「はあ」
やれやれ、小言は慣れないな。お湯の拝借どころか、普段の授業態度にまで言及されてしまうとは。
しかし、日頃の退屈な授業だって悪いと思うのだ。この学校で教わる範囲はなんというか、何度も反復してやったようにも思えてしまうほどに、全く手ごたえを感じられないのだから。
テストだって同じである。あまりにも簡単すぎて、手が答えを覚えているかのように答案を埋めてしまう。
だがまぁ、それは学校のせいというよりは、きっと私が特別というだけなのだろう。
授業中のつまらなさについては、秀才だった暁美ほむらの才能を逆恨みする他なさそうだ。
多少は熟考し得る問題用紙を配布してほしいとは、常々思うがね。
しかし、先生から態度の悪さを指摘されるのはさすがに良くないか。
さすがに授業中に鶴を拵えるのは駄目だったのだろうか。身の振りをわきまえ、ノートにマジックの案を書き記すだけに留めておくべきか……。
これ以上の素行の悪さはクラスでも目立ってしまうだろう。
クラスメイトから変人扱いされるのは、あまり良い事ではない。
「よー、ほむら!」
「……おはようさやか、元気だね」
「へへ、まあねえ」
教室に入ると、上機嫌なさやかが真っ先に出迎えてくれた。
「おはよー、ほむらちゃん」
「ああ、おはようまどか……ねぼけた顔をしているけど大丈夫かい」
「ね、ねぼけてないよ?」
まどかはいつも通りだ。
「おはようございます、ほむらさん」
「おはよう仁美、今日も綺麗だね」
「あらっ」
なんだかんだ、仁美だっていつも通りなのである。
「どうしたの、ほむら。今日は朝から随分と上の空じゃん」
「さやかちゃんみたいに月曜日が嫌いなのかな」
「わ、私だけじゃない! はずだぞ!」
ふむ、悩みが私の顔や態度に出ていたか。
「うん……まあ、ちょっと気になったことがあってね」
「? ほむらさんがですか? 何かあったのですか?」
「ああ、気のせいかもしれないんだけどな……」
「うん、どうしたの? 私達で良かったら、聞くよ?」
……そうか。友達って、良いもんだな。
ならば、そうだな。考えすぎかもしれないけれど、私の苦悩を打ち明けてみるのも、良いかもしれない。
「なあ、私ってさ……目立ってるかな」
訊くと、三人は顔を見合わせてから、私に向き直った。
「目立ってるけど?」
「目立ってますわね」
「目立ってるねー」
「……そうか」
駄目じゃないか……。
「……」
「どうしたんだい杏子、昨日から何もしていないじゃないか」
「うっさい」
杏子は無人ホテルの一室で、菓子類を貪り食っていた。
ジャンクフード、スナック、チョコレート。ありとあらゆる高カロリー食品に手を出す生活をここ数年ずっと続けていたが、彼女の体型はほとんど変化していない。
それは彼女自身の体質のせいもあるかもしれないし、魔法少女になったことの影響でもあるかもしれない。しかし杏子はその理由にこれっぽっちも興味はなかった。
苛立つから、食う。そんな忌まわしい習慣が、根付きつつあった。
「暁美ほむらと戦って撤退してからというもの、君は随分と行動力が落ちているね」
「ほっとけ……もうあいつには関わらないんだ。仲間になろうだなんて、考えないよ。あいつがそうやって、突き放したんだからな」
――そう、マミのようにな
隠された一言はどうにか吐き出さず、再び杏子はハンバーガーに齧りついた。
「……ねえ杏子、つい最近僕が手に入れた情報なんだけど、聞いてくれるかな」
「しつこいぞ、もうほむらの所には……」
「およそ二週間後、この近くにワルプルギスの夜がやってくる」
「!」
ワルプルギスの夜。
その単語に、杏子は大きく反応せざるをえなかった。
「そのために――」
「オイ、なんでわかる」
「僕がそういった予兆を察知できるのは不思議かい?」
「……それは本当なのか」
ワルプルギスの魔女。
それは魔法少女の間で語り継がれる、伝説のような存在だった。
いつから存在しているのかはわからない。
ただそれはとてつもなく強大で、何人もの魔法少女が束でかかっても倒せないほどの魔女であるという噂だけが、まことしやかに囁かれているのだ。
「あくまでも予想だし、必ず来るものとは限らない。けれど、おおよそ二週間後には、何か強大な魔女が現れるはずだよ」
「……二週間後」
ワルプルギスの夜。超弩級の魔女。
おとぎ話か何かだと思っていた魔女が、この街に近づきつつある。
好戦的な杏子とはいえ、強い警戒心を抱くには十分すぎる存在だった。
「ワルプルギスの夜が具体的にどのくらい強いのかは、僕にもよくわかっていない。ただ、普通の魔法少女一人で敵う相手ではないことは確かだ」
「一人じゃ……」
「当然、杏子一人で勝てる相手ではないね」
「……アタシが、ほむらやマミと協力すれば……!」
「いいや、それでも結果は未知数だよ」
「なに?」
杏子、ほむら、マミ。
ほむらに関してはまだまだ知らない部分も多いが、杏子としては、自分の攻撃をいなせるだけ十分に強い魔法少女として認識していた。
そして自分を含め、この近郊にいる魔法少女としては、三人はかなり強い方であろうことは間違いない。
それでも勝てないというイメージが、杏子には全く沸かなかった。
「ベテランの魔法少女が三人集まったところで、勝てるかはわからない……むしろ、ワルプルギスはそれ以上だと推測するのが妥当だよ」
「なんだって……!」
「なにせ遥か昔から現代までに続く魔女だからね。今までに多くの魔法少女が立ち向かっていっただろうさ。三人や四人くらいの魔法少女でなら、当然ね」
考えてみれば、当然の話である。
魔法少女がチームを組む場合、三人前後が最も安定するし、取り分で揉めることも少ないのだ。
杏子にも自負できる程の強さとその矜持もあったが、キュゥべえの推測は正しいように感じられた。
「……じゃあ、どうしろっていうのさ」
「ワルプルギスの夜を防ぐ方法はいくつかあるよ」
キュゥべえの耳がピコンと動き、杏子は黙って聞く体勢を整えた。
「まず、街の壊滅は免れないが……全ての人々を遠くへ避難させることだね」
「……」
「ただ、圧倒的に時間が足りないだろうね。それに、どうやって街の人々を避難させるのかといった問題もある。到底、現実的とは言えない方法だね」
確かにキュゥべえの言う通り、それは現実的な策とは言えないだろう。
だが杏子は頭の中で、自分にとって関わりのある人間だけを逃がす算段を浮かべてみれば、それはわりと実現可能であるように感じられた。
問題は、そういった連中を連れ出すのに一苦労も二苦労もしそうだということだが……。
「もうひとつの方法が、僕個人として最も有効だと思う解決策だね」
「へえ、そうかい」
「ワルプルギスの夜を倒すことだよ」
「……はあ?」
「実は、撃破も不可能ではないんだ」
三人や四人の魔法少女が束でかかっても倒せない相手を、どうやって倒すというのか。それは杏子には全く想像もできないことで、興味よりも呆れの方が勝っていた。
「見滝原で鹿目まどか、という子に会ったね」
「ああ、ぼんやりした……素質があるっていう奴の一人だろ?」
「まどかが魔法少女になれば、ワルプルギスの夜は倒せると思うよ」
「……魔法少女が一人や二人じゃ無駄、って相手なんでしょ?」
「まどかについては例外だよ、彼女はとんでもない素質をもっているからね」
魔法少女には素質があり、素質によって能力の強弱も影響する。杏子もそのことについては重々承知していたつもりだった。
しかし、個人差がそれほど出るというのは初耳だった。
「その子、アタシやマミ以上だっての?」
「比較にならないね……魔法少女になったまどかは、あらゆる魔女を一撃の下に粉砕できるはずだよ」
「なっ……」
「まどかは君と同い年だね。マミの一つ下ではあるけれど……彼女が含有する魔力は、途方もない量だ。ワルプルギスの夜だって、彼女なら簡単に倒してしまうだろうね」
杏子にとってキュゥべえとは、元々何を考えているのかわからない生き物であったし、それほど信用を置いているわけでもない。
だが、なんとなく嘘はつかない相手だと思っていた。少なくとも、バレるような嘘はつかない相手であると。
「……へえ、じゃあつまりあの子が契約すれば、ワルプルギスは倒せて、街も守れる……良い事尽くめ、ってわけ?」
「ワルプルギスを倒すにせよ、街を守るにせよ、まどかの力は必要になるだろうね」
「……ふうん、そうかい」
メシア。まさにそんな言葉の似合う魔法少女だろう。
杏子の記憶にあるまどかの気弱そうな表情からは、そんな気配など微塵も感じられなかったが……。
「けどさ。だったらアンタはどうして、そのまどかって子に契約をもちかけない?」
「僕も持ちかけているよ? ただ、気が進まないらしくてね」
「ワルプルギスの事を踏まえてか」
「いいや、まどかにはまだ話していないよ。これは新しい情報だからね」
ならば、すぐにでも伝えるべきだろう。
杏子はそう思ったし、それは誰だってそうするであろう、理由の重い、何にも代えがたい巨大な使命であるように思えた。
そしてその理由付けは、杏子にとって都合のいいものであった。
「なあ、そのまどかって子の契約の持ちかけさ……うまくできなくて、困ってる?」
「そうだね、困っているといえば困ってるよ。このままでは見滝原市も危ないしね」
「……だったら、アタシが協力してやろうか」
「杏子がかい?」
「ああ、ワルプルギスがこっちのテリトリーにまで影響するっていうんなら、もう見滝原だけの問題じゃないからな」
「それはそうだけど。近頃の君は、随分と献身的に僕を手伝ってくれるね」
「偶然だよ、グーゼン」
そう、偶然なのだ。
全てのことは偶然であり、訊かれれば必然と言い張れるだけの理由も、正当性もある。
正しい行いなのだから、誰に非難されるものでもない。
そして正しい行いというのは……認められるべきなのだ。