虚飾の魔法と嘘っぱちの奇跡   作:ジェームズ・リッチマン

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第六章 破戒の教皇は孤立する
妥協と覚悟の天秤


 

 放課後になった。

 今日はあっという間に過ぎていった。いや、ここ最近は特にあっという間なのだが。一際早かったように思える。

 入院していた頃は、一日はずっと長く感じられていたのだが……。

 

 いや、悪いことではない。生きていて退屈しないのは素晴らしい。

 人間でも魔法少女でも。色々ある人生こそ、私の求めるものだから。

 

 ……が、格好つけてばかりもいられない。

 

「さやか、まどか」

「ん? どしたの、ほむら」

「いや、そのね」

 

 ちょっと言い出しにくいことではあるが。くだらない意地を張っているわけにもいかないことだ。

 

「工場でさ。黒猫を見なかったかな」

「黒猫……?」

「あっ、私、見たよ。ちっちゃい子猫でしょ?」

 

 おお。さやかは覚えがないようだが、まどかは見ていたらしい。

 そう、その黒い子。私の相棒にして助手の黒猫、ワトソンだ。

 

「そう、その子だ。ワトソン……昨日は置いてけぼりにしちゃったからね。……どこにいるか、わかるかな」

「ワトソンて……」

 

 勢いであの場を飛び出した私には、ワトソンが今どこにいるのか……さっぱりわからないのだ。

 ……相棒失格だな。

 

「う、うーん……私、車の下にいるのを偶然見ただけで……今はもういないかも」

「……そうか」

 

 あの辺りは、ほとんど人通りや車もないとはいえ……しかし、ワトソンはまだ小さいからな……。無事なら良いのだが。

 早めに連れ戻そう。まだマグロ缶は残っているし、キャットタワーだって買ったばかりなのだ。

 

 何より、あの子がいないと、家に帰っても寂しすぎるから。

 

 

 

「ワトソン、いるかな……」

 

 そうして、私は工場地区に戻ってきた。

 まだ明るい時間帯なので、夜に見た無機質な怖さはない。それでも動いている工場は少ないのか、静かな雰囲気は変わらなかった。

 件の工場はKEEPOUTのテープで封印されており、人はいない。

 

 そういえば、集団催眠だか集団幻覚だかで問題になったのだっけ。

 十数人以上の人が、集団幻覚……なるほど、騒ぎにもなるだろう。

 そんなに多くの人がいた場所だ。猫にとっては、きっと落ち着かない場所に違いない。

 

「はあ……」

 

 工場の前では、昨日とほぼ同じ面構えのおっさんがコンクリブロックに腰掛けていた。

 ここの工場の持ち主であろう、くたびれた中年の男性だ。

 既に彼に魔女の口づけは見られないが、それが付いていなくとも自殺しそうな雰囲気が漂っている。

 

「すみません」

「ん……? なんですか」

 

 辛気臭い雰囲気だが、私にとっては重要な参考人だ。

 ワトソンのためならば、いくらだって聞き込みをしてやるさ。

 

「ここらへんで黒猫を見ませんでしたか。小さな黒猫なのですが」

「ああ……黒猫なら、昼間も俺の前を横切って行ったよ。これからも横切るかもしれないけどな……」

「どちらへ?」

「あっちだ」

 

 ふむ。どうやら、全く別の方向に探しに行かなくてはならないらしい。

 

「ありがとうございます。感謝します」

「飼い猫かい?」

「いえ、私の相棒です」

「ふっふふ、相棒かあ……いいなあ」

 

 優しい人なのだろう。工場長は柔和な笑みを浮かべ、そしてすぐに俯いた。

 会話は終わりという事なのだろう。かといって何をするでもない彼は……きっと寒くなるまではずっと、こうして項垂れているのかもしれない。

 

 ……魔女のせいとはいえ、工場内では様々なものを破壊したり持ちあげたりしたので、本当は私も謝らなくてはならない立場なのだが……魔法少女だと公言するわけにはいかない。

 

 建物に目をやると、どうやら魔女の結界があった工場の物置きにも、捜査の手が入ったらしい。

 そこは厳重に黄色いテープで囲まれている。明らかに事件性はあるのだろうが、捜査はきっと、難航しているのだろう。証拠など、見つかるはずもないのだから。

 

 歪んだトタン板。散乱する薬品。割れたガラス。薄い壁に開いた大きな破壊痕……。

 ……ああ。あの壁の穴は、私が開けたやつだったか。

 

「……だったら、これくらいは、ね」

 

 

 *tick*

 

 

 せめて、バリケードに使った物品の整頓と、破壊した壁のゴミ集めだけはしておこう。

 壁を直す魔法が無いというのが、あまりにも悔やまれることではあるが。

 ……奇跡だって簡単に起こせることではないということか。

 

 

 *tack*

 

 

 時間停止の魔法も無限にできるわけではない。

 白昼堂々とやるにも、限界はあった。

 重い物優先でやったので多少の整頓の手助けにはなっただろうが、あの項垂れた人を立ち直らせるほどではない。

 

「……出会う人を皆救えるわけではない、からな」

 

 こうしている場合ではない。

 私は、ワトソンを探さなければ。

 

 

 

 

 

「……魔法少女に、なりたい。それは本気なの、美樹さん」

「はい」

 

 巴マミのテーブルの向こう側には、毅然とした表情の美樹さやかが座っている。

 冗談めかした雰囲気でも、優柔不断な様子でもない。

 さやかからの呼び出しを受け、こうして一対一で話せる環境を用意された時点で、マミは薄々と勘付いてはいたのだが。

 

「魔法少女が良いものじゃないっていうのは、前にも鹿目さんには言ってあるんだけど」

「私、覚悟はあります」

「かっこいい言葉を出すのは簡単よ? 映画や漫画だって、かっこいい言葉は多いもの」

「これは私のまごころです。借り物の言葉なんかじゃ、ないです」

 

 少々棘のあるマミの言葉にも、しっかりと返してくる。

 さやかの意志は堅いようだった。

 

「……それじゃあ、聞かせてもらえるかしら。さやかさんのまごころ」

「僕の力が必要かな?」

「わあ! びっくりしたぁ」

 

 魔法少女になる。そんな会話をすれば、どこからともなくキュゥべえが現れてくる。

 少し前まではなんとも思わなかった白猫の超常性であるが、近頃のマミはキュゥべえの出現を不気味に感じていた。

 

「キュゥべえ、煽りは不要よ」

「あくまで本人の意思を尊重するさ」

「……それで、美樹さん」

「あ、はい」

 

 話を戻すように、さやかは下手な咳払いをした。

 

「……私、魔女の口づけを受けて……死にそうになったんですよね。あの工場で」

「確かにそうだけど……助かった命を“どうせ死んでた”と投げ出すのは違うわ」

「違います。私も、人を助けられるような人間に……魔法少女になりたいんです!」

 

 さやかの気迫に圧され、マミは言葉を飲み込んだ。

 

「みんな、知らないけど……それでもこの世界は、魔女の危険に溢れている。……昨日、それを実感したんです」

「……そうね」

「仁美も、私も……普通だったら、誰も助けてくれなかったら、死んでた。他の大勢の人だって……」

 

 不幸、悲劇。それは、この世界の偶然が生み出すものだと考えていた。

 それはある意味正しい認識だろう。だが、世界に蔓延る悲劇の裏側には、魔女の振りまく呪いが潜んでいたのである。

 

「この世のどこかで、あんな風に理不尽に人が死んでいくなんて……そんな世界、黙って見過ごせないんです!」

「……正義の味方、なんて、そう格好のつくものではないわよ」

 

 さやかの意志は気高いものだろう。正しく、誇るべき精神だ。

 一昔前のマミであれば、“仲間が出来る”と脳天気に頷いていたかもしれない。

 

「誰に認知されることもない……誰も助けてくれない……それでも、ソウルジェムを清めるために戦い続けなくてはいけない」

「私、それでも知らんぷりなんてできないです」

「中途半端に揺らぐ気持ちで関わってほしくはないの。貴女の気持ちは……本当に、固まっているの?」

「……見過ごせない……絶対に!」

 

 マミは慎重だった。

 さやかの気持ちは、既に十二分に伝わっている。なので、こうしてさやかの瞳の奥を探ることに、もう深い意味などはない。

 それでも、簡単に首を縦に振ることはできない。人の“魂”は、人生は、それほど重いのだ。

 

「ねえキュゥべえ。あたしには魔法少女になる素質があるんだよね」

「もちろんだとも」

「……その素質ってさ、一年後とか三年後とかでも、続くのかな」

「難しいね。二次性徴期の女性じゃないと、魔法少女になるのは大変だから」

 

 それは、“今しかない”とも取れる回答であった。

 

「……今、魔法少女にならずにいたら……私、一生後悔し続ける。テレビで行方不明の人や、自殺の話題を聞くたびに……きっと、罪悪感で気がおかしくなると思う」

 

 遠い世界の話ではない。身近で、自分だからこそできることがそこにある。

 そんな世界を間近に見て、あえて無視できるような心の器用さを、さやかは持ち合わせていなかった。

 

「“自分で助けられたかもしれないのに”……って。絶対に、後悔する」

「美樹さん……」

「石ころにされたって、なんだって構わない……石ころにすらなれずに死んでゆく多くの人達を、この手で助けられるなら……!」

 

 意志は堅い。果てのなさそうな熱意もある。

 そして、彼女はきっと頑固だ。

 マミはそこまで考えると、目の前のさやかよりもずっと疲れた風に息を吐き出した。

 

「……魔法少女になるかどうかは本人が決めること。私を含め、誰も強制や制限はできないわ」

「マミさん」

「でもね美樹さん。貴女は魔法少女になる前に、知ってもらわなきゃいけないことがあるの」

「え?」

「魔法少女の真実をね……」

 

 ここまでは、前提のようなものだった。

 魔法少女になりたい。理由も熱意もある。それは結構なことだ。

 しかし、事はそれだけに留まるものではないことを、マミは知っている。

 

 そしてそれは……すました顔でテーブルの上に座っている、つぶらな赤い瞳をしたこのキュゥべえこそが、何者よりも詳しいのだ。

 

「……決めるのは、それを聞いてからでも遅くないわ」

「魔法少女の真実って……? なんですか? それ」

「これを受け入れて、いざという時、それを実行する覚悟があるかどうか……私は、美樹さんからそれを聞かなくちゃいけない」

 

 マミの空気がより真剣な、重いものに変化したことを肌で感じ取ったのだろう。

 さやかはごくりと喉を鳴らした。

 

「私は、今はその覚悟がある……葛藤もあったし、絶望だってしかけたけれど……私は、受け入れたわ。でも美樹さん……貴方には、その覚悟があるのかしら」

 

 

 


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