リリカルなのは ANOTHER LOCUS   作:ウルフ中隊

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今回の話の中では、アニメで出てきた名セリフが多数登場します。
するんですが……ねえ、君たち? クロノはまだいいとしても、本当に君たちは小学生っスか? 小学生が言うセリフじゃあらへんで。
などと、書いていて改めて感心したというか呆然としたというか。(笑)


LOCUS 11

 

 

 

 よく抱き上げてくれた父の、突然の死。見上げた先にある、柔和に微笑む父の遺影。

 

 人前では気丈に振る舞っていた母。その母が、夜中にたった1人泣いていた背中。

 

 

 

 3歳の頃の記憶なんて、ロクにない。あるのはたった2つ。これだけだ。

 これだけが、心に、頭に、目に、深く刻み込まれている。

 その2つの記憶こそが、クロノ・ハラオウンを今も昔も変わらず突き動かす原動力だった。

 

「……そっか。クライドくんと同じ道を進むんだね。だったら、強くならないと」

「クライドの息子だからって、アタシは容赦しないから」

 

 父が師匠と呼んでいた2人の使い魔。彼女たちに5歳で師事し、魔法の腕を鍛え上げた。魔法だけではなく、体も鍛え、戦う術を学んだ。

 弱ければ、誰も、何も、守れはしない。迫る脅威に押しやられ、ただただ、『こんなはずじゃなかった』と嘆くことしかできない。

 弱ければ、死んでしまう。守れもせずに誰かを失い、そして自分が死ねば悲しむ人がいる。

 だから強さを求めた。脅威を跳ね除けるほどの強さを。

 だから力を求めた。大切な人を守るための力を。

 

「私が言いたいことはたった1つだ。信頼を裏切らないこと。それだけだ」

 

 使い魔の主であり、父の尊敬していた上官である紳士から、体の強さだけではなく、心の強さも教えてもらった。どんなに強くなっても、1人でできることには限界がある。これが現実だということを突きつけられて挫折しかけたこともあるが、彼がまるで父のように励まし、叱咤してくれた。おかげで、ままならない、こんなはずじゃなかった現実を受け入れ、しかしただ受け入れるだけではなく、戦い続けていくことこそが正義と知った。馬鹿にされようとも、正義の味方を目指した。

 一度は落ちたが、11歳で執務官となった。できることは多くなったが、犠牲を防げないことも多く、自らの指揮命令で傷つき、命を失う者もいて、自らがまだまだ無力であることを痛感させられた。自分こそが最前線に立ち、どの選択こそが最善なのかと迷いながら、それでも戦い続けるしかなくて。摩耗する心を必死で奮い立たせて。冷たいと、機械のようだと、そう言われていたことを知りながらも、他にどうすればいいかわからなくて。

 そうして、ただ目の前のことだけしか見えなくなった。自分はいったい何がしたくて、今何をしていて、そしてこれから何をするのだろう。

 

 

 

 そんなときに出会った。

 

 

 

 高町なのはに。

 

「困っている人がいて、助けてあげられる力があるなら、その時は迷っちゃいけないって」

 

 フェイト・テスタロッサに。

 

「私たちの全ては、まだ始まってもいない。だから、本当の自分を始めるために……今までの自分を、終わらせよう!」

 

 八神はやてに。

 

「失くしてしもたもの、起こってしもた出来事、過ぎ去ってしもた過去の時間は、変えることができひん。せやから、失いたくないと思う。守りたいと思う。守るために強うなりたいと、そう思うんや。私が選んだんは、戦って勝ち取っていくことや。見えない未来を、望んだ形に変えていくことなんや」

 

 アルフに、リインフォースに、シグナムに、ヴィータに、シャマルに、ザフィーラに。

 そして、気づけた。

 忘れていたことに。

 彼女たちに出会って、思い出すことができた。

 いつの間にか目の前のことしか見えなくなっていた視界が急速に広がって、世界はこんなに広かっただろうかと、そんな錯覚さえ抱くほどに。

 

――『父のような悲しい犠牲を、母のように哀しむ人を、もう出したくない』

 

 幼い頃に抱いた、2つの記憶から始まる、クロノ・ハラオウンの原動力。

 それを思い出させてくれた仲間たちには、心からの感謝を。

 

 

 

 殊に、クロノ・ハラオウンにとって、高町なのはの存在は大きかった。

 

 

 

「手探りで進んで行く道が本当に正しいのかどうか迷う時もきっとあるけど、立ち止まらずに駆け抜けた足跡は、きっと自分のこれからに繋がっていくはずだから」

 

 甘っちょろいと思っていた。そんな甘い理想が通じるほど、世界は優しくない。現実はただ唐突に、無慈悲に、非情に、突きつけるのだ。

 けれど彼女は、そんな甘い理想を、考えを、在り方を、決して変えることはなかった。そして実際に、彼女はユーノを救い、フェイトを救い、はやてを救った。

 

「悲しい過去があっても、未来が暗く霞んでも、だけど立ち向かっていかなきゃいけない。きっと誰もが同じ時を戦ってるから」

 

 どんな状況でも諦めず、笑顔で仲間を鼓舞し、自らが前に立ち、真っ先に動いた。

 そして皆が、その後を追う。誰もが彼女を信じ、その背中を望んで追うのだ。

 気づけば、自分まで。

 そう。彼女は、知ってか知らずか、自分まで救ってくれていた。

 

「夢見て憧れて、必死に積み重ねてきた時間。どんなに辛くても止めなかった努力の時間は、絶対に自分を裏切らない!――それだけ、忘れないで」

 

 その言葉が、どれほど、クロノ・ハラオウンを救ったか。

 今一度、原動力たる初心を思い出させてくれた。

 現実に負けそうになっていた自分を奮い立たせてくれた。

 理想の大きさに、遠さに、そして自分の無力さ、弱さに打ちのめされていた心に、眩く温かい光を注いでくれた。

 

「世界はいつだって、こんなはずじゃないことばっかりだよ! ずっと昔から、いつだって誰だってそうなんだ!」

 

 だから、また現実に向き合い、戦うことができる。

 

「なくしてしまった過去は、変えることが出来ない。だから、今を戦って、未来を変えます!」

 

 恩師たちに、恥じることなき姿を。

 亡き父に、誇れる自分を。

 ずっと見守り続けてくれている母に、少しは大きくなった背中を。

 見せることができた。そう思う。自画自賛かもしれない。それでも構わない。

 そう思わせてくれるほどの高町なのはとの出会いは、現実的なクロノ・ハラオウンを以ってして運命という言葉を連想させたほどで。

 

 

 

 何より、そんな高町なのはが見せる笑顔が、クロノ・ハラオウンは本当に好きだった。

 

 

 

 年下がどうとか、男女の差がどうとか、そんなことは関係ない。むしろ無粋だ。

 不屈の心には敬意を。

 不退転の姿勢には感嘆の念を。

 フェイト・テスタロッサ・ハラオウンという大切な義妹を救ってくれたことに、百万の感謝を。

 クロノ・ハラオウンにとって、高町なのはは、まさしく理想の存在だった。

 自分と同じような甘い理想を本気で抱き、そして本当に成してみせた。それはクロノ・ハラオウンの理想も決して実現できないものなどではないと、信じさせてくれるもの。言葉もそうだが、言葉だけではなく、実際に実現させたなのはだからこそ、クロノ・ハラオウンは高町なのはに魅入られた。

 そんな彼女が見せる笑顔は、それだけでクロノ・ハラオウンを支えてくれるほどのものだった。どんな壁が立ち塞がっていようが、どれほど強大な敵が現れようが、恐れるに足らず。

 

 

 

 そんな高町なのはに、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンに、八神はやてに、そして仲間たちに、『みんなのお兄ちゃん』と慕われることが、この上ない誇りだった。

 

 

 

 恥ずかしくはある。面映ゆくもある。

 けれど、決して嫌などではない。口には出さずとも、心は躍動を隠せなかった。

 そしてもう2つ。クロノは得難いものを得ることができた。

 

 

 

「戦えば勝つ。それが御神流だ。それはつまり、逃げないこと、諦めないことだ。逃げてしまえば、諦めてしまえば、絶対に勝つことはできないからな」

 

 

 

 紳士――グレアムもそうだが、彼とはまた違った意味で、尊敬できる人ができた。そう、目指す背中を得たのだ。

 自分と同じような苦しみを味わいながらも生き抜いてきたその人は、なのはから全面的な信頼と好意を寄せられる、なのはの兄。なのはに多大な影響を与えた存在は、クロノにとっても大きな存在だった。まるで自分の兄と錯覚してしまうほどに。この人が兄であったら、きっと自分はこの人を誇っただろう。この人の弟で在れたことが、何よりの自慢となるだろう。彼の背中を、なのは同様に追いかけただろう。そう言い切れてしまうくらいに。

 そしてもう1つは。

 

 

 

「フェレットもどきって言うな、真っ黒クロスケ!」

 

 

 

 友は友でも、悪友と言うべき存在。

 我武者羅にやって来た自分には、ロクにそんな存在はいなかった。

 なのはたちも仲間であり友ではあるが、彼女たちとはまた別の意味で心から全幅の信頼を置ける友。

 

 

 

 ユーノ・スクライアにも、クロノ・ハラオウンは敬意を抱いていた。

 

 

 

 信頼を裏切るな。

 それは恩師グレアムから教わったこと。

 ユーノはなのはを行かせた。命令違反をしてでも。正しいと思ったら、誰が相手だろうとユーノは仲間を支える。歪んだ生き方をしているものの、甘すぎるくらいの優しさを最後まで貫く彼は、決して信頼を裏切らない。むしろその全てに、彼は応えて見せた。例えそれが『依存』によるものであったとしても、他者に何を言われようと何をされようと、仲間のためなら徹底して支える姿は、ただの自己犠牲で済ませていいものではない。

 ただの自己犠牲なら、何も生まない。ならユーノはどうか。魔法を例にすればいい。『ノンキャストドライブ(無詠唱)』や『デュアルドライブ(双時制御)』、を使いこなし、クロノでさえ使えない『トリプルドライブ(鼎時制御)』さえも習得している。きっと攻撃魔法を覚えたかったのだろう。それでも使えず、ならばと彼は使える魔法を鍛え上げた。それがあの防御魔法の堅牢さ、補助魔法の万能さ、魔法技能の多種多様さ、魔力・術式運用の緻密さ、並列処理の速さ、そしてその全ての練度の高さに繋がっている。なのはにフェイト、はやてにクロノ、他の仲間たちもそうだが、これほど魔力資質に優れた者たちの中で、先天的な資質という点では『普通』な彼が、渡り合える実力を有している。天賦の才に溢れた者たちの中にいるから霞んでしまいがちだが、これは本来、驚くべきことなのだ。ただの自己犠牲ではこうはなれない。強くなろうとしたからこそ、今のユーノがある。孤独を嫌いながらも孤独の中で生き抜いてきたのだ。強くないわけがない。

 そんな彼が自分を卑下することが嫌いだった。いつも後ろにいて前に出てこないのが腹立たしかった。距離を取ろうとすることが理解できなかった。だから自分の方から彼に近づき、無理を押し付け、本音で言い合い、そして戦いに巻き込んだ。

 無限書庫の有用性は事実だけれど、それだけでは上層部の圧力に苦しみながら2年間も戦えはしない。認めさせたかった。無限書庫の有用性が認められれば、ユーノの評価も同時に上がるということ。彼に陽が当たるということだ。彼がそれを望んでいなくても、自身が認めさせたかった。この際、彼の意思は無視だ。悪友としてやりたいことをやるだけ。

 

 

 

 高町なのはとユーノ・スクライア。高町なのはと高町恭也。彼らの信頼関係が、本当に羨ましかった。

 

 

 

 彼らとの日常はこれまでのクロノの人生の中でも一番の輝きを放っていた。

 そんな日常が続くと、本気で信じていた。強く願っていた。

 

 

 

 だがその日常は、少しずつ不協和音を鳴らし始めて。

 

 

 

 きっかけは、なのはの『のっぺりとした無表情』。

 原因は……正確にはわからないまでも、おおよその察しはついていた。

 きっと、彼女も現実の壁にぶつかって苦しんでいるのだろうと。かつて自分がそうであったように。感情を押し殺し、現実の重さを受け止めようとしているのだろう。

 ならば支える。今度は自分が彼女を支えるのだ。

 なのはは少し自分とは違った。

 自分は現実を受け止め、しかし受け止めきれず、助けたいから助けるなんて楽観的なものであって、それが最善とは限らないのだと自分に言い聞かせた。そうして酷な判断も辞さないような機械の如き冷たさを持つに至った。

 なのははそうではなく、現実を受け入れられず、自分の力が足りないのだと判断し、より力を付けることに躍起になった。

 共通するのは、どちらも感情を押し殺したこと。

 結果、クロノは機械のような冷たさを持つに至った。対してなのはは、何の感情も感じさせないような『のっぺりとした無表情』を見せるようになった。

 

 

 

 それだけなら、まだよしとしても。

 

 わからないことがあった。

 

 なのはの、『笑顔』だ。

 

 

 

 笑顔なのに、これまでの温かさが感じられない。

 その笑顔はだんだん義務であるかのように張り付いた『笑顔』となり、彼女本来の笑顔が消えた。

 戸惑った。困惑した。

 原因はいったい何なのか。そう考えて、自分と彼女が置かれた境遇の違いに気づく。

 

 

 

 なのはは、クロノと違って、その笑顔でどこにいても輪の中心だった。

 

 

 

 時空管理局とて例外ではない。多くの局員が彼女を知り、彼女を頼りにし、彼女を信じた。フェイトが、はやてが、ユーノが、クロノが、仲間たちがそうであったように、局員たちも多くの人々も、彼女を信じたのだ。

 そして彼女は、いつの間にか時空管理局の広告塔のようになった。若手のエースとして大々的に広報され、『不屈のエース』として人々に周知させた。

 そうしてかけられるようになった『期待』は、クロノとは桁が違った。時空管理局だけでも『期待』の度は相当なものなのに、次元世界中がなのはに『期待』したのだ。

 

 

 

 『期待』は『嫉妬』を生み、敵対者には『敵意』を抱かせ、味方には『希望』を齎し、そうして更なる『期待』を望み、望んだ姿であることをなのはに強いた。

 

 

 

 高町なのはは、求められれば応える子である。

 そして――人の心に敏い。

 だからこそ、自身にかかる『期待』を、寸分違わず察した。いや、むしろかけられる『期待』以上のプレッシャーを感じていた。

 

――『すげえ、これが期待のエースか!』

――『そら来たぞ! 俺たちの天使のご登場だ!』

――『高町准空尉が来たと知らせなさい! もう大丈夫よ!』

 

 応えるべく、なのはは全力全開で行動した。最初はそれでよかった。何とかなっていた。

 だが成功すれば更なる『期待』が上乗せされる。『期待』されるということは求められるということ。

 次第に、無理を押すようになった。無理を押さねば、応えられないからだ。

 それでも、ある日。

 なのははついに、応えられずに終わってしまった。

 

――『エースと言っても、こんなものか』

――『笑顔を守りたい、ねえ』

――『どうしてもっと早く来てくれないんだ! 何が守るだ! 何がエースだ!』

 

 周囲は落胆した。

 同時に、なのはは理解した。

 真に怖いのは、期待に応えられないこと。守れないこと。笑顔を守りたいと願いながら、その笑顔を逆に失わせてしまうこと。

 

 

 

 高町なのはも、1人の人間であり、女の子である。

 失敗もする。わからないこともある。感情もある。笑顔でいられないくらいに悲しいこと、つらいこともある。単純に疲れているときもある。

 けれど、周囲はそれを、許さなかった。

 『期待』はなのはに応え続けることを強要し、求められれば応えようとするなのはは、ここでやめるわけにはいかなかった。それはなのは自身が『諦めない』ことを信条に掲げているからという理由もあろう。だがそれ以上に、すでに『不屈のエース』という『期待』がかけられたなのはは、そう在らねばならなかった。そう在ることを、求められていた。

 ならば、応えなければ。

 

 

 

 その結果が、太陽のような、周囲を明るくさせる笑顔とはまるで違う、中身のない『笑顔』という仮面を張り付けることに繋がった。

 

 

 

 クロノの時は、ただ自分自身との戦いだった。

 だがなのはは、自分自身との戦いに加え、周囲が向ける『期待』とも戦わなければならなかった。

 たった1人の女の子が、自分と周囲という大きな力に翻弄され、それでも戦い、無理を押し……。

 

 

 

 そして。

 

 堕ちてしまった。

 

 さらに。

 

 堕ちてなお。

 

 なのはは、『笑顔』を浮かべて『期待』と戦い、『無表情』で自分自身と戦い続けている。

 

 

 

 もう魔導師としては再起不能になるかもしれない。

 もう二度と自分の足で歩けなくなるかもしれない。

 どちらか1つだけでも、絶望を味わうには充分であろう。そんなことになったら自分はどうなるかわからない。怒鳴るのか、当たり散らすのか、自棄になるか、はたまたそのすべてか。夢破れ、理想はもはや叶わないと知って、自殺するかもしれない。可能性の話をすれば、いくらでも言えることはある。

 

 

 

 ただ1つ言えることは、笑うことなどできなくなるであろう、ということ。

 

 まして笑うことそのものが苦手な性分だ。愛想笑いであろうとできなくなるのではないか。

 

 だと言うのに。

 

 

 

「今日は調子がいいみたいじゃねえか、なのは」

「う~ん、どうだろう? せめて10歩くらいは進みたかったんだけどね、あはは」

「っ……」

「ヴィータちゃん?」

「……何でもねえよ。つか、あんな怪我してまだ1ヶ月と経ってねえのにいきなりそんな歩けるか! 欲張ってんじゃねえ! 無理すんなっつってんだろうがああああ!」

「うにゃああああ!? ふぃーふぁひゃん、ひはいひはい!」

 

 目の前でヴィータに頬をこねくり回されるなのは。よほど柔らかいのか、それこそ餅のようによく伸びる。おかげでなのはの表情はすっかり崩れきってしまっていた。

 そう、たった今ヴィータが言葉に詰まったときに浮かんだ『笑顔』。

 見ていられなかったのだろう。見たくもなかったのだろう。だからヴィータは、怪我人にこんなことをしたらシャマルの雷が落ちると知りながら、こうして茶化しているのだろう。

 このような方法しか、ヴィータには思いつかないから。

 怒られても構わらない。多少なのはに嫌がられようと構わない。

 あの『笑顔』を見るくらいなら、怒られようが嫌われようがずっとマシだから。

 

「その辺にしてやってくれ、ヴィータ」

「ち、しょうがねえ。なのは、オメーの兄貴に免じてこのくらいにしておいてやるぜ」

「ううううう……私、何も悪いことしてないのに~」

 

 少し距離を置いてなのは・ヴィータ、そしてクロノの様子を見守っていた恭也が、さすがに助けてやるかと横合いから入った。ヴィータもとにかく行動したものの、引き際に困っていたのでこれ幸いとなのはから離れる。思い切りこねくり回されたなのはは若干目が回ったように上半身を揺らしながら、両手で自分の顔をさすっていて。

 そしてその手が離れたとき。

 再び、なのはの顔には『笑顔』が張り付いていた。

 

「っ……!」

「…………」

 

 ヴィータは恭也の影に隠れて眉を顰め、唇を引き結ぶ。恭也は泰然としていたが、目を閉じているところを見ると、もしかするとこの強い人でも、大切な妹のこんな『笑顔』は見たくないと思っているのかもしれない。

 

 

 

 『不屈のエース』だからこそ、今まさに『不屈』であることを求められている。今こそ笑わなければならない。笑って、どんな苦しみにも耐え抜いて、必ず復帰して見せなければならない。

 

 ただでさえ堕ちてしまった。『期待』に応えることができなかった。これ以上、皆を失望させてはいけない。もう『期待』を裏切ってはいけない。

 

 

 

 堕ちたことで目が覚めるどころか、一層なのはは『期待を裏切った』ことを負い目に思い、絶望的な現実を前にしても求めに応じなければならないという、一種の強迫観念に突き動かされていたのだ。

 その影響は、なのはとユーノの関係にも及び始めた。

 

「あんなに温かかった背中が、何だか冷たいなあって……私のせいだから、自業自得なんだけど、ね」

 

 気づいていた。ユーノがなのはに『依存』していることは。フェイトの『依存』に気づいた時点でユーノの『依存』に気づかぬはずがないのだ。

 そしてなのはの『私のせいだから』の言葉に込められた『罪悪感』も。ユーノが持っている『罪悪感』も。

 敬意を抱いている2人のことだから、自分にはわかったのだ。

 

 

 

 我慢が、ならなかった。

 

 

 

 なぜだ。

 なぜ、この子が。この明るい子が。周囲を笑顔にさせてくれる女の子が。ただ1人の、みんなが笑顔で、幸せでいられることを心から願う女の子が。

 勝手に『期待』し、勝手に落胆し、勝手に見放し、勝手に中傷する、そんな輩どもに。

 なぜ、笑顔を奪われ、大切な親友や仲間たちとの関係を犠牲にしてまで、振り回されなければならないのか。

 自分を救い、仲間を助けてくれた高町なのはが、なぜ、こんな理不尽な目に遭わねばならないのか。

 なのはだけではなく、なのはとユーノ、なのはと恭也、この2組の間にある関係にさえヒビを入れられているのに。

 元々納得がいかなかった。魔法至上主義を是正もせず、情報軽視の風潮を省みようともせず、時空管理局は肥大化を続け、そのために現場の魔導師が大きな負担を課せられて疲弊して。

 なぜ、父が属し、母が属し、自分が属する組織が、こんなことを許すのか。むしろ率先してなのはを、フェイトを、はやてを、ユーノを、仲間たちを苦しめるのか。

 その上、せめてなのはをこんな目に遭わせた犯人を追おうとしているのに、あろうことか時空管理局が邪魔をするとはどういうことか。

 手を引けだと?

 

 

 

――ふざけるな!

 

 

 

 だから、決めた。

 時空管理局を、変えてやると。

 どんなことをしてでも、今度こそ、なのはを、フェイトを、はやてを、ユーノを、仲間たちを、尊敬する人を、守るのだと。

 そのためならば、嫌われてでも、為すべきことを為すと。

 

「……あの、クロノくん? さっきからずっと黙ってるけど、どうしたの? 何だか顔が怖いよ?」

 

 ならば、まずすべきことは。

 なのはのこの『笑顔』と『無表情』を、どうにかすることだ。

 

「……なのは」

「うん」

「君が復帰を目指すのはなぜだ?」

「え?」

「なぜ、こんな苦しいリハビリをしてまで、復帰を目指す? 死にかけるような怪我をして、それでもまだ戦場に立とうとするのはなぜだ?」

「おい、クロノ!」

 

 ヴィータが痛いくらいに腕を掴んでくるが、振り払うこともなく、なのはだけを見据えた。戸惑うように目を瞬かせているなのはだが、ややあって『笑顔』を浮かべて。

 

「私は、諦めないが口癖の、不屈のエースだよ?」

「だからか?」

「うん。復帰しなきゃ。助けを求めている人はいっぱいいる。いつまでもベッドの上で休んでなんていられないよ。頑張って復帰しなきゃいけないんだ」

 

 ああ、君は本当に、優しすぎる。

 クロノ・ハラオウンが本気で敬意を抱いた少女の芯は、決して折れていない。そこに安堵して。

 同時に、苛立ちが湧き上がった。

 こんなに苦しめられているのに、どうして君は笑える? どうして怒らない? どうして泣かない? どうして、この期に及んで、勝手な輩どもの勝手な『期待』なんぞに応えようとする? 死にかけたんだぞ? 殺されかけたんだぞ? もう歩けないかもしれないんだぞ? 魔法を使えないかもしれないんだぞ? そもそも『期待』をかけていた勝手な連中は、もう君のことを見てもいない。勝手に失望して、勝手に見放している。そして今度はまた別の者を旗印に掲げているだろうさ。そう、使い捨てだ。使い捨てにされてるんだぞ? もう僕たち以外は誰も見ていないのに、君はまだそんな連中のために必死に応えようというのか?

 なぜだ?

 ……わかっている。この苛立ちはただの八つ当たりだ。なのはにぶつけていいものではない。そもそもなのはにぶつけること自体がお門違い。筋違いも甚だしい。

 けれどそうとわかっていて。けれど止められなかった。

 なのはは言った。『したい』ではなく、『しなきゃいけない』と。『期待』に応えなければならないのだと、そう言っているのだ。

 

「なのは、もう1つ聞きたい」

「……何かな?」

「おい、クロノ! いい加減にしろよ! なあ恭也、お前も止めてくれよ!」

「…………」

 

 怒りも顕わにヴィータが恭也を見上げるが、恭也は黙ってクロノを見据えている。怒っているのか何か思うところがあるのか、ヴィータにはわからない。その間も、クロノは2人のことなど眼中になく、ただなのはと向き合い続けている。

 

「君は、いったい何を諦めないんだ?」

「え……何って、それは……私は、『不屈のエース』だからで……あ、あれ……?」

 

 なのはの顔から、『笑顔』が消えた。『無表情』が浮かぶも、それもまた一瞬。いきなり、戸惑ったようになのはは瞳を揺らし始める。口はパクパクと動くも、言葉は出てこない。

 やはり、忘れている。

 『理不尽や不条理と戦う』というクロノ・ハラオウンの決意の根源にあるものが、『父のような悲しい犠牲を、母のように哀しむ人を、もう出したくない』という想いからくるように。

 高町なのはにも、『不屈』『諦めない』という信念の根源たるものがある。それがあるから、高町なのはは『不屈』であり『諦めない』のだ。

 

――なのは。君は、『みんなの笑顔を守りたい』から、諦めないんだろう?

 

 自分も忘れていたことがあるから、よくわかる。なのはに共感を覚える。

 けれどだからこそ。言わねばならない。

 

 

 

「なのは。今の君に、笑顔を守ることなんてできはしない」

 

 

 

 なのはの身体が大きくびくついた。横から大声で罵る声が聞こえる。だが意識は全てなのはに向けている。思い切り掴まれてでもいるのか、腕が痛む。だがそれがどうした。知ったことか。邪魔するな。

 今のなのはに、笑顔を守れるわけがない。本当の笑顔を失っているなのはが、どうして誰かの笑顔を守ることなどできようか。実際、目の前にいる男1人でさえも、笑顔にできないのだから。

 

「少なくとも、僕は今の君といても、笑顔になどなれない」

「――っ!」

「クロノ、てめえええええ!」

 

 今度ばかりは無視もできなかった。頬に飛び込んできた拳に、そのまま体を吹き飛ばされ、椅子から転げ落ちて床に投げ出されてしまう。鉄の味。口の中を切ったか。見上げれば、恭也に羽交い絞めにされているヴィータが視界に映る。ああ殴られたのかと、今更ながらに理解する。が、そんなことはどうでもいい。視線を動かし、ベッドの上のなのはを見る。なのははクロノと目が合うと、途端にそらした。そこに『笑顔』も『無表情』もない。ただ、怯えている。その顔が、やめてと訴えている。

 やってしまった。

 強く、実感した。なのはを、傷つけてしまったと。

 何をしているのかと、自分を責めた。

 だが……謝罪は口にしない。ごめんなどと、ここで言ってはいけない。

 決めたことだ。嫌われてでも、為すべきことがあると。明らかにやり方は間違っていたが、でももう引き返すことはできない。

 

「君の笑顔は、君のものだ。決して、周囲の誰かの笑顔を守るための道具なんかじゃない」

「…………」

 

 安心させるために笑うことはある。それは間違っていない。

 けれど笑顔とは、本来、作るものではない。それはただの愛想だ。なのはの笑顔は、なのはが浮かべたくて浮かべるもの。誰かを守るために浮かべるなのはの笑顔は、なのはがみんなの笑顔を守りたいとなのは自身が望むからこそ浮かぶもの。強要されるものではないし、仮面のように張り付けてまで求められるものではない。

 

「僕が憧れたのは、心からみんなの笑顔を守りたいと願い、望み、そのために諦めない高町なのはだ。仮面の笑顔を張り付けて、何に対して不屈であるのかも忘れて、ただ周囲の勝手な馬鹿どもの『期待』に応えるためだけの高町なのはは、僕にとっての高町なのはじゃない」

「やめろって言ってんだろが! 今のなのはにどんだけひでえこと言ってるかわかってんのかテメエ! それ以上喋ったら、その舌引っこ抜いて――!」

「高町なのはは!」

 

 ヴィータの声に覆い被さるように言葉を重ねる。その声量に、ヴィータが怯んだ。彼女を抑える恭也でさえ、戦慄を覚えたかのように一瞬だろうと固まるほどに。そしてなのはは。耳を塞いで怯えていて。

 

「高町なのはは、1人の人間だ!」

「――――」

「嬉しいときは喜んで! つらいときは悲しんで! 許せないときは怒って! 怖いときは怯えて! いつだって全力全開で! それでいて、ただ誰かの幸せを願って、笑顔で在ってほしいなんて甘すぎる、とことんまでお人好しの、けれど誰よりも優しい子なんだぞ! どいつもこいつも、そんな女の子1人に、いったい何を背負わせた!? 殺されかけて、死にかけて! それでもまだ笑うことを強要する! ふざけるなっ! なのはの笑顔はなのはのものだ! 誰のものでもない! ああ、僕の勝手な憧れなんてどうでもいい! 誰かの勝手な押し付けで高町なのはを決めつけていいわけがない! なのはの笑顔を曇らせていいわけがない! 『不屈のエース』!? 『希望の星』!? 違う! 高町なのはは『高町なのは』だ! 高町なのはは――誰よりも眩しくて明るい笑顔で笑う、ただ1人の、女の子なんだ!」

 

 口を突く言葉は普段の理路整然からすればあまりに無茶苦茶で。思いついた言葉を並べるどころか、何も考えていないだけ。ただ、理性がいちいち考える前に、本心からの言葉が出ているに過ぎず。

 

「高町なのはは、平和のための道具じゃない! 時空管理局の正義の人柱でもない! その笑顔を奪う権利は、誰であろうとありはしない! たった1人の女の子の幸せも笑顔も奪わなければ成り立たないような平和などクソくらえだ! そんな世界なら、そんな組織なら、さっさと滅びてしまえ!」

 

 仮にも執務官が言う言葉ではない。だが執務官である前に自分は人間だ。大切な仲間のこんな姿を見て、どうして黙っていられようか。

 ようやく、息が切れた。肩を上下させながらクロノは俯く。まだまだ言い足りなかったが、喉が痛んで仕方がない。張り裂けそうだった。

 闇の書事件のときの裂帛の気合いと変わらない、いやむしろそれ以上だったのではないか。ゆえに、ヴィータも恭也も我を忘れて微動だにせずにクロノを見下ろしていた。

 

「…………帰って」

 

 そんな中で、声を出したのは他でもない――なのはだった。

 体が震えている。恐怖か、憤怒か、逸らした顔は垂れ下がる髪に隠れて見えない。シーツを握り締め、唇を噛み締めていて。

 

「……帰って。今は……クロノくんの顔、見たくない」

「……そうか」

「――帰ってよ!」

「……わかった」

 

 応答の言葉さえ聞きたくもないのか、なのはは膝を寄せて顔を隠し、耳を塞いだ。

 自分を完全に拒絶している姿に、当然だろうと思いつつ立ち上がり、今一度なのはを見て。小さな、あまりに小さな今のなのはの震える様子に、あまりに大きな罪悪の念が今更ながらに噴出する。口を突いて『すまない』という言葉を吐きだしそうになるほどで。が、それは唇を引き結んで何とか耐えた。ただこのままここにいれば言ってしまいそうで。クロノは踵を返し、扉を開いて出ていく。

 

「――アタシは絶対に許さねえからな、クロノ!」

 

 我に返ったヴィータの怒声が背中に向けられるが、クロノは構わずに部屋を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――っ!」

 

 身体が反射的に大きくびくつき、その反動でクロノは目を覚ました。しばし呆然としていたが、自分の周囲をぐるりと見渡し、ここが自身の執務室であることに気づく。どうやら寝てしまっていたらしい。座って寝ていたせいか、体の節々が痛んで仕方ない。額に手をやればぬるりとした感触。寝汗がひどかったらしい。気持ちが悪かった。シャワーでいいから風呂に入りたい衝動に駆られるが、入浴施設は居住区だ。そこまで移動するのも何だか億劫で、クロノは額に置いたままだった手で髪をかき上げた。

 

「……わかっているさ」

 

 力なく天井を見上げる。

 許されないことなど、言われなくとも充分わかっている。

 

――『何やってるんだよ! 何を、何をやってるんだよ、お前!』

 

 ヴィータの怒りもユーノの憤りももっともだ。何しろ自分でも自分が許せないくらいなのだから。

 なのはに言ったことは、そのままクロノ自身にも撥ね返ってきていた。

 周囲がなのはに『期待』している。その周囲の中に、自分自身も入ってはいなかったかと。

 

「……勝手な押し付けで、なのはを決めつけていいわけがない』

 

 よくもそんなことが言えたものだと思う。クロノ・ハラオウンとて高町なのはをこういうものだと決めつけていたではないか。

 

――『僕が憧れたのは、心からみんなの笑顔を守りたいと願い、望み、そのために諦めない高町なのはだ。仮面の笑顔を張り付けて、何に対して不屈であるのかも忘れて、ただ周囲の勝手な馬鹿どもの『期待』に応えるためだけの高町なのはは、僕にとっての高町なのはじゃない』

 

 なのはが期待に応えようとしていた『周囲』の中に、クロノを含む仲間たちも含まれていたはずだ。そうでなければなのはが『笑顔』を向ける対象になるはずがないのだから。なのははたった1人、孤独の中で戦い続けていた。

 笑ってほしい。

 その気持ちに嘘偽りはない。ただ、悪意はなくとも、それがなのはにプレッシャーとして降りかかっていたのではないだろうか。なのはは敏い子だから。自身に向けられた感情、気持ちに敏感だから。そしてそれに応えようとする子だから。

 

「間違っていない、か……」

 

 いつかはなのはに言わなければならないこと。『笑顔』と『無表情』のことを。なのは自身が気づいてくれることが一番いいのだが、そうなる保証はない。第一、それは指摘したくないという逃避。なればこそ、言わなければならなかった。

 ただ、間違っていないとは、とても言えなかった。

 もうちょっと機を見るべきだったかもしれない。他の言い方もあっただろう。

 けれどあの時点でなのはの撃墜から3週間。なのははすでにリハビリさえ始めてしまった。負った怪我からすればあまりに早い。

 撃墜される前も、なのはやフェイト、はやてのことは気がかりだった。もっと強く止めるべきではないか、いや、まだもう少し様子見でもいいかもしれない……そんなふうに悩んでいた。悩んでいたというのは実に体のいい言葉で、言ってしまえば悩むばかりで本気で止めはしなかったということに他ならない。そうしてあの日、撃墜の時を迎えてしまって。

 故に、今ここで、今度こそ止めなければ。ズルズルとそのまま時間がただ過ぎていけば、それこそ機を逃す気がして。

 今回は何とか一命を取り留めた。だが次は?

 そう考えたら、自分を抑えきれなかった。ここで止めなければ、ここで言わなければ、絶対に後悔すると。

 浮かんだのだ。3歳の頃の記憶が。遺影の父と、1人涙を流す母の背中を。

 

「結局、どうすれば最善だったんだろうな?」

 

 誰もいない空間へ、疑問を投げかける。もちろん返ってくる答えなどありはしない。

 後悔しないために行動したはず。けれど結局後悔は生まれる。

 ごめん。すまない。

 何度も口を突いて出てこようとする言葉だ。だがその度にその言葉を飲み込む。悪いとは思う。けれどこれは言ってはならない。謝罪の言葉を口にすることで、自分の罪悪感をとにかく減らそうとしているようだからだ。この罪悪感は背負うべきもの。『嫌われてでも、為すべきことがある』。その『覚悟』を貫くためにも、この罪悪はすべて背負わねばならない。軽くしようなんて卑怯なことを考えてはいけないのだ。

 

「……お前ならどうする、フェレットもどき」

 

 誰もいない空間に、その影を思い浮かべて投影する。

 『彼』は怒りに表情を歪ませ、軽蔑を浮かべた厳しい視線でクロノを射抜いている。

 

――『もうお前とは話すこともないし、顔も見たくない』

 

 そして『彼』は背中を向け……。

 

――『……僕は、お前なんか大嫌いだ』

 

 今まで幾度も言い合った、けれどそのときばかりは軽口などではなく、本気で縁を切るためにその言葉を使った。

 そうして『彼』は消える。

 ユーノとのことは誰にも話していない。何となく言いたくなかった。なのはとのことも言い出せないままだ。放っておいてもすぐにヴィータが言うのではないかと思っていた。ただ、今のところはフェイトもはやても、クロノに対して怒鳴ったり無視したりということはない。

 途端に、執務室に誰もいないという状況が、まるで世界にただ1人取り残されたような感覚を生む。このまま外に出ても、誰も見向きもしないのではないか。いや、いちいち名前が出てこないような連中などどうでもいい。だが仲間にだけは、そんな態度を取られたくはない。

 

「君はずっと、こんな感覚を抱いていたんだな、なのは」

 

 自分と戦い、周囲とも戦い続けてきたなのは。だからこそ『無表情』だったのかもしれない。そして仲間や親友にだけは見捨てられたくないと『笑顔』でいたのかもしれない。

 それに気づいてあげることができなかったこの身が恨めしい。情けない。不甲斐ないにも程がある。

 

「心配しなくても、君には僕などよりもっと君を想う仲間がいるし、親友もいる。この中の誰一人として、君を見捨てはしない。だから今は、体と心を休めてくれ。そしていつか、ゆっくりでいいから……」

 

――君の、本当の笑顔を、取り戻してほしい。

 

 なんとも小っ恥ずかしいセリフだ。こんなセリフが吐けることが自分でも信じられない。どうせ嫌われるのなら、あんなひどい言葉ではなく、こっちを言っておけばよかったかもしれない。

 ただ……もう自分がなのはの笑顔を見られることは、おそらくないだろう。少なくとも、それが自分に向けられることは……ない。

 

「……嫌われてでも、為すべきことがある」

 

 ユーノにも宣言したことだ。上を目指す。嫌われてでも為すべきことがある。誰もやらないのなら自分がやる。

 なのはに嫌われ、ヴィータに嫌われ、ユーノに嫌われた。恭也にも、嫌われたかもしれない。

 ここまで信頼できる仲間や友がいなかった昔なら気にもしなかったろう。けれど今は、あまりにもつらい。

 上を目指すということはそういうことでもある。いつだって、どんな世界だって、人の社会であるのならどこだって変わらない。組織というものは、上層と末端、前線と後方、対極的な位置にある場合、必ずと言っていいほど仲が悪い。どちらの言い分が正しいとも悪いとも言い切れない。

 上を目指すのなら、この先もっと多くの人に恨まれるだろう。嫌われるだろう。まして自分がやろうとしていることは、組織の改革だ。風潮の変革だ。保守的な人からすれば敵以外の何者でもあるまい。変化を受け入れられない人は多い。いちおうは平和と言える今を変えるとあれば尚更。

 

「……今更だな」

 

 もうなのはにあそこまで言ったのだ。ユーノに宣言までしたのだ。もはや引き返すことなどできはしない。

 椅子から立ち上がり、クロノは重い体を伸ばし、意識して体を逸らして背筋を伸ばす。仲間を失った喪失感や罪悪感が薄れるわけではないが、進むしかないという気持ちくらいは多少なりとも出てくる。そのまま執務室を出て法務部の給湯室へ。途中、幾人かの執務官や法務官と挨拶を交わしたが、彼らはずいぶんと怪訝そうな顔をして通り過ぎる。それだけひどい顔をしているのかもしれないなと苦笑しつつ、給湯室でタオルを濡らして執務室へ戻る。顔と体を拭いて。少しでもサッパリしてから時計を確認。22時57分。日が変わるまでまだ1時間はあるなと考えていて、ふと家に電話をするのを忘れていたことに気づく。この分だとまたリンディを怒らせてしまうかもしれない。最近無理をし過ぎだと窘められたというのに。

 

「何の成果もないままでは終われないんだ、母さん」

 

 つまらない男の意地。そうとわかっていても、止められないものもある。

 クロノは机に乱雑に置かれた資料を一旦まとめ、今一度その資料の山を確認していく。クロノ自身が調査して得た情報、ユーノが調べ出してまとめてくれた資料、そしてあの監視者から得られた情報。その全てを見直し、机に広げ、それではスペースが足らず、ソファーに囲まれたテーブルにも並べる。

 

「なのはが狙われたのは故意なのかただの偶然か……」

 

 故意だろう。ただし、故意と言ってもなのはである必要はなかったとクロノは見ていた。相手にとって、あの戦闘は戦闘機械のデモンストレーションに過ぎない。ある程度の質と数を両立した部隊を相手にできればよかったはず。なのはが堕ちたのはそれこそいろんな不安定要素が絡んだ結果に過ぎない。だがデモンストレーションとしては十二分の成果が出たと言うべきだろう。すでに情報部の方で、なのはを撃墜した戦闘機械が裏で取引されているという情報をキャッチしていた。

 

「そしてその戦闘機械はミッド地上のゼスト隊を全滅させた際も出てきた。そしておそらく、戦闘機人もいた」

 

 ゼスト・グランガイツ率いるミッドチルダ地上本部首都防衛隊第4部隊、通称『ゼスト隊』は、戦闘機人と戦闘機械の前に全滅。この戦闘機械はすでに解析に回され、AMFが通常装備された機体であることが判明している。

 ゼストたちは何者か――おそらく時空管理局のかなり上の存在から、『極秘命令』を出されて動いていた。ユーノはこの『極秘命令』が戦闘機人を法に触れない形で量産し、これを回収していくことで戦力化するためではないかと推測している。

 そしてゼストとレジアスが盟友関係にあり、しかし最近はその関係に溝ができ始めていたという情報。これは監視者からの情報だから全面的に信頼できるものではないが。

 この『極秘命令』を出した者は、監視者とは別の勢力の可能性も高い。もちろん監視者が虚偽を語っている可能性も捨てきれない。しかも監視者はもう1人いて、これが『極秘命令』を出した者たちの側ということもあれば、まったく別の第三者という可能性もある。

 ただどの可能性にしても、ジェイル・スカリエッティが絡んでいるのは確実。そして監視者は彼から手を引けと言う。

 

「くそっ。決定打がない……!」

 

 掴んで読んでいた資料の束をテーブルに放り投げ、ソファーに乱暴に座り込む。

 いろんな可能性が浮かぶが、どれもこれも推論だ。ゼスト・レジアス・ジェイル、そして2人の監視者や『極秘命令』を出した存在に加え、接触してきた監視者が属する勢力。怪しい臭いがするどころか怪しさが幾らでも転がっているのに、そのどれもがもやもやしていて掴めない。全てを繋ぐ何かが足りない。

 証拠だ。証拠がない。

 すべては推論。状況証拠。裁判を想定したら確実に敗訴する。クロノが相手の側に立って弁護しても、いくらでも無罪に持っていけるし、逆に名誉棄損で訴えてやることさえできよう。

 

「やはりジェイル・スカリエッティを追うことだけが今できる最善手か?……いや、時間の問題か」

 

 日増しにクロノに対する縛り付けは強くなっている。ジェイルの捜査は専任の執務官がするものと決められている。法務部長からも目を付けられているし、専任執務官たちからも苦情が来ている。彼らまでもが何者かの傀儡に見えてくるし、傀儡ならばまだしも意図して自ら与している共犯者であったとしたら最悪だ。

 ゼストが焦って行動を急いだのもよくわかる。圧力をかけられ雁字搦めにされていくこの感覚。彼もこれを味わっていたのではなかろうか。

 

「どうする? 監視者を追って炙り出す……いや、無理だ。あいつももう1人も完全に影に徹している。まるで掴めない」

 

 あの接触以来、会った方の監視者も、もう1人の監視者も、まったく影さえ感じさせなくなった。本気で隠密に徹するとクロノでさえもまったく掴めない。データベースを洗ってもあんな目立ちそうな召喚魔法なのに使い手の記録はない。まあ、そんな情報を残しておくわけもないだろうけれど。データを改竄したような跡もない。時空管理局内にいるのは間違いないのだから、確実に改竄しているか隠蔽しているかのどちらかなのは間違いないのに、その跡も残さない手練れ。カマをかけて理事官や顧問官を調べるフリをしたり、これ見よがしに執務室に隙を作ってやったりもしたが、見事に反応なし。それでもいることは間違いないだろう。だからこその縛りつけの強さなのだろうから。完全に手玉に取られている気分だ。

 

「……フェレットもどきの協力を得られないことが、これほどまでに響くとはな」

 

 苦々しい笑みが浮かぶ。

 ユーノがいても進まないことは多々あった。それでも1人より2人だ。それに、行き詰っていてもこいつが何か言い出すのではないかという期待は常にあった。その期待を裏切られたと思ったことは一度としてない。ユーノが『妄想』と言った推論にしても、クロノにとっては寝耳に水だったのだ。別に何も見つからなかったとしても構わない。これまで集まった情報をまとめてくれるだけでもありがたいものなのだ。クロノ1人なら袋小路に入る思考を、ユーノがいれば脱出口とまではいかずとも、別の道を提示してくれたり、少し戻ることを勧めてくれたり、時にはまるで予想外な場所に転移させてくれたかのような可能性を見出してくれたり。本題から逸れていたっていいのだ。馬鹿話、いつもの軽口・悪口の応酬でもいい。それで気は楽になるし、少なくとも……今のような孤独感や無力感は抱かずに済む。

 どれだけ自分がユーノを当てにしていたか。ユーノを信頼しているか。ユーノを信用しているか。

 それらを痛感させられる。

 ユーノがいれば、上を目指す艱難辛苦が、どれほど和らいだだろう。どれほどの助けになってくれたろう。

 ユーノだけではない。なのはが、フェイトが、はやてが、仲間たちがいてくれたら、どれほど心に余裕を持ち続けられたろうか。

 

「……背中が冷たい、か。なるほどな」

 

 なのはが言っていたことが本当によくわかる。ユーノほど、背中を任せてよいと思える相手はいなかった。戦闘で彼とタッグを組んだことはないが、無限書庫の件を始め、ユーノとは協力し合った。おそらくは戦闘でも、きっと不本意だと言い合いながらも最高の戦いができたのではなかろうか。

 だが……どれもこれも、言ったところで詮無いことだ。

 

――『頼まれていた資料。これまでの付き合いもあるから、最後にそれだけは渡す。でももう、お前には金輪際手を貸さない』

 

 もう、ユーノとは、袂を分かってしまったのだから。

 

「……くそっ」

 

 何もかもを放り捨てるように思考をやめ、クロノはソファーに倒れ込む。

 不本意だった。本当に不本意だ。不本意と言う以外にない。

 ユーノと袂を分かってしまったことも。ユーノを当てにしてしまっていることも。何とか……ユーノともう一度手を組めないかと考えてしまうことも。ユーノのことでこれほどまでに後悔してしまっていることも。

 なのはのことだってそうだ。あんなことが言いたいわけではなかった。

 そして。

 『嫌われてでも、為すべきことがある』と『覚悟』を決めたくせに、泣き言・弱音の類を早くも零してしまっている自分自身に対しても。

 すべてが、不本意だ。

 

「……面倒くさい」

 

 帰宅も。思考も。ユーノのことも。なのはのことも。フェイトのことも。はやてのことも。何もかも。

 すべて忘れて寝てしまえ。どうせ明日になったらまた苦しんで悩んで、それでも考えて行動して。その繰り返しなのだ。別に今夜はもう寝てしまったところで、誰も何も言うまい。

 投げ遣りになりかけたクロノは、ソファーの上で体勢を変えてそのまま寝ようとして。

 ふと、資料を並べたままのテーブル、その端の方へと視線をやる。

 

「…………」

 

 忘れていたことがあった。だがもうどうでもいいという気持ちが前面に出てきてしまい、動くかどうか迷った。

 が、そこはやはりクロノ。真面目な性分はこういうところでも変わらないらしい。

 溜息1つ、緩慢な動きで身を起こし、テーブルの端に置いてある、封筒に入ったままの資料を手に取る。

 

「…………」

 

 ユーノが、最後にくれた資料。

 何となくこれを開けることが躊躇われた。ずっとそうだったから、今まで開封できていなかった。自分でも女々しいと思うが、これを開けたらそれで何もかもが終わる気がしてしまうのだ。あと、こっちの気も知らずに好き勝手言いやがって、という苛立ちからくる、お前なんぞに頼るものかという変な意地もあった。

 だがもはやそれも今更だ。もう引き返せはしない。躊躇いも変な意地も、もはや何の意味も成さないのだ。ならばせめて、これを最大限に活かすことが、せめてもの罪滅ぼしではないだろうか。

 そう思い、クロノは封を開ける。

 

「ふむ。なのはを撃墜した戦闘機械のことか? 戦闘機械の解析結果はもうすべて報告を受けているが……あいつなりにまとめたのか?」

 

 律儀に章立てをして、目次のページも用意して、きっちりと読みやすく整理されている。読み手の癖をまるで理解しているかのように。それが嬉しいやらムカつくやら。クロノはムッツリとした顔で読み進めていき……。

 

「……これは……!」

 

 だんだんとその顔が真剣味を取り戻していく。ソファーから身を起こし、クロノは資料にすべての意識を傾けた。

 

「……あのフェレットもどき。最後の最後にとんでもない情報を寄越してくれたもんだ」

 

 ユーノと同じように目の下にクマを作っているが、それでもクロノの目には生気が戻っていた。

 こうしてはいられない。

 クロノは立ち上がり、それまでの緩慢な動きやすべてをどうでもいいと切り捨てるような投げ遣りな態度もどこ吹く風か、颯爽と執務室を出て行き、居住区画へと向かった。目指すは入浴施設。気持ち悪さを洗い落としてさっさと仕事に戻らなければならない。報告書を作らねば。そしてこの報告書に賭けるのだ。

 

「感謝してやるぞ、フェレットもどき。無駄にはしない。この情報、僕が最大限に活かしてやるさ」

 

 法務部を出ていくクロノを、先ほどすれ違った執務官や法務官たちがまた怪訝な顔をして見送っていた。先ほどとはまったく違う、まるで子供がちょっとした悪戯を思い浮かべたような、そんな得意げな顔を、クロノは浮かべていたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――『古代ベルカにおいて、AMFは非常に重宝された。当時のベルカの騎士たちは、対AMF戦闘訓練を重ねていたことが明らかになっており、AMFを戦場に展開し、敵軍の魔導戦力を無力化した上で、AMF影響下でも戦えるだけの訓練を積んだ自軍の魔導戦力を以って、敵を一掃する戦法を使った』

 

――『ベルカの騎士、とりわけ古代ベルカ式においては、単騎かつ接近戦を得意としていることはすでによく知られている。一対一での正面からの戦いこそがベルカの騎士の誇りなのだ。AMFは卑怯の誹りを受けることもあったが、この戦法を最初に考案し、運用したその国は、あくまで遠距離魔法の使い手に対してAMFを用いたようだ。そうしてベルカの騎士らしく一対一かつ接近戦で戦えと主張し、安全な距離から一方的に撃ってきたり、集団戦を用いたりすることこそベルカの騎士ではないと反論した』

 

――『このAMFには欠点もあった。それは、AMFが高位の防御魔法であることから制御が困難であり、ただでさえ限られる魔導師の中でも、AMFを扱える者はさらに限られた点だ。通常の防御魔法が単純に敵の攻撃を受け止めるものであることに対し、AMFは魔力の結合を阻害するという方法で攻撃を防いでいる。結合を阻害するには、魔力素がどのように結合しているか、まず相手の魔法の分析をせねばならず、その分析に手間取ればただの防御魔法より脆く崩れ去る。よほど制御能力、演算能力に優れていなければならない。当時はデバイスの能力も今ほど高くはなく、アームドデバイスともなれば処理能力は当時のストレージデバイスよりもさらに下だ。従って、魔導師本人の能力が高くなければならないことは言わずもがなであろう』

 

――『そこで開発されたのが、この戦闘機械を始めとしたAMF装備の兵器群と思われる。人よりも早く正確な演算ができる機械に、AMFの運用を任せたという形を取ったと見られる。そうして実現したこの戦法を用い、その国を率いた『聖王家』は、ベルカ全土統一を一気に有利に進めていったと見られる。なぜなら、見つかった歴史書や設計図などから、兵器群が開発されたとみられる時期は、聖王家の進攻の勢いが増す直前時期であるからだ』

 

――『さて、この戦闘機械は、AMFを通常装備している点、資料から見つかった画像や設計図等から、古代ベルカの兵器と97%の確率で合致する。そしてこの戦闘機械は、AMF兵器群の後期型である。古代ベルカのAMF兵器群、最新にして最後の型とも言えるかもしれない。そのような機体が重要な施設や兵器の護衛等に配備されていることは至極もっともではないだろうか』

 

――『重要な兵器。古代ベルカを論ずる上で、殊に聖王家を語る上で、欠かせない兵器が存在する。現在では幻とも作り話とも指摘されることがあるその超巨大兵器は、聖王の聖王たる証明とも言えるものだ。資料によれば、この戦闘機械はその超巨大兵器にも多数配備されていたようである』

 

――『その超巨大兵器はアルハザードの遺産という説もある。その名を――』

 

――『【聖王のゆりかご】という』

 

 

 

 

 

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