「……はあ、魔法少女、かあ」
鹿目まどかは自室で、ノートと教科書を広げていた。
近頃は勉強に身が入らず、授業の復習をやっておかなければテストで大変なことになりそうだと、危機感を覚えていたのである。
(キュゥべえからは、逸材だーとか、素質がーとか、そういう風に言われたりするけど……マミさんからは、なっちゃ駄目って言われてるし……ほむらちゃんも、中途半端な事は許さないみたいだし……うーん)
ノートと教科書を開いて勉強の態勢を整えてみても、やはり頭を過ぎるのは魔法少女としての悩みばかり。
(私も、マミさんやほむらちゃんと一緒に戦って……でも、それだけじゃいけないんだよね)
闘えるだけでも良い。正義の味方になれるだけでいい。
まどかにとって、魔法少女とはそのような存在だったし、彼女自身も本気でそう考えている。
しかし、彼女の周りの魔法少女たちは願い事についても真剣に考えるようにと念押ししているので、まどかはその点だけで悩み続けていた。
(願い事かぁー……うーん……)
鹿目まどかは無欲ではない。それでも、裕福な家庭に生まれ、人格者である両親に育てられた彼女には、火急の願いと呼べるようなものはなかった。
それ故に、ノートに描かれるのは純粋な“憧れ”そのもの。
もしも自分が魔法少女になったのなら。その輝かしい妄想だけが、言うなればまどかの“願い”に近いのかもしれない。
「……てぃひひ、こんな風に可愛く、カッコよくなれたら、それだけでいいんだけどな……私」
今回は上手く描けたと、満足気に鼻を鳴らす。だが、勉強は一切進んでいない。
そのことに気付くと思わずため息が漏れてしまうが……そんな折に、まどかは視界の隅にちらつく白い影に気がついた。
「ん?窓の外……?」
窓の外に、何かいるようだ。カーテンを閉めているのでその隙間から僅かな部分しか見えなかったが、どうやら小さい何かが動いているようだった。
「何か白い……ひょっとして、キュゥべえ?」
彼女はそう思って、窓を開けたのだ。
しかし、部屋に飛び込んできたのは想像を絶するものであった。
「くるっぽー!」
鳩であった。
「きゃ、きゃああ!」
「くるっぽくるっぽー!」
白く、珍しい鳩である。しかしそのようなことを気にかけられるほど、まどかは余裕ではない。
翼をはためかせて部屋を飛び回る闖入者に、彼女はすっかりパニックになっていた。
「は、鳩!? で、出てってよー!」
「くるっぽー!」
「飛ばないでー!」
そんな騒ぎは、窓を完全に開放していることもあってか、外にまで聞こえていた。
「……ん? なんだ、あっちから悲鳴が聞こえんなあ」
悲鳴を聞き取ったのは、見滝原にやってきた佐倉杏子だった。
彼女は肩にキュゥべえを乗せたまま、呑気に町中を散策していたのである。
「あの家がまどかの家だね。どういうわけか、騒がしいけど……」
「あれが? 厄介事じゃないだろうな……しゃーねぇ。何だかわかんねーけど、手助けしてやるか」
キュゥべえが何かを言うまでもない。魔女関連のことでもなさそうだったので、杏子は何らためらうこと無く道路を蹴り、一飛びで窓へと飛び込んだ。
「……って、なんだこの状況」
「いやー! やめてー! 羽、羽ばらまかないで!」
「くるっぽくるっぽ!」
杏子はもう少し人間のトラブルを想像していただけに、目の前で繰り広げられているコントのような光景に呆れる他なかった。
が、悲惨といえば悲惨な状況ではある。どうせここまで入り込んでしまったのだからと、杏子は手を突き出し……難なく、鳩を捕まえた。
「くるっぽ?」
「おいおい、昼間っからうるせーぞ」
「ひいい……え?」
鳩もまどかも、突然の捕獲者の登場に、豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
「やあ、まどか」
「キュゥべえ……? あなたは?」
「トラブルみたいだったから、窓からお邪魔させてもらったよ……魔法少女は知ってるんだろ?」
「う、うん……あ、ということは、あなたも魔法少女なんだね」
「まあな。見滝原に住んでるわけじゃないけどさ」
そこでまどかは、部屋に入ってきた少女の足元に気がついた。
「……ブーツ」
杏子は土足だったのである。
それがノートの上のイラストを踏みしめていたものだから、とっておきの絵は台無しになっていた。
「ああ、悪いね。けど、捕まえてやったんだから多めにみてくれよ? こんくらい」
「う、うん、ありがと……てぃひひ……」
が、絵はいつでも描けるものだし、鳩を捕まえてくれた杏子に悪意があったわけではない。
まどかはイラストを惜しむ気持ちよりも、杏子への恩を強く感じていた。
「どっかで見た鳥だなお前……まあいいや、二度と人の住処に入ってくんなよ」
「くるっぽー」
杏子が窓の外に離してやると、白い鳩は素直に空へと羽ばたいてゆく。
まどかはその姿を注意深く最後まで見送ってから、再び深々と頭を下げた。
「……本当にありがとうね、えっと」
「杏子だ」
「杏子ちゃんだね、ありがとう……私、まどか」
「まどかだな、よろしく。まぁ、実はキュゥべえから聞いてたんだけどな」
「そうなの?」
まどかが意外そうにキュゥべえを見やると、キュゥべえは無言で頷き、まどかの机に降り立つ。
「……んで、こいつから聞いたけどさ。あんた、ほむらって奴の事知ってるんだろ?」
「ほむらちゃん?」
「ちょっとそいつに用があってね、探しているんだ」
「うん、同じクラスだから知ってるよ」
まどかにとって、杏子は良い子である。
それに知り合いのキュゥべえを介していれば、初対面の相手であっても友人のことを話すのに抵抗は生まれなかった。
「今、どこにいるかわかるかい? できれば家とか、教えてくれると嬉しいんだけど」
「うーん……今は休日だし……ほむらちゃんの家はわかんないけど、いそうな場所なら」
「お、本当か?」
「うん、でもいるかどうかはわからないよ? けど、よく見かける場所なの」
ほむらの居場所。
杏子としては、まずほむらに会わないことにはどうしようもなかったので、この情報は非常に有意義なものだった。
「じゃあ、それ教えてくれる?」
「うん」
鹿目まどかと佐倉杏子。二人の性格や気質は、似通っているとは言い難いものであろう。
それでもまどかは親しげに接してくる杏子にそこそこ好意を持っていたし、杏子も素直に教えてくれるまどかに対し、親しみを感じていた。
だからこの邂逅は、二人にとって決して悪いものではなかったのである。