築き上げた礎の重み
「やれやれ、手間取ったな……」
酒癖の悪い女性だった。
上司の愚痴を耳元で零されても困るというか、なんというか。
私は十四歳だぞ、十四歳。
社会人の酸いや甘いは、これからワンステップもツーステップも後で経験することだ。
男社会で生きる大変さには同情するけれど、まだまだ夢見る乙女でいさせてほしいものだね。
厄介な人ではあったが、どうにか家……であろう場所には、送り届けられたと思う。
彼女の誘導のままに背負っていたので、彼女が“ここでいい”と言ったあそこで合っていたら、ではあるが。
申し訳ないが、私にそれ以上の面倒は見れない。
最後の最後で薄情だったかもしれない。けど、他人との距離感はそんなものだ。
「……あら」
「ん」
人気のない公園を横切って歩いていると、偶然にマミと出会った。
魔法少女の姿のままなので、魔女と戦っている最中だったのかもしれない。
「こんばんは、暁美さん」
「やあ、遅くまで大変だね、マミ」
「ええ……暁美さんは魔女退治じゃないの?」
にこやかに訊ねてくるマミを見るに、他意はなさそうだ。
マミは本心から、魔法少女の縄張り意識というものを重要視していないのだろう。
「私はただの夜遊びさ。おかげで、ソウルジェムも万全じゃないけどね。グリーフシードもストックもほとんど無いし、明日辺りにはそろそろ活動するかも」
「そう……じゃあこれ、使っていいわよ」
マミからグリーフシードが投げられる。
黒っぽい色が夜に溶けて焦ったが、私は平静を装い、華麗に受け取った。
「悪いね、ソウルジェムの濁りは放っておくわけにはいかないからな……いつか借りを返さないと」
「……良いのよ、同じ魔法少女なんだから」
「そういうものか」
「私は、そうありたいと思っているわ」
なるほど。
まぁ、持ちつ持たれつも良いものだからね。
ただ私としては、友人であれ親友であれ、貸し借りだけはちゃんとしないと駄目だとは思うよ。
夜のベンチに腰掛けて、暫し休憩。
こんな時間とはいえ、偶然マミと出会えたのだ。魔法少女同士、少しは駄弁っていても良いだろう。
「はい、買ってきたやつ」
「あら……ありがとう」
変身を解いたマミに、缶コーヒーの片割れ(税込120円)を差し出す。
肌寒い夜には、丁度良いはずだ。
「マミとはよく隣り合う仲だね」
「ふふ、そうね」
缶コーヒーを両手で包みこみ、マミは微笑んだ。
やはり一つ上だ。笑顔もどこか大人っぽい雰囲気がある。
私はどうだろうか。鏡の前で練習してはいるけれど、マミの大人っぽさはなんというか、真似できる気がしないんだよな。
「……はぁ、肌寒くなってきたわ」
「だね。これから、どんどん夜は冷えていくだろう」
缶コーヒーの芳醇な香りが鼻孔をくすぐる。
だがしばらくは、手の中で懐炉になってもらおう。
「ねえ暁美さん、魔法少女の願いって、どんな願い事にすればいいのかしら」
「ん?どうしたんだいきなり」
「ちょっと、ね……」
「ふむ」
缶コーヒーを頬に当てて考えてみる。
ゲームセンターの少女と交わした会話もあってか、答えはすぐに浮かんできた。
「何でも良いんじゃないかな」
「そんなことはないと思うけど……」
「まぁ、そうだね。けど、自身が魔法少女であることに納得がいく願い事、というのは、そもそも不安定な土台なんだよ」
あの子が言っていたリスクの回避に近いものがあるだろう。
孤独であるべし。願い事に依存するべからず。そういうことだ。
「うーん……」
「魔法少女である自分を前提として、ついでに願い事を叶える。長続きさせるなら、私はきっとそれが一番だと思っているよ」
「……そうね……そうよね、後悔が無いという意味では、それが一番よね……」
コーヒーを一口飲む。苦い。
……ふむ、しかし魔法少女の願い事、か。
魔法少女として理想的な願いとは、なんだろう。ちょっと考えてみようかな。
まず最も大切なのは、納得だろうか。
願い事を、可能な限り納得できる形で使えなければ精神衛生上、不利になるだろう。
それも、できれば他人のためではなく自身のために使うことが望ましい。
だがそれはほんの序の口。そんなことは大前提と言えることで、それ以上に願い事に固執しない生き方をすることが良いだろう。
何でも叶う願い事とはいえ、それを替えのきかない大黒柱として一生をソウルジェムに捧げることができるか、といえば、実に怪しいのだ。
途中でものの考え方が変われば、たちまちに後悔となってソウルジェムを汚染するだろう。最善ではない。
例外は、自身の延命や治療だろうか?
それならば、わかりやすい上に納得もできるかもしれない。選択肢がないとも言えるが……。
まぁ、願い事は通過点だ。それからのライフスタイルこそ、私は重要だと思うね。
魔法少女としての長寿を望むのであれば、大切なものを持たず、その日暮らしで享楽的に過ごすことが一番だ。
魔法の力を振るい、さながら魔王のように冷徹に、世間に君臨し生きる。
壊れて困るものを身の周りに置かず、孤高に、孤独に、しかし楽しく過ごすのだ。
ゲームセンターの彼女が言うその生き方こそが、極端ではあるが最も健全な魔法少女としての姿と言えるだろう。
とはいえ、私はそれほどまでになりたいとは、さすがに思わないけどね。
「ねえ、暁美さんは……どんな願い事で魔法少女になったの?」
「……」
ああ、また聞かれたか。
さて。どう答えたものだろう?
「……私の願いは、さあ、なんだろうな」
変身し、衣装を身に纏う。
それと同時に時を止め、ハットとステッキも傍らに用意した。
「……その盾は、暁美さん自身を守るためのもの……そう言っていたわね。他の人を守るようにはできていないって」
「盾は自分用。ステッキはまやかし。ハットもおかざりさ」
頼もしさには欠けるが、便利ではある。それに、ミステリアスな能力だ。
私としては、嫌いな能力ではない。
「暁美さん、弱くはないはずだけれど」
「弱いさ。私には元々、魔法の素質が大してなかったのだろう」
それは本当。
時が止められるのは私の能力だから良いとして、結界を張れないというのは魔法少女らしからぬ事なのだ。
ちょっとした傷を治すのでも結構な魔力が必要になるし、身体能力にも底が見える。
パラメーターで表示してやれば、さぞ残念な多角形が見えることだろう。
「きっと願いも、大したことではないのだろうさ」
まぁ、未だに思い出せないんだけどね。
それに近頃は願い事以上に、夢の中で見た数々の思わせぶりな景色に興味がある。
「じゃあ、マミの願い事は何だったんだ?」
「私は……事故で死にそうになったところを、キュゥべぇに助けてもらったの」
「ああ……」
なるほど。選択肢が無かった口か。
それは、大変だったろうな。
「一も二もなく、契約したわ。……命は大事だものね」
「ああ、命は大事だ」
「けどね、契約して後悔したことなんてないのよ? 人の弱さにつけ込む魔女を倒して、街を守る……それが、魔法少女としての誇りだと思うから」
「うん。立派だと思うよ」
「……ありがとう。誰かにそう言ってもらえると、嬉しいな」
マミは手元のコーヒーを擦りながら、恥ずかしそうに微笑んだ。
……コーヒーが冷めてきた。そろそろ、飲んだ方が良いと思うのだが。
「ねえ、暁美さん」
「ん?」
缶コーヒーを飲み干そうとした時、マミは訊ねた。
「因果で魔法少女の素質が決まるって本当?」
「ああ、そうだが」
うーむ、缶の飲み口の所に少し溜まっているコーヒーが気になる……けど、人前で啜るのは格好がつかないか。
「因果って何?」
「決まってるだろう、それは……」
ん? 因果って何だ?
「さあ、なんだろう」
「……え?」
「運命、ということなのではないかな。ごめんね、私も魔法少女システムの根幹まで知り尽くしているわけじゃないから」
「そう……暁美さんも、深くは知らないのね」
断片的に忘れてるだけかもしれないけどね。
いつか、何かの拍子に思い出さないものだろうか。
「でもマミ、どうして因果なんて気にするんだい」
「……えっと、暁美さんが気付いているかはわからないんだけどね。鹿目さんには、途轍もない魔法少女の才能が眠っているらしいのよ」
「へえ? まどかに、魔法少女としての素質……ねぇ」
意外だ。あのおっとりぼんやりな子が魔法少女になるというだけでも想像がつかないのに、途轍もない素質ときたか。
なるほど、それで因果、と。
「ええ。キュゥべえも言っていたし、私も鹿目さんの中に眠る魔力は感じるわ。キュゥべえが言うには、史上最強の魔法使い、ってことらしいけど……」
へえ、史上最強。……私は全然わからなかったよ。
本当に私の才能はへっぽこなんだな……。
「まどかに強い因果が関わっているということだね」
「そう。因果っていうのが関係しているとするならだけどね……」
あの平凡な子にどんな因果が詰まっているのか、正直全くわからない。
私の目から見たまどかは、優しくて、おっとりしてて、ぼんやりしている……そんなイメージだ。
確かに演歌を聞いていたり、たまに挙動不審になったりするところはあるかもしれない。
けど、一般人と言ってなんら差し支えないと思うんだがね。
……しかし、そうか。まどかの因果が強い……。
あ……ということは、つまりだ。
魔法少女の才能があるってことは、要するにその逆も……。
「……む、むむ、まずい、な」
「え?」
私はベンチから立ち上がると、顎に手を当てて悩んだ。
意図的に良い感じのポーズを取って悩んではいるが、しかし内心はわりと本気である。
「それはマズい、非常にマズい」
「どういうこと? 暁美さん」
む? ここまで条件が揃っていて、マミは気付かないのか。
「まどかが一体全体、どの程度強い魔法少女になるのかはわからない。けれど、マミやキュゥべえの見立てが本当なら、間違いなくまどかは最強の魔法少女になるんだろう」
「そうね」
素質のある少女がキュゥべえと契約すれば、その魂はソウルジェムとなる。
しかし、ソウルジェムはそれだけのシロモノではないのだ。
「私が懸念しているのは……それに合わせて、まどかが魔女になった時のリスクが跳ね上がるんじゃないかなってことだよ」
「え?」
マミはどこか気の抜けたような声を上げたが、このリスクは無視できるようなことではない。
「あの子は流されやすそうだからな……今のままだと、願い事を叶えたとしても、それに対して絶望や失望を抱くかもしれない。彼女、そういう部分は脆そうだから、特に心配だよ」
「……」
「魔法少女としてやっていける間は良いだろうけどね。史上最強の魔法少女なんて、心強い限りだし。でも、ひとたびソウルジェムが濁りきれば、まどかは最悪の魔女に変わり果ててしまう……それは、なんともまずい話だ」
「あの、あの……暁美さん」
「ん?」
そういえばさっきから随分と静かだったね、マミ。
「あの。魔女って……?」
「ん? 魔女は、魔女だけど」
質問の意図が読めない。何か行き違いでもあったかな。
「その、あのね。鹿目さんが魔女に……?」
「だから、今すぐ魔女になるわけでは――」
「ごめんなさい、そうじゃなくて、えっと……」
歯切れが悪いな。急かすつもりはないけど。
もしや具合でも悪い? トイレ? けどコーヒーを飲んだわけでもない。
「どういうことだ?」
「ごめんね、こっちが聞きたいのよ……」
「だから何を?」
「待ってよ、どういうことなのよ」
気がつけば、彼女の声は震えていた。
マミは静かに立ち上がり、じっとつま先を見つめている。
「意味が、わからないわよ。どうして、鹿目さんが魔女になるのよ……」
「……ああ、そういうこと」
言葉の綾というか、相互不理解のようなものがあって混乱していたけれど、なんとなく察した。
どうやら彼女は、知らなかったようだ。
魔法少女が、いずれ魔女になるということを。
……これは、魔法少女の基礎知識だと思っていたんだけどな。
「私達、魔法少女が持っているソウルジェム……これが濁りきったとき、私達は魔女に生まれ変わる。魔女というのは、つまり魔法少女の成れの果てということだよ、マミ」
「……」
「まぁ、どうしてそうなるのか、っていう詳しいことはキュゥべえの方がもっと詳しいだろうから、私からは説明できないんだけどね」
「……」
「ん、知りたかったことはこれだろう? マミ」
「……知りたくなかった……」
涙交じりに掠れ出た声。
「そんなこと……知りたくなかった……」
「……」
私はこの時になってようやく、その真実がマミに少なからぬ衝撃を与えていたことに気がついた。