虚飾の魔法と嘘っぱちの奇跡   作:ジェームズ・リッチマン

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ファン・ファン・ファン

 

 放課後である。

 私は学校でのあらゆる誘いを振り切って、見知らぬ町まで足を運んできていた。

 

「さあ行くぞワトソン、油田を探しに」

「にゃぁ」

 

 一旦帰宅して荷物を置き、わざわざワトソンも連れてきている。

 猫は犬とは違って付き添いで散歩するものではないのだが、外へ出てもしつこく足に擦り寄ってくるので、ならばいっそ一緒に……と運んできたわけである。

 

 確かに、たまには誰かと一緒に外に出て遊びたいだろうからね。

 これからも魔女退治以外の日は、こうしてちょくちょくワトソンの相手をしてやらねばならないだろう。

 もちろんマジックショーの手伝いもやってもらうが、基本的にはのびのびと外を歩かせてやりたいものだ。

 

「じゃ、ついてきてよ。ワトソン」

「にゃ」

 

 本当に良い子だ。私の言葉を理解し、よくなついてくれる。キュゥべえよりもずっと可愛げがある。

 いつか鳩が手に入ったとしても、私はワトソンを大切に、レギュラーとして優遇し続けるつもりだ。

 

 あ、でもワトソン、鳩を食ったりしないだろうな。

 今から心配になってきた。

 

 

 

「すみません」

「はい? 何かな」

 

 というわけで、私はガソリンスタンドにやってきた。

 

「ガソリン売って下さい」

「え?」

「火炎瓶を作るわけではないので、このペットボトルに……ちょうど一リットル分だけ。相場はあの看板に書いてあるので、お代はこれ……」

「いやいや、そんなことはできないよ」

「何故!?」

 

 どうしてだ。

 ちゃんと中身を空にして不純物を取り除いたペットボトルだぞ。

 材質が不満なのか? だったら他にもステンレスの水筒やアルミの容器だってあるが……。

 

「何故と言われてもね……車もバイクも無しで、ていうか君中学生くらいでしょ」

 

 ふむ、なるほど。

 乗用車がなければ売れないと。そんなつまらない柵にとらわれているわけだな。

 マニュアル仕事というのも大変だな。しかしまぁ、危険物は危険物だ。販売にそのような制約がかかるのも、わからないではない。

 

「わかりました、では望み通り車かバイクを持ってきて……」

「君、免許ないでしょ?」

「……」

 

 私は十四歳だぞ。そんなものあるはずがない。

 

「危ない物に憧れる年頃なのはわかるけど、やめときなさい。そういう事して大変な事件に発展すると、後で絶対に後悔するからね。……君、どこの中学生なのかな? 学校の名前は……」

「もういい、この話は無かったことにしてもらう」

「えぇ、ちょっと君……」

 

 なんて聞きわけの悪い大人だろうか。たかがリッター百数十円の液体のために大げさな。私はただ純粋にガソリンを派手に燃やしたり爆発させたいだけだぞ。

 だがしかし、食らいついたところで相手が折れそうにはなかったし、これ以上話していると面倒なことになるであろう予感がしたので、私はそそくさと現場を去ることにした。

 

 やはり、無人のガソリンスタンドに行くべきだったか……。

 だが、諦めないぞ。工業地帯にでも行けば、他にも丁度いい入手先があるはずだ。

 いざとなれば、あの灯油ポンプを使ってでも手に入れてやる。

 

「行こう、ワトソン」

「んにゃにゃ」

 

 

 

 

 

「動かないんだ……もう、痛みさえ感じない。こんな手なんて……」

 

 夕焼け空を背に呟くように語る上条恭介に、さやかはすぐに言葉を返せなかった。

 幼馴染を襲った大きな不幸は、入院が長引くごとにその陰を増している。

 

「恭介……大丈夫だよ、きっと……リハビリだって頑張ってるし、恭介ならきっと……」

 

 さやかのボキャブラリーは、決して貧弱ではない。

 他人の心を機微には、人一倍敏感でもある。

 しかしもう、彼女には使い古したような、根拠のない励ましの言葉しか残っていなかった。

 

「……諦めろって言われたのさ」

「……!」

「もう演奏は諦めろってさ……先生から直々に言われたよ」

 

 そしてもはや中途半端な励ましでさえも、無意味になった。

 

「今の医学じゃ無理だってさ……もう、ダメなんだ。僕の手はもう二度と動かない……奇跡か、魔法でもない限り、絶対に……」

 

 奇跡。魔法。そう。そんなものがなければ、救われない段階にあったのだ。

 

(……私は)

 

 それでも、さやかは知っている。

 高度な医療さえ凌ぐ奇跡や魔法が、この世界には確かに存在することを。

 

(ああ、恭介……私……)

 

 気がつけば窓際には、奇妙な白猫が座り込んでいた。

 その白猫こそ、奇跡と魔法の象徴。少女の願いを叶える、運命の使者。

 

(キュゥべえ……)

「君の願いは、彼の手を治すことかい?」

 

 白猫は、さやかにのみ聞こえる声で問いかける。

 彼女が望めばそれは速やかに成就することだろう。

 

(私は……私はっ……!)

 

 願うだけ。首を縦に振ればいい。戦いの運命を受け入れれば、それだけで。

 だが、やはりさやかは答えを出せなかった。

 

「……ごめん」

「え?」

 

 長い沈黙を嫌ったのは、恭介の方だった。

 

「もう、帰ってくれないか……さやか。……一人にさせてくれ」

 

 好転しない純粋な絶望を前にすれば、励ましや共感など、何の意味もない。

 取り返しのつかない心の傷を癒せるのは、きっと諦念を受け入れたときだけであろう。

 少なくとも上条少年は、そんな未来を悟りつつあった。

 

「……またね」

 

 為す術はない。ただ、彼は深すぎる悲嘆と真正面から対峙しているのは、間違いない。

 では、自分はどうなのだろうか。

 適当な励ましで彼に現実的でない希望を持たせ、傷つけ、ただ自分だけが良い子になりたかっただけなのではないか。

 

 そう思うと、さやかは途端に自分が情けなくなって、それは悲しい気持ちと綯い交ぜになり、逃げるように病院を立ち去ったのであった。

 

 

 

「本当にいいのかい? さやか」

 

 さやかは病院の外にある、誰も通らないような寂れた公園にいた。

 しばらくそこのベンチに座り込み、無言で項垂れていたのであった。

 

「……うん。いいの」

「まあ、全て君が決めることだからね。けど、君が望めば彼の病気は完治する。それだけは……」

「……それも、駄目なんだよ。私」

 

 キュゥべえの言葉を遮るように、さやかは首を横に振る。

 

「だってあたし……恭介のこと、ただ“かわいそう”って……そんな軽い気持ちで見ちゃってた。ただ、哀れんでいるだけだった……」

 

 治してあげたい。悲しい顔をしないで欲しい。それは確かに本心だろう。

 だが、さやかは今まで彼の気持ちを、本当に親身になって考えてはいなかったのではないかという考えに至ってしまったのだ。

 

 甲斐甲斐しい幼馴染。そう言えば聞こえは良かった。少なくとも親友のまどかは、そう思っているだろう。

 だが音楽CDを買うのも、何度も見舞いに足を運ぶのも、無責任に“大丈夫だ”と励ますのも……病気に立ち向かう彼の不安定な心境を、深く考えてのものではない。

 魔法少女に出会った今では違う。だが、数日前までは、そうだったのだ。

 

「あたしが魔法少女になって恭介を治すのって……きっと、そうなんだよね。あいつに笑ってほしいんじゃなくて……私に、笑ってほしい。そんな汚い理由なんだ」

「それは……」

「ごめんね、恭介……あたし、嫌な子だったよね……」

 

 キュゥべえは理解し難いとでも言いたげに首を傾げた。

 

「僕も君達の判断を尊重するから、無理強いはしないけどね」

「なんだかごめんね、キュゥべえ。私が優柔不断なせいで……」

「いいさ。気が変わったら、いつでも呼んでくれ。僕は君の力を必要としているからね」

「……あたしなんて、なんにもできないよ。恭介の手を治すことができるのに……できるのにやらない……怖いんだ、治したその後が」

 

 さやかの両手は震えている。

 

「魔法少女になって、魔女を倒してさ……けど、その見返りは恭介じゃないと釣り合わないのよ。私は、恭介のバイオリンを聞きたいってだけじゃ満足できなくて……恭介自身も、ほしがってたんだよ……」

「! さやか……」

 

 キュゥべえは人の心に明るくない。

 だが、異常に落ち込んださやかの様子から、ただならぬ状態であることは察知できた。

 

「こんな私だから恭介は嫌いになったんだ。こんな私だから……」

「まずい……魔女の口づけだ。さやかが操られているなんて……早くマミに知らせないと」

 

 心の弱った人間を洗脳し、破滅へと誘う――魔女の口づけ。

 

 さやかの首筋には、箱マークの小さな入れ墨が刻まれていた。

 

 


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