鳩を探す気力もない。
そりゃあ、目の前にいれば飛び付く気も起こるかもしれないけど。しかし、自ら探しにいく気分とまではいかなかった。
心機一転。の、つもりで家を出たのだが。
十分かそこらで精神状態を万全にできるほど、私のソウルジェムは図太くなかったのだろう。
故に、私は気分の入れ替えを兼ねて、無気力に通学路を歩いていた。
「はあ」
憂鬱だ。けど、ため息を吐けばその分だけ気持ちが入れ替わるような気もしてくる。
きっと学校に着く頃には、そこそこ紛れた気分で腹をいっぱいにできるだろう。
……でも、そうして考えて見るとだ。
今みたいに中学生らしい交友関係で悩めるだけで、魔法少女としては上出来なのかもしれないね。
だって、そうだろう。
きっと世の中には、もっと大変な目にあっている魔法少女だって存在するはずなのだ。
私はまだ戦えるから良い。魔女と戦う力や勇気がないために、日々のグリーフシードにも困窮している魔法少女は、少なからずいるだろう。
年相応に、学生らしい悩み事ができるというのは、実に幸せなことなのだ。
……とはいえ、まあ。人と比べて、自分の中の幸せがどう変化するわけでもないけれど。
それでも気の持ちようで心が立て直せるならば、私はそれでもいいと思っている。
「よし、学校頑張ろう」
始まりは空元気だって構わないのだ。
私は自分を奮い立たせ、起伏ある校門前で意味もなく走り出した。
「やあ、おはよう」
「あ……」
「おぁ、ほむら。お、はよう」
まどかとさやかである。入り口のすぐそばにいたものだから、知らんぷりは不可避だと腹を括って声をかけたというのに、なんだその準備も何もしていなかったような反応は。
昨日のこともあって少し緊張していたけど、なんだかそういう反応されると、逆に落ち着けてしまうな。もちろん、悪い意味ではない。
「さやか、昨日は大丈夫だったか?」
「え? あっ……ああ、うん、おかげさまでね。ありがとう、助かったよほむら」
苦笑い。遠慮されているのか、よくわからない。
でもさやかが無事なのは、心から嬉しく思っている。
「間に合って良かったよ。私は偶然、丁度近くに居合わせていたからね」
「ああ……うん! 私は事情を知ってるけど、仁美は……その、ね?」
「おっと」
危ない危ない。魔女の話はあまり公言するものではなかったな。
クラスの皆にはナイショにしないと。
「……本当にありがとう。感謝してもしきれないよ、ほむら」
「……気にしなくて良い。君が無事でいるだけで私はそれで嬉しいから」
腫れものを触れないように。周りに悟られないように。
繊細で、神経質なコミュニケーションだ。……秘密が多いというのも、むず痒いな。
「い、いけませんわ、お二方……」
「え?」
「ん?」
妄想たくましい仁美が色々とうるさかったが、どうでも良さそうなことだったので私は気にせず席についた。
まどかとさやかは弁解だか何かに追われていたが、まぁいつもの調子だったから、良しとしておこう。
「……」
雑念は振り払う。
気を病むことは魂の毒だ。青春とは悩むことであり、迷うことでもあるが、魔法少女にはメリハリが無くてはやっていけない。
ソウルジェムを濁らせないためにも、気分転換や気晴らしを欠かしてはならない。それは基本だ。
だから私は、魔女と闘うとき以外には、楽しめることを最優先に考える。
私という暁美ほむらは、それでいいのだ。
健やかな中学生女子とは、そうあるべきなのだ。
そう。黙ってマジックについて考えよう。
“Ms.ホムホムマジック in 見滝原”
ノートに書き連ねた草案に訂正線。イマイチだ。
ミス、ホムホム……いやダメだ、良くない。
“Mr.ホムの青空マジックショー”
うーむ。ミスターは何かが違う。
語呂は良いと思う。私が男だったら何も問題はなかった。
けど魔法少女ありきのマジックだからな……残念ながら私は女なんだ。
“Dr.ホムのマジックショー”
うん、シンプルイズベスト。……いや、ホームズの方がいいかな? ワトソンも一緒だし。うむ。ホームズ。ホームズもいいな……。
しかし看板を作るとして……今までの屋外でも良いのだろうか。大きめの会場って借りれるのだろうか。どこなら許可を出してくれるだろうか……いや、まだそもそも客自体が……。
「……ほむらちゃん、授業中からずっと、思い詰めてるような……」
「考え事、してるみたいだね」
まどかとさやかは、中休み中もずっと考え事をしているように見える暁美ほむらを眺めつつ、小さな声で話していた。
「昨日のことはやっぱり、深く聞いたりしちゃいけないのかな……」
「……私、実際に見てないからわからないけど。ほむらは悪いやつじゃないでしょ」
まどかはどこか自信なさげに、背の高いさやかを見上げた。
確かにさやかは魔女に操られていたため、まどかが言う魔女の不穏な映像などは直接見ていない。もちろん、さやかもそれを嘘とは思っていないが。
しかしだとしても、さやかはほむらに対し、一定の信頼を抱いている。
「今もさ。きっとあいつなりに、考えてるんだよ。……結構、不器用っていうか。突拍子もないことするから、分かりづらい奴だけどさ」
「……うん」
「あいつが喋りたくないなら、考えがまとまるまでは待っててやろうよ」
「そうだね……うん、そうだよね」
二人はもうしばらく、神妙な顔つきで机に俯いた暁美ほむらを見守るのであった。
「よし」
が、彼女は唐突に席を立ち上がった。
あまりにも美しい起立に、近くにいた生徒たちが一斉に驚いているが、彼女はそのようなことを気にしない。
まどかとさやかもまた、突然のことに呆気にとられていた。
「中沢」
「ん? 暁美さんか。またマジックか、何か?」
「察し通りの御名答、さあ」
ほむらは中沢に二枚のカードを提示してみせた。
「このジョーカーか、このスペードの3か、選ぶと良い」
「んー、どっちでもいいけど」
「どちらかを選ばなくてはならない時もある」
「……じゃ、ジョーカーで!」
「良いだろう、ではジョーカーをここに置く」
「うん」
ほむらは中沢の選んだカードを裏向きにして机に置いた。
「君には私が手に持ったこの裏向きのカード……なんだかわかるかな?」
「そっちはスペードの3でしょ」
「と思いきや?」
ほむらが手に持ったカードを裏返してみせると、それは王様が自転車に跨る絵柄――ジョーカーに変化していた。
「あれ? ジョーカー? じゃあこっちが……」
中沢は机のカードをめくる。
「ハートのクイーン。うそ、いつの間に……」
「ふふ、どうかな」
「すごい、成功してる……」
「そこかい」
クラスメイト相手に普段通りの調子でマジックを始めたほむらを見て、まどかはどこかぽかんと呆けていたが、さやかは胸をなで下ろす気持ちだった。
「まあ。暁美さん、上達してますわね」
「ああ、仁美。そうだね……そういえば、最初はひどかったよねえ」
「うふふ、ほむらさんは最近になって始めたのでしょうね」
仁美は何気なしにそう言って、楽しそうにマジックの様子を見つめている。
会話が一段落したのだろう。しかしさやかは、先程の会話の中身がどうも気にかかっている。
ほむらが、最近になってマジックを始めた。確かに最初の頃の教室でのお披露目を思えば……その通りと言わざるを得ない。
だがさやかにとってほむらとは、出会った初日からマジシャンのような雰囲気を醸し出していた存在だったので、そのように考えたことはなかったのだ。
「まぁ確かに、前からやっていたってわけじゃないよなー、あの腕前だと……」
現に今でも、マジックを披露するほむらは何度か失敗しているように見える。
成功率こそ上がってはいるが、トランプを使ったマジックは見た目にも地味で、派手さは無い。
(ほむら、その前は何をしていたんだろう……想像できないや)
さやかはほむらについて深く追求しようとは思わない。人には踏み込まれたくない部分もあるだろうと思っているからだ。
それでも、謎多き転校生の過去について、興味がないわけではない。
(でもきっと、それでも今と変わらず、良い奴だったんだよね。そうでしょ? ほむら)