虚飾の魔法と嘘っぱちの奇跡   作:ジェームズ・リッチマン

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執着との決別

 

 

 

「私、頭も悪いし、運動オンチだし……さやかちゃんみたいに元気いっぱいで明るくもないし……」

 

 お菓子と薬が散らばる魔女の結界内を鹿目まどかと巴マミが歩いている。

 

「ほむらちゃんのように格好良くもないし……マジックとか、そんな特技で人を楽しませたりとかもできないし……だから私、とにかく人の役に立ちたくて……」

 

 僅かな足音とまどかの独白だけが、辺りに響いていた。

 

「だから私、マミさんやほむらちゃんみたいに、街の人たちを魔女から守りたい……それが、願いなんです。私、魔法少女になったら、それだけで願いが叶っちゃうんです」

「……辛いよ?」

 

 先を歩くマミが振り向き、小さく呟く。

 辛い。実感の篭ったその一言は、まどかの肩を軽く竦ませる力があった。

 

「思うように遊びには行けないし、素敵な彼氏さんだって作れないだろうし……とにかく大変なのよ?」

「はい」

「怪我もするし……命を落とすこともあるわ」

「……はい」

「それに、それだけじゃない……もっと、もっと酷い事だって、残酷なことだって、待ち構えてるかもしれないわ」

 

 鹿目まどかは、意志の薄弱な少女ではない。先程の言葉にも、嘘はなかった。

 それでも気弱な彼女は、脅かすような恐ろしげな言葉に、萎縮してしまう。

 

 後ひと押し。魔法少女であり頼れる先輩でもあるマミ自身が背中を押してしまえば、きっと大きく前に進めるに違いなかった。

 それをわざと前から押し留めたのは、紛れもなくマミの善意である。

 とはいえ、落ち込んだ後輩の顔を見るのは、楽しいものではない。

 

 それでも。

 

(……鹿目さん…ごめんなさい。貴女を魔女にするわけにはいかない……契約は、させたくないのよ……)

 

 魔法少女は魔女になる。

 その真実に触れたマミは、彼女を魔法少女にするわけにはいかなかったのだ。

 

(たとえ貴女の祈りを、否定することになっても、ね……)

 

 

 

 

 

「やれやれ。どこもかしこも甘ったるい菓子ばかりだ。塩気が足りない」

 

 私が蹴り倒した扉の向こうは、お菓子の散らばる奇妙な広間だった。

 フィールドは円形。あるいは歪な楕円。天井は存在するが高く、戦闘中ならば存在を無視できる程度はあろうか。

 障害物は各種お菓子の箱であったり、キャンディやクッキーなどの山があちこちに。

 総評するならば、ありがちなタイプの魔女の結界といったところ。

 

「……静かだね。魔女はどこにいるんだろ」

「まだ生まれていないんだろう」

「そんなことってあるの?」

「どうだろう? 私もこういった瞬間を多く目撃したわけじゃないから、なんとも。ただ、ソウルジェムの反応から推測しただけさ」

 

 広い空間をしばらく歩いてゆくと、高い位置に大きなシリアルの箱が佇んでいるのが見えた。

 

「あそこか」

 

 ソウルジェムの反応を見るに、あの巨大な箱の中に魔女がいるらしい。

 お菓子の中から生まれてくる魔女。さしずめ、お菓子の魔女といったところか。

 

「……あれ、どうするの?」

「出てくるまでは待つ。それまでは、こちらも迂闊に手を出せないからね」

 

 見上げると、箱の前に脚のものすごく長いテーブルと、それとセットであろう椅子が見えた。

 椅子はいくつかあるが、人間を想定した来客用のものではなさそうだ。足が十何メートルもあれば座れるのだろうが……。

 

「……さて。魔女が孵るまではしばらく暇だし、その間は魔法少女について話そうか」

「うん、私も話したい……話して、おきたい」

「そうだな……ん、さやか。そこにあるドーナツに腰掛けてくれるかな?」

 

 私はステッキで、近くに転がっていた大きなドーナツを指し示した。

 

「え? 座るって……こ、こう?」

「そうそう。で、背筋を伸ばして……あ、目も瞑って」

「な、なになに? こんなところでも何かマジック……?」

 

 

 *tick*

 

 

 察しが良いね、さやか。

 けど現実というのは頻繁に、人の想定を上回ってくるものだよ。

 

 

 *tack*

 

 

(スリー)(ツー)(ワン)……はい、目を開けて?」

「一体何……ってうおわあああ!?」

 

 目を開けたさやかは仰天し、思わずバランスを崩しそうになった。

 しかし驚くのも当然だ。

 私とさやかは今、テーブルを挟み、向かい合って座っているのだから。

 

 十何メートルもの、とてつもなく高い椅子に座って。

 

「意外と安定してるけど、暴れると落ちるだろうから静かにね」

「むむむ、むりむり! 何してくれてんのさ!」

「いやだって、良いセットがあったし……」

「せめて前もって言ってよ!」

 

 申し訳ない。

 でも、びっくりさせたい気持ちもあったから、それは聞けない相談なのだ。

 

「ま、家主が来るまでは好き勝手にくつろいでいようじゃないか」

 

 指を鳴らす。

 

 

 *tick*

 

 

 それが、さもそれらしい合図となり。

 

 

 *tack*

 

 

 テーブルの上に純白のクロスと、一枚の皿と、二つのティーカップが現れた。

 

「おおっ…!」

「ごめんね、残り物のコーヒーしかないんだけど」

「あ、ありがと……ていうか飲み物も出せるんだ」

「あるものだけね」

 

 これは魔法で生成したものではない。れっきとした実物だ。

 とりあえず缶コーヒーを開けて、二人分のカップに分けて注ぐ。

 小さな缶を二人で分けると少ないが、小話をするには丁度いい量だろう。

 

「あ、これおやつね」

「なんでここまでセッティングしてお菓子がエナジーバー……」

「余っちゃったからね」

 

 具体的には今日の昼食になる予定だったものだが。

 まぁ、とりあえず食べておくれよ二本上げるから。

 

「さて、と」

 

 脚を組み、ハットを膝の上に乗せてさやかを見やる。

 

「それで、さっきまでの話だけど。さやかはキョウスケの手を治して、本当にバイオリンを聞けるだけでいいのかい?」

「う……マミさんにも同じようなこと言われたけど……」

「ほう」

「……正直、自分でも、よくわからない」

 

 話している間は高所の恐怖も薄れるのか、それよりは羞恥が勝っているようだった。

 

「あいつのバイオリンが聞きたい……それは、本当だよ。けど……恭介のこと、私、その、好きだし……」

 

 もじもじと蠢いているさやかは新鮮なものがある。

 普段は活発な元気っ子だけど、しおらしい姿も絵になるね。

 

「魔法少女でも、人生でもそうかもしれないが」

 

 言葉の合間にコーヒーを一口。

 

「……施しをする者は、相手に感謝の言葉すら求めてはいけないのだと思うね」

 

 ちょっと苦かったかな。

 

「善意を向けられたら、善意や好意で返すのが当たり前……それはこの国の人々が上っ面だけで掲げているモラルの話であって。実際には“ありがた迷惑”がられたり、“空回り”したりもすることも、多いと思うんだ」

 

 良いことをしたら、その100%が返ってくる保証なんてどこにもない。

 あったら人類皆ボランティアだ。

 

「仮に好意がまっすぐに届いたとしても、好感触が長く続く保証なんて、どこにもないしな」

 

 まして、一生涯など。そうそうあるもんじゃない。

 

「魔法少女になることを、おすすめはしない。でもさやかが、あらゆる理不尽を覚悟してもなお魔法少女になりたいと言うのであれば、止めはしないよ。私にそんな権利はないからな」

「――そう、全てはさやか自身の意思だよ」

 

 キュゥべえがさやかの肩に乗り、私を牽制するかのように言った。

 ふむ。契約のことになるとよく喋るね、こいつは。まるでセールスマンのようだ。

 

「あらゆる理不尽、かぁ……」

「たとえ自分の叶える願いが根っこから折られても、絶望しない。……そんな覚悟を決めたら、その時はまた私に相談してほしい」

「……」

「一人で、衝動的に契約をしてはいけないよ。時間はいくらでもあるんだ。今はまだ、悩むといい」

 

 私の言葉に、さやかは声を出さずとも、確かに小さく頷いた。

 

 しかし、彼女もコーヒーに口を付けないな。

 やはり皆紅茶の方が好みなのだろうか。

 

「……そう、だね……うん」

 

 うん? やはり紅茶がお好み?

 

「私、今日まで魔法少女について悩んでいたけど……」

 

 そっちか。

 

「ただ、自分の魂をかけるための、背中を押すようなきっかけを探していただけなんだと思う」

 

 伏し目がちな独白は、穏やかな口調で続けられる。

 

「魂を差し出して腕を治したって、私がそのことで後悔なんかしたら、恭介だって良い迷惑だよね。重い女、っていうか、面倒くさい奴っていうかさ」

 

 冗談交じりの苦笑いを“たはは”と浮かべてはいるが、内心では結構参っていそうだった。

 

「私、少しだけ……どこかで、恭介からの見返りを期待してたのかも」

「そっか」

「うん……よし。決めた! っていうか、決まったわけじゃないけど! しばらく、魔法少女については保留かな!」

 

 良い笑顔だ。

 いつものさやかが戻ってきたらしい。

 

「うん、ほむらありがとう。私、中途半端な気持ちで、恭介のことを助けそうになってたよ」

「ふふ」

 

 さやかはちょっとだけバカっぽいけど、素直な良い子だ。

 やはり、彼女が魔法少女になった暁には、槍が似合うのかもしれないな。

 

 

 ──ゴゴゴ

 

 

「、っと……」

「ゆ、揺れた!? これって、もしかして……!」

 

 ソウルジェムが反応している。

 咄嗟に、すぐ側のお菓子の箱を見やれば……まるで生まれる寸前の卵のように、揺れていた。

 

「ほむら! 魔女が!」

「安心しろ、私がいる」

 

 ハットの位置を直し、左手のステッキを軽く掲げる。

 何より、盾の準備は万全だ。いつでも時は止められる。

 

「うわっ!?」

 

 ぼーん、とコミカルな音と共に、箱から影が出てきた。

 小さな影はゆらゆらと揺れながら、こちらへ近付いてくる。

 

 見た目にはファンシーだが、間違いない。

 あの小さなぬいぐるみのような人影こそ、この結界の主たる魔女だ。

 

「こっちくる……! え!? 私平気!?」

「私がいるよ、大丈夫」

 

 大げさには身構えない。

 目を凝らして魔女の動きを監視するだけでいい。

 

 精神を全て盾に集中させ、時間を止められるようすれば万全なのだから。

 

 

 ──ぼと

 

 

 魔女が、私達の間のテーブルに落ちてきた。

 ショッキングピンクの衣を纏った、デフォルメされた小人のような姿である。

 

「可愛いな」

「ひぃい……可愛いけど……」

 

 ぬいぐるみのような外観の魔女は、私達の間のテーブルに着地したまま、大きく動き出す気配はない。

 姿は、確かに可愛い。私もそう思う。

 が、魔女は見た目ではない。

 

 クリオネが多段変形してプレデターになるように、何の害もなさそうな魔女でも、突如として道理に背き、トランスフォームすることもあるのだ。

 口の上では余裕ぶっていても、心の中は一切、油断できない。

 

「……あ」

 

 魔女のぶかぶかの袖が、皿の上のエナジーバーをつまみあげた。

 

『mgmg……mgmg……』

 

 エナジーバーを食われた。

 

「……か、可愛い奴じゃん」

 

 いや、それでも油断してはならないのだよ、さやか。

 私の本能が言ってるんだ。こいつは絶対に厄介な……。

 

 

『――pgy』

 

 ぼっ。

 

 と空気が弾ける音が横切った。

 

「えっ?」

「……え?」

 

 気がつけば、魔女が腹を撃ち抜かれ、広大な部屋の壁際まで吹っ飛ばされていた。

 

 一瞬の出来事だったので、何が起こったのか、理解が追いつかなかったが……答えは空間の入り口を見下ろせば一目瞭然だった。

 

「……つい撃っちゃったけど、今のは撃ってよかったのよね……?」

「マミ」

「マミさん!」

 

 空間の入口にはマミと、その後ろにまどかが居た。

 どうやら今のは、マミの銃が魔女を撃ち抜いた音らしい。

 

 予想外の先制攻撃である。

 

「ティータイムなら後でうちでやりましょう? 今は魔女を……ね?」

「ああ、そうだな」

 

 壁際に縫い付けられたぬいぐるみを睨む。

 

 そう。私とマミは、どちらが先に魔女を倒せるか、競争していたからな。

 まだまだ競争は続いている。

 

 私達の勝負はこれからだ。

 

 さて、魔女の様子は……あれ、全身が黒っぽい煙で覆われているな。

 ふむふむ、さては中から何かが出て来るタイプの魔女……。

 

「……あれ?」

 

 と思いきや、魔女は煙に巻かれて消え去った。

 それと同時に、辺りの風景がぼやけ、結界が崩れてゆく。

 

 ……魔女を撃破した証拠であった。

 

 マミが。たった最初の一発で。

 

「え!? 一発で!?」

「なッ……んだと……っ」

 

 私もマミも驚きを隠せなかった。

 しかし、これは紛れもなく現実である。

 

 ただ箱から飛び出して、エナジーバーを食い漁っただけで一撃で倒れた魔女。

 ……そんなびっくりな現実も、時には……極稀に、ないこともないのだ。

 

 

 

 結界の消滅が収まれば、辺りは元の病院前である。

 既に空は夕暮れに近かった。

 

「……あ、戻った」

「……だね」

 

 でも、どうするんだこの空気。

 

「……」

 

 マミ、もうちょっと喜んだ顔をしても良いんだよ。

 

 かつん、と、心なしかいつも以上に力なく落下したように思えるグリーフシード。

 私はそれを拾い上げ、握りしめる。

 

 なんだろうか、この言いれぬ虚しさは……。

 

「えーっと。私の勝ちね?」

「……うさぎになった気分だ」

「ふふ。亀というほど、私もゆっくりはしてなかったんだけどな」

「やれやれ……まぁ、言い訳のしようもなく、今回は私の負けだよ。これは君への賞品だ」

 

 グリーフシードをマミに投げ渡すと、彼女はそれをしっかりとキャッチした。

 

「そういう事なら、ありがたく貰うわね」

「うむ……さやか、まどか」

「あ、な、なに?」

「え?」

 

 二人に向けて、私はしっかりと言ってやらねばならない。

 

「今のような魔女なんて、なかなかいないからな」

 

 魔法少女の先輩達として、この釘だけは刺しておかなくては。

 

 


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