「ハァッ―――!!」
悪魔の肩を掴み、破壊された穴から外に出る。これ以上廃ビルに衝撃を与えては、今度は倒壊し兼ねない。何より二人が近くにいては上手く戦えない。
そのまま土手を滑り落ち、ビルから離れた河原まで行く一旦距離を取る。土の上を転がったというのに、ヨハネの体には少しの汚れも見られない。対して悪魔は体についた草や土を振り払うように叫びながら立ち上がる。
向かい合う両者。
獣のような唸り声をあげながら、悪魔は体を揺らす。ヨハネの放つ、自分にも似通った雰囲気に警戒しているのかもしれない。
「さぁ、かかってらっしゃい名もなき悪魔! この堕天使ヨハネが、あなたを地獄の底へ突き落としてあげる!」
誘うように右手を向けるヨハネ。その挑発とも取れる言葉を悪魔が理解したかは定かではない。しかしそれに応えるように「ォォオオオオオ!!」と雄叫びをあげ、真っ直ぐヨハネへと向かっていき、右腕を振り下ろす。
しかしヨハネは軽く体を横向きにするだけで躱し、隙だらけの脇に拳を叩き込む。小さく呻く悪魔。今度は横に爪を振るうが、ヨハネは跳躍してそれを避ける。垂直跳びで2〜3メートルの高さまで跳んで悪魔の背後に回る。悪魔が振り向きざまに振るった爪を蹴りで弾き、そのまま回転して後ろ蹴りを放つ。
(なんだろ、この感じ―――)
善子は、基本インドアで今まで運動はあまり得意な方ではなかった。Aqoursに入ってからは筋トレや基礎訓練、特に歌いながら踊るというのはかなりの運動量なため、昔に比べれば体力も筋力もそれなりについた自信はある。
しかし、流石に殴り合いの喧嘩なんてやったことは無いし、武道の心得があるわけでもない。それなのに、ヨハネの動きは戦いに慣れている戦士そのものだった。敵の動きを躱し、防ぎ、隙が出来たところを叩く。
戦っているのは正しく自分の体で、自分の意思で動いているはずなのに、まるで外側からコントローラーで操作されているような奇妙な感覚だった。
さらに―――
(わかる。このベルトの使い方。どう動かせばいいのか。何が起きるのか、全部―――)
人の肉体を悪魔と同等、いやそれ以上のレベルまで強化し、変化させる未知のベルト、ヨハネドライバー。その十字架のオブジェに手をかけ、軽く右へと倒す。
『Crow beak!』
ドライバーから流暢な英語が流れる。突如、ヨハネの右手を中心に、黒い風が逆巻いた。
その異様な光景に悪魔は一瞬動きを止める。しかし基本的に知能の低い悪魔は「考える」ことや「様子を見る」といった駆け引きをすることはまずない。ただ、再び右腕を振り上げて向かっていくだけだった。
風はほんの一瞬で霧散する。そして現れた右手は、鋭い嘴を持つ烏の頭に変化していた。
堕天戦士ヨハネの武器の一つ、クロウビーク。
見るからに攻撃力がありそうな嘴が怪しく光る。振り下ろされる爪をクロウビークで横に弾くと、勢いに負けて悪魔は大きく仰け反る。
皿のような目が驚愕で更に大きくなる。しかしヨハネは御構い無しに嘴の先端を隙だらけになった悪魔の胸元に目掛けて突き出した。
ガギィィンッ!!
「グッォォオオッ!」
甲高い金属音と火花が散る。その威力に悪魔は悲鳴にも近い叫びをあげた。嘴の当たったところが大きく抉れ、煙が出ている。
確かな手応え、この機を逃すまいと、ヨハネはさらに攻撃を加える。
「はぁぁあ―――!!」
一撃、二撃、三撃。
突き、横薙ぎ、振り下ろし。
悪魔の爪を嘴で防ぎ、アッパーのように振り上げる。嘴はまさに最強の矛であり、最強の盾。なす術のない悪魔は次々と体に傷跡をつけていく。
(このまま一気に―――)
しかし、強力な武器というのは、時として心に油断を生んでしまう。
ヨハネの体は確かに戦闘を体で経験しているかのように動く。しかしそれを操る、普段は一般の女子高生である善子の意識は、当然のことながら戦士と呼べる域にまでは達していない。
未だ意識不明の鞠莉と梨子の姿が脳裏にチラつき、勝負を焦るあまり、攻撃が大振りになった、その時だった。
スカッ――
「えっ―――」
隙だらけの悪魔の胸元目掛けて突き出した嘴が空を切る。それは一瞬の出来事だった。
悪魔の姿が消えた。いや、ヨハネの目には、悪魔が急に下に落ちたように見えた。が、地面には穴など空いていない。
逃げたのか? いや、悪魔の気配が消えてはいない。すぐ近くにいる事だけはわかる。
(どこに消えたの―――?)
―――ゴシャァッ!!
「ガハッ―――!?」
背中に強い衝撃と切られたような痛みを受け、ヨハネは前によろける。
倒れまいとなんとか踏ん張り、すかさず後ろを振り返るが、そこには何もいない。
「い、一体何が……!?」
クロウビークを構え、集中して周囲に神経を張り巡らせる。すると今度は正面から、悪魔が地面から飛び出しまるで魚雷の様にヨハネに突っ込んできた。
横に転がりなんとか躱すヨハネ。そのまま悪魔を目で追っていると、信じられない光景を目の当たりにした。
ドプンッ―――と、悪魔は、地面に潜ったのだ。
モグラの様に穴を掘るわけでもなく、まるで土の中を魚のように泳いでいる。
先程の突進攻撃は、躱せないほどの速さでは無い。正面から来れば悠々と迎撃できるが、さっきのように背後から、更には足元から不意を突かれでもしたら、避けることは困難になってくるだろう。
「ちっ―――それなら!」
舌打ちをして十字架を再び右に倒すと、クロウビークは再び風に包まれ、元の手の形に戻る。続けて今度は十字架を手前に倒した。
『Crow Wing!』
今度は背中を黒風が覆い、両肩から黒い翼・クロウウィングが飛び出す。今度は右から突っ込んでくる悪魔。しかしヨハネは翼を大きく羽ばたかせると、そのまま空中へと飛び、悪魔の攻撃の届かない高さにまで上昇する。
文字通り上空を飛び回り下の悪魔の様子を観察するヨハネ。全体を見渡してみると、地面のある一箇所が、まるで水面のように、ほんの小さな波紋を作っていた。
つまりは、そこに悪魔がいるということ。
(時間はかけられない、あの場所に全力を叩き込む!)
十字架に手をかけ左に傾けると、今度は左足が風に包まれる。
現れたのは鉤爪。爪先に二本、踵に一本の内側に大きく湾曲した鋭い爪・クロウクローは、烏というよりは悪魔の鉤爪のようだった。
もう一度、ヨハネは十字架に手をかける。しかし今度は倒すのではなく、下に押し込んだ。
『
Wing! Claw!
FALLEN FINISHER!!
Go To Hell!!
』
十字架から黒い光が体を伝ってクロウクローとクロウウィングへと流れ込む。
堕天使ヨハネの持つ、人体の構造を変え、物理法則を捻じ曲げる未知なる力『天界力』の最大出力が、漆黒のオーラとなって二つの装備を包み込む。
ヨハネはクロウウィングを羽ばたかせ、さらに上昇する。そしてクロウクローの先端を波紋の位置へと向けると、その場所目掛けて一気に急降下した。加速するヨハネの体は音の壁を超え、漆黒の流星と化す。
「いっけぇぇぇええええええ――――――!!!」
―――それは、隕石と呼ばれても差し支えなかった。
激しい轟音と地響き。濛々と砂埃が舞う中、ヨハネは自分の技の跡である鉤爪状のクレーターの中心に立つ。
これだけの威力。例え悪魔でも喰らえばひとたまりも無いはずだが……
「……逃げられた、か………」
手応えの無さに小さく舌打ちする。
ヨハネの攻撃が当たる直前、悪魔が川に向かって飛び出すのが見えた。そのスピードは今までの比ではなく、目で追うのがやっとのスピード。
(成長している……)
少なくとも悪魔はこの短時間で、劇的な進化を遂げていた。
次に会うときは、一体どのくらい強くなっているのか……。
そんな不安の念を抱きながら、ヨハネは骸骨の口を開ける。『Throw off!』という声と共にクロウクリスタルが飛び出し、それを片手で掴む。何も無い状態の骸骨の口を閉じると、再びヨハネの体を黒い風が包みこむ。
風が晴れると、善子は元の体へと戻っていた。
両手を見つめ、開いたり閉じたりを2回ほど繰り返して、人間の姿に戻ったことを確かめる。瞬間―――
「っ―――!!」
ドッ―――と、自分の体が重くなるのを感じた。思わず崩れ落ちそうになるのを、膝に手をついてなんとか堪える。
ヨハネに変身しているときは、不思議と強気でいられた。しかし変身を解き、普通の人間へと戻った今、命懸けの戦闘をしたという恐怖と緊張が今更になって善子にのしかかる。更に、生き残れたという安堵感と疲労感で、全身に上手く力が入らなかった。
本当なら、今にも大の字になって寝転びたい。悪魔のこと、変身のこと、堕天使に聞かなきゃいけないこともたくさんある。しかし、今はそれよりも優先すべきことが善子にはあった。
「リリー……マリー……!」
ガクガクと震える足に鞭を打ち、善子は二人の元へと駆け出す。
河原に掛かる橋を支える柱の後ろ。1人の少女の影に気づかずに―――。
「善子、ちゃん……」
数分前までの激闘が嘘のように閑散とした河原。ポツリと呟いたその声は善子に届くことはなく、一陣の風にさらわれ空気に溶けていった―――。