天の美禄   作:酒とっ!女ぁ!あと金ぇ!

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久しぶりです。久しぶりだけど閑話です。久しぶりだけど酒も主人公も出てきません。すまんな。


情熱のフランベ

月饗祭(げっきょうさい)

 

料理こそが全てとされる遠月茶寮料理學園で行われるその一大イベントは、世に言う学園祭を謳ったものである。しかしながら、和気藹々とした一般的な文化祭(それ)とは似ても似つかぬ、異様な緊張感が支配する殺伐とした世界であった。

 

それぞれが得意とする料理を武器とし、個人、或いは団体で模擬店を開き、その売り上げを競い合う様は、まさに修羅。クラスの面々と衝突を繰り返しながら創り上げる舞台演劇や、気になるあの子のクラスがメイド喫茶を開く……などという事も当然ない。

 

売上という色気も何も無い数字だけを求め、生徒たちは闘志を燃やし、月饗祭はこれ以上にない盛り上がりを見せる。そんな生徒たちを尻目に、人の模擬店を巡り歩いて食い道楽を満喫する者もいるが、それもまた月饗祭の楽しみ方であった。

 

 

月饗祭は例年通りの盛り上がりを見せ、祭りの名に恥じぬ賑わいを呼んだ。しかし、遠月學園の広大な敷地すらをも埋め尽くす雑踏も、夜の帳が下りれば些か静けさを取り戻す。

 

大半の人々が去って尚、彼らの冷めぬ興奮だけが残されているのだろうか……こびりついたかのように残留する祭の熱気を肌で感じながら、幸平創真は『山の手エリア』を歩いていた。

 

「司先輩……流石は十傑第一席、あんな料理の世界があったなんてな……おもしれぇ……!」

 

実質的に遠月生の頂点に君臨していると言える『司 瑛士』の模擬店に足を運び、彼の異次元的な腕前を直に見せつけられた創真だったが、その圧倒的な実力差を前にしても臆する事なく、立ちはだかる大きな壁に闘志を燃やしていた。

 

「うかうかしてたらいつまでも勝てねぇだろうな、あの人には。俺はもっともっといろんな料理を知る必要がある。せっかく山の手エリアまで来たんだ……まだまだ見て回らねぇとな!」

 

大きな実力に触発され、食の探求心を殊更増大させる創真だが、彼は模擬店で実食するために必要な『松チケット』を使い果たしてしまっている。大人しく帰るしか選択肢が無いように思えるが、創真にはひとつだけアテがあった。

 

「いや〜、薙切に胡椒餅(フージャオピン)食わせといて良かったわ」

 

創真としては、自らの模擬店で作った料理をえりなに与えたので、貸しひとつ……というつもりでいるのだが、えりなサイドとしては別に求めてもない胡椒餅を押し付けられただけであり、貸しも借りも何もない。無論、創真はそんな事実を認知していない。

 

創真が無遠慮にえりなの模擬店へ入り込めば、えりなのお付きである緋紗子が彼を怪訝そうな表情で迎える。

 

「お客様、当店は予約制なので……って幸平!?」

 

「よう新戸。わざわざ山の手エリアに来たんだし、薙切の料理も食っておかねぇと思って」

 

創真は悪びれる事なくカラカラと笑いながらテーブルに着こうとする。自由奔放にも程がある創真の立ち振る舞いを緋紗子が咎める前に、招かざる客の来店に気づいたコック(えりな)が顔を真っ赤にして彼を叱責する。

 

「ちょっと幸平くん、ここは予約制よ!?なに当たり前のように入って来てるのよ!」

 

「薙切の模擬店すげぇな。お客さんみんな審査員やってたお偉いさんばっかじゃん。なんかセレブ御用達の高級料理店みたいだな」

 

えりなの小言を馬耳東風し、見当違いな返答を返す創真に、彼女は諦めに近い溜め息を溢す。

 

「……大体、私の料理を食べるにしても、松チケットはあるの?」

 

「いや、薙切に胡椒餅あげたじゃん?それで貸し借り無しって事で」

 

「はぁ……一体何を食べて育ったら人間はここまで図々しくなれるのかしら」

 

えりなは親の顔が見てみたいと言わんばかりの冷え切った目で創真を睨みつけるが、彼は何処吹く風だった。

 

「そこのテーブル以外で、空いてる席に付いて頂戴」

 

えりなが指し示すテーブルは、この店の中でも最も良い配置にある卓で、いつでも料理を出せるよう、食器まで準備してある。

 

「あんなに良い席をとっとくなんて、誰か予約でもしてんのか?」

 

なぜこれほど良いテーブルを空席にしているのか疑問に思った創真が尋ねるが、えりながまともに取り合う事はなかった。

 

「君が知る必要などありません。そのテーブルに座れるのは、定食屋の君とは(えん)所縁(ゆかり)もないお方よ」

 

……創真をこき下ろしつつ突っぱねるえりなだったが、皮肉な事にもその人物は創真と最も近い関係にある男であった。だが、誰のことを示唆しているかなどえりなの言葉では分かるはずもなく、創真は大人しく彼女の指示に従い別のテーブルに着く。

 

「いや〜、何だかんだ薙切の料理食うのって初めてだな。新戸は毎日作ってもらってんだろ?」

 

えりなが不機嫌そうに厨房へと引っ込んでしまい、料理が出るまで手持ち無沙汰となった創真が、それとなく緋紗子に話を振る。突飛な質問に一瞬呆ける彼女だったが、貴様は何を言い出すのだと手を振って否定をした。

 

「えりな様の手料理を毎日!?そんな身の丈に合わない寵愛を受けれられる訳がないだろう!そんな夢のような毎日が続いていたら、恐れ多くて頭がどうにかなってしまう……」

 

「……薙切の料理食ったら頭おかしくなるのか?」

 

「なぁ!?なぜそうなる!?自分の頭を心配しろ!」

 

牙を剥いてまくし立てる緋紗子だが、何やら刺々しい視線を向けられているのを感じ取り、そちらを見やる。視線の主は、厨房の入り口から顔を半分だけ出し、半眼のジト目で創真と緋紗子を睨みつけるえりなだった。

 

「……二人とも何を騒いでいるの?他のお客様にご迷惑よ」

 

「も、申し訳ございません!幸平があまりにも無礼な物言いをしたので……」

 

「よく分からないけど静かにして頂戴。……まったく、最近仲が良すぎじゃないかしら、あの二人。私の知らない間に何があったのかしら……」

 

何かをブツブツと呟きながら、面白くなさそうに頬を膨らませたえりなが厨房へ引っ込んでゆく。

 

「ゆ、幸平……っ!貴様が馬鹿な事を言うから、えりな様にお見苦しい所を見せてしまったではないか……って、おい!どこへ行くんだ幸平!?」

 

声量を抑えて創真を口撃するが、聞く耳を持たない彼は席を立って厨房の方へと向かって行く。未だ創真が実食した事のない薙切えりなの料理……その調理過程が気にならないはずがなかった。

 

コックコートに身を包み、調理台の前に立つえりな。彼女の佇まいは創真が思い描いていたものとかけ離れたものだった。

 

十分に下準備を済ませた食材に火入れをするえりな。その眼差しこそは真剣なものであるが、そこに気迫や威圧感と言ったものはなく、どこか穏やかな雰囲気を漂わせている。

 

「編入試験……か」

 

一瞬、何かに思いを馳せるような表情で呟いたえりなは、恥じらうように頰を朱に染める。どこか不慣れな手つきで、彼女は2本の酒瓶を取り出す。各々のボトルには『カミュ X.O. エレガンス』と『ロン・サカパ センテナリオ23年』と銘打たれている。

 

栓を抜くと、フルーティーかつスパイシーな香りが、えりなの鼻腔を上品にくすぐる。彼女は、まるで初めてもらったラブレターを読み返すかのように、優しく目を細める。

 

一度(かぶり)を小さく横に振った彼女は、カミュ X.O. エレガンスをフライパンに垂らす。間髪入れずにフライパンを傾けると、不完全燃焼の赤い火柱が瞬間的に発生する。えりなはロン・サカパ センテナリオ23年でも同様の工程を踏む。

 

蒸発したアルコール分に着火し、フライパンが炎上するその派手な演出のせいで、フランベはパフォーマンス(格好つけ)としての側面が強いと思われがちだが、一流のシェフが行う場合はその限りではない。食材に香り付けをするだけでなく、食材の旨味を閉じ込める作用がフランベにはあるのだ。手際が悪いと逆に料理を台無しにしかねないが、薙切えりなという料理人がそのようなヘマをするわけもない。

 

フランベの炎に(ほだ)されたが如く薄桃色に頬を上気させたえりなは、キッチン(戦場)に立つコックとしては不相応なほど艶めかしく、場違いなほど蠱惑的だった。

 

創真と同じ一年生でありあながら、遠月学園の『十傑 第十席』の座を占める薙切えりな。卓越した実力で弱者を情け容赦なく叩き潰し、絶対的な味覚で不出来な料理を食べ物として扱っていないかのように切り捨てるその冷酷さから、『氷の女王』の異名で恐れられている。

 

だが、異様な熱量と色気を垂れ流す今のえりなの姿からは、氷の女王たらしめる要素などまるで見当たらない。もはや別人とも言えるえりなの豹変ぶりに、創真は唖然とする他なかった。そんな彼の傍らで覗き見る緋紗子も、創真と全く同じ顔でえりなの調理を眺めていた。長年、えりなの付き人として彼女の側に居続けた緋紗子ですら、今のえりなは見た事のないものだった。

 

「……本当、礼儀も節度も弁えていないお客様ね。テーブルで大人しくしてなさい」

 

覗き見をされている事に気づいたえりなが、顔も向けずに非難する。だが、心なしか彼女の耳は紅潮しており、その口調も早口になっている。今の自分の姿を見られた事に少なくない羞恥があったのだろう。

 

創真が言われるがままにテーブルに戻り、大人しく料理を待つ。先程、えりながフランベをしていた事を鑑みて、料理は完成を目前にしている事は明白であり、さほど待つ必要もなく創真の元にえりなの料理が鎮座する。

 

「……えりな様から言伝を預かっている。『シャトーブリアン〜Flamme du péché〜です。物乞いをする君の為に仕方なく作った気まぐれの品だから、この程度が私の料理だとは思わないように』……だ、そうだ」

 

給仕(サーブ)を任された緋紗子がそう伝えると、創真は渋面を浮かべて小さく笑う。

 

「……これが気まぐれの産物って言うんなら、俺が今までに見てきたステーキは一体何だったんだって話になるんだけどな」

 

創真の前に出された料理は、究極の希少部位として名高い、牛ヒレ肉(テンダーロイン)の中心部分を贅沢に使ったステーキ『シャトーブリアン』である。

 

人間が持つ原始的な食欲を掻き立てるかのような、理想的な焼き上がり。それでいて、ステーキという料理の無骨さを微塵も感じさせぬ、上品な香り。実食する前から格別の逸品だと悟らせてしまう程、このシャトーブリアンは高い完成度にあった。並みの料理人が全力を賭したところで、繊細に、緻密に、完璧に組み立てられたこの芸術品(シャトーブリアン)には到達できないだろう。

 

創真はシャトーブリアンにナイフを入れる。切り分けられた断面は、鮮やかな真紅で彩られ、ブル(レア)で焼き上げていることを強調している。

 

美味である事が約束された外観と芳香に抗えるわけもなく、創真はシャトーブリアンを口に運ぶ。待っていましたと言わんばかりに、創真の口腔内で肉汁が溶け出し、焦らしに焦らされた味覚に快楽を与える。

 

ムラのない焼き上がりが、えりなの下ごしらえが完璧である事を示唆しており、希少部位にだけ許された極上の肉質がしっかりと活きている。

 

脂と共に流失される分も計算に入れて味付けがなされており、絶妙な分量の岩塩が食材本来の風味を殺さずに付加価値をもたらしている。

 

気まぐれでこんな芸当ができる料理人は、この学園に……いや、この世界に一体何人いると言うのだろうか。

 

「……なるほど。敢えて白胡椒を使っているのか」

 

ステーキに使用するペッパーは、牛肉が持つ臭みを取るために、香りの強い黒胡椒を選ぶ事が多い。しかし、えりなが手掛けたシャトーブリアンには、香りも辛みもマイルドな白胡椒が使われている。素材の良さを前面に押し出す為でもあるのだが、彼女の意図もっと別の所にもあるのだ。

 

「……すげぇのはそれだけじゃないな。これだけ素材の風味を残しておきながら、全く別の香りでドレスアップしている」

 

えりなが主張の弱い白胡椒を選定した真の目的とは、二度にも渡るフランベによって、シャトーブリアンに芳醇な香りを付与したからに他ならない。

 

肉々しさとはかけ離れた、仄かに甘い華やかさと、気品溢れるスパイシーさ。その気取らない上品な香りが、シャトーブリアンの魅力を最大限に引き出している。

 

無駄な装飾のないAラインドレスは、女性の持つ美しさを最大値にまで引き上げつつも、女性より目立つ事がない。えりなが二度に渡って行ったフランベは、シャトーブリアンを着飾る為のドレスにあたるのだろう。

 

何時ぞやにえりなが出会った男は、料理と女を輝かせる術を知っていた。あの日、えりなが口にした『ブランデー・エッグノッグ』は、えりなの料理に……いや、えりな自身に少なくない影響を与えたのだ。

 

……否、それらの変化を受け入れようと、彼女自身が変化を望んだのかもしれない。それが彼女のさらなる成長へのきっかけとなったのか、失墜の始まりとなったのかは、このシャトーブリアンが物語っている。

 

「……薙切って、こんな料理作るんだな」

 

初めて実食したえりなの料理は、創真が想像していたものと違えていた。

 

「……?どういう意味だ?」

 

創真の言葉の意味する所を図りかねた緋紗子が尋ねると、彼は小難しそうな表情で言い改める。

 

「いやさ、俺の勝手なイメージだけど、薙切って料理に『想い』だとか『感情』を乗せるタイプじゃないと思ってたんだ。なんかこう、料理はこうあるべきだ、それ以外は料理ですらない……みたいな感じで、淡々と料理を食べて、淡々と料理作る。それがあいつだと思ってた。でもさ、このシャトーブリアンはなんか『薙切の作りたいように作った』ってのがすげぇ伝わってきたんだ」

 

創真がえりなに抱いていた人物像を聞いた緋紗子は、一度はポカンと口を開けるが、すぐに優しい笑みを携え静かに頷く。

 

「えりな様は少しずつ変わられている。今まで触れて来なかった料理たちが、今まで会った事のない遠月生徒(料理人)たちが、えりな様の刺激となっているのだろう」

 

「確かに、面白い料理する奴ばっかだもんな。いやー、俺も毎日が新しい事だらけで本当勉強になるっていうか……」

 

「何を他人事のように言っている。勿論、そこに貴様も含まれているのだぞ、幸平。寧ろ幸平は……ん?」

 

妙な視線を感じた緋紗子が言葉を切る。そちらを見やれば、またしても厨房から半身だけを覗かせたえりなが半眼ジト目で創真と緋紗子を見やっていた。

 

「やっぱり……どう考えても仲良すぎよ、あの二人……」

 

呪詛のようにブツブツと呟くえりなが不気味だったのか、緋紗子はたじろぎつつもえりなに声をかける。

 

「え、えりな様……そのような険しい表情をされて、一体どうなされました?」

 

「……別に?どうもなってませんっ」

 

緋紗子の伺いに顔を背けたえりなが厨房に引っ込もうとするが、それを創真が引き止める。

 

「待てよ。薙切のシャトーブリアンめちゃくちゃ美味かったぜ」

 

「……当然よ。誰が作ったと思っているのよ。不味い訳がないじゃない」

 

「そこまで言い切れるとすげぇな、流石に」

 

「私の舌に間違いも誤りも無いわ。だから、私が作る料理に瑕疵なんてあるわけがないわ」

 

えりなにある絶対的な自信の根拠は、彼女が持つ『神の舌』が味の善し悪しを人一倍鋭敏にジャッジできる所にある。その事を自覚しているえりなは自分の作る料理を信じて疑っていなかったが、不思議な事にもその顔に驕り昂りといったものは見受けられなかった。

 

「それでも……瑕疵はなくても、足りない物は無限に存在している。私がまだ知らないままでいる味が、料理が、世界がある。それが美味なる物なのか、論ずるに値しないものなのかは分からない。だから、それらを探し続ける必要があるのよ。私のまだ知らない『美食』は、無数に存在しているのだから」

 

薊の洗脳的教育よって完成したえりなの『神の舌』は、閉ざされた美食の世界でこそその才覚を存分に見せる。しかし、その世界を一歩でも外に踏み出してしまえば、彼女は眼前にある美食を美食と認知できないのだ。

 

いつかの編入試験に、美味いと感じた創真の『化けるふりかけごはん』を拒絶したのも、あの男が出した『ブランデー・エッグノッグ』にまるで免疫が無かったのも、全てその弊害が顕著に現れたものに他ならない。

 

彼女の料理は完結してしまっており、不出来な品を出す事がなくても、それ以上の品を作りあげる事もできない……その事実にえりなは気づきつつあり、その事実を受け入れつつあるのだ。

 

「……やっぱり薙切って変わったよな。編入試験で試験官やってた時のお前がそんな事言う所、想像できねぇもん」

 

「っ!?あの時の話はしないで頂戴っ!」

 

「何急に怒ってんだよ。あの日の事、納得してねぇのは俺の方だし。美味そうに食ってたお前に不味いだなんて言われたの、俺はまだ納得いってねぇんだからな」

 

「……不味いから不味いって言ったのよ。思い上がらないで。私に美味しいと言わせたいなら、もっと腕を磨いてそれなりの品を出してみなさいな」

 

「へっ、言われなくたってこっちはそのつもりだっての。その『神の舌』が俺の料理じゃなきゃ物足りなくなるってくらいの料理を作ってやるからよ」

 

「……口だけの料理人にならないと良いわね」

 

冷たい物言いをするえりなだが、その口角はわずかに上がっている。幸平創真という料理人に秘められた無限の可能性を、えりなは認めつつあるのだ。

 

創真が編入して来た日、彼はえりなに同様の啖呵を切っている。

 

『楽しみにしてな。アンタの口からはっきりと美味いって言わせてやるよ』

 

下町の料理人が作る料理など、天地がひっくり返っても『美味い』と言える訳がない。当時のえりなは、彼の言葉を馬鹿馬鹿しいと軽んじていた。しかし、彼ならば自分の知らない『美食』を思いもよらぬ手段によって創りあげ、自分を料理で屈服させる日が来るのだろうと、えりなは曖昧な確信を抱いていた。

 

「……幸平くん。どうしてそこまで私に美味いと言わせる事にこだわるの?」

 

えりなが素朴な疑問を口にすると、創真は不敵な笑みを彼女に向ける。

 

「お客様に不味いなんて言われたままじゃ、店の面目が立たないだろ。それに……お前に美味いって言わせた奴がいるんだ。そんなの、嫉妬するに決まってんだろ」

 

創真は編入試験の時にえりなから逃げなかったもう一人の男を思い描く。どこかスカした態度で壁に背を預けるイングリッシュドレープの3ピーススーツを着たあの男は、試験でえりなに『美味い』と言わせた。

 

スタジエの時に緋紗子からその話を聞いた創真は、並々ならぬショックを受けた。えりなが自分の料理を不味いと言ったのは、彼女の性格に難があるからだ……心のどこかでそう思っていた創真は、自らの甘えを自覚した。

 

えりなの舌を唸らせる事が出来なかったのは、自分の料理には彼女を唸らせる何かが足りなかっただけである。

 

その現実を突きつけられた創真は、もはやえりなを『美味い』と言わせる事しか考えていなかった。ここのところ、飄々とした態度でえりなの元に自分の料理を持っていく事が増えてきた創真だが、その行動原理はただ単に味見をしてもらいたいだけではないのだろう。それは彼なりの『自覚なき感情』の表れなのかもしれない。

 

料理人としての意地が、男としての意地が、今の創真を突き動かしていた。

 

創真より少しだけ大人なえりなは、彼の『自覚なき感情』の正体に、ほんの少しだけ気づいてしまう。

 

「なっ……急に何を言い出すの!?し、嫉妬だなんて……」

 

「ん?どうした?顔が真っ赤だぞ薙切。体調悪いのか?」

 

「ちょっ、近づかないで!破廉恥だわ!」

 

「どうされたんですかえりな様!?幸平ぁ!貴様、えりな様に何をした!」

 

「……やっぱり女ってよく分かんねぇわ。どうやって薙切(こいつ)に美味いって言わせたんだよ、あいつ」

 

 

 

料理以外の事で頭を悩ませる創真は、図らずも自分に足りない何かに近づきつつあった。




雑談していい?

最近新店舗の立ち上げ応援入ってて、コーヒー覚えさせられたんだけど、仕入れてくる生豆と在庫管理がクソすぎて深めに煎るしかないんですわ。『本格自家焙煎』を謳ってるのにこんなん提供していいのか?とか思いつつやってんだけど『ここのコーヒーは違うわ!』みたいな事を言われまくるという。インスタ映え目的で来てるような学生が言ってんならいいんだけど、そんな事言うのはいい歳こいたおっさんおばさんで、みんな『私はコーヒー通です』みたいな顔してんの。逆に、コーヒーの違いが分かってるっぽい人は大体何も言わずに帰る。そして二度と来ないという。

素人の顧客を喜ばせるのには品質だけではなく、雰囲気というかなんというか、そんな感じのもっと抽象的な魅力が重要な気がする。一番の人気メニューが、味と値段が釣り合ってないハニートーストだし。

カフェとかバーはそういう側面があるけど、料理の世界は多分そうじゃないんだろうなとは思う。不味けりゃ絶対に流行らないし。それでも、その抽象的な魅力が大きく作用してるのは同じだと思う。

お客様にまた来たいなと思わせるのは難しくもあり、実は単純だったりもする。作ってるのも口にするのも人間なんだし、そこをどれだけ攻略できるかにかかってるのかもしれない。

まあなんでもいいけど従業員足りてないからって昼も夜も働かせるのはやめろや。お前さんが雇ってるのは人間なんやで、オーナー。
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