば自動追尾に入る、単体攻撃用の〝スティンガースナイプ〟だ。

 

『そうはいかないさ。僕だって何の手もなしに君の前に姿を現したりはしない』

「――くっ、これは……!?」

 

 発射しようと合図を送ろうした途端、クロノの頭に不快なイメージが飛び込んできた。黒板を爪で引っ掻いたときの、あの不快極まりない音だ。耳ではなく、ダイレクトに脳に叩き込まれてきた。おかげで精密な運用が必要な迎撃プログラムや〝フェニックスシフト〟に若干の乱れが生じてしまう。

 

「ジャミングか……!」

 

 念話と同じ理屈だが、違うのは双方向な念話と違って一方的かつ強制的に相手に不快なイメージをぶつけることで、魔法の制御に必要な集中を乱すのである。電波的に相手の電子機器を狂わせるジャミングと同じだ。

 

『君の魔法は優れたカスタマイズが施されているが、それゆえに運用には集中が必要だ。そして君の迎撃プログラムの核となっているのは索敵と照準だったね。それを狂わせることができれば、どんな攻撃魔法を用意しようと無駄だ』

 

 クロノの魔法のことを知っているだけではない。よく分析して『理解』している。クロノやユーノと同じ、理論派の魔導師か。

 が、自分の魔法だ。その欠点はよく理解している。

 

「デュランダル、MCCM!」

MCCM(Magistic Counter-Counter Measure), activate』

 

 電波妨害を行う敵に対し、妨害をさらに妨害する。それがECCM。それを魔力を以って行うからこそMCCM。

 召喚主が仕掛けてきた不快なイメージに対する防御のため、相手のぶつけてくる魔力波動を分析し、それと同じ波動をぶつけて相殺するのである。似たような魔法に、相手の固有振動を分析してぶつけることで破壊する、クロノも習得している〝ブレイクインパルス〟があるが、それの精神防護用と言えるだろう。

 それでも完全には相殺しきれない。どうやら召喚主はこうした精神に作用する魔法の扱いに長けているのだろう。

 

『Boss, Long-Range-Intercept program "STANDARD", system down』

 

 遠距離迎撃プログラム『STANDARD』が、ジャミングへの対処のためにそちらにリソースを割かねばならず、やむなく停止。クロノもそれを許可した。

 遠距離攻撃はできない。ならば接近するまで。

 飛行魔法、起動。クロノは〝スティンガーレイ〟で身構える犬を牽制攻撃。回避したところをすり抜けて出口へ一直線に向かう。背後から追いかけてくる気配があったが、S2Uが待機させていた〝ディレイドバインド〟を発動して捕縛しようとする。青い目の犬はかろうじてそれを躱したが、その間にクロノは引き離し、施設から脱出する。外に出ると、そのまま上空へと飛び上がり、先ほど召喚主を捕捉した地点へ向けて一気に加速した。

 

「見つけたぞ……!」

 

 施設を見下ろすことができる小高い丘。そこから少し突き出すような岩があり、そこに1人の人影があった。その姿に、クロノは眉がピクリと反応してしまう。

 その姿は、闇の書事件で見た、リーゼたちが化けていた男の姿だ。ご丁寧に仮面までしっかり着けていて、顔は窺えない。

 彼から少し距離を置いてクロノは地上に降り、2人は改めて相対する。

 

「人を不快にさせるのが好みと見える。悪趣味だな」

「親の仇を庇うような非情な人間に言われたくはない言葉だね」

「……強制的に化けの皮を剥がしてほしいのか?」

「やれるものならどうぞ?」

 

 あくまでも飄々とした態度を崩さない仮面の男。というのはあくまで表だけ。クロノは先ほどまでは感じなかった黒い感情を男から感じ取っていた。『親の仇』と口にしたときだけ、言葉の重みが違ったからだ。

 仮面を被っているのは顔がばれないようにするため。それもあると言えばあるだろう。だがただでさえ変身魔法で化けているのに、その上で隠す必要がどこにあるのか。ならばその仮面は何のために付けている?

 

――『この子たちは嘘がつけん。根は優しい子なのだ。知っているだろう、クロノ?』

 

 グレアムが時空管理局から去るとき、クロノは聞いてみたことがある。変身魔法で化けているのに、なぜわざわざリーゼたちは仮面でさらに顔を隠したのかと。言い難そうに顔を俯かせるリーゼロッテとリーゼアリアに、グレアムが返した言葉は、クロノが納得するには充分だった。

 リーゼロッテもリーゼアリサも、猫を素体にした使い魔。だからか、悪戯好きで、クロノもグレアムやリーゼたちに師事していたときも以後も、それはそれはよくからかわれ、遊ばれたものだ。父を失ったクロノにとってグレアムは父代わりのようなもので、リーゼたちは悪戯好きな姉。エイミィも加えて、彼らがいてくれたから、クロノは感情を抑えて機械のように冷たくなりながらも、厳しい現実に負けて暴走したり世界を恨んだり、闇の書――夜天の書を恨まずにすんだのかもしれない。

 リーゼたちは本来、クロノをとても可愛がってくれる優しい使い魔なのだ。

 グレアムが鬼になりきれなかったように。リーゼたちもまた、鬼になりきることはできなかった。

 だからリーゼたちは無意識のうちに仮面で顔を隠したのだろう。どんなに変身魔法で顔を変えていようとも、声を変えていようとも。

 

 

 

 優しいリーゼたちは、何も知らずに家族ができたことを純粋に喜んでいたはやてを、闇の書諸共に封印処理を施すなんて、本当はしたくなかっただろうから。きっと、つらくて、泣きたくて。変身して姿形を、顔を、声を変えていようと、表情に、声に、現れてしまうから。

 

 

 

 だから彼女たちは、仮面を被って表情を隠し、声を仮面でこもらせて、ばれないように必死に演技を続けたのだろう。

 目の前の男も、変身した上で顔を隠さねばならないほどの、重い何かを抱えているのだろうか。

 

「しかしよく来たもんだね。罠と考えなかった馬鹿なのか、ただの蛮勇なのか、どっちなんだい?」

 

 さっきの仕返しのつもりだろうか。クロノは鼻息も荒く、どちらでもないと返した。

 

「管理局を変えると決めた時点で危険など承知の上だ」

「へえ。迷いがなくなったって目をしているね。決めたのかい?」

「そうだな。お前のような不審人物が蔓延る管理局など認められるものではない」

 

 知りもしない無粋な監視者如きにこれまでの悩みを知ったふうに言われるのは気分が悪い。だが迷いに迷い、何1つ前に進めることもできずに2年も経ってしまった。そしてなのはにフェイトにはやてが苦しんでいるのに、年長者として満足なことをしてあげられなかった。そこは反省すべきことであり、この無粋な存在からの指摘も甘んじて受け入れよう。

 だから、今日からは迷わない。

 もう、決めた。

 昨日、なのはの病室で言い合いになり、結果、なのはの『笑顔』や『無表情』が僅かに崩れ、苦しんでいる彼女の本当の素顔が垣間見れたあの瞬間に。

 

「結構なことだね。けど僕に殺気をぶつけるのはやめてくれないか? 僕は高町なのはの撃墜事件には一切関与していないよ」

「どうだかな」

 

 なのはが例の新型戦闘機械のデモンストレーションに利用されたのはもうわかっている。なのはの撃墜後、時空管理局の情報部が、裏で極秘に量産されて犯罪組織や反魔法・反時空管理局を掲げる組織や世界などに密輸されているという情報を掴んでいた。AAAランクのなのはが撃墜されたことで、箔がついたということだ。

 なのはである必要はない。別に誰でもよかったと言えるし、なのはは偶々遭遇してしまっただけに過ぎない。

 けれど、もしかしたら。

 もしかしたら、自分がジェイルを追っていることで目をつけられ、警告としてなのはが狙われたのではないか。

 そんな考えが浮かんでしまう。

 ユーノと密かに動いていたし、そう目立つ行動を取っていたわけでもない。動くときは可能な限り波風を立たないように立ち回ってきた。けれどそれに勘付いた者がいる。

 この監視者が、ジェイルやその協力者に知らせたのではないか。この監視者は、彼らの回し者なのではないか。その疑いは当然にある。

 

「グランガイツ隊長の件も併せて、僕はお前を疑っている」

「まあ、高町なのはについてはともかく、ゼスト・グランガイツの件については当然の疑いだろうね」

 

 ゼストも監視されていると言っていたし、この施設への強襲は秘匿された作戦だった。明らかに情報が洩れていて、万全の状態で迎撃された。遺されたデータを見る限り、そう判断せざるをえない。地上本部がゼストの死を公表しないのは、情報が漏れていたという身内の失態を世間に知られたくないという建前上の理由もきっとあるのだろう。

 その張本人、情報を漏らした者が、この召喚主ではないか。そう考えるのは至極順当な成り行きであろう。

 

「今回、君を呼び出したのはそれについて話すためだ」

「是非聞かせてもらおうじゃないか」

「ゼスト・グランガイツを監視していたのは事実だ。僕が彼を監視していた」

 

 あっさりと認めたが、クロノが驚くことはない。無言で続きを促すだけだ。

 

「ただ、君が察しているように、彼にもまた、僕とは別の監視者がいたんだ」

「僕を監視している者と同じ奴なのか?」

「申し訳ないけど、それはわかっていない。僕個人としては同じと見ているけどね。僕も、そしておそらく向こうも、互いに探り合っている状態さ」

「お前のバックにいる者たちとその監視者は敵対関係にあると見ていいのか?」

「少なくとも協力してはいないね」

 

 組織にはいろんな思惑を持つ者がいる。白か黒かのわかりやすい二極構造なんて単純なものではない。同じ理想を持っていても強硬策に訴える者もいれば、仲間を増やして長期的にじっくり実現を目指そうとする者もいる。

 

「お前は何のために僕やグランガイツ隊長を監視する?」

「それは言えない」

「……ジェイル・スカリエッティ」

「……ふむ。当然、あの男には行き着くか」

 

 人造魔導師や戦闘機人。これら違法研究開発を調べる過程でジェイル・スカリエッティには必ず行き着くと言ってもいい。現在の生命操作技術や研究は、大なり小なりジェイルの理論や研究成果が使われているからだ。

 クロノも、明確にジェイルを狙っていないときは監視に気づかなかった。だがジェイルへと狙いを定めた捜査をし始めた途端、監視に気づいた。ゼストについても、戦闘機人を追っているだけであれば監視の気配はなかったそうで、ジェイルへと捜査の目を向け始めた途端、監視が付いたと聞いている。

 この監視者たちには、確実にジェイル・スカリエッティが深く関わっている。

 

「お前は――」

「これは警告だ。クロノ・ハラオウン執務官」

 

 そこで、更に質問を重ねようとしたクロノの言葉を遮って、監視者からお茶らけた軽い口調が消え、威圧を含んだ重いものへと変わった。

 

「奴には関わるな。悪いことは言わない。手を引け」

「……手を引かなければどうする?」

「ゼスト・グランガイツもそう言って警告を無視してくれたよ」

「なに?」

「そうして彼は死んだ。それが答えだよ」

 

 そこで仮面の男はどこからともなく、大きめの封筒を取り出した。空中から現れたように見えたけれど。何とか驚きは隠したけれど、ピクリと眉が反応してしまうのは止めきれなかった。それを見逃さなかったのか、軽く笑う仮面の男は、足下の自分の影から、これまたいきなり出てきた犬――今度はオレンジ色の瞳――に、その封筒を咥えさせる。そして犬はゆっくりとクロノの方へ近寄ってきた。デュランダルとS2Uが、展開し続けている『PATRIOT』と『CIWS』の自動迎撃プログラムに基づき、サーチャーとインターセプターを操作しようとする。それを、クロノが制した。

 

「……変わった召喚術だな」

 

 犬はそばまで来ると、顔を上げて封筒を掲げて見せた。受け取れというのだろう。クロノは警戒しながら封筒を掴む。犬はしばしクロノをじっと見上げている。何だろうと思っていたが、何とはなしに手が出る。その手を、犬の頭に置いて――撫でた。すると犬は気持ちよさそうな仕草をし、手を離すとワンと一鳴きし、踵を返して仮面の男の方へと戻っていく。

 魔法陣さえなく、足下からいきなり現れる犬。魔力で構成された召喚獣が意思を持つような仕草をするのはかなりの高位であることを意味している。元々意思ある存在ならばともかく、魔力で構成された召喚獣の場合は基本的に言いなりの自律戦闘機械のようなものなのだ。

 戻ってきた犬を、クロノがそうしたように撫でる仮面の男。犬は嬉しそうに男の足に頬ずりしている。命令すれば意思が無い存在でもそうさせることはできるが、この場でわざわざ命令するような行為ではない。とすると、やはり意思があるのだろう。

 クロノはしばし犬と戯れる男を見ていたが、ややあって手元の封筒を開き、中に入っていた書類を確認する。

 

「……これが理由か」

「君が知りたがっていたゼスト・グランガイツの性急な行動の理由。納得できたかい?」

「まあな。だがさらに衝撃的なことがわかって疑問は尽きない」

「フフ。けれどこれ以上はなしだ。下手な好奇心は身を滅ぼすよ?」

 

 書類に書かれていた『秘匿命令』。ゼストがレジアスから受けていた妨害。ゼストとレジアスが盟友だったという事実。聞きたいことは山ほどある。

 

「少なくとも、君1人くらい、何とでもできてしまう権力が関わっていることは理解できただろう? わかったら手を引くんだ」

 

 ゼストが受けていた『秘匿命令』。彼ほどの存在に、レジアスの頭越しに命令を出せる相手は限られている。レジアスはゼストを本件から外そうとしていたことを考えれば、レジアスの意に反する存在か。だとすれば本局関係が有力だが、ゼストが本局と内通しているとは考えにくい。

 さらにレジアスが戦闘機人の案件からゼストを外そうとしていたのも怪しい。レジアスは戦闘機人にかつて昔は支持していた身だ。戦闘機人研究が違法となってからは声高に言えなくはなったが、地上本部が2体の戦闘機人を保護した際の寛容すぎる姿勢に疑問符もある。

 そしてジェイル・スカリエッティ絡みであることは間違いないとなれば、レジアスとジェイルの関係性も疑わねばなるまい。

 

「断る」

「…………」

 

 だとしたら。ますます放っておけることではない。

 明確なクロノの回答に、仮面の男は両手を広げてやれやれと。

 

「むしろ一層、管理局を変える決意が強まった」

「なぜそこまでして?」

「……管理局も巨大な組織だ。正義だの理想だの、甘いだけでは通用しない」

「そう。どこでも同じさ」

「だが。管理局が人を救い、平和を維持することができる場所であることも事実だ」

「…………」

 

 いろんな思惑はある。それでも、時空管理局があったからこそ成しえたことも多い。

 批判するのは簡単だ。時空管理局に失望し、自分で新たな組織を作るのもいい。

 けれどクロノは、時空管理局にある種の失望を覚えながらも、時空管理局こそを選ぶ。

 

「人を救い、平和を守る。管理局のためではなく、世のため人のために自分の力を活かすことができると、そう純粋に信じて戦おうとする人がいる」

 

 父クライドが、母リンディがそうであるように。なのはやフェイト、はやてがそうであるように。

 

「ならば僕は。彼らが信じる正義を、理想を、貫けることができる管理局にしてみせるまで」

「大言壮語、ここに極まれり、だね。身を弁えなよ、執務官。そう、たかだか執務官如きに、何ができる?」

「そうだな。執務官では手に余る。だから僕は上を目指す。管理局を変えることができるだけの権限と影響力を持つ」

「できると思うのかい? 組織ってものを甘く見過ぎだ。執務官1人を排除するくらい、何てことないんだけど?」

「やってみろ」

「冷静になりなよ。君はともかく、大切な大切な義妹や仲間たちがどうなってもいいのかい?」

 

 

 

「……やってみろ」

 

 

 

「!」

 

 無意識のうちに低くなるクロノの声。それに呼応するようにデュランダルとS2Uが迎撃プログラムを活性化させる。相棒たちは、クロノの意思を正確に読み取ってくれたのだ。

 

「あの子たちに、僕の仲間たちに、手を出してみろ。後悔するだけでは足りない地獄を見せてやる」

「……世のため人のためなんて言いながら、君も結局は仲間のためだ。執務官が仲間を優遇しすぎるのはどうかと思うけど?」

「そうでもない。僕の仲間たちは、将来必ず、世のため人のために大きな役割を果たすだろう。僕などより、もっとはるかに多くの人を救い、多くの笑顔を守ってくれる。父のような死を、母のような嘆きを、理不尽な悲しみを、失くしてくれるさ。そんな彼らを守ることは、僕の理想を叶えるためにもなる。そのためなら、権力だろうが親の七光りだろうがコネだろうが、何だって使って管理局を変えてやるさ。そしてそれを妨害しようというのなら」

 

――徹底的に、叩きのめすまで。

 

 集中力が高まる。この理想の実現を阻む可能性のある目の前の敵を捉えて。そいつが放っているジャミングなど、もはや意味を為していない。大言壮語と、そう指摘された理想。そう、今はまだ、夢のまた夢。けれど決めたこと。その大きな大きな、自分でも馬鹿なことをと思わないでもないほど、馬鹿馬鹿しすぎるほどに大きな壁。そんな壁をこれから乗り越えていかねばならないのに、目の前のつまらない雑音に集中を乱されている場合ではない。

 

『Succeed in repelling enemy jamming』

『Long-Range-Intercept program 〝STANDARD〟, reboot』

 

 早々にジャミングを蹴散らし、『STANDARD』を再起動。多重迎撃プログラム『AEGIS』が完全な形で復活する。サーチャーが索敵し、隠れている犬たちにすべて照準を合わせる。一挙手一投足を逃さない。インターセプターのスフィアが次々に弾丸を、刃を、生み出していく。

 

「……ゼスト・グランガイツといい、君といい。諦めるってことを知らないのか?」

「諦めないこと。その大切さを僕は身近で見て感じさせられた。そして同時に、その重さを、尊敬する人に教えられた」

「『不屈』のエース、高町なのは。そしてその兄、高町恭也だね」

「本当によく調べている。だがまだまだ足りていないな。もっとよくよく調べていれば、僕が、僕たちが、諦めないであろうことくらい、お前もお前の後ろにいる者たちも理解できているはずだからな」

 

 もう言葉を重ねても無駄。そう悟ったか、仮面の男は周囲に隠れていた犬たちを呼び寄せた。隠れていた犬たちが次々に男の足下へ駆け寄っていく。構えは解かないクロノを前に、彼は今一度クロノを仮面の奥の瞳で見据えて。

 

「好きにしなよ。不良執務官」

「好きにさせてもらうさ、ストーカー。飼い主にもよくよく伝えておけ」

 

 仮面の男の足下に転移の魔法陣が浮かぶ。ベルカ式らしい、三角形の魔法陣。踵を返すように背中を見せ、魔力の粒子を残して彼はその場から転移していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最後の宣言のことは省いたものの、クロノは仮面の男から得られた情報も含めて話し終える。ユーノは仮面の男の発言内容と手元の資料を合わせて吟味するようにしばし無言だった。

 

「……話はわかったよ」

 

 どのくらい経ったか、ユーノがぽつりと呟いた。まだ無茶をしたことを怒っているのかとクロノが思うほど、その顔は不機嫌そうで。

 確かにユーノは怒っていた。黙って行ったことも、危険なことをしたことも。

 けれど、クロノの予想とは違う理由でこそ、ユーノは何より怒っている。

 

「上を目指すのもいい。今後どんな妨害があるか、下手をすれば身の危険に及びそうなことになる可能性も。まあいいよ」

 

 最高評議会の可能性まで出てきて、今の話も聞いて、ユーノも感覚が麻痺したのかもしれない。もっと危険視しなければならないことであるのだが、今のユーノは「そうか」とだけ返すクロノに対する怒りで、他のことがまともに考えられなかった。

 

「ただ、今は待ちなよ。他にするべきことがあるだろ?」

「無限書庫か?」

「違う」

「ジェイル・スカリエッティか? もちろん奴は追う」

「……違う」

「ならいったい何だ?」

「……本気で言ってるのか、お前?」

 

 お前、ときたものだ。クロノもようやくユーノが自分が思っている以上に怒り心頭であることを読み取った。そして自分が思っている理由とはまた別の理由でユーノがそうなっているとも。

 

「協力する条件、ここで話したよね?」

「……それのことか」

 

 1ヶ月前の、なのはが撃墜されたとフェイトから通信で聞く直前に話していたこと。ユーノが言っていること、そして怒っている理由を、今度こそ理解する。

 

――『協力してもいい。ただ、不本意だけど、君が無理をすることでなのはもフェイトもはやても悲しむんだ。それはわかってるよね?』

――『……ああ』

――『僕は無理をするなとは言わない。ただ、3人に心配させないようにすること。本当に不本意も不本意なんだけど、3人のそばにきちんといてあげること』

 

 なのは・フェイト・はやてを心配させないよう、そばにいてあげること。ユーノが出した条件だ。

 もちろん、忘れていたわけではない。言い訳でもなんでもなく、ちゃんと覚えている。

 

「こんな無理して、このことをなのはたちが知ったら、どれだけ心配すると思ってるんだよ! その上、上層部を敵に回しながらジェイルを追いつつ上を目指す!? 馬鹿なこと言ってるんじゃないよ! 今お前がやらなきゃならないことは、傷ついてるなのはを、苦しんでるフェイトにはやてを守ることだろ! そばにいて見守ることだろ! 何やってるんだよ!」

 

 机を叩いて立ち上がり、ユーノはこれまで見たことがないほどの怒鳴り声を上げた。

 クロノはその怒りを正面から受け入れた。ユーノが言っていることはひどく正論で、約束を破っている身であることは百も承知だから。言い訳のしようもない。

 だが。

 今のクロノは、なのはのそばにはいられないのだ。

 

「……聞いていないのか」

 

 てっきり聞いているものだと思っていた。なのはにせよヴィータにせよ、彼女たちから聞いているものだと。

 昨日、自分がなのはに対して強く言ってしまったことを。なのはに「帰って」と言わせ、ヴィータに激しく追い出されたことを。

 

「何を?」

「……なのはに、あの『笑顔』と『無表情』について指摘した」

「な……」

「今のなのはでは、誰も守れない。誰も笑顔にすることなどできはしない。そう……言ったんだ」

「クロノ、お前ええええ!」

 

 机を乗り越えてユーノがクロノの襟元を掴んできた。抵抗せず、クロノはされるがままに受け入れる。

 

「何やってるんだよ! 何を、何をやってるんだよ、お前!」

「…………」

「よりにもよって! 今のなのはに! 苦しいリハビリを始めたなのはに! リハビリを初めても魔導師生命の危機がなくなったわけでもないなのはに! 本当に動くようになるかなんてまるでわからないなのはに! そんな、泣き言1つ漏らさずにやってるなのはに! お前、お前は!」

 

 何をやっているのかと、何度も繰り返し叫ぶユーノ。その細腕のどこにこんな力があったのかと言いたくなるくらい、クロノの襟を締め上げてくる。苦しさに顔を歪めそうになるが、クロノはただ耐えた。耐えながら、目の前に迫って怒鳴るユーノの目を見返していた。

 ユーノにとっても、今のなのはは見ていられない。死にかけたのに、魔法が使えなくなるかもしれないのに、もう一生歩けなくなるかもしれないのに。それでも笑って、ただ前を向こうとするなのはは、この上なくユーノの罪の意識を刺激した。あの『笑顔』と『無表情』は、完全にユーノの罪悪感をその心に刻み込んだ。

 これまでも罪の意識はあった。

 なのはは父の士郎から『自分自身に助ける力があって、そして助けを求める人が目の前にいるのなら、その時は迷ってはいけない』と教えられていた。だからこそユーノを助け、フェイトを助け、はやてを助けた。なのはがそういうふうに育てられてきたと、ユーノも他でもないなのは自身から聞いていた。

 けれど。だからと言って。ユーノが本来魔法を知らない管理外世界の住人であったなのはに魔法を教えたことは、緊急であったとは言え、本来許されることではない。

 そして今回、なのはが重傷を負って死にかけ、何とか一命を取り留めても今度は魔導師生命の危機と歩けるようになるかどうかもわからないという2つの重すぎる絶望を味わうこととなって。

 これまで、なのはの態度や広がっていく仲間たちの絆によって曖昧だった罪の意識は、完全にユーノの心に刻み込まれてしまったのだ。

 なのはとの本当の絆を作るため、勇吾と那美に励まされて、ユーノはなのはの見舞いに行った。その際、また張り付いていた『笑顔』と『無表情』に、いきなり崖から突き落とされるような衝撃に見舞われて。ユーノは謝罪せずにはいられなかった。そしてなのはを絶対にサポートすると決めて、見舞いに毎日通いながら、なのはのリンカーコアの機能不全を治し、もう一度歩けるようにするために何かないかと探し始めて。

 

「なんでだ!? なんでそんなことを言ったんだよ!」

「……今言わなければならない。フェイトのときと同じだ。そう思ったんだ」

「ふざけるな! フェイトを苦しめておいて、同じことをなのはにもして! それで結局どうなったんだよ!? 何にもなってないじゃないか!」

 

 今日もユーノはなのはの見舞いに行った。どうにもなのはとヴィータの様子がおかしくてそれとなく聞こうとしたが、なのはもヴィータも何でもないの一点張りだ。ぎこちないなのはの『笑顔』はいつも以上にぎこちなくて、弱々しくて、なのはが何かを抱えていることを感じずにはいられなかった。

 なのはにしてもフェイトにしても。クロノの行動は確かに余計悪化させたようなものだ。

 だがそれを言った途端、クロノがユーノを見る目も厳しくなった。

 わかっている。なのはに対してもフェイトに対しても良い結果を齎していないことは。そんなことは重々承知している。だがそれを、ユーノに言われたくはない。

 

「ならお前こそ、謝罪するたびになのはが悲しそうにすることに、どうして気づかない?」

「っ!?」

 

 襟元を掴む力が弱まり、クロノはその手を振り払った。そして返す手でユーノの胸倉を掴み返す。

 

「なのはは言っていたぞ。温かかった背中が冷たいと。お前は、なのはのそばにいながら、何をやってたんだ!」

「――うるさいな! お前に何がわかるんだよ!」

 

 再びクロノの襟元を掴み、ユーノは瞳を揺らしながら睨みつける。

 

「全然わからないんだよ! あれだけ通じ合えていたのに! 全然なのはの気持ちがわからない! 本当の絆を作りたくても、強くなりたくても、どんどんわからなくなるばっかりで! 嫌われたかもしれない……この怖さが、お前にはわからないだろ!? 自分から嫌われるようなことをしても平気なお前なんかにわかるはずなんてない!」

「誰が好き好んで嫌われたいと思うか! お前も言ったろ! 僕はみんなの兄だと! ならば兄として黙ってはいられない! それでも、いつかきっと、なのはたちは、お前たちはわかってくれる! そう信じているからこそ、僕の中にあるなのはたちとの絆は消えないと信じているからこそ! 嫌われてでも、為すべきことがある!」

「――っ! 嫌われても、為すべきこと……」

「そうだ。大切だからこそ、嫌われてでも為すべきことがある。だから僕は……誰がやらないことでもやってやるさ」

 

 ユーノの手から力が失われる。襟元からユーノの手が離れると、クロノもユーノを放した。

 嫌われてでも、為すべきことがある。それが兄の役目だと。それはまごう事なきクロノの意思だ。誰かがやらなくてはいけないことなら、それを率先してこそ。一時喧嘩をしようと、疎遠になろうと、いつか必ず元通りにできる。仲良くするだけが絆ではない。

 

 

 

 ただ、その言葉が、ユーノにある行動を決意させることになるとは、さすがに思っていなかった。

 

 

 

「……出て行けよ」

「…………」

「勝手にすればいい。嫌われようがなんだろうが、もう僕の知ったことじゃない」

 

 ユーノはテーブルから降り、自分の机へ。鍵のついた引き出しを開け、そこから乱暴に1つの分厚い封筒を取り出し、それを持ってくるとクロノのそばに放り投げた。

 

「頼まれていた資料。これまでの付き合いもあるから、最後にそれだけは渡す。でももう、お前には金輪際手を貸さない」

 

 約束を破ったのはクロノだ。ならば、もう手を貸してやる道理はない。義務もない。

 

「出て行ってくれ。もうお前とは話すこともないし、顔も見たくない」

「……そうか」

 

 ユーノから視線を外し、クロノは床に放られた封筒を拾って立ち上がった。そしてもうユーノを見ることもなく、その横を通り過ぎる。

 

「……僕は、お前なんか大嫌いだ」

「お互い様だ、フェレットもどき」

 

 いつものような別れの挨拶。

 けれど。今このときは。

 クロノにとっても。ユーノにとっても。

 心を抉られるような痛みを、大事なものを失ってしまったという痛みを、必死に堪えながら。

 互いを見ることもなく、その言葉を最後に、2人は別れた。

 

 

 

 

 




ゼストが『秘匿命令』を受けていたとのことですが、明確に誰からってのがなかったので、当初は3提督から受けていたなんてシナリオもいいなと思っていました。
けどまあ、はやてがストライカーズでオーリスに対して言っていた『推理』を思い出して、まあやっぱり最高評議会だろうな~と。

とりあえず、当初の予定にはなかったクロノとヴェロッサの出会い。ストライカーズ時の親友同士とは思えないような感じを意識しました。

クロノとユーノ。好きなだけに、2人には悪友らしく一緒に何かやっていてほしい。でも大喧嘩もしてほしい。そんなジレンマが叶った回でもありますね。
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