リリカルなのは ANOTHER LOCUS   作:ウルフ中隊

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LOCUS 15-1

 

 クロノ・ハラオウン執務官の暗殺。

 最高評議会から下りてきた指示に関してはまったく異論ない。むしろ都合がいい。そろそろ邪魔になってきていたところだ。

 

『聞いて呆れろ、〝グラーバク〟。ラルドの奴め、『ゲルプ隊』を動かそうとしたぞ』

「馬鹿か?」

『大馬鹿だ。今更だが』

 

 聖王教会の強硬派であるラルド卿を使おうとするのも別に問題ない。ラルド卿にとってクロノは幾度となく煮え湯を飲まされてきた腹持ちならない敵だ。はるかに年下のクロノを前に、八神はやての懐柔も引き抜きもできず、無限書庫を潰すこともできなかった。はやての拉致計画さえ練っていたようだが、地上本部が相手ならまだしも、聖王教会が本局との関係を壊したくない以上、それは少々やり過ぎだ。

 そんな男に降って湧いたクロノ暗殺の好機。食いつかないはずがない。最高評議会の目の付け所は決して悪くない。最高評議会としては教会騎士団が動こうと別に構わないのだ。むしろ教会騎士団が動いたとあらば、それこそ聖王教会に局員暗殺の嫌疑を向けることさえできるのだし、諸手を上げて歓迎することだろう。聖王教会の権威や力をより削ぎ落とすことができるのだから。めでたく時空管理局一強時代の到来というわけだ。

 さすがにこれは看過できない愚策。愚行の極み。

 

「騎士団を動かせば、融和派のグラシア卿たちが気づきかねん。まして暗殺などに動いたと知れれば、失脚は免れまい。それすらもわからないのか、我らが盟主は」

 

 融和派のグラシア卿はラルド卿のこうした強硬措置に勘付き始めている。聖王教会のためにも、時空管理局との友好関係維持のためにも、下手なスキャンダルになりかねないネタは放置できないだろう。

 ラルド卿如きグズなど、所詮は都合の良い隠れ蓑。最終的に失脚しようが投獄されようがどうでもいいが、まだまだ利用価値がある。ここで捨てるのはもったいない。

 

『そのように進言して止めた。ただハラオウンの小僧は絶対に消せとのお達しだ』

「そのお達しだけでいい。それで責任は奴にあることになる。実行するのは我々。奴が動くとロクでもないことにしかならん」

『いつもの連中を使えとのことだぞ?』

「『世界を殺す猛毒』とやらか。すっかりお気に入りだな」

 

 暗殺についてはすべて成功させているし、ジェイル・スカリエッティの施設への攻撃も失敗はない。研究成果の回収はできていないが、ジェイルの戦闘機械については物ともしない。その結果にラルド卿は充分満足しているらしい。

 

「『猛毒』か……少し連中は警戒すべきだな。AMFより厄介だ。敵に回すとどれほどの脅威となるか、脅威度を測っておく必要がある」

『ならば〝グラオファルケ〟に任せるか? 奴が率いる『暁の鷹』ならば、『フッケバイン』ともども裏の組織同士の抗争ということで済む』

「そうだな。〝グラオカーター〟を通じて情報を集め、折を見て〝グラオファルケ〟に仕掛けさせてみよう」

 

 AMF――〝アンチマギリンクフィールド〟は魔力の結合を阻害するが、エクリプスドライバーは魔力そのものを分断する力を持つ。厄介度合いは後者の方が上。利用できるうちはいいが、所詮は裏で蠢く異端。どだい信用などならない。いつ反目するかわからないのだから、対応策は早めに講じておくに越したことはあるまい。

 ただし、〝グラオファルケ〟が優先すべきはジェイル・スカリエッティの捕縛。『フッケバイン』はあくまで二の次だ。

 

『【聖王のゆりかご】か……ジェイル・スカリエッティが確保している可能性、どれほどと見る?』

「……わからん。だが無関係ではないだろう。あの戦闘機械を保有している以上はな」

『最高評議会との関係を疑って奴を追ってみたら、まさか【聖王のゆりかご】に行き着くとはな。ますます以って奴を逃すわけにはいかんぞ、〝グラーバク〟』

「当然だ。【聖王のゆりかご】は我々のもの。そう、奴でも、最高評議会でもない。聖王教会のものでも、聖王家のものでもない。ベルカのものは、すべてベルカのもの。正統なるベルカである我が祖国のものだ』

 

 〝グラオファルケ〟が率いる一大テロ組織『暁の鷹』に対して、時空管理局はいきなり特務隊を編成した。元々『暁の鷹』に対処するための部隊や特務隊がすでにあるにもかかわらずだ。取り立てて大きな事件を最近は起こしてもいないのに。どうやらタイプ・ゼロと呼ばれる2体の戦闘機人を、ジェイルの研究成果や理論を用いて『暁の鷹』が製造に成功したことがバレたらしい。

 ジェイルに対してといい、『暁の鷹』に対してといい、時空管理局は戦闘機人や人造魔導師に敏感に反応する。そのあたりが一層〝グラーバク〟たちの時空管理局へのある種の確信を肥大化させているというのに。

 こうなればますますジェイルの身柄は押さえたい。『暁の鷹』だけではなく、情報屋であり闇のブローカーの顔も持つ〝グラオカーター〟を通じて『フッケバイン』にもジェイルの施設を急襲させているのはそのためだ。

 情報は武器だ。情報源は複数かつ広範囲にある。

 時空管理局には〝グラーバク〟に〝グラオオルカ〟。

 聖王教会やベルカ自治政府には〝オヴニル〟に〝グラオヴェスペ〟。

 裏方面には〝グラオファルケ〟に〝グラオカーター〟。

 そして民間には〝シャンツェ〟。

 この7人を中心に、『グレイバック』は多くの組織や人員を従えている。すべては正統なるベルカである祖国再興のために。

 

「ああ、そうだ。いちおう〝グラオヴェスペ〟に伝えて『ゲルプ隊』をいつでも動かせるようにしておいてくれないか?」

『おい。お前まで何を言い出す?』

「まあ、待て。考えあってのことだ。最初から投入しろと言っているわけではない」

 

 クロノ・ハラオウンは曲者だ。年若いゆえに甘さも青さも否めないが、それでも通信先の〝オヴニル〟の妨害を2年間に亘って防ぎ、対抗してきた。そんなクロノが何の対策もなしにこんなハイリスクな行動を取るとは思えない。生還するための何らかの策を講じていると考える方が道理。

 そう言うと、〝オヴニル〟はクロノにいなされてきた経験から苦い顔をしたが、言っていることはきちんと理解しているらしく、反対はしなかった。

 

「二次策だよ。クロノ・ハラオウンが見事生還した場合、八神はやてと闇の書を手に入れるためには必要なことだ」

『猛毒どもは今まで誰一人生かして帰していない。生還の可能性は低いだろうがな』

「死んでくれたらそれが一番だが、念には念を入れておくというだけだ」

 

 〝オヴニル〟からの情報では、カリム・グラシアの側近のシスターが動いたらしい。おそらくは上手く懐柔しつつある少年が助力を願ったのだろう。時空管理局の部隊は動かせない。最高評議会の息がかかった部隊を動かせば3提督たちに知られてしまうし、逆に3提督側の部隊についても最高評議会からの妨害で動かせない状態にされている。

 少年とシスター、そしてカリムの3人は幼い頃からの親しい間柄。シスターは騎士団所属ではないながらも、陸戦AAAランクを持つ手練れだ。それでも魔法を使う以上はエクリプスドライバーたちが脅威であることに違いはないし、生き残れる可能性は低かろう。犠牲を増やすだけとも取れるが、死んだら死んだで構わないと便利な手駒である少年を思い出していると、〝オヴニル〟と繋がっている――サウンドオンリーであるが――空間モニターとは別に、もう1つの空間モニターがいきなり開いた。

 

『――〝グラーバク〟!』

 

 盗聴対策はしてあるが、顔を見られるのはさらにまずいのでサウンドオンリーで通信するのが『グレイバック』のメンバーの常識。にもかかわらず、空間モニターには1人の女性の顔が映し出されていた。普段からとても冷静な彼女らしくもない。深刻そうに眉を寄せ、明らかに慌てているではないか。

 

「どうした、〝グラオオルカ〟? 映像を――」

『あの緑髪の若造、今すぐに始末するべきです!』

 

 映像を切れと言い切る前に言葉を被せてくる、長髪を後頭部で丸く結わえている理知的な女性……の、はずだなのだが。今はその綺麗な顔を歪め、焦燥と憤怒に染めていて。

 

「いったいなんだ? どういうことかを説明しろ」

『とんでもない能力を隠し持ってました! 思考捜査のレアスキル持ちです! 頭の中を見られました……!』

『なんだと!?』

 

 がたんと椅子を鳴らしたのは通信の先の〝オヴニル〟か、それとも〝グラーバク〟本人だったのか。身を乗り出した〝グラーバク〟は、高速で思考を回していたが、ややあって体をゆっくりと椅子に戻す。

 

「……どこまで見られた?」

『さすがにすぐに抵抗しましたし、あの若造もハラオウン執務官の行方だけを知りたかったようで、報告書の記載内容の記憶だけで済んだとは思います。ただ、憶えているのを憶えていないとフィリス顧問に返したことについては、もしかするとバレた可能性も……』

『くそっ! あのガキ……!』

「……落ち着け、〝オヴニル〟、〝グラオオルカ〟。とにかく、いつでも離脱できるようにだけしておけ」

 

 ヴェロッサ・アコースがレアスキルを持っているのは知っていた。『ウンエントリヒ・ヤークト』。しかし、それだけではなかったということらしい。

 驚くことに1つでも珍しいレアスキルの、ダブルスキル持ち。しかも思考捜査ときた。とんでもなく厄介だ。ここで計画がばれたら大問題。クロノの暗殺もジェイルのことも最高評議会のことさえもすべて後回しにせねばならないほどの。どこまで見られたのか。どこまで知られたのか。便利な手駒は、思いの外、危険な代物だったらしい。

 ただ……。

 

「アコースの小倅も執務官の救援に向かった。相手が『猛毒』どもである以上、そこで執務官ともども始末できる可能性もある。もし戻ってきたのならば、私が接触して確かめてみよう」

『危険だ、〝グラーバク〟』

『私も同感です。早々に始末するべきです!』

「責任は私が持つ」

 

 はっきりと言い切る。

 〝グラーバク〟にとって、上手く使えばこの上なく切り札になるのも事実。スパイとしては、思考捜査のレアスキルなど、これ以上ないほどの武器なのだから。

 

「それと〝オヴニル〟。先ほど言った通り、『ゲルプ隊』の〝グラオヴェスペ〟に出撃態勢を整えさせろ。もし生還しそうなときは彼らを使って二次策を用いる」

『……わかった』

『……申し訳ありません。〝グラーバク〟、〝オヴニル〟』

 

 納得がいっていなさそうな〝オヴニル〟に続き、渋い表情のままの〝グラオオルカ〟も空間モニターを閉じると、執務室で1人、〝グラーバク〟は目を細めながらじっと前を見据えているのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なのはが泣きに泣いてからずいぶん経った。

 

「ごめんね、ヴィータちゃん。ちょっと食欲なくて……」

「あ? 何言ってんだ。ちょっとだけでも口に入れとけって。ほら」

「ほ、ホントに無理だよぅ」

「いいから食え。アタシだって食欲ないときはこうやってはやてに食わされてんだ。同じ目に遭え!」

「はやてちゃん、ヴィータちゃんに何やって――ふむぐっ!?」

 

 ヴィータはいい笑顔を浮かべてなのはに無理やり食べさせている。

 まだまだなのはから無理をしている『笑顔』は消えきってはいない。ふと気が抜けると、『無表情』が浮かんでいることもある。

 

「……で、何考えてたんだよ?」

「……わかる?」

「わからねえ方がおかしいっての」

「……あのね、その」

「おう」

「……クロノくんに、謝りたいなあって」

「あ? んなもん、必要ねえよ。自分から土下座しに来いってんだ」

 

 それでも。なのはは少しずつ、自分から弱さを見せるようになった。まだまだフェイトやはやてにはできていないが、常にいるヴィータには打ち明けられるようになっている。もちろん、恭也にも。

 ヴィータは最初、驚いた挙句大騒ぎし、熱はないか腹は痛くないか頭がどうかと、それこそなのはの身体中をまさぐって混乱していた。やられたなのはも溜まったものではなかったろう。

 けれどなのはが少しずつ打ち明け始めると、ヴィータは殊の外喜んだ。まだフェイトやはやてには言えないということも、ヴィータにとっては自分がなのはにとってそれだけの存在になれたことが嬉しいのだろう。なのはの変化を、ヴィータは心の底から歓迎し、なのはの力になってくれている。

 

「…………」

 

 さて。それはいいとして。

 恭也はなのはとヴィータを微笑ましく思いながら見ていたが、ふと病室の外へと視線を向ける。もちろん壁なので透視できるわけでもないのだが。

 

「なのは、俺はそろそろ引き上げる。夕方頃に美由希がくるから、ヴィータ、それまでなのはを頼んでいいだろうか?」

「おうよ! 任せとけ!」

「もう帰っちゃうの、おにーちゃん?」

「明日また来るさ」

「忍の奴が拗ねてんだろ。機嫌が悪いってすずかの奴も言ってたしよ」

「……おにーちゃん、明日くらいは来なくても我慢するよ?」

「余計な心配をしなくていい。ヴィータ、なのはに不要な気遣いをさせないでくれ」

「あ~、いや、すまねえ。本気でちょっと反省してる……」

「いや、そこまで落ち込まなくていい。お前には世話になっている。いつか礼をさせてくれ」

「したくてやってることなんだ。気にすんなよ」

「そうか。ありがとう」

「お、おう……」

「あ、ヴィータちゃんが照れてる」

「う、うっせえ! んなこと言う口はこれか~!」

「うにゃああああ!? ほっへはひっはははひへ~!」

「……あまり暴れすぎるなよ」

 

 変な誤解をされるのは御免蒙るが、今は余計な詮索をされたくはない。そういうことにしておいて、助けてほしいと訴えるなのはに苦笑で返してそのまま病室を出る。扉を閉じても騒いでいる声は聞こえてくるほどだ。本当にヴィータには感謝しかない。あれなら、いい意味でなのはも落ち込んでいる暇はないだろう。変に溜め込んでしまうなのはだから、あれくらい騒がしい方がいいかもしれない。

 恭也は静かに歩き出す。医療部の出入口とは()の方へ。足音もない。すり足のような武術特有の足の運び。暗殺も手掛けてきた御神不破流ならばこの程度はこなせなければ話にならない。さらに意識して自らの気配を断つ。そのままさっきから感じている気配の元へ向かう。病室からやや離れた、階段スペースへ。

 

「……さて。先ほどからウロウロとしていたようだが」

 

 声をかける。階段の、上へ向かう方。その中間の踊り場に、その影はいた。

 

「何だ、お前は?」

『……これは驚いた。索敵魔法を使われた気配もなかったんだけど。それもあの世界の武術ですか?』

「そんなものだ。それで? 問いに答えるつもりはないのか?」

『いえ。むしろ貴方にお願いがあったので、来ていただけて助かりました』

「お願い?」

 

 その影――藍色の瞳を持つ黒い犬は、ぺこりと、器用に頭を下げて見せるのだった。

 

 

 

 

 

 準備は整った。

 発掘は魔法だけに頼るものではないし、まして今回は1人で挑まなければならない。魔力量は平均でしかないのだから、節約のためにも道具で賄えるのならそうするべき。食料なども詰め、大きなリュックを背負う。

 

「…………」

 

 公式にはまだ見つかっていない遺跡。遺跡の発掘においては現地政府の許可や、場合によっては時空管理局への届け出が必要になる。ただし今回は滅びた古代ベルカの国があった世界。今もかつての影響か、草木1つ生えない土地だ。政府どころか人っ子一人いやしない。ゆえに届け出る現地政府などなく、こうした場合は冒険家や探検家などが好きに歩き回っている。

 とは言え、潜った遺跡の先で見つけたものは、事後でもいいから届け出なければならない。特に今回は古代ベルカとあって、聖王教会が厳しい目で見てくるだろう。今回は物が物だけに尚更。勝手に潜り、しかもそこにあるはずのものを無断で使おうというのだ。まず間違いなく、自分は犯罪者となる。

 

「……ごめんね」

 

 2年。闇の書事件以降、ここで働き始めてそれだけ経った。早いようで遅いようで、長いようで短いようで。激務に、言われもない誹謗中傷、責任転嫁、上からの圧力……本当にロクでもない2年間だった。

 けれど。

 

――『ユーノくん! 教えて欲しいことがあるんだ!』

――『ユーノ、今日もよろしくね』

――『ごめんなあ、ユーノくん。いつも助かるわ。はいこれ、差し入れな』

――『おい、フェレットもどき。茶の1つも出したらどうだ?』

 

 改めて思い返すと……決して悪くはない2年間でもあった。不思議と、ここにみんなが来てくれていた。もちろん、それぞれにきちんとした理由があってのことなのだが、自分のいる所に大切な仲間たちが顔を見せてくれた。そしてここの司書たちとは家族や同僚の域を超えた連帯感も生まれた。同年代という意味では仲間たちの方が気安かったが、司書たちとの一体感も負けず劣らず、今では失くしたくもの。

 2年間、仲間や司書たちとの触れ合いは、その多くがこの場所だったと、今更ながらに気づいた。この意味でも、そして一司書、一個人としても、この場所には感謝したい。

 

「……ありがとう」

 

 変に謝るなと、何度も言われてきた。何かをしてもらったときは謝罪よりも御礼。その方が相手も嬉しいと。

 だからユーノは、この無限書庫に、謝罪と、そして御礼をした。

 発掘したかった。この情報の迷宮を。知識の宝庫を。叡智の遺跡を。

 そうでもなければ、こんなつらい職場で働きたいなどとは思わない。いくらここで求められる能力の多くを持っていようと、何らかの『働き甲斐』もなく勤められるわけがないのだ。

 そして何より、なのはの家を出れば一族にも帰れない自分に、無限書庫は居場所をくれた。

 与えてくれたからこそ御礼を。それに何も返せなかったことに謝罪を。

 

「あとは……」

 

 握っていたものを、司書の代表を務めているマーチン司書の机に置いておけばいい。これで、すべての縁は切れる。司書たちだけではない。あれからすっかり、誰も訪れなくなった。仲間たちでさえも。

 嫌われたのだろう。

 これでいい。これでいいのだ。

 もうこの張り裂けそうな胸の痛みも、慣れてきた。人間の適応力は侮れないとつくづく思う。あれだけ恐れ、必死に逃げ続けてきたこの痛みにも慣れてきているのだから。

 

 

 

 自嘲の笑みを浮かべた――次の瞬間だった。

 

 

 

 脳裏に響く警告。魔力の波動によるものだ。無限書庫の監視用に設置してある結界が、何者かの侵入を伝えてきた。同時に映像がダイレクトに脳に届く。ユーノ自身が俯瞰しているかのような視点の映像。

 黒い犬だ。緑色の瞳を持つ、魔力で構成された使役獣。

 

「……結界を騙す素振りもないなんてね」

 

 一度結界が反応したときは、明らかに結界をやり過ごそうとした跡があった。ユーノの結界のプログラムを騙そうとする妨害プログラムが走ったのだ。強化して以来、チラチラと魔力の気配は感じるものの、踏み込んでくることは一切なかったというのに。

 できれば遺跡に赴くまで余計な魔力は使いたくなかった。が、やむをえない。ユーノは荷物を下ろし、司書室の扉を開ける。

 

『やあ。はじめまして、スクライア司書』

「…………」

 

 器用に前足を上げて手を振るように動かす魔力体の犬に、ユーノは張りつめていたがために拍子抜けしてしまう。目を瞬かせ、無防備に止まってしまっていた。はっと我に返ってすぐに警戒態勢。

 

『ああ、待って待って。害意はない。ここは貴重な情報が眠る遺跡だ。荒らすべきじゃないだろう?』

「……無限書庫に何の御用でしょう?」

『お願いしたいことがあるんだ』

「依頼でしたら、正規の手続きを取ってください」

『無限書庫じゃない。君個人への頼みなんだ』

「僕に?」

 

 まったく同じときに、医療部の方で交わされていたやり取りと同じく。緑色の瞳を持つ犬は、ぺこりと頭を下げて。

 

 

 

 

 

『貴方の弟分が危険な状況にあります。どうか助力を願えませんか?』

『君の悪友が危険な状況にある。力を貸してほしい』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふあ~あ……いてっ」

 

 横で暢気にあくびを噛ます馬鹿に拳骨をくれてやる。恨めしそうな目を向けてくるが、こちらも目だけを向けて睨みつけて。

 

「気を抜くな、馬鹿者」

「なこと言ってもよ。全然来ねえじゃねえか」

「相手は手練れだ。すでにこちらの位置を察しているかもしれん」

「察したところで何するってんだ。魔法なんて効かねえのによ」

「我々はな。お前は違うだろう?」

 

 ちっと舌打ちする生意気な新入りに、長刀を持ち、右目に眼帯をつけた、褐色肌の女性剣士はやれやれと肩を竦めた。隣にいる上半身裸で筋骨隆々の男に「お前も何とか言ってやれ」と促すが、寡黙な彼は新入りに目を向けただけ。新入りが一睨みすると、彼は『この通りだ』とでも言いたそうに女性剣士を一瞥し、再び前へ向き直ってしまう。

 うちの男共はどうしてこんな奴ばかりなのだろう。頭に手をやりながら鋭い目で青空を見上げる。

 

――『ちょうどいいや。新入りのあいつも連れて行って』

 

 見上げた先に思い浮かべるのは自分たちの首領。一仕事の後でまたもや舞い込んだ暗殺の仕事に一応は丁寧に対応していたが、途中からやる気が失せていた。仲間内では彼女と一番付き合いが長いだけあって、女性剣士にはそのへんがわかるのだ。ひらひらと手を振りながら、一言『私は寝る』と言い放つその背中に不満の視線を向けてやったのだが、所詮は暖簾に腕押し。

 

――『私も一仕事の後なんだが?』

――『わかってる。ついでに物足りないって顔に書いてるのもね。殺し足りないし、相手が弱すぎてつまらない。違う?』

――『わかるか?』

――『そりゃね。だからちょうどいいでしょ? 管理局の執務官よ、執務官。ランクもAAA+。不足ない相手でしょ?』

 

 不足はない。それ自体には文句などない。P・T事件に闇の書事件と記憶に新しい大事件を立て続けに解決した魔導師のうちの1人だ。その戦闘能力も折り紙付きとあって、久しぶりに楽しいハンティングができるのは間違いない。そうとわかれば今回の仕事の疲れなど気にもならない。

 だが、お守りをしなければならないとなると話は別だ。まして新入りのくせにふてぶてしく振る舞い、気まぐれも激しいときていて、どだい人の言うことを素直に聞くような少年ではない。それのお守りをしながらAAA+ランクの歴戦の執務官と戦えというのは、如何に自分でも荷が重い。

 

――『全力を出していいというのなら気にしないんだが』

――『ダメ』

 

 自分の力を過信してはいない。AAA+ランクの歴戦の執務官を相手に、お守りをしながら勝てるとは思っていない。ましてこの力の全てを出してはいけないとなれば尚更に。

 この程度のことなど彼女もよくわかっているだろうに、それでも彼女は首を縦には振ってくれなかった。

 彼女曰く『まだすべてを見せるには早い』だそうだ。だから代わりに、彼女はもう1人をつけてくれた。

 

「ビル。お前はどう思う?」

「何がだ?」

「この仕事のことだ」

「理には適っているな」

「そうか」

「ああ」

 

 ビル、と愛称で呼ばれた青年は、今度は女性剣士の方を見もせずに答えた。丘の上であるここからは、麓の方にある廃棄された施設が良く見渡せる。人間1人を見つけようと思うと普通なら双眼鏡でも用いなければ捕捉できない距離だが、彼らには不要。この程度の距離、どうということはなかった。女性剣士同様、鷹のように鋭い目を持つ青年の目は、人どころか鼠1匹の動きさえも見逃さないとでも言わんばかり。新入りならば監視を先輩に任せていないで率先して引き受けるべきなのだが、そのような殊勝さなど、生意気な少年は持ち合わせていないらしい。岩に体を預けて目を閉じていた。もはや注意も叱責さえもする気になれない。少年から呆れの視線を外し、女性剣士もまた施設へと意識を向けた。

 

「私たちを追う管理局や、逆に私たちに依頼をする犯罪組織を始め、私たちを警戒はしている。だが本腰を入れてはいない」

「俺たちはまだ全員合わせても一桁だからな」

 

 どんなに特異なウイルスの影響を受けて人外の力を手に入れたと言っても、数が少なすぎる。脅威認定はされても優先順位はまだ低い。むしろここ最近話題になっている広域次元犯罪者、ジェイル・スカリエッティの方がはるかに悪名は上だ。戦闘機人や戦闘機械。数も圧倒的に向こうの方が上。世界中の目は、意識は、自分たちではなく向こうの方にこそ集まっている。

 『世界を殺せる猛毒』。

 この合言葉は女性剣士たちの悪名が広がるのと比例して、女性剣士たちの危険度の代名詞として浸透してきた。しかしまだまだ『大袈裟』『大仰』として失笑を買うこともある。つまり、その程度にしか認識されていないということ。

 だから女性剣士たちの首領は今回の仕事を引き受けたのだろう。時空管理局の『花形』である執務官、それもAAA+ランク持ちにして、P・T事件と闇の書事件の2つの大事件を解決に導いたという確かな実績まである。『アースラ組』とも呼ばれる面子の中でリーダー格と目されており、その名は女性剣士たちも度々耳にしている。そんな相手を殺すことができれば、確かに悪名は跳ね上がるだろう。

 

「一桁しかいない今、名を不用意に高めることはリスクを伴うぞ」

 

 どんなに1人1人が強大で、魔法を無効化できる力を持っていたとしても、女性剣士たちとて決して無敵ではないのだから。それに魔法を無効化できても、質量兵器を持ち出されれば弱い部分はある。再生能力にしても、エネルギーがいる。無限ではないのだ。

 

「そのために名を上げるのではないか?」

「どういうことだ?」

 

 相変わらず顔を動かさずに話す青年に、しかし女性剣士が気を悪くすることはない。無愛想だが、仲間内は一癖も二癖もある者ばかり。首領さえ気ままだったり冷徹だったりするくらいなのだ。無愛想であるくらいでいちいち気を悪くしていたら身が持たない。そしてそんな理由以上に、無愛想だろうと仲間のために体を張る男であることも理解しているから。一癖あろうと二癖あろうと、冷徹だろうと捻くれ者だろうと。仲間を思う気持ちがあるのならば、『フッケバイン』の一員たるに充分。

 

「多少は名が上がったとは言え、俺たちはまだまだ弱いと見なされている。そんな弱小組織に、世界から追い出される俺たちと同じ奴らが手を結ぼうなどと思うか?」

「……なるほどな」

 

 異端は異端同士で手を組む。頷ける論理ではあるが、異端同士だからと言って手を結べるかと言えば、そうでない者もいよう。組織に属することで背負うリスクもある。同じ組織に属する他者の行為が連帯責任のように降りかかることとてある。弱小組織に所属しても不安やリスクを増すだけ。ちょっとやそっとでは潰れない強大な組織を望むのは至極当然のこと。時空管理局の執務官を殺すことで箔を付けようというわけだ。

 

「あくまで俺の考えだ」

「いや、貴重な意見だ。感謝する。まあ、あいつのことだ。色々と考えを巡らせているのだろう」

「何も考えていない可能性もあるがな」

「……否定できん」

 

 大あくびをかましながら『じゃ、よろしく~』などと言って扉の先に消えていった首領の姿を思い出すと、青年の言葉を否定できる要素がない。女性剣士は肩を竦めて困った笑みを浮かべた。

 

「それにしても大物狙いだな、最近は」

 

 話を変えて、女性剣士は最近の自分たちの仕事について切り出した。今回の案件もそうだが、ここ最近、ジェイル・スカリエッティのアジトを狙った依頼も多い。

 どうも腕のいい情報屋を見つけたらしい。裏のブローカーも兼ねる『彼』は、どこから得たのか、時空管理局でさえ足跡を追い切れていないジェイルのアジトを次から次に見つけ出しては襲撃の依頼をしてくる。会ったことも見たこともない。女性剣士たちの首領が通信で話しているのを見たことはあるが、サウンドオンリーであり、その声も明らかに機械で変えていた。男なのか女なのかさえも定かではない。それでも女性剣士たちが『彼』と認識しているのは、その情報屋が名乗る名前のためだ。

 

「〝グラオカーター〟。そう名乗っているらしい」

「〝灰色の雄猫〟か……」

 

 『フッケバイン』がどんなに特異なウイルスによる脅威性を持っていても、組織としてはまだまだ脆弱だ。この次元世界においても情報は重要。だが『フッケバイン』は強力な通信設備を持っているわけでもないし、それに長けた者がいるわけでもない。戦闘能力が如何に高かろうと、自分たちを狙う者の情報や、潜伏するにもその地の情報を得ていかなければ、日々の生活もままならない。収集・分析・工作など、情報力があらゆる面で不足している。

 そこで裏社会で有名な情報屋に目を付けた。ブローカーでもある〝グラオカーター〟は、自らを介し、『フッケバイン』には相手もわからぬ先からの仕事を回してくる。

 

「管理局すら知らないアジトを先に見つけるとは、大した情報力だな」

「……管理局は次元世界最大の組織。その組織でさえ見つけられないアジトを探せる奴などそうそういるとは思えないが」

「だが事実として奴は見つけているではないか」

「奴の正体が管理局そのものではないかという意味だ」

「ジェイル・スカリエッティに対する強襲を私たちのような裏に任せる意味がどこにある? 犯罪者を追って捕らえるのは管理局として当たり前のことだ。堂々と管理局が行えばいいだろう?」

「管理局とて一枚岩ではない。本局と地上本部の対立のようにな」

「だとすれば聖王教会の可能性もあるのではないか? 本局はともかく、地上本部とは犬猿の仲だからな」

「あくまで可能性だ」

「まあ、管理局然り、聖王教会然り、『暁の鷹』を始めとした犯罪組織然り、ジェイル・スカリエッティの頭脳や奴の戦闘機人などを欲しがる者は多そうだからな」

 

 時空管理局とて違法とされる前は自ら戦闘機人の研究をしていたし、聖王教会とて強硬派が時空管理局との対抗のために戦力増強を掲げているし、『暁の鷹』などの犯罪組織も強力な兵器を欲しがっている。

 どこの組織かはわからないが、ジェイルのいるかもしれない施設を次から次に襲うという依頼といい、今回の依頼といい、どこか同じ組織が『フッケバイン』を掃除役にして便利な小間使いのように扱っている気がしないでもない。それは正直不快なのだ。もしかすると首領が依頼を受けていた通信の途中からやる気をなくしていたのも、その辺が理由かもしれない。

 

「――サイファー」

 

 と、暇潰しの会話はここまでのようだ。青年が女性剣士、サイファーを呼んだ。サイファーもまたその目を若干細めて施設の方へと視線を向ける。

 ターゲットが、いた。

 

「間違いないな」

 

 空間モニターに投影されたターゲットの画像と、はるか先の施設の正面入口に向けて歩いていく人影を見比べる。同じ人物だ。話には聞いていたが、本当にクソ真面目らしい。予定していたという時間ピッタリだ。別に誰かと待ち合わせをするわけでもないというのに、律儀なことである。

 

「おい、起きろ新入り」

「新入り新入り、うるっせえな。ヴェイロンだっつってんだろが」

「ではヴェイ、仕事の時間だ」

「ちっ」

 

 挑発にいちいち乗らないサイファーに、ヴェイロンはつまらなそうに後頭部をかきながら唾を吐いた。立ち上がり、岩に立てかけていた大きな銃を手に取り、左肩に銃身を乗せる。銃身には手元より先から大きな刃がついており、刃はそのまま銃口より先にまで至る。さらにヴェイロンは左手にも鋭い爪がついたグローブをはめていた。

 

「む」

 

 遠くで魔法の光。ターゲットが魔法を使い始めたらしい。青い魔法陣の光がターゲットの足下から発生し、瞬く間に周囲広範囲へと広がっていく。

 索敵魔法であることは予想がついた。ターゲットとて1人でこんな所に来るのだ。警戒は厳にしているということだろう。

 どこまで広がってくるかと思っていたが、もう少しでサイファーたちに届くというところで拡張は止まった。

 

「聞いていた通りだな」

 

 あらかじめ情報はもらえていた。ターゲットの使う魔法、それらの射程距離や有効時間など。特にこのターゲットは索敵魔法と射撃魔法などを組み合わせた独自の防衛プログラムを組んでおり、近・中・遠とあらゆる距離に対応可能らしい。その索敵魔法の最大効果範囲、そのギリギリ外にサイファーたちは陣取っていたのだ。改めて〝グラオカーター〟の情報屋としての優秀さを感じ取る。

 

「で、どう近づくんだよ?」

「もちろん考えてある。が、その前に。ヴェイ、お前はこの距離から当てられないのか?」

「無理に決まってんだろ。どんだけ距離があると思ってんだ」

「やれやれ。使えないな」

「ああ!?」

 

 人のことを言えるのかとヴェイロンが食って掛かってくる。まさにその通りで、サイファーも青年も人のことは言えない。揃って近距離戦がメインであり、射撃は付録程度。青年に至ってはまったく使えない。

 その意味で、銃を使うヴェイロンの加入は戦術的な幅を広げることに。とは言え、この距離は遠距離。それも一級の狙撃手だろうとなかなか厳しいほど離れている。索敵魔法に引っかからなくても、その外から狙うことはできないのだから、どのみち飛び込んでいくしかないわけで。

 ただここで飛び込んでいったら、せっかく索敵魔法にかからないところで待ち伏せしていた意味がない。

 サイファーがジャケットの胸ポケットから、小さな端末を取り出す。

 

「ビル。連続転移で一気に近づく。準備はいいな?」

「ああ」

 

 地面に突き立てていた大きな戦斧を手にした青年の足下に魔法陣が浮かぶ。サイファーは彼の背中に触れ、ヴェイロンにもさっさとしろと視線で促す。戦を前に高揚してきたか、不敵な笑みを浮かべたヴェイロンも青年の肩に手を置く。

 

「炸裂と同時に突撃する」

 

 端末に指をかける。

 時間までわかっていたのだ。先に来て爆発物を仕掛けておいた。もちろん、この爆弾で葬るのも容易いが、そんなつまらない真似はしない。それでは『フッケバイン』の名を上げることはできない。自らの手で殺してこそ箔がつく。

 

「――開戦だ」

 

 ぐっと。端末のスイッチを親指で押しこむ。

 一瞬の閃光。同時、爆発。

 さらに誘爆が続き、施設入口前の空間が爆炎に包まれる。森林に囲まれた一角で、黒煙が高々と上がる。

 索敵魔法が――消失。

 

「行くぞ!」

 

 青年が叫ぶと同時、魔法が発動。その場から3人の姿は消え、数十メートル先の距離に現れ、さらに消え、また数十メートル先で。その繰り返し。

 高速の瞬間移動を繰り返し、飛行魔法で飛ぶよりもあっという間にターゲットの真上に到達。濛々たる黒煙に視界が遮られかけるが、爆発はターゲットの周囲を取り囲むように起こしたものだ。すなわち、ターゲットはまだ生存している。と言っても、全方位から爆発の熱風と衝撃波を浴びるのだからただでは済まないが。

 

「おらあ、ぼうっと突っ立ってんじゃねえよ!」

 

 ここまで来たらあとはそれぞれで仕掛けるのみ。青年から手を離し、サイファーは抜刀。それより早く、ヴェイロンが銃を構えた。銃口に魔力が集まり、炸裂するように弾ける。散弾の雨嵐がターゲットの真上から降り注ぐ。

 ターゲットは防御魔法さえ発動できず、身を縮こまらせている。頭を上げもしない。もしかすると爆発で振り回されて混乱しているのかもしれない。

 少々拍子抜けだが、サイファーが構うことはない。相手をつまらないとこき下ろすのも、くだらない任務だったと肩を落とすのも、すべては殺してから。それまでは思いっきりいく。少なくとも、今はこの殺しを確実に、かつ楽しんでいく。

 口角を上げてサイファーは刀を構えながら急降下。その横を、追い越さんとばかりにヴェイロンも。どちらが先に殺れるか。言わずとも互いに自分だと目で挑発し合いながら武器を――迫ったその背中へ、頭へ、突き立てる!

 スカッと。

 刀と爪、凶悪な2つの意思が籠もった刃が。

 

 

 

 空を切って、地に突き刺さった。

 

 

 

「――なっ!?」

「ああ!?」

 

 空気を切っただけの、手応えの無さ。ただ地面の固い感触だけ。

 

『こうも容易く引っかかってくれるとはね』

 

 ターゲットは確かにそこにいる。いや、ターゲットの姿をした何か。それが、ゆっくりと頭をもたげた。刀と爪が背中と頭を貫通していながら、まるで血が出ていない。むしろ刀も爪もないかのように。

 幻。

 そう判断し、すぐさま離れようとしたサイファーとヴェイロンだったが。

 幻が途端に形を崩した。代わりに現れるのは、1つの光球。青い、魔力の塊――そこから、青い細い何かがいきなり飛び出してくる。

 

「くっ!」

「うおっ!」

 

 飛び出したそれらは瞬く間にサイファーとヴェイロンの手首、足首、腕、足、腰、肩などに取りついていく。

 鎖だ。

 ミッドチルダ式の捕縛魔法。事前情報にあった、ターゲットが得意とする魔法の1つにして、【ディレイドドライブ(遅延制御)】の使い手だけが使用できる高位魔法。

 『ディレイドバインド』。

 

「サイファー! ヴェイ!」

 

 空中に留まっていた青年がすぐに降りてくる。『バインドブレイク』をすぐに発動しているのだが、このバインドは高位ゆえの解除の難しさに加え、異様にプログラムが複雑だ。明らかに手を加えられており、ブレイク対策が施されていた。

 高速連続転移もそうだが、ガタイのいい見た目とは裏腹に、青年は細かい調整も得意とするところ。彼が手を貸してくれれば解除もできるだろう。そう思ってサイファーは青年を見上げて。

 

「――ビル! 上だ!」

「っ!」

 

 立ち昇る黒煙が壁のようになって周囲が見えない中、天頂部分だけ空が見えている。そこに、青い光が1、2、3……全部で10。煙突から飛び込むかのように正確に黒煙の中心部、つまりサイファーたち目掛けて突っ込んでくるではないか。

 戦斧を構える青年へと突っ込む弾丸。さらにそれ以外の弾丸も次々にサイファーとヴェイロンの周囲に着弾。

 

「ぐ、おお……!」

「クソがあっ!」

 

 まともに命中した弾丸はないものの、土砂を巻き上げ、魔力をぶちまけ、サイファーとヴェイロンに襲いかかる。

 そこに。

 頭上で青い閃光が迸った。

 最後の1発が、3人の頭上でいきなり閃光と共に炸裂。そこから多数の魔力刃が現れ、容赦なく広範囲へと降り注いだ。

 

「ふっざけやがって……!」

 

 先ほどの爆発よりも派手に。容赦もなく。

 そこにあるものすべてを吹き飛ばすかのように。

 暴力的な魔力爆撃が、施設正面の空き地を打ち叩いていった。

 

 

 

 

 始まったようだ。

 到着した直後に開始された戦闘に、自らの目を望遠モードにして戦況を確認する。

 濛々と黒煙が立ち込める中に降り注ぐ魔力爆撃。爆弾を仕掛けたのは『猛毒』たちの方だろうが、それを見破っていたのか、はるか遠方から爆撃を加える執務官。爆弾に絨毯爆撃と、いきなりの派手な開戦に、森林のあちこちから鳥などの動物が飛び上がって逃げ出している。

 

「トーレ姉様」

「何だ?」

「疼きますか?」

「……まあな」

 

 すぐ後ろで、同じく望遠モードにした左目で戦闘を眺めている妹、チンク。右目は先のゼスト・グランガイツとの戦闘で失っており、ジェイルなら簡単に直せるのだが、チンクは頑なに拒んでいた。クアットロあたりはその矜持など理解できないようだが、トーレは彼女が望むのであれば構わないという立場である。

 トーレとチンクは、ジェイルが『作品』として認める戦闘機人のうち、名の通り戦闘に特化した機人だ。視線の先で行われている激しい応酬に体が疼くのは止められない。ゼストとの戦いでも感じた、戦いへの高揚感。戦闘機人の存在意義はまさに戦うためにあるのだから、当然の欲求、当然の反応と言ってもいいだろう。

 

『気持ちはわかるが、今は待ってくれたまえ、トーレ、チンク』

 

 生みの親たるジェイルが空間モニターの先でトーレとチンクに声をかけた。そばにはウーノとクアットロの姿もある。

 

『彼らのデータ収集が最優先だ。君たちもいずれは彼らと戦うことになるかもしれないからね』

「承知しております、ドクター」

 

 『フッケバイン』の戦闘データを集めるいい機会だ。彼らは全てを蹂躙し、殲滅し、皆殺しにしてしまうため、情報がほとんどない。エクリプスウイルスも『フッケバイン』も、とにかく情報が不足している。魔力を分断してしまうとなると、戦闘機人と言えども脅威だ。いきなりトーレやチンクを『フッケバイン』にぶつけるわけにはいかない。

 

「ドゥーエの情報提供には感謝しなければな」

「はい。クロノ・ハラオウン執務官への対応にお忙しい中、情報を回してくださったのです。最大限に活かさねば」

「ああ」

 

 〝グラーバク〟と呼ばれている手駒を使って聖王教会のラルド卿を動かし、最高評議会はクロノ・ハラオウンを始末しようとしている。その情報を齎したドゥーエは、同時に裏の情報屋である〝グラオカーター〟からも情報を得ており、ラルド卿が『フッケバイン』にクロノ暗殺を依頼したことを知り、急いでジェイルにこのことを伝えた。『フッケバイン』の情報を得るまたとない機会とあって、ジェイルはすぐさまトーレとチンクを現地、つまりここに派遣したのだ。

 

『さあて。彼らに魔力分断の力を使わせるまで死なないでくれたまえよ、クロノ・ハラオウン執務官殿』

 

 クロノがどうなろうとジェイルにはどうでもいいこと。むしろ自分を追うクロノは鬱陶しい存在なので、殺されてくれた方が都合がいい。

 ジェイルの関心はエクリプスウイルスとエクリプスドライバーたる『フッケバイン』の3人。トーレとチンクが送っているリアルタイム映像に目は釘付けだ。魔力爆撃の第二派が開始されると、『フッケバイン』の3人が魔力分断の力を見せているかどうかを、あらゆるセンサーやスキャン画像などで逐一確認している。

 

 

 

 

 

 時空管理局最高評議会。

 『伝説の3提督』。

 聖王教会。

 ジェイル・スカリエッティ。

 『フッケバイン』。

 『グレイバック』。

 そしてクロノ・ハラオウン。

 

 

 

 

 多くの思惑が絡み合う中で、クロノ・ハラオウンの孤独な戦いが始まった。

 

 

 

 

 

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