虚飾の魔法と嘘っぱちの奇跡   作:ジェームズ・リッチマン

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尊重されるべきもの

 

 人伝に探すも、黒猫の目撃証言などそう集まるものでもない。

 猫は気まぐれだし、どんな場所でも歩いて行けるのだ。その上周辺の住民が疎らともなれば、捜査は難航を極めた。

 やがて辿れる頼みの綱も途切れ、足が止まったのは情報の空白地帯。

 

 不甲斐ないことだが、私はワトソンを完全に見失ってしまったのだった。

 

「……ワトソン、いないのか」

 

 隣町。見滝原よりも幾分寂れた土地、風見野だ。

 ほとんど知らない土地である。ここで一からローラーで探すには……かなり難儀することだろう。

 

 ……いざとなればマグロ缶は私が食う。

 だが、ワトソンのために用意したキャットタワーやミニチュアのハットなどは、一体どうすれば良いというのか。

 ワトソン専用の砂場、爪とぎ板、その他もろもろの道具も無駄になってしまう。どれもかさばるものばかりだ。

 けど、ワトソンは今もどこかにいると思うと、捨てる気にはなれない。

 

 そんな寂しいゴミ出しはしたくないよ。

 何より、ワトソンは私が知る、唯一の家族なのに……。

 

「くるっぽー」

「!」

 

 鳩の鳴き声が聞こえた。

 思わず俯いた頭を上げる。

 

「にゃにゃにゃ!」

「くるっぽー、くるっぽー」

「あ……ワトソン!?」

 

 そこには、まさに奇跡の光景が広がっていた。

 

 私のよく知る黒猫と白鳩が、地面の上に撒かれたスナック菓子を仲良く食べていたのだ。

 

「お? 奇遇だな、ほむら」

「杏子……」

 

 公園のベンチには、菓子を食い漁る杏子の姿があった。

 どうやら彼女は、そのおこぼれをワトソンと鳩にあげていたらしい。

 

「ワトソン」

「にゃぁ!」

 

 名前を呼んでやると、ワトソンはまだ残っているお菓子を放ってまで私の方へ駆け寄ってくれた。

 私のことを覚えていてくれたのだ。これほど嬉しいことはない。

 

「なんだ、そいつあんたの猫だったのか」

「ああ、私の相棒だよ」

 

 抱き上げて、杏子に見せてやる。

 ワトソンはだらしなく両手を挙げて、杏子に挨拶していた。

 

「そういう杏子こそ、足下にいる、その鳩は……もしかして杏子の」

「まさか。物欲しそうな目で見てたから、ちょっと分けてやったんだよ」

 

 スナック菓子をつまみ、潰して地面に撒いている。

 なるほど、鳩は美味そうに食べていた。餌付けか……そういう捕まえ方もあったな。

 

 ワトソンも物欲しそうな顔をしているが、帰ったらマグロを分け与えてやるのだから、今は我慢させよう。

 

「ありがとう、杏子……ワトソン、ずっと探していたからね。見つけてくれて助かったよ」

「へへ、偶然だよ。気にすんなって」

「……あ、そうだ。そういえば、これを渡しそびれていたね」

「あん?」

 

 鞄の中のコーラを投げ渡すと、杏子は訝しみながらもしっかりキャッチした。

 

「これ……」

「この前ゲームセンターに置き忘れていったやつ。古いけど、まぁ一応、返しておくよ」

「おお、サンキュー。炭酸抜けていても、これは美味いからな」

 

 食べ物は粗末にしちゃいけない。そう言って、杏子はごくごくと残りを飲み干した。

 なんだか良い事を言った彼女だったけど、その割には、ペットボトルのゴミはそこらへんにポイ捨てしている。

 相変わらず、よくわからない子だ。

 

 不良少女っぽくもあるんだけど、変な所で道徳心を持っているというか、歪というか。

 鳩でも犬でも蹴飛ばすくらいの子かと思えば、こうして面倒見の良い所はあるし……。

 

 私がそんなことを考えていた矢先だった。

 

「ん」

「……チッ」

 

 魔力反応だ。

 ソウルジェムが反応した。私の呑気な探査能力でも引っかかるくらいなので、相当な近距離にいるのだろう。

 

 反応は魔女ではなく、使い魔のものである。脅威度は低いし、見逃しても直ちに害は出てこないだろうが……見つけた以上、見逃しはしない。

 魔法少女として、倒すべき敵は倒さなくてはね。

 

「悪いね杏子。ワトソンも見つかったし、私はもう行くよ」

「! おう、気をつけてな」

「ああ。また、会った時に」

 

 使い魔を追いかけよう。

 杏子に手を振って、別れを告げる。

 

 しかし。

 

「……なあ、そっちから帰るのか」

「ああ」

 

 彼女に呼び止められた。

 正直、気分としては結構忙しいのだが。

 

「……行く前にちょっと、メシ寄ってかない?」

 

 む。魅力的な提案だ。

 ちょっと悪そうなすまし顔で、それっぽい雰囲気もある。杏子ならきっと、地元の穴場的な店だって知っているのだろう。

 けど……今はね。

 

「遠慮しておくよ、ワトソンもいるから」

 

 興味はある。本音を言えばすごく食べたい所ではあるが、この距離で使い魔を見逃す手はないのだ。

 グリーフシードにも余裕はある。さっさと見つけて、狩ってやらねば。

 

「――ペットもアリなところ、おごるよ!」

「……」

 

 さあ今度こそ。と踏み出したところで、また呼び止められた。

 ……杏子はどうしても、どうあっても今、私と一緒に食事したいらしい。

 

 まるでマミのようなタイプというか、なんというか……。

 それともこの歳の少女は皆、誰かと一緒に食事を摂るのが好きなのだろうか。

 わかるような、わからないような。

 

 ……まぁ、誰かと食事を共にするのは、悪くないよ。

 けど今は、喫緊の問題に直面しているからね。それを言うわけにもいかないのだが。

 

「……また今度、おごってくれよ」

 

 人付き合いの悪いやつと思われようとも、断りは入れなくてはならない。

 

「く……!」

 

 杏子は悔しそうな顔をしている。

 だが、歯を食いしばるほどのことではないはずだ。

 確かに私は付き合いは悪い部類なのかもしれないが、用事があれば食事よりそれを優先するのは当たり前。

 もちろん、私だって心苦しいところはあるけどさ……魔法少女の仕事となれば、他にやれる人はいないのだ。

 

 仕方ないだろう。

 すまないが、ノリの悪いやつだと恨んでくれ。

 

「じゃ、またいつか」

 

 私は使い魔の気配を感じる方へと歩き始めた。

 

「――ッ」

 

 ――そして感じる、背後の空気の乱れ。

 

 

 

 咄嗟に腕を上げていなければ、こうも腕に鈍痛を味わうこともなかっただろう。

 まぁ、腕で防いでいなければ、それと引き換えに手刀に首をやられ、意識を削がれていただろうし、仕方のない防御だったのだろうが……。

 

「食事へのお誘いにしては……随分と、強引だな」

「……! オマエ……」

 

 突如として私を背後から襲ったのは、杏子だった。

 何が何だかわからないけれど、私はひとまず彼女から五歩分の距離を取る。

 

 今の杏子の目は、食事に誘うティーンエイジャーの目ではない。

 まぐろ缶を前にしたワトソンの目によく似ていた。

 

「ほむら……アンタ、魔法少女か……!」

「!」

 

 私の左手を見る杏子に釣られて、私も杏子の手を見る。

 なるほど全く意識などはしていなかったが、彼女も私とおそろいのリングを付けていた。

 

 なんという偶然だろう。杏子もまた、魔法少女だったのである。

 だが、しかし、おそろいのリングを持っている私に手刀を仕掛けたということは……。

 

「……そうか」

「ち、違う! そういうつもりじゃあ……!」

 

 突然にうろたえる杏子。

 

「いや、どんな意味であっても……」

 

 杏子は魔法少女で、私も魔法少女。そして今の手刀が意味するところを考えれば、答えは明白だった。

 友達かとも思ったが、残念だ。

 

「本当に、残念だよ」

「くっ……! おい! 頼むから、話を……!」

 

 私は彼女の言葉を遮るように。杏子は私に食らいつくように。

 両者同時に変身した。

 

 

 

 身に纏う、魔法少女の衣装。

 手作りのリボンで飾ったシルクハットに、三代目の紫ステッキ。

 

 これが私の真の姿だ。

 

 

 *tick*

 

 

「……杏子」

『……』

 

 対する杏子は、情熱的な赤い衣に身を包んでいた。

 その手には何かを貫くための道具であろう槍が握られているが、指先に力は入っていないし、表情は困惑気味に私を睨んでいる。

 

 杏子。彼女とは何度か会うくらいの仲ではあったが、良い子だったと思う。

 不良少女のようでいて、実は優しい。世話焼きな一面もある。

 

 ……いや。けれど、これ以上はやめておこう。

 

 私は踵を返して、使い魔のもとへと向かった。

 反応のある使い魔だけはさっさと駆除し……早く、この町から去らなくてはならない。

 そう思ったから。

 

 

 

 

 噴水に築かれた亜空間。そこは、巨大な本の世界が広がっていた。

 階段のように段々と平積みにされた本を駆け登り、使い魔のもとへ急ぐ。

 

『……!』

 

 使い魔を発見した。

 見た目は、本の栞で作られた鳥……といったところだろうか。

 

 はたはたと栞の身体をはためかせて空を飛ぶ様は、さながら現世に甦ったスカイフィッシュのように見えなくもない。

 

 だが、UMAなど目じゃないほどの異世界に私はいるのだから、そんな生物を見つけた所で感慨などあるはずもない。

 ただひとつ、栞の使い魔ならば魔女は本であろうという他愛もないことだけを朧げに考えながら、時を止める。

 

 

 *tick*

 

 

 栞の使い魔は完全に動きを停止した。

 同時に、私の勝利が確定した。

 

 

 *tack*

 

 

「…… 1.瞬間乱打ステッキ」

 

 動き出す世界。

 そして一瞬のうちに叩きこまれた、停止世界での三十発分の殴打が使い魔に襲いかかる。

 

 魔力により強化された打撃を、たかだか使い魔が数十発も受けて無事でいられるはずもない。

 使い魔は即座に圧壊し、本の世界は霞んで霧散し、日常の公園が戻って来た。

 

 

 

「――聞いてくれよ!そういうつもりじゃなかった!」

「!」

 

 背後から声。杏子だ。

 時間停止でここまで来たとはいえ、もう追いついたのか。

 

「……なあ、聞いてくれよ」

「……」

 

 やりたくはないが、ステッキを構える。

 杏子もそれを見て警戒したのか、槍を控えめに構えた。とはいえ、攻撃的な様子はない。

 

「……さっきのは悪かったよ。一般人かと思って……眠らせようかと、思って」

「……そうかい」

 

 それならば説明はつくだろう。しかし、問題はそこじゃないんだ。

 

「本当だよ、だってアンタが突然、使い魔の方向に行くもんだから……」

「それで、君は使い魔を放っておいてラーメン屋か?」

「……! だって、お前! ……使い魔を倒してどうするんだよ!」

 

 これだ。

 先程の反応で、薄々と気付いていた。というより、確信していたのだ。

 

 杏子が、わざわざ使い魔を狩ろうとしない……そのような魔法少女であることを。

 

「……使い魔だって、近くにいれば倒すだろう」

「魔女じゃない……グリーフシードだって落とさない奴だよ、それでも……」

 

 ああ、なるほど。やっぱり。

 そうか、この子は。なるほど。

 

「……杏子、以前も言っていたね。君は、自分の為だけに生きているのだと。大切なものは必要なく、自分の心のために生きればそれで良いのだと……」

「!」

「でもね。私には少なくとも、守りたいものがあるんだ。……使い魔とも戦うべき理由が、ある」

 

 それが、今の私にとって大切なもの。

 マミと結んだ、魔法少女としてのあり方だ。

 

 私は杏子とは違う。

 

 杏子は私とは違う。

 

「……でも、ここは見滝原ではなかったからね。立ち入ったことは、すまないと思っているよ」

 

 ハットを深く被って、小さく頭を下げる。

 私はいつの間にか、彼女のテリトリーを脅かしてしまっていたのだ。

 

「君の庭を荒らしてすまなかった、杏子」

「……」

 

 許してくれたかどうかはわからない。彼女も苦い顔をするばかりだった。

 

 けれど彼女と私の信念は違う。その正義も違う。

 魔法少女としての生き方が違えば、それは相容れないものだ。

 使い魔を狩ってはならないという主義によって管理されるテリトリーがあるのならば……そこに無闇に立ち入るのは、良くないことだから。

 

 結果として不干渉。それが一番、落ち着くのだろう。

 

 本当に残念でならないよ。

 杏子とは、何から何まで気が合うと思ったんだけどな。

 

「じゃあね、杏子」

「ちょ、オイ……!」

 

 

 *tick*

 

 *tack*

 

 

 

「! くっ……また消えやがった」

 

 伸ばしかけた佐倉杏子の手は、何も掴むことはなかった。

 暁美ほむらはその場から忽然と姿を消し、いなくなったのだ。

 

「……違うだろ? 魔法少女って、そういうもんじゃないだろ……あんたも、言ってたじゃんかよ……」

 

 しばらく虚空を強く握り締めてから、彼女は脱力するように変身を解いた。

 

(魔法は全て自分の為だけに使う、そういう生き物だってのに。……“あいつ”と同じようなこと、言いやがって)

 

 思い出されるのは、かつて杏子の師でもあった巴マミとのやり取りだった。

 最初こそ上手く行っていたが、時を経るに従ってお互いの価値観はずれてゆき……疎遠な今に至る。

 

(あんたとは、仲良くやっていけそうな気がしてたのに……!)

 

 久々に知り合った、同年代の友人だった。

 少しばかり常識に疎いところのある相手だったが、杏子としては話していて楽しかったし、遊んでいる間は随分と心が弾んだ。

 

 他人なんて必要ない。

 それは杏子が抱く、魔法少女としての理念だった。

 

 だが、だとしても、どれだけ達観していようとも、多感な年頃である彼女が人とのふれあいに、飢えないはずもないのだ。

 

(……マミと、同じ制服だったよな。見滝原中学校、か)

 

 喧嘩らしい喧嘩をしたわけでもない。

 後味の悪い、修復しようのない別れ方をしたわけでもない。

 だからこそ杏子は、諦めきれなかったのだろう。

 

(見滝原に行けば、あいつに会えるのかな……)

 

 


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